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2015-10-21

記録

きのう泣きすぎて、まだちょっと右目が腫れている。

今まで自分健康、心情、プライベートを切り捨てて、四六時中仕事という生活を何年もやってきた私は、

私生活仕事バランス良くやるのが極端に出来ない人間なのではという疑念が止まらない。

まわりの人に比べて、というより社会で生きていくにあたって、そのスキルが足らないのではと。

学生時代だって同じだ。

生活苦から逃れるために、今の生活から抜け出すために、ただそれだけを考えて刹那的に取り組んできた。

そのせいで体調を崩しても、むりやりやってきたんだ。

自分に対する悲しみと苛立ち。

彼はとっても優しい。

自分も働いてるのに、生活用品の買い出し、朝昼晩の食事、動物たちの食事、ときには洗濯ものまで干してくれる。

いくら書いても足りないほど、毎日いろんなことをしてくれてる。

夜遅くまで仕事をしてくれる同僚。

分業だというのは頭では理解できる。

きついスケジュールを組んだのは上司で、曖昧なまま担当になったけれど、

自分もっとはやく状況を把握できれば、もっとうまくできたんじゃないのか。

チームを引っ張る立場ディレクタームードメーカーであるべきで、

私がここで帰宅するのはどうなのと思いながらも、カラダがついていってない。

帰宅途中でふらふらになって、このまま家に帰れないんじゃないかと思ったりする。

なぜ、こんなに恵まれた状況であるにも関わらず、がんばれないのか。

私はもうひとりじゃない。彼にも同僚にも恵まれてる。

バランスの悪い働き方しか知らない自分がへっぽこ過ぎて泣けてくる。

何もできてないことにイライラしてくる。

重いカラダを引きずって泣きながら猫トイレを片付けたら、うまくできなくて汚れた猫砂がザーッとこぼれて床に広がった。

最悪だ。

どうしようもない破壊衝動を押し込めると、自責でいっぱいになる。

自分を傷めつけたくなる。

この状況にまた涙が出てくる。

やっとの思いで片付けてベッドに戻ったけれど、涙が止まらない。

彼が、なんで泣いてるのって聞いてくれても、うまく説明できない。

自分でもなにがなんだか分からなくって、明日もはやく起きたいのに心がこじれてしまって焦っている。

彼は、私をそっと抱きしめてくれて「お説教じゃないよ」と言いながら、親身にアドバイスしてくれる。

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欲しい自分を手に入れるには、自分を律することが重要

最初強制でいいから自分で決めたことを必ず実行するようにする。

いずれ習慣になって、苦にならなくなるから

そうすれば、欲しかった自分が手に入る。

楽器も同じで、調律しないと演奏できない。

人間自分を調節して律することが必要

--------

「でも、壊れた楽器はどんなに調律しても演奏できない、使い物にならないこともあるよ。たぶん私は壊れてる」

「壊れてないから大丈夫。壊れてたら今生きていけてない。そこまでのときは、まず修理すればいい」

「あー、病院行って専門家相談ってことね」

鼻が詰まらせてずびずび言いながら、屁理屈を言う私を諭してくれる。

涙と鼻水を拭いて大量に消費したティッシュが切れた。

炭酸が飲みたいからコンビニにで一緒に買ってくると言って、ティッシュと炭酸水と、ハロウィンパンケーキを買ってきてくれた。

セブンイレブン期間限定スイーツ

いらないって言ったけど、このまま眠ったら目が腫れるよ、

甘いものが足りないから気分が上がらないんじゃないのって、リビングに引っ張りだしてくれる。

私はとってもしあわせだ。

こんなにしあわせなのに、こうやって泣いてる。

夢の中で社長に「こんなに時間かけて、こんだけしかできないの」って言われたと話した。

実際にはそんなこと言うひとじゃないけど。

今までの働き方じゃ長期で見ると体調崩すわけで、そしたらまた休んだり積み上げたりしなくちゃで、

年齢を追うごとに取り戻すのがキツくなるし、そうやって休んでいられるほどのお金存在しない。

からもっとうまくやらなくちゃならない。

だけど、何年も偏ったやり方をしてきた私は、自分にまるっきり自信がなくて。

うまくできなくて。

彼と話してるうちに少しずつ自分気持ちがわかってくる。

難しく考えなくていいよ。真面目過ぎるんだよ。

そんなことないんだけどなと言いながら、とりあえず猫たちの生活を守るためにも働かねばなと思った。

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今朝は体調不良で1時間遅れますって連絡して、ゆっくり出た。

ここでいつもよりはやく家を出れないあたり、ほんとダメ人間だなあと思う。

まあ、へっぽこはへっぽこなりに気負い過ぎずやっていこう。

すべては自分次第だ。

2015-08-09

傘のはなし

森進一の「おふくろさん」という唄の2番だったか3番だったかに、おふくろさん母親)が息子に、おまえは、

世の中の人を雨からかばう傘になれと歌う場面がある。灯りをともせとも言っている。

傘はホントにありがたい。日傘なんてもの女性は差す。

人生には、晴れの日ばかりじゃない、雨の日も必然的にある。家を出るときに傘を持ってでることを気にかけてくれる人が

いるのは嬉しい。

人生の雨の日に、私をかばってくれる、こころに傘を持った人に出会いたい。

或いは自分は、雨の帰り道に、傘をさしだして上げられる人になりたい。

ひだまり樹木。木陰に人を安らけく…。

鳥がつどい、花が咲き、虫も訪れ、割れ鍋に閉じ蓋。人は人と出会うために生きている。

決して、ひとりじゃない

2015-04-07

ライブMC音楽表現したいものについて語られるとげんなりする

「ありきたりなこと言っちゃうかもしんないけど音楽ってやっぱり他人自分の感じたことを伝えるためにあるんだって思ってる。

から楽しいことはもちろん、辛いこと悲しいこと悔しいことだって音楽表現する価値があると思う。

次の曲、俺がどん底でやりきれない思いだった時に作った曲で、(ここでどん底エピソード

から、聴いてて気持ちよくはなれないけど、でも、今日、ここで、この曲をやる意味、それは当時の俺と同じ気持ちの奴に、お前はひとりじゃないって伝えたいから。…それでは聴いてください」

こういうMCにはより曲のメッセージ性が強まるという鑑賞ガイド役割があるのはわかっていても、音楽表現したいとか言いつつ長々と言葉で説明してんじゃねーよと思ってしまう。

さらに話しながらミュージシャン本人が涙ぐんで、ファンももらい泣きしていたりすると本当にドン引き

2015-03-19

「みんなつらいけど頑張っているんだよ」という言葉について

これを言う人が伝えたいことは、「だからあなたも頑張って」かもしれないし「だからあなたひとりじゃないんだよ」かもしれない。みんなが頑張っている内容は、朝早く起きることだったり満員電車通勤することかもしれないし、遅く帰宅した日に食事を用意することだったり、眠れない夜に目をつぶってじっとしていることかもしれない。それらは多くの人が日常的に行っていることであり、同時にいくばくかの我慢や努力を伴うことでもある。毎日爽やかでわくわくした気持ちで目覚し時計を止める人は、もっと寝ていたいという気持ちを押さえ込みながら布団を出る人よりは少ないだろう。

けれども中にはその苦痛が耐えがたいほど重篤な人たちもいる。内科的、あるいは精神的な病気が原因で、外からはその苦痛が見えにくかったりする。なまじ多くの人が毎日行うことだから、なにがしらの苦しみを日常的に経験いるから、その重篤さは見過ごされがちである。他の人は我慢しているのにどうして同じようにできないのかと、周囲の人も本人も大いに悩む。頑張れない人間には生きている価値がない、いやむしろ社会迷惑だと自分や相手を追い詰めてしまうかもしれない。

でも、その苦しみは必ずしも同じではない。あなたが深く深く苦しんでいるように、他人がみな同様に苦しんでいるわけではない。

世界絶望に満ちているわけではない。

から安心して自分の苦しみを癒やすことに注力していい。自分よりももっとつらいかもしれない人や、もっと我慢しているかもしれない人のことなんて心配しなくていい。そんなことはもっとからでいい。心が絶望に満ちておらず、かつ誰かの絶望理解し、それを少しでも掬ってあげられるような人間に、長い長い時間をかけてなれるだろう。

うまく言えないけれど、伝えたいのは、

みんなつらいけど死に至るほどじゃなくて、

誰かのために頑張る余裕もないわけじゃなくて、

から世界絶望に満ちていないっていうことだ。

2014-08-31

個人的に好きなアニソン

http://skky17.hatenablog.com/entry/2014/08/30/192138

触発されて衝動的に書きたくなった

完全に自己満だし世代丸わかりだしで

にわか言われようがブログと被ろうが知らない

シリウス/キルラキル

あーアニソンしてんなーって感じ

疾走感あるアニソン結構ヒットする

聞いてて気持ち良いのが大きい

ひとりじゃない/ドラゴンボールGT

それこそドラゴンボールは色々名曲あるんだけど一番ビビッと来たのはこれ

GT特に名曲の宝庫だと思うんです

謎/名探偵コナン

ストレートタイトル。完全に思い出補正ですがコナンといえばまずこれが出てくる

Butterfly Kiss/RAVE

聞いててワクワクしてくる、冒険もの

RAVEアニメって俺たちの冒険はこれからだ的なので終わったのかなうーん

結構見てた筈が最後のほう覚えてない…

memories/ONE PIECE

初代EDだったか

しんみりさせてくれて、ああ終わりなんだなと思わせられる。夕暮れ時に聞きたい曲

この頃のワンピ(ry

Give a reason/スレイヤーズNEXT

林原めぐみという人物がいかに人気になったかが分かる気がする曲

詠唱は覚えたくなるよ

タイプワイルド/ポケットモンスター

先のブログと被ってるけど好きな曲

この頃のポケモンの曲を聞くと死にたくなってくるのはなんでですかね…

ポケットにファンタジーとかもうね

Q&A リサイタル!/となりの怪物くん

夏目さんかわいいよ夏目さん

EDも良かったけど個人的に死にたくなる系のアレなので明るいOP

続き作られねーかな

おはよう。/HUNTER×HUNTER

ハンタOP。今のOPはなんだアレ…EDは割と好きよ

爽やかな幕開けに相応しいかな

太陽がまた輝くとき/幽☆遊☆白書

幽白名曲揃いなのだけど、これは青春香りがしてとても好き

胸を締め付けられたい時に延々と聞いていたい

バリバリ最強NO.1/地獄先生ぬ~べ~

アニメの入りが良かった

とてもインパクトの強い曲。あんな先生居たらなー

ムーンライト伝説/セーラームーン

ホラーチックな雰囲気が好きだった

リメイクセーラームーンの曲は(ry

LEVEL5-judgelight/とある科学の超電磁砲

only my railgunと迷ったが定番はあえて外した

疾走感がとても好み

ところで続きはいつになるんですかね

コネクト/魔法少女まどか☆マギカ

定番といえば定番

やっぱり10話見た後はね

Wild Flowers/ゾイド ZOIDS

出だし1秒で惹かれる

本編の記憶曖昧だけど曲は覚えてるパターン

ハートを磨くっきゃない/飛べ!イサミ

歌っているのがTOKIOだと知った時の衝撃

TOKIO万能説

夢はどこへいった/新・天地無用!

思い出補正全開

アニソンって感じで挙げる人少ない気がするが当たり前か

bloody stream/ジョジョの奇妙な冒険

第2部のOP

1部は熱い歌なんだけど2部は癖になるスルメ曲なので選曲

ところで結局Codaってどなた?

Butter-fly/デジモンアドベンチャー

定番

不覚にも最終回は泣いた

でも予告でああ続くんだと複雑な気分になった記憶

Wind Climbing~風にあそばれて/魔方陣グルグル

当時は何も思わなかったけれど改めて聞くととても良く聞こえる曲

GHOST SWEEPER/GS美神 極楽大作戦!!

ギャグエロ全開だったのに朝放映していいのかこれって思ってたような

面白くなるところの前に終わってしまった…もっと続いて欲しかったよ

知恵と勇気だ!メダロット/メダロット

少年心にヒットするアニソン

メタビーかわいいよメタビー

Beat Hit!/デジモンアドベンチャー02

デジモン挿入歌がどれも熱い

無印も勿論良いのだけど歌詞いいなと思ったので

2014-06-30

(追記しました)

親の言うことはなんでも聞くようにしてきた。それなりに拒否を表明したことはあるけど、なんだかんだいって説得されて、従ってきた。

だって結局は言うとおりにしないと、母、ノイローゼでぶっ倒れそうな感じだし。いつもお父さん外国単身赴任してて父方の祖母にいじめられてるからかわいそうだったし。

高校生とき小学生の頃から秘めてた夢をついに親に言ったらもうほんと家においてもらえなさそうな感じだったので、格闘ののち折れた。

すごい勇気を振り絞って電話して初めて自分で取り寄せた専門学校パンフとか見られてめっちゃ怒られて、学校の人からの勧誘?電話きたとき親が横にたってて、泣きたいの必死にこらえて断った。相手の声とかもすごい覚えてるなあ。

ちょうどその頃は、偏差値高い学校行って学力的に優等生としてのアイデンティティも失い、振るわない成績に生きがいの部活を親から禁止させられたり、将来の夢を全否定されたりしてからメンタル的にズタボロで、その頃からいい人生送ってない気がする。

無気力とか、諦めとか、劣等感を常に感じる。

大学も途中で欝みたいになって引きこもりになって、薬ももらって飲んだどしっくりこないしもうわけがからなかった。

なんというか見栄っ張り?だから医者から「薬効いてますか」って聞かれるとイマイチなのに、医者に気を使って?「はい!もうバッチリで」みたいに答えてしまうからなんか通院も無意味だなって思ったし、軽い欝って診断だったこともあり薬1年くらいでやめちゃった。

ネットとかの知識でしらべても鬱も非定型欝も躁鬱もADHD人格障害系もアスペもどれもちょっと違いそうでよくわからなかった。

更に自分なりにしらべてACっぽくて、それで反抗期のつもりで親と喧嘩したりしたけど結局はまあ私が悪いみたいな。親はとっくに反抗期終わってると思い込んでたから私がただ癇癪おこして当たってるみたいに思われて解決しなかった。このやりとりは何度かやった。

ただ他人に迷惑をかけながら、自力ではなく、助けてもらって、留年制度ない学校なのも幸いしてなんとか4年で卒業した。

そして家に一人になっちゃう母がかわいそうでUターン就職した。

本当に深く考えなかったけど接客むいてるとおもったか接客業にいった。

高卒ばっかりで、人種が違う感じで、目の敵にされてたのもあるけど精神的に自爆して半年でやめた。

それから役所の臨時だの非常勤だのに滑り込んだ。前職とは雲泥の差ですごく居心地が良くて感動した。している。

運良くウマが合う人ばっかりで、仕事内容も苦手な事務作業だけどそんなに大変じゃなく(まあ非常勤だし)、幸せだって思う。

でも収入からしても正規雇用になりたいし、いまパラサイトシングルだし、なによりもうこの家、土地から出たい。

というかんじで、大学の頃住んでた首都圏にいきたい。

私にはなんの技能もない。

昔諦めた業界がやっぱり気になる。憧れる。でも自分には許されないと思う。趣味レベルで専門知識ないし、学んでないし。おこがましいって思う。ありえない。

公務員になれしか言わない両親に、民間に行きたいんだって話をちらっとした。即答で、じゃあやれば?とっととやれば?はやく電話しろよwwwでもあんたのガラスハートじゃ絶対民間じゃやってけないから、ぜったい公務員がいいんだけどなあ!民間ガラス過ぎて無理。御託はいから、親としては「明日仕事やめて東京行くから応援してね!」っていうような主体性が欲しいの。とかいわれて、静かに衝撃うけてた。初めてパンフ取り寄せたときのことが思い浮かんで愕然としてた。あのとき確かに、自分で行動してはいけないんだって直感的におもって絶望したんだよ・・・

私はずっと首輪をされてた気がするんだけど、両親からしたら、束縛はよくないから自由に育ててきたし、もう成人超えたんだから自分できめなさいよみたいな感じなんですよね。

じゃあいままでの何??

なんでこんなに苦しめられたの?なんで今もこんなに原因不明の苦しみを感じるの?

悔しい。束縛してきたじゃん!ってわけわからないままに悔しいし確かに成人こえてこんな親のせいで動けないとか喚いてる依存体質なのも自分に呆れて同年代以下に劣等感を強めて、いま何をすればいいのか、何をしたいのかわからない。

だってどうせガラスハートすぎて働くところないんじゃん・・・

いまの職場たまたま恵まれてて、こんな鬱っぽい性格ってのを微塵も出さずに冗談いったりかわいがってもらえる場所にいるだけで、そもそも非正規の身分で、正社員とかやってもまえの会社みたいに到底耐えられないんだろう。

労働基準法守ってほしいっていうのが甘えなのかな?父にも労働基準法なんて守ってたら会社はなりたたないんだからなおまえは甘えすぎって説教くらったし母も「ブラック企業かいうけど、ああいうのはどこの会社もやってるからね当然よそれが社会」っていうしわたしの労働観念おかしいのかな。怖いよ。生きていけない。

とくになんで自分はこんな負の精神世界にいるのだろうか。

何かするにもすごくエネルギー必要とする。人の目をきにして動けないし。

人並みにいきていくにはどうしたらいいの。

すごい馬鹿なの承知だけど、自分の中におしとどめとくのが気持ち悪くて、バカだなっておもいながら深く考えず、書きなぐって、遂行もせず、匿名にブチ込む。ごめんね。

  

  

(追記)

埋もれずに反響があって驚きました。構成もなく読みにくいのに(「推敲」さえ誤変換してたのに)本当にありがとうございます…。

しかも叩かれるかと思ったら共感してくれる人や導いてくれようとしてくれる人ばかりでびっくりしました。お言葉目からウロコ状態です。

話せば話すほどクズさが滲み出るので一度優しくされた身としては今どこそ叩かれそうで恐ろしいのですが、せっかく反応をいただけたので踏まえて簡単に追記をします。

 

はっきり毒親だとかいわれると、急に変な感じがして「いやでもうちの両親は優しいよ」みたいに反論したくなるので残念ながら共依存なんだなあと思います

ふと昔のこと思い出しましたが母自身がけっこうやりたがりで、図工の宿題とかも気がつくと完成してたりしました。読書感想画も自由研究も私には主体性0で母の指示通りにやった作品が賞をとったことも多く、当時は深く考えず自分の手柄だと思ってましたか虚構プライドだけ高いたいして能力のない人間になってました。「子の人生は、親の希望・親の人生でもあるんだよ♪愛しているからこそ」って言ってる母と、自分との線引き…がうまくとれないのかもしれません。

 

大学の頃カウンセリングには通いましたが本当にイマイチで、でもその方に非常に気にかけられてカウンセラー変更ができず、カウンセリング時間はすごく気を遣ういやな時間しか過ごさなかったのでちょっと怖いです。マッチするカウンセラーという存在にわかに信じられないのですが、カウンセリングは避けて通れないのでしょうか…(涙)

  

同じような苦しみを味わってる人がいるって、いいことじゃないのに、嬉しくなってしまう。安心孤独感がちょっと和らぐという感じ。

でも決して不幸な人がいるから嬉しいんじゃなくて!!!直接的な解決にはならないけど、ちょっと心強い。

ひとりじゃないって教えてくれてありがとう。はやくみんなして解放されたいよね。頑張ろうね。

2014-06-21

躁病の時に彼女を作って分かったこと

仕事うつ病になり、そこから躁転して躁病になった。

ご存知の通り、躁病の時は何も怖いものがなくなり、すごく爽快な気分になり、なんでもできるような気になる。

その状態で異様な積極性を出して彼女をゲットした。

 

具体的には親の居ない若い娘を彼女に欲しいと思ったので孤児支援をするボランティアに参加し、

そこで知り合った娘を強引にゲットした。

親が居るとたぶん親は俺を受け入れることが出来ないだろうということから思いついた計画だったが、うまくいったのだ。

(なんせ無職40歳という高齢だ。親がいる18歳の女の子は俺と結婚してくれないだろう)

 

の子は親に性的暴行を受けていたせいか、めちゃくちゃ可愛いのに父親以外の男性を全く知らないという、俺的には処女な感じな子だった。

「なぜ親が居るのに孤児ボランティアで知り合ったの?」など疑問は多いと思うが、

かなり特殊な(俺にとっては幸運な)状況で知り合ったので身バレ防止からこれ以上具体的に書くのは自重する。

 

で、本題だが、普段の俺は全く積極性がなく人見知りでおどおどしていて、お察しの通り童貞だった。

しかし躁病の時の俺は異様に人懐っこく、誰とでも仲良くなって、いわゆるリア充である。かなりモテた。

複数女性関係を持ったが、その中から一番若くて可愛い子を選んだのが今の彼女だ。

しか彼女いわく、当時の俺はかなり怖かったそうで、すぐに別れたいと思うようになったそうだ。

しかし俺はその後すぐに躁病が治り、普段の俺に戻った。

俺的には躁の時のような全能感や積極性がなくなり最悪の気分なのだが、彼女に言わせるとこの俺の方が大好きなのだそうだ。

 

おいおいって感じがしないか?

普段の俺はこんな可愛い子には絶対に話しかけられない。

万が一なにかの間違いで話すきっかけができたとしても、たぶん挙動不審&キモい必死さで彼女からしたら気持ち悪くて付き合うなんて不可能だろう。

逆に躁病の俺は自信満々でぐいぐい彼女を引っ張って、色んなところに遊びに連れて行ったりして、

自己満足かもしれないが、彼女は色々経験できて充実した日々を送れていたと思う。

海外旅行スキューバダイビング乗馬陶芸教室北海道一周旅行洞窟探検牧場めぐり、などなど)

しかし、今では収入彼女生活保護費のみなので俺は貯金が減るのが怖いからひきこもり生活

もちろん彼女はそれに不満で、昔のように色々遊びに連れて行って欲しいという。

「躁病の俺だったらできるよ」と言うと「それだったらいいや」と答える。

今の生活は退屈で不満らしいが、昔の俺に戻るぐらいなら今のままで居て欲しいそうだ。

 

彼女からしたら、躁病の俺は怖くて嫌いだったが、強引だったので、流されるまま彼女になった。

しかし、普通モードの俺は可愛くて面白くて大好きなのだと。

たまに図書館に行って家をあけるとめちゃくちゃ寂しがるし、

俺はひとりじゃないと眠れないので寝室を別にしているのだが、しょっちゅう俺の部屋に来てすりすりしてくるし、

俺以外の彼氏など考えられないと言うし、間違いなく俺のことが大好きなんだと思う。

 

まり、なんというか。普段の俺は30歳後半まで童貞なぐらい女にモテない人生だったのに、リア充になったとたん童貞喪失し女に不自由しない生活になった。

しかし実はそんな俺は人間的には魅力がなく怖い人だった。実は普段の俺の方が彼女からしたら魅力的である

えーっとつまり若い女をこましたいだけの悪い男を女は好きになるが、実際に付き合ってて幸せなのは、俺のようなおどおどビクビクしたキモいである、という事が分かった。

 

うーん。うまく書けない。言いたいことは明確なのにうまく言葉にできないのでこれで終わり。

超能力者が俺の言いたいことをうまくまとめてくれる事を祈る。

2014-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20140422045808

安心感はあるよ

年をとっても変わらずそばにいる相手がいるっていいものだよ

休みの日に出かける相手がいるのも、休みの日に家でひとりじゃないのも、

自分で買ってないデザートがでてくるのも、ちょっとした心配事をすぐ話せる相手がいるのも

全部安心できるよ

ま、人間的にあわないやつがそばにいたら苦痛なだけだろうけども

相手をちゃんと選びなさいね

2013-05-17

これから先もずっと独りなのにひとりじゃないというのがとても辛い。

孤独を抱えながら他人と関わらないといけないのがとても苦痛だ。

2012-10-29

うあああああ羨ましいいいい

あなたはもう、ひとりじゃない。ひとりでなければ、ふたりであれば、それはきっと世界を手に入れたも同然なんだ。この広大な世界を歩くのに、ひとりっていうのはなんともつらい。あまりに大きい。世界がその美しさの片鱗を見せたときも、厳しさのかけらを降り注がせたときも、たったひとりでは言葉すら虚空に消えていく。

あなたは、あなたの見た世界の美しさを伝える相手を得た。いや、最初からそれをふたりで見ることになるんだ。

それがどれだけ素晴らしいことかなんて、もう言葉にはできない。

横だけど、こういう話聞くと発作的に「うぎいいいいい結婚したいいいいいいギギギギギ」みたいになって困るわー。

そんなの妄想理想論だろバーカとか言えねえよだっていろんな本とか映画とか音楽とか絵画とか体験談とか知り合いの笑顔の中とかに同じものを見るんだもの

もう現実とか事実とか下手したら真理のたぐいだろこれは。バーカってバカなのは指くわえて食いちぎりそうな俺の方だよ完全に。

いいけどよ手に入らないなら入らないで何とかするから。何とかするけど。ギギギ

とまれ見知らぬ誰かさんへおめでとう。

http://anond.hatelabo.jp/20121028002234

2012-10-28

とある自分語り混じりの祝辞みたいな

ああ、長いよ。そんで私信みたいなもんだから

いろいろ迷ったんだけど、まあインターネットで知り合った人たちだし、インターネットの見える場所でお祝いの言葉を書くのも悪くないかなーと思って、なんか書いてみることにするよ。わかった人はてきとーに拡散でもなんでもして、ご当人たちの目の届く場所にでもこのURLを届けてください。ま「そういう人」なので、こっそりとどこかで見ていたりはしたわけですけど。

ボトルメールよりはもうちょっと確実性のある手紙でも、ひとつ

つーか結局は自分語りな。この場合自分語りしないと伝わらないこともあると思うんよ。

とりあえずそうだなー、びっくりした。びっくりはしたんだけどさ、なんていうか、あんがい意外でもないんですよね。ああ、なんか辿りつくべき場所に辿りついたっていうか。

そうね、まあ「彼」とでも呼んでおきましょうか。

彼との出会いは、俺が以前やっていたサイト掲示板にまで遡る。俺がしょうもない日記書いて、共同で管理してた友人としょうもない対談みたいな記事作ったりして、まあ全体的にしょうもないサイトだったんだけど、掲示板だけは違ってたのね。エロゲやったりする人の多くがそうであるように、俺にも「青春」とか呼べる時期なんかなかったんだけど、もしあったとしたら、あの掲示板にそれはあったんじゃないかな、と思う。二十代後半だったけど。いいだろ別にいつ青春やったって。周囲に女とかぜんぜんいなかったけど。別にからそういうのはいいんだって

インターネット始めるまでは、自分趣味のこととか話せる相手がいなくて、それで、俺は異常だと思ってたんだよね。こんなにフィクションに異常な思い入れする人間とかほかにいない。いたとしてもそれは同居人くらいで、ほかにはどこにもいないんじゃないか。まあ日本には人間が1億人くらいいるので、確率としてここに二人いる以上、もうちょっとはいてもいいんじゃないかなーと思ってたんだけど、サイト始めてみたら、思ったよりも多かった。そうやって集った同好の士のなかに、彼はいた。

あの掲示板って、ちょうどいまでいうツイッターみたいな空間だったと思うんだよね。界隈の人たちのたまり場みたいな感じ。あずまんが大王の塗装のバスとか出現したっていうんでわざわざ見に行って実況してみたりとか、やってることが本質的に一緒。そんな掲示板のなかで、彼の存在はひときわ異彩を放っていたと思う。寡黙でありながら重量感があり、切れ味も抜群、常に陰のようなものがあるのに、どこかすっとぼけ確信犯諧謔がある。

同居人ともども彼の書き込みのファンになったね。彼が書き込んでくれるのが楽しみでしょうがなかった。

なんていうのかな、戦友、みたいな意識があった。骨の髄までフィクションに冒されて、二次元キャラと添い遂げるくらいの勢いで大好きで、ほかに希望なんかなくて、掲示版みたいな場所に吹き溜まっててさ、でもそこしかなかった。ほかの人がどうかは知らないけど(たぶん似たような感情は持ってくれてると思うんだけど)、このクソみたいな世界のなかで、なんとか喘ぐように呼吸して、それこそ酸素に飢えた金魚みたいに口をパクパクさせながらなんとかエロゲとかマンガのなかに救いを求めて、そんでもって掲示版でなんか吐き出してる。ここでは本音で話せる。道端の路地の向こうに、あるキャラクターいるかもしれない、永遠に会うことができないそのキャラ面影だけ追いかけてふらふらと散歩を続けるような、そんなポエムじみたことや、そういうバカで真剣でどうしようもない自分を笑い飛ばすようなことや、そんなことを日々繰り返して、それでもまあなんとか生きてるよね、別に積極的に生きる理由もないんだけど、とりあえずフィクションあれば俺ら呼吸はなんとかできるよね、みたいなそんな日々。

そんなのがまあ、俺にとっての青春だった。

そんな日々をともに過ごしてきた人たちに対しては、友人というより、仲間というより、やっぱり「戦友」っていう言葉がしっくり来る。

そういう場所を瓦解させてしまった理由ってのは、いくつかあると思うんだけど、まあいちばんは俺が結婚たからだな。

俺、アホだからさあ、どっちかしか取れないんだよね。真剣だったからこそ、ってのはあるかもしれないんだけど、少なくとも結婚するっていう事実の前では、俺はフィクションを捨てるしかなかった。だって、そこに魂の半分を置いてるんだもの。好きになるのも嫌いになるのも、すべてはフィクションのなかにしかそういう対象っていないんだもの現実人間なんて書割じゃん。こちらに実害を及ぼす人間けが脅威で、あとは男だろうが女だろうが、じーさんだろうが幼女だろうがひとしく恐ろしいものだったわけで、それが、たった一人といえども「人間」を選んでしまったわけ。それは「世界を選ぶ」ということとほとんど等価だった。全否定してきて「フィクション摂取する俺の肉体を生存させるための意味しかなかった」世界のなかで、俺は伴侶を得て歩いていかなきゃいけないわけよ。いいったって悪いったって、俺ひとりじゃない。とにかく俺は世界を切り開いて歩いていかなきゃいけない。

そうやって俺はフィクションを捨てて、書くことすら捨てようとした。

でもねー、書くのだけはやめられなかった。

言ってみればさ、フィクションを捨てること、書くことを捨てること、すべては裏切りじゃん。もちろん周囲の人はだれ一人として裏切りだなんて思ってなかったと思う。複雑な気分を抱えていたことは想像に難くないんだけど、俺が「この世界」に幸福を求めようとすることを咎める人なんてだれもいなかった。

だけどさ、逃げるようにサイトやめて、俺そういう不義理っていっぱいやってて、いつ見捨てられても不思議じゃない人間なんだけど、彼はそんな俺をずっと見捨てないでいてくれた。彼だけじゃない、俺の周囲にはそういうありがたい人たちがたくさんいて、俺は今日まで生きてくることができた。

いまはもうそうじゃなくなったけど、書くことだけが俺にとって救いだった時期ってまちがいなくあった。書いて、読んでくれる人がいる。そのことだけで「ひょっとして俺は生きていることを許されるのではないか」と思えるようなそんな日々があった。

ここに至るまでの十年以上、そのほとんどの歳月を、彼はだれよりも俺の読者でいてくれた。極端にいえば、命の恩人だ。ほかの数人の人たちと同様、彼は俺を生かしてくれた。読んで、なにごとかの感想を書いてくれることで「少なくとも書くことだけでは、生きている理由がある」と伝えてくれた。

でもね、そこにあるのは感謝じゃないんだよなー。いや感謝もしてるんだけどさ、あるとすれば「あのとき俺ら一緒にいたよな」っていう深い感慨だろうか。ああ、俺らはあのころ、あんなに生きるのが面倒でやってらんなくてつらくて、そんでもまあ十数年後のいまも生きてるよな、なんかかなりおもしろめでかつ珍しめの人生とやらをやったけど、まあ死んでねえよな、明日以降もなんとかやってくんだよなー、みたいな。

そんな彼が結婚する。

別に結婚」っていう単語に無条件で反応しておめでとうなんて言う気はさらさらないんだけど、とにかく、彼は「見つけた」んだというひとつの明確な証拠ではある。結婚という形式に付随してくっついてくるいろんな義務とか権利とか、ようわからんけど、いろいろあるものをすべてひっくるめて引き受けて、たった一人の人を死ぬまでの伴侶として選んで、生命が終わるときまでは生きていくんだという決意の表明だ。そういうものとして「結婚」っていう形式はなんとも明瞭だ。

彼はそれを選んだ。

からさ、変な話なんだけど、俺の感情としては「安心」っていうのがいちばん強いのかな。彼の生み出したさまざまなものの魅力の大きな源泉は「孤独」だったけど、それゆえに彼にはいつも荒野を歩いているような感じがつきまとっていて、もちろんこんなもん言葉になんてしないんだけど、その孤独デッドエンドを彼が見てしまったらどうしよう、みたいな漠然とした不安はいつもあった。

そう、彼はもうひとりじゃない

これかな。そうだ。あなたはもう、ひとりじゃない。ひとりでなければ、ふたりであれば、それはきっと世界を手に入れたも同然なんだ。この広大な世界を歩くのに、ひとりっていうのはなんともつらい。あまりに大きい。世界がその美しさの片鱗を見せたときも、厳しさのかけらを降り注がせたときも、たったひとりでは言葉すら虚空に消えていく。

あなたは、あなたの見た世界の美しさを伝える相手を得た。いや、最初からそれをふたりで見ることになるんだ。

それがどれだけ素晴らしいことかなんて、もう言葉にはできない。

たったひとりのための、あなたであるように。そのことがそのままであなた幸福にするように。あなたと、あなたが選んだ人の幸福が、そのままで世界の美しさにつながる回路を形成しますように。

ちなみに、お相手の方もネットを通じて決して存じ上げぬ方ではございませぬ。存じ上げているっつーよりはもうちょっとよく知ってる。

なんで、この場を借りてお願いなど。

まあ、俺がいまさらこの場で言うことではないかもしれませんが、幸せにしてあげてください。言われるまでもねーよカスwwwと思われるかもしれませんが、それを承知でなお俺はそう言いたいのです。彼の孤独や、彼の傷つきやすさや、それでいてあんがい飄々としているところとか、飄々としているようでいて、もっと深いところで傷ついてたりするところや、そういうものをほかの人間よりは多少はよく知っている人間として。

なんかねー、ひとの旦那つかまえて俺のほうがよく知ってるヅラすんじゃねえよって叱られそうだけど。

そんでもまあ、そういうこと思っちゃうくらいには、彼は俺にとってかけがえのない人だったりするんですのよ。

あと還暦になったらクソどうしようもねえ鼎談とかやる予定なので、そこは多目に見てください。あなたもご存知の友人の環境が非常に劣悪です(もう一人の畏友とじょじぱんつのゴムを両端で引っ張ったり縮めたりしながらにやにや笑っている)。

最後に「彼」こと某神父へ。

まあ、なんですか、直接に会ったら俺のことだからビシッと決めて「おめでとう」とか言えそうもないんで、いまここで言っときます。ほら、しゃべるよりも文章のほうがうまいこと自分の考えてること言える人だから

おめでとう。

つーかまあ、びっくりした。

新婦の方には俺も会ったことないんで、まあそのうち会いますかね。

第一報を知ってからすぐにうちの奥さまに知らせようとしたんだけど、あの人、ここんとこあるゲームにはまってて、仕事してる時間以外、寝るかゲームするかしかしてなくて、いま爆睡中。起きたら知らせるつもりですけど、たぶん反応はこんなもんすよ。

「ふーん、ま、あの人ならいつか見つけるんじゃないかと思ってたけど。ついに見つかったか、くらいじゃないの?」

2012-01-06

マドレーヌさん(20代 女性からメッセージ

私は昨年の11月に、近所の川に架かる橋から飛び降りました。死ぬつもりでした。

家を飛び出して、母が追いかけてきました。現実から逃げたい一心で欄干を乗り越えました。橋から落ちてゆく間、不思議な体験をしました。心の底から"開放感"を感じました。

もう、何物から邪魔されない、という。とても清々しく、いっそ「気持ちいい」という感覚でした。さほど高くない橋だったのですが、意識はそこで一旦途切れました。私はあの時、一度死んだのだと思います。ですが、すぐに激しい痛みで意識が回復しました。脊椎の粉砕骨折、肋骨、鎖骨の骨折、肺がつぶれる

病院10時間に及ぶ手術をしました。手術で、輸血を受けたそうです。

もうあの日から9ヶ月。私はずいぶん変わりました。「自分一人の身体じゃない」という意識が強くなりました。以前はリストカットは常習者でしたが、あの日からは、本当につらいときは頭をよぎることはあります。でも、切りたくありません。夜に川から引き揚げてくれたレスキュー隊員さん。病院整形外科精神科、循環器内科先生方、看護師の皆さん、理学作業療法士先生方。特に、CICUには1ヶ月以上いたので、不安ときに話をしてくれて、心強かったです。

今、私は自分の足で歩いています自分の手でこれを書いています。顔にもほとんど痕は残っていません。週末に病院に行って、折れた鎖骨を支えているプレートを外す手術をいつにするか決めます

約束はできませんが、私はもう自殺はしないと思います。あれだけの人たちに助けられ支えられ、守ってもらった"命"。

片手の指の数くらいは未遂で危ない橋渡りました。自分の命なんて、ちっぽけで軽いものだと思っていました。

でも、違います。命を創るには、一人じゃ足りないんです。父親と母親が揃わないとだめなんです。皆、産まれた時から一人じゃないんです。時にはそれが鬱陶しく、「何で頼んでないのに産んだんだ」と、私も親に言いました。でも、それも成長していくには必要な発言だったのかもしれません。

"生きる"とは、感謝の上に成り立っているものだと思います。"生かされている"のです。

私もこれから先の人生で、「生きるか、死ぬか」と悩むことがあるかもしれません。

でも、常に感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います

私はひとりじゃない

そう思えるだけ、人生捨てたもんじゃないですよ。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/mukiau/special8.html

2011-04-24

そろそろ、ACCMガンバレ東日本とかひとりじゃないというメッセージは飽きてきた。

具体的にもっとこう、

 おまえら一人一人がこういう考えをすればよくなるんだぜ、

という考え方を出せないかな。

慰めよりも、明るくするやりかた、前に進む方法を。

そういう意味じゃ、震災からあったこだまとか、震災後に爆発的に増えたぽぽぽ〜んみたいなのもよかったんだ。

道徳的なことは吐き気がするという奴もいるけど、もっと肩の力抜いて見ればいいのになあ。

2011-04-08

そりゃそうだろう

地震速報の1分ほど後で揺れる都内在住でさえ、頑張れコールCMには虫唾が走るよ。

画面の中からひとりじゃないよ」とか言ってるけど、それ何千・何万人に向けて言ってんだ、みたいな。

体育館にひしめき合って避難してる人の中には、「ひとりになりてーよ!」って思う人もいるんじゃなかろうか。

まだ海外有名人の「ワタシタチハ トーモダーチデス」の方がほっとする。

もうちょっとトンチの効いた電通社員なら、

節電して薄暗い都内のデパート渋谷交差点をバックに、

字幕で「現地に向かえない人も、わずかながら協力しあっています」とかサラッとやればいいのにとか思う。

節電の直接原因は地震じゃないかもしれないけど)

http://anond.hatelabo.jp/20110407001402

2011-01-25

自己嫌悪

ひとから必要とされなければ生きている価値なんかない。

自分幸せなんか追求しちゃいけない。

げんに私は、自分幸せを追うとすぐに失敗をする。

少しの甘えも、すべてを壊すから

人はすぐに面倒になる。

初めは同情してくれるかもしれないけど、じきに嫌になる。ただ話すことさえ。

からもっと気を付けないといけない。

どうして、うまくいかないんだろう。

思い出してみてよ?

何年も前。

友達が欲しくて。

かに好いてもらいたくて。

自分存在をゆるしてほしくて。

泣いていた。

生きててもいいですか。

私が私として生きていてもいいですか。

さみしい

くるしい

つらい。

もうひとりは嫌だ。

怖い。

震える。

優しさがほしい

けれどそれが怖い。

だれかに許してもらいたかった。

生きていていいんだよ。

ぜんぜん、悪いことじゃないんだよ。

泣かなくていいんだよ

でも泣きたいのなら泣いてもいいんだよ

受け止めてあげるから

大丈夫から

ひとりじゃないから

側にいるか

さみしくない

さみしくない

そう言ってね、

励ましてほしかったの

ずっとずっと

私は私なりにがんばったんだよ

どうにかしようって思ってがんばってきたの

それでも結果が出なくて

人に嫌われるばかりで

不安不安

自分存在なんかいらないんだって

そう思って

消えたくて

死にたくて

わたしの存在が無くなることが、幸せなんだって

この場から

消え去ってしまって

だれにも気付かれずに

いなくなってしまったら

そこには痛みも、なにもなくて

わたしはようやく、平穏を手に入れられるんだって

そう思って

しかった。

消えたくない生きていたい

死にたくないで自分は嫌い

自分が憎い

私にこんな思いをさせている自分が憎い

ころした

それも最も痛い方法で

ばらばらにして

引き裂いて

血を流して

たっぷり苦しめて

ころした

消し去りたい

この憎しみをすべて

ぶつけたい

ばらばらとがらがらと耳元ですべてが壊れていく音

うちがわからグサグサと自分を刺し殺す音

が、

きこえる

きこえていた

今は

友だちがいる

すべては話せないかもしれない

さみしいときに側にいないかもしれない

けれど遊んでくれて

ほんものの笑顔を向けてくれて

いっしょに居たいって思ってくれて

みんなでごはんが食べれて

今週来週で終わってしまう仲じゃなくて

ずっと続くんだって

疎遠になったとしても

きゅうに私のことを嫌いになることはないと

思える

友だちがいる

すてきなことだ

とってもすてきなことだ

それだけで、生きていける

昔のわたしの

望んでいたこと

ほらね、ちゃんと、かなった

生きていてもいいよ

失敗はあるかも知れないけど

何も死ぬほどじゃないよ

夢を追っていていいよ

好きなものは好きって言っていいよ

我慢しなくていいよ

改善してほしいところが、たくさんあるけどね

ゆっくり治していくといいよ

生きていて。

私には、あなたが必要だから

生きていたいの。

から生きてて。これは命令だから

そう思ってもね

やっぱり嫌なんだ

今の自分がとてつもなく、嫌

ごめんなさい

ゆるしてください

あきれてるよね

嫌われたかもね

もう連絡なんて来ないか

そう思うと怖くて

けれど謝ると重たくなりそうで

何も言えず

ただ、このまま

もっとちゃんとした人間になって

この場所に居たかった。

ごめんなさい。好きです。好きなんです

欲張りだ。

友達でいいのに。友達さえいればいいって思っていたのに。

どうしたらいいかからない。やっぱり消え去りたい。消し去りたい

環境は変化したのに、心はあのころのまま。

うまくいかない悪循環

2010-12-16

4545

ここに居るのはみんな「増田」なんだ。

ぼくはひとりじゃない

2010-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20100925010413

自分に関心を持ってくれる誰かがいないのがつらくなったら、

自分が関心を持てる誰かを探しに行ってみると楽になれるかも。

結構みんな受け身なんだよね。

関心のある誰かがいればひとりじゃないよ。

2010-07-10

基本情報技術者という試験があるんだけど…

長文になるとおもう。スイマソ。

先に趣旨を書くと、講師試験対策の講義をするのだが、パソコンの知識が薄すぎる。

質問に答えられず「そういうふうには試験に出ないので大丈夫」と逃げる。

で、どうしようかなーと。


ハローワーク仕事が見つからないこともあって、職業訓練というのを受けることにした。

現在、40歳男。

前職、病院ヘルプデスク

MCPを取得しているくせに、ネットワーク関係のことにはかなり疎い。のが悩み。

あとプログラム系も苦手、というか知らない。

それで、職業訓練なんだが、

プログラマ養成基礎コース』

って、おいおいずいぶんおあつらえ向きな…、ってかんじ。

半年間のコースで、前半が

ACCESS基礎・応用

・ITパスポート試験対策

VB2008

後半が

SQL

データベース概論

・ITパスポート試験対策

悪くない内容だと思う。

・前職でもACCESSデータベースのことを聞かれることは多かったので、

一から学べるのはありがたい。

プログラムの知識皆無だったから、VB楽しい。難しいけど。

問題はITパスポート

「いや40歳が履歴書にITパスポートって書いても鼻で笑われるんで、

せめて基本情報(技術者)にしますわ。」

という話を(応用情報を受ける秀才に便乗し)したところ、

クラス15人中7、8人が基本情報にすると。

ちなみに可能性がありそうなのは3人。

情報大学出身者、ITパスポート取得者、PCオタク一年前から通信で基本情報勉強をしているやつ。

だって過去問テキスト買ってきて、受かった気になってるのがひとりじゃないんだから。

そりゃハローワークも見放すわ。

ちなみに俺は言ってはみたものの、勉強がいくらやっても追いつかず、

エントリーするかも迷い中。

で、やっと本題なんだが、

受ける受けないにかかわらず、この試験内容の知識は仕事で必要だな、と感じ始めている。

自分の今までいた職場だったら、どれにあたるのかな…と考えながら勉強してる。

なのに、講師PCと社内LANなどの現物の知識がなさすぎる。

この講師、この春の基本情報をかなりの好成績で一発合格。しかもVBでかなりのレベルプログラムを作れる。

秀才というより努力家。一生懸命勉強したらしい。その点は頭が下がる。

ただ、現場経験0。

これまでは建築やさんでPCは扱ってたらしいが、社内ネットワーク云々もプログラムも関係なし。


この講師受験したときは、クラスで9名受験し3人が合格したらしい。

ということは、はじめからそのつもりで授業に臨んでいない(16進数ってなに?みたいな)

俺らは結果が見えている。

だから、試験試験として、その内容がしっかりとその後の仕事に活かせればいいかな、

と思うのだが。

で、それが職業訓練ってものだと思うんだけど。

馬鹿だから勉強進んでないけど、結局試験は受けると思う。

ただ、心配なのは仕事で活かせる知識を身につけられるかは、自分次第。自分しか頼れない。

という状況。

日に一度は「それは試験に出ませんので…」と回答を避ける人には、

人生任せられないので。

2010-06-01

君はたぶんひとりじゃない

働きはじめて2週間が過ぎました。

いまは充実していて、毎日が楽しいです。

ほんの3か月ほど前まで、こんなにも楽しい毎日があるなんて想像もできませんでした。

わたしが外に向かって一歩踏み出せた、はっきりとしたきっかけはありません。

22才の時、専門学校中退して、そのあとも仕事が長続きせず、ひきこもっては出、ひきこもっては出を繰り返してきました。

ひきこもっているときは、昼と夜が逆さになって、ほとんど煙草ネットだけが生活の友でした。

自分には生きる楽しみも、希望も、資格も、価値もない。

わたしの人生はもう終わってる。

このまま消えてなくなりたい。

そんなことばっかり考えていました。

去年の秋、未遂もやってしまいました。

でも、今わたしは生きてここにいます。

どんなに落ちぶれても、静かにじっと見守ってくれた家族

どん底の時に繋がってくれていた友達。

マイペースゆっくりやっていけばいいんだよ」というメッセージをいつも送り続けてくれた先生

わたしはひとりじゃない

わたしは支えられている。

命を捨てようとした時、やっとそのことに気がつきました。

周りを見渡せば、感謝したいひとたちに囲まれていて、自分はほんとうにラッキーだし、幸せ人間だと思います。

友達が言ってくれたのですが、

神さまは背負えるだけの荷物しか背負わせないのだそうです。

自分のところに何か途方もない大きな問題がやってきたとしても、それはあなたに背負える内容だというのが神さまからのメッセージなのだそうです。

もし逃げたり、目を背けたりしても、それがあなた自身だから大丈夫。必要な時に必要なものが必ず現れるから。

わたしはこの言葉にほんとうに勇気づけられました。

雨はいつか止むし、夜はいつか明けるし、季節は移り変わる。

良いことも長くは続かないように、悪いことも長くは続かないのだと思います。

わたしがいまいちばん幸せだなぁと思うのは、

明日なんて来なければいいと思っていたのが、

明日を信じられるようになったことです。

ささやかでいいから、明日希望を持てるようになったことがいまいちばんうれしいです。

いま苦しんでいる人に伝えたいのは、生きることだけはあきらめないでほしいということです。

明日のことはほんとうに誰にもわからないから。

2010-02-04

ふたつ恋した

http://anond.hatelabo.jp/20100123005026

つづき

 無謀な旅に出たのはそれを書きたかったからで、半月日本中を車で旅して、それでもまだそうかと聞かれれば、僕はうんとうなずく。それでもうんはいまは少し控えめで、バックシートの同乗者との旅が楽しくなり始めている。後部座席の右側の窓は全開で、海風に髪をなびかせて真っ青な海に向けて、彼女は表情をあかるくしてシャッターを切る。バックミラー越しの横顔には昨夜の凍えきっていたおもかげはなく、蒸し暑いとさえ思う風にはしゃぎきっていた。

 それだけで満足してしまう。

 写真の評価をしっかり伝えたのが良かったのか、安心して撮って良いのだと思ってくれたのか。

 雑誌旅行記みたいなサイトを作りたい。そう旅の目的をはなすと彼女は僕の書いた文章を読みたいといった。彼女はしばらく読みすすめ、これは私には無理と情けない声でいった。僕は慌ててブレーキを踏み、路肩に車を止めた。振り返って言った。

「ちょ、ちょっと待って下さい。僕はもうあなたに写真を撮って貰うって決めているんです。あなたの写真がいいんです。すてきじゃないですか、なにが無理なんですか」

「でもこの旅行記、格調高いし、大人っぽいし、私こんなに知識ないし」

 うつむく女の子をみて、僕はあっと思い当たる。

 意気込んでひとり旅にでた僕は、だれからもそしられない旅行記にしようと、堅固な文体で書いてしまっているのだ。本人からすれば少し堅いかなぐらいであるのだが、慣れない人からみればそれはきっと要塞でも見上げているような心地になるのだ。

「あ、いえ。でもこの文章堅すぎて、こんなの読んだら息詰まってしまいます。そんなところにぱっと明るい写真がほしいんです。あなたの写真は色彩豊かで、大胆な構図で、ダイナミックで、この動きのない旅行記をきっと生き生きとさせてくれる」

 僕は、思いつく限りの美点を話す。これでもプロの撮った写真を見続け、それを文章の隣にレイアウトし続けていたのだ。もしそんなプロ達に混じっていても僕はきっと彼女写真を選ぶと思う。

「それにWebサイトなのです。雑誌ではないのですから解像度も必要ないですし、僕はフィルムスキャンもやってましたから、若干色味が狂っても直せますし」

 すこしだけ顎が上がり、僕は安堵して息をつく。

「ちょっと安心しました」

「撮れないって言われたらどうしようかと思いました」

 彼女はふふと笑う。

「そんに気に入ってくれたんですね、私の写真

 それで僕は、旅行記に載せる写真彼女に撮って貰う事に執着心が生まれ始めている事に気づく。なぜだろうと思い、色味だろか、構図だろうか、被写体の選択だろうかといろいろに理由探しをするが、きっとセンスみたいな所かもしれないと無難に着地する。美感の好きと思うところが似ているのだ。そこの波長が合うのだ、きっと。

 バックミラーの中の、撮った写真ノートPCで確認する姿を見ながら思う。

(出来れば、ずっと一緒に撮ってくれないかな、三ヶ月に一回でもいいから)

 彼女写真に恋をし始めていた。

 まだまだ若いのだし、これから音をたててめきめきと上手い写真を撮るようになる。そうなればちょっとした写真家になるかもしれない、プロというまではいかなくても。そうなってしまってからではもう届かない。今のうちに出会えたのは幸運で、コンビを組んでいれば、有名になっても昔のよしみでほんの少しだけならつき合ってくれるかもしれない。

 そんな打算さえ生まれてくる。

 それぐらい僕は参っていた。

 彼女の撮る写真はそれぐらい魅力的だった。

 二つめのトンネルを抜けてちいさな港を右手に(カシャリ)、まばらな民家の間を抜けて海岸沿いの道を行くと、海一面に養殖場が広がる(カシャリ)。のんびりと車を走らせ地図を片手にちらちら見ると、牡蠣養殖場との記載がある。

「すごーい」

牡蠣だって。そういえば松島近いですし、松島といえば牡蠣ですし」

(カシャリ)

「こんなにたくさんあると迫力ありますね。あ、船が出てる」

(カシャリ、カシャリ)

 はしゃいでシャッターを切る彼女の横顔はまだ無邪気で、疲弊する職場修羅場の数々ですさんだ心にほっと暖かい場所が出来るのを感じ始める。夏の海風を全開に受けながら、真っ青なひかりを浴びているとなにかがほどけてくる。ああ、そうか僕はひとりじゃないのだ。そう思うとほっとし、なにかこれまでずっとひとりで戦ってきたような気がし、その戦いには様々な理由があったのではあるが、それさえもどうでもよいことのように、それよりもこの彼女との旅が楽しくなってきている事に気づく。

 海風の中を、岬を目指して、おんぼろのスズキを走らせるのは楽しい

 バックミラーの中のちいさなカメラマンが嬉々としてシャッターを切るのを見ているのは楽しい

 どんな写真が上がってくるのだろうと心待ちにするのは楽しい

 こんなにも楽しいものかと、内心動揺している自分がいることに気づく。

 不意に彼女がこちらを振り返り、胸に片手を当て深呼吸をする。

「ふう、夢中になりすぎちゃう」

 何度か息をし、そのきれいな眼がこちらを射貫く。

楽しいね、岬めぐり

 僕は、ええだか、ああだか、そんな曖昧なことをいい、その笑顔からあわてて視線をフロントガラスに向ける。胸がどぎまぎしていた。あまりのかわいらしさに動揺しているのに気づく。何重にも防壁を築いていたはずが、いつの間にか彼女はその内側に立っていた。

(この子、どうやって入ってきたんだろう)

 いや違う、目下の問題はそこではない。彼女はちいさなカメラマン旅行記に載せる写真を撮ってくれる。その写真はすてきで彼女との旅は楽しい。でも、そこで彼女が僕の気持ちに気づいたら? いま、落とされてしまった事に気づき、僕がくらくらになっている事を悟られたら。

 彼女は車を降りるかもしれない。

 極力、感づかれないようにしなければならないのか。

 背筋を冷や汗が伝うのがわかる。

 道は小さな港を駆け抜けてすぐに山間へそれを抜けるとまた小さな港、牡鹿半島ドライブはその繰り返しで、めまぐるしく景色が変わる。彼女はそんな移り変わりの速さに夢中で、シャッター音がいきいきと響く。手元の地図を見ると、目当ての岬である黒崎はもう目と鼻の先で、そこから大きな港を抜けてすぐだった。

「間に合いましたね。暗くなる前にたどり着けましたよ」

 バックミラーを見ると夢中でシャッターを切る姿、鼻歌をうたい、表情を輝かせてカシャ、カシャと目の前の光景を切り取っていく。まるで声さえ聞こえていないようで、海風に溶け込むように髪をなびかせる、それを見るだけでも思わず頬が緩んでしまう。

 軽自動車ささやか港町を駆け抜け、半島の最南端へと向かう。

 海は青く右手には、対岸に大きな島が見える。

 牡鹿半島はその東西を大きな島に挟まれている。その緑が海の色に鮮やかに映える。周囲の樹々のにおいが風に混じる。八月を過ぎた平日の夕方近くの半島はひとけも車通りもなく、この光景をひとり、いやふたりじめしている心地になる。ぽんこつのエンジン音だけがこの景色の中に孤独で、秘境へいくでもなしに世界にたったふたりになった心地になる。

(しかし、いったいなんでこんなことになっているんだろう?)

 わからない。

 最善と思える選択肢を選んでいるうちになぜかこんなことになっている。

 かわいい子が写真を撮ってくれて旅もしてくれるんだ、それでいいじゃないか。

 そう、それでいいはずだった。

 半島の南端で折り返して少し高いところにある駐車場のある展望台にスズキをとめる。

 彼女には新しいメモリーカードバッテリーを渡し、僕は早速彼女写真をチェックし始める。鮮やかで躍動感のあるスナップに、僕は夢中になり、そして幸福感に包まれる。

「いいじゃん」

 何枚か、おそらくサービス精神なのだろうが、旅行誌にありがちな紋切り型の構図を見つける。

(こんなことしなくていいのに)

 僕はノートパソコンの電源を落とし、頭の中に渦巻くうれしさとそれをあらわした言葉が浮かび上がってくるのをあれこれと選び始める。エンジンを切り、車を降りると海の香りが風となって包み込む。ふっと息を吸い込んで、こんなにわくわくしたのは初めてじゃないかとふと思う。

(どこいっちゃったんだろう?)

 僕は彼女を探した。

 ■シリーズリスト

 ・女の子ひろった

 http://anond.hatelabo.jp/20100116012129

 ・これこそ逃避

 http://anond.hatelabo.jp/20100119221742

 ・すごい彼女

 http://anond.hatelabo.jp/20100123005026

2009-10-26

自分の体やら心やらの状態の上下ってどうにかならんもんかな。

誰かにそばにいて欲しい。今はひとりで居るべき時ではない気がする。

ひとりじゃないのはわかってるが今は物理的にはひとりだ助けてくれ。

2009-10-08

「バカでブス」のほうが「バカで美人」よりも不幸になりづらい

この論を読むにあたっての前提

「バカ」とは単に学力に限らず、知的活動全般(コミュニケーション芸術なども含む)における能力が劣っている人物を指す

・それだけで商業価値を持つような美貌は除く

・それだけで不利益を被り迫害を招くようなブスは除く

・「美人/ブス」をx軸、「賢い/バカ」をy軸とし論を進める。(「学力/EQ(学力以外を暫定的にこう括る)」というz軸は議論を煩雑にするので省略する)

・「不幸」の定義が非常に曖昧ですが、「幸せが少ない」よりも「苦しみが多い」寄りのニュアンスで捉えてください

自意識を植え付けられた現代人に共通すると思われる欲望の一つとして、「自己承認欲求」というものがある。これは己が他者から承認されたいと思う欲望である。これが満たされない場合、人間フラストレーションを募らせ、不安定な状態に陥りやすい。

しかし、当然ながらこの自己承認欲求は万人に対して保障されているわけではない。ここの自己承認欲求の不均衡が起きる。そして、危険なことに、この自己承認欲求を満たすために女性には安易な「性」という交換価値が与えられている。

しかし、「性」を交換して得られる自己承認欲求は概して薄っぺらく浅いものであることが多い。「性」と交換に承認を得た女性たちは、結果的により深い、より切迫した欠乏感に苛まれる。

典型例としては、「ヤンキー娘が男をとっかえひっかえした挙句に妊娠して高校中退」のようなものである。この場合、彼女は「勉強ができない」という劣等感や、不幸な家庭環境による愛情への飢餓を、「性」というエサに群がる男性から求められることによって補おうとしたものと考えられる(ヤンキー娘の家庭環境が不幸とは限らないという反論に対しては、前提条件で挙げた「バカ」知的活動全般を含むという点に注意を喚起しておきたい)

しかし、概して、このような過程を経た出産、それによって形成される家庭というのは同じ末路を辿りやすい。これが文化再生産・階級の固定である。彼女の、「性」をエサにして自己承認欲求を満たすというプライドファストフード店は、妊娠出産というクライマックスを経て閉店に追い込まれる。生まれる子供が女子であれば、その子供「バカ」で「美人」である可能性が高い。

では、「バカでブス」の場合を例にとってみよう。彼女たちも「自己承認欲求」が満たされず、苦しい時代を余儀なくされるという点ではバカな美人と同じである。しかし、この場合、彼女たちには交換価値となる「性」がそれほど高い価値を持たない(まあそもそも若いってだけでブスであろうとデブであろうと性的価値はあるんだろうなとも思ったけど、飽くまで二者間の比較において)

よって、どうなるか。彼女たちは男性たちから得られる浅薄愛情すら受けられず、非常に厳しい環境で生育することになる。最初は男性から求められるバカな美人を見て羨望に身を焦がすこともあるだろう。しかし、やがて気付くのである。あんなことをしても何にもならない。

質的に同等の知力を持つと仮定した場合、大人と子供では大人のほうが賢い。なぜならば、それはそれまでに培われた経験、そしてそこから得られた「情報」が存在するからである。よって、「子供でバカでブス」よりは「大人でバカでブス」の方が賢い。そしてこの場合の「経験」は必ずしも自分自身によってなされる必要はないのである。バカなブスはバカな美人の失敗を見て学ぶ。

ここで、「でば、バカな美人であっても、経験によって己をブラッシュアップすることは可能なのではないか」という質問が成り立つ。それは正当な反論であり、その場合は「美人」というカードが役に立ち始めることもあるだろう。しかし、彼女たちの場合、それ以前に妊娠結婚において、人生再チャレンジにおける不利なカードを引かされている可能性も高いのである。

バカなブスは少しだけ賢くなって漕ぎだしていく。

バカな美人は錨を下してしまったため港から離れられない。

そのような意味において、「バカで美人」よりも、「バカでブス」のほうが、不幸に「なりづらい」という結論が成立する。

以下は余談

平たく言えば「同じバカならモテるよりモテないほうがむしろ幸せなのでは…

幸せが言い過ぎなのだとしたら受ける傷は少なくて済むのでは…」ということを加護さんについて考えて思ったのでした(彼女はそれで生活の糧を得てるから上の論には必ずしも当てはまらないけど)。しかし、「モテ」を分水嶺にすると知的能力云々のあたりがややこしくなるので(「モテる時点でバカではないんじゃん」等)今回は容貌を用いました。

とりあえずイメージとしては、

高卒派遣OLひとりでバラエティ番組を眺めながら食べるオリジン弁当の夕食」

ヤンキー上がりシングルマザー母子家庭ワーキングプア水商売はじめました」

の対比としてイメージしてもらえるといいと思います。

それでも「ひとりじゃないだけ後者のガマシ」という人に関しては私とは価値観が違うとしか言えない。

「賢くて美人」と「賢くてブス」とを考えた場合は、個人的にそこに(不幸になりやすいかどうかという点において)あまり差はないんじゃないかと思います。幸せになるために踏まねばならない手数の多さという意味では「賢くてブス」のほうが上だろうけど、それをきちんと踏襲するというニュアンスも「賢い」にはこめてあります。

そもそも、(前提で述べたような極端なケースを除けば)「美人」と「ブス」という分け方が極めて恣意的なものなので、この場合の「美人」というのは単に「多くの人がその人を美人と思う」という事実に過ぎず、また「ブス」も然りです。そして、重要なのは、「需要多寡は必ずしもそのものの優劣と比例するわけではない」という点です。

よって、例えば「ブス」だったとしても、自分需要する層というのを的確に判断する能力があれば、それは決して弱いカードではなく、単に使いどころの難しいカードであるに過ぎないのです。むしろ、場合によって強いカードにもなりうる可能性を秘めているのです(RPGで、人魚キャラが陸上戦ではHP少なくて弱いけど、水中戦では無敵みたいな感じ)

以上をまとめて「不幸になりづらいランキング」を作るのであれば、

賢くて美人≧賢くてブス>バカでブス>バカで美人

という図式が成立するのではないかと思います。

2009-09-09

子供の年齢によります。

http://anond.hatelabo.jp/20090909210938

児童福祉法によれば、未就学児が保護されない状態は「保護責任者遺棄」となります。

子供小学校に上がっていれば、遺棄とまでならないので無問題です。

個人的には子供を表に放り出しておいて誘拐されたらどうするんだと思います。

母子家庭なら地域民生委員さんが見守っているので、連絡を取ってみてはいかがでしょう。

その母親が、ほかの人に構われることによって(自分ひとりじゃない)と力強く感じてくれるか、(外野が余計なお世話だ)と感じるかは、個人個人の資質によるのでわかりませんが、本当にひどい状態になってから通報されても誰も救われないと思います。今なら、少なくとも子供は救えます。

ただ、やっぱり、いろいろ難しいと思います。うちの近所の子も夕方になると家を出されるらしく「ママー」と大声で泣いています。そこは祖父母両親、その子の姉と大所帯なので、たぶん、虐待はないだろうと静観しておりますが。通報ってやはりやっかいごとに首を突っ込むわけで、おっくうですよね。

2009-06-16

ともだちが病気になった。

ひとりぐらしのともだちがこころ病気になった。

 

仕事を休むようになって数ヶ月たって「苦しすぎる。助けて」というメールが来るようになった。

他のひとたちと一緒に、そのひとのところに遊びに行ったり、電話をかけたりした。

仕事中に突然届くSOSメールにも、みんなで連携して同報メールで対応した。

「くるしい」「さみしい」「起き上がれない」「どこにいるの?」という問いかけに

「ここにいるよ」「ひとりじゃないよ」と必ず誰かが応えた。そんな毎日が三ヶ月以上つづいた。

 

医者にはちゃんと行って、薬も飲んでいるようだったけれど、

本当に感じている心の苦しさを診察のときに話しているようには見えなかった。

医者なんて薬を処方するだけ、それよりも友達のほうがうんと助けになってくれる。

ともだちはそう言った。

 

ある日、ひさしぶりに会った家族から「病気になるなんて弱すぎるからだ」と

言われてしまったという話を聞いた。

切れて、怒鳴りあったあげくに痙攣の発作まで起こしたとか。

ふだんはおとなしいともだちだから、それを聞いて驚いた。

 

同じころに、いろいろと落ち込む出来事が重なったらしい。そのころから電話を要求するメールが増えた。

 

いつもあなたの力になりたいと考えている、というこちら側からのメッセージが重すぎる、とも言うようになった。

ただ、うんうんとあいづちをうちながら話を聞いてほしいということらしかった。

こちらが仕事やいろいろな事情で忙しくしている時間でも、すぐに電話がほしいというメールが来るようになった。

手が空いている誰かが、電話をかけた。まるで子供をあやすように対応しなくてはならなかった。

批判や意見めいたことは、いわれたくない。ただ、自分が望んだときに話を聞いてほしい。

それがともだちの望みだった。

 

でも、誰もが都合が悪くて、電話がかけられない日もあった。

 

みんな、だんだんと疲れてきていた。

ともだちを支えきれないあせりも出てきた。

もしかしたら、入院してきっちりと治したほうがいいんだろうか。

いやいや、実家に連絡したほうがいいんだろうか。

そういう相談をしたけれど、みんな素人だからはっきりとした答えは出せなかった。

迷ううちに、ともだちの要求どおりに連絡をとるのが難しくなっていった。

誰かが一生懸命電話しても、その場しのぎにしかならない。

泥の中でにょろにょろ逃げるうなぎをすくっているような感じだった。

ともだちの絶望感をひろってもひろっても、一時しのぎにしかならないらしいと、

みんな思うようになってきていた。

 

そんな日が続いて、ともだちの日記メッセージがあるのを見つけたときも、

気軽に反応するのは、とてつもなく難しくなっていた。

ともだちは、みんなから「見捨てられた」と思っていたらしい。

苦しんでいると書いたのに、それが否定された。

「薬ちゃんと飲めば大丈夫」「長くかかるかもしれないけどゆっくりいこう」とか、

支えてくれようとしているのはわかるけれど、

上から指導されているようで、そしてそうやって受け流されているようで、それが苦痛

そんなふうに感じたらしい。

 

みんな疲れていたけれど、それでも何人かが電話をかけた。

実家から、心配した家族が来たりもしているようだった。

 

さいきん来たメールには、

あんなにSOSを出したのに電話が一本もこなかった日のこと、

そのことにこんなに心を傷つけられたのに、

いまだに何のフォローもないことに毎日絶望していると書かれていた。

フォローがない?

あのあとも、みんな電話をかけつづけた。それが事実だ。

でも、ともだちのなかでは、それはもうなかったことになっているらしい。

電話が鳴らない完全な孤独の中で過ごしたその一日に、ともだちのこころは完全に囚われているようだ、と

電話をかけた子が、溜息とともに教えてくれた。

 

ともだちの日記をのぞいてみると、

家族にも友達にも見捨てられた」と書いてあった。

そんなこと、誰も言っていない。

どんな言葉も、ともだちにはもう届かないようだった。

自分の信じたいことだけを信じて、見たいことだけを見ているようだった。

やっぱり病気なんだ。目の前につきつけられた気がした。

 

電話をかけた子に対して、電話口で激怒して、連絡をくれなかったことを責めて、

子供がいて、仕事があって、なかなか電話できなかったといっても、それは言い訳にすぎないと怒ったそうだ)

けれどそのすぐあとで、また電話がほしいというメールを送ってきたという話も聞いた。

 

怖くて連絡が取れなくなってしまった。

 

良かれと思ってやってきた対応は、実はまちがっていたのだろうかと思って、

昔おなじ病気になって、いまはもう治ったべつのひとに訊いてみた。

「きついけど、まわりに頼ってるうちはぜったい治らないから」とそのひとは言った。

かわいそうかわいそう、って言ってもらえるのは心地がいい。

だから、言われるままに連絡したら、かえって駄目なんだよ、と。

 

気がつくと、考えている。

今も孤独な暗闇のなかで耳をふさいでいるともだちのことを。

助けられないのがふがいなくて、くやしい。

毎日が楽しくない。眠りも不規則だ。何をしてもこころが晴れない。

ともだちとおなじ病気になりかけているのかもしれない。

 

追記:

たくさんのブクマコメント、TBをどうもありがとうございました。

とてもびっくりすると同時に、いただいた言葉を読みすすむうちに涙がとまらなくなりました。

こちらがともだちの日記をときどきのぞいているのと同様に、あちらも友人グループ日記を見ているようなので、

自分のところにはぜったい書けませんでした。

どんな刺激がどんな結果を生むのかわからないし、といって、かかえているのが苦しくて苦しくて、

ホッテントリ経由でときどき読むだけだった増田におっかなびっくりで書くことにしました。

仲間うちでどうしようどうしようと言っているよりも、外の意見を聞いてみたいとも思っていました。

 

コメントでいただいた「素人医療行為をしてはいけない」について。

最初に、ともだちが「さみしい」「助けて」という言葉を投下しはじめたのは、携帯SNSでした。

朝起きて、ともだちのところをチェックして、

真夜中に延々とポストされた「ここには誰もいないの?」「誰か助けて」という言葉が並んでいるのを見ると胸が詰まりました。

ネットには無数のひとがいるけれど、つぶやきに答えてもらうのはとてもむずかしい。

密度が高いようでいて空虚空間で溺れているともだちを、ほうっておけませんでした。

さみしくてどうしようもないときは自分たちにメールをするように、そうしたら一言でも答えられるから、と

そこから同報メールでのサポートが始まりました。

誰も、それが医療行為につながるとはまったく思っていませんでした。

 

けれど、上に書いたように、だんだんと要求がエスカレートするにつれて、

専門知識もなく24*7専任でサポートできない素人には対応が難しくなってきました。

素人ではなく医療機関に頼るように、と言葉を尽くしてメールもしたのですが、

返って来た言葉は「そんなふうに厄介者を丸投げするみたいにして逃げないでほしい」「話を聞いてほしいだけ」。

厄介者だなんて誰も思っていませんでした。

長いつきあいを続けてきて、またこれからも続けていくであろう大切なともだちが感じているであろう不安孤独

一日でも早く癒されれば、とこころから願ってのことだったのですが…。

ともだちは、発病当初から(職場を休むために診断書をもらう関係もあって)医者には通っていたのですが、

「話をきいてもらえない」「薬だけ出されても」と言っているのは聞いていました。

医者に行くと、ぜんぜん具合が悪くないふりをしてしまう、とも。

もともと、調和を人一倍重んじて愚痴も抱え込んでしまう性格だったことが影響しているのか、

医師にさえ、本当の苦しさを告げると「迷惑をかけてしまう」という恐怖感をもっていたようです。

処方された薬はきちんと飲んでいるようでしたが、

体質に合わなかったのか、強かったのか、あるいは酒といっしょに飲んでしまったのか、

ろれつが回らない状態で電話がかかってきたことがありました。

実家の両親には、心配をかけたくないのか、あまり自分の状態をきちんとは知らせていないようでした。

みんなで話し合って、ご実家にも何度か電話を入れました。

 

いま、ともだちは実家に帰っています。

すくなくとも、たったひとりで暮らしている部屋で、こちらの手の届かないところで、

最悪の道を発作的に選んでしまう危険性は減りました。

友人一同、それだけは本当にほっとしています。

 

「診断名が違うのでは」という件について。

やはり以前にこころの病をわずらって、

いまも薬を飲みつづけいる友人(ともだちをサポートしているグループのひとり)が、

かかりつけの先生にともだちの状態を話してみたところ、

境界性人格障害の可能性が高いので、なるべくなら接触を絶ったほうがいい」と言われたそうです。

ともだち本人は「双極性かもしれないと言われた」とも言っていましたが…

本人がどのくらいのところまで主治医に話しているかは結局よくわからないままです。

ともだちが今も携帯SNSで書いている内容を読む限りは穏やかで、すこし休んだらすぐによくなりそうに見えます。

が、実際は電話をかけた友人に悪罵を吐き、激昂して責めて、その心に深い傷を残すような状態です。

SNSの書きこみだけを読んで、レスをつけているひとたちには、

とうてい想像がつかないと思いますが…。

 

長々と、読んでくださってありがとうございました。

ここまでたくさんの反応をもらえるとは思っていませんでした。

言葉をくださったかたたち、ご心配くださったかたたちに心から御礼申し上げます。

私は、大丈夫…のはずです(笑

「あなたには守らなくてはいけない家族が居るのだから、

とりあえずはそちらを大切にしないといけないよ」と友達から温かい叱責を受けて、目が醒めました。

 

怖くて連絡がとれなくなってしまって、ひと月が経ちました。

臆病で無能な自分を情けないと責める気持ちは消えそうにありません。

連絡もくれなくて、いちばん苦しいときに助けてもくれなくて、何が友達だと、恨みを受けるかもしれません。

それでも、ハチ公アルゴスのように、愚直に、気長に、ともだちの帰りを待ち続けていこうと思っています。

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