はてなキーワード: アルゴスとは
仕事を休むようになって数ヶ月たって「苦しすぎる。助けて」というメールが来るようになった。
他のひとたちと一緒に、そのひとのところに遊びに行ったり、電話をかけたりした。
仕事中に突然届くSOSメールにも、みんなで連携して同報メールで対応した。
「くるしい」「さみしい」「起き上がれない」「どこにいるの?」という問いかけに
「ここにいるよ」「ひとりじゃないよ」と必ず誰かが応えた。そんな毎日が三ヶ月以上つづいた。
医者にはちゃんと行って、薬も飲んでいるようだったけれど、
本当に感じている心の苦しさを診察のときに話しているようには見えなかった。
医者なんて薬を処方するだけ、それよりも友達のほうがうんと助けになってくれる。
ともだちはそう言った。
ある日、ひさしぶりに会った家族から「病気になるなんて弱すぎるからだ」と
言われてしまったという話を聞いた。
切れて、怒鳴りあったあげくに痙攣の発作まで起こしたとか。
ふだんはおとなしいともだちだから、それを聞いて驚いた。
同じころに、いろいろと落ち込む出来事が重なったらしい。そのころから電話を要求するメールが増えた。
いつもあなたの力になりたいと考えている、というこちら側からのメッセージが重すぎる、とも言うようになった。
ただ、うんうんとあいづちをうちながら話を聞いてほしいということらしかった。
こちらが仕事やいろいろな事情で忙しくしている時間でも、すぐに電話がほしいというメールが来るようになった。
手が空いている誰かが、電話をかけた。まるで子供をあやすように対応しなくてはならなかった。
批判や意見めいたことは、いわれたくない。ただ、自分が望んだときに話を聞いてほしい。
それがともだちの望みだった。
でも、誰もが都合が悪くて、電話がかけられない日もあった。
みんな、だんだんと疲れてきていた。
ともだちを支えきれないあせりも出てきた。
もしかしたら、入院してきっちりと治したほうがいいんだろうか。
いやいや、実家に連絡したほうがいいんだろうか。
そういう相談をしたけれど、みんな素人だからはっきりとした答えは出せなかった。
迷ううちに、ともだちの要求どおりに連絡をとるのが難しくなっていった。
泥の中でにょろにょろ逃げるうなぎをすくっているような感じだった。
ともだちの絶望感をひろってもひろっても、一時しのぎにしかならないらしいと、
みんな思うようになってきていた。
そんな日が続いて、ともだちの日記にメッセージがあるのを見つけたときも、
気軽に反応するのは、とてつもなく難しくなっていた。
ともだちは、みんなから「見捨てられた」と思っていたらしい。
苦しんでいると書いたのに、それが否定された。
「薬ちゃんと飲めば大丈夫」「長くかかるかもしれないけどゆっくりいこう」とか、
支えてくれようとしているのはわかるけれど、
上から指導されているようで、そしてそうやって受け流されているようで、それが苦痛。
そんなふうに感じたらしい。
みんな疲れていたけれど、それでも何人かが電話をかけた。
さいきん来たメールには、
そのことにこんなに心を傷つけられたのに、
いまだに何のフォローもないことに毎日絶望していると書かれていた。
フォローがない?
でも、ともだちのなかでは、それはもうなかったことになっているらしい。
電話が鳴らない完全な孤独の中で過ごしたその一日に、ともだちのこころは完全に囚われているようだ、と
電話をかけた子が、溜息とともに教えてくれた。
ともだちの日記をのぞいてみると、
「家族にも友達にも見捨てられた」と書いてあった。
そんなこと、誰も言っていない。
どんな言葉も、ともだちにはもう届かないようだった。
自分の信じたいことだけを信じて、見たいことだけを見ているようだった。
やっぱり病気なんだ。目の前につきつけられた気がした。
電話をかけた子に対して、電話口で激怒して、連絡をくれなかったことを責めて、
(子供がいて、仕事があって、なかなか電話できなかったといっても、それは言い訳にすぎないと怒ったそうだ)
けれどそのすぐあとで、また電話がほしいというメールを送ってきたという話も聞いた。
怖くて連絡が取れなくなってしまった。
良かれと思ってやってきた対応は、実はまちがっていたのだろうかと思って、
昔おなじ病気になって、いまはもう治ったべつのひとに訊いてみた。
「きついけど、まわりに頼ってるうちはぜったい治らないから」とそのひとは言った。
かわいそうかわいそう、って言ってもらえるのは心地がいい。
だから、言われるままに連絡したら、かえって駄目なんだよ、と。
気がつくと、考えている。
今も孤独な暗闇のなかで耳をふさいでいるともだちのことを。
助けられないのがふがいなくて、くやしい。
毎日が楽しくない。眠りも不規則だ。何をしてもこころが晴れない。
ともだちとおなじ病気になりかけているのかもしれない。
追記:
たくさんのブクマとコメント、TBをどうもありがとうございました。
とてもびっくりすると同時に、いただいた言葉を読みすすむうちに涙がとまらなくなりました。
こちらがともだちの日記をときどきのぞいているのと同様に、あちらも友人グループの日記を見ているようなので、
自分のところにはぜったい書けませんでした。
どんな刺激がどんな結果を生むのかわからないし、といって、かかえているのが苦しくて苦しくて、
ホッテントリ経由でときどき読むだけだった増田におっかなびっくりで書くことにしました。
仲間うちでどうしようどうしようと言っているよりも、外の意見を聞いてみたいとも思っていました。
コメントでいただいた「素人が医療行為をしてはいけない」について。
最初に、ともだちが「さみしい」「助けて」という言葉を投下しはじめたのは、携帯SNSでした。
朝起きて、ともだちのところをチェックして、
真夜中に延々とポストされた「ここには誰もいないの?」「誰か助けて」という言葉が並んでいるのを見ると胸が詰まりました。
ネットには無数のひとがいるけれど、つぶやきに答えてもらうのはとてもむずかしい。
密度が高いようでいて空虚な空間で溺れているともだちを、ほうっておけませんでした。
さみしくてどうしようもないときは自分たちにメールをするように、そうしたら一言でも答えられるから、と
誰も、それが医療行為につながるとはまったく思っていませんでした。
けれど、上に書いたように、だんだんと要求がエスカレートするにつれて、
専門知識もなく24*7専任でサポートできない素人には対応が難しくなってきました。
素人ではなく医療機関に頼るように、と言葉を尽くしてメールもしたのですが、
返って来た言葉は「そんなふうに厄介者を丸投げするみたいにして逃げないでほしい」「話を聞いてほしいだけ」。
厄介者だなんて誰も思っていませんでした。
長いつきあいを続けてきて、またこれからも続けていくであろう大切なともだちが感じているであろう不安と孤独が
一日でも早く癒されれば、とこころから願ってのことだったのですが…。
ともだちは、発病当初から(職場を休むために診断書をもらう関係もあって)医者には通っていたのですが、
「話をきいてもらえない」「薬だけ出されても」と言っているのは聞いていました。
医者に行くと、ぜんぜん具合が悪くないふりをしてしまう、とも。
もともと、調和を人一倍重んじて愚痴も抱え込んでしまう性格だったことが影響しているのか、
医師にさえ、本当の苦しさを告げると「迷惑をかけてしまう」という恐怖感をもっていたようです。
処方された薬はきちんと飲んでいるようでしたが、
体質に合わなかったのか、強かったのか、あるいは酒といっしょに飲んでしまったのか、
ろれつが回らない状態で電話がかかってきたことがありました。
実家の両親には、心配をかけたくないのか、あまり自分の状態をきちんとは知らせていないようでした。
いま、ともだちは実家に帰っています。
すくなくとも、たったひとりで暮らしている部屋で、こちらの手の届かないところで、
最悪の道を発作的に選んでしまう危険性は減りました。
友人一同、それだけは本当にほっとしています。
「診断名が違うのでは」という件について。
やはり以前にこころの病をわずらって、
いまも薬を飲みつづけいる友人(ともだちをサポートしているグループのひとり)が、
かかりつけの先生にともだちの状態を話してみたところ、
「境界性人格障害の可能性が高いので、なるべくなら接触を絶ったほうがいい」と言われたそうです。
ともだち本人は「双極性かもしれないと言われた」とも言っていましたが…
本人がどのくらいのところまで主治医に話しているかは結局よくわからないままです。
ともだちが今も携帯SNSで書いている内容を読む限りは穏やかで、すこし休んだらすぐによくなりそうに見えます。
が、実際は電話をかけた友人に悪罵を吐き、激昂して責めて、その心に深い傷を残すような状態です。
SNSの書きこみだけを読んで、レスをつけているひとたちには、
とうてい想像がつかないと思いますが…。
長々と、読んでくださってありがとうございました。
ここまでたくさんの反応をもらえるとは思っていませんでした。
お言葉をくださったかたたち、ご心配くださったかたたちに心から御礼申し上げます。
私は、大丈夫…のはずです(笑
「あなたには守らなくてはいけない家族が居るのだから、
とりあえずはそちらを大切にしないといけないよ」と友達から温かい叱責を受けて、目が醒めました。
怖くて連絡がとれなくなってしまって、ひと月が経ちました。
臆病で無能な自分を情けないと責める気持ちは消えそうにありません。
連絡もくれなくて、いちばん苦しいときに助けてもくれなくて、何が友達だと、恨みを受けるかもしれません。