2010-01-23

すごい彼女

 http://anond.hatelabo.jp/20100119221742

 つづき。

 橋を渡って半島に入ると、二車線の道はくねくねとまがってトンネルに入り、そのまま半島の東岸を縫いはじめる。右手に真っ青な海が広がり、その青のまぶしさに彼女は表情を輝かせる。

「ごめん、逆がよかったね。西側からめぐるべきだった」

 助手席の彼女は首を横に振り、徐行して下さいと嬉しそうに言う。速度を落とすとシートベルトを外してシートをまたぎ、彼女は後部座席の右側の窓ガラスに両手をそえ、カーブで揺れる自分をそれで支えて、海の美しさにみいる。

「晴れてよかったですね」

「うん」

 バックミラー越しにはにかんで笑う。こっちのほうがお互いが見やすいかなどと思う。

 夏が過ぎ去ろうとしている半島交通量も少なく、のどか田舎道は岬めぐり巡礼者たちにはおあつらえ向きに思える。都会を離れ、人混みの孤独から離れ、何か嫌なことから離れ、ただただ陽光と、波の色と、緑のあいだを抜けてくる風のことだけを思う。それはとても贅沢な旅であると僕はもう知っているのだけど、彼女はまだそれを堪能してはいなかった。

「窓あけてもいいですか、ちょっと暑いかもだけど」

「ああ、そうですね」

 思いつかなかったとばかりに彼女は目の前のガラスおろしてしまう。そのねっとりとした海風に髪をなびかせて、窓枠を両手で掴む。それでカーブで揺れるのにバランスをとって、いいなあとのどかつぶやく。僕も窓を開けると潮のにおいが車内を舞う。嬉しくなってハンドルとんとんと指先でたたく。

「そういえば、坂田さんって、なんで岬めぐりなんて思い立ったんですか?」

 不意打ち的なふしぎそうな目がバックミラー越しに向けられる。

 どぎまぎするが嘘はつけない。

 視線もそらせない。彼女は仲間だし、知ってもらったほうがいい事ではある。

「あー、長いですよ? それに退屈かも」

 バックミラーのなかで頷かれると、もう逃げ場はなくなった。

東京仕事を辞めたって、話しましたよね? その仕事雑誌作る仕事だったんです」

 へーという顔をするので、軽くため息をつく。

「立派なものじゃないんです、下請けですから。営業用語ではプリプレスって言うけど、今ならDTPかな? その会社雑誌だけじゃなくて、会社案内とか、IR資料とか、パンフレットとかもやっていて雑誌は半分ぐらい、でも雑誌は儲かってなかったと思う」

「どんな雑誌やってたんですか?」

カード会社の全会員に配る旅行誌。その旅行誌でだいぶ儲けていたらしくて、けっこう力を入れていた雑誌だった」

 ついこの間までの事とが、彼方の事に思えてくる。

出版関係やりたかったんです。プリプレスは誌面を作れるけれど、文章も写真自分のではなくて加工するだけ、下請けにしては給料が出ていたから続けられたようなもので、責了前は缶詰になるし、仕事ハードで、それで」

「やめたんですね?」

 得も言えない沈黙が何か責めるように続く。やりたいことを諦めたですね、おめおめと実家の安定した楽な仕事をするんですね? そんな声が聞こえてくる。言い訳する。

カード会社合併したんです、別の会社と。それで会員向けにやっていたサービスを見直すことになって、対象になったのが旅行誌をはじめ定期刊行物で、合理化ってやつで。先方はコスト切りたくて、会社もねばったんだけど価格が安すぎて、雑誌仕事がほとんどなくなって、残るはIR仕事。で、もういいかなって。この業界先がまったく見えないし、この年でこの不況転職もどうかと思うし、親はやくざ仕事はやめて、山形実家を継げってうるさいし。やけばちだったんです」

 それで、やりたいことを諦めて現実逃避

 バックミラーを見るとふしぎそうな顔をしている。

「それでなんで、岬めぐりなんですか?」

「ああ、実は先方に提案してたんです。担当者の方が、いいアイデアないかなって言うので、多いんですそういうの、クリエイティブってあんま垣根ないから。見透かされてたんですかね、出版やりたいの。で、けっこう夢中になっていろいろ調べて」

 彼女は窓枠に片肘をついて海風に吹かれながら、嬉しそうにする。

「こんなすてきですもんね」

 それで救われる。

インターネットやりたいんです。ずっと紙だったから、ネットの双方向性というか、でもネットの事は全然わからなくて、でも紙だと刷るのにお金がかかるけれど、ホームページを作るのってそんなにお金がかからないから作ってみたいと思うんです」

 唖然と言う風体で彼女は口をぽかんと開ける。

「どんなページなんですか?」

旅行サイトです。雑誌みたいに。あちこちまわってそれを記事にする。それでたくさんの人が読んでその旅をしてみたくなるような、そんなサイトがいい」

 彼女は考え込んで、しばらく黙る。

「じゃあ、写真は必要ですよね。もしよければ、写真を撮りましょうか? だって、こんな素敵な景色を撮らないなんてもったいないし、あなたは運転中だし、私以外撮る人いないし、これ撮りたいし」

 僕の答えは明確で、不良資産になってるカメラを処理してくれるなら、嬉しい以上の言葉はなくて、後部座席のカメラ機材を教えた。彼女はわくわくと、すぐにシャッターを切る。それを見た瞬間、その同乗者がすごい才能を持っていることに気づく。嬉しそうに見せられたプレビュー画面をみて、これはすごいと、わかる。


 ■シリーズリスト

 ・女の子ひろった

 http://anond.hatelabo.jp/20100116012129

 ・これこそ逃避

 http://anond.hatelabo.jp/20100119221742

 ・すごい彼女

 http://anond.hatelabo.jp/20100123005026

 ・ふたつ恋した

 http://anond.hatelabo.jp/20100204210025

記事への反応 -
  •  つづき  http://anond.hatelabo.jp/20100116012129  逃避ってどんなものかと聞かれれば、いまの僕がそうだと真っ先に挙げる。現実と折り合いがつかず消化ができず、ちいさな軽自動車であ...

    • この文章好き。やや荒い部分もあるけど、細かい所の表現が上手と思う。 彼女のどういう所に引かれていってるのかって所の描写に期待してます。

  •  夜の海岸線を走る国道で女の子をひろった。  ビニール傘をさして雨の中をとぼとぼと歩く姿が、ヘッドライトの中で片手を大きく上げるので速度を落としたが、女性であることに...

  • http://anond.hatelabo.jp/20100123005026 つづき  無謀な旅に出たのはそれを書きたかったからで、半月も日本中を車で旅して、それでもまだそうかと聞かれれば、僕はうんとうなずく。それでも...

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