はてなキーワード: なかよしとは
↑を書いた元増田です。
結局、リズと青い鳥を観に行った。
名作名作と言われていても、正直、本当に観る気になれなかったのだが、そんな気持ちを押し殺して行った結果は、予想を裏切る満足感だった。
再販後再売り切れのパンフレット目当てに、もう一回くらい観に行きたくなる程度に心惹かれた。
そして、優れた京アニ作品はもう一回もう一回と、「観たくなる」というより「味わいたくなる」んだっけ…と、TV版の響けユーフォ以来、久しぶりに思い出した。
辛い結果、冷ややかに感じるみたいな。そう、マティーニのように。
よく辛いお酒が人生の辛酸を舐めるほどに美味くなると言われるが、その感覚に近い。
まあ10代はお酒飲めない(ことになっている)けど、お酒飲めなくても、辛口の酒が美味しく感じる程度に辛酸はある。
そんなことを思わずにいられなかった。
自分が希美よりもみぞれの方が遥かに近いタイプだから、尚更そう感じたのかも知れない。
とにかく観ている間、全編に漂うみぞれの危うさと、希美の良くも悪くも深く考えない能天気さが引き起こす、眉間が痛くなるようなすれ違いにハラハラし通しだった。
だからこそ、最後は心底ホッとしたというか、これ以上ないくらいほっこりさせられた。なんというか、余韻漂う後味まで美味しく頂いてしまった。
見事なくらい青春の1ページを切り取ってくれたもんだと感心させられた。
そんなことが出来たのは、業界最高レベルの絵の上手さが前提にあることは言うまでもない。
だから京アニは、その美麗な絵が表現している物語がつまらないものにならないようマネージメントしていれば、良作をどんどん量産できるスタジオだと、本作を観て確信した。
声優については、主演の種崎敦美氏がパーフェクトなのは勿論だが、相方の東山奈央氏の、芸の懐の深さにも驚かされた。
似たようなポジションの役としてはゆるキャン△に続く、素晴らしい仕事ぶりだ。
この、メロディに対して、オブリガードをはじめあの手この手で合いの手を入れる「女房役」は、ある意味では主役以上に難しい上に、その負担に比べて報われにくいポジションだ。
だからそれをやってのける人は、主演よりも芸達者な所を必ず内包しているし、どんどん労いたい。
脇役の「なかよし川」も、ちょい役出演だった「北宇治カルテット」も、絶妙なスパイスとして素晴らしい存在感を見せていた。
ともかく、このアニメにテンプレ的キャッキャウフフを期待すると、その口当たりの辛さに閉口するだろう。
まあそんな人いないだろうというか、youtubeで流れているPVでそういうのを期待させないようにしているのは、良い広告戦略だと思う。
問題は、淡麗辛口が美味しいことをどう予告するか、かな。自分が鈍くて感じ取れなかっただけかも知れないけど。
ああそうそう瑣末な話だけど、いくら強豪校であっても、高校の吹奏楽部にコントラファゴットやハープなんてねーよ!音大付属のガッコじゃあるまいし。
敢えてツッコむとすればそこら辺?
ブチ切れ増田を書いて邪気が抜けたので良かったところさがし箇条書き
・むかついたらすぐラッパ吹きたがる高坂さんw
・リズ鳥のソロパートなのはみぞれの煮え切らなさがあーもう! みたいな(普通なら絶対しないチョイスだけど空気読まない人なのでやっちゃうw 悪意ナシw)
・久美子はおそらく強引に誘われた側で「あー」(麗奈がそうなるのはわかるけど、吹いちゃうとまずいんじゃないかなーでもまいっかあ)的なw
・なかよし川の安定感パナイ
・作中もっとも強固な絆を持ってるんじゃないかというぐらいのケンカップルぶり
・慮りつつ言うべきときは言っちゃう優子と彼女の強すぎる正論をフォローする夏紀
・同じ大学よかったですね最高かよ!
・作中の良心を一手に引き受ける剣崎ちゃん! 梨々花ですぅ! とは言わない
・号泣しちゃうのは実は唐突感あるんだけど、あーこの子これだけ本気だったんだなあというのがすっと伝わってくる間のとり方すき。演出ゲロうまですわ
・映像に関しては、見ている側が一意的な感想を抱かないように(見ているひとそれぞれの解釈を許すような)ゆらぎを敢えて残してある感じがよかった。演出家としての山田尚子はすなおにすげーなと思う
・音もすごかった。特に冒頭。あの違和感すら覚える過剰に作られた足音が否が応でも見ている側を作品に引きずり込む。あそこは違和感と心地よさでこれから始まる物語への期待がわきおこってときめいた
<追記しました : anond:20180214203640 >
「母親に心や進路を決めつけられ抑圧されている女性」に心から興奮する。ワクワクする。
もう少し噛み砕いて言うと、
「母親からの抑圧から逃れようともがいて喘いでいる」姿に心打たれる。
同性どうしだからなのか、母親は基本 娘に進むべき道を「かくあるべし」と強く誘導するケースが多いような気がする。
勿論そうじゃない人も沢山いる。ウチの母ときょうだいの中ではそういう感じはあまりなく今でも関係は良好のようだし。
それでも母親と通じ会えるのかもしれないと諦めきれず、
あえて言うならタイトルを目立たせるための箔付けのような感じだった。
少し前だと"響け! ユーフォニアム2"の田中あすか & 黄前麻美子(姉)も良かった。母を捨てる娘いいよね。
あとど根性カエルの娘のやつ。あれ父親のこと描きたいんじゃなくて、
女性作家は私小説的に親子関係を書くと必ずややホラーめいた被抑圧関係を書いてしまうのだろうか。
「私のかわいい娘ちゃん、言う通りにして良い子になるのよ」
「ヒェッ怖すぎやんけ!」みたいな松本洋子的なアレも、
書店で眺めてみると予想以上に「母親からの影響を断ち切るための本」が
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妻も一時期沢山そういう本を読んでいた。
母から逃れたいとか細い声で語ってさめざめと涙を流した妻は、
その時は単純に彼女を手助けしてあげたいと思っていただけだったが、
ある種の「性癖」に気付いてしまった今考えると、アレはいわゆる
「あかんまって無理マジ尊いどストライクな瞬間」だったのかもしれない。
何よりだと思っている。
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そんなわけで「母親からの抑圧にもがく女性だいすき部」の方がいたら是非オススメ作品を教えて頂けないだろうか。
ゼルダは昔、一個だけやってみたことがあって、なんだっけ、エポナって馬でハイラルをひたすら走ってた
エポナがかわいくて大好きで、意味もなく走ったり障害物を飛び越えたりしてた
ボスは半泣きになりながら倒してた。
会社で辛いことがあって、泣きながら帰ってたら、通りがかったお店で、馬に乗ったリンクを見て、本体ごと衝動買いした
でもなにこれ、3分に一回死んでる
エポナは?
馬は?
フィールドは綺麗で大きくて、前やった奴(名前忘れた)よりとっても広い
ここをエポナと駆け回りたいと会社も休んで一生懸命進んだけど、なに、野生馬って。
エポナは?エポナはいないの?
エポナはリンクのことが大好きな馬だった。
自分のところにすぐ来てくれて助けてくれるのが大好きだった。
他の馬とは違うんだ。
野生の馬を手なずけるんじゃないんだ。なかよしゲージいっぱいになってもちがうんだ。
エポナがいいの。エポナじゃなきゃいやなの。
ゲームは面白いけど、エポナが出てこないらしいって分かって、やる気ゲージが落ちちゃった。
野生馬の中にエポナみたいなのがいる、んじゃなくて、エポナがいいんだ…
エポナで癒やされたかったなあ。
https://twitter.com/nhk_nehorin/status/951099083074056202
最後の腐女子用語辞典【解釈違い】キャラの受け取り方が自分と違うこと。イライラすることもある。例)「番組に出てた腐女子の話に納得いかない。完全に解釈違い!でもしょうがないよね、100人いたら100通りの腐女子がいるんだから・・・」ご視聴ありがとうございました🐽 #ねほりんぱほりん https://t.co/1sVh0dQNWf
マッッジで。
「男って~~だよね」「女には~~な傾向があるから」みたいな語り口で腐女子を語ろうものなら大炎上が約束される。
誰もが(この言い方も怖い)、「あなたはそうでも私は違う」を持っている。例え他者から見れば誤差の範囲だろうが、一人一人自分の腐女子としての輪郭をはっきりと持っていて、その差違をないがしろにされることを嫌う。
なんでだろうな、「男」「女」なんてカテゴリよりずっと狭いのに。
でも、もしかしたら、本来人をカテゴリで語るなんてのはこんくらいめんどくさくて然るべきなのかもしれないが。
なんで男同士に萌えるの?
と問われたとき、私にとって一番原点に近い表現をしてるのは下記の動画だ。
ここで言われているのは、端的に言って、
ホモが嫌いな女子なんていません!という平成も浅い頃の暴言があるが、
少なくとも女子の多くは、おっさん同士が無邪気になかよしだとわけもなく嬉しい。と、思う。
ヒロエさんは男性なので男性にもある程度は通じる感覚なのかもしれない。
でもまあ、人と人が仲良くしているな、と見てとれるとき、その多くは喜ばしい。
にこにこと仲良く戯れていたら、やっぱり微笑ましいしなんだかうれしい。
でも男女だと、そこに性の香りが漂うと、感想の種類はぐっとかわる。
終電前の改札前でいちゃいちゃしてる男女はまあまあ見苦しい。優しい気持ちにはならない。
でも、たとえおっさんのいちゃいちゃに喜ぶ人が世の中の何割であろうと、みんなが腐なわけではもちろんない。
だってみんなチームナックスを見ても彼らのセックスを連想しない。
(腐女子が全員セックスを連想しているかというとそうも言い切れないが…ここはややこしいがとりあえず話を進める)
そもそも前述の通り、人と人が仲良くしてるのは微笑ましくても、性的な要素は多くの人にとって微笑ましくない。
腐女子は微笑ましいものにわざわざ性の要素を見いだそうとする。
ようやくねほりんぱほりんの話をするが、あの30分間で一番私の心に刺さったのはこの言葉だった。
この、能天気な、使い古されたみたいな言い回しは、けれども「腐」というものの一面をとらえてるんじゃないかと私は思う。
そうなのだ。腐の世界は、すべての感情を、行動を、あるいは状態を、愛によるものだと意図的に読み違えることで成り立っているのだ。
だから、友情にもコンビにも兄弟にも愛を見いだすし、天井と壁にも愛を見いだす。
(ここでいう「愛」は「恋」である必要はないのだが、その辺は後述する)
そして、ここが重要なのだが、性欲とは愛に対して従であると、腐は思っている。
終電前の改札でいちゃいちゃしているカップルはあんまり微笑ましくないと書いた。
見知らぬ人たちが、泊まるか泊まらないかやるかやらないかの駆け引きをしているのを見るのは、何ならちょっと不快だ。
でも、それは、通りすがりの私の目には彼らの性欲しか見えないからだ。
彼らが「心から愛し合っているのだ」と認識したとき、その感想は変わる。
「逃げ恥」のじれじれしたベッド回りのあれこれを見たとき、あれを不愉快に思う人は多くなかったのではないか。
そこに愛を認識できれば、他者のものであっても性欲は不快なものではなくなる。
私もそう思う。
腐の妄想世界のなかでは、人は酸素を吸うように愛を吸っている。
話すのも食べるのも、笑うのも泣くのも、生きるのも、死ぬのも、すべて愛のためだ。
もちろん現実はそんなわきゃない。人は嫌うし憎むし見下すし嫉む。
でも、妄想世界のなかで、それらもみんな愛だと誤認する。意図的にする。
そこまでしてはじめて、恋について語れるし、性欲について語れる。
恋と性が大好きなわけではない。むしろ恋も性も汚い側面を有していることをよく知っている。
だからこそ、「この世のすべての感情は愛」な妄想世界にトリップしてやっとようやく、恋と性について語れるのではないか。
なんでだろうね。
天井と床の間に、唐揚げとレモンの間に、電車と駅の間に愛を見いだすとして、
どうして男女でもなく女同士でもなく男同士にたとえてしまうんだろう。
少なくとも私は、腐以外でこの手の「愛を見いだす遊び」をしている人たちを知らない。
「私とは違うなにか」でありかつ「同質に並び立つ二人(ふたつ)」が重要なのかもしれない。
私という現実の人間は愛じゃなくて酸素吸って生きてるので私に近い要素は必要なく、
彼岸の愛の世界で生きている人たちは同じ愛を吸う同じ種類の生き物だと思うのかもしれない。
やっぱ苦しいな。単にちんこすきなだけ!っていう清々しい腐のみなさんが一定数いることは書き添えておく。
ねほりんぱほりんでは、一人の出演者が男性にしつこく付きまとわれた過去を話した。
それがマジとか嘘とかマウンティングとか違うとかはどーーでもよいのだが、
ただ、そうなのだ。腐という趣味はその人の性的経験としばしば関連付けて語られる。
本人も、「私はなぜ腐女子なのか」と考えるとき、自身と男性との関係性について考えてしまう。
では、愛でくるまなければ恋も性も語れないというこの増田は、一体男性にどんなトラウマがあるというのか…!????
私は、そんなの聞かれなくていいし考えなくていいと思っている。
なぜ好きなのか?を考えて、趣味と過去の経験を結びつける必要はないのだ。ましてネガティブなものとなんてぜんぜんいらない。
何が好きなのか、どんなところが好きなのか、そんなことを考える方がずっといい。
でもなーーしちゃうんだよな!なんでだろうな!!
ねほりんぱほりんの三人の腐女子たちが自分はどんな人間かを語っているとき、私にとって目新しい言葉はひとつもなかった。
彼女たちの自己分析は、ネットに転がっている腐女子「たち」の語りの集大成のようだった。
どっかで見たことばっかだった。
腐女子は、「100人いれば100通り」であるにも関わらず、どこかで「私たち腐女子」という自意識を持っている気がする。
誰かの自己分析は私の自己分析で、自分について語る言葉は際限もなく膨れ上がる。
「私たち」は常に語らなければならないと思っている。
養老孟司が「いわゆるオカマの人は頭をよく使う」ということを言っていた。
マツコは「そうかもしれない」と応じた。「だってアタシ、トイレ入るときだって、自分はどっちなのか考えるもの。」
「私は何者なのか?」を考えてしまうのがマイノリティなんだと思う。
人はじぶんがマイノリティの側であると思ったとき、「私はなぜこうであるのか?」を考えずにはいられない。
腐女子もそうなんだと思う。「私はなぜこうであるのか?」それを語るために、「私たち」は「私たち」を語る言葉を溜めていく。
100人いれば100通りのはずの私たちは、似たような言葉を使って自分を語り、共感し、それでいていっしょくたにされることを嫌う。
私は何者であるのか。
私について私が語るとき、私は自分が女であることより、30代であることより、会社員であることより、腐女子であることを語るだろう。
「私たち」は問われ続けるし語りつづける。でもいつか、自分のネガティブな経験と腐を繋げて語る人がいなくなるかもしれない、と思う。
西野カナがどうしても嫌いだ。
アロマンティックの傾向があるワイにはどうしても性暴力に感じてしまう。
まなざし村の連中と言ってること同じって自覚あるけど、吐かせてもらう。
私は元々、恋愛も興味なくて、ちゃおとかなかよしの少女漫画雑誌も付録目的で買っていた。
ジャニーズの記事を見ながら、当時の私は「興味無いな…」と思った
その時から数十年、西野カナが恋愛規範を押し付けてるようで嫌いになった。それも突然に。
西野カナ、曲は普通にいいと思うんだけど恋愛の歌詞ばかりでつまらない上恋愛が分からない私にとっては性暴力的だ。
小さい頃から性に纏わる事が凄く好きで、それでも大人が浮気や芸能人の不倫について語っているのを冷めた目で見ていた。
所で山尾志桜里を叩くヤツって、ジョージ・ベストは叩かねえよな。
ジョージ・ベストは不倫してるしベッケンバウアーは3度結婚歴あるで?
そんなに恋愛が好きか?
しないけど、西野カナの曲は性差別だ!ってイチャモン付けて販売中止にしてやりたい。
どうして恋愛がそんなに好きなわけ?
コンビニのエロ本より恋愛ニュースや西野カナをゾーニングすべきだろ。
ゲームキューブ版から3DSまで律儀に村の住人を続けている。楽しいからね。
そこまで期待していた訳でもなく、ポケ森もちゃっかりダウンロード。
数日遊ぶうちに、こんな記事を目にした。既に読んだ御仁もいるのではなかろうか。
【「どうぶつの森 ポケットキャンプ」は、シリーズの魅力である“スローライフ”を“労働”に変えた】
http://jp.ign.com/animal-crossing-app/19707/feature/
これ、納得する部分も多い反面、ポケ森が"スローライフ"を"労働"に変えた、というよりは
ポケ森…というよりもソシャゲ特有のローコンテクストで直接的でメタメタにメタな設計が、どうぶつの森というゲームスタイルの「暗黙の了解としての労働」だけを「前面に押し出してきた」という表現のほうがしっくり感がある。
一体どういうことかといいますと。
ポケ森は本家シリーズに比べて無粋なほどにメタすぎるのである。一番わかりやすいところでいけば、【なかよし度】とその上位次元の【キャンパーレベル】の概念たちだろう。
どうぶつのおねがいを叶えるとお礼がもらえて【なかよし度】、【キャンパーレベル】が上がる。ポケ森はこの連続だ。
もちろん、本家シリーズでも【なかよし度】はある。たくさん話しかけたり、お使いを聞いたりすれば上がる。どうぶつがより親密な話題で話してくれるようになったり、おうちに招かれたり、最終的には遺影にしか見えないポートレート写真をくれたりする(最後はポケ森にもあるよね)。
でもこれ、隠しパラメータなんだ。決して絶対的な達成度が数字で分かるわけじゃない。(裏を返すと、この子は一番最初からいるから一番仲がいい!みたいな相対的なパラメータはなんとなく想像できる)。
ポケ森ではこれがいちいちいちいち出てくる。おまけに会話の流れに乗っかってこない謎の仲良しプレゼントなるものもくれたりする。メタい。
ポケ森のどうぶつに近づくと彼らが欲しいものが吹き出しに出てきたり、果物を落とすと再収穫できる時間が表示されるのも実にメタだ。
生活をたのしむ、というコンセプトにおいてメタはある種の急所みたいなものだ。メタが出てきた瞬間にゲーム臭さが出てきて萎えちゃう。
たとえば、ゲームキューブのどうぶつの森では「セーブ」ではなくて「きろく」という言葉が使われるし(まあ、レポートとか冒険の書、あるいはパパとの電話と同じような遊び心)
リセットボタンを押したならば、リセットさんなる登場人物が現れて、リセットはしてはいけない、このどうぶつの森にそんなものは存在しない、と怒鳴り声交じりの説教を数分間吹っ掛けて帰ってゆく。
どうぶつの森とは本来そういうゲームだ。徹底的にメタを排除し、非現実的なモチーフながらも世界に没入させるスキルに長けたゲームだ。
ポケ森と本家版を質的に比較すると、ゲームとして行う行動に大差はない。
魚を釣り、虫を採り、果物を拾い、売る、買う、返す。同じだ。一次産業的で非集約的な労働だ。
それならば、なぜポケ森を「ディストピア労働ゲー」と評する声が大きいのか。
簡単だ。労働の「強制」であり「義務」がポケ森のデザインだからだ。
本家の労働は「任意」であり「権利」だ。これが本家とポケ森の違いだ。
本家では何をしてもいい。かわいい顔立ちをしたどうぶつに貢物をして遺影をもらってイエーイするのもアリ。
社畜と化し速攻で借金を完済し、邸宅箱庭ゲー然とした遊び方をしてもいい。一日中釣りキチをしたっていい。
どの遊び方をとってもそれは本質的には労働でしかない。獲物をタヌキかアルパカに売りさばかないと何もできないからね。
でも、この「目的としての労働」を楽しめる人が「本家」どうぶつの森のターゲットだったのではないだろうか。
……
一方、ポケ森にとっての労働は、【なかよし度】と【キャンパーレベル】を向上させるための「手段」でしかない。だから、ポケ森のイメージは作業であり労働と捉えられるのである。
別に批判する気はない。基本無料のソシャゲってそういうシステムだもんな。そういうビジネスモデルに乗っかった「どうぶつの森」としてはいい線だと思うけど、「どうぶつの森」としては決して楽しいものじゃない。
そもそも数量的でメタな目的のために、黙々とおもしろくもない作業をやるタイプのソシャゲが好みじゃないからこういう感想になるんだろうな。
多少ミリオタが入ってるのて軍艦女の子のゲームを楽しくスタートして、最強の空母機動部隊だ!とかにこにこしながら遊んでたけど、3-2-1にウン100回入らなきゃ行けないとか、数十分おきに練習航海させなきゃいけないようなソシャゲのシステムには馴染めなかったので、
執務室にいる吹雪ちゃん(Lv33くらい)は2年ぐらい待ちぼうけをくらっている。健気なのに。
やってる間ずっと楽しくないとゲームじゃねえ!つまらん!というソシャゲ音痴の考えでした。
でも部分的にはお友達が全員どうぶつの森をはじめたような楽しさがあるから、当分は除くんだろうけど。キャンパーレベルは12。そろそろしんどい。
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ブコメなるほど
優しさやほのぼのを売りにする日常系ってそもそも成立しづらいな
全員男キャラで全員泣けるほど優しいアニメってのも個人的に見てみたいけど
そういえばヘタリアってのを今思い出した、見てないけど
__
>というか日常系=男性向けだと言ってしまっていいものなのかな
いわゆる日常系(特に難民枠の日常系)は、予想以上に男性向けだ
視聴者層を見ると、ビックリするくらい男性に偏っている、女性も1割程度は居るようだけど
最初は自分も「このアニメは万人に愛されるに違いない」とか思ってたけど、実態は違うようだった
つまりあのジャンルは、ギャルゲーと同じく「女性同士はこのような会話をして欲しい」「このような会話をする女性同士が見たい」という男性の願望なのだろうと予想してる
女性視聴者が少ないのは、現実とのギャップに依るものだろうか??
という前提に立った上で、男性向け(作者も男性)なのに優しい話多いのは不思議だなぁと思った
何か飢えているのか、逆に新鮮に感じてしまうのか
女児アニメを見る男は難民枠も見てるイメージがあるがどうだろう
あるいはおっさんの中の女児の部分に刺さってるのか(どんなだ)
一定の対立が描かれることが多い気がする(りぼんとか。流石になかよしまでいくとなかよしなんだけど)
難民枠は異常なほどに対立がなく、あったとしても5分ももたない
あれ、でもけもフレはどうなんだろう
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あるひクラスメイトのベリーショートの女子高生がきれいだと思って追いかけると不意打ちで写真を撮られる
それからはそれまでの付き合いを捨ててカメラ娘にのめりこんでいく
萌えアニメとか萌え4コマみたいな、ただのエンタメなかよしさんを百合(キリッ)と思ってた自分にとっては難しすぎた
上記女二人がただいちゃこらするだけじゃなくて男もかなりがっつりからんだ三角関係の中で描かれる、百合の中でも許容する人とそうでない人がいるタイプの話だった
1回なんとなーく読んだだけだといまいち話とキャラの心情がつかめなかった
うーん1,2巻まで出てた当時は面白いと思えタンだけど完結してまとめて読むとちょっとしんどかったな・・・
あとカメラ(写真)題材ってのとかなりひねくれたテーマをあつかってることから、ひぐちアサのヤサシイワタシ思い出した
あれもわかりづらかったけどあっちのほうがまだ面白さは感じたかなあ
女子中高生向けのCheese!とかでセックスがアリなんだから、同じく中高生向けの雑誌である少年ジャンプでもセックスはアリ
アンケート至上主義で超有名な週刊少年ジャンプが実際の主要購買層を無視して小学生向けに作ってるとか寝言は寝て言え
でもきっとアンケートに答えている層って、主要購買層じゃないと思うぞ
アンケートは10代が中心だそうだけど、~12歳までで大半が占められているなら「10代が中心」とは普通は言わない
ジャンプの読者層の少なくない層が、「昔読んでた連載が続いているので惰性で読んでいる」層だろ
最大の購買層は大学生以上、アンケートの中心は中高生ということでしょう
根本的に、小学生に買ってもらえる価格になっていないのだから、内容がどうあれ小学生の心を掴むことはできない。
ジャンプはどんどん価格引き上げを続けているから、小学生に買ってもらおうとはしていない
小学生における圧倒的シェアを誇るコロコロコミックは完全に小学生にターゲットを絞っている
週刊少年ジャンプは中高生~社会人に買わせるために作られていて小学生向けに作られているわけではないという結論だね
そもそもその商品を購入する資金力のない層に向けて商品作りをするのは合理的ではありません。
ヤンジャンのアンケート見たら「月のお小遣いはいくらですか」とか「学校で流行ってるものは何ですか」とかあった
もともとの読者層やそのアンケートはともかく、ヤンジャンやヤンマガのは今や幅広く、20〜30代が中心
女性向け漫画は恋愛がテーマである作品が多く、恋愛にはセックスがつきものだから多いだけ
少女漫画っていうときに指されるのは主にちゃおりぼんなかよしだよ
その定義づけ初耳
マーガレットも入れろ
答:ヤンジャンやヤンマガは中高年が読むもの、最強ジャンプは小学生向けではない、りぼんなかよしちゃおが少女漫画と言うだけで喧嘩売ってくるやつがいる