はてなキーワード: 首をかしげとは
あのさ、
近所のうどん屋さんの名物「暴れざるうどん」が大人しくなっちゃって、
なんだかちょっと拍子抜けな感じなのよ。
と言うのもね、
お箸で持ち上げる時に
1本ごとしか持ち上げられないのよ。
それを持ち上げてお猪口のお汁にちゃっと浸けるんだけど、
お箸もねツルツルでうどん防滑り加工がされていないお箸なので、
うどんをマックスの高さまで持ちあげたときにずる!っとお猪口の上にダイブするの。
ぼよーんと伸びて全浸かりじゃなくて先だけ麺が麺つゆに浸けられて美味しく食べられるようなものでしょ?
そうじゃなくて、
お猪口の中の麺つゆのつゆ柱が立つぐらいに派手にダイブするのよ。
うどんの麺が。
お猪口の中の麺つゆが全かかりしちゃって、
まあ紙エプロン的な1枚じゃどうにもこうにも防御できない仕組みも欠陥があるところなんだけど
それを楽しむお客さんもいれば、
まあ麺つゆ全かかりかぶりするからあんまりそれにいい顔しない良いと思わないお客さんもいるわけだったのよ。
言うならば賛否両論というか、
老若男女というか。
あらかじめもう麺つゆが饂飩の麺にかかっちゃって器に盛られて提供されるようになったから、
もう暴れるも何もすっかり「暴れざるうどん」の暴れ要素がなくなっちゃったのよ。
でも
そういう名残というか。
かつてのその暴れざるうどんの群雄割拠を思い出す唯一のワードな単語なわけ。
暴れた数だけ美味しくなれる!
暴れた数だけ美味しさを知る!
暴れ暴れ暴れまくれゲットアップ!
暴れ暴れ完食するまで!って
かつての「暴れざるうどん」説明書きにも暴れキャッチフレーズのワードがメニューにそのまんま残っちゃってるから
暴れてる?ってどういうことなの?って首をかしげる人も多いみたいよ。
言うならば賛否両論というか、
老若男女というか。
そんなわけで、
暴れうどんがお行儀良く食べられるようになって、
服が麺つゆでびしゃびしゃにならなくれよかった!ってね。
で、
お店の壁にミラ・ジョヴォヴィッチさんのサイン色紙が飾ってあって、
へーここにミラ・ジョヴォヴィッチさん来店したんだーって
暴れうどんの麺つゆ全部浴びる全かかりしちゃって
ミラ・ジョヴォヴィッチさんが
麺つゆで濡れてジョヴォジョヴォヴィッチになったなんていうから、
大将それちょっと話し盛ってるでしょ?うどんのザル盛りだけに!って思うけど本当だったら、
彼女にとってはとんだ災難だったわねって
ちょっと同情をしちゃったわ。
そのミラ・ジョヴォヴィッチさんの書いてくれたサイン色紙に麺つゆの染みが残っていて、
もうだいぶ薄くなってきてるけど、
遠い昔のようでその当時のことを思い起こさせるわ。
今日は帰って
『フィフス・エレメント』でも観るわね。
うふふ。
たまにまたこれ食べると美味しいわね。
朝のサンドイッチのタマゴ要素は1日のパワーの源でもあり元気の源でもあるわね。
朝はまあちょっとは食べて1日頑張りましょうってな具合よ。
ミントの風味がこの時期のミント感をより一層引き立ててくれるわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
書くきっかけになったツイートは「紙が1万部割ると打ち切りになる」という話だけしてて、たしかに電子書籍の数みてないのかよという議論はありえますね(未観測)
これについては最後の蛇足も若干入ってくるのですが、電子書籍でガンガン買って読むようなデジタル強者が大多数か?と言われるとまだ首をかしげる時期なのが日本なので、とくにまだ紙雑誌をたくさん出してる出版社だと「雑誌+単行本+雑誌広告」ベースで戦略立ててる時期だと思うんです。
あと思いつくあたりつらつら書いてくともっと長くなりそうなのでやめますが、端的に言えばネットに軸足おいてるレーベルはいまどこもかしこもジャンプ並みかそれ以上の入れ替え速度で試行錯誤してると思うので、いまは打ち切りがまだ多くなるだろうという見通しです。
※ネタバレ注意※
今年のコナン映画を早速見てきたので、備忘録も兼ねて感想を書くことにした。
ちなみに、増田はコナン映画の中では「時計じかけの摩天楼」と「ゼロの執行人」、「紺青の拳」が好きな一般人だ(つまるところ、その映画のカラーがはっきり打ち出された作品が好みである)。
◎良かったところ
・灰原が終始可愛い
この映画最大にして最高のセールスポイント。「緋色の弾丸」は灰原の可愛さを堪能するための映画と言っても過言ではない。今回の映画は最初から最後まで灰原がコナンの相棒でヒロイン。途中で襲撃された際もコナンの安否を真っ先に気遣い、随所で相棒らしいサポートを見せている。特にクライマックスで何度も「江戸川くん!江戸川くん!!」と叫ぶのはクールな彼女の可愛さや健気さが珍しく露わになり、普段とのギャップに悶えた。
将棋で鍛えた頭脳で犯人を追い込むシーンはまさに圧巻の一言。最後にジョディのもとに犯人の車が辿り着いたときには鳥肌が立った。犯人の車が横転して爆発したのには本当にそうなるかなあと唖然としたが、フィクションなので良しとしましょう。
◎いいところでもあり悪いところでもある点
秀吉と由美がラブラブしているシーンは単純に可愛くて良いし、見ていて癒やされる。紺青の拳で園子と京極さんのラブラブシーンを上手に描いていた永岡監督らしく、純粋に微笑ましく楽しめた。
が、二人のラブシーンが事件の解決につながることはなく、どうしても無理くり入れたシーンのようにしか見えなかった。櫻井さんはラブ要素の薄い作品では非常に面白い話を書かれる方(ゼロの執行人や純黒の悪夢は面白かったと思う)なので、ラブを描きたい(?)永岡監督とはうまく噛み合わなかったのだろうか?
題名からして秀一が主役なのかと思っていたが、蓋を開けてみると赤井家フォーカスの映画ということだった。そこまではまあそうか、勝手に期待したこっちが悪かったなと思えるが、秀一の目立った活躍がリニアを銀の弾丸で狙撃するだけというのはいかがなものか。
タイトルを「緋色の弾丸」と秀一を彷彿とさせるものにするのならば、秀吉のラブコメシーンを削って秀一の出番に当てた方が良かったのではないか?これならばまだ純黒の悪夢の方が安室との直接対決があった分格好良く見える。
世良に対しても不遇な印象が否めなかった。秀一とジークンドーで対決したシーンは沖矢昴=赤井秀一という気付きを彼女が得るのではないかと期待したが、そのシーンは単純なアクションシーン以上の意味を持たされないまま、世良がコナンと連れ去られた被害者を見つけるまでの繋ぎとして終わってしまい、肩透かしを食らったような気持ちになった。
特にクライマックスにおいては彼女はコナンの助手程度の役目しか果たしておらず、リニアに一緒に乗っている必然性を感じない。リニアを止める方法に関しては彼女の得意なジークンドーは何一つ生かされておらず、この映画における世良の役目はバイクに乗れる者であるなら誰でも代替できる(仮に彼女のポジションを服部平次が担ったとしても物語の進行には何ら支障を生じない)のが非常に残念だった。
・犯人の動機が犯人の目線からしたら真っ当に思えるものだが、映画の視点がFBI側にフォーカスしているせいで犯人がかなり自分勝手に見えてしまう
今回の犯人は男女二組のぺアだが、どちらも偏った情報でFBIを恨んで犯行に及んだ。話を聞いていると、「そりゃそれだけの情報しか与えられていなければ恨んで当然だろうな」という気持ちにさせられる背景事情だが、視点が終始FBI側に寄っている為「逆恨みしたお前らが悪い」といった印象にさせられてしまったように感じ、釈然としない部分があった。
・主題歌と内容が合っていない
主題歌を担当したアーティストが東京事変でハード系の歌詞だったため、純黒の悪夢やゼロの執行人のようなかなり殺伐とした内容を期待していたが、実際見てみると少年探偵団が活躍するシーンや秀吉と彼女のラブシーンがこまごまと挟まれており、主題歌と内容の雰囲気が合っていないように感じた。
一言で言うと「永岡監督と櫻井さんの良さが上手く噛み合わなかった映画」といった印象。リアル・ハード志向を得意とする櫻井さんを脚本に起用するなら、ラブは削って事件のみに集中させてあげた方が面白かっただろうし、永岡監督に任せるならラブに振り切れる脚本家さんを呼んであげた方が「から紅の恋歌」や「紺青の拳」のような女子ウケする作品になったように思う。
キャラ的には秀一ファンが行くと肩透かしを食らうだろうが、秀吉、灰原ファンは一見の価値あり。というか灰原ファンは全員行け。とにかく灰原の出番がてんこ盛りで、ツンとおすまししたシーンからコナンの相棒としてクールに決めるシーン、犯人に襲われても健気に頑張るシーンまで全部詰まっていて最高に可愛い。灰原の可愛さに心臓を撃ち抜かれる。「灰色の弾丸」に改称した方が良い。それぐらい灰原の出番が多い。灰原ファンは今すぐ劇場にレッツゴーだ!
なぜならば、アニメーションの中身にはその答えが「無いと判断された」からだ。
エヴァンゲリオンは作品内のみで考察しても大した意味がないと見限られたわけだ。
旧劇とその後の設定開示でかつて「難解な話」をもとに考察されていた "エヴァの謎" はだいたい解かれてて、
この判断はやむを得ないと思う。
自分の人生と重ね合わせて語る奴が多いが、シン・エヴァンゲリオンがお前の人生において重要な物語だというのはわかる。俺にとってもそういう作品である。が、お前はシン・エヴァンゲリオンに関係がない。
エヴァンゲリオンはお前の人生のためにはつくられていない。お前の人生とエヴァンゲリオンを重ねることは無意味だし、庵野秀明と直接関係のないお前が庵野秀明の人生がどうだからああいうアニメーションになったかを考えても意味がない。意味がないだけならまだしも単に見苦しい。エヴァンゲリオンがお前にいくら影響を与えても、お前はエヴァンゲリオンに何も影響を与えない。
自分にとって重要なものがあったとき、そのものは自分を重要だと思っているという錯覚は恋愛でも家族関係でも友人関係でもよく見られる錯覚だが、その多くは間違っているし相手にとってお前は(あるいは俺は)重要ではない。
エヴァンゲリオンはお前に『現実を見ろ』とも『結婚をしろ』とも『恋をしろ』とも言っていない。もし何かのメッセージを感じ取ったとしたら、それはお前の内面でお前が考えた解釈であって、庵野秀明(とスタッフ)がそれを意図している可能性がある"かもしれない"だけであって、何も確証はない。そしてそういう場合、お前の(あるいは俺の)ために作られた作品でない以上、受け取ったメッセージは幻覚か幻聴の類のものである。
これは個人的趣味だが、アニメでも映画でもやたら主監督と主演俳優・女優ばかりが作品を形作っているように言われるのが不快だ。
彼ら彼女らはたしかに作品の骨であることに違いないが、前述の幻覚・幻聴まで含め主監督たち数人がすべて意図しているとしたらそれは狂気的としかいいようがない。
少なくともスタッフロールを見るにアニメーション映画というのは100人から関わっている巨大なプロジェクトで、隠された意図やこだわりというのは数人が埋め込んだものではなく、関わったすべての人のなんらかの結実したものが入っているだろうと考えている。なので、まるでエヴァンゲリオンは庵野秀明の意図や人生しか含まれていないかのような言及は俺にとって不愉快だし、関わった他の人すべてが存在しないような言い方に見えて気に食わない。
いくつ読んでもやれ庵野秀明が結婚したのがどうだとか、アニメーションとしてどうだとか、時代がどうだとかの話で、アニメーションの中身についての言及が薄すぎる。メタ情報を語るのが悪いとは思わないが、メタの話しか聞こえてこず、エヴァンゲリオンの考察ってこんなに人読みみたいな話ばっかりになるんだっけ?と首をかしげるレベルである。
つまるところ難解(というより秘密にされている情報が多い?)な話についていけず、それらしい推論も立たないけどわかった風なことをいいたいので昔流行った評論家気取りに人生とか世界とか恋愛とかに絡めてエヴァンゲリオンを解読するみたいな格好をしたいのだろうなというエントリばかりで辟易する。その上、人生に重ねて語るにはお前の人生は面白くないので、面白くないものに面白くない評論を重ねて語られており本当に面白くない。
八、鳥を捕とる人
がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。
それは、茶いろの少しぼろぼろの外套がいとうを着て、白い巾きれでつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛かけた、赤髯あかひげのせなかのかがんだ人でした。
「ええ、いいんです。」ジョバンニは、少し肩をすぼめて挨拶あいさつしました。その人は、ひげの中でかすかに微笑わらいながら荷物をゆっくり網棚あみだなにのせました。ジョバンニは、なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして、だまって正面の時計を見ていましたら、ずうっと前の方で、硝子ガラスの笛ふえのようなものが鳴りました。汽車はもう、しずかにうごいていたのです。カムパネルラは、車室の天井てんじょうを、あちこち見ていました。その一つのあかりに黒い甲虫かぶとむしがとまってその影が大きく天井にうつっていたのです。赤ひげの人は、なにかなつかしそうにわらいながら、ジョバンニやカムパネルラのようすを見ていました。汽車はもうだんだん早くなって、すすきと川と、かわるがわる窓の外から光りました。
赤ひげの人が、少しおずおずしながら、二人に訊ききました。
「どこまでも行くんです。」ジョバンニは、少しきまり悪そうに答えました。
「それはいいね。この汽車は、じっさい、どこまででも行きますぜ。」
「あなたはどこへ行くんです。」カムパネルラが、いきなり、喧嘩けんかのようにたずねましたので、ジョバンニは、思わずわらいました。すると、向うの席に居た、尖った帽子をかぶり、大きな鍵かぎを腰こしに下げた人も、ちらっとこっちを見てわらいましたので、カムパネルラも、つい顔を赤くして笑いだしてしまいました。ところがその人は別に怒おこったでもなく、頬ほほをぴくぴくしながら返事しました。
「わっしはすぐそこで降ります。わっしは、鳥をつかまえる商売でね。」
「何鳥ですか。」
「鶴や雁がんです。さぎも白鳥もです。」
「鶴はたくさんいますか。」
「居ますとも、さっきから鳴いてまさあ。聞かなかったのですか。」
「いいえ。」
「いまでも聞えるじゃありませんか。そら、耳をすまして聴きいてごらんなさい。」
二人は眼めを挙げ、耳をすましました。ごとごと鳴る汽車のひびきと、すすきの風との間から、ころんころんと水の湧わくような音が聞えて来るのでした。
「鶴、どうしてとるんですか。」
「鶴ですか、それとも鷺さぎですか。」
「鷺です。」ジョバンニは、どっちでもいいと思いながら答えました。
「そいつはな、雑作ぞうさない。さぎというものは、みんな天の川の砂が凝こごって、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、川原で待っていて、鷺がみんな、脚あしをこういう風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押おさえちまうんです。するともう鷺は、かたまって安心して死んじまいます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
「鷺を押し葉にするんですか。標本ですか。」
「標本じゃありません。みんなたべるじゃありませんか。」
「おかしいも不審ふしんもありませんや。そら。」その男は立って、網棚から包みをおろして、手ばやくくるくると解きました。
「さあ、ごらんなさい。いまとって来たばかりです。」
「ほんとうに鷺だねえ。」二人は思わず叫さけびました。まっ白な、あのさっきの北の十字架じゅうじかのように光る鷺のからだが、十ばかり、少しひらべったくなって、黒い脚をちぢめて、浮彫うきぼりのようにならんでいたのです。
「眼をつぶってるね。」カムパネルラは、指でそっと、鷺の三日月がたの白い瞑つぶった眼にさわりました。頭の上の槍やりのような白い毛もちゃんとついていました。
「ね、そうでしょう。」鳥捕りは風呂敷ふろしきを重ねて、またくるくると包んで紐ひもでくくりました。誰たれがいったいここらで鷺なんぞ喰たべるだろうとジョバンニは思いながら訊きました。
「鷺はおいしいんですか。」
「ええ、毎日注文があります。しかし雁がんの方が、もっと売れます。雁の方がずっと柄がらがいいし、第一手数がありませんからな。そら。」鳥捕りは、また別の方の包みを解きました。すると黄と青じろとまだらになって、なにかのあかりのようにひかる雁が、ちょうどさっきの鷺のように、くちばしを揃そろえて、少し扁ひらべったくなって、ならんでいました。
「こっちはすぐ喰べられます。どうです、少しおあがりなさい。」鳥捕りは、黄いろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました。
「どうです。すこしたべてごらんなさい。」鳥捕りは、それを二つにちぎってわたしました。ジョバンニは、ちょっと喰べてみて、(なんだ、やっぱりこいつはお菓子かしだ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんな雁が飛んでいるもんか。この男は、どこかそこらの野原の菓子屋かしやだ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、大へん気の毒だ。)とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。
「も少しおあがりなさい。」鳥捕りがまた包みを出しました。ジョバンニは、もっとたべたかったのですけれども、
「ええ、ありがとう。」と云いって遠慮えんりょしましたら、鳥捕りは、こんどは向うの席の、鍵かぎをもった人に出しました。
「いや、商売ものを貰もらっちゃすみませんな。」その人は、帽子ぼうしをとりました。
「いいえ、どういたしまして。どうです、今年の渡わたり鳥どりの景気は。」
「いや、すてきなもんですよ。一昨日おとといの第二限ころなんか、なぜ燈台の灯ひを、規則以外に間〔一字分空白〕させるかって、あっちからもこっちからも、電話で故障が来ましたが、なあに、こっちがやるんじゃなくて、渡り鳥どもが、まっ黒にかたまって、あかしの前を通るのですから仕方ありませんや。わたしぁ、べらぼうめ、そんな苦情は、おれのとこへ持って来たって仕方がねえや、ばさばさのマントを着て脚と口との途方とほうもなく細い大将へやれって、斯こう云ってやりましたがね、はっは。」
すすきがなくなったために、向うの野原から、ぱっとあかりが射さして来ました。
「鷺の方はなぜ手数なんですか。」カムパネルラは、さっきから、訊こうと思っていたのです。
「それはね、鷺を喰べるには、」鳥捕りは、こっちに向き直りました。
「天の川の水あかりに、十日もつるして置くかね、そうでなけぁ、砂に三四日うずめなけぁいけないんだ。そうすると、水銀がみんな蒸発して、喰べられるようになるよ。」
「こいつは鳥じゃない。ただのお菓子でしょう。」やっぱりおなじことを考えていたとみえて、カムパネルラが、思い切ったというように、尋たずねました。鳥捕りは、何か大へんあわてた風で、
「そうそう、ここで降りなけぁ。」と云いながら、立って荷物をとったと思うと、もう見えなくなっていました。
「どこへ行ったんだろう。」
二人は顔を見合せましたら、燈台守は、にやにや笑って、少し伸のびあがるようにしながら、二人の横の窓の外をのぞきました。二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光りんこうを出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのです。
「あすこへ行ってる。ずいぶん奇体きたいだねえ。きっとまた鳥をつかまえるとこだねえ。汽車が走って行かないうちに、早く鳥がおりるといいな。」と云った途端とたん、がらんとした桔梗ききょういろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞まいおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って、鷺のちぢめて降りて来る黒い脚を両手で片かたっ端ぱしから押えて、布の袋ふくろの中に入れるのでした。すると鷺は、蛍ほたるのように、袋の中でしばらく、青くぺかぺか光ったり消えたりしていましたが、おしまいとうとう、みんなぼんやり白くなって、眼をつぶるのでした。ところが、つかまえられる鳥よりは、つかまえられないで無事に天あまの川がわの砂の上に降りるものの方が多かったのです。それは見ていると、足が砂へつくや否いなや、まるで雪の融とけるように、縮ちぢまって扁ひらべったくなって、間もなく熔鉱炉ようこうろから出た銅の汁しるのように、砂や砂利じゃりの上にひろがり、しばらくは鳥の形が、砂についているのでしたが、それも二三度明るくなったり暗くなったりしているうちに、もうすっかりまわりと同じいろになってしまうのでした。
鳥捕りは二十疋ぴきばかり、袋に入れてしまうと、急に両手をあげて、兵隊が鉄砲弾てっぽうだまにあたって、死ぬときのような形をしました。と思ったら、もうそこに鳥捕りの形はなくなって、却かえって、
「ああせいせいした。どうもからだに恰度ちょうど合うほど稼かせいでいるくらい、いいことはありませんな。」というききおぼえのある声が、ジョバンニの隣となりにしました。見ると鳥捕りは、もうそこでとって来た鷺を、きちんとそろえて、一つずつ重ね直しているのでした。
「どうしてあすこから、いっぺんにここへ来たんですか。」ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がして問いました。
「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか。」
ジョバンニは、すぐ返事しようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
「ああ、遠くからですね。」鳥捕りは、わかったというように雑作なくうなずきました。
男性器
愚息
いきり立つもの
なぜこれを男を排除して初めて成立する「百合」にブチ込んでしまうのか。
俺は百合に性行為かつ抜き目的の所謂「おかず」を求めていないから「ふたなりなんていらねぇんだよ!」に行きつくんだろう。男女の恋愛が嫌だからという逃避目的で百合を好んでいるわけではないが、だからと言ってちんぽを入れる理由もない。入れない理由はいくらでも思いつく。
彼女達が笑い合ってくれればそれでいいのでくっついたりキスしなくてもいい。友愛でいい。あの娘と楽しむ彼女は無防備で素直な人間で、生きていることを感じられるようなドロッとした時間を過ごしてくれればそれでいい。そのままの彼女達であってくれ。
…まぁこれは百合作品じゃなくて他よりちょっとだけ女の子同士の友情が強い作品に対してなので、百合作品ですとカテゴリ分けされたものに対しては素直に受け止めるよ。手を繋ぎ、キスをし、肌を重ね合ってくれても構わない。けどふたなりはやだなぁ。百合がいいのであってふたなり百合は別もんよね。
ふたなり好きで抜き目的以外で活用してる奴なんているのかな。ちんちん生やす時点でセックス目的だろ?ファッション感覚で気軽に付けるもんでもねぇし、なんだかんだ適当な理屈こねても結局セックスさせてぇ!抜きてぇ!!なんだろ。エゴでしかない。これが二次創作なら目も当てられない。キノコ食ってちんぽ生えました!じゃあないんだよ。お前の墓標を秒で生やすぞ。
女性にちんちん生えてるのが好みってどういう人生歩んだらそうなるんだろうな。どこで性癖歪まされたんだろう。エロ本以外でふたなりちんぽ出てくる全年齢作品あんの?それに触れちゃった?パンドラの箱だよそれ。ガキの頃ならまだしもいい年で触れちゃったらそれはもうお前がおちんぽ大好きだったってだけだよ。最後に残ったのは"希望"でしたじゃあないんだよ、最初から最後までちんこしかねぇよ。ンなもん東京湾にでもぶちまけとけ。実質海洋散骨だ。俺にとって百合ふたなりなんて災厄以外のナニモンでもねぇ。表紙にちゃんと書いといてくれ。
分かんない。上でも書いたけど抜き目的のふたなり百合って結局自分本位だから女の子同士で完結してないんだよ。自分の"欲望"があって成立するじゃないですかこの場合。だから汚してるんだよな、女の子を。穢れた手で触れてはいけないし変なものを生やすもんでもない。百合えっちはなんか物足りないからちんちん生やしますって、バカか。野郎になるな。お前が百合を想う時だけ女になれ。お前のちんぽを去勢しろ。
…え?女性でもふたなり百合好きはいる?…あっちは概念的なもんだから……まぁ…ね………。
これは持論だけど、百合ってのは気付いちゃいけないんだよ。散らさないよう荒らさないよう柵を立てるもんでもない。ただそこに咲いていることに気付かないふりをするんだ。己を介入させるな。"自分"という存在は百合に不要、ノイズになるだけ。観葉植物になって見守りたいじゃあない、意識して傍観者になるな。
って自論書いたけどふたなり百合好きな人ってそもそも百合好きなの?ふたなりというジャンルが好きで百合がおまけで付いてきました…っていうか、野郎をふたなりちんぽで掘るのは実質ホモだから百合の方が好みですみたいな消去法で手出してるんと違う?まぁこれはなんで百合好きなのにふたなりOKなの…?っていう信じられなさもあるんだが。どうなんすか?実際のとこ。
…もしかしてふたなり単体が好きってことか……?なんで…?なんで女の子にちんちん生えてるの好きなの………それってホモってことじゃないの?他人にちんちんが生えてるかどうかなんて気にしないでしょ普通………もうわけわかんなくなってきた…なんだよふたなりって……道具じゃダメなの…?ダメなんだろうなぁ……。
百合好きを一旦置いとくと、言わんとしてることも分かるっちゃ分かるんだよ。あのキャラが野郎とセックスすんのは許さねぇから女に生やしますという一種の代替案でふたなりを求めるのは分かる。理解はできないが分かる。こういう人もいそうだよな。ただそういう理由でふたなり百合を求める人は少数な気がする。なんとなく。
というかさ、ふたなり百合好きって真面目に内容考えてないでしょ。そもそも女の子にちんちん生やすこと自体ギャグみたいなもんだからふたなり自体ギャグなんだよ。お前の性癖もギャグ。大真面目にちんちん生やしてみましたって奴いるか?絶対半笑いで「これウケんだろうな」って思いながら描いてるだろ(求めてる層は純粋に好きそう)。もっとふたなりに真剣になれ。なんでお前は女の子にちんちんを生やす。お前のふたなりルーツを探れ。就活で聞かれたら笑顔で元気に答えられるぐらいにしろ。
色々書き殴ったけど結局のところマジにふたなり百合、というかふたなり自体どこがいいかさっぱりってだけなんで好きな人はどこが好きなのかと派閥(ふたなりも百合も好きだよとかふたなりは好きだけど百合は興味ないよ≠利便上のふたなり百合好きとか)を教えてください。
pptppc2 個人的に片方だけふたなりの場合、百合の成立はまず無理だという認識。のでふたなり百合って現象がそもそもあまり無いと思ってる。これが両方ふたなりになると「百合のようなBL」と同じ法則で百合になる場合が文字数
すまん「百合のようなBL」という今年の新語にも載ってないような単語をさも昔から使われてますが?みたいな体でお出しされて頭ハッピーセットになった。
けどあなたの言わんとしていることは分かる、なんとなくだが分かる。ちょっとこのテーマで誰か記事書いて欲しい。
greenT 百合好きのアレルギーのような反応はかつて供給が極端に少なくハーレムやふたなりのおまけを細々と享受してた時代の反発だと思うけど、もう豊かな時代になったから理解できない周辺ジャンルも許すべきだと思うんだ
勘違いしないで欲しいのは俺は別にふたなり百合に憎悪してない。百合の間に切り込み隊長みたいなのじゃないから。
ただ単純に好きな人はどこら辺が好きなんだろうなってだけ。元増田の下の方にも書いてある。
yukari_gohan ふたなり百合なのかふたなりBLなのかは見た目で決まるのだろうか、それとも本人の性自認によるのだろうか
ふたなりBL…え?お?凄い世界だ。野郎にまんまん付いてるってこと?半端ないな……。
見た目か性自認かの二択なら前者じゃないかな。後者は野郎にまんまん付いてなくてもふなBLになるかってのなら、それは性同一性とかそっちの方じゃない?だからちょい違うと思う。
kozilek 男×ふたなり、とふたなり×女、で違うだろうけど観測範囲では前者が多いので、ふたなりは百合とは遠くて、むしろ男の娘やTS作品が好きな層に近いのではなかろうか。少なくともみさくらなんこつは百合じゃないよね
俺は後者の方で話してた。前者の方が多いのか…ふた女が男を掘るんか?逆に見たことないなそっち。
「ふたなりは百合とは遠くて、むしろ男の娘やTS作品が好きな層に近いのではなかろうか」
だよねどちらか言ったらそうだよね。百合の派生のふた百合じゃなくてふたなりの派生。みさくら先生の名前久々に聞いたよ。
naka_dekoboko ありえたかもしれない百合がつけられた男根から発せられる衝動によって壊されていくNTR的な気持ちよさが女×女ふたなりモノにはある
こういう破壊衝動は普通の百合では起こりにくいから独自の面白さって言えるね。
Hana56 BLのふたなり(受に膣や子宮が生成される)は要注意書きではあるけど、そんなに別物になる感じでもない印象。もともと穴も棒もあるところに穴が増えるだけだからインパクトのレベルが違うのか…
ふたBLって単語知ってるの二人もいんだけどそんなメジャージャンルなの?それともブクマした人がとびきりの変態さんなのか?(失礼)
まぁ確かに女の子にちんちん生えるインパクトに比べれば穴だけだしね…「なんと奇遇な!」ぐらいのインパクト欲しい。
理解できねぇから知りたいってこと書いてるって元増田読んでたら理解できるのにこういうブコメしちゃう京都大学霊長類研究所のアイちゃん以下の知能指数の人ってよくここまで生きてこられたなって感心する。そもそも理解できねぇことを増田に書くのってどこが悪いんだ?理解できねぇからそこで終わりの思考停止ならまだしも持論を書いたうえで知りたいから教えてって乞いてんだろ。拒絶じゃねぇだろ、歩み寄ってんだろ。マジに最初から最後まで読んだか?こんなんがトップブコメとか終わり過ぎだろ。自称高学歴様が集う増田ってこんなもんなんですか?ていうかこのブコメ内容と合ってない気するな。何が言いたいんだろう。ちゃんと100文字使いなさいよ。
nmcli 自分の場合、実社会において男性が嫌いなので男性を描いて欲しくない、ただしオスメスのセックスは描いて欲しい、という矛盾した理想があるので、ふたなり百合はその答えの一つとして支持できる。
こういうのだよ、こういうブコメが欲しいんだよ。自分の中で「ふたなり百合とはなにか」の答えを持ってて、それを発言してるだろ。 id:fusanosuke_n はこのブコメ他をA4紙に印刷して家中に貼り付けろ。
合意なしなら動物と変わんないけどそれはそれで「百合乱暴」ってジャンルがあるから難しい。
こっちはゆるゆりでちなつがあかりちゃんにするそれっぽくて、ギャグ寄りだよね。他は知らないです。
LuneC 私は孕ませをこじらせて「孕みも孕ませもいけるふたなり最強じゃん…おそろい腹ぼて…」です!百合の文脈ではないな!
好きを突き詰めた結果たどり着いた境地理論好き。ツワモノのにおいがする。
このケースは孕ませ→ふたなり→百合だからふたなり成分が濃いね。孕ませが男女か女女からなのかでちょい変わるけど。
seachel 男性向けエロは男女でも射精のメタファーとしての潮吹きが好まれやすいので、単純に自分にない感覚を視覚的でない状態で理解しづらいという特徴があると思ってる。フタもそこの延長線では?
そっから自分にないならあるものをってことでふた化させるって、やり方がいろんな意味で強引だけどその強引さが好きです。分かりやすい方がいいこともあるよね。
damonon 元々マイナーなジャンルのものがちょっと有名になったからってさらにそこから分派してるマイナーなジャンルを叩く行為はお前本当に何様?って気持ちになる
これぐらいで叩きだと思い込む繊細ヤクザ。そもそも叩いてないし理解しようとしてる。過度な思い込みで見当違いのブコメ残すお前自体何様だよ、ドーベンチワワかよ。
生き辛そう。もう休んでいいですよ。
yogasa 汚い男の珍子突っ込まれてるのに興奮する派と,同じ珍子なら女の子についてたほうが興奮する派の100年にわたる闇の戦いの歴史があってだな……
どっちかっつったら後者だな。ただこれは前者は勘弁して欲しいという消去法からなので、純粋に後者が好きな人よりはリビドーが薄いです。
kingate プラトニック百合っていうのがどうにも肌に合わん(教条主義に発狂している百合ファンのツラを想像するとキモいというルッキズム自家中毒なのだろう多分)。いいからさっさとパンツを下ろしてファックしろ。
よく分からんけど肌に合わない理由が外的要因ならもったいないんで一度プラトニック百合に触れてほしい。
百合作品じゃないけど百合みあると言われてる作品から始めてみよう。
anigoka 射精イベ欲しいじゃん? 潮とイキ感は一致しないけど射精は一応一致するし。尿道、膣口、肛門と挿入先の選択肢も広がる
自分に正直で笑顔になった。男性向けはかつ丼っつわれてる理由が少し分かる。こういうのもっとちょいだい。
e_denker 百合好きが「それホモじゃん?」とか言ってるの見ると悲しくなるな。『宝石の国』は無性だから百合じゃないって意見を見かけた時の気分だ。生えてないと描けない関係性だってあるだろ。私はそれも百合として祝福する
ごめん言葉が少なすぎたというか迂闊だったというか…ちょっと間を簡略化し過ぎだよな。ちょっとないと思う。
それはそれとして、生えてないと描けない関係性ってなんやねん!と思うんで参考資料下さい。
Ugu-nomicon 何がいいのか尋ねてみたら「一粒で二度美味しい」という簡潔な返事が返ってきた(闇闇闇
グリコ理論は分かりやすくて良い。けどそれをふた百合に当てはめ続けるとどっかで訴えられそう(営業妨害
catsnail まあ別ジャンルよねーと思って読んでたら突然“あっちは概念的”とかで除外されてよくわからなくなった。あと当然両方に生えてるものだと思ってた。男に乳生やすのも好き。ふたなりは「全」 なんだ
これは「心にちんこ生やしてる女性もいるよね…けどあっちは概念的なものだから」の流れで書いたんだと思う。前を消したんでよー分からんくなったなごめんなさい。
好き好んで見てないんで「見てしまった」でもの語るけど、生えてるのは片方の方が多かったな。けど「ふたなり百合」の字面は両方生えてそうだよね。
ちょっとググったら説明書きが面白すぎた。その界隈では超有名なんだね、新しい扉開きそうだわ。
inatax 女性同士の恋愛を通してでしか描けないものがあるように、ふたなりを介さないと表現できないものがあるだろう。そこに貴賤はない
個人的にだけどふたなりって出オチじゃないですか。インパクトだけで押し切るというか。
って思ってるから何かを訴えかけるような重厚なシナリオのふたなりなんてあるんかねぇってなるんですよ。なんかオススメあったら教えてくれ。
pachikorz ふたなり百合好きだよ。抜き目的ではない。理由は、やっぱりちんこがかわいいと思ってるからかな。ふたりともふたなりなのも片方だけも好き。関係ないけどふたなり逆アナルも好き。個人の感想です。
ちんこ嘆美派。
hiruneya 文章がヤバすぎてつらいが、まあ要するにお前にとっての女体・百合は男根が生えた程度で毀損されるものなのねと。美少女好きがバ美肉おじさんに萌えたのが数年前やで
元増田読んでその解釈その感想しか出ないお前の読解力のなさがヤバいし全くかすってもない見当違いのバ美肉おじ出してくる国語力のなさがヤバい。作者の考えを答えよの正解率2割切ってそう。書き込む前に何回か見直した方がいいよ、マジで。
あのね、こういう力技大好きなんですよ。
「手を繋ぐための手くらいの認識まで落とすべき」
とんでもねぇ暴投するでしょ?突拍子がなさ過ぎるんだわ。なんかいいこと言ってるように見えて滅茶苦茶蛮族なんですよものの例えが。強引。好きだなぁ。
ichigocage ペニバンのことどう思うか聞いてみたい。
最初の方に書いたけど元々「女の子同士の友情が強い作品」の中にある百合が好きで、そこに百合えっちはいらないです派なので当然なし。
ただオリジナル系だとあり。百合えっちも乱暴もペニバンディルドもあり。ただ好き好んで読まないだけ。
ajisu 私は凛々しく美しい女性に雄々しい男根が生え、自らの内に発生した雄の性欲に振り回される話が大好きだけど、他者に理解を求めようとは思わないしチンコ生えてない百合のことも差別しないよ!
…上の「ふたなりじゃないと書けないものがある」ってこういうことか。ケモ百合のケモ側が野性を抑えられず乱暴しちゃうとかそういうのと同じか。いいじゃないですか。
sekiryo 「見つめあう二人」や「秘密の」とか誰かが提唱してくれた"粋"に賛同している程度ならいいのだが、その他人の褌を錦の御旗にして殴りかかってくるのは最高にダサい気がするのだが。器の狭さ自慢してる自覚あるの?
「誰か」が誰なのか教えてほしいですね。自分を賢く見せようと京都人も首をかしげる遠回りし過ぎて着陸失敗してる言い方だからよく分かんない主張になってることに気付かないのが最高にダサい気がするんですがその自覚はおありでしょうか?
器量の狭さ云々は元増田の最後の方に書いてあります「理解できねぇから教えてくれ」を読んでもそう仰るなら見当違いですのでお帰り下さい。
姉に男子が数人出てくるアニメを見せられて、話も理解できないうちに
「誰が好き?」
と聞かれた。よく知らん話で誰が好きもくそもなかったのだが、この人は家事が得意で女の子みたいだよ、と教えられて(もう20年前くらいの価値観なので)じゃあこの人、と言ったと思う。
女の子が好きだったりフェミニンな雰囲気や家事が得意な男性が好きというわけではなくて、自分が女の子だから「仲間」に近い属性を選んだというだけだった。
漫画や小説が好きだし、いわゆる群像劇と言われるキャラクターのたくさん出る作品が好きだ。
でもそのなかで誰が好きなの?といわれるといつも困る。
好きなキャラクターがまったくいないわけではない。
あれ、私はこのキャラが出てくるとなんだかうきうきするな、と思うことがある。
それはやっぱり好きなんだと思う。
ただそれはすべての作品にいるわけではなく、また好きなキャラクターがいなくても好きな作品はたくさんある。
アイドルの歌を聞いたりすることはあるし、この人面白いなーとか好きだなーと思うこともある。
舞台を見るのが趣味なので、演技がうまいとか歌がうまいとか身体能力が高いとかで好きな役者さんはいる。
その人が出てるなら見たいなあと思うことがあるけれど、それが「推し」なのかというとそれもわからない。
もともとグッズの類いに興味がない。
好きなキャラクターが描かれたキーホルダーも、好きな役者のサインも特にほしくない。
これについては本当になぜほしいのか理解できないので誰かに教えてほしいと思っている。
私にとってほしいのはそのキャラクターが役割を果たすストーリーであり、そのアイドルの歌やバラエティであり、その役者の演技だ。
なんだか周りをみていると、何か好ましいコンテンツに触れたとき、
その中から誰か一人を選びだし、好きだと言わなければならない、と思っているように見える。
そして好きだと言ったら、それをあらゆる方法で表現しなくてはならず、その一連の活動が「オタク」と呼ばれているように見える。
そういう表現を「するものだ」と思ってやっているように、私には見える。
もしかしたら私が何かを好きになる愛情リソースのようなものが足りないだけで、
みんな作品をみた瞬間好きな気持ちが生まれ、それを表現せずにいられなくなるのかも知れない。
私がたまたま、冒頭に述べたような経験から「好きなもの」を「選んで」いると思い込んでいるだけなのかもしれない。
なんにせよ「推し」という概念に馴染めないまま暮らしていたら、
いつの間にか、趣味を通じて誰かと繋がることが難しくなったような感覚がある。
なんだか、「推し」を語ったり描いたりすることがオタクの第一歩めのように見える。
もしかしたら作品に対する深い考察ができれば「推し」がなくても面白いことができるのかもしれないけれど、考察のようなことをするのは結構手間と時間がかかり、あまり頭がよくない自分には重労働だ。
今さらオタク趣味を通じて新しい友達を作ろうとするのが誤りなのかもしれないが、なんだか寂しいなと思う。勝手な疎外感を感じている。
とある界隈のオタクに燃やされた。経緯を少し婉曲して話すと、某アイドルグループの活動支援のために、ファンが主導してクラウドファンディングを行っていた。当初設定した期間の半分程度でゴールし、最終的に目標金額の1.5倍近くを集めることに成功する。
私はそれを見て、「凄いな~、今って結構簡単に集めることができるんだな~」とツイッターで発信する。そのつぶやきが発起人の目に留まった。
「簡単なんて言わないでください。ここまで来るのに本当に大変だったんです」と言いながら私のつぶやきを引用RT。その発起人をフォローしている界隈住民がわんさと押し寄せてきた。
「私達の苦労の何が分かるんですか?」「こういう発言をする人って思慮が浅いのでは?」
見知らぬ人間からの攻撃的なリプライは、その数も相まって狂気的な連鎖反応を生んでいた。
そんな燃えるタイムラインを眺めながら私が感じたのは、「ネットの人間って、怒るときですら感情を押し殺すんだなぁ」ということであった。ファン達が飛ばす敬語交じりの罵倒には、まるで「感情を表に出すことは低俗で醜い人間のやることであり、怒っていても理知的に振る舞うのが大人のやりかたである」というイメージが内包されているようだった。
ただ、どんな時も理性的に喋るのってそんなに素晴らしいことなのか?
ファンたちの怒り方には感情を感じない。リプライで多く散見されたのは、「何故○○だと思ったんですか?(間違ってますよね?)」と私の考えを推し量った上で否定するような文章――あたかも自分達のほうが良識ある大人であり、間違った考えを抱いている相手に、間違いを気付かせたうえで啓蒙するような言葉――である。その言葉に激情はほとんど乗らない。どうやら感情混じりに怒りを発散するのは子どもの仕草であり、忌むべき恥ずかしいふるまいのようだ。
でも、感情を殺して理性だけで語って、いったい何が生まれるのか?
そりゃ個人の感情は排して、客観的な事実やデータを軸にして話した方が正確な発言になるだろう。
しかし、「これが正しくてこれが間違っている」という意思決定には、その人の思考や感情が密接に結びついている。誰かに何かを表明するときは必ず自分の思いを言い切らなければ意味が無い。端的に言えば、感情のバイアスがかかっていない主張など存在しないのだ。
私に落ち着き払って攻撃的なリプライをしてきた人間も、本当は思っているのだ。「あんたがムカつく」「お前が嫌い」という感情が。だけれども、それを表立って発散するのは恥ずべき行為であるから、自分の感情を敬語の陰に潜ませてお気持ちを表明する。そんな回りくどい行為の末に出来上がるのは、言葉だけバカ丁寧な侮辱の文句だ。
「どうしてあなたは○○ということが理解できないのですか?普通は発言する前に考えませんか?」この言葉を聞いて相手が悔い改めると思うのだろうか?何故「私はこう思います」といい切ることを怖がるのだろうか?建前は冷静、本音はぶち切れ。どこの誰に気を遣って天邪鬼みたいな煽り屋をやってるのか?
そして何より思うのは、「そんなに感情を押し殺してまでキレて何をしたいんだ?」という疑問である。
リプライのほとんどは、「自分は冷静です」という素振りをし続けるあまりに、「結局お前は何が言いたいんだ?」と首をかしげざるを得ないものばかりであった。
前述のお気持ち表明ツイートが示す様に、感情の秘匿はクソリプの原因に繋がる。
私のツイートに対して思うところがあるにもかかわらず、それをごちゃごちゃこねくり回してなるべく理知的な発言をしようと考えるから、「AについてBだと思った」という簡単な受け答えすら成り立たなくなるのだ。
そもそも、理知的な人間なら見知らぬ人の発言を捕まえてリプで殴り掛かってきたりしない。それをしている時点で理性も民度も無い人間なのだから、素直に「それは嫌いです!なぜなら~」や「私は違うと思います!だって~」みたいに、感情混じりでどう気に食わないのかを表明したほうが、よっぽど有意義な会話でクソリプも少なくなると思うのだが。
クッッッッッソむかつく。マジでむかつく。絡んできたやつ全員頭おかしいカスの集団。
私は「昔に比べてクラウドファンディングというサービスが発達した結果、カンパや出資が簡単にできるようになった」って言ってるだけで、別にお前らの努力を軽んじてるわけじゃねえよ。そもそもお前らのやってる努力にこれっぽっちも興味が湧かねえよ。
そんなに「あなた達がんばりましたね」って褒められたいんか?「アイドルの魅力によってゴールを達成しました」じゃなくて、「私達の頑張りによってアイドルが活動続けられます」ってことにして自尊心を満たしたいんか?クッソ哀れだなこいつら。結局己が褒められたいだけの自意識てんこ盛り野郎の集まりかよ。
ということで、ここからは特にムカついた「冷静ぶったチンパンジー」を2種類発表していきま~~~す。
「これに限らず、世の中の色んな活動は多くの人の努力で回っているんですよ」
何コイツ?そんなん当たり前だろ。自分が何を言わんとしてるか頭で理解できてるのか?
「お前の軽率な発言がムカつく」ってストレートに言いたいところを、「私はあくまで冷静で賢い人なんです」風を装いたいから、丸めて削って薄めた出涸らしみたいな意見を自信満々に発してくるんだ。
そこまでして喋らなきゃいいのにって思うんだけど、そういうわけにはいかないんだよな。だって心の底は「ムカつく」っていう感情で支配されてて、どんな言葉でもいいからコイツにパンチ喰らわせてやらないと気が済まないって沸き立ってるんだから。根はバカのくせに言葉は意識高い。そんな二層式フィルターに感情をくぐらせて出来上がったのは毒にも薬にもならない薄っっっすい一般論。自分の感情をはっきり喋ることができないなら黙っててください。イラつくので。
企画したわけでも出資したわけでもない完全無関係の人間。ファンかどうかも怪しい。何なのこのバカ?
謝っても炎上が収まらないどころか高く燃え上がるのは、加担してる奴らが「別に怒ってない」からである。怒りの感情が無い人間に謝っても効果はないのだ。
こいつはそれ以上の意味不明な存在、「完全な部外者」である。部外者のクセに倫理とネットマナーを説いてくる筋金入りの不審者。で、お前はいったい私に何をしてほしいんだ?
これも自分の感情を無視して殴ろうとする弊害が生んだ動物だ。自分の気持ちと無関係な行動をするという意味では前述のチンパンジーの亜種であり、啓蒙思想の旗のもと正義感に酔うねじ曲がった人間である。キレるパワーがあるなら金落としてやれよ、いやマジで。
はっきりと感情で言います。あの界隈の住人全員嫌いです。今まで名前の知らなった某アイドルグループまで嫌いになるぐらいムカつきました。二度と姿を見せないでください。
でもスッキリしないのが、「今という時に地に足を付けて考えてみれば、子孫を残す為に男と女がセックスをして女性が子を宿し、家族を形成してその子供を育てなければならない」という部分だ。
なぜ子孫を残さなければいけないんだろう?
たぶんこの違和感を突き詰めれば、現実の富野という個人がなぜ結婚なんかして子供を作ったのかが納得できないという話になる。
個人の人生として自由ではあるのだけれど、富野作品を見ると厭世や人間不信や苛立ちが漂っていて、結婚や恋愛なんかしなそうな人間に思えるのだ。
アムロやカミーユのような情緒不安定かつ奥手っぽい少年が、平然と、いっそスマートに男女交際できているのだって不思議だ。
書いていて自分でも整理しなおせた。
富野作品に漂う厭世観は、アムロもカミーユも富野も、孤独で生涯童貞で生きていく方がしっくりきそうだし私はそこにシンパシーを感じて面白く見れたのだが、しかし要所要所で性愛や子作りの肯定が暗示される、そこが繋がって内容で納得できないのだな、私は。
理路を求めて長文をしたためる人の文章に理路がない、というのは置いておいて。
今回のアツギの件に怒っている(主に)女性は、理路以前の、日々の生活における不便を助長する(痴漢に怯えたり、あからさまな視線を向けられたり)、現実の可能性に怒っているんだろうと思う。
エロイラストの表現の自由を守りたい反フェミ?勢や、理路がない…と首をかしげる人たちは、表現の自由という「理念(風の我儘)」を胸に発言をしているので、女どもには理路がない…と思うのかもしれないが、こちらは理路だけでなく、もっと切実な「現実」というイシューを思い批判の目を向けている。現実と理念(風の我儘)とのぶつかり合い。
「理路がない」と思う人にとってはタイツは非日常(オレサマのエロの自由!という理念)であり、少なくない女にとってはタイツは日常であり、日々エロ視線にうんざりさせられ、自衛や撃退などをさせられている現実がある。
今回、アツギは割と広く燃え広がり、まだ燃えていて、いわゆる普通の女一般が色んな理由でNoを言っている。だから理路がないように見えるのだろうが、それは理路がないのではなく、女が毎日直面させられている「現実の色んな迷惑」がある裏返しである。なので、当然、批判の方向性もバラバラでその「理路」に統一感がないように見える人には見え、マンスプレイニングよろしく「理路がない女の話なんか聞く必要はない!」と炎上に薪をくべている。
「女の立場」における理路は、これらのうんざりする性差別の現実のあとに構えている。
「何を今更、ずっと視姦し続けてきたのに」と、「女が現実に直面させられ続けている迷惑」の矮小化やセカンドレイプめいた女性性の軽視が見られたり、表現狂戦士が「女には理路がない」と差別を公言したり、そういう点が、ジェンダー的な、構造的な「理路の問題点」だと言える。
今回は現実の迷惑が火種になってるので火の広がりが広く、それに薪をくべる男性からの性差別という理路的(というか形而上的な)な言動への批判が構築されている。無能な味方が、山火事の真っ最中に、キャンプファイヤーのように性差別構造を良く燃える薪でくみ上げていっている、二段構えの炎上だろう。
はは、呑気だねー。
おっぱいというパーツの意味がいまいちわからぬまま、アラサー(オーバー)を迎えた喪女である。
思えば「グッドモーニング・コール」でななこが「Cカップやでうちは!」とゆりりんのパッド盛りを暴露したときも、何を言うてんやお前は、と首をかしげていた。12歳にしちゃでかいと思うけど、Cカップで胸を張れるななこ、今思うとかわいい。
のちに女体の素晴らしさと乳房の役割を知っていき、なんて素晴らしきものなのかと感動しても、自分についてるのか、くらいにしか思っていなかった。なぜなら喪女だから。
カップ数がちょいデカ(安心してくれ、アンダーもデカい)なもので、実はセブンティーンなどで「モテる子がつけている代名詞」と言われていたおピーチジョンにあまり縁のない人生だった。
お若い方がご存知ないだろうが、おピーチジョンの社長は00年代あたりか、巨乳になんか恨みでもあるのか?というくらいDカップ以上を展開しなかった。「サーキット」「デコルタン」などというモリモリ盛りブラ一辺倒、ブラ界の小悪魔ageha道をひた走っていた。
当然それは男性の目が常にあり……
なぜか当時、目ン玉や耳のように「自分の体に2つついているパーツ」であるにも関わらず、おっぱいなるものは「人のためのもの」のように吹聴されていたのである。
喪女、腐った意味以外で男性にあまり興味がなかったので、自分の体にぶらさがったこのパーツに対し、自分のためだけにそれなりの愛情を持ち、かわいがり生きてきたのである。
そんな、年始にしか合わない年下の親戚(遠縁)みたいな存在だったおっぱいに対し、真剣かつ深刻に向き合わねばならぬ時が来た。
加齢である。
なんや知らんが、「クーパー靭帯は伸びればもう戻らない」ちゅう、ホラーな言説を聞いたことがあるだろうか。そんなカイジの鉄骨渡りみてえなもの、アキレス腱くらいわかりやすいフォルムで外部につけといてほしい。なんで人体模型に記載されていないのにそんな恐ろしいポテンシャルを秘めているのだ。
そして我々はセーラー戦士と違い、月に住んでいない。重力みっしりの地球(テラ)に住んでいるのである。クイン・ベリルあのおっぱい、地球にいたまままもちゃんに好かれたい一心でキープしてたんだろうか。頭が下がる。
話を戻そう。実際に下がっているのは喪女のむね肉である。時を戻してくれ、ぺこぱ。
せめてこれ以上垂れるのはやめてほしい。このままだとツイッターで前触れ無く出てくると怖い漫☆画太郎先生のババアになってしまうではないか。
喪女は、震えた。こうなったらおもしろ友人G子に頼るしかない。この世大体のものを手に入れた現代に生きるゴールドロジャー、もとい楊貴妃なのだが、なぜか喪女と気が合う。
Gカップ(推定)のおっぱいのケアを聞いてみたところ「PJのナイトブラとバストケアクリーム❤」という返事が返ってきた。
こちとら在宅勤務で会議がない日はブラに人権を与えてないのに?夜もブラ???????
しかし漫☆画太郎ババアになりたくない一心で、「確かに普段から人権、もといブラ権を与えていないから下がるのだろう。株と一緒だ。ケアすることで下げは食い止められるはず」
なんかパジャマとか色々展開してるし、デザインかわいいし、サイズ展開も前より豊富~!雑誌のみな実が眩しい!
キラッキラのお姉さんにアドバイスをもらい、なんとか購入。なお2%オフになるとはいえ、「ピーチジョンのアプリが自分のスマホにある」という気恥ずかしさに耐えられずアプリDLはできなかった。2%でも消費税8%の時代に戻れるから、できる人はDLしとこう。
おっぱい「ぽよよん」
これは!!すごい!
一回だけでなんだかハリとツヤが増した気がする。皇潤ヒアルロン酸ファンデか?
そしてナイトブラ
結構苦しいような……まあスポブラ程度といった感じ。寝れないほどじゃないし、肉の流れを防いでくれそうである。
そしてこれ、盛れる。普通のブラみたいにしっかりホールドしてくれる。お店のお姉さんが「在宅勤務のときにこれ使われている方が多いですよ」という言葉を鵜呑みにしてよかった。喪女的にはブラ権復古の大号令である。
寝心地……悪くない。なんかこう桃井かおりになった気分。もっと若い例えないかって?朝ドラじゃない二階堂ふみ。わかりにくいな。喪女だから許してくれ。
翌朝
いけるかも。なんとかなる気がする。円錐にならずに済むかもしれない。フランス書院表紙の熟女乳くらいでおさまってくれないだろうか!?ただでさえベイ◎◎クスボディなのに、これ以上ボリューミーに見られたくない。円錐は嫌だ。円錐は。
何より、ちゃんとケアをしている自分というのが気持ちいい。今まで薄目でしかケアしていなかったところに手をかけてやる自分。これが……ていねいな暮らし……!?
目が充血すれば目薬を指すし、耳がモッタリすれば掃除する。
メリットをずどどどっと追加されたことに首をかしげちゃう系派遣事務社員です。
有休取得はよっぽど繁忙期でない限り何も言われないし、
理由も聞かれないし、
お昼は一人で食べていいし飲み会は年2回程度だし、
基本定時帰りで社員同士さんの仲も良くて
「いいとこ当たったな~」と思いながら働いてる。
上記のような好条件が義務化されたことに思ったより絶望感が大きい。
具体案はまったく思いつかないけど、
ある程度の資格持ちとか条件ありにしてくれ~って思ってしまう。
触れる権限増えない?
万が一ミスしてもどうせ派遣だから最終的な責任は正社員がとるから大丈夫」
ってある種リラックスしながら取り組めてる現状からはじき出されない?
みたいな疑問符だらけになってる。
すごく良い制度だと思う。
ロンダリングじゃないけど、向上心がある人はそれでいいと思う。
私みたいな「とりあえず生活に困らなければいい、仕事にストレス積み上げたくない」
好条件激務<低条件なまぬる
って人には「非正規だけど正社員と同じ待遇だから正社員並みの仕事してね!」
って言われるリスク高くなる今回の派遣法改正はちょっとした絶望感。
っていうのを今年の3月だか4月辺りに書いてエントリせずに残ってた。ので供養上げ。
今のとこ超激務にはなってないけどコロナでどうなるやら。
派遣切りはなさそうなんだけど、どっちにしろ来年で期間切れるから
次のとこってなるけど派遣先が激減してるしなー
先日、トゥーキョーゲームスから新作がゲリラ的にリリースされた
その名も「デスマーチクラブ」……ではなく、「ワールズエンドクラブ」
タイトルが変更となったこの作品は、初報でのキャッチコピーはこう打たれていた
2年前、簡単なビジュアルと共にファミ通に現れたこのキャッチコピーに胸を躍らせた自分を今でも覚えている
ダンガンロンパでお馴染み小高和剛氏と極限脱出シリーズでお馴染み打越鋼太郎氏がタッグを組んだとなれば更に期待は高まる一方だ
よく練られたシナリオの打越
それも、デスゲームではタブーとされる子供たちがそれを行うのだ
流石に直接的な表現はないだろうが、それでも生死不明くらいの表現はしてくれるだろう
純粋だが残酷、しかし12歳という思春期を迎えつつある子供たち
そこに与えられるデスゲームとは一体どのような物語になるのだろうか
期待せざるを得なかったのを覚えている
1月を最後に動きを止めていた公式が突然に「タイトルを変え」「ゲリラリリース」したのだ
そして配信されたワールズエンドクラブに自分も飛びついたのだった
ネタバレを防ぐためにも簡単にいうが、要は「デスゲームは嘘」だったのだ
このゲーム、ワールズエンドクラブはデスゲームものではなかった
あくまでデスゲーム要素はプロローグだけになり、デスゲームを破壊して脱出した後、崩壊した世界を探検するのがメインとなる
ここでよく聞く意見としては「流石にデスゲームを子供たちにやらせるのは倫理的にまずいとなり、急遽変更となったのでは?」という意見だ
だが、この意見は配信日に行われた制作陣による生放送にて伝えられた「最初から子供たちが崩壊した世界を探検するゲームとして作っており、デスゲーム要素はあくまで"ツカミ"として入れられた」とのことから否定される
「自分(小高)と打越がやるならデスゲーム要素入れたいね、ということで付け足した」
と小高氏は言っていた
最初からデスゲームものなど作っていないが、それを隠していたのだ
私的な意見で申し訳ないが、「だとしたら、私が期待して待っていたのはなんだったのか?」と言わざるを得ない
そしてメインとなるストーリーは前述したとおり崩壊した世界を旅するもの
突っ込みどころはかなり多く、ご都合主義や不快な下ネタや不自然で唐突な展開などかなりあるが、それでも主軸となる「子供たちが鹿児島から東京まで冒険する」というストーリー自体は問題はない
12人と道中で増えたもう1人、計13人は続く道中、喧嘩したりトラブルに遭遇したり、膝をつきかねない強大な問題にぶち当たる
しかし彼らは仲直りし、協力し、絆を深め合い、進んでいく
頭に浮かぶのは子供の頃に読んだ児童文学、「ぼくらの7日間戦争」をはじめとしたぼくらシリーズだ
そう、このワールズエンドクラブはぼくらシリーズのような児童文学の装いでもあるのだ
そんなもの、期待していなかったのだが
あくまで私の意見であるが、打越鋼太郎氏のハードな世界や小高氏の悪趣味な世界はあまり見受けられないと思った
なら、このゲームは誰が楽しむのだろうか
もちろん情報が明かされた今となっては「明るい雰囲気のゲーム」として手に取る人は多いだろう
しかし、それは"今となっては"、だ
それ以前、打越鋼太郎と小高和剛の名前、そしてデスゲームというジャンルから期待していた人の、その期待に応えるつもりはあったのだろうか?
せめて、デスゲーム要素は無く、グーニーズを想起させるジュブナイルものであると少しでも事前に伝えてくれたなら「なるほどそうなのか、それはそれで面白そうだ」と期待の仕方を変えたものを
誰のためだったのか
少なくとも
私のためではなかった
あえて言うが、私はこの売り方に失望した
告知と内容が違うのは過去、特にダンガンロンパシリーズでも見受けられ、そのたびに賛否両論を呼んだが基本的に私は好意的だった
が、それはあくまで「ダンガンロンパを買ったらダンガンロンパだったから」だ
今回は「ダンガンロンパを買ったらぼくらの7日間戦争が入っていた」レベルに内容が違うではないか
奇を衒えば話題になる
そのためならゲームの内容に嘘をついてもいい
情報を隠していい
ユーザーの期待を裏切っていい
本気でそう思っているのなら
ただのつまらない嘘つきなだけだ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/shiraku666/status/1296678138752020487
細い路地で譲り合うのは古今東西ふつうのことでしょ、みたいなコメントが多いけどそうは思わない。
基本、並んでおしゃべりしてる女は道を譲らないよ。
理由はだいたい見当がつく。
おしゃべりに夢中で対向者に気づかないからではないよね。
おしゃべりを中断するのが気まずいからでしょ。
ちょっとあの人に道を譲る間会話を止めよう、ってのができないんでしょ。相手の話をさえぎったり、話の流れを止めるのが気まずくて。優先順位おかしいよね。
おしゃべりの相手が特に親しくもない人だと特にそうなるでしょ。ただの知り合いとか、会社の同僚とか先輩とかだと気を遣って。
数年前のある日のことだけど。
狭い歩道で並んでおしゃべりしてるOL2人組とすれ違おうとして、OL側がギリギリまで道を譲らなかったのでしかたなく俺が車道に降りたのよね。
そしたら後ろから来てたクルマに轢かれそうになった。俺は背後からクルマが来てることに気づいてなかった。しかしOL側は当然気づいていたはずだ。なのに道を譲らなかった。
俺にしてみれば「車道に降りるしかないこの状況で彼らが道を譲らないということは、このタイミングで車道に危険はないのだろう」ととっさに判断できる状況だったんだよね。
結果的に俺のその判断は間違ってて、振り向いて安全確認すべきだったんだけど。
だってまさか車道に降りたらクルマに轢かれる状況を知ってて逃げ道をふさぐなんて人殺し同然のことすると思わないじゃないですか。
ていうか、クルマが来てるとわかったら俺どうすればよかったんですか。来た道を戻ればよかったですか?
俺を殺してでも継続したかったおしゃべりって何だったんだろうとだいぶ考えたよ。
男同士ならあんなことまずしないもん。いったん会話を切って道を譲って会話に戻るでしょふつう。中断するっつっても2、3秒ですよ?
それをしないんだなあ、女は。
これに限らず同様の経験は何度もある。上のような命に関わる極端な例だけじゃなくて、女がとっさにとる意味不明な状況判断には常に首をかしげさせられている。
ふつうに先に行ってくれたほうが早いのにわざわざ立ち止まって「お先にどうぞ」みたいなことしたり。余計なことすんなよ。そっちのほうが時間がかかってんだよ、とっとと行けよ。
悪いけど、これは本当に偏見とかでなく経験則なんだけど、男同士の行き違いは女よりずっとスムーズだよ。
「おっ、あいつとコースが交わってるけど、どうする。俺の側が歩調を速めたほうが互いのロスが小さそうだ。俺が速める・あっちが緩めるがベスト。あっちもそう判断するはず」
雑踏を歩く時は絶え間なくこの判断をしながら歩くわけだけど、男同士の場合この判断はだいたい誤らない。お互いの選択が暗黙のうちに一致する。
間が悪くお見合いになっちゃうのは右に避けても左に避けても結果が同じで確率に任せるしかない時くらいだ。
ところがこの瞬時の判断を女はことごとく裏切ってくる。そっちじゃねえよ、そうじゃねえよ、という「男には読めない行動」をとってくる。
無意味に互いが損をするだけの譲歩(というか譲歩したというポーズ)だったり、絶対に自分の進路は変えないという強い意志だったりする。どっちにしても困惑であり迷惑である。
自動車でも同じ。「謎の道譲り」をするのはだいたい女。どーぞどーぞじゃねーよ。お前がさっさと行かねえから後ろの何台も無駄なブレーキ踏まされてんだよ。一時停止はこっちで優先道路はそっちでしょうが! 交通の優先関係を混乱させたら危ないでしょうが!
ことほどさように、女は譲るべきシーンで譲らなかったり、譲るべきでないシーンで譲ったりする生き物である。
これを啓発活動とか増田とかで変えられるとは思ってない。これからも永劫、このままだろうと思う。行動は変えられても、生き物の性質は変えられない。
ただ、迷惑している、そのことだけは伝えておきたい。
強い怒りの中で冷静な返答をされるとさらに傷つき、死にたいとさえ思った。
着火原因は何なの明らかにしたい夫と問題解決など望んでおらず「寂しかったんだね。」という共感だけが欲しい私。
いつもならばこれは男女の脳のせいにできるのに・・・
それでも今回は化け物のように怒り狂ってしまった。
夫に迷惑をかけ、困らせていることさえもつらく涙が止まらない。
狂えば狂うほど嫌われるとわかっていながら魔物を止めることができない・・・
「悪く思わないでほしい、少し異常な感じがする。心療内科へ行った方がいいかもしれない。」
そのメッセージを見て怒りとともに恐怖心も湧いてきた。
異常・・・?
薄々PMS(月経前症候群)が酷くなっているとは思っていたが今回のそれは毎月のものとは違っていた。
詳しく調べてみると私のそれはPMDD(月経前不快気分障害)と思われた。
PMDDとはPMSよりも特に精神面での症状が重く、自制が効かずに対人関係で問題を起こしたり自殺念慮を持つそうだ。
欧米とは違い日本ではまだあまり知られおらず、比較的新しい病気のためはっきりとした原因もわかっていないとのこと。
どうにかしてこの夜だけでも魔物を鎮めたい、その一心でネット検索をした。
色々と検索をしたところ、午前1:00でインスタントに手を出せるものといえばアロマだけだった。
玄関からアロマ精油のスプレーを持ってきて(マスク用だが買っておいてよかった・・・)
枕カバーの隅に吹きかけた。
暴れまわっていた魔物がするすると小さくなっていくのがわかった。
嘘のようだった。
PMSやPMDDは「甘え」だと思われるだろうから夫へ言うつもりは無かった。
しかし私の異常性に首をかしげたままの夫を放っておくわけにはいかず、こういった病気かもしれないと告げた。
「甘え」だとは言われなかった。
PMSやPMDDについては知らなかったとやや腑に落ちた様子だった。
私はというとすっかり魔物が消えて、もとの楽観さを取り戻していた。
魔物が消えた朝は夫のことが大好きな自分に戻り、いつものコーヒーも一層美味しく感じた。
すべてのLINE履歴を消してしまいたいほど情けないし、夫へ心的外傷を与えてしまったことを深く反省している。
PMSやPMDDは月に一度の一過性の病気であり、放置されてしまうことが多いそうだ。
アロマで魔物が鎮まるならばそれでいいと個人的には思うが、夫へ迷惑をかけてしまった以上クリニックで受診すべきとも思う。
別に仕事中とかで「ちょっと体調が……」とか自体は悪くないと思うのさ。
最近はこういうご時世だからようやくちょっと敏感になってきたけど、ある程度体調悪いアピールしないと、上に平気そうと見なされて帰してくれない時ある。
でもそれはあくまで「早退という結果を勝ち取るため」じゃないのかなって。
「体調悪いなら帰りなよ」
「いや……大丈夫です……元気なんで……」
いや帰れよ。
体調悪いと投稿する自体は別に悪くないと思う。日記代わりだったり、思ったことを書いてるだけだったり、書くと楽になる気がする人もいるらしい。
アピールといっているのはこういうやつだ。
「なんか廊下で失神してたらしい。」
「大丈夫!よくあるんで!」
いや行けよ。
だいたいよくあっちゃだめだろ。
お腹痛いとか頭痛いとかそういうレベル感の話じゃない事を投稿しておいて、他人の心配を平気ではねのける謎。
「絶対病院行った方がいいですよ!なんなら救急車です!」と優しい人はさらに次の返信をする。
しかし本人はやはり「よくあるから」「大袈裟だな」とその心配を流す。優しい人はもやっとしながら会話を終える。
何故こういうアピールをするのか?
ひとりでTwitterで呟いているだけならまだわからなくもないのだが、リプライに混ぜたり、チャット会話ルームなど会話を主目的としたサービスでもやる奴がいる。
そしてする人は大抵常習犯で、「腕がしびれて動かない」「呂律が回りづらい」だの定期的に投稿する。
真実だとしたら何故病院にいかないのか分からないし、何かしらの結果を引き寄せたいが為の「アピール」ならば何がしたいのか全然分からない。
コロナのせいで自転車がどうのこうのって多少使う人が増えて、便乗してバイクも少し増えたっぽいけど、正直バイクはダメかなって不安しか無い。
まず根本的に駐輪場がなさすぎる。車の駐車場を使っても法律違反でもなければ、店主さんがOKといえばOKなんだけどイメージは悪い。
駐輪場が無いってのに違反切符を切る事に夢中になっている警察の存在が悪すぎる。駐車場の場所は答えられるのに駐輪場を聞くと首をかしげてんじゃねーよ。
街中にあるバイク屋のボッタクリが酷い。正規店より安いよー安かねー。整備料も安いよーあれこれ付けて安かねー。オイル割引しないよー正規店はするじゃねーかー。
あとね、客が買いに来ているってのに偉そうにするから売れない。3人ほど友人のバイクを選びに行ったら、それぞれ別店舗だったんだけど上から目線で職人みたいな対応されて
みんな買わないで終わったという。結局最初からホンダドリーム行ったほうが良かったという結果が二人。ヤマハ一人。
そして煽り運転されやすい。すり抜けたら煽り運転、すり抜けずに運転しても煽り運転。ドラレコ付けているのを視認した途端に車間距離大幅広げって流ればかり。
バイクだからドラレコついてないと思うの今どき古いんだよね。それが車に乗るドライバーには分からんのですよ。
なお、初めて通報してみたらあっさりと捕まった。ドラレコつえーです。
でも、煽り運転されやすい。安全に運転したい。アイツラは鉄の箱で生身を脅かす。そしてまたバイク乗りが一人減る。
次に盗難。やべーよ地球ロックなんて今どきもうダメだよ。この間もロック弄くられた跡あったよ。
デイトナのストロンガーロックを新たに取り付けたら来なくなったけど、パクる気満々すぎる。隠しカメラも付けたけど今の所映ってなかった。
道路交通法守らんやつが多すぎる。自分の身を守るのに道交が大事だって気づいてくれない。バイクだからどこでも通れるみたいな自転車の感覚で乗る人増えすぎ。
ビクスクでそれをやろうとして、車体の幅も理解できてない子が車の側面擦った挙げ句に車のドライバーとやり合いになってるのを、最近何回か見かけた。
何のために教習所行ったんだよって思う人多いんよ。
原付もそう。自転車の感覚が残っているんだろうけど、だからといって歩行者と同じ道を走っていいわけじゃないってわかるよね。
名指しで言うけど、ウーバーイーツお前です。何度も見かけたぞ。
MTに乗るライダー、あんたたちも大概や…。バイパスなんかでトラックの横とか平気ですり抜けるけど…死ぬし、ネズミ捕り居るって教えてるのに捕まってしまうのはなぜだ。
俺のバイク速いだろーってドヤ顔で走ってるのか知らないが、俺の目の前で華麗に事故って動かなくなったライダーが居たよ。
私には推しがいる。私はオタクで、推しは比較的長年の推しである。
何故比較的かと言うと、私はそのジャンル、そしてその推しと出会えたのが遅いオタクだったためだ。大雑把にどんぶり勘定して四捨五入すると新参である。
夜中に眠れなくなってこの考えに取りつかれたのでこんなものを書いているので、眠気が来たら放り出すに違いないが、もう1時間以上そのことが頭をグルグルしていたので吐き出すしかないと思ってこんな文をしたためている。もうすでに眠いまである。
私の推しはとあるゲームシリーズに出てくるキャラである(以降、推しをAと称す)。
私はAのファンだ。だが一般的なファンとはAのとらえ方が違うのも知っていて、自覚している。クソオタク、いわゆるモンペと呼ばれる過激派のファンだった。いや、今も過激派のファンなので現在進行形の~ingである。
こんなものを書くにあたって、ジャンルとAファンに火種を投げ込みたいわけではないので明言は避けるが、最後まで読んでしまえばゲームシリーズを知っている一部のオタクにはわかってしまうかもしれない。
これは私の気づきと、私の精神的ショックを言語化したいがために書いている……要するに自分のための掃きだめチラ裏の話であるので、ゲームジャンルにもジャンルのファンにも迷惑はかけたくないのでそこは留意してほしい。
Aとの出会いは、そのゲームシリーズにて公式が出してくれているクロスオーバー作品だった。クロスオーバーの意味が分からん?そこは自分で調べてほしい。
カンの良い方はもしかしたらここで気づいたかもしれないが、とりあえず話を進める。
私は十年ほど前にそのクロスオーバー作品をプレイして、初めてAと出会った。
Aは傍目から見て割と能天気で、ちょっと不愛想で、ちょっとボケている子である。腕は立つけれど基本的に物事にやる気が無いタイプ(と言うといわゆるやれやれ系・昼行燈系に思えるが、ちょっと違う)だ。
いつもはあまり気に留めないタイプの子だったが、珍しく気に入った。
主な理由としては、そのクロスオーバー作品においては好感度のようなものが存在しているのだが、他のキャラは好感度が低いうちはみな不愛想であまり主人公に優しくない。まあ正直な話当たり前である。
だがAは初対面から他のキャラと比べて主人公に対して割と対応が甘かった。のですっかりうっかり「優しい……好き……」と気に入った。これだから童貞は困る。
時は流れ、クロスオーバー作品をプレイしクリアし、好きだな…と思ったキャラの出ている本家の作品に手を出すことにした。
そして本家をプレイしたらAにものすごい勢いでハマった。当時、青天の霹靂レベルでドボンしたし、二次創作もめちゃくちゃしたし、死ぬほど妄想した。もう一生分くらい当時妄想したが、まだ今も現在進行形(~ing)で妄想している。多分今後もする。
当時、私がAの出てくる本家をプレイしクリアした直後あたり、その時はたまたまジャンルが活発で、楽しく創作できた。
だが闇落ちした。(私が)
理由は簡単で、私とAに対する周囲のファン(これは創作をしているタイプのファンの話ではなく、世間一般的な本家ファンのことだ)のAの解釈が180度違ったためである。
要するに拗らせすぎたのだ。というかAを拗らせすぎて本家作品のアンチと化したし、私は未だに本家ゲームの2週目が出来ないでいる。
十年好きなのに……?と打ち込みながら首をかしげてノリツッコミしてしまう羽目になった。正直我ながら難解だと思う。
どこに出しても恥ずかしいレベルの害悪クソモンペに成り果てた私は、それでもAが好きだった。
Aを取り巻く環境が、素晴らしく美しく優しいものであることを願ってやまない。どれだけAに対する感情が拗れまくって本家アンチと化してソウルジェムが濁ったところで、この感情を否定することは誰にもできない。
だが、先ほど気づいてしまった。私は本当にAのことが好きなのだろうか?
前置きが長すぎたが本題だ。多分本筋の方が短い。あともうすでに眠いけど描き終えてから寝たい。
ここで基本的な説明になるのだが、クロスオーバー作品というのは大雑把に分けて二種類に分類される。
ひとつは、キャラたちが集結する舞台は、キャラ本人達にとっては異世界であり、本家の仲間たち(ないし敵対している敵役)との関係をそのままスライドして持ってくるパターン。
もうひとつは、全くどこにも関係のない新しい世界で、集結したキャラたちが現地人として生まれ現地人として新しい世界の地元で育つパターン。
私がAと出会ったクロスオーバー作品は、後者だった。それだけなら別に問題はなかった。
ただここで問題なのは、私がAに出会ったクロスオーバー作品では、【Aの出てくる作品の関係者が、A以外一人も参戦していなかった】という点である。
要するにめちゃくちゃ短絡的な説明をすると、【本家に出てくるA】と【クロスオーバー作品に出てくるA】は別人である、という話なのだ。
何が問題なのかわからないオタクもいると思う。順を追って説明する。
【本家のA】は、幼馴染がいて、田舎の人間で、割と重い過去があって、ひょんなことから冒険に旅立つことになる。
【クロスオーバー作品のA】は、主人公がいる街に一人でいて、幼馴染もおらず、とくに過去の話もされない、だがやたらに腕の立つ一般人、みたいな立ち位置だ。
【本家のA】にとって、幼馴染がいること、田舎の人間で重い過去があること、というのは非常に重要なファクターである。
なんならAのアイデンティティがそこにぎっしり詰まっていると言っても過言ではない。というかむしろそこを抜いたら何が残るんだ?という勢いで大事な部分だった。
だが、【クロスオーバー作品のA】にはそれがない。一切、ない。
幼馴染はいないし、田舎にはいないし、重い過去がない。何もない。Aを構成するうえで恐らく一番とびっきり重要なはずの部分が、ごっそりと抜けている。
だって、私がAと出会ったクロスオーバー作品には、Aの関係者が一人も参戦しなかったから。
だから、勢い言ってしまえば、【本家のA】と【そのクロスオーバー作品のA】は見た目がそっくりの別人である、と言えてしまうのである。
Aが好きだった。クロスオーバー作品で出てくるAがきっかけで本家のAも好きになった。
けれど私が愛していたのは、もしかして本当のAではなかったのだろうか? そう気づいた時はなんかもう、眠れなくなってしまった。
キャラクターに関する土台は大事だ。それはキャラクターだけではなく、実在の人間にも言えることだ。
オタクはよく、本家がキツすぎたり鬱展開が酷すぎたり推しが死んだりすると、妄想で「もし〇〇がこうだったら…」というIFの話をする。画面の前のオタク諸兄にも少なからず身に覚えがあると思う。
別に鬱展開が酷すぎたり推しが死んだりしなくても、もしこの時ああだったら、もしあの時こうだったら、と考えることはよくあるだろう。
IFの話で、本当に極端な話をすると、もし男のキャラが女のキャラだったとしたら……という場合(いわゆるTSやら先天性女体化など)、そのキャラが生きてきた環境は180度変わってしまうだろう。
下手したら一人称も違うだろうし、多分境遇も全く違う人間になってしまう気がする。
【本家のA】と【クロスオーバー作品のA】は下手すると男キャラが先天性の女キャラになってしまうぐらいに、境遇が違うのである。
なんというか、私は「本編が鬱展開のジャンルで、公式が出してくれている公式スピンオフ学パロを先に読んで、そっちからハマった」みたいな状態に近いのだと思う。
だって私が最初に好きになったAは、幼馴染もいないし田舎の人間じゃないし重い過去も無いのだ。仲間キャラも一人も交友関係にいない、もはや別人だ。下手すると学パロよりキャラが違う可能性すらある。
実はゲーム中で明言されていないだけで、実際は【クロスオーバー作品のA】にも幼馴染はいるし田舎の人間だし重い過去があるのかもしれないが、【クロスオーバー作品のA】からはそんな空気が一切読み取れなかった覚えがある。
私は、正直なところ本家ゲームのアンチになってから改めて「クロスオーバー作品のAはとても可愛いなあ」と思っていたのだが、そのAは本家のしがらみ全てから解き放たれていたのだった。
幼馴染はいない。田舎の人間じゃない。重い過去もない。ただ能天気でその日暮らしで、時々主人公に付き合って戦ってくれる、そんな【クロスオーバー作品のA】は私の理想だった。
でも、【クロスオーバーの作品のA】は私が好きになった【本家のA】とは別人だ。生きてきた境遇がまるで違うのだから、よく考えると容姿がそっくりなだけの別の人間だった。
でもそれは本家の作中で人知れずに苦しんでいた(しかも周囲が誰も気づいてないし、下手するとプレイヤーも全く気づかないし、むしろ自分すら気づいてない難儀さのある)Aとは違う存在だ。
私は何もないAのことを望んでいたのかと思うと、どうにも眠れなくなった。いや、まあだから多分本家アンチに成り果ててたんだけど、今さらの気づきだった。
Aの幸せとはいったい何なのだろう……私が好きなのは誰だったんだろう……と色々考えてしまってわけわからなくなったし、今も何書いてるのかよくわからなくなってきた。
そうは言ってもやっぱりAのことは大好きだし、多分今後も一生推すし、それはそれとして多分本家アンチから脱却できないんだろうなと思う今日この頃である。
余談だが、そのゲームシリーズのクロスオーバー作品はいくつかあって、Aが出てくるクロスオーバー作品で、Aの幼馴染が出てこないのは私が最初にAと出会ったその一作品だけである。
やっぱ幼馴染いないとダメだし、あの過去じゃないとダメなんだよな……と改めて諦念の姿勢で受け入れる気持ちになってきた。
二週目、やろうかな。十年ぶりに。