はてなキーワード: 馬の骨とは
「じゃあ小説読めよ」←まちがい
ゲームとして遊ぶことによってプレイヤーとキャラクターは一緒に冒険した仲間になる(と人間の脳は錯覚する。理性により現実と空想の区別はついているのだが、全ての部分において区別しきれておらず、あたかも一緒に冒険したかのように錯覚する事を完全には止められないのだ。)
一緒に旅した仲間の話だから感動する。
たとえば身内が甲子園に出場したらすっげええええええええぇぇぇぇeeeeee!となるけど、他のどこの馬の骨とも知らん甲子園球児一人一人に対してはふーんすげーぐらいしか感じないだろ。
TBS「マツコの知らない世界」で資料紛失
http://www.tbs.co.jp/matsuko-sekai/news.html
https://kobayashi-shiryoubunko.jimdo.com/t16/
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/matsuko-sekai?utm_term=.hm5q9jwYR#.qmgNM4DBP
また下請けの下っ端がやらかしたのかと思うと同時に、そんなに貴重な物をなぜホイホイ貸せるのが理解出来ない。
自分もコレクターの端くれだが、収集物は家族にだって触れて欲しくない。価値観の違う人間にとってはガラクタかもしれないが自分にとっては宝じゃん?それをどこの馬の骨とも分からない奴に「テレビで紹介してやるから無料で貸せ」と言われて差し出すか?
今回の資料なんて素人が見ても貴重な物だと分かるのにこの始末。これがもっとマニアックな物だったり他人に理解されない物だったら表沙汰にもならなかったんじゃないか?
それに自分の目の届かない所でどんな扱いをされるか分かったものじゃない。放り投げられたり、コースター代わりに使われているかもしれない。借りた物を返すという小学生レベルの常識すら守れない連中だぞ。
今回の事件は100%TBSと株式会社BIGFACEが悪いけど、善意なのか自慢したい欲なのかは分からないが安易に貸してしまった小林氏も次からは気をつけた方がいいと思います。次は無いと思うけど…。
先に言っておくぞ。
もういろんな人に言われたことだろうけど、あえて言うぞ。
いいか? この世に蔓延っている批判っていうものの大半は「プロの客が人の作ったものをけなしている」ってだけなんだ。
いろんな作品をプレイして目が肥えてると思ってるおめでたい連中の自己満足だ。
だから見る価値もないし、気にする必要もない。便所の落書きだ、あんなもの。
しかも、批判の殆どは誤読だったり理解力不足だったり視野が狭かったり、批判する本人が原因で生まれたものだ。
そういった相手の能力不足が原因で生まれたものに真面目に向き合う必要はないだろ?
攻撃的な批判をするやつは、ゼロからモノを生み出すことの苦労を知らないやつがほとんどだ。
『知ってるよ』って言う奴がいたとしても、実際に経験した人はほぼゼロと言っていいだろう。
そういうやつが出来ることなんて、よくて理想のゲームを妄想するか、ブログの更新、あとはツイッターでクリエイターの監視をしていることくらいだ。お前がやられたように。
そんなやつらが何かを作ったところで、それは絶対にお前が作ったものよりクオリティーは下だ。断言する。
それにな、そういうやつらが他人を批判()するときって「ゴミ」とか「クソ」とか「地雷」とか同じ言葉しか使ってないだろ?
なにがどう最悪なのかも語らずにただ「最悪」と評してたりするんだろ? それって説明する能力もないってことなんじゃないか?
というかな、ネット上のどこの馬の骨かもわからない人間の意見なんて気にしても仕方ないだろ?
「俺はこれが面白いと思うんです! あなたはどうですか!?」って大勢の人に投げかけたいんだろ?
そりゃ感性だって人それぞれだから、中には否定的な意見も出てくるよ。でも完全にダメだって人は勝手に立ち去っていく。
それでも残っているって人は、きっとどこかに好きなところがあるのかお前の才能に嫉妬してるんだよ。
批判を批判する人のツイートを見てうなずいたり、小池一夫のツイートをいいねしたりリツイートして言い返した気になってる場合じゃないぞ?
結局は批判なんて見ないのが一番なんだ。
僕はこの犬から色んな事を学んだ。
ある日彼女の寝床に血痕を発見し、母にひょっとすると酷い怪我をしている可能性があると訴えたが、大丈夫だよとの根拠の無い回答にイラついたが、犬はなるほどそういう物なのかも知れないと諦め、世の中には自分の知らない事が結構有りそうだという予感がしたのだった。
我が家には雑草の生い茂る4坪ほどの空き地があった為、この四方を鉄柵で囲って彼女が自由に活動できるようにしていた。
小学三年の頃になると、餌をやりに鉄柵を開けると一目散に彼方へ逃げて行き、朝まで戻ってこないという事案が頻発するようになった。
帰ってきた彼女を父が叱責し、体中から悲しみのオーラを出し服従のポーズを取る彼女の姿が忘れられない。
しかし彼女は脱走をやめなかった。時には鉄柵の下に穴を掘って抜け出していた。
ある日母から、彼女が赤ちゃんを産むことになったと知らされた。なるほど犬はそういうものなのかも知れないと思ったが、家族の話を聞いてると、どうも夜な夜な脱走している事と関係があるらしい
とにかく子犬が早く産まれて欲しかったので、細かいことはどうでも良かった
冬の寒い時期に無事出産したが、5匹産まれて、1匹はすぐに死んでしまった。
目のまだ開かない彼らに小指を差し出すとちゅうちゅう吸ってきて可愛かった。
地方紙の通信・広告欄で里親を募集、4匹とも引き取られていった。
何やかんやを繰り返し、小学5年の頃に彼女は2回目の出産で4匹の玉のような愛らしい仔犬を産み3匹は引きとられ、1匹は貰い手がつかず、育てる事となった。
この二世は毛の模様が母親そっくりのメス犬で、2匹は楽しく暮らしたが、
体の大きさが同じくらいに成長した頃、母親は車に轢かれて死んでしまった。
中学2年のある朝も彼女は居らず、今日もどこぞの馬の骨に抱かれに行ったかと思いながら歩いて登校していると、道端からぴょこっと現れて、どこまでも付いて来たので、最悪な気分で家へ連れて帰ったということもあった
じきに生涯一度だけとなる出産を経験し、やはり4匹がこの世に生を受けた。
体格がよく、毛並みのいい3匹は里親に引き取られて行ったが、大人しいハイエナみたいな毛並みのメス犬が残った
三世として伝統を受け継ぐはずであったが、二世と一緒にハイキングに出かけ、翌朝二世だけが帰宅し、その後三世が戻ることは無かった。
「糖尿病になりにくい人の特徴とは?」とか「効果的なダイエットの方法!」みたいなWelqWelq(ウェルクウェルク)した、情報の出処もわからん記事を何の恥じらいもなく出せる神経がわからん。
せめてソース貼れ。もしくは元記事のURLだけ貼っとけ。読みに行くから。
まとめてくれてるのはありがたいけど、どこの馬の骨かも知れない奴に自分の健康を委ねたくないんだよ。それともお前は医者なのか?保証してくれるのか?
結局そのソースを自分で探さなきゃいけない。その手間が惜しいんだ。ありがた迷惑なんだよ。
ある奴なんて俺が「情報の出典の記載をお願いします」ってコメント欄に書いた(し、投稿者からスターがついたけど)その次の健康記事もやっぱりソースなしだった。節穴なのか?
ここは二次情報のたたき売りか!フリマか!3つで100円か!年末年始のブックオフか!
そして互助会会員は何でそんな記事にブクマしてんだ、「参考になります」「怖いですね~!」じゃねえんだよ、全然参考になってねえんだ、こっちは。
お前らの頭の空っぽさが怖いよ!
もっとマトモなこと言えよ、せめてさ!牽制し合うんだよ、「ソース貼れ」「ここはwelqか」「クズ記事あげんな」(まあそんな殺伐とした言葉が飛び交う互助会も怖いが……)
言っとくけど、俺は健康系の記事が読みたくないんじゃない。信頼できる情報源があればちゃんとありがたがるさ。記事を読むさ。でもそうしようとしないんだもんみんな。
たまたま上がってきてて、読んだらいろいろ思うところがあったので書いておく。長い長い自分語りになるが許して欲しい。
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元増田とおなじく、私も両親は高卒、親戚もたいていが高卒で働いている。
ただなぜか親が教育熱心だかなんだかで、塾に通わせてくれたし、まあまあそれなりの高校に行くこともできた。
高校の頃からだいぶ成績が怪しくなったものの、なんとか地元の国公立大に進学できた。
中学の頃の友人はたいていが高卒で就職してて、大学入学した時にFacebook見たら就職しました、って書いててすげえなって思った。
大学入ってからはよくある自堕落生活、単位は常にギリギリである。その上就活も面倒臭くてあんまりちゃんとやらなかった。でもたまたまプログラマとして雇ってくれる会社があって、そこに就職した。
何処の馬の骨ともわからぬようなアホな学生をプログラマとして雇い入れるような会社だ。今となったらそりゃ大変なことになるよなあと思うのだが、当時はこれでやっと親を安心させられる、独り立ちできる、という一心で働いていた。その結果、メンタルおかしくなる一歩手前まで行った。こっちで知り合った友人が「落ち着け」って言ってくれなかったら、今生きてるかどうかさえ怪しい感じだ。
で、私は考えた。どうすりゃこの地獄を抜け出せるんだ、と。
考えに考えまくった結果、会社の外に見える実績を残せばなんとかなるんじゃね? と考えた。それで、勉強会とかカンファレンスで話したり、コンテストやハッカソンに出たりした。体力的にはかなりしんどかったけど、何より楽しかった。外の世界にはこんなに面白いものがあるんだって分かった。
ただ一つだけ思い違いをしていた。会社にバレなきゃいいと思ってたんだが、バレた。バレたら、怒られた。なんでそんなことするんだ、会社で使う技術だけを勉強してればいい。そんなことを言われた。とても凹んだ。それと同時に、やっぱりこんなところにはいられない! って思った。
それまでまともに転職活動をしてこなかったので、このタイミングでやっと面接を受けはじめた。ハッカソンや勉強会を主催してる会社を受けた。好印象だったかどうかは知らないが、なんだかんだで話を聞いてもらえた。そして今の会社に受かった。地方のよくわからん大学から直接入るのは難しそうな会社だ。実際、大学時代の恩師にも「まさかそこに転職するとは」と言われた。
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世の中にたような境遇でも、辿るルートが違うとこんなことになる。
就職してもう何年か経つけど、未だにすげえ楽しい。新卒の頃がなんだったんだってくらい。
だから、大都市には夢があると思う。掴めるかはさておき。そりゃ要領いい人はサクッと掴むだろうが、私のように面倒臭がりでどんくさい人間はなかなか掴めない。それでも諦めず、策を練って立ち向かえば、まあなんとかなるときもある。今はそう思う。転職前は絶望しかなかったけど。
翻訳の仕事を片手間にやってる。単語・文字数単位ではなく拘束時間単位で、多分単価は安いんだけど、本業の傍らでやってるだけだし、とりあえず実績を付けるためにやってるので待遇の面ではそれほど不満はない。が、泣きたくなるのは前任者の翻訳をリバイズしている時。何故かって言うと、私視点では「ありえないくらい」酷いから。流石に機械翻訳レベルではないが、英語がそんなによくわからないなりにテキトーに訳しているという感じ。
今覚えてる限りだとこんなんがあった。
Fall under the spell of ○○ → ○○の秋……
いやあ…fallは確かに「秋」だけどさあ、それだと意味おかしくなるでしょ…
で、だ。テキトーに訳しながらも、なんとか日本語に移し替えているのならまだ好感が持てる。まあ、日本語的に読める文章でも間違ってる部分はどちらにせよ全部直さないといけないので私は楽にならないんだが、これは実質的に杞憂。
なぜなら日本語としてもヒドイから。私も日頃日本語でコミュニケーションしてないから、文章力に絶大な自信があるわけではない。でもなあ、流石に仕事での翻訳に「子供っぽい」文体を使おうとは思わない。いや、誰もやらんとは思うけど、私の目の前に広がっているのはまさしくそんな「子供っぽい」翻訳文なんだ。
で、ね…この「お子様文体」で書かれた、原文が存在しない文章の存在に私は本気で頭を悩ませてる。最高に厄介なのが、問題をクライアントに説明しにくいってとこ。日本語文の「子供っぽさ」を「公正」に他の言語に翻訳できる自信は、私には、ない。スラングを使うことも考えたが、スラングは必要以上に文体を歪めてしまうから。問題なのは、ギリギリ許容されうる範囲内での言葉遣いの拙さであって、スラングのようにそもそも許容範囲外の拙さではないってとこなんだ。
とはいえ、原文も酷いと言えば酷い。英語ネイティヴが書いてる(らしい)から文法的には間違っていないんだけど(ただしところどころにtypoが残ってて何故か私が指摘してる)構成がマズくてわかりにくい。
まず、虎頭蛇尾というか、文章の後半に関係代名詞や分詞構文(って言うんだっけか?)でアレコレ「本来の文とは関係が薄い内容」付け足すので、文として意味不明になっている。何とか意図を想像して訳せないことはないが、できれば添削してから翻訳に回してほしい。
更に、内容的繋がりが薄い文章が一つのパラグラフに押し込められている。パラグラフの長さ的にはまあ許容範囲?とかそういう観点なの?うん、でもね、違う、そうじゃないんだ。内容があっちこっち行っちゃう文章は読むのが大変なんだよ。
本業が忙しくなってきたからこの仕事は辞めるつもりだけど、一つ得られるものがあったとすれば、それは「怪しい日本語の翻訳文書が非日本語母語話者による翻訳とは限らない」という知見を得られたこと。
それまでの私は、日本語ネイティヴが翻訳を行うなら、当然ある程度の水準以上の文章を出力するものだと思っていた。ただ、様々な理由により、読むに堪えないレベルの翻訳文書が、日本語ネイティヴから回ってくる、と言うこともあるのだということ。
これを防ぐには、(どこの馬の骨ともわからない)個人を直接雇用するのではなく、内部で品質チェックを行う(であろう)翻訳事務所を通すべきだと思う。
思うんだけどさ、そういえば大昔、これとは別件でクソみたいな翻訳文書をほぼ丸ごと添削して翻訳事務所に送り返したこともあったなぁという珍事を思い出した。
まあ、なんだ。JASRACに因縁をつけて「カ○ラック」呼ばわりするのはよろしくないと思う。ただし間違えるはずのない、基本的な部分を間違えた場合にキツく指摘する事は許されると私は思う。特に、著作権者から著作権の管理を一任されている責任ある組織だけに。
http://www.jasrac.or.jp/news/17/0227.html
手短にまとめると「クラシック」は西洋音楽の流れを汲む「芸術音楽」のこと。まあ何が「芸術」かというめんどくさい話はおいておくとして、クラシック音楽の中には現代(またはそう遠くない昔)に作曲されたものもある。ここがポイント。つまり、クラシックの楽曲の中にも当然著作権が存続してる作品もある。ところがJASRACは「著作権が切れた楽曲の例」として「クラシック楽曲」をあげている。おかしいよね。
模範解答は
「著作権が切れた楽曲のみを演奏する場合は管理の対象となりません。クラシック楽曲の中にも著作権が切れていない作品(例えば作曲者の死後50年を経過していない作品)もありますので、ご注意ください」
でしょ。
まあ、重箱の隅なんだけどね、想定Q&Aに不正確な記述を入れるのはNG。どこの馬の骨ともわからない匿名の有志が行うのならまだしも、著作権管理団体がこの程度じゃイカンでしょ。「クラシック音楽」のことをよく知らないって言ってるようなもんですよ?で、そのクラシック音楽の作品の権利を日本において守るのは、JASRACさん、あなたでしょ?
「がらく」はまあ多くの人にとっては「伝聞」の話でしかないけど、「クラシック楽曲=著作権切れ」はネット上で公開されたポカである。致命的とは言わないけど、こんなのが日本の著作権管理団体だなんて、不幸だわ。
#ここまで書いて改めて考えたんだけど、「クラシック楽曲などの著作権が切れた楽曲」を「クラシック楽曲のうち著作権が切れた楽曲」のように解釈できないかなぁとも考えた。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
それは手の甲か、平かで変わってくるな。
手の甲なら、それは君が自分の鼻くその処理に困ったときの数だ。
だからといって食べるんじゃないぞ。
それは君が家に貼ったシールの数だ。
厳密に言えばなかったことになる。
これは今まで隠れていた鼻毛の長さに驚いた数だ。
指の間に数字が浮かび上がった場合は、陰毛を引っ張った時に一度に抜けた数の最大値だ。
爪に数字が浮かび上がった場合はレシートを使えば綺麗に落とせるぞ。
構わない。
もちろん、私が不真面目だとか薄情だからということではなくて、他の人に尋ねても本質的には同じだ。
今日の夕飯の献立を考えるのと、どこの馬の骨とも分からない者の身の上話について考えるのと、どっちが大切かなんて考えるまでもない。
君だって、誰もが書けて誰もが見れる場所にいる人間かも分からない者たちに、人生を委ねようとは思わないだろ?
ああ、だが誤解しないでくれ、人の話を聞いていないときにやる指のささくれを気にする行為よりは遥かに有意義だとは思っているから。
お前は親不孝だって言われたから私は今後も親不孝らしくそれを貫き通そうかなって思ってるんだけど。
一番上の姉は結婚してもう何年も経つけど子供の話とか全く聞かないし(疎遠だし興味ないからどうでもいいんだけど)、
3人子供がいたら孫をいつか抱けるんじゃないかって親は思ってるっぽいんだけど、叶わないんじゃねっていう。
法事で仕方なく実家に帰った時に親に「孫が見たいなぁ」って話されたけどさ、
そんなん姉に言えばいいじゃんって思ったけど、デリケートな部分だから言いづらいってのは全然分かるから口には出さなかった。
ただ、結婚もしてない私に言われてもねー。
どこの馬の骨かも分からない男の子供を孕んでシングルマザー目指せってか。
まぁいいんだ。私は親不孝なんだから。
そもそも、カプ萌えでも単体萌えでも架空の存在を好きになる時点で親近感や憧れといった自分の中の感情が投影されるので、
自己投影なんてオタクなら大なり小なりしてて当然だと思うんだけど。
自分は受けに自己投影している自分を自覚している腐女子で、商業BLは読まず、二次創作オンリー。
はっきり自覚した時から夢小説や夢漫画もチェックしてみたけど、どうしてもあまり好きになれなかった。
(ここでいう「夢」は原作キャラと恋愛したりセックスするタイプのものを指す)
理由は簡単で、夢主人公は多くの場合「原作にいないオリキャラ」だから。
なんでキャラに自己投影するかっていったら、そいつが好みだったり憧れだったり親近感があって、その原作世界に生きていることが大事なわけで、
ただ「原作に介入したい」「原作キャラと交流したい」という動機で作られたオリキャラではダメなんですよ。異物感がすごい。
NTRものを読んだような気分になり、「なんでこんなどこの馬の骨ともしれない奴を好きになってんだよ」という嫉妬が湧いてくる。
早い話が"作者がチラつく"ということ。
「自分を見たくない」んじゃなくて、原作世界に割り込む「他人を見たくない」のだと思う。
(逆に、そういった異物感を意識しないで夢系作品に没入できる人は羨ましいと思う)
(そしてそれとは別として、原作キャラとしての視点を書き手や読み手と共有することで、ジャンルやカプクラスタとしての一体感、
共有意識みたいなものが生まれると思う。それの良し悪し、交流する・しないは置いといて、自分はこの一体感が好き。
夢だとこの一体感が味わいにくかった。刀剣乱舞なんかだと女審神者が一大規模だけど、見た目や設定も千差万別だし、
自己投影してるって言うとじゃあ夢でいいじゃん~みたいに言われるけど、そうじゃないんだよなぁ…。
追記
ツイッターの嘘だとかデマだとかの晒しを見るたびに、ツイッターの書き込みなんか嘘前提で見たほうが良いし、そういう認識を早く持ったほうがいいと思う。
これが2ちゃんねるだと、いくら嘘を書こうが少しバカにされる程度でお咎め無し(法律に触れるのはさすがにアウトだけど)なのに、ツイッターだと大騒ぎになるからな。なにせ2ちゃんねるの書き込まれる内容は嘘が多いという、暗黙の了解が出来上がっているから、しょうもない嘘なら相手にされんし、ネタ的な内容ならコピペ化して楽しまれる。ツイッターだと逮捕者まで出した、熊本地震のライオンのデマも2ちゃんねるの書き込み発なら、相手にもされなかっただろ。おそらくスレ内で少々ネタにされて、はい終わり、という程度くらいにしかならんと思う。
悪意を持って書き込む人、他愛もないネタとして書き込む人、単なる勘違いで誤った情報を書き込む人なんてどこにでもいるんだし、2ちゃんねるは基本的に嘘が多いという空気になっているんなら、ツイッターもそういう空気になってしかるべきだと思うけど、なぜか信用する人が多いのが奇妙なところ。ツイッター上で繋がってる人なら、どういう人かだいたいは分かるから、そこで信用する/信用しないはまだ判断が付くけど、リツイートで回ってくる情報なんて、どこの馬の骨か素性の分からない人からの情報で、わざわざ調べずにその書き込みしか目に入らないんだから、2ちゃんねるの匿名書き込みとほぼ変わらんよ。
こう言うと、そんなことはないと言われそうだが
体育館のステージには誰でも上がることができて、そこでマイクを使って喚き散らすことができる
聞かれたところで野次が飛んで来るかもしれない
もちろん名前を明かしたり、名前をつければ傾聴する人が出てくるので、格差は出る
権威もなく、どこの馬の骨とも分からない弱者も、一つの意見を発することができる
誰かのココロに刺さることを言えば、拡散されてそれはやがて大きな意見になる
言葉には色がつかず、いつでもソースを辿ることができ、リアルのような不確定さも薄い
しかし同時に気がつく
結局のところ、視点が分散されるから、自分の言うことなんてほとんど聞かれないし
誰かのココロに刺さるような事を言わないと歯牙にもかけられない
自分がいかにちっぽけな一個人なのかと絶望したことはないだろうか
それにリアルにおける、有能な有名人と凡庸な我々という構図はインターネットにおいても存在する
インターネットは、ただただ厳しくも優しい平等という現実を実現し続けているだけだ
テレビの視聴者が突然テレビの中に入ってぎゃーぎゃーとまくし立てることができるだろうか
インターネットならできる、できるのだ
いざという時は、誰も聞かずともステージに上って叫ぶべきだ
ここではそれが未だ許されているし
私は、インターネットにはずっとそうあって欲しいし
できればその手伝いがしたいと願っている
と最近の色々を見て、改めて思ってたのだけど、その一因が先ほどふと分かった気がする。
というのも、「庵野秀明は新海誠への嫉妬で燃えているに違いない」というどこぞで見かけた馬の骨の因縁ツイートがあまりにも自分のイメージと違うことで、何かそこにメンタルヘルス用語で言うところの投射があることに気づいたからだ。
まず、このツイートが根本的に見誤っている事実として、庵野秀明という人物は、あの業界の人間にしては極端に他人に対する競争意識というのが低い。
少なくとも、表立ってはそれを感じさせない人物だ。
今までそれと意識した事はなかったが、改めて探してみると、他人への嫉妬や妄執が感じ取れる言動というものが本当に少ない。
自分以外のクリエイターの作品はまず肯定的に評するし、作品を比較して善し悪しを語るということにも熱心ではない。
富野由悠季の『そういう部分』をリスペクトしている割には、本人は驚くほど『競う』とか『順位を争う』とかという発想とは無縁の人物だ。
その代わりに顕著なのが、強い自意識だ。
ここで用いる言葉は、自尊心ではなく自意識、というのが妥当であるように思える。
ある種、究極のナルシストとでも言うべきか、他のクリエイターと自分との力関係などまるで我関せず、ただ自分がどれだけ自分を見てる人に印象的に映るかということだけを考えている感じだ。
『自分と自分の客』だけが世界の全てであると言っても良い人なのだ。
そういう意味で、セカイ系とかいう古くさい言葉で語られる彼の作品類型は、彼に見えている世界観そのものであるという事が改めてよくわかる。
当然の帰結として、庵野秀明が強い悪感情を抱くのはただ一つ、『悪い客』だけになる。
庵野にとっては同じ業界人などライバルでもなんでもない。ただ客だけが自分の戦うべき敵であり、「自分を分かってくれない」悪い客だけが究極の憎悪の対象なのだ。
幼稚と言えば幼稚なのかも知れないが、庵野にあるのは「なんで必死にがんばってる僕をわかってくれないんだ」という承認欲求だけで、それ以外の事は良くも悪くも何も考えていないのだ。
エヴァンゲリオンの、俗にいう『旧劇』は、庵野の強い憎悪・ルサンチマンの産物であるという事実は有名だが、それはあくまで『悪い客』に向けられたものだ。
庵野は、気に食わない批評家、もっと有り体に言えば『オタク』に負けるもんかと闘志を燃やす事はあっても、かつて一度たりと同じ業界人に対する『対抗意識』で燃えた事などはないのだ。
しかるに、庵野がことさらに嫉妬されがちな人物で、また冒頭に書いたような「若手を嫉妬しているに違いない」などという頓珍漢な言いがかりをつけられまでするという事実は、非常に興味深い。
庵野という人物は、常に競うという事とは無縁で、ただ『自分』を分かって欲しいという自意識だけでここまで来たクリエイターだ。
その事実は、取りも直さず、庵野秀明がオンリーワンであり、別の言い方をするなら「自分がトップに立てる土俵でだけ戦って来た人物」であることを意味する。
だがそれこそが、自分で土俵を作れず、他人と競う、オンリーワンをナンバーワンとして嫉妬するということしか出来ない種類の人間には、もっとも攻撃されやすい属性なのではないだろうか。
究極のナンバーワンであるオンリーワンの庵野は、彼らの目には常に妬ましいものとして映るだろう。
なんとかして、自分たちと同じ『競争』のルサンチマンに庵野を引きずり込みたい。
庵野が気にした事もないような『軸』で、庵野がナンバーワンでなくなる軸で、庵野に嫉妬して欲しい。
そんな願望が、このツイートのような、あまりにも庵野のキャラクターと齟齬を来す『勘ぐり』として現れるのではないだろうか。
彼らは往々にして、実際には自分で戦う事の出来ないただのオタク、つまり『観客』だ。
庵野秀明が新海誠に嫉妬して闘争心を燃やす事はまずないだろうが、このような、新海誠を出汁にして、庵野にいちゃもんをつけたがる『観客』がいる事実は、まだまだこれからも庵野を奮起させ続ける可能性が、まあ、確かにある。