はてなキーワード: 進学校とは
1ヶ月ほど連絡がなくある程度察してはいたのだが、まさかの失踪である。
友人の年齢は27歳。まだ公務員に挑戦できる年齢のはずだ。
もともと彼は、任期制の自衛官を経て地元の運送屋で働いていた。
「会社の将来性」だとか「職場環境」といった、極一般的な不満を抱いていつのまにか運送屋を辞め、公務員浪人に突入し現在に至る。
浪人中は3ヶ月に1度程度の頻度でご飯や旅行にも行っていたが、時間が経つにつれ元気が無くなっていったことは、友人として感じ取っていた。
「親しい友人と言えども、あくまで他人の人生の選択だしなぁ」などと考え、仕事の話には全く口を出さずに友達付き合いをした。
そんな中での失踪。
共通の友人に話を聴いたところ、彼は失踪直前にあることをしきりに言っていた。
「君たち(私たち仲良し何人か)が僕を遊びに誘うから、試験に落ちたんだ」
つまり、友人である私や仲の良い数人のグループに責任があると言っているのである。
これに対して私は、「友人として普通に付き合ってきただけなのに、なんて言い草だ」などといったことは思わない。
「あ、この言葉!ネット掲示板のコピペで見た奴だ!(進研ゼミ風)」
まさにこれである。
進研ゼミは受験期の高校生であれば誰彼構わず勧誘のDMを送付していることは有名で、私も例に漏れず「あ、この問題!進研ゼミでやったやつだ!」のマンガを受けとっていた。そして、同級生たちとそのマンガの登場人物たちのレベルの低さを嘲笑っていたのである。
公務員浪人の友人が、どこかでみた真実とも創作ともわからないコピペと同じ状況に陥っているのを、私は高校生時代の気持ちで見下している。
そして、とても暗い興味を持ちながら、続報を待っている。
でもこれって、医学科ではないし単なる医学部受験対策コースってことだよね
看護科で学びそうな包帯の巻き方とか、採血の仕方とか病気に対しての知識とか
そういうことは学ばないのかな?って思う。
それよりかは、少なくとも医療に携わる、看護師、放射線技師、薬剤師、医療事務とか
そういう進路を勧めてほしいと思う。
こんな事書けば、先生・塾教師・親御さんなどわーわー言いそうだが
実際、転職市場で有利なのは前職の役職か資格の保持者なわけです
それと、こんな勉強何に役立つと思いながら勉強してる人多い思いますが
なぜそう思うかといえば、実際に役立つ過程を学んで無いからそう思うのでは。
自分の場合工業高校に通っていたので、数学の基礎>物理>工業的知識と学びました
八割型東京一工地帝早慶卒みたいな人気企業だけどえげつないもん。
親と一緒に死んでくれって上司から言われてる人もいるし、怒ったときに後輩の椅子ごと蹴っ飛ばしてヤクザみたいに罵倒する先輩とかまあ普通。
チョンは死ねw発言をヘラヘラするようなエース社員とかもいる。
こいつは地帝。
差別やパワハラを問題視するような社員がいようものなら痛々しいモンスター扱い。
それでもこのザマ。
あと、みんな進学校で運動部頑張って引退したら受験勉強に打ち込んで…っていう超体制的な学生時代過ごしてきた反動なのか、
姉の話をする
初めに、俺は姉と二人姉弟で、年齢差は3歳差だ。
俺たちは自営業の親のもとに生まれて、今は親父の仕事を俺が継いでいる(とはいえ親父もまだ現役である)
近所の子供は両手に収まるくらいしかいない上に同級生は1人だけ。
そんな田舎で俺達は伸び伸びと成長した、と思う。
俺と姉は割と姉弟仲が良く、遊び相手としてはちょうど良かった。
姉はなんだかんだで弟である俺に甘く、喧嘩はすれど結局は譲ってくれることが多かった。
何かと姉の言動が鼻に付いたのだ。
姉は、弟の俺が言うのもなんだが、そんなに頭がいいわけでもなく(一緒に公文式をやっていた)、俺よりも字が汚く(同じ習字教室に通っていた)、俺よりも運動ができなかった(同じ武道をやっていた)。
言ってしまえば、姉が何かで表彰されるたびに、俺がその一段階上の賞をとってしまったり、身体能力を上回ったりした。
だから多分、当時の俺は見下していたのかもしれない。
姉の優しさに甘えて、姉の言動に一々噛み付いていた。
話しかけてくる姉に、苛立ち、ドジをする姉に虫唾が走り、それでも朗らかに笑う姉にどうしようもなく腹が立った。
その頃の俺は中学生くらいで、生徒会をやったり、部活をやったりと忙しく駆け回っていた。
一方の姉はといえば、第一志望の高校に落ちて、県立の進学校へと通い、中学時代は学年10位以内をキープしていたのとは反対に、学年のワースト10から数えたほうが早いという堕落しきった学校生活だったのだ。
だからそんな姉に、たぶん矛先が向いたのだろう。
そんな姉への反抗期は、俺が姉の落ちた高校に受かり、姉は短大へ進学したあたりで収まった。
気付けば、俺は高校をサボりがちになり、姉は短大とバイトと自分で立ち上げたサークル活動と忙しく駆け回る。
まるで正反対だと思った。
姉は、本を読むのが幼い頃から好きで、小中高と多読者ランキングに名を連ねており、姉が進んだ短大も、司書育成の短大だった。
そんな姉は今、東京にいる。
嫁さんをもらって、親父の仕事を継いで、地元に腰を据える俺と正反対に、独身の姉は東京で派遣社員をしながら飲食店のバイトをしている。
ばぶー。こんにちは。
11歳の男です。
11歳が一番知りたいことは、いかに人気を出すかです。
人気が出るのは、みんなが知らないものを知っていることなので、
なにかしらないものがないかな?と思ってググったら、ここにたどり着きました。
来年開成を受けます。偏差値は70を余裕で超えているので、普通にやれば受かると思います。
まさにごぼう抜きで、一気に駆け上がる快感はたまらないですね。
でも、もう、飽きつつあります(飽きるな)
塾に入ったのは自分の頭の良さを示すためです。
小学校での授業は暇すぎて、時間を無駄にしている気分がありました(それはそうだった)
だから塾には行って、勉強は楽しかったのですが、もう飽きました(あきるんじゃない
それから僕は、余裕をこいて、ゲームを解禁して、遊んでいたらいつのまにか
偏差値ギリギリになって、開成じゃない3番手くらいの進学校に行き、
そこでまた調子をこいて、6年間調子ぶっこき続け、6番手くらいの大学に行き、
そこでまた調子をこいて、こいてこいてこきまくり、就活もまともにやらずに今に至るわけだけれども、
いずれにしてもこうなる運命だったのだろうと納得させるためにこう言った文章を書いています。(そうはいってもまだ希望があった)
一日欠席したくらいで問い詰められるなんて。
自分は有名な公立の進学校だったけど、その日の気分で登校しないでそのまま電車乗って海に行くとか、
授業に出ないで、部室とか音楽練習室で楽器の練習したりとか(音楽進学希望だったので)、
校内の図書館で本を読んでたりとか、全部黙認されてた。
あるとき出欠で「〇〇さん、いませーん」って誰かが答えたそうなんだけど、
って言ってたそうな。
ふらふらしてんの、ちゃんと把握してたんだな。
授業出なくったって、音楽の先生とか、司書の先生にあれこれアドバイスいただいて、勉強っぽいこともしていたし。
本文をうっかり読んでしまうのは時間の無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。
これは一人のクソ女の自分語りだ。
多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクションの小説が好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。
文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。
特に意見やアドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。
そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。
石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。
それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的で趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう。
さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。
私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレの中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。
親に無理矢理突っ込まれた進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値で勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。
結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試のきれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校を受験して合格した。
妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。
彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。
彼は誰にでもそうする人間だ。
そういう人間を私は好きだと思った。
高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛を満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。
彼は時折、家族が留守にしている放課後や休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車をこいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身を他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。
彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。
たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だからと地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。
いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。
部活の大会や模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。
関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。
鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校の卒業も危うくなった。彼のメールを無視し続けた。友人たちのラインもブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。
音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センターも保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。
高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬と睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。
私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業式から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像をはるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校の前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室で卒業式をやってくれた。
さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学に合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。
私は全くもって元気では無かった。
恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。
人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末を説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。
そういうことでお付き合いは継続されることになった。
彼は大学に入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。
私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死に家族に説明し、ひたすら精神科に通った。
彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。
彼はサークルが忙しかった。理系だから男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。
私達はあまり会わなくなった。
彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから。自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。
色々なことがあった。
死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。
私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。
そんな状況を医者は許さず、私は精神科の閉鎖病棟に入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。
看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。
母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。
少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。
これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。
あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。
閉鎖病棟に入院したことがあるレッテル付きの私は母からの罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。
そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。
母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。
彼はおめでとうと言ってくれた。
新調したスーツ、きれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達。
私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。
しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。
私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。
大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。
そういえば私は彼とセックスしていなかった。
呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。
セックスする前に私は酒を飲んだ。
薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。
こんなもんか、と思った。
彼は別にセックスしたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。
その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかったからだ。彼と話すのは楽しかった。
それが数ヶ月前のこと。
それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。
精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠も規則的になった。
兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。
私の生きる価値は無くなった。
ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。
終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。
翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟が一人暮らしをしている家に転がり込んだ。
それから紆余曲折あり、結局兄弟の仕送りで私は生活している。兄弟は大学に行き、私は自分と兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。
もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。
今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。
彼と連絡を取っていない。
これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。
私は多分もう駄目だ。大学は妹宅からは距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。
自分は異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・
彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかもセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛とかいうフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。
友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。
さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学の夏休みの期間を調べている。
でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。
こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。
生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。
そろそろ死んじゃおうと思っている。
メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。
恋愛には向いてなかった。
多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。
罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気を治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。
参ったなあ。
当方30代前半の男。最近周りのプレッシャーに負けて半年くらい前から婚活的な事をしているのだが、どうもしっくり来る相手と出会えない。少々語弊のある表現になるが、「知的レベルが低くて話が合わない」 とでも言おうか。例を挙げると、ワールドカップの話題で、コロンビアが南米にある事を知らなかったりとか些細な事ではあるのだが、絶妙に話題の「深さ」が合わないのだ。
さて、少し自慢になるが私は婚活をする上ではそこそこ条件が良いと思われる。地方の進学校から中堅国立を経て、一部上場企業に勤務して10年ほどになる。身長は175cmあり、フルマラソンを完走できる程度に体も鍛えている。女性とお付き合いした経験もちゃんとある(2人)し、タバコも吸わない。もちろん借金は無い。
そんなわけで、どうして普通に話のレベルの合う頭の良い子と出会えないのかとなんとも言えないモヤモヤを感じていたのだが、気づいてしまった。ある条件がものすごく高望みになっている事に。その条件とは私が一番重視していた頭の良さだ。
今思えば私が20代半ばまでに出会った女の子、地元や大学の同級生だったり、会社の同僚のツテで知り合った子の学力は大学で言えばだいたいMARCH/地方国立クラスだった。そしてこのレベルの子たちとは普通に話が弾んでいた。少し気になって、このクラスの学力の子が男女比半々のクラスでどの位の割合になるのか、玉石混合の田舎の公立中学を例にして大雑把な推計になるが考えてみた。
まず、大学受験の学力が正規分布になっていると仮定する。MARCH/地方国立と言えば偏差値55くらいのイメージ。ざっくり上位30%くらい。上から6番目くらいに頭の良い子に相当だ。まあそこまで高望みでは無いかな。
ふと気付いた。大学の偏差値はあくまで予備校の模試を受けている生徒が母集団になる。ということは…アラサーくらいの日本の1学年の人口を100万人として、比較対象を受験者の一番多い進研模試(40万人)とする。この世代の4年生大学進学率をざっくり50%として、模試は基本的に大学進学予定者しか受けないこと、全員が毎回受けないことを考えれば進研模試の受験者はほぼ学力上位50%を包含している推定できる。と言うことは、進研模試で偏差値55(上位30%)は母集団を変えると偏差値60相当(上位15%)、そして、進研模試のMARCHの偏差値は…まさかの65越え。あれ、記憶の中にあるMARCHの偏差値と違う。受けてた模試が違うのか。この値で公立中学校換算するとクラスで一番頭が良い子よりもレアになるぞ……
なんと言う事だ。なんということだ。容姿で例えるとクラスで一番かわいいレベルの子を狙うのが高望みだというのは容易にわかる。しかし、MARCH/地方国立クラスの学力がある子を狙うのはそこまで高望みでは無いと思っていた。が、大雑把な推計で見積もった結果思い知らされたのだが、頭の良い子を求めるのはそれ以上に高望みだったのだ。なんということだ。どうりで婚活で頭の良い子に出会わないわけだ。
残酷な事実を知った今は、頭の良い子に囲まれていた20代半ばまでを思い出して絶望に打ちひしがれている。なんということだ!なんということなのだ!