はてなキーワード: 進学校とは
高校は女子校だったけどついぞいじめなんて見なかった。進学校だったし。
基本的に、いじめを始めるのはバカな奴だ。普通に勉強ができないバカと、常識とかそういう方のバカ。どっちの時もある。一度始まったいじめを止めようとしないのは、バカも頭いい奴も関係なくみんなそう。わたしはいじめ始めたりするバカじゃなかったけど、それっぽいのを見て見ぬ振りするゴミではあった。巻き込まれたら面倒だったし。
中学では不潔で太った男の子が煙たがられていた。ウェイっぽい男の子たちにはかなり弄られてたし、あれってほとんどいじめだったなって思う。わたしも話しかけられたら嫌だわーって思ってた時点で完全に同類のゴミだったし。けど一応、親は金持ちが多いタイプの学校だったし、体裁気にするタイプの人間ばっかりで、同時に馬鹿ばっかりってわけじゃなくて、激しいいじめには発展しなかった。あの男の子も、友達いたし。不登校はいたけど、別にいじめってわけじゃなかった。病気で来づらくなって、そのままフェードアウト。こればっかりはどうしようもないよね。
小学校。ここではけっこうあったな。小学校から中学校、ほとんどメンバーは変わらなかったのに、なんでなんだろう。やっぱり子どもの頃ってみんなバカだったんだなって思う。
低学年の時、わたしもいじめっぽいことをされた。ちょっとしたこときっかけで、変なあだ名つけられて、みたいな。よくあるやつ。その頃ピークで体も弱かったから学校あんまり行ってなかったし、もともとそんな友達もいなかったし、そこまで気にしてなかったけど。ただ普通に悲しかったかなっては思う。
高学年になって、薬効いてきて体も元気になって、学校にもちゃんと通い出して、相変わらずそのあだ名は続いていた。話しかけてくる人もいない。あんまり気にならないのは相変わらずだった。ただ掃除の時間に、言い出しっぺの子が近くにいたときうっかり机倒したら、その子が泣いた。わたしがキレて倒したんだと思ったらしい。先生にはわたしが怒られて、ほんと理不尽だなあって思ったけど、それもあんまり気にしてなかった。次の日いじめっぽいものが終わった。友達もできた。今考えても、子どもはバカなので仕方ないことだったと思うし、別に恨んだりしてない。
中学からは誰からも反感買わないようなキャラで生きてるし、作ってるわけじゃなくてもともとそういう性格だったんだろうなって思う。その後いじめられてる人見ても、助けようとか全く考えなかった。気の毒になーとは思ってたけど。またいじめられるのが怖かったからとかじゃなくて、単に関わるの面倒だったから。いじめっ子はバカだしいい子ではないと思うけど、いじめられっ子がいい子とも限らないよねぇ。
いじめってそらよくないことだけど、なくならないだろうなぁ。
築駒だか開成だか忘れたけど「優秀な人間だけ入れんじゃねえ」って指導されてなかったっけ?
公立校の進学校ではない、その他の高校が平均的で高い水準に揃うことのほうが行政の関心レベル高いと思うけど。
どんぐりの背比べでも、それがレベル高い水準なら文句はないだろう?
現状そうなっているかどうかは別としてね
それはだいぶ都会のひとの考え方。
県内には県庁所在地に最上位の進学校が一つだけあって、それ以外の進学校(10校くらい)はどんぐりの背比べ。
だから県内各地の中学の上位10人くらいがその一つに集中する。
それくらい選択肢が少ない。
域内から優秀な中学生が志願するということは当然偏差値が高いわけで、
その学校が偏差値高くあり続けられるためには、いいスパイラルを築くまでにはそれなりの努力が必要。
ある程度進学校としてのネームバリューが知れ渡り、親世代から子世代までキープできれば余程のヘマやらかさない限り一気に落ちぶれることはない。
はじめて書いてみることにした。
このようなところに書くのは避けていたけど、吐き出すところがないとつらい。
進学校で生徒はそこそこ勉強できるし、言うことも聞くので良い感じ。
その面では、悪い環境ではない。
その後、カウンセラーの先生にもあなたは大丈夫?と聞かれ、「全然。」と答えた。
それで解りやすいとか、楽しいという反応があれば良いと思っていたし、
ただ、数人のおばさまたちは、自分の思った方法と違うやり方だと、チクチクとそれをいう。
自分ができる方だとは思わないが、自分のキャパを超えたやり方は否定される。
新しい環境に来たのだから、アドバイスや助言は嬉しいが、建設的な意見や代替えのアイデアはない。
逆に授業を何回か観に行ったが、それほどたいしたことはない。
そこでは、自分と違うと思ったところもあったが、そこは人それぞれと思って言わないべきだと思った。
それを使えばわかる、それが良いというお考えのようだけど、
教具を使うことが目的なのか、なんなのかわからない訳がわからなくなる。
忙しいのか大した打ち合わせもなしに、あとでケチをつける。
(助言、意見ではない)
事前に目標やその単元に対する考え
授業は見られて恥ずかしいものではないと思っているが、
粗探しをされているようでストレス。
面倒な姑が3人いる感じ。
勉強になる助言をしていただいたし、その方々のお陰で自分の授業力が向上したと思う。
感謝している。
これからどうしよう…
頑張って環境に慣れるべきなのか。
学校って、自分と合う先生、合わない先生がいると思うけど、それぞれに個性があるから楽しいと思っていたけど違うのかな?
自信無くした。
小学生の時、ちゃんとお勉強しなさい。そうしたら将来楽できるから。
そう言われて勉強を頑張る。優秀な成績をとって、テストでは満点をとって、実績のある進学校に入って優秀な大学に入学する。
そのあたりで気づくんだよね、あれ?おれなにがしたかったんだろ、なにしてんだろ?って。
そう言われ続けてただ勉強し続けた結果、いつしかほんとにやりたい事とか、夢中になれるものなんかを見つけられないままその他大勢の中に埋もれてしまう。
自分の選択肢とか可能性なんかを見つけられないまま、むしろ狭めてしまう。
思春期って、中学、高校生の時を言うんだろうけど、その時は未来って漠然としてて今を生きてる自分とは何だか程遠い関係のない話のような気がしていた。
やりたいことが見つからない。ここの学部に進学しとけば、そのあと潰しがきくよ。選択肢が幅広いよ。
大学進学。そこがゴール。
けどさ、大学生も半ばを過ぎたあたりからみんな気づくんだよね。
あれ?って。こんなはずじゃなかったって。
遠いところにあると思ってたことが、まだ考える時間はあると余裕ぶっこいてたことが目前に迫ると、嫌でも現実を見なきゃいけなくなる。
そうして安定を第一にしてその後の自分の時間を社会に溶かしていく。
やりたいことをみつけて好きなことして生きていく。素晴らしいことだ。
今年大学受験の高校三年生は2000年生まれの揃い踏みだ。私たちは2001年生まれを2000年逃しちゃったベイビーズなんて適当に呼んで生きている。
森絵都のつきのふねで2000年が来ないと信じていた世界があったことを知った。わたしは思う。たしかに世界は一度死んだのかもしれない。自分が生まれた世界の以前の証明を、何人たりともわたしにすることはできないのだから。
そんなことばっかり考えてたクソガキも、絵ばっかり描いて小さいころから本の虫で、時にアングラな世界に揉まれながら、適当に生きて、今や人生の岐路に立っている。
わたしという個人は美術予備校の先生には金属の勉強をしたいといい、学校の先生には工芸作家になるといい、母親には漫画家になるといい、友人にはアニメーターになるという。何者なのかわからない。自分でも驚くほど、息を吸うように嘘をついてしまう。否、嘘でないのだろう。すべてが本当なのだ。体は美術大学の受験に備え、脳は小説や映画に溺れ、妄想は漫画家として輝く自分だ。
高校進学のために勉学に励んでいた自分が懐かしい。進学校に合格したまではよかったが、自分より賢い友人たちに揉まれ、甘えることを覚え、わたしの視野は不必要なほどに広くなり、遠くのことばかり考えている。
眼前の大学受験がたまらなく不安だ。わたしは何者になるのだろう。夢を現実にしなければならない歳になり、つくづく思い悩むのだ。夢は夢のままがいいものか、現実にすべく努力すべきか。
中高は一貫の著名な進学校で過ごし、その後、東大に進学した俺には
知識として信じられんほど馬鹿な人が沢山いるのは知っていても、生の実感として「どれほどの頭の悪さか」を感じる経験がなかった
Twitterとか他のSNSでは、なんだかんだ気に入った人としか関わらないので、彼らに呆れる事は少ない
はてなに来て、主に政治系で、呆れるほどの馬鹿(scopedogなどの妄想系)を大量に見た事で、世間を構成する要素の一端を知った気がする
多分、生きている間に職場で密に関係をもつ事のない、ゾンビの様な人種だけど
(追記)
中高でも大学でも自分よりも優秀な人なんて腐るほど目にしてるわけで、一方で馬鹿だなと思う人間も多少は目にする事もある
良い環境に居ればいる程、幼少から身の程を知るものですよ。数学オリンピックで金メダルなんて、逆立ちしても取れないしね。
それでも、はてなで見る様な馬鹿と比べたら、どれ程まともかって話だよ
これほど短い文でも、東大と書いただけでコンプレックスを炸裂させては、書いてないことを妄想し始める
そんなんじゃ、はてなでも最下層のscopedogと何も変わらないよ
9割の生徒が4年制大学目指すような感じだったけど皆、倫理感覚や思考様式がどっちかっていうと獣に近かった。
友達に誘われたら「ウェ~イw」くらいの軽いノリでオレオレ詐欺や宅飲みレイプの手伝いしかねないくらいの危うさと低能さがあった。
高卒で公務員になった運動部の奴は就職後に飲酒運転やらかしてパトカーと追っかけっこした挙句に逮捕されてたし。
国公立10人くらい受かるような高校なのにこんな同級生出るとかもう。
中学校のとき仲良かった、って理由で特に疑問も持たずにタトゥー入りまくりのやつとかと未だに友達付き合いしてる奴とかいたし。
2chで「地元じゃエリート扱いだろうけど高校受験で偏差値60はなかなか頭ヤバい」って指摘見たことあるけど、あれ多分正しい。
今まで道を外れない様に、安全な道を歩いてきた。つもりだ。
中高時代から周りには賢い人間が多く、自分の能力は平凡だと早めに気づくことができた。
それでもなんとか上に食らいつこうとしてそこそこの努力をして今がある。
受験勉強はそれなりにやったが、進学校程の勉強量ではなかった。
スポーツもそれなりだった。
中高と部活に入ったが、県大会優勝等の実績を残すには程遠かった。
それでも全くやっていない人間よりは良い経験を積めたし、体力もついたと今でも感じている。
無茶苦茶興味があった訳では無かったが、それなりに興味に近い分野であることと、将来の就職も安定していそうとの打算もあったかもしれない。
打算は当たり、大学院を卒業してそれなりの企業に入った。もちろん電機系メーカーだ。
年収も悪くない。
大学時代に出会った早慶東大卒の人たちには適わないが、同年代では良いと言われる程度の年収だろう。
私の母も、3兄妹の中で一番安心していることだろう。
まだ生まれてはいないが、近々2人目の子供が生まれることになった。
夫婦ともに望んでの2人目だったので最初は私も喜んでいたのだが、日に日に喜びよりも不安の方が大きくなってきた。
今後仕事は続けていけるのか。
私より能力のある人間や、私より努力している人間は山ほどいる。
それはこれまで私が多くの人と接して分かっていることだ。
それなりに何となくやってきた私が、今後生き残っていく余地は日に日に狭まっているように感じる。
ここまで書いたらそう言われるだろう。当然だ。
今の生活をキープしたければもっと努力をするべきかもしれない。
でも、それなりにやっていくのが私の中でうまくバランスを取る方法なのだ。
自分のキャパを超えて、仕事や子育てを必死にやって3年で限界が来たらどうしようもない。
それまで何とか持ちこたえたいが・・・無理かもしれない。
10年前に死んだ父親は尊敬できる人間だとは思わなかったが、それでも私たち兄弟を自立するまで育ててくれた。
自分はそうなれるだろうか。
今のところなれない可能性のほうが高い気がしてならない。
彼女が10000÷10=1000と暗算で即答できない人だった。
そんなやつがこの世に存在するということを10数年ぶりに再認識させられた。
高校から進学校だったため自分のコミュニティにはそんな人間がいなかったから忘れていた。(仮に進学校じゃなくてもなかなかそんなやつはいない)
思い起こせば、確かに、小中学の時はクラスに1人は壊滅的に算数ができないやつがいた。
普段話してるとそんなに頭悪くなさそうなのに、いざ数字になるとこちらの当たり前が通用しなかった。
さて彼女の話だが、100÷10も、10000÷100も10000÷10も全て筆算しないとできなかった。
逆に筆算をするとできる。
割る数の0の数だけ割られる数から減らすだけだと、何度も伝えるが理解できない風だった。
(もちろん算数に苦手意識を持ってる人が割る数、割られる数という相対的な表現を苦手とすることは知っているので、目の前にある飲み物とかお金を使った具体例できちんと説明した)
まぁ0を増やすだ減らすだは算数の本質ではないので、それがピンとこないのは、それはそれで1+1=2なのがピンとこない天才肌なのかと思ったけれど、話してるうちに物事の前後関係から結果を推論、いわば経験則的な知見を溜めることのできないアホなんだなとわかってきた。
つまり計算から共通する法則を見つけ出して楽しようという発想がなかった。
数字の理屈とか本質は考える気がなくて、教わった解き方が筆算だから、全てそれで解く。ということだ。
この辺を応用効かせて理解してドンドン進んでいける人とそうでない人が小学校での成績を大きく分けていたように今になって思う。
たぶんどこの学校もそういう感じだったろうから増田たちも理解いただけると思う。
計算が苦手なら計算しなくて済む0を減らすという方法があるだろうに理解が及ばない。
算数を、数字の本質を、数字を扱えると便利だし楽しいという根源的な体験を通してきちんと理解させずに、彼女のような人を生み出している初等教育の現場の人たちは本当に罪だと思う。
初等教育の現場の人がいたらこの辺についてどう思ってるのか単純な興味として聞いてみたい。(ブコメ待ってます)
そしておれが思ったのは、彼女を貶めたり辱めたりすることではなく、彼女のような人に算数は思考を停止させる毒ではなく、日常を豊かにする道具であることを理解させるにはどうしたらいいのだろうか? ということだ。
この辺の教育がきちんとされてたら「630円の会計で1130円を出す」論争とか消滅するだろと思ってる。
だから、なんとか理解して欲しくて、手元にあったお茶のペットボトルに目盛りを振ってお互いに分け合ったり、フライドポテトを複数人でシェアする場面の例えを出した。
そういう具体例を出すと感触良好でなんとなく理解してそうな雰囲気をだす。
しかしいざ60÷3=?と聞くと「3」とか答える。
これは実際にポテトを分け合うシーンを思い浮かべてもいないのだ。
もしそのシーンが頭にあったら自分の取り分がポテト3本になるはずがないのは想像できるはずだ!
どうやら数字を計算するってことになると途端に思考がシャットアウトされるらしい。
10000÷10=?ってきくとちょっと考えてから「え?なにを?どうするの?」って聞き返される。
タチが悪いのは、聞いてないし理解する気がないのが原因なのに「数字が苦手だからできない」と思ってるところだ。
やればできるとは思ってもいないし、自分には無理だと決めつけてる。だから質問もちゃんと聞かないし、計算をできる意味がないと思っている。
こういう人に算数を教えるにはどうしたらいいのだろうか?
これについてヒントとか回答を教えて欲しくて書いている。
いちおう塾講とかの経験あるし、ある程度人にモノを教えるということには自信があったが初等教育でミスるとここまでこじれて取り返しがつかないんだなぁということと、自分の未熟さも彼女には教えてもらいました。
前日になんでこんな話をしてしまったのか…。
理解させようと必死なおれと、理解できるわけがないと初めから考える気がない彼女の間にはとても重い空気がながれてしまった。
軽く教えたらすぐに理解してくれるだろうと思った慢心がいけなかった。
なのでもう彼女には数字に関わる話をしないということになりました。
恋愛市場以前に、主夫養えるような女の周りにそんな男存在しないからねえ
それなりの高収入得られる女の周りは、もっと高収入を得てる男しかいないよ
中学高校の頃から進学校行って一流大入って一流の職場に就職…なんて女なんだから周りも同類の男しかいない
そういう女は公立中からアホ高校行ってFラン入るような男とは接点がない
逆なら大学生のうちから一流大の男子とアホ女子大の女子のサークルといった出会いの場が山ほどあるし
就職後も嫁候補や使い捨て労働力として低キャリアの女を一定数雇ってる職場ってのはまだまだ多いからそこから選べばいいだけだけど