はてなキーワード: 異性装とは
http://anond.hatelabo.jp/20160713084827
元増田は悪くはないんだけど、いろいろと指摘したくなるので、申し訳ないが書き直してみた。
この知識を頭に入れてくれないと、誤解しやすい。
この知識があると理解が進むのです。
生物学上の性が男 and 女性的な格好・言葉づかいをしている
自分で自虐的な意味で使うのは良いが、他人にへ使うのは好ましくない。
メディアはオカマという言葉を控える代わりに別の呼び名を作った。
それがおネェである。
ただし、これに侮辱のニュアンスを感じる人もいるため、今後オカマと同じ運命をたどるかもしれない。
また、おネェと自称する当事者はあまりおらず、メディア上の(特にバラエティ番組での)特殊な言葉である。
→「生物学的な性が男 and (女性的な格好をしている or 男性が好き)」のor抜いた
他は文句ない。
生物学上の性が男の人に主に用いられる言葉で、異性装(男なので女装)の嗜好がある、ということ。
生物学上の性が男 and 男性のみが好き and 性同一性障害ではない
ttp://anond.hatelabo.jp/20160118180656
女装の嗜好があるかは問わないし、自分の観測してきた範囲だと、ゲイで女装して過ごしている人は少数派だ。
生物学上の性は厳密には問わない。
レズと省略すると、侮辱するニュアンスが含まれるため、「ビアン」と省略するのが穏当。
LGBTのL。
実は、格好や性対象は関係なく、自身の性に対し違和感を抱いているかどうかで判断される。
女性から男性になる、男性から女性になる人は、トランスジェンダーと呼ばれる。
性指向は、自分は女性だと思っているので、男性になる傾向がありそう。
自身を女性らしくすることを強く望み、普段から女性の格好をしようとする、またはできるようにする。
女性ホルモンを使うことで見た目を女性的に近づけることができるが、1年以上かかり、成果もばらつきがある。
生物学上の性と性自認の問題なので、性指向等は関係ありません。
ただし、性同一性障害の人にとってこれは侮辱の言葉なので使うことは禁忌だ。
上記の属性以外にも、少数だが、ナルシズムやマゾヒズム、破滅願望などの性癖を満足する手段として女装をする人がいる。
また、厨二病の延長で、何もない自分に何らかの特殊性を獲得するために女装する人もいる。
それらがいきすぎて女性ホルモンを使ったり性転換までしてしまう人も見られる。
しかし、彼らは社会的な承認を得るために性同一性障害と主張するので、結果的に性同一性障害の人と見分けがつきにくくなる。
その動機故に、性対象は女性、または両性である割合が高い傾向がある。
特殊であることが彼らをかりたてているので、承認欲求を満たすべくSNSをやっている人が多い。
逆に、性同一性障害の人は自身の過去を隠し、元男性であることを明かしたくないのでSNSでそれを主張する人は少数派である。
→条件が単純、というか、ただの嗜好。ま、分析は好きにして。
個人によって何がOKで何がNGかはバラバラなので、当たり障りのない呼び方をするのが良いと思う。
最大公約数的な対応を考えるなら、オカマやおネェ、女装という言葉は使わず、女性と言えば丸く収まる。
もし、厳密に男性として扱わなくてはいけない場合は、「生物学的に」男性と一言つけることでだいぶ印象が変わる。
基本的にこの手の話は、プライベートな情報なので、親しくなってから聞くものです。
遺伝子がXXかXYか、で良いと思うんだけど、、、XXXとか例外がいるんですよね。
例外の人には申し訳ないけど、男性・女性・その他、の三分類が適当かな。
基本的なコミュニケーションにおいて、生物学上の性が重要になることはあまりないと思います。
強いて言うなら、トイレや更衣室を用意しないといけない立場になった場合に、
また、生物学上の性により思い込んでいるケースもまま見られます。
これも第三の性を提起する人がいるので、男性・女性・その他、の三つ。
相手のアイデンティティーなので、基本的なコミュニケーションでも留意する必要があります。
他にもいろいろあるらしいですが、その他、として5分類とします。
同性愛(ゲイ・レズビアン)、異性愛(ヘテロ)、両性愛(バイセクシャル)、無性愛(アセクシャル)が関係する言葉です。
生物学上の性ではありません。
性同一性障害でなければ、ややこしくはありませんが、性同一性障害の場合、
以下の組み合わせが発生します。(単純な組み合わせのみ)
生物学上の性 | 性自認 | 性指向 | はため | 実際 |
---|---|---|---|---|
男 | 女 | 異性(男が好き) | 同性愛(ゲイ) | 異性愛 |
男 | 女 | 同性(女が好き) | 異性愛 | 同性愛(ビアン) |
女 | 男 | 異性(女が好き) | 同性愛(ビアン) | 異性愛 |
女 | 男 | 同性(男が好き) | 異性愛 | 同性愛(ゲイ) |
外見に顕著に表れるのは、異性装か否か、ですね。二分類。
男装、女装、異性装(クロスドレッサー、ドラァグ、トランスヴェスタイト)が関係する言葉です。
元増田でも触れられているように、生物学上の性が男・性自認が女の人に「女装」というのは危険でしょう。
現在の性という書き方をしたのは、性転換をしていた場合、生物学上の性から変わっているからです。
ここまでで、性同一性障害とゲイ、女装までは、分類できました。
最後「オカマ、おネェ」ですが、、、用語の定義が明確ではないのが実態です。
ホモフォビアとして「オカマ」という単語が発せられる場合、「ゲイ」に対してが多そうです。
いや、金がないとか暇がないとかモテないとか、そういうことじゃなくて。
女子高生痴漢絵師とか、女子中学生監禁学生とか、ああいうイカれた犯罪者がたまに出現しちゃうのは防ぎようがないことだとは思うんだけど、連中を持て囃したりネタとして消費したり犯罪者を擁護したりするオタクがかなりの数出現してきていてつらい。もちろん一般人男性にもかなりそういう連中はいるだろうから、オタクだけ取り出してそう言われるのは心外だと言えるかもしれない。でもネット上で目立ってるのは、明らかにオタクの二次加害者だよね。二次元と三次元は関係ないとか、架空の児童より実在児童の人権をとか、そういう旗印がどんどん汚れていくのが見えるのがそれらを未だに掲げ続けようと思っている人間にとってはつらすぎる。
昔は楽しく観れていた小説やアニメや漫画を見直すとたまに地雷にぶち当たってつらい。『涼宮ハルヒの憂鬱』のどぎついセクハラは流石に読んでた当時でもドン引きできたけど、『A君(17)の戦争』や『桐原家の人々』といったコミカルな作品に充満するホモフォビア、女に家事労働を押し付け男が世界の危機と戦う『サマーウォーズ』、同性愛者の尊厳を高らかに謳いあげるその手で異性装者をオモチャにする『ささめきこと』、『銀河英雄伝説』のひどさはもはや説明するまでもないし(あれだけの未来で理念的には民主制のはずで女性も大勢従軍している設定の同盟で内閣にひとりかふたりしかいない女性政治家に男ばかりの軍首脳部に妻に家事をさせてのうのうとしている退役元帥サマ)、それになんといっても『おおきく振りかぶって』の女子マネと女性蔑視(特に花井梓くん! かなりひどいよ君!)と「部活動」という枠組みでの児童虐待と保護者の動員というロイヤルストレートフラッシュ感あふれる組み合わせ、これらが全部スルーされるか美談として話を盛り上げるネタになってるのがつらいし何よりめちゃくちゃおもしろくて今でも好きな作品なのがつらい。桐青戦とか何度見ても胸が熱くなる。つらい。
オタク社会に蔓延る差別の存在がつらい。「腐女子」にばかり「自重」が求められ男性向けはそんなルールを気にせずのびのびと楽しめているという非対称がつらい。同じオタク仲間のはずなのに腐女子を叩く男オタクの存在がつらい。男ばかりがメインキャラで出てきて色々絡む作品に向けられる同性愛者差別発言の数々と、何よりそういう作品をこれまでなんとなく避けてきて嫌悪感を持ってきた自分の中のホモフォビアに気づいてしまうのがつらい。女性蔑視発言を垂れ流すオタクが一定数いるのがつらい。オタクの中に根付いてしまった外国へのステレオタイプや差別感情がつらい。フルメタアナザーで「うるせえ便衣兵!」ってセリフが出てきたときは本当に残念だった。好きな作家さんのtwitterなんて知りたくなかったと思ったことは一度や二度ではない。男性同性愛者向けAVを「ネタ」として使って出演者の名前を出して遊びまくる文化がつらい。
差別ではないけど残念な言動をするオタクが多いのもつらい。政治傾向は人それぞれで、別に自民党支持者だろうが共産党支持者だろうが公明党支持者だろうがそこに文句を言う気はないけれど、敵対する陣営にレッテル張りをして大きな主語で批判して炎上芸してる人がオタクの代表面してることがあって見ていて残念すぎるし同じ口で“オタク差別”を糾弾してたりするのほんと勘弁してほしい。アニメの聖地巡礼が流行る以前からその周辺ではトップクラスの観光地だった場所をつかまえて俺らのおかげで繁栄してるんだぜ的なドヤ顔する連中がいるのがつらい。自分の好きな作品やジャンルを絶対視して他の作品やジャンルを無根拠に蔑視する人、自分のかつての姿と重なって色々な意味でつらい(筋道立てて作品どうしを比較することが悪いと言っているのではない、念のため)。やめろ。やめてくれ。「最近のファンタジー」を殴るために『十二国記』を持ち出すな。
でまあこれらを「最近つらい」とか言っちゃえるのも俺が「普通のヘテロ男性オタク」だからで、女性オタクとか男性でも性的あるいは民族的マイノリティに属するオタクとかはこういう理不尽にずっとずっと僕らが呑気にしてるあいだにも耐えていたんだろうなって思うとほんと自分の鈍感さがつらい。本気で怒っている人を見るまで「ラノベ」を小馬鹿にした感じで語ってもいいものだと思っていた自分の醜さがつらい。そしてなによりも、油断しているとここまで批判してきたような認識がぽろっと口をついて出そうになるし咄嗟に「どこが悪いの?」とか思っちゃいそうだし実際ちょっと思ったりしてる自分の感覚の麻痺っぷりが、一番つらい。
オタクであることは恥じるべきことじゃないし、オタクコンテンツは素晴らしい。でもオタクの一部は、オタクコンテンツの一部は明らかにクソだし、そのクソさは切り離してはいさようならできるものじゃなくてグラデーションになって存在していて、多くのオタクは多かれ少なかれそのクソさに染まってる。全身か指先だけかの違いはあれど。もちろんそれはオタクだけの責任じゃない。オタクは同時に社会に生きる人間でもあって、このクソな社会には既に性差別がインプットされている。けれど少なくとも、そのインプットされた性差別を増幅してきたのは、オタク自身の責任だよね。
自浄作用? オタクのあいだに序列なんてない。ネットでクソなオタクをブッ叩くことはできるけどそこに強制力はないし自浄作用は期待できない。そして、自浄作用がないなら、論理的な帰結として何らかの公的な強制力でもって規制されるほかなくなってしまう。ああそうか、やっと気づいた、腐女子のやってた意味不明で抑圧的な自主規制ルールってコミュニティ防衛のためだったんだな。アンチスパイラルから螺旋族を守ってた螺旋王だったんだな。それにやっと気づいたときにはもう遅くて、10万人の宮崎勤が地上に満ちてアンチスパイラルに色々蹂躙されることになるんだな。俺は嫌だ。犯罪者扱いされずにコミックLOを読みたい。別に俺は『ろりともだち』の内容を実現しようとも羨ましいことだとも思ってない。俺たちの欲望を放っておいてくれればそれでいいんだ。ああでもなんで、お前らはそんな規制を呼びこむようなことを言うんだい。
ネットなんて見ないで作品だけ見ていれば、このつらさも少しは減るかもしれない。でもネットで得られるものは大きい。新しいカップリングの可能性。作品を愛好しながらそれを冷徹な眼差しで批評する視座。楽しい同好の士との会話。まだ知らなかった作品情報。そしてなによりも、素晴らしい二次創作。どれもネットから得られる果実だ。それがないとオタクはやっていられない。けれど果実の横には常に、横たわるクソの山がある。
そういうものばっかり見てるからそういうものばっかり見えるんじゃないかって? 確かにその通りだ。見ないようにすれば見ないでいることもできただろうし、実際そうやって過ごしてる人もいる。でもここは地獄インターネット。見えてしまう。目に、入ってきてしまう。みんなどうやってやり過ごしてるんだ。教えてくれ。多分今一番求められているのはそのライフハックだ。俺がいくらつらくなったって世の中のクソさは変わらない。それともみんなこんなつらさを押し殺して日常ツイートしてるのか。ブコメ大喜利してるのか。にゃーんとか言ってるのか。
オタクじゃなければ、別にそれでもよかった。うわーオタクキモいなー、で済ませられるから。あいつらには関わらんどこ、ちゃんちゃん、でおしまい。何が悪いの? みんな「マスゴミ」や「ヤンキー」に対してはそうしてるじゃん! でも残念ながら、俺はオタクだ。オタクの不始末も、それによって落ちるオタクの評判も、他人事じゃない。それが根拠のない迫害ならまだよかった。俺たちは被害者だと、迫害してくる奴らは敵だ、いずれ革命を起こしてひっくり返してやると、そう思えたから。でも、性犯罪の擁護、差別、他者への攻撃、これって全部身から出た錆じゃないか。こんな状況で一方的な被害者面なんてできるわけない。俺はそんなことやってないのに。そう思う。でも一方で、自分のアイデンティティはそっち側に置かれてしまっていて、叩かれるのがたとえ自分の所為じゃなくても自分がやらかしたことのように思えてこたえるんだ。
パターナリズムっていうのは、他人が自己の責任において選択すれば良いだけのものを、端からいやそうしたらこうなる心配があるから俺が決めてやる(道を踏み外さないような規則を作ってやる)ってやいのやいの言うことを指してる。権力構造を伴うお節介って感じ。各人が自分の判断で「面倒だから慣習に従っておくか」って決めるならそれはそれで構わない。(パターナリズムのpaterは父親が語源。パターンじゃないよ)
覚悟の上で、っていうのは、例えば「男/女らしい服装」っていう文化があるところで、そこからはずれた服を着ることって、全く個人の選択の問題ではあるけれど、とやかく言う人がいるだろうってことは予想できるでしょ。選択の重みは同じであるべき、って理想ではそうかもしれないけど、やっぱり既存の観念と違うことをしようとすると逆風があることは覚悟しないとならない。その程度の意味。
そこで、「男が女の恰好したり女が男の恰好してたらいろいろ言われるだろうから、ルールで異性装を禁止しよう」って言い出したら、それは余計なお節介というものでしょう。それと似た感じを受けるんだよな。「別姓で揉める可能性があるから禁止しとこう」っていう意見には。
ぶっちゃけ、ほんの最近まで同性愛者を犯罪者扱いしていた国々でどでかい反動が起きてるだけなんじゃね、と。
イギリスとか90年代まで男性同士のセックスが犯罪だった地域が残ってたし、アメリカなんて21世紀になっても違法の地域がゴロゴロあった。
フランスも同性愛は売春と同等の社会悪と見なされていて、公共の場での異性装(男が女装したり、女が男装したり)は80年代まで違法だった。ドイツも90年代まで「男同士」は犯罪だった。
そういう過去の過ちを正すために揺り戻しが来ているだけだよな。
そもそも日本はかれこれ明治時代からずーっと同性愛は合法のままだったわけでさ。
しかも当時の白人様ときたら「同性愛者を野放しにする土人ジャップランドwww」みたいな価値観で日本をバカにしまくってたわけ。
蔑称の意味合いもあるので、一般にはこれを避けて「ゲイ」という語が使われることが多い。
ゲイだからと言って異性装をするとは限らないし、オネエ口調を使うとも限らない。
同性への性的指向のこと。男性同性愛者も女性同性愛者も存在する。
「性的指向」とは性愛の対象がどちらを向いているかということであり、性的行動の内容を表す「性癖」「性的嗜好」とは区別される。
これは「自分の性別が違うと考えること自体が異常」=「障害」というわけではなく、
性転換手術などによって性自認と身体的性別を一致させなければ本人が苦しいために「障害」と呼ぶのである。
これは同性愛とは異なるものであり、「身体的には女性で性自認が男性の異性愛者」や「身体的には男性で性自認が女性の同性愛者」といったこともありうる。
ボーイズラブの略。
ボーイズラブを好むのは主に女性であり、彼女ら自身は同性愛者ではないことが多い。
女人禁制の戦場において代わりに美少年を連れて行ったことがはじまりで、
基本的には主君とその配下とのあいだに結ばれる主従関係の一種であり、忠誠心の変形であった。
江戸時代になると同輩との友情を強化するようなものへと変化して広まり、結果としてトラブルが頻発したため、
各藩で厳しく取り締まるようになり、やがて衰退していった。
もちろん武士たちは女性とも結婚していたのであり、現在で言うような同性愛とは異なる。
バンドマンだったりアニメキャラだったり映画の登場人物(俳優というより役)だったり色々だけど、こうなりたいっていう憧れが強い好きを感じることは少なくない。
何故か異性が多い。さらに言えば中性的だったりセクマイだったり、異装趣味だったり。
異性装がしたいかと言われれば否定しないが今の性でいたくないという方が強い。異性にもなりたくない。性を無くしたい。
勝手にそんなこと思って憧れてても、描かれない目の当たりにしないだけでなりたい対象の人物もキャラクターも恋愛したり性行為したりしているの知ってるし、それはそれで構わない。
前にらんま1/2のこと調べてて見つけた話、
実は物凄いホモフォビアな漫画を描いてるってレスを昔読んだことがある
http://read2ch.net/rcomic/1303200282/#r79
とのことで、言われてみたらまったくその通りだって思って驚いた。
登場人物たちみんな、何かと錯綜はあるもののつまるところは異性愛者で、そしてそのためにこそ1987年生まれのおれが子供の時分に読んでも混乱なく受け入れられたのだと思う。生まれ年を書いたのは世代によるところもあるかと思ったからだけどしかし器質や環境によるところも大きいだろか、子供の時分のおれは同性愛に対する理解も想像力もほとんど無かったはずで、それにも関らず受け入れられた、ということです。
そしておれ以外にもとても多くの人が受け入れたことからして、あの時代のエンターテイメント商品としてまったく正しかったんだろうと思う。それに、啓蒙や感化の役割だって意図してかせずか果たしたと思うのだけど、そのためにも程よいところだったのかもしれないとも思う。
そしておれが気になっているのは、この漫画の諸々の設定が抵触している現実世界の人達、つまりトランスジェンダー、異性装者、同性愛者、といった人達は、かつて読んだ時、そして今、この漫画をどう思っていたのか、いるのか、ということです。
糾弾とか非難とかあるいは幻滅の表明とか、されていてもおかしくないと思うし、されるべきではないかとも思う。どこかでされてるんだろうか。
うる星やつらとらんま1/2とではそもそもうる星やつらの方が評価が高いかもしれないけど、質がどうということじゃなしに上に書いたようなことによって、らんま1/2が先に古びるかもしれないと思いついて、またびっくりした。
少々長くなりますのでご了承ください。
新たなる代用語として充てられている感はあるが、
それでも依然として、
同性愛・性同一性障害・ニューハーフ・トランスジェンダー/トランスセクシャル・インターセックス(両性具有者)
といったセクシャルマイノリティと混同している人が目立つ。
各々の定義は、とりあえず現在はwikipediaに記載された定義が最もベターだと思う。
(実態と異なる部分も少なからずあるが、うまく区分けされまとめられているように思う)
ニューハーフという定義だけは曖昧で、厳密にはLGBTのセクシャルマイノリティには当てはまらず、
性自認が男であろうと、恋愛対象が女性であろうと、性ホルモンを投与してなかろうと女性の恰好や仕草をして
それを売りにして"水商売・風俗産業"に従事する者達を指す言葉なのだが、
近年は「将来的に女性として生きる事を目指していて、性ホルモンを投与していて見た目も女性らしく見える人」を指す言葉でもあるようなので、
広義的にLGBTのセクシャルマイノリティに分類しても良いかと思っている。
仕事のためや趣味だけでニューハーフをやっている者もいるので、LGBTに含まれないニューハーフがいるのも事実だが。
ここで、その「LGBT」とは?
セクシャルマイノリティの区分けを大別して国際的に以下のように区分される。
T・・・トランスジェンダー/トランスセクシャル (性別変更者)
※セクシャルをセクシュアルと呼ぶ事もあるが、
さて、現実世界で男の娘と定義されるようになったかつての女装子達。
一般理念としては、「身体の性別が男性で、性同一性障害ではなく性ホルモンも投与しておらず、
ただのファションの一環としてや性的嗜好により女性の服装を纏ったり化粧をする者」という定義だと思う。
しかし中には性同一性障害の人で、女性化の一歩として女装から入る人もいる。
まだ性ホルモン等もやっていないので周りから見れば女装にしか見えない。
本人に性自認を聞かない限り判断はできない。
そういう人は外観から見れば女装者だが、正しくは「性同一性障害のトランスジェンダー」という区分けになる。
性同一性障害であろうとなかろうと、性ホルモン投与を始めたり、
身体の手術を行えば、「ニューハーフ」という区分になる。
(ここで、ニューハーフとは水商売・風俗産業に従事する者という定義に当てはめれば、
性ホルモン投与を開始しても、一般職だったり学生だったり無職であればニューハーフではなく
「トランスジェンダー」という区分になる。広義的な意味ではニューハーフという区分でもいいかもしれない)
トランスジェンダーは、まだ完全に工事が終わってなく女性化の途中段階の人で
トランスセクシャルは性転換手術も完全に終えた人を指す。法律と性器の外観以外にこの2者に大きな違いはない。
(同じトランスジェンダーの中でも性ホルモン投与が始めたてで身体の肉付きがまだ女性的になっていない場合は見た目の違いは顕著な事も多い)
同性愛とは周りからの判断で決まるものではなく、本人の性自認によって委ねられる。
本人が「自分は男だ」と自認していて、かつ同性を好きになる事が同性愛。
本人が性同一性障害などで「私は女だ」と認識していて男性を好きになる行為は
本人にとっては「異性愛」。これらは「性的指向」と呼ばれるもので、
見た目や仕草に決まりがあるというわけではない。
冒頭で書いたように、女装を嗜んだり、女言葉を使ったりしていても
当事者が「自分は男だ」と自認した上で男性を好きになる事は同性愛であるし、
まだ見た目は男のままでも、性同一性障害であるなら異性愛という認識になる。
「幼い頃から自身を女性だと思っていて、それまで男として暮らしてきてもいずれ女性の恰好をして性ホルモンや性転換などの治療を受け、
なおかつ24時間女性として暮らす事を望む者」という事が精神医学のガイドラインで決まっていて、恋愛対象が男か女かは特に問われない。
実状としては性同一性障害にも関わらず親との関係や環境上の理由により、男の姿のまま一生を全うする者もいるので
一概にどうと言えない。
しかしそういった者の中で男性が恋愛対象の性同一性障害者は、周りからは「同性愛者の男性」であると思われても仕方のない部分もある。
また、中には性同一性障害ではないのにも関わらず、自己判断で性ホルモンを投与したりいずれ手術に望む者もいる。
そういう者もトランスジェンダー/トランスセクシャルに分別されるが、精神医学上では「異性化願望症」と判断される。
ちなみに、性同一性障害の当事者からは、そういった異性化願望症の当事者を嫌悪/排他する傾向にある。
元々は、「普通の男性なのだが見た目が美少女にしか見えない少年」
といった意味であるようなのだが、創作世界から現実世界に派生し、
一部では、綺麗で女性らしい見た目であれば
性自認も恋愛対象も関係なく一律に男の娘と呼ぶとする者もいるが、
いったいどこまでを定義していいのか、当事者達にとっても悩ましい問題である。
そもそも、創作世界においての萌えに限定しては混同してもいいのかもしれないが、
現実世界においてのセクシャルマイノリティや性的嗜好を一括りするのは禁忌であると思う。
なぜならば現実世界においてセクシャルマイノリティの分野はデリケートな問題であるからだ。
当事者間においては、趣味で女装を嗜むだけの者にとってはニューハーフと同一視されたくない、
ニューハーフや性同一性障害のトランスジェンダー/トランスセクシャル者にとっては、
趣味で女装をしているだけの者と同一視されたくないというデリケートな思いがあるからである。
近年においては、ニューハーフ職に属していないトランスジェンダーやトランスセクシャルも大勢いる。
そういったニューハーフに属していないトランスジェンダー/トランスセクシャルと女装少年を同一視して男の娘と区分してしまっている傾向はある。
はたから見れば、どちらも同じく男性に生まれ女性の恰好をしたり生活をしている者と見えてしまうのだが、
それでも性同一性障害などで性ホルモン投与をしたり女性として暮らしている当事者と、ファッションや趣味だけで女装を楽しんでいる者とは大きく異なる。例えこの両者が、見た目がすごく綺麗な女性である前提としても。
または現実世界でも「セクシャルマイノリティではないし女装もしてないが女性のような顔つきをした者」だけに限定して使う事が望ましい。
1歩譲って、女装を嗜む者も含んでもいいと思うが、現在、現実世界でメディアに男の娘と区分されている者の中に、
性同一性障害者や、性ホルモン投与者などがいるなら、男の娘という区分からは外して分けて考えるべきなのだ。
そういう者はトランスジェンダーであり、いくら綺麗でも女装を嗜むだけの者とは異なる。
困った事に、セクシャルマイノリティの当事者の中でも、綺麗な女装男子といっしょになって「自分は男の娘」だと呼称している者もいるということ。
見た目が綺麗で女性的だという褒め言葉的な称号の名の元には同じなのかもしれないが、
見方を変えれば、あなた方が性同一性障害で苦労しようが、性ホルモンや外科手術によって頑張ろうが、
世間にとってはいつまで経っても、ノンケだけどただ女装を嗜んでいる者達と同一視されてもしょうがないという事。
逆に言えば、ただファッションとして女装を楽しんでいる者も、セクシャルマイノリティの当事者といっしょになって男の娘だなんて言ってるうちは、
あなた方も、「男が好きなの?」「女として生きてくの?」「手術するの?」「性同一性障害なの?」と言われてもしょうがないという事。
元増です。
いい質問ですね、よくネット上でも違いが分からないとの意見を目にします。
実はセクシャルマイノリティの世界でも、人それぞれ定義や意識が違います。
(なので余計混乱を招くのでしょうが・・・)
私自身の認識と、wikipedhiaなどからの内容を元に大別してみます。
まず、性自認(自分がどの性だと思ってるか)と性指向(どの性別が恋愛対象か)は違うので
セクシャルマイノリティそのものの種類ですが、大別すると
性自認が男で、性指向も男が対象
性自認も性指向も人それぞれだが、ホルモン療法や外的手術などにより
生まれ持った戸籍と逆の性に体を近づけ、その性での人生を歩む者
しかし性同一性障害は手術やホルモン投与などで肉体に手を加えているか否かは関係ない。
外見は別で、生まれもった性と自身の性自認で差異があり、自分の性自認の性として生きたいと望む内面的なもの。
性自認が女で、性指向も女が対象
性自認は関係なく、性指向が男も女も対象に入る
生まれながらにして、男女両性の特徴を持った方(または両性の特徴を持たぬ者)。
特徴とは外性器であったり内性器であったり、性染色体(遺伝子)であったり。
これは性自認や性指向など関係なく先天的な肉体上の病気なので、
一般的に言われるセクシャルマイノリティとは異なる。
性自認も性指向も生まれ持ったままだが、
なのでセクシャルマイノリティには入らない。
大別すると以上のような感じですが、
質問されたような方々ですが、上のセクシャルマイノリティの方々でも
女装が好きで、女っぽい言葉遣いや生き方が好きなだけという人もいれば
ちなみに、ゲイの方はもれなくムキムキの人で
トランスセクシャル/ジェンダーの人はもれなく女以上に女らしく
言葉遣いも、性別関係なく人それぞれ異なるように
ゲイでもトランスセクシャルでも、しいては普通の男性や女性でも
オネエ言葉と言われてるような喋り方を好む人もいれば、使わない方もいます。
よって、外から見ただけじゃ判断できずに、
本人の口から言われないと正確に判断できない・・・というのが正解でしょう。
しかし、本人曰く「自分は性同一性障害で心は女です」と言っておきながら
体には手を加えたくないらしくホルモン療法も手術もするつもりもなく、
見た目はまるっきり男性なのに男性が好きでオネエ言葉も使う・・・なんて方もいたりするので
はたから見れば女言葉を使うゲイなのですが、ゲイは自身を男だと思っているので
例え見た目が男でも本人がそう思ってなければ性同一性障害なのでしょう。
ただしそういう方は体に手を加えておらず、そのつもりもないのでトランスセクシャル/ジェンダー、
いわゆるニューハーフとは呼びません。
難しいですね^^;
1話だけみた。で、マコ君という男の子がゲイと思われてかつキモがられてるのがホモフォビアらしい。
ゲイとみなしてよい客観的な基準があるのかどうか知らないが、放浪息子のwikipedeiaを見ると
修一と同じ「女の子になりたい男の子」だが、修一とは対照的に「男の人が好きだから女の子になりたい」とはっきり自覚している。
この人が何をもってそう判断したのか知らないが設定がそうなのだから具体的なカミングアウトがなくともスタッフが「そうみえるような演出」をしたのかもしれないし、もしかしたら眉毛のかき方ひとつで伝わったのかもしれない。表現とはそういうことでしょう。だから主観的にゲイ臭が出てるとみなすのは特段おかしいわけじゃない(言い方の問題はあるだろうがw)。
ただ僕の主観としては一話ではマコ君が男に気があるかはよく分からない。むしろインパクトがあるのはマコ君の「女の子っぽさ」である。しゃべり方もさることながら主人公と電話しているときにクマのぬいぐるみを抱いていたりするのは強烈だ。いわゆる「女の子らしい」とか「女の子っぽい」である。
ここで、マコ君の設定の「男の人が好きだから女の子になりたい」という箇所がひっかかる。これの隠れた前提は「男を好きになれる。または付き合えるのは女だけ」「男が男と付き合うのは駄目」ではないか。これってセクシャリティとしてのゲイの否定じゃないのか?マコ君もホモフォーブだったのか!いや、まあこれもテーマのひとつなのかもしれない。
マコ君は「健全な」社会通念によって「毒」されて、ゲイでなく、「女」になることによって贖罪されようとしているかわいそうな子なのかもしれない。これは被害者によって引き起こされる無意識のホモフォビア?。もしそのような認識がトランスジェンダーを引き起こすのであれば、トランスジェンダーとセクシャリティが無関係だということはできないだろう。(あとゲイでないが異性装をする主人公にとりんが「自分がよしのの恋愛感情をわからなくした」と言っているのも興味深い)
そういう「歪んだ」もしくは「遠回り」のゲイもゲイとみなすのであれば、「女の子っぽさ」はまさしくゲイ臭となる。今は「ゲイ」と断定できなくとも、話が進むにつれてマコ君のセクシャリティが明らかになれば「ほーら、やっぱりゲイだったじゃないか。俺の嗅覚は間違ってなかった。」となる。
となると真っ直ぐでないゲイは気持ち悪いというのは分からないでもない。もし先程述べた「毒された」というのが真実なら、彼は「ゲイから解脱しようとする犠牲者としてのゲイ」であり、逆に自らの意思でそう思っているのであればまさしく「ホモフォーブとしてのゲイ」ということになる。いずれにせよムズムズする。
だからもし、マコ君が自分のジェンダーを一切無視して、男を好きになっているような感じであれば、「キモさ」は払拭されるのかもしれないわけである。(でもそうするように彼を抑圧していいのかどうかは知らんw)
批判するに当たってあげつらうのもいいかもしれないが、ホモフォビア自体の二重構造とかトランスジェンダーとの関わりについて考えてもいいんじゃないかな。「こうこうこうだからキモいと思うんですよね?」と説明し、相手が膝を打った瞬間に問題が共有される。
それ、パフォーマンスのためだと思うんだよね。
自演乙が「突き抜けたヲタク」かつ「ファイター」であるための観客向けのパフォーマンス。
自演乙がそういう分かり易い男性のアイコンをまとわずに、美少女の衣装を着用するのは、突き抜けるためじゃないかってこと。誰でも知ってる強い男性のドラゴンボールや格闘ゲームのキャラクターだと、彼はそれこそただそれに憧れて一体となりたくてコスプレをしているように見える。それってものすごく当たり前な行為に人の目に映る。けど、美少女の衣装をまとうことで、それは人の目を引く一種異様な飛び抜けたパフォーマンス足りえる。
悟空のコスプレじゃイタさもたかが知れてるけど、ハルヒなら一周回ってそれでもものすごく痛い、しかしそれゆえにさらに強い印象を与える。ちなみにこれがコスプレでもなんでもない異性装だとまたパフォーマンスとしては意味が変わってくると思うよ。
こういう屈折したものを自演乙に見る時、彼に服装倒錯の気がないとは思わないけれど、それが、コスプレイヤーと格闘家と一体になったパフォーマンスである以上、服装倒錯とコスプレを明確に分けることに意義があるようには思えなかったわけ。
ところで自分、http://anond.hatelabo.jp/20100331150055これ書いた増田なんだけど、ツリーの直下から自分でも元増田でもない人の意味不明な言い争いが起こってて驚いた。さすが増田、混沌としてる。
コスプレ:コスプレはコスチューム・プレイを語源とする和製英語で、仮装の意。狭義では、アニメなどの登場人物のキャラクターに扮する行為を指す。
フェティシズム的服装倒錯(異性装嗜好者):異性装を行うことによって性的に興奮したり快感を覚えたりする者がいる。多くは男性による女装であり、女性による男装には見られない。しかし、男装した女性に欲情する男性や、男性に女装をさせて辱める行為を通じて性的快感を得る女性など、間接的に本人以外の性欲を煽るケースは男女共にも存在する。また、現実の男性や既存の男性キャラクターを女装させたり、女装した男性を見ることに「萌える」女性も居る。男性の中にも女装した男性を好む同性愛傾向にある者も存在する。
アメリカ精神医学会『精神障害の診断と統計の手引き』第4版 (DSM-IV) によれば、生活に支障を来す程の重度のものは「302.3 服装倒錯的フェティシズム」としてパラフィリアの一種に分類される。
@wikipedia
めんどくせー。
意味的にも全然、間違ってないんですけど。
何を批判したいのか全く理解できない。
あんた真性の非コミュだな。
「長島☆自演乙☆雄一郎はコスプレイヤーではなくて、服装倒錯では?」
って元ネタでしょ?
「なんでいつも女装なんだ?」という問題があって、ここでは服装倒錯といってるけど、服装倒錯の定義はよく分からなかった。
だから、異性装趣向のことと理解して、話を進めただけだけど。
もともとこんなのどうだっていいし、述べてないから。
そもそも個人の脳内のみの定義する「コスプレ」が「服装倒錯」と一緒かどうかなんて誰にも分からないし、論議する必要ないし、増田に書いても意味ないじゃないのか?
いやいや、増田の使い方をおまえが指図するなよ。
ま、個人的に一番意味ないのは、ただ、コピペ貼り付けるやつだと思うんだが…。
「コスプレイヤーに一切の服装倒錯の傾向がない」
って定義でもないかぎりそれは一緒にしてもいいくらい曖昧な物。
目的と手段が違う!ってのは無理。
”腹が減ったからパンを食べた(かもしれない)”事に対して
”パンを食いたかったんじゃなくて、腹が減ってたんじゃないのか?”って言ってるだけだろ。
だめだー、わかんねー。
何が言いたいんだ?
あんたは、服装倒錯者ってどういう人だと思ってんの?
そこを、おしえてよ。
前も書いた通り、そこの認識の違いだと思う。
おそらく「服装倒錯者」の意味することについて、違う認識なんだと思う。
男女比をネタにコスプレイヤーと服装倒錯が一緒か違うかを述べているツリーで
更には男性限定にしちゃったら、
無意味じゃないのか?
そもそも個人の脳内のみの定義する「コスプレ」が「服装倒錯」と一緒かどうかなんて誰にも分からないし、論議する必要ないし
「コスプレイヤーに一切の服装倒錯の傾向がない」
って定義でもないかぎりそれは一緒にしてもいいくらい曖昧な物。
目的と手段が違う!ってのは無理。
”腹が減ったからパンを食べた(かもしれない)”事に対して
”パンを食いたかったんじゃなくて、腹が減ってたんじゃないのか?”って言ってるだけだろ。
もちろん、そういう認識をするのもありだと思うし、否定はしない。
おそらく「服装倒錯者」の意味することについて、違う認識なんだと思う。
自分の認識ではここで言う「服装倒錯者」とは異性装趣向者のことを指していると思っている。
で、これはホモセクシャルとかそういうのとはべつの問題。
ホモとか関係なく、女装を行うことによって性的に興奮したり快感を覚えたりする人は存在する。
長島☆自演乙☆雄一郎は、こういう性趣向をもつ人ではないか?というのが元増田の提示したことだと思う。
この認識においては、コスプレイヤー全てがここでいう「服装倒錯者」つまり異性装趣向者でないことは自明。
そして、異性装趣向者の中には、文化として一般化したコスプレに便乗して異性装をし、性的快感を得ている人もいるのではないかということは容易に想像できる。
刈り上げごときじゃどれか分からないよ!
ざくっと「女が男の格好」と「性嗜好」くくって分けるけど
↑と↓は全く別物。
どの場合も、異性と恋愛・結婚する可能性がゼロって訳じゃない。
「性同一障害->外科手術->異性と恋愛->子供を作った」ってケースは時々ニュースにもなる。
「どれも男女じゃないか」って人ならしゃーないけど、
孫の顔云々言うなら、孫の前に自分の子供を理解しようとしてもいいんじゃないかな。
でもどの場合でも、肉親に告白するのはものすごく勇気が居るよ。
何を言われても、自分の子供だ!受け入れてやる!って懐がないなら、
自分に心構えが出来るまで、待つ(待ってもらう)のがいいと思う。
少なくとも、男手ひとつで育てたからダメだの失敗だのって考えはやめてね。
失敗でも駄目でも、なんでもないんだから。
(ただし、苦労はする。間違いなくする。
でも、今までだって苦労一杯してきた本人には今更だと思う)
え、あ、あれ?
それで、そちらの記事の後半部分なんだけど。
私の友人が同じことを思ってるかどうかは私にも解りません。
でも、お怒りの気持ちは解るというか……ごめんなさい。
セクシャルマイノリティでない私が語るべきことではなかったのかもしれないですね。
その点気をつけて記事書くようにします。
そうでなく、性的な目的による異性装の方々が「私の心は女、私は女になりたいの」と言うことが問題だと考えているのです。
一般の方が、性的な目的による異性装をしていて「心は女」と言う人だけを知っていたとした場合に、その一般の方が、「GID?ああ、心は女とか言って、性的な目的で異性の装いをしている人でしょ」という誤った認識に至るのは無理もないことだと私は考えます。