2011-01-29

放浪息子を見てホモフォビアがどうとか

1話だけみた。で、マコ君という男の子ゲイと思われてかつキモがられてるのがホモフォビアしい

http://togetter.com/li/92256

ゲイとみなしてよい客観的な基準があるのかどうか知らないが、放浪息子のwikipedeiaを見ると

修一と同じ「女の子になりたい男の子だが、修一とは対照的に「男の人が好きだから女の子になりたい」とはっきり自覚している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E6%B5%AA%E6%81%AF%E5%AD%90#2.E4.BA.BA.E3.81.AE.E5.8F.8B.E9.81.94

しいので設定としてはゲイなのだろう。

メガネがさりげなくゲイ臭を出してて恐かった。

http://togetter.com/li/92256

この人が何をもってそう判断したのか知らないが設定がそうなのだから具体的なカミングアウトがなくともスタッフが「そうみえるような演出」をしたのかもしれないし、もしかした眉毛のかき方ひとつで伝わったのかもしれない。表現とはそういうことでしょう。だから主観的にゲイ臭が出てるとみなすのは特段おかしいわけじゃない(言い方の問題はあるだろうがw)。

ただ僕の主観としては一話ではマコ君が男に気があるかはよく分からない。むしろインパクトがあるのはマコ君の「女の子っぽさ」である。しゃべり方もさることながら主人公と電話しているときにクマのぬいぐるみを抱いていたりするのは強烈だ。いわゆる「女の子しい」とか「女の子っぽい」である

ただ「女の子っぽさ」と「ゲイ」は別であるしかし無関係か?

ここで、マコ君の設定の「男の人が好きだから女の子になりたい」という箇所がひっかかる。これの隠れた前提は「男を好きになれる。または付き合えるのは女だけ」「男が男と付き合うのは駄目」ではないか。これってセクシャリティとしてのゲイの否定じゃないのか?マコ君もホモフォーブだったのか!いや、まあこれもテーマひとつなのかもしれない。

マコ君は「健全な」社会通念によって「毒」されて、ゲイでなく、「女」になることによって贖罪されようとしているかわいそうな子なのかもしれない。これは被害者によって引き起こされる無意識ホモフォビア?。もしそのような認識トランスジェンダーを引き起こすのであれば、トランスジェンダーセクシャリティが無関係だということはできないだろう。(あとゲイでないが異性装をする主人公にとりんが「自分よしの恋愛感情をわからなくした」と言っているのも興味深い)

そういう「歪んだ」もしくは「遠回り」のゲイゲイとみなすのであれば、「女の子っぽさ」はまさしくゲイ臭となる。今は「ゲイ」と断定できなくとも、話が進むにつれてマコ君のセクシャリティが明らかになれば「ほーら、やっぱりゲイだったじゃないか。俺の嗅覚は間違ってなかった。」となる。

となると真っ直ぐでないゲイは気持ち悪いというのは分からいでもない。もし先程述べた「毒された」というのが真実なら、彼は「ゲイから解脱しようとする犠牲者としてのゲイ」であり、逆に自らの意思でそう思っているのであればまさしく「ホモフォーブとしてのゲイ」ということになる。いずれにせよムズムズする。

からもし、マコ君が自分ジェンダーを一切無視して、男を好きになっているような感じであれば、「キモさ」は払拭されるのかもしれないわけである。(でもそうするように彼を抑圧していいのかどうかは知らんw)

批判するに当たってあげつらうのもいいかもしれないが、ホモフォビア自体の二重構造とかトランスジェンダーとの関わりについて考えてもいいんじゃないかな。「こうこうこうだからキモいと思うんですよね?」と説明し、相手が膝を打った瞬間に問題が共有される。

(あと関係ないが、月の光をBGMとして丸々流すのは陳腐だろう。演出として怠慢じゃないか。)

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