はてなキーワード: 婚約とは
私は女だ。30後半で結婚した。婚約指輪はもらっていない。なぜならいらなかったから。
婚約指輪は女性の憧れ?知らん。私がアクセサリー?気持ち悪い。ダイヤモンドなんか似合うわけないだろ。
結婚指輪は買うけど、何にもダイヤとか飾りとかついてない真っすぐなやつで。これぞ「THE結婚指輪」。うちの親もこれ付けてた。
婚約指輪ほんとうに要らないの?他のものでもいいよ?と言ってくれた夫。
いらないいらない。パールのネックレスなら使うかな?でもバカ高い。いらない。そのままヌルっと婚約期間を終えて入籍。
でね、うちは顔合わせも結婚式もしてないので指輪の出番がなくて、結婚指輪も入籍後にちんたら買いにいった。
ダイヤモンドがいくつも並ぶショーケース。今までは近づいたこともなかった。場違いだ、一生関係ない、あんなのの何がいいのかわからない。つけたらその美しさに見合わず自分が嫌になりそうな気さえした。
が・・・・・夫に促されてダイヤ付の結婚指輪をはめてみたのが沼の始まり。
あれ・・・・・悪くないじゃん・・・まぁでも毎日付けるんだからダイヤは1粒までよ。そんな3個も10個もダイヤ並んでるのはありえな・・・え?悪くない、いやむしろいい、なんだこれ、、、似合う。これ私の手?え?
私の手は、指が太く短く肉感があり、肌が黄色く皮膚もかたい。爪の形も丸くて平たくて嫌い。とにかくモデルの手と正反対の手。
指輪で手を目立たせたくない。だから石なしのシンプルなストレート以外つけたいと思わなかった。
それがな、逆なんだよ・・・・・手が細く長く美しければシンプルな指輪でも映える。
でも私みたいな指には(年齢的な事も考えて)ある程度華やかでデザイン性のあるV字やウェーブといった真っすぐではない指輪のほうがしっくり馴染んだりするのだそうで。
夫も、どうせ買うなら石ありがいいよとゴリ押しだったので、最終的には3石ついたウェーブを選んだ。
これまた便利なのが、落ち着かせたい場面では指輪をクルっとまわし石がついてない面を表にすればいいのである。まさしく2way(こういうの大好き)
一つだけ後悔しているのは、事前情報をサラっとしか調べてなかった事。
「結婚指輪探し」という言葉で検索すると、ブログやインスタ、Twitterでその体験談がわんさか出てくる。これを見てから行けばよかった。いろんなブランドの指輪そのものだけでなく、サービス・接客の様子などもレポしてくれてて助かる。あとみんな綺麗だなー手綺麗だなー爪もいいなーと見とれる(指輪見んかい)
婚約指輪もそうだが、私は指輪を商品としてしか見ていなかった。自分には必要ない。無くてもいい。形にこだらない。
でも、結婚へのケジメや想いをわかるように示す手段としては婚約指輪というのはとても大きな意味があるものなのだと、婚約期間を過ごしてみて実感したのだ。私の婚約期間はコロナの時期に丸被りしいろいろなイベントが出来なかった事もあり、夫ものほほんとしているし想いをきちんと口にするタイプではないので「え?これ婚約してる?大丈夫だよね?」状態だった。ヌルっと入籍したというのはそういう事だ。
きちんと準備して指輪を選びに行った人たちは、本当に幸せで楽しい時間を過ごしたんだろうなと思う。
そして婚約指輪、興味なくてもいいからとりあえず見にいってごらん。買ってもらえるのなら買ってもらおう。後でとても意味のあるものになるから。
1つ石の指輪なんて口実でもない限り買う機会がないって言われて買った。
他人の結婚式とかちゃんとした所に出ていく時にあると重宝する。
長いこと使えるし、もらっといて良かったと思う。
私は女だ。30後半で結婚した。婚約指輪はもらっていない。なぜならいらなかったから。
婚約指輪は女性の憧れ?知らん。私がアクセサリー?気持ち悪い。ダイヤモンドなんか似合うわけないだろ。
結婚指輪は買うけど、何にもダイヤとか飾りとかついてない真っすぐなやつで。これぞ「THE結婚指輪」。うちの親もこれ付けてた。
婚約指輪ほんとうに要らないの?他のものでもいいよ?と言ってくれた夫。
いらないいらない。パールのネックレスなら使うかな?でもバカ高い。いらない。そのままヌルっと婚約期間を終えて入籍。
でね、うちは顔合わせも結婚式もしてないので指輪の出番がなくて、結婚指輪も入籍後にちんたら買いにいった。
ダイヤモンドがいくつも並ぶショーケース。今までは近づいたこともなかった。場違いだ、一生関係ない、あんなのの何がいいのかわからない。つけたらその美しさに見合わず自分が嫌になりそうな気さえした。
が・・・・・夫に促されてダイヤ付の結婚指輪をはめてみたのが沼の始まり。
あれ・・・・・悪くないじゃん・・・まぁでも毎日付けるんだからダイヤは1粒までよ。そんな3個も10個もダイヤ並んでるのはありえな・・・え?悪くない、いやむしろいい、なんだこれ、、、似合う。これ私の手?え?
私の手は、指が太く短く肉感があり、肌が黄色く皮膚もかたい。爪の形も丸くて平たくて嫌い。とにかくモデルの手と正反対の手。
指輪で手を目立たせたくない。だから石なしのシンプルなストレート以外つけたいと思わなかった。
それがな、逆なんだよ・・・・・手が細く長く美しければシンプルな指輪でも映える。
でも私みたいな指には(年齢的な事も考えて)ある程度華やかでデザイン性のあるV字やウェーブといった真っすぐではない指輪のほうがしっくり馴染んだりするのだそうで。
夫も、どうせ買うなら石ありがいいよとゴリ押しだったので、最終的には3石ついたウェーブを選んだ。
これまた便利なのが、落ち着かせたい場面では指輪をクルっとまわし石がついてない面を表にすればいいのである。まさしく2way(こういうの大好き)
一つだけ後悔しているのは、事前情報をサラっとしか調べてなかった事。
「結婚指輪探し」という言葉で検索すると、ブログやインスタ、Twitterでその体験談がわんさか出てくる。これを見てから行けばよかった。いろんなブランドの指輪そのものだけでなく、サービス・接客の様子などもレポしてくれてて助かる。あとみんな綺麗だなー手綺麗だなー爪もいいなーと見とれる(指輪見んかい)
婚約指輪もそうだが、私は指輪を商品としてしか見ていなかった。自分には必要ない。無くてもいい。形にこだらない。
でも、結婚へのケジメや想いをわかるように示す手段としては婚約指輪というのはとても大きな意味があるものなのだと、婚約期間を過ごしてみて実感したのだ。私の婚約期間はコロナの時期に丸被りしいろいろなイベントが出来なかった事もあり、夫ものほほんとしているし想いをきちんと口にするタイプではないので「え?これ婚約してる?大丈夫だよね?」状態だった。ヌルっと入籍したというのはそういう事だ。
きちんと準備して指輪を選びに行った人たちは、本当に幸せで楽しい時間を過ごしたんだろうなと思う。
そして婚約指輪、興味なくてもいいからとりあえず見にいってごらん。買ってもらえるのなら買ってもらおう。後でとても意味のあるものになるから。
高校の時は酷い落ちこぼれで、毎回赤点、長期休暇は補修三昧、毎年留年の危機だった。
遊ぶの大好き、バイトも大好き、授業中は机の下で携帯触って、よく没収されてたな。
大学は推薦で地方の国立へ、先生には可愛がられてたからダメ元で推薦状を書いてくれた。
面接と小論文だけだったので馬鹿でも地方の国立大学に受かってしまった。
大学でも当然落ちこぼれたのだけど、当時の彼氏がめちゃくちゃ勉強出来る人で、テスト前のデートはだいたい勉強だった。成績はするする伸びた。
就活はやる気にならなかったので別の大学院に進んだ。サクッと受かった。旧帝の院。学歴ロンダリング成功。
そのままある程度研究して、卒業して、上京して、外資系の大企業に入った。
地元に帰った時、久々に連絡を取った高校の友達グループと飲みに行った。
話してて気づいた、すごく見下されてる。
友達の中で、自分は赤点ばっかの馬鹿な友人のままで止まっていた。
引かれると思って今働いてる会社名とかあえて濁して仕事の話をしたら、弱小ブラック企業で働いてることになってて、それが私にお似合いということになってた。
婚約したと話したら、結局大学院まで行ったのに男に逃げるんだねーとなっていた。
逃げじゃなくて仕事するよって伝えると、夫の稼ぎが無いことになってた。
とにかく悪い方に捉えられる、下に見られる。
夫は私より優秀で、私の数倍稼いでいる。ベンチャーだけど経営者だよ。
どこの大学院に進んだとか、どこの企業で働いてるとか、どうでも良いと思ってあえて言ってないのだけど、自分の近況を都度伝えないと、高校時代の自分のままのイメージで固定されてしまうのかも。
夫には友人(との関係を)切ったら?って言われるけど、貴重な地元の友人なので、年に数回会うレベルだし良いかなと思って放置してる。
疲れた。
人って変わっていくものなのに。
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も
100日後に婚約破棄されるOLを読んでいて、自分が婚約解消したときのことを思い出した。まともに振り返ったことがなかったのだけれど、ちょうど思い出したので、今後また別の人と婚約した際に同じ状況に陥らないように、あの時起きたこと、感じたことや分かったことを文字にしてざっくり書き出した。
婚約時点で既に数年付き合っていて、相手の経済感覚は分かっている気でいた。ただ、冷静に今振り返ると、「恋人だから」と性善説で捉え、目を瞑ってる部分が結構あったなと思う。自分よりもよっぽど給料の良い企業に勤めていて年次も上の人だったし、「結婚のことを考えてる人だからちゃんと貯金しているだろう、大丈夫」と自分で勝手に思い込んでいた。
また、年収や貯金額をストレートに聞くのははしたないし、恋人が聞いていい話題範囲を超えていると自分が(勝手に)思っていて、その考えを婚約後も引きずっていたのもよくなかった。あくまで別会計の存在である恋人ならまだしも、結婚して生活を共にする気がある相手に関しその点に違和感があるなら、厳密に確認するべきだった。
自分自身は、ひとからの頼み事は嫌だと思わずわりとホイホイ引き受けるタイプの人間で、それは恋人に対してもそうだった。でも、一個一個のお願いは自分のリソースを少し割くだけで済むものだとしても、そのまま際限なく引き受け続けると、お願いの要求水準は徐々にエスカレートしていくものだと認識しておくべきだった。引き受ける基準が相対的なものだと、お願いを一つ引き受けるたびに、自分の引き受ける/引き受けないの判断の境界線が少しずつ、それこそアハ体験のように気づかない間に、自分を追い詰める方向に移動してきていて、いつに間にか大きな負担を求められていたりする。際限なくお願いしてくる相手が悪い部分もあるかもしれないが、でもそうやって追い詰められるのは、一個一個のお願いをホイホイ許して受け続け、「自分はここまでしかできない」と事前にハッキリ表明していなかった自分も悪かったと思う。
冷静に立ち止まると、荒い金遣い以外にも、相手には、大事なところでわりと平気で嘘をついたり、自分勝手なところがあった。話し合いでその点を伝えたら、相手は自分が悪かったと認めつつ、「別れようというなら別れるよ、あなたの判断に任せます」と静かに答えた(あっさりそう言った割には、その後実際別れることになったらとても泣かれたし、別れた後もちょくちょく「会いたい」と連絡が来ていたけど。)。
もしその時、「心を入れ替えて、次からはもうしない」「今回は許してほしい」と許しを請う言葉が相手からあれば、たとえ「もうしない」の根拠が薄くても一度は許せたのに。一度振り上げてしまった拳を下ろすためのきっかけがなかったら、下ろすための心の整理は自分の中で完結しなきゃいけなくなる。このまま続けても無理だと頭でわかってても、情もあり心がその判断についていけていなかった時、拳を下すための心の整理を無理矢理自分の中でやってしまって、婚約解消後もゼロからのリスタートとして付き合い続けた期間があった。でも無理矢理した整理にはやっぱり無理があって、結局つらくなり、関係が破綻するのも早かった。
どうしてそんな相手と婚約に至ったのかを考えたが、自分自身、「夫婦」という関係性を過大評価していたのが原因かもしれないと思う。「恋人」は、自分が順調だと思っていても、突然相手から別れを告げられるかもしれない、制度上の根拠もなく移ろいやすい不安定な関係性であると思う一方で、「夫婦」は、制度上、恋人よりかは別れるためのコストが上がってまだ揺らぎづらい関係性である、と自分がどこかで思ってしまっている。こんな考えはおかしいのは分かっているし、初めての恋人に突然別れを告げられた自分の過去のトラウマが尾を引いているだけかもしれないというのも分かっているけど、でも、克服にはまだまだ時間がかかりそう。
一方で、そんなに別れが怖いくせになぜ自分から婚約解消をしたのかというと、経済感覚の不一致もあったが、好きという感情以前に、相手が信頼できない上、自分の心に負担をかけてくる人だと気づいてしまったから。結婚するなら、背中を守りたいと思えると同時に、信頼して自分の背中を預けられる人がいい。そこで後ろから刺されたり見捨てられたりするかもしれないという疑念が晴れない相手だと、きっと今後長い人生を一緒には歩めないと思う。
思った以上に長々と書いてしまった。尻切れだけどとりあえずここでおわり。
マジでないのよ、これが。最近ふと思って人に言ってみたら、みんな嘘だろって言うの。嘘じゃない。マジでない。
ちなみに自分は特に稼いでるわけでもない、20代の平均年収くらいをもらってる都内住みのOL。まだ独身だけど、新卒で入社してすぐ結婚するのも何だかな〜と思ってるから結婚したい欲もない。
勉強してないよ〜って周りに言ってガチで勉強してなくて、それでもクラスで1位は取れちゃうみたいな。職場の上司や先輩になぜか好かれて、贔屓してもらえるみたいな。物心ついたときからずーっとそういうタイプ。
「苦労したことないでしょ」って面と向かって言われたこともあるけど、エヘヘそうかも〜ってヘラヘラ返すし実際傷つかないし、相手は拍子抜けして終わるだけだから痛くも痒くもない。むしろ経験上、私にイヤミを言ってきた人はコミュニティから消える。私はボスポジションからお気に入り認定されやすいので、私の悪口を言うと追いやられるっぽいのだ。女社会って大変だなぁ。
なんか違う話しちゃったな。そう、羨ましい感情がないっていうアレ。
具体的に言うと、自分がハンバーグ頼んだあとに友達のステーキ見てたら食べたくなった……みたいな感情はある。ただ、お給料が高いとかイケメンと付き合ってるとか、そういう「女のマウント」的なものに一切の羨ましさを感じないのだ。
看護師やってる子が月収40万って聞いても、夜勤で不規則・イビリがすごい・患者からのセクハラがヤバい・他人の排泄物やら血液やら内臓やらを触らなきゃいけない……みたいなのと引き換えなら「別にいいや」って思う。
イケメンエリートの彼氏と婚約したって聞いても、相手のお母さんが教育ママっぽくて不安・いずれは義両親と同居・家事をしてくれない・女を見下す発言がたまに気になる……みたいな心配事を抱えなきゃないなら「別にいいや」って思う。
その場ではいいね〜って言うけど、内心「私にはその生活無理だなぁ」という気持ちしかない。
働かなくても億万長者みたいな人を見れば羨ましくなるのかな?でも働かないでダラダラ過ごしてると、生きがいがなくなりそう。やっぱり遠慮しておきたい。
もう少し年齢を重ねたら色々なことが見えて、一気に色々な人が羨ましく見えるようになるんだとしたら。それはそれで、人生おもしろくなりそうだと思っている。
てから、早3年半。
職場で出会って交際2年。もう少し仕事が落ち着いて、お金も溜まったら結婚しようと二人で話してた矢先、俺氏無念の転勤のお知らせ。
時々会っては一緒に映画見てゲームして、買い物して料理して、陽だまりでうたた寝して、むちゃくちゃセッ…な日々を夢見てた。
彼女も同時に業務内容が大きく変わった。クソ上司&取引先&前任者の時限爆弾のコンボでストレスだと何度も呟いてた。
心配だから電話もしたし何度も会いにも行ったけど、だんだんレスポンス下がって、LINEでも怠いとか忙しいとかお腹痛いとか、やがては既読スルーばかりに。
一回はウチにも来てくれたけど、それすらも面倒臭いと断られ。気持ちが一杯一杯になったからもう終わりにさせて欲しいと。
一番聞きたくない言葉だった。頭が真っ白になった。
指輪交換とかした訳ではないから、世間でいう婚約には当たらないのだろうけど、言っちゃ悪い(から言えてない)が無責任だなとも思った。
ただ説得の結果、またモチベが戻ってきたら復縁も考えようとの含みは持たせることができた。せめてもの気休め。
まさか、おじゃんになるなんて自分の予定の中には全く入ってなかった。滅茶苦茶パニくった。
心配して速攻飲みに誘ってくれた友人諸氏には本当に感謝している。その節はありがとう。
当時の自分の立場で(ここには書けない事とか)やれることはやり尽くしただけに、何でだという疑問は今でも消えることが無い。
浮気したとか、自分の落ち度が発端で振られるのなら分かる。でもそうじゃないから只管悔しい。
それで終われば良かったのだが、そうは問屋が卸さなかった。裏垢発見である。
幸い?自分の悪口等は無し、というか登場すらしていなかった。まあそんな事はどーでも良い。
そんな気配は特に無かった某作品のガチオタと化していた。作品に罪は無いから伏せる。
全国行脚もして、課金やアイテム大人買いなんかも結構してるみたいだから、下手すりゃ給料の半分ぐらいはオタ活に捧げているのではと思う程。
登場人物(の中の人)にガチ恋リプライ頻繁に送ってる点も、大人げないとは頭で分かりつつ、針が振り切れる位ぶわっとジェラシーが沸き上がった。
何だかんだ彼氏に求めるものって、性格なんざどうでも良くて、顔が良くて声が良くて、衣装がカッコよく着こなせることだったのだろうか。
いちゃいちゃ甘えて、美味しいもの食べて、美しい景色を見に行って、些細なことで無邪気に笑いあったあの日々は何だったのだろうか。
もう少し我慢したら一緒の家庭を築けるっていう期待とか、周りがあれ程期待してくれたこととか、一体全体もう何だったのだろうか。
気が変わる可能性に一縷の望みを託し、LINE送って待ち続けたあの日々は何だったのだろうか。
頭では分かっていても、釈然としない。
もっとも、自分に限ってこんな展開になるとは思っていなかったという見込みの甘さもある。
結婚後に気付いたら厄介だった分マシなのか(というか、それが為に自ら別れるよう仕向けた優しさ?)という考え方もできなくはない。
それに、彼女の現状を見て負の感情を抱いてしまうこと自体、他人の趣味にズケズケ干渉しているわけだから「またつまらぬ感情を抱いてしまった」と自己嫌悪に陥る。
ただ、誤解のないようにひとつ書き記しておきたい。
彼女を責めることはしないし、寧ろ今でも愛しているし、無茶苦茶だとは正直思うけどその点もまた愛おしいとさえ思っている。
出会えたことには本当に感謝しているし、だからこそ色々あっても、正気を保って今日も僕は生きている。
ただ、仕事とか他の事に没頭して気を紛らわす日々には、そろそろ区切りを付けたい。
だがいざ次なる相手を見つけようと意気込んでみたり、色んなきっかけで女性と知り合っても、その先へ踏み出すモチベーションが全然湧いてこない。
一連の騒動の中で、現状一番悩んでいるのがコレ。
同級生の結婚の報告とか、街中で見かけるカップル見かけた時とか、つい溜息をついてしまう。
はあ、どうやって抜け出したらいいんだろう。
詳細は都道府県で違って、富山県のように中学生とキスしただけで逮捕っていう事例もある。
共通の例外規定があって、婚約中もしくはそれに準ずる交際関係は除かれる。つまり、保護者公認の関係レベルならいいってことだ。双方の親戚に顔見せもしてないような段階で性行為したら、基本アウト。
https://biz-journal.jp/2016/11/post_17267_2.html
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/higai/kodomo/inkoj.html
みたいな言い回しを多少見かけるのだが、それは違うんじゃないかな。
ロリコンは立場的に対等な相手を性愛の対象にしているわけではないので、つまりはもともと権力勾配が必須の関係性を望んでいるわけだ。
簡単に言えば植民地がほしい、奴隷がほしいという20世紀前半のヨーロッパや、中世の貴族様的な思想である。
決してブラックではない。
ロリコンは100年以上時代を間違えている白人の貴族様である。
性愛の対象も、同一人物で考えてみれば、せいぜい5年といったところだろうか。10年だろうか。
犯罪にならないギリギリの年齢である13歳女性と真剣交際をしたとして、淫行に引っかからないためには婚約や親の承認が必要になるが、
それも20歳を目処にポイ捨てするなら、上辺だけの口約束に過ぎない話である。
人権意識がない時代の貴族が、同じく人権意識がない時代の民衆からその後どのような末路をたどったかはご想像におまかせする。
もちろん現代では同じようなことにはならないわけだが、それでも自分が他者の人権を無視した思想をもっている以上、自分達の人権を蹂躙されたところで何が不服であろうか?