はてなキーワード: 天体とは
正しくはこう。
https://www.kodomonokagaku.com/hatena/?2fe803545be2dc87d0bebf5c6f7f013a
たとえば地面に砂をこぼすと、小さな山ができる。でも接着剤などでかためない限り、
砂の山はいつしか崩れ、長い時間をかけて重力のはたらきで平ら…つまり丸い地球の表面と同じになる。
逆に、地面を掘ってへこみをつくっても、放置しておけばやはり重力のはたらきで砂や土が落ち込んで、
最後は平らになってしまう。地球の重力は、天体の表面が出っぱったりへこんだりするのを元に戻すようにはたらいている。
また、天体は宇宙空間にあるガスやチリなどの物質が集まって誕生する。
重力は距離が近ければより強く(正確には距離の二乗に反比例して)はたらくので、
いったん物質が集まってくると、周囲の物質はまん中へと引き寄せられる。
このとき、物質の重力は周囲のあらゆる方向に向けてはたらいているから、
物質の集まりは周囲のどの方向からも同じように押しつけられ、それぞれの物質が崩れたりつぶされたりして、結果として球になる。
球の形が遠心力で少し横に広がっている。また、重力がそれほど大きくない小惑星などの天体は、ぼこぼこと出っぱりがある独特な形をしているんだ。
はてな匿名ダイアリーだけでもそうだけど、
幸せを持たざるものは、どうやっても救われないで地獄絵図を作るキャストでしかない
一方、幸せな人生を送る側は地獄絵図なんてほぼ視界の外にして生きている
簡単に言えばアフリカの飢餓孤児をお茶の間のテレビで眺めながらホットケーキにメープルシロップかけて食ってる構図だ
もし真横に異常に腹の出た飢餓孤児がいれば内心穏やかでなく満足に食事も取れずに、
自分が食べる予定だった食べ物を分け与えるか、もう少し頭が良ければ救急車を呼んで入院させ点滴させるだろう
ところがどっこい、これは起こり得ない
何故なら遠いから
ただ遠いから、自分の生活と関わりがないからという理由で平然と無関心になれるしご褒美スイーツを食っても心を痛めない
今30歳、当時中学生1年の頃にアフリカの飢餓孤児をTVで見たときはフーンと思っていた
しばらくそんな国もあるんだと思っていたがふとしたとき気づいた
「俺と孤児のどこが違うの?」
肌の色とか民族とかDNAとかそういうのは割とどうでもいい話で
もしアフリカの民と日本の民がそっくりそのまま場所を入れ替えたら、
俺が飢餓孤児になってアフリカの子どもが食卓で目玉焼きを食いながら俺をTVで見ていたんじゃないかと
人によっては「日本にアフリカ人が住んでもアフリカのようになるだけだ!」みたいなことを言う人もいるかもしれない
じゃあアフリカ人が日本列島にたどり着いて日本人がアフリカ大陸に残った別の歴史世界の話でもいい
それとも俺の魂がアフリカの子どもで、アフリカの子どもの魂が日本人の体の中で入れ替わって産まれてきた世界でもいい
とにかく、完全に、運なのだ
運なのだ
こればっかりはどれだけ取り繕ったところで人生は運に支配されている
努力すれば変えられるという人も勿論いる
だが努力が公平であればあるほど、天才の努力に凡人の努力は勝てなくなっていく
甲子園に出場した甲子園球児が全員プロ野球選手になれないのと同じ理屈だ
プロ野球選手は圧倒的に眼の才能によって大きく分けられる
ドーピングは単純な筋肉量ではなくこういった鍛えにくい部位の筋力を増強させている
こうすることで恐ろしく早い速度のボールを肉眼でとらえることができヒット率が上がるのだ
結局、ボールをバットに当てる才能は天から授かりしものであり、
凡人はドーピングを使った「努力」をしなければそこまで到達できないのである。
しかしその努力はスポーツ界では認められていない、ただし公には。
では逆説的にすべての人間が同じ能力を持つクローン人間だったとしたらどうだろう?
発想も発明もファッションも日々の生活も何もかもどこを見ても似たり寄ったり。
嫌いなものはこの世から消え去り、自分の好きなものしか残らない。
ベースとなる人格がよほど凶暴でない、疫病が流行らない限りは一見、平和な世界に見える。
異文化があり自分と違う価値観があり、日々体験を更新していく方が個人の人生において充実しているのではないか?
自分が作った映画や小説など、所詮自分の想像以上の産物にはならないだろう
娯楽に頼ろうとしても自分の日記を振り返って読む感覚しか得られないだろう
なぜならその経験の解釈でさえも彼らは同じような解答しかできないからだ
明日も明後日も「この世は地獄だ」という日記を見かけるであろう
俺たちがそう思ったタイミングが別々に訪れ、別々のタイミングで同じ投稿をするだろう
そしてそこには同意のトラバさえつかず、なぜなら自分が分かり切ったことだから、自分の独り言に反応する必要性すらなく
ただ独り言が流れ続ける暗闇へと変わるだろう
ここで理想的解決としては運の最低の期待値をせめて飢餓孤児や産まれた瞬間殺される子どもでないように世界を作り替えることだろう
重大な疾患を抱える子どもを遺伝的コーディネイトしても良いかどうかは倫理観が問われるところだが
個人的には行ってもよいと考える
人間原理的に生存と繁栄は肯定され、そこに疑問の余地を挟まないのが当然だと思われている
絶滅しようがどうなろうが知ったこっちゃないというのが至極当然の感想だろう
この広い宇宙に知的生命体が人間しかいないという考えも妄信的で霊を信じるよりも俺にとってはオカルト的思想だ
また宇宙から寵愛を受けているから人間が誕生したというのもまた妄信的で人間原理によりすぎた思想だ
人間は宇宙から無関心であることに感謝しつつ、人間の選択そのものによって理想的な世界を手にするべきだ
理想的社会を手に入れるためならば人間は産まれる必要性があるかないかを選択することができ
恵まれた知能と肉体を一定以上備えた状態の子孫を望んだっていいのだ
関心があれば産まれたときから不幸な孤児をこの世に産むわけがなく、何らかの救済を宇宙の法則として残しているはずである
仏教には輪廻転生という言葉があり罪を減らすために現世に産み落とされるという
では産まれた瞬間からコンビニ袋に入れられ、トイレに捨てられ死んだ赤子はどこに罪を減らすチャンスがあった?
全く宗教が信じられないのはどれも神は人間に寵愛を与えているという観点である
俺は全く信じられない
俺が安心してホットケーキを食うことができるのは飢餓孤児が地球から存在しなくなった瞬間だ
それ以外では頭の隅から追い出して生活する逃避行動を取る以外にない
もしくは俺が自分の行動に矛盾性を排除するためには隣に飢餓孤児がいても無視して締めパフェを食う神経を身に着けるしかない
俺がどうしても神を信じて感謝することができないことはその1点だけでも十分すぎることだ
故に神や宇宙が人間にそもそも無関心であるという解釈を俺は信じている
そしてその上で神や宇宙が人間にとって安全装置として機能しないのであれば
人間にそれを作る選択権があることを人間自身が認める権利があるということだ
法について話をするのは、また別の機会にしよう
可能性の隙間があってそこを通り抜けたから存在しているのであって
寵愛を受けたわけでもなければ選ばれた存在でもない
宇宙・天体・この世の物理法則は自分らの隙間に入り込んだ生命に対しては無関心であり
故に生命は神や宇宙に頼らずに自分たちで選択しなければならない
もっと具体的に言えば俺が真に幸福にホットケーキを食べる瞬間は未来永劫来ないことになる
この世は地獄だ
喜ばしい経験、たとえば美しい花を見ることが重要みたいなところが印象に残ってるな。
『意味の探求 人生論の哲学入門』だけど、かなり高くなってるな。
酒はより大きな苦しみをもたらすことも多いから手を出してない。
幼児の頃に一回祖父母に親とともについていったのと修学旅行とかだけ。楽しい記憶はない。
自発的に行った映画はパトレイバーの一作めとエヴァの二作めだけ。
ライブ・コンサート・演劇等に自発的に行ったことはない。学校行事くらい。
漫画家のサイン会に一度行ったことがある。歩いて行ける場所だった。
アニラジのイベントに一回行ったことがある。一回乗り換えるくらいの距離。
結果的に喜びをもたらすこともある。
姿を見ると喜びを感じやすい人がいる。特別に外見のよい人だろうな。
それらの趣味は凡庸。多くの人がよいと言うものをよいと感じることが多いと思う。
気分がましなときだったからか、昔やったゲームのBGMを聴いて喜びを感じて
見ることに喜びを覚えていた。
子供の頃はスーパーマリオみたいなアクションゲームを楽しんでいた。
最後に漫画を単行本くらいの量をまとめて読んだのは2010年の12月だな。
ゲームはやったとしてもほぼ続編というか、
ドラクエ、メガテン、エムブレム、トゥルーラブストーリーの関連作で、
世界樹、アルトネリコ、ブレイブリーデフォルト、ミリアサ、チェンクロくらいか。
ブレイブリーデフォルトはほぼ名前の変わったむかしのファイナルファンタジーだけど。
国→ヘタリアやら
県→なんかぐぐったらあった
山とか川とか→昔からある
現代人→小泉の麻雀漫画とか。あと中国のソシャゲで金正恩が美少女化してた
魚→さかな君
虫→知らんけどあるだろ
植物→なんかググったら野菜「そんなっ…かけられたら…っ」 ドレッシング「かけないとおいしく食べられないだろ」とか言ってたからある
車→車なご
自転車→薄いけどむずいよね
電車→よく知らんがどう考えてもある
飛行機→よく知らんがどう考えてもある
城→DMMのげーむ
筋肉→筋これ
家電→知らんけどあるだろ
OS→あった
薬→なさそう。難しそう
酒→コナン
映画→なさそう。ねらい目では?
文房具→薄そう。狙い目では?
お金→薄狙?
カメラ→薄狙?
時計→薄狙?
ファッション→ある
地球と太陽は(あるいは宇宙に存在するすべての天体、存在は)引かれ合って回転している。
地球が太陽の周りを公転しているのは事実だが、公転の中心が必ずしも太陽のど真ん中か、とは言い難い。
これは質量差が結果、そう見せているだけで、地球と太陽だけを見た場合、二つの天体の中心点を結んだ線上のある地点(質量的中間点)を中心に互いに回り合っている。
その点は、調べたことはないが太陽の内側に位置すると思われる。
さらに太陽を中心に複数の天体が存在し、太陽系をなしているが、これすらも別の中心部を軸に公転している。
この大曼荼羅的な、三千世界的な宇宙の形を仮に有限とすれば、全てのものは時間の経過とともに移動し、同じ位置に戻ることは二度とない。
最も、空間の果てが無限で、時間さえも永遠に流れるのであれば、宇宙空間上で『定点』など存在しないので、結局は観測者次第となり、なぜ地球がどこにも行かないかと問われれば、それはあなたが地球上にいるからだよ、答えるのがいいのだろうね、とストレスとともに回答してみる。
確かに整合性がおかしいところは多い。私は3年のずれに気づかないことよりも、この広い宇宙で隕石が1200年周期で同じ場所を直撃することのほうが超天文学的確率というか、分母が10の何乗になるのか、そのほうがずっとありえないと思いながら見ていた。
http://anond.hatelabo.jp/20170122101332
ティアマト彗星の名は、シュメールの龍神ティアマトからとって新海監督が命名した。
ティアマトは神話では天地に引き裂かれて世界創造の元となった、また20世紀のヴェリコフスキー宇宙論ではティアマトも彗星として解釈されるのだという。
神話や宇宙論における役割は公開後まで新海監督は知らなかったそうだが、ふつうは人名の彗星の名前をティアマトとしたのは
監督がアカシックレコードに接続してこれら関連情報から無意識的に適切な命名をしたのだと、ムー1月号での新海監督インタビュー記事にて明かされた。
そしてムーではもう一点、作中で描かれているが気が付きにくい事が新海監督から発表されている。
テッシーがムー読者であり三葉の入れ替わりに並行世界やエヴェレット解釈、アカシックレコードを持ち出したのはセリフにもあるから皆さん覚えておいでだろう。
終盤、避難のために奔走する時にもテッシーはムーを持っていて、その表紙には「ティアマト彗星は人工天体」との見出しが書いてあるんだそうだ。
全然気づかなかった。
糸守には過去の隕石落下でできたと思しき場所がある。糸守湖と宮水神社の御神体のあるクレーターだ。
そして劇中では3度目の落下が描かれている。
1200年周期で巡ってくるティアマト彗星が毎度来るたびに地球付近で分裂して落ちてくる。偶然にしては出来過ぎ。
それも地球上にどこかへ落下、ではない。精確に糸守を狙っての着弾。大気圏で燃え尽きることなく地上に爪痕を残す龍。
何曲そのまま流すんだよ、やっぱり委員会方式よくない、レコード会社がねじ込んでくるからこういうことに……って思ったけど
途中からミュージックビデオとしてみればいいんじゃないかと思い始めた。
あとはカップルが多かった。
全体的に年齢層低めだったな。
自分の中で一番盛り上がった。
四国行ったんじゃなかったのかよ!
なぜ飛騨にいるんだろうか。
謎は深まるばかり。
雨の描写とかは言の葉の庭のほうが美しいかもしれないが、天体ショー的な派手な描写では勝る。
人間のアニメーションの動きが抜群にいいが、CGモデルをトレースしているっぽい。めちゃくちゃ注意すると一部CGっぽさが気になる。
こういうバランスで星を追う子供的なの見たかったかもしれない。
山はいい。美しい。
自己言及的。「新海の映画」の中でどこかで見たようなシーンとセリフが多すぎる。
具体的には「秒速五センチメートル」と、「空の向こう、約束の場所」「星を追う子供」
進化を感じない。前二作のほうがあがいてる感があったが。
予算かけて売れ筋の映画を撮るっていうのは挑戦なのかもしれないけど。
女子中高生向けなのにサービスシーンやたら多い。けどエロさを全く感じないので女子的にはOKなのかもしれない
秒速は心に突き刺さったのにこれには乗れなかったのは、年をとって大切なものを失ったからなんでしょうか?
と。ちょっと思った。
増田アースに大きな月はない。たまに近傍小惑星が捕獲されて小さな月になる程度である。
すると何が起こるかと言えば、潮汐の原因が恒星に限定されるため、
潮の満ち引きのタイミングが単調になる。
海岸の地形にも影響されるが、零時と十二時より少し後の時間がいつも満ち潮になるのだ。
しかも、二つの天体の引力が重なることがないため、大潮や小潮などの変化も存在しなかった。
海の生き物は潮の満ち引きに影響されて産卵などをおこなっているのだが、
潮汐の単純な増田アースでは、これも単調にならざるをえなかった。
結果的に生物活動のタイミングが被って海の中は幻想的な大混乱になる。
素数ゼミ的な回避方法はあるものの、それだけではいかんともしがたいところがあった。
結局、ベントスたちの産卵と放精、巣立ちのタイミングが被りまくり、過度に雑種が誕生しやすい環境になっていた。
増田アースに大きな月がないことは種の多様性にとってブレーキなのだった。
増田南蟹もその一種であり、腹に抱いた幼性を海中に放つタイミングは子供たちの育ちかた次第。
そのおかげで意外に有利な時期にあたって進化の可能性を開く場合もあったが、
うんを天にまかせて放り出される小蟹たちにはたまったものではない。
ただし、行動パターンが読めないマスダナンカニの幼生を専門的に付け狙う捕食者は少なかった。
之の字運動の無意味に思える小さくランダムな変針も、行動を読ませない役には立つみたいなものか。
特におそろしいおそろしいのが鯖鰈である。常に増田海を徘徊している鯖鰈は口に入るものなら何でも食べてしまう。
マスダナンカニには若干の毒もあったのだが、鯖鰈は腹を壊した獲物を食っても、自分は腹を壊さない。
知的生命体の無思慮な活動によって生成されるspamのみが鯖鰈の胃袋にダメージを与えることができるのだ。
鯖鰈は海に送り出されたばかりの増田を食い荒らし、ついでにマスダナンカニ本体も食らう。
他にも月のない海には悪食派の生物が満ちあふれていた。
一方、陸には毎日野菜350gしか食べない偏食派のシマウマがいた。
だいたい分類すると、犯罪者か侵略者か簒奪者に分類されると思うんだ。
盆なので子供と『アニマル惑星』を見たんだけどさ、最後まで見てて、最後の最後、悪役のニムゲのボスにちょっと全部持って行かれちゃった。
防護服がないと生きていけない過酷な暗黒の世界で、おそらく病気も多く平均寿命も短いだろう状況で、文明も破壊されてスクラップをあさる生き方。
清浄な環境や、文明的な社会が一番近くの天体にあることが解れば、行きたくなるだろう。
だってそうしないと、自分の子供だって死産や奇形が起こるんだぜ。それも1,000年も前の先祖の行動で。
僕なら、やっぱり侵略をすると思う。
でも彼らは、同族にすら理解を得られずに、強引に戦端を開いて、仲間の乗った宇宙船はどんどん撃沈されて、後ろからは同族に追いかけられて。
20歳くらいから、ずっと地震に興味があって、さまざまデータを見たり調べたりしてきました。
途中数年はお休みしましたが、ここ4年くらい、また再開してます。
直前に、体調悪いな、と思った方いたかもしれません。
これなんですけど、世の中には「体感」と呼ばれるものを持つ人がいます。地震の前触れや前兆を無意識に感じます。耳鳴り、めまい、頭痛、フワフワ感が代表的です。震源地の方を向くと耳鳴りがする、と言う人もいます。
なんですが、これらを体感として捉えるのは簡単ではありません。たいていがニセ体感です。
まず大前提として、地震を当てている体感持ちの人の多くは、当日前日ではなく、早ければ10日〜一週間前には体感を得ます。
熟練した人であれば、月単位で推移を見ながら、前兆を察知します。
なので、まずは、その体調変化が当日突然、などの場合は単なる体調不良である可能性の方が圧倒的に高いので、体感と呼ぶにはちょっと時期尚早です。だいたい、今回くらい大きいと、体感持ちではなくても2〜3日前からわりとフワフワしてたりダルかったりするもんです。あと、ソワソワしたり。
で、細かい話です。
その1
地震は、低気圧が去ったあと、高気圧に引っ張られて発生することがよくあります(逆に言うと、低気圧の最中は地震が起きにくい)。「よくある」というだけで、当たり前ですが低気圧は地震前兆ではありません。いわゆる「ニセ体感」はこの低気圧が原因であることがほとんどです。私も今回の地震の日は、一日中えらい頭痛がしましたが、かなりぐーっと気圧が下がっていた日でした。私はこれが体感だとは思いません。
その2
地震発生前に地殻変動が起きることで発生する磁波が体調に影響することもあります。多くは耳鳴りに出るようです。これは体感と呼んでいいと思います。耳鳴りの種類、大小で地域や規模がわかるようです。
が、これも地震由来ではない磁波も多くあるので、よっぽど普段から耳鳴りと地震に意識がない限り、関連付けは難しく、大震災を二回感じればまあ、人に言っていいかな…レベルです。M4程度の磁波からつかんでいたら、多分普通の生活できません。で、ホンモノの体感持ちさんは、普通に生活できていないことも多いのです。
その3
月の満ち欠け。天体の動きは重力に影響するので、当選地震にも影響があると言えます。
が、特にほとんどの女性は月単位で体調が変化します。これはどうしようもないことです。なのでこちらも、月単位での記録をしているなど、よーく精査がされていない限り、ただの毎月の体調変化です。
他にもさまざまあります。
繰り返しますが「今回の地震の前に具合変だった!」ということは体調に敏感な人であれば普通のことです。なので、次、耳鳴りがあったり頭痛があったりしても、普通の体調不良である可能性をしっかり認識して早とちり、思い込みのないようにして欲しく思います。仮にそれが体感であれば、この数日はまともに生活できていないと思いますよ。
なによりも良くないのは、周りに触れ回って他人を不安にさせることです。体感から地震を予知しようと思うなら、数年単位で修行してデータをとって、さらには体感だけではない、科学的・物理的・天文学的に多様な情報を集めて、そのうえでようやく大事な人に言っていい、くらいです。
ちなみに私は、データ取りまくってる人の体感なら信じますが、占い的な人の体感は信じません。こんなふうに、信じる、信じないは自由です。でも、発信する側になるなら、命に関わることだと肝に銘じてやってほしいと強く思います。