はてなキーワード: 問答無用とは
思っていたよりもそのスピードが速い。
そもそも僕はこれまで縁が無く、実際に体験したのははじめてなので、混乱している。
何がいけないのか?楽しそうな後輩に僕はうまく説明できなかったのだ。
でも直感が僕に「それはやめとけ」と言っている。
自分の頭を整理するために書きだしてみる。
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・巧妙さについて
・周囲の人間への若干のバレと溝について
・僕が後輩を止めようと少し思っている判断の迷いについて
はじめに書いておくけど、僕はねずみ講は好きではないが嫌いでもない。しつっこく勧誘されたこともなく、どうでもいいものだと思っている。
ただ、考えてみたくなっただけなのだ。
(ねずみ講に入ってるから嫌いになるってことはないよ、嫌いになるとしたら、しつこいあなたのことが嫌いになった時だけだ。って感じ。)
ねずみ講にまつわる被害や苦労やとばっちりやネタ話や都市伝説や防衛反応なんかも、ひとつだけを鵜呑みにしたくはない。
だから、良い機会だと思って、自分の経験から考えてみることにした。
( )内にたまに、書いた時に分かった自分の感覚をメモしておく。
読みにくいけど、基本は自分のために書く文章なので、大目に見てほしい。
その基本以外は、後に同じような出来事に出くわした誰かの参考になれば、と思う。
それは、その人の現状にとても関わりがある。
その人は一言で言ってしまえば、生活が孤独だった。まわりに同年代の友達がいないと嘆いていた。
一人暮らしで、親とは別居。
社員として暮らしているが、遠くから引っ越してきたので、職場と家との往復の日々。
ここまでは、まぁ苦労人だなぁ、たまにいるかなぁといった感じである。
ある日から、その人は嬉しそうに、豪華なマンションに遊びに行くことが増えたという報告をしてくるようになる。
この時点で僕はただ、「同年代の友達ができたのはよかったね」という認識でいた。
しかし、数回その話を聞くうちに、段々とその集団が組織がかっていることに気がつく。
しかしその人(以後Aとしよう)はまぁ、本当に楽しいのだろう。バーベキューやパーティーだの、はしゃいでまわりたい年頃ならば至れり尽くせりである。
豪華な持ち部屋でパーティー。真剣に話せる友達もできた。まぁ、それは今までから考えれば最高でしょう。
美味い話には裏がある、という、親から口酸っぱく言われた言葉のせいかもしれなかった。
なんたってAは、本当に嬉しそうなのだ。本当に嬉しいのだと思う。なぜ僕がAの心からの笑顔に水を差さねばならないというのか。
「高いのだけども、良い品だ」というのだ。それは僕に興味のない品だったので、「そうなのか」と返した。
ついでに、「ローンを組むための、カードの審査を通したい」と言っている。
「なんで?」と僕が聞くと、Aは「空気清浄機が欲しいけど、高いから」という。
その時確かに若い人には、数万は一括で買える値段ではないか、と思うだけであった。
その3日後、「水の浄化機を買った」とその人は言う。
水を一口もらった。水道水よりかは美味いな、と思ったが、僕は元々味に鈍感なので「美味いね」とだけ言った。
「いいんですよ。これが。」
あ、この人はなんかにハマってきてるな、と思った。
(僕は生活用品に高い金を払うのが嫌いだが、明らかに用途が不明なものでも趣味の雑貨を買う癖があって、それの健康志向バージョンかなーと思っていた)
符に落ちた。この時僕はすっきりした気分さえ感じた。知らない部分のブラックボックスのようなひっかかりが、謎がただ一言に集約されていた。きみ、そりゃねずみ講が仕事の企業だ。
「ありゃだめだ、っていう人多いし、評判は悪いけど、ものはいいんですよ」
そりゃそうだろうな、という気分だった。
たぶんAは高級な消耗品を使ったことがない。値段のわりに質が良かろうが悪かろうが比較できないだろう。
っていうか、宝石の原価がバカに安いという話を聞いたので、それなりの物に値段を上乗せするのはお茶の子さいさいだろう。
「秘密にしておいてください」
ごめんね、書いちゃったわ。
(追記:この時僕は「ふうん、よかったね。でも、カード作る時は金利に注意しなよ。ねずみ講の危ないところは、友達をなくす可能性があることだ。「こいつは、自分の金儲けのために自分と友達になろうとしている、そういう下心がある」と思われたら、友達がいなくなるよ」と伝えた。この対応が良かったかどうかは、分からない。ただ、若干キツめに言っておいた方がよかったという反省がある。なにせその後の展開が早かった。)
(そして、ぼくの最大の勘違いは、Aにとっての友達というのが組織の人間だったってことに気がつかなかったことだ。Aにとってこの一言は痛手ではなかった。もちろんある組織に属している人間は問答無用で避けるべき人格の持ち主だ、と断言できる組織を僕は知らない。ただ、友達関係でいることに、組織の力が噛んでいると、その組織から離れられなくなる。そして僕は何がしかに縛られるのが大変嫌いなのだ。買え、食え、入れ、ともっともらしく命令されることに腹がたつ性分だから、そういう意味で、自分が関わるうえでの組織の強制力というのはあまり好きではない。友達との関係に一枚噛まれるなどはもってのほかである。ただ他人の幸せに口をはさむのもなぁ、と思うから、どこまで言おうか迷う。)
その1週間後、複数人で一緒に食事をした時に、その人はサプリメントを飲んでいた。
人にも勧めている。まぁ、と飲んだ知人に、「それならこの水で」という。
おい、秘密にしたいんじゃないのか。なんかの雰囲気がバレバレだぞ。
(同席した知人Bは「水にはまるのは、やばい(信仰宗教的な意味で)」と言っていた。勘が鋭いやつはたまにいる。)
その次の日に「ダイエットでもするかな」と僕が言うと、「あのサプリメントがいいんですよ」という。
「昨日飲んでいたやつか」と僕が言うと、「いや、また別のやつ。野菜一日分が摂れるサプリメントがあって」という。
僕(油と砂糖を絶ってお茶でも飲んでおけば健康体並みには減るだろうと思っているから、サプリメントに興味はないなぁ。)
で、「野菜ジュース好きだから」と返すと、「いいのになぁ」という。
しつこいな、と僕、思う。
言ったこと忘れてるだろ。
ここまでで、僕が、手口について気がついた事はいくつかある。
・組織の人間は多分マジで悪人ではない。(下心の有無はともかくとして←これがまた曲者で、下心などは信じたくないんだろう。楽しく遊べる唯一の友達なのだから当たり前だ)
・徐々に商品を買わせる(方法は不明)
そして、
これは重要だ。
つまり、「ねずみ講だから、やめろ」というだけの説得は無力なのだ。
生活の中の孤独という問題の根の深さと共に、なにが問題なのかということが僕への課題になった。
ところで、僕はAを心配している。元々不安定な状況にあった人間だということは本人から聞いた。
どこまでハマるかわからない。まぁ、それだけといえばそれだけだから、僕はAがあっちにいこうかどうかなんてどうでもいい、と思ってもいいのだ。
そして、引力に逆らう理由も、考えなければ言葉にできないな、と思った。それは、ぼく自身についても危険かもしれないな、と思った。
で、いまは、周りの人間の反応をみているところだ。
ともかく、そんな感じでバレバレなので、まぁ勘の鋭い知人はチョっと検索して「おやこれはあの企業」というところまでたどり着いてしまった。
こうなればあとは時間の問題である。僕が一番危惧しているのは、Aがあるグループ以外からはますます孤立を深めてしまうことだ。
(ある集団と「しか」繋がれないというのは、どこにも繋がらないよりかはマシだが、相応に孤独なものだと思うから、できるだけ僕個人はそれを避けたい。僕は個人として「会いたい」と思ってくれる人間と話すのがとても心地よく好きだし、呑む時にできるだけ今ある組織や社会性に干渉されたくない。)
そうなればAは集団の中にグングンのめりこんでいくであろう。すでに若干Aの一言一言がしつこいので、僕に売り込みという「実害」をもたらすのも時間の問題である。
僕はその時Aを嫌ってしまうだろう。致命的に嫌ってしまえば、その人間と一緒にいることは苦痛になる。僕はそれが嫌なのだ。
wikipediaにあったんだけど、これを読んだだけでもう完全にアスペに対してうんざりしてしまう。
自分自身が冷静で客観的なら、「他人の感情に影響されない」というのも天性の才能だと思う。
でも自分は酷く感情的になることもあるくせに、人の感情が理解できないって何よ…。
人の気持ちを理解できないから無自覚に踏みにじることもある、でもそれは病気だから仕方ないから怒らずに許してくださいね、
でも定型の人たちは僕の感情を理解するべきです、病気じゃないんだから出来ますよね、理解しなければ差別です、って。
どんなサンドバッグだよ。
アスペ男と好き好んで結婚する女が少数だけど居るように、それが全然平気な人も居るのかもしれない。
平気なら友達になればいいし、結婚すればいいし、支援団体とかで働けばいいんじゃない?
でも親とか、子供とか、兄弟とか、血縁者がアスペだったら問答無用で一生逃れられなくて地獄だよね。
なんだか「アスペを差別しないようにしよう」「アスペに理解を」的なことが叫ばれてるけど、
今一番苦しんでるのって、アスペの子供やアスペの兄弟なんじゃないの?
アスペ自身よりも、このお姉さんのようなアスペ家族の問題にもっと着目するべきなんじゃないの?
殺人なんて、コントロール不能なレベルで感情が暴走しないと起こさない。
人の感情は理解できないくせに、自分は感情を暴走させるアスペ。
暴走して家族を殺しても、心神喪失を理由に減刑。医療観察などの措置をとられることもある。
建前としては2つのOSを併用しての慣れ、移行を意識したもの。デュアルブートをしてみること自体にDIY的な興味もありました。
対象は、Windows XP Home 32bitがインストールされたデスクトップPCです。
1台目のハードディスク(ディスク0)はパーティションが2分割されており、CドライブにWindowsXPがインストールされ、Dドライブはその他のデータ用です。未割当の領域は無いのでパーティション操作ツールを使ってDドライブを縮めて空きを作るつもりです。
そこにもう一つのOS/Windows7 Home Premium 64bit DSP版をインストールし、XPとのデュアルブートにします。以下、覚書です。
まずは、情報収集です。「Windows XP 7 デュアルブート」などで検索しました。
やはり公式ということでMicrosoftのウェブサイトの説明をはじめによく確認しました。http://windows.microsoft.com/ja-JP/windows7/Install-more-than-one-operating-system-multiboot
説明としては割とシンプルなもので、要はOSは古い順にインストールせよ、新しいOSを空きパーティションにインストールせよというだけのものです。
次いで移行wikiやmynavi、DOSVレポート、ITAYA氏のサイト等各所詳しい方々の記事も参考にしました。
http://news.mynavi.jp/special/2009/windows7/023.html
http://www.dosv.jp/other/0907/16.htm
http://www.geocities.jp/itaya_ys/TIPS/DualBoot/index.html
基本的に先にXPがインストールされていれば、さほど難しいこともなく7もインストールでき、起動時にブートメニューが示され「以前のバージョンのwindows」か「windows 7」のどちらを起動するか選べるようになるとのことでした。このときの既定のOSや待ち時間はWindows7のシステムのプロパティから設定できるようです。
ブートマネージャーをコマンドプロンプトで編集する方法や、EasyBCDで編集する方法も紹介されていました。
Windows7 64bitに必要なドライバをダウンロードしておきます。
マザーボードメーカーのサイトから、チップセット、LAN、サウンド、グラフィックの各ドライバをダウンロード。
Easeus to do Backup
インストール先のハードディスク(ディスク0)を丸ごとイメージバックアップします。
Easeus to do Backup 5.5でディスク0を外付けハードディスクにディスクコピー。
Mini Tool Partition Wizard 7.7でDドライブのサイズを縮める。
特に異常なさそうなことを確認。
はじめXPを起動したままインストールしようとしたが、「このインストールディスクは、お使いのバージョンのWindowsと互換性がありません。詳細については、コンピューターのシステム情報を参照してください。Windowsを新しくインストールするには、インストールディスクを使ってコンピューターを再起動(ブート)し、[新規インストール(カスタム)]を選択してください。」などとメッセージが出てきた。問答無用に上書きしようとするらしいが、32bitと64bitだし、DSP版だし、でアップグレードインストールできないのは当然。
Win7のインストールDVDを入れたままPC再起動。BIOSポスト画面でキーを押してDVDドライブからの起動を優先させる。
インストーラが起動し、インストールを進めていく。インストール先に未割当の領域を選ぶ。
その後普通にインストールを進める…はずが、うっかりインストール途中の再起動時「Press any key to boot from CD or DVD」と表示されているときにキーに触ってしまい、初めからインストールやり直しになってしまった。無駄にWindows.oldを作ることになった。
再起動やシャットダウン後の起動を行い、XP・7いずれもブートメニューから選んで問題なく起動することを確認。
チップセットドライバ、LANドライバ、サウンドドライバをインストール再起動。
.NET Framework 4.5をインストール(Radeon の新しいCatalystには4か4.5が必要。なぜドライバのユーティリティにこんな大きなランタイムめいたものが必要なのか…)
Windows 7の標準機能でシステムイメージバックアップ。起動に必要なファイルが含まれるのでXPのパーティションも一緒にバックアップされる。
XPから、Windows7のパーティションへのアクセスを不能にする。
http://www.geocities.jp/itaya_ys/TIPS/Vista/Vista05.html
XPからは容量0・空き容量0・未フォーマットのローカルディスクとして見えるようになる。(アクセス不可)
Cドライブ(XP)、Dドライブがあるので、なんとなくEドライブがWin7のシステムドライブになると思っていたが、Win7を起動したらインストールされたドライブはCに、XPのドライブはDに、DドライブだったものはEに、以下他のドライブレターも順にずれていた。
当然XPを起動したときはもとのドライブレターのまま。(Win7はE)
ディスクの先頭に約100MBのシステムパーティションが作られる、と聞いていたが今回は作られなかった。
WindowsXPのあるCドライブのbootフォルダの中に関係ファイルがあるようだ。
『「以前のバージョンのWindows」を選択実行した場合は、NTLDRが読み込まれ、BOOT.INIに複数のOSが設定されていれば、そのメニューを表示し、BOOT.INIに1つのOSしか設定されていない場合は、すぐにそのOSが起動します。』(http://www.geocities.jp/itaya_ys/TIPS/DualBoot/index.html)
なるほど。たとえば、XPと2000がインストールされている場合、以前のバージョンの...を選んだら、XPと2000のどちらを起動するかメニューが表示される、と。
だいたいどこのメーカーも同じだと思うけど、ATMの札数える機械(紙幣入出金機)には接客部、認識部、一時保留部、収納部(入出金庫)ってのがある。
メーカーによって名称は違う。紙幣の裏表を判別する表裏反転部ってのもATMによってはある。
入金の際の紙幣のおおまかな流れは、
接客部(札を入れるところ)→ 認識部(札を数えるところ)→ 一時保留部(数え終わった札を一時置いとく場所)→ 収納部という流れ。
出金の場合は逆。
認識部を通った紙幣は一時保留部で一時保管される。入金金額を画面で確認して確認ボタンを人が押すまで紙幣はここに留まる。
時間制限があって、確認ボタンをいつまでも押さないとここにある紙幣は接客部に返却される。だいたい60秒から120秒。
接客部から収納部までのいずれかの経路で紙幣が詰まった場合はエラーになる。
紙幣が詰まってないのに紙幣が詰まったっていうエラーが吐き出される場合はセンサーが故障したか埃があるか汚れてる。
エラーが発生したら普通は鍵持った銀行員とか金触れる権限を持った警備員のおっちゃんがATMを開けて詰まった紙幣を手で取り除く。
機械に慣れてる人ならぱっぱと復旧出来るけど、慣れてない新人とかの場合はメーカーに連絡来る。むちゃくちゃ来る。
どこで詰まってるのかも今の機械は教えてくれるけど、連絡くる。どうしても復旧しない場合はメーカーの人間が行く。救急車より早く行く。
で、件の50万入れたのに48万の表示がされたってのは、認識部を2枚通ってないって話になる。
通ったけど認識出来なかった紙幣(子供銀行券とか)は基本接客部に返却される。
認識部通って機械が「なんじゃこのきったねー紙幣。読めねーよ」ってなったら問答無用で接客部に返却される。
その間の経路で詰まればエラー発生。基本読めねーのは汚い紙幣だから詰まっちゃうこともある。
エラーにはなってないって話だから、じゃあ2万はどこに行ったの? って話に戻るけど、
認識出来なくて紙幣を接客部に返したけど、返された本人が気付かなくて時間制限で接客口が閉じちゃった!
って場合にはリジェクト部ってところに搬送するようになってる。
ここにある紙幣は読めなかった紙幣(リジェクト)だから当然返さなきゃなんない。
機械も「入ったよー」って知らせてくれる。銀行員気付く。謝罪する。返却する。
接客部のシャッター口もだいたい60秒から120秒で閉じる。後から来た人が持ってかないようにシャッター閉じてリジェクト部に搬送する仕様が主流。
それでも持ってく猛者もいる。その場合は刑事事件。銀行の方針やATMによって違うけどだいたいこんな感じ。
認識部をしっかり50枚通ったのに2枚カウントされなかったケースとして考えられるのは、
認識部の異常とか、重走(2枚同時に走る)が考えられる。
これもエラーになることがほとんどだけど、万が一エラーを掻い潜ってしまったら、あとは人間の目で確認するしかない。
銀行員は数を数えてくれなかったって記載があるけど、これは銀行側の怠慢かもわかんない。
客からの報告があれば機械の中にある金全部計数し直すのが基本。それが客の勘違いだって分かりきってても。
今現在ATM内にいくらあれば正しいのかって数字はATM側でもオンラインセンター側でもわかってる。
その数字そのものが間違ってたらお手上げだけど、人為的なミスが何度か重なり続けない限りその数字が狂うことはないと言っていいと思う。
で、計数してその数字と実際の金額に差額があれば「何じゃこりゃ!」って話になってその責任の犯人探しと擦り付け合い合戦が開始される。
ATMの稼働時間を延ばしたい! 客が並んでるのにATM止めたくない! というのが銀行の本音だから、
客が申告してその場で精査とか精算とか呼ばれる上記の作業をしなかったとしても、その後ちゃんとチェックする。
その時に差額が発生してたなら当然申告してきたこの人に謝罪と原因、再発防止策を告げなきゃいけない。
これは原因不明とか言って有耶無耶に出来る規模の話じゃないので、隠ぺいするとかは出来ない。
隠ぺいがばれたらたぶん業務停止食らう。というかばれる。これはよく言われるけどたとえ1円でも。
この人の言うことが真実で正しければ新聞とかテレビで賑わう。金融庁も出てくる。日本を揺るがし日経平均もたぶん下がる。
で、無駄な仕事と無駄な人員が発生するから長々と増田に書いてみた次第。
あとあれな、タッチパネル。押しても反応しないとかは画面の上に物置いてかないか一度見てみて。
次使う人のことも考えて出来るだけ迅速に、綺麗に使おう。
<はじめに>
ヱヴァQが面白く無かった人の中には、どうしてそれが面白く無かったのか、
どうしてあんなに面白く無かったものをありがたがる人がいるのか、を理解できない人もいるかと思います。
(理解した上で嫌悪感を感じる人は本説明の対象外です)
そうした人達に向けてヱヴァQおよび旧作エヴァンゲリオンの面白さと面白く無さを説明してみます。
ただし、これは「説明」なのであって、ヱヴァQはだから面白いよねという「説得」ではありません。
理解できたからといってヱヴァQが面白くなるわけではありません。
<要約>
ヱヴァQはアンチorメタエンターテイメント的な構造=「期待を裏切られる楽しみ」を持っている。
(ここでいう「期待」とは「謎の提示→解決」「話のフリ→オチ」「主人公の苦難→成長」という、従来のエンターテイメントが持つ構造である)
「期待を裏切られたこと」が受け入れられない人は当然つまらなく感じるし、裏切られる楽しみを感じた人は楽しめただけの話。
これについては説明できません。「そう感じる」のだから仕方が無いありません。
ただ、他アニメに比べて単純にクオリティが低かったかどうかで言えばそんなことは無かったのではないでしょうか。
本説明は、こちらに関する説明になります。
通常、お話には各文章毎に意味があり、お話世界の設定を示し、物語が流れ、オチがつきます。
これが普通の「エンターテイメント」です。たとえばミステリを例にとってみましょう。
まず小説世界の設定が示されます。その示し方、というのは作者が見せたい示し方「ある視点からみた小説世界」です。
その世界には「謎」があります。クライマックスで作者は別方向からの視点を持ち込んだり、
視点の位置を変更することによって「謎の解決」をはかります。これがミステリです。
旧エヴァンゲリオンと新ヱヴァンゲリヲンには様々なエンターテイメント要素「純文学的」「SF的」「ミステリ的」な楽しみが入っています。
本論ではミステリとしての切り口からエヴァ群およびエヴァQを読み解きます。
エヴァには謎がちりばめられています。南極で4体いた巨人は何なのか、槍とは何なのか、人類保管計画とは・・・etc。
通常のミステリ系エンターテイメントではこれらの謎には一応の説明=オチがつきます。
謎と回答がセットで用意されていることがミステリ系エンターテイメントの条件なのです。
謎に対する回答が論理的でないことはミステリ系エンターテイメントでは批判対象になります。
では、謎に対して論理的な回答が用意されていればいいのでしょうか。答えは否です。
当たり前すぎる謎への回答は「つまらない、面白く無い、想定の範囲内」としてまた批判対象になるのです。
ミステリ系エンターテイメントの歴史はこの矛盾した期待「筋道が通っているのに予想を外す」に応えた歴史でした。
エンターテイナーは密室を作り、アリバイをでっちあげ、人物を交換し、天狗の鼻の上でナイフを滑らせたのです。
しかし、読者には読書体験が蓄積されます。「密室もの」「アリバイもの」「島田荘司のいつもの」などのように予想は外れにくくなります。
ミステリ系が広まることがミステリ系の楽しみを成り立ちにくくするのです。ここでエンターテイナーはさらに頑張りました。
密室ものと見せかけかけた人物入れ替え(トリックをトリックとして使う)や、
文章を意図的に誤読させることで謎でないと感じていたものを最後に謎であったと提示する(叙述トリック)などです。
「読者の読書体験込み」の謎(トリックを知っている読者への謎)を作ったのですね。
しかししかし、それすらも読者の読書体験に織り込まれてしまいます。「ああ、これは叙述トリックもの」だね、という風に。
こうしてミステリ系エンターテイメントのパターンは全て出尽くしたように見えました。あとは各作家の文章力/味付けだけの世界になったように思えました。
しかししかし、そうではありませんでした。ミステリ系エンターテイナー原理主義者が考えた最後の兵器、最後の謎、それがアンチorメタミステリです。
アンチミステリ、メタミステリとは何か?それはミステリ系エンターテイメントの条件「謎には回答がセットで用意されている」という想定、
「これはミステリだろ、という読者の読書体験を裏切る」ミステリのことです。(読者体験を念頭に=メタ、解決の放棄=アンチ)
ミステリ的に提示された謎は解決、されません。貼られた伏線には何らかの意図があり、背景には脈絡が流れているにも関わらず永遠にそれが明かさないのです。
読者は怒りました。怒り狂いました。こんな本は狂っていると騒ぎ、壁に本を投げつけ壁に穴をあけ、火を付けてさつまいもを焼いたのです。
ただ、一部の読者は壁にめり込んだ本を再度開き、焦げた本を再度繋ぎ合わせ始めました。
何故か?永遠に解決されない謎がとても魅力的に思えてきたのです。
アンチorメタミステリがただの問答無用の「裏切り」だったとしたら、それはミステリでもなんでもありませんでした。
しかししかししかし!アンチorメタミステリはきちんと「ミステリ」でした。何故か?提示されない、収束しないだけで、回答らしきものは「読めた」からです。
作者はデタラメに謎を配置したわけではなかったのです。
謎の配置には意味がありました。完全に繋がっていない謎同士、明かされずぶち切れた伏線から、かすかな破線のような真実の輪郭はかろうじて読めたのです。
一部の読者たちは途切れた伏線をつなぎ、明かされない謎を照らし合わせました。そうしてできた回答は一つではありません。
読者の数だけ答えがありました。いや、読者が考える度に回答が産まれました。
作者の意図は完全にトレースあるいはサルベージできない(ようにつくられている)ため、当然のことでした。
本を拾いあげた読者たちは各々、自分の回答について話合いを始めました。そうしてまた、新しい回答群が産まれたのです。
それは他のアニメにも言えることかもしれません。ですがエヴァは思いつく限り全部入り、ぐらいの要素が入っているのです。
SFとしてのエヴァ、純文学としてのエヴァ、ミステリとしてのエヴァ、キャラ萌えとしてのエヴァ。
それぞれが本格的に作られており、それらが複合的に絡み合うことで色々な読みを許す懐の深いアニメです。
当時、それら本格的な要素を持つアニメとしてエヴァはそれなりに期待されました。
TV放映の途中まで庵野監督は概ねそれに応えていたといっていいでしょう。
しかし、最終的には庵野監督は視聴者の期待をことごとく裏切ります。
TV版エヴァでは最終二話にはエヴァはほとんど登場せず、伏線は回収されず、ただ主人公が救われたという心象風景だけが提示されます。
旧映画版。今度こそ、と期待されたものを再び庵野監督は裏切りました。
復活したヒロインは次の瞬間無惨に食われ、主人公は最後の最後まで成長らしきものをせず、謎らしきもの回答は完全には示されませんでした。
たくさんの視聴者が失望・・・しませんでした。これこそがエヴァだと叫び、糞だ糞だと拍手喝采褒め讃えたのです。
エヴァがいかに糞でその糞が何を描いていたのかについて各々語り始めました。
何故か?視聴者は「裏切られることを予期していた」からなのです。
TV版最終二話でなされた裏切り。庵野監督が持つオタクへの自己嫌悪から発生したと言われるファーストインパクト。
これはうんこでした。ただただ庵野監督がうんこをしたかった。とてもうんこがしたかったことが原因で産まれた巨大なうんこでした。
しかし、これが偶然にもアンチエンターテイメント、アンチミステリの形式を踏んでしまうことになります。
「開示される予定だった真実が巨大な庵野のうんこによって適度に隠される」ことで良質なアンチミステリとなってしまったのです。
デリヘル・ガイナックス♪で嬢呼んだらいきなり罵られた挙げ句勝手に帰ってしまったんだけど、そういうプレイだと思えば良質だったみたいな感じです。
この放置プレイが評判を呼び、放置プレイマニアがこぞって映画館に行ったのですから、文句の出ようがありません。
いや、息子のわがままで映画館に連れてこられた私の家族など、一部、可哀想な人たちがいたことは事実です。歴史の裏にはいつも悲しみがあります。
庵野監督は10年くらいたったから、そろそろうんこ溜まってきたし、うんこしよう。するなら、前回よりもおっきいのを、だ。と考えました。
巨大うんこのために作られたより巨大な謎、セカンドインパクト、それが新劇場版ヱヴァQでした。
序、破は伏線でした。庵野監督は旧エヴァの制作/公開体験を、そして視聴者の視聴体験を利用します。
つまりメタミステリとしてのヱヴァ「第一の裏切り=お、これ、前と違ってまっとうなアニメじゃん!」です。
旧劇では糞が半分読まれていました。
旧劇を超えるためには、序、破、でエヴァが糞で謎を隠す形式のミステリである視聴体験を払拭する必要があったのです。
普通の糞好きに普通に映画館にきてもらっても、もう、庵野監督は満足できない。
訓練された糞好きでも楽しめる、よりアクロバティクなうんこを魅せるとともに、
中年男性がうんこを放り出したとこをみたこともない女子高生にうんこの素晴らしさを伝える、という庵野監督の願い–––––––人類補完計画。
この発動を目的として作られたため、序、破は精巧に綿密にまっとうなエンターテイメントをしていました。
そして、ヱヴァQ。やってしまいました。満を持して登場した監督はヴンダー=希望に糞を放り出す12使途(ネタばれ)として登場。
観客を糞塗れにします。
君の言っていることはほとんど意味が分からないよカヲル君、それどころか肝心なことは何一つ言わないよシンジ君以外のみんな。
これが第二の裏切り=
一人じゃないんだ、と思ってたら「孤独でしたー」
前に進めたんだ、と思っていたら「進めてませんでしたー」
槍でやり直せると思ったら「やり直せませんでしたー」
です。
救われるべきものが救われないアンチエンターテイメント、開示されるべき謎がほったらかしのアンチミステリこそがヱヴァQなのです。
つまらないのは当然なのです。まっとうな反応なのです。面白いとみせかけて面白く無く作ったのですから、面白いわけが無い。当然のことです。
ただ、「期待を裏切るという形式のエンターテイメントが面白さを期待されたら、最終的には<面白いことを裏切る>しかない」んです。
一度は必ず「面白く無いという面白さ」へ行き着いてしまうものなんです。これはもう、ある程度しょうがない。
問題は次回作シン・エヴァンゲリオン劇場版に持ち越されました。
ここできちんと伏線が回収される!と見せかけて回収されない!謎が開示される!と見せかけて開示されない!のか、どうかは分かりません。
アンチ的構造の最終回だったとしても、ある程度、おぼろげながら真実が見える形には仕上げてくるのではないでしょうか、というのが僕の予想です。
ある一つの解を持つミステリは、ネット社会においては瞬時に消費されます。
AはBだったんだ!以上!という情報は急速に読者や読者ですらない人間に行き渡ります。
「なあんだ、Aは結局Bだったのね。あーあれね。昔あったA=B型的カテゴリのやつね」というふうに。
物語の延命をはかろうと思うとメタorアンチミステリの形式をとらざるをえないのです。
読者が謎と真実について語り合うことで新たな謎が生まれ、語りが語りを呼ぶことで物語はかろうじて生きながらえるのです。
だから、今は普通のエンターテイメントにもアンチ的要素は含まれます。
ある物語できちんとオチがつくものの、別の読者を引きつける開示されない大きな謎がシリーズを繋ぐとみえる、などベタな展開ですね。
ちょうど、TVゲームがネットゲームになったことにそれは少し似ているかもしれません。
ゲームの攻略そのものではなく、攻略について語り合い、次アップデートへの期待について語り合うメタな楽しみ。
ラスボスを倒しても終わらないその営みこそがネットゲームの醍醐味です。
エヴァンゲリオン、一体、どうなってしまうんでしょうね、楽しみですね。
こちらからは以上です。
ってふいに思うことが増えたのは、俺が今無職だからとか、競馬で負けまくっているからとか、好きな女に男が出来てそれを電話でわざわざ報告されたからとか、古い友人達が続々結婚してポンポン子供が生まれてるからとか、そんな中でも俺と言えば毎日何もせずにダラダラと無為に日々を過ごしているからとか、そういうことのせいではないと思う。
俺はとくに心に不安を抱えたりもしていないし、体も健康で、仕事なんかはどうとでもなるし、競馬なんか負けたっても遊びの範囲だし、好きな女がみんな一緒になってくれるわけでもねえし、誰かの子供だって産まれりゃ素直に喜べるし、俺はダラダラしてるけど、もう一回立ち上がっていっちょやるかっつう程度の余力は残しながらの怠惰なわけだし。
だから俺はそういうところとは違う場所で、もっとこれは悩みとかいう負のベクトルとは全然違う場所で、結局さあ、一生ってなんなのよ?人の。って思うようになってるわけなんだよ。
寝て起きて、夜が来て朝が来るから、まあ大抵は仕事して、それを繰り返してる間に家庭が出来たりずっと一人で生きたり、そんでまあ何かいろいろあるんだろうよ。その色々の事はどうでもいいの。人生とかはどうでもいい。意義とかいう話しじゃねえの。人にはなんか夢があったりしてもいいし、無くてもいいし、金だってあったり無かったりもすんだろ。その一生ってもんの是非とか優劣とか志とかじゃなくて、もっとこうシンプルな問いなわけ。これなんなの、時間だけがバンバン流れていって、その分だけ俺の一生っつうのもきっちり消えて行くわけでしょ。このシステムに対して俺は単純にこう、どうなの?っていう思いがあるわけ。
時間てもんは一体どいう理屈でこの現在を次から次へと過去に押し流して行きやがるんだろう。問答無用で。
何故世界はそれを前提にして進んで行くのか。進むってなんだよ。進んでるのか?本当に。人の一生が始まって終わるっつうのは、進んでいくことだっていう理屈なんなのよ。気になって仕方ないんだよ。
社 会
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| (゚)=(゚) | 人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
| ●_● | < イジメを受けたら無理して学校へ通わなくていいよ! >
/ ヽ YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
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\__二__ノ
_警_察_
/ ̄ヽ/ \ / \/ ̄ヽ 人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人
| / (゚) (゚) | | < 生徒が学校へ通わないことは非行なので認めません! >
| | 三 | | < 平日昼間に外を出歩いたら問答無用で即補導して連行します!>
\_ノ\_ __ノ\_ノ YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
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| |虐| | 人人人人人人人人人人
/一 ー \ < ならどうすればいいの? >
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社 会 _警_察_
∩_∩ 人人人人人人人人人 / ̄ヽ/ \ / \/ ̄ヽ
/ \ /\ <死ねってことだよ > | / (^) (^) | |
| (^)=(^) | <言わせんな恥ずかしい> | |////三 /// | |
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\__二__ノ (_,、_)
吸いたくなったら問答無用でモンスターエナジーかその姉妹品であるモンスターカオスを飲み干すと、
独特の満足感と落ち着きが得られて、どうにか我慢できるようになります。
そしてビックリするぐらいあっさりと禁煙に成功出来ます。アレはマジで効果があるのでオススメ。
ニコチンの代替としてカフェインを摂取するという禁煙方法は以前からあるようだが、
お茶系ではカフェインが薄く、コーヒーを飲むと習慣性で一服したくなってしまい逆効果になる場合すらある。
そこへいくとモンスター系はカフェインが濃く、煙草とともに飲む習慣のある人もいないであろうから安心です。
欠点としては
2.カフェイン中毒になる
といった事が挙げられるので、そこんとこだけは注意だ。
診断書のあるなしはともかく、「集団生活」という名のもとに一蹴されたことを言ってんでしょ。
診断書があれば個別対応してくれるんならそうしてるし、保育所だって最初からそう説明するだろうし。とはいえ、保育所はあまり進んでそういうことしたがらないのは事実。どこも似たようなもん。
喘息じゃなくたって、風邪の治りかけとか、元気だけど外遊びさせるの躊躇することあるからね。自分が休むほどじゃないけど安静にはさせたい葛藤。
ものすごく横になるけど、うちの子は肌が弱くて、虫刺されとかすぐ掻き壊したり刺されたところが腫れて硬くなったりするんだよ。しかも刺されやすいときた。夏なんか可哀想で。虫除け塗っても効き目ないし。
保育所とか学校は“医療行為”しちゃいかん、て法で定められたらしく、昨今は学校で痛み止めひとつもらえないらしい。
なので、保育所ではほとんどの薬を拒否られる。明らかに1回分、て判るもの(処方箋でもらった薬に限る)だけ預かって飲ませてくれるけど、おむつかぶれの塗り薬とかはまずダメね。“1回分”をどのくらい塗るか、保育士が判断することになるものは受け付けてくんない。塗り薬1回分ずつ小分けして、塗る時間指定すればやってくれるらしい。機械的に。
それこそなんかあったときに責任とれないから、ってことらしいんだけどさ。塗り薬の件とかアホかと思うけど、まあ言い分は判る。
うちの子はすごいひどかったの、肌。ステロイド入りの軟膏処方されたくらい。
で、医者が診断書書いてくれた。虫刺されのとこ薬塗ってやって、外に出る直前に虫除け塗って、って内容。
その診断書、保育所に出して、よろしくお願いします、って頼んだの。
したら、その診断書、突き返されたよ。
増田とおんなじ理由。「集団生活なので特別対応できません」って。
愕然としたよね。
医者の判断より、保育所の都合が優先なんだな、って、すげえ憤った。
診断書関係ねえんだよ。
“医療行為”でなんかあったら困るから、っていうけど、じゃあ“集団生活なので”っつーので保育所来てんだから咳してようが鼻水たらしてようが問答無用で外で遊ばせて、そんで悪化してたとえば入院するくらいになったらどーすんだ、ってのは気になる。
完治してないのに連れてきた親の責任なの?
保護者が「今日は外で遊ばせたくないな」と思ったら、仕事休めってか?
保育所って、働いてたりして保育できない保護者の代わりに保育してくれるところなんじゃないの?
保育所に過剰な期待しすぎ?
ほんとさ、誰か教えてほしいよ。
生活保護費のなかで生活する分には、食費に使おうが、食費を切り詰めてパチンコに使おうが、そんなのは勝手だと思うけども。
子供の教育費を切り詰めてパチンコってのは問題だと思うけどさ。
死を待つジジババが何に使おうがいいと思う。
それを問題視するのは、生活保護のくせに!!っていう嫉妬があるんだろうけど。
現物支給となったら、その指定業者の座を争って醜いことが起きるんだろう。
生活保護の一番の問題は、形を変えた年金になってるということ。
不正受給してるとピンポイントで特定の層(外国人が、部落が、っとね)を叩くけど、生活保護でダントツは老人。
年金と一緒で、現役世代から老齢世代への再配分してるにすぎない。
国民年金よりも生活保護費のほうがたくさんでるんだもん、国民年金払うより、年金をもらえないで生活保護をもらったほうがマシ。
余生を細々過ごすんなら、生活保護で十分じゃん。
抜け出す必要なんかない。
制度的に考えなきゃならんところはあるけどね。
なにが「では、」なの?
まったく論理的に繋がってないじゃん。
もう一回繰り返すよ。
と
は、
まったく、
これっぽっちも、
さっぱり、
論理が繋がってない。
「年さえ取っていれば問答無用で偉い」をまるまる容れるとすれば、
これは能力や業績に関わりなく年齢順に偉いんだっていうための概念だ。
まさに
「年さえ取っていれば(勤務態度サイアクでも)問答無用で偉い」
そもそもさあ、
営業力or政治力or技術力が高いならその人は普通偉いはずであって、
君は自分で言ってる”年功序列””問答無用”ってフレーズを自分が理解してない。
繰り返しになるけど俺は態度の悪い無能な年寄り社員は大嫌いだ。