はてなキーワード: 動物園とは
今日職場の偉いのに「仕事が落ち着いたら一緒の動物園行こ♪」って言われて心の中で鬼ギレ お前とどこへも行きたくないね というツイートに引リツがいっぱいぶら下がってたので女性を代表して文句言ってみよっかな~こゆのはじめて~ルン
①女は表面だけw
?表面だけニコニコして裏で愚痴っているということか? 何を笑っているか分からない
③女怖い
初手で動物園誘う方がこわくね
外見がイケメンでも一緒の動物園行こは意味わかんないよん 適切な手順を踏みな
突撃したのは勇気じゃなくて好意。その好意がキモいから勇気がどうでも...好きなら相手の気持ちになりな 自分本位の勇気だけじゃだめだよ
いいわけねえだえろ仕事上の付き合いだけで初手で動物園誘うかよボケ ぜってー変なやつだわ顔良くても無理だろ
⑧女性側に男性免疫がないのでは?くじけず数打てる人が結婚できるのかなあ
?キモい男性免疫は無いだろうね 数打たずとも当たる人が結婚できるんだと思うよ
⑨誘っただけでこういうこと言うの?男は誘う権利もないの?
⑩男頑張れ!そのうち勇気を受け止めてくれるさ!
頑張るなよ キモ・オタク大暴れで大迷惑 受け止めねえよきたねえから あと勇気じゃなくて好意
⑪一緒「の」動物園ってことは別々に行くんだろ 誰がお前と並んで歩くっつったよw
関わり薄いやつに一緒の動物園別々に行く誘いするかよ 並んで歩きたくないのはこっちだろ
別にヤバくねえだろキモいやつに落ち込まれたって被害ねえよ じゃあ初手で異性動物園に誘う男の人間性どうなんだよ 人間ですらねえよ
もしかしてもしかすると、セクシャリティを軽んじて支配欲求の赴くままに相手を否定したいだけの、ハラスメントやり放題さんなんじゃないか、あなたは。
イケメン動物園ソシャゲやBL愛好してるくせに アセクシャル自称するめちゃくちゃな女とかも居るからね 恋人や夫がいる性欲があるとされてる女性達でも そんなもんやるのは一部な...
あ、自分と似てる人かも。そう思いました。
「普通」の感覚になってみたくて、たまにAVは見てみるんですよ。ネットで無料で見れるやつ。
おかげで下ネタはいくらか読解できるようになったんですがw やっぱり、自分と関係ある事象とは思えなくて、動物園で檻の中のいきものを堀の手前から見ている気持ちというか、別の次元で起きていることを観察している感覚というか。身体が反応することもなく。
正直全然分からなくはあるんですが、それでも、自分以外の(大多数の)人にとっては重要な人生のイシューなのだとは理解しています。
自身も、有史以前から連綿と続いてきた行為の果てに生まれついてるわけで、遺伝子のリレーを途絶えさせてしまうことに、一抹の申し訳なさは ふとした時に感じるんですよ。でもまあ、70億個体もいれば、種の存続としては全く問題ないでしょ、とはすぐ思い直すんですがw
誰かが結婚しますとなれば、めでたいなぁと素直に思います。異性でも同性でも、番になって生涯添い遂げようと決意したことは、たとえそれが一時的な情熱の暴走であったとしても、きっととても尊いことで。でも何故かそこから、「自分もいつかは」って発想に至らないんですよね。
単にモテないから諦めがこびりついてるだけでは?と言われれば、そうなのかもしれません。でもアセクシャルという言葉に出会ったとき、少しだけ安心したのは確かです。名前が付いて、ちょっと落ち着いたというか。元増田のとおり、死ぬまで納得?証明?はできないんでしょうね。
https://anond.hatelabo.jp/20201026003439
バズってる増田を読んだ。
日本海側の3万人クラスの田舎出身の人間としては共感しかないのだが、嘘松扱いしている人がいるのがなんかむかついたので、私のエピソードも追加して地方の状況を広めたい。個人的には下記の3つが地方の不利さだと思ってる。
元増田も挙げていたが、地方に住んでると高等教育を受けた後に就ける職業のイメージが全くわかない。なんていうか、大学進学率が2割台で大卒の仕事自体があまりない町なんで、両親や親類、先輩と言った周囲の大人にロールモデルとなる人が全然いないのだ。うちの家族も俺がはじめての大学進学者だったりする。そんな俺の10代の頃のイメージはこんな感じ。
研究者→少年マンガのサポートキャラ、コナンの阿笠博士的な発明家ぽい人
その他商社マンや広告代理店とかの文系花型の仕事や司法書士、公認会計士等の仕業→そもそも大学行ってから存在を知ったぜ!
見えてる世界が狭かったんで、将来像がそもそもはっきりしないんだよな。俺は結局地方の国立工学部に行ったんだけど、箔のついた工業高校だと思ってたから授業で微積をまたやるのに驚いた。なんせオープンキャンパスでは面白理科実験的なことしかしてなかったんで。今となっては笑えるエピソードだけど、地方の高校生の認識ってマジでこんなもんだと思うよ。
個人的にはこれが地方の最大の問題点かなと思ってる。3万人の地方の田舎町でも、高校には進学コースがあってそれなりにレベルの高い教育を受けられた。ところが中学校がダメダメ。動物園状態。英語のリーディングで笑われるのはまあデフォルトとして、廊下を自転車で走るヤンキーがいたり、冬場にストーブで教科書を燃やしたりする馬鹿とかいてしょっちゅう授業が中断して学習できる環境では無かった。だけど義務教育なんで進度別のクラス分けとかあるわけもなく、校区制なんで学校の選択肢もなく。先生も進学熱が無いというか、金八先生に憧れてるようなタイプが多くて生徒指導のことしか頭がない。もしもタイムマシンで過去に戻れるなら親に無理を言って県庁所在地の中高一貫を受験してるだろうな。だけど地方で育つと中学受験という選択肢に思い至らないんだよな。そもそも田舎には通学1時間圏内に進学系の中高一貫高自体が無かったりするのがザラなんで。
コレは最初の項目と少し関連してるかもしれない。Amazonが普及した現在でも、参考書は実際に手に取って使ってみないとわからない部分が多いものだが、地方だと蔦屋併設の本屋が町に一軒だけ見たいな事が多くて置いてあるのがせいぜいチャート式と赤本だけだったりする。この選択肢の少なさは正直キツかった。もちろん予備校とかも無いので、入試対策は全面的に高校教師を信頼するしか無かった。幸い俺の担任は地方国立の数学科院卒の経歴で、難関大学の入試問題もスラスラとけるような頼もしい人だったんですごく恵まれてたんだけど、一つ下の学年は教育学部出身のちょっと頼りない先生だったんで、教師ガチャの要素がデカいなと思えたのだ。
まあ同じ地方でも、県庁所在地まで行けば話が変わってくるもしれない。紀伊国屋やジュンク堂的な大型書店があって多種多様な参考書を手に取って見れらし、進学校が存在してるから、実際に使ってる友人に見せてもらったりできるんでハンデは小さいかもしれない。周りにも県立なんたら大に通うような大学生があるから、それこそ友達のお兄ちゃんとかが自宅から通ってたりして、ノウハウやエピソードを聞いたりできそうだし。
他人の家のねこを愛でさせて貰って気分だったから、尚更残念だった。
他にねこ一匹と犬を一匹飼っているので、そのねこちゃんとの交流とか
その二匹と一緒に正座してしばらく動画はお休みすると言っていたのが印象的だった。
一週間もたたずに、保健所から二匹ねこを引き取ったと動画が上がった。
びっくりした。
動画は見れなかった。
アスペで他人を愛する=ペットへの愛と同じと言われがちな私でも、胃がぎゅっとなった。
早くない?引き取るのはいい。悲しみに耐えれない人は居る。代わりが居れば精神安定するかもしれない。
でも動画上げるのはもうちょっと待った方がよかったんじゃない??
きな粉ねこでバズってた辺りから、もう再生数とスパチャしか考えてなかったんだろう。
収益が減るのが耐えられなかったのかもしれない。
きな粉ねこちょっと前から見はじめた新参者なので、そもそも最初の頃からそうだった
と言われるとぐうの音も出ない。フィルターがなってなかった。
稼ぐなって訳じゃないんだ。
仕事につくことすら出来ない人が、YouTuberで生活していけるいい時代になったと思う。
私だって生活基盤がYouTubeだけだったら、焦るだろうし不安になると思う。
再生数が落ちるたびに、子猫を迎え入れているYouTuberよりまだマシだろう。
同居家族がかわいいから良いじゃんと気にしなかったのも影響しているのも分かっている。
のらねこを眺めているだけの私より、保健所から猫を引き取ってくるだけ立派だと思う。
他人の家の猫を見るだけの簡単な立場での押し付けに近いのも分かっている。
たしかに労働の構造的には人のある位置的なものはそのとおり「多くの業態もおなじ」だと感じる
しかし接客自体を商売としてる水商売的なものは人のほとんどが従事している「物品やサービスを商品として扱い、人は中継役」というものでなく
「接客する事自体、人の行動そのものが商品」なのでときに人を売っているのではないかと感じられてしまうほどに、より動物園味があるのだと思われる
この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。
私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。
私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。
そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。
家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段はテレビと新聞と学校の図書室だけだった。町には本屋もなかった。
私は決して学校の勉強から遅れることはなかった。地元の中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまりに偏差値が違いすぎたため、バスや電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。
あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidのポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領のアカウントをフォローした時には、テレビや新聞の世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。
同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強をしたことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間で本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書を立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォンに参考書を自分で朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。
その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学に限定した。仕送りも必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビでしか見れないものだった。運良く私の家はBSを契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画はテレビやYoutubeの予告編でしか見れないものだった。アカデミー賞やカンヌを取るような映画は大抵東京で最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市に限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷のミニシアターでヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生に優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。
私はどうにか大学受験をして東京のとある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。
初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供のときに見ていた日曜日昼の番組で中吊り大賞などというのがあって週刊誌の記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。ときに週刊誌の卑猥なコピーが小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京で最初に印象に残ったことだ。
私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルはインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。
そこである東大と慶応の学生たちと出会ったことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場の従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事や三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井は遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業を渡り歩いているらしかった。全員都内に実家があった。
私は、自分と彼らの家庭環境のあまりの格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族の仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校や大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンドで仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。
他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中学高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校のカリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験の勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校のテキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかりやすく説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。
私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大の過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちから囲まれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語の勉強のために夏休みにカナダに語学留学をさせて、ネイティブな発音などを身に着けさせていた。私は英語の勉強が好きだったが、流暢な発音は馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3でダウンロードした英語のスピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれた環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。
私は自分の人生を激しく呪うことになる。生まれた場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学は別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。
私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。
私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴を武器にこの後は一流企業に就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京や大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間はそもそもいらないのだと。だから勉強する環境も手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。
私が大学を卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣が大学試験について「地方の学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府の本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ。地方は土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである。高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。
また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネットと地方で使うインターネットはまるで別物である。インターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCのプログラミングというものの存在を私の田舎で認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供はプログラミング教室などに通って小さいころからそういうものの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報の存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態でインターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場の人間の発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供に奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親から生まれた子供だけである。田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。
私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎ものを必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語の勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。
とにかく必死だった。帰る場所も必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金で奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金を自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去と日本が課した呪縛から逃れられていない。
こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かに読まれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定のいいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。
追記1
めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。
高校には社長の息子とか医者がゴロゴロいたでしょって話について。
同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子はもっと都会の私立の学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方は公立の方がレベルが高いので。
同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。
友達は床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。
でもみんなよく勉強してました。
同級生は殆どは地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebookで検索したときにインターネット系の大手で働いている人はいました。
追記2
追記を書きました。