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はてなキーワード: 刹那的とは

2023-04-03

日本全体が2ちゃんねる化しているな

社会的弱者へのすさまじい憎悪

露悪行為チキンレース

サイコパス的な共感能力の欠如

異常なサディズム

刹那的快楽主義

強者への阿り

事実の軽視

デマへの傾倒

小児性愛

無責任

日本蔓延する諸悪は2ちゃんねるが発生源に思える

ひろゆき日本を滅ぼした男として歴史に名を刻むかもしれない

日本どころかアメリカにも多大な悪影響を与えてるけど)

2023-03-25

anond:20230325105447

はっきり言うとゲームルールが分かってないんだよな

あいつらがやってるのは普通意見表明じゃなくて、「インターネットコメンテーターごっこ」なんだ

流れてきたお題に100文字以内で適当に「それっぽいこと」をズバッと言い切ってやったときの爽快感とか、それにスターが集まったとき快感とかを刹那的に追い求めていくゲームをやってる

それが理解できてないから「よく分かってないし分かる気もないことを、さも分かってるようにコメントする程度のことに時間を配分できる」という事態理解できてないんだろう

まあそっちのほうがまともな感覚だよ

死人が出てる話まで適当コメントを書き捨てる遊びのネタに使うのは普通に考えたら無責任すぎるし、理解できなくても無理はない

2023-03-22

いざ日本アメリカに勝ったあとの「はー終わった終わった。まだ騒いでるの?」感

なんなんだろうね。

コンテンツ消費の速度が早すぎる。

試合中に盛り上がりのリソースを使い切って、勝敗が決まったあとの30分ぐらいで勝敗のものコンテンツ力も使い切られてしまう。

そして夜のニュースに出る頃には「次の面白いことないの?」って状態

すげー時代だよ。

から何までが早い。

マジで過去未来もすっ飛ばして今この現在しか無いような社会

瞬間瞬間を必死に生きているにも程があるだろ。

人類寿命が伸びて様々なコンテンツが溢れ出した結果、逆に世界はより刹那的になっていくというのは面白いね。

ミヒャエル・エンデが100年前にもう言ってたから周回遅れ?

ははーすみませんでしたー

2023-03-03

創作意欲が最も搔き立てられる瞬間

超絶面白い良作に触れた時よりも中途半端に出来の悪いツマラナイ作品に触れた時のほうが、創作的なやる気はみなぎってくるような気がする。

言うなれば、はっ、こんなもん、おれでも書けるわ、ちょろ過ぎる、と作品に対してナメた態度をとった瞬間にこそ爆発的なエネルギーが生まれている気がする。原理はよくわからないけど。

なんだろうね?あの気持ち。気に入らないとか、憎いとか、単なる対抗心ではない。

思うに、ツマラナイ作品というのは、その場で生意気に見下しているだけあって、なんとなくそ世界の要領が分かったような錯覚に陥るのだろう。

肥沃でない地面を踏み、なるほどね、大体理解したわ、オッケー、やってやるぜ、という、至極フレッシュ気持ちになる。そうして新しい風が吹く。おれを導いてくれる風。すなわちチャレンジ精神だ。何かに挑戦するための最大風速、出てます出てますめっちゃイイ感じに吹いてます、よーし、やってやるぜ、という意気が溢れている。今ならなんでもできる気がする。ばっちこい。そして飛翔。

しかし、良作を味わっている時には、意外にそういった気分は訪れない。不思議と、妄想好奇心ってものが出てこない。それは強大な何かに打ちのめされた感じとか、おれの意思が介入する隙もなく別世界へと連れていかれる感じとか、つまりすさまじい引力である

「○○を見てインスピレーションが湧いた」という表現はよく目にするが、良き作品を見て、そこから何かが降りてくるってことはそれほどないのではないかと思う。強大な力を持った何かが目の前にあるだけだ。実力の違いを肌で感じ、それが何か大きな原動力にはなるかもしれないけど、それはもっともっと深い根っこの部分の話であり、自らの活動を促すような刺激にはならない。

出来の悪い創作を見た時のざわつきというのは、良い作品を見た時よりも、もっと突発的で刹那的なやつだ。皮膚の表面に電流がビリッとながれる感じ。あるいは食欲に似ているかもしれない。

それで最近考えるのは、自分教養的な古典ではなく、流行的な現代作品を読むべきかもしれないということ。古典作品ほどやはり完成されているので、ためにはなるけれど、動力源としての役目は果たさない。それならば、「ためになる」は一旦脇に置いておいて、粗の目立つような今の話題作品を読むほうがよっぽどいいのかもしれない。

2023-02-28

ふりかけ業界センスの塊

味とかコストとか海苔割合かに苦心に苦心を重ねてようやく完成にこぎつけた最高傑作

「さるかに合戦

なんて、味とか具材とかが一切想像できない名前普通つけるか?

食い物だぞ?

🐵も🦀もなんも入ってないんだぞ?

でもそれが何十年も確実に店頭で選ばれ続けている。

これをセンスと呼ばずしてなんとする?

あとは「旅行の友」とか。

ふりかけのメイン需要層なんか家でゴハンパラパラふりかける人が殆どなのにそこを敢えての「旅行」チョイス。

これも味もなんも関係ない。

でも買われ続ける。

何十年も。

センス

あとやっぱ「おとなのふりかけ」。

「おとな」って。

なんなんだよ。

もしかして開発時に「ふりかけ子供向け」というイメージがあったのかもしれない。

そこを払拭するのがふりかけチームの課題だったのかもしれない。

でもそこでいきなり「おとなのふりかけ」なんて商品名前つけるふつう

子供たちの無邪気な笑顔を捨ててまでブルーオーシャン狙いにいっちゃう

刹那的ダルティ

センスやもうこれセンスしかない。

2023-02-27

はてなネットリンチしてるから最低」って言うなら、他はネットリンチしてないってこと?

なんか結構見かけるんだよね。

ネットリンチしてるとかネットの最底辺」みたいな意見をさ。

でもさ、ネットなんてリンチしてる奴ばっかじゃん。

Youtube、5ch、ツイッターFacebookニコニコWikipediaヤフコメ爆サイ、その他の掲示板、あらゆるSNSチャットサービスオンラインゲーム個人日記、ほぼ全てのウェブサービスでどこもかしこネットリンチしてるよね。

そもそも人間自体リンチ大好きじゃん。

どこの職場にも悪口大会があるけど、あれって0対Nで常に一方的だよね。それを本人にチクるのを生き甲斐にしてる北欧神話ユグドラシルに住んでるカスネズミだっけ?)みたいな奴がいるけどさ、まあそれでその場でキレた所で1対Nになるだけで結局多数決主導の日本じゃ勝ち目ないじゃん。つまりこれってもうリンチじゃん。

日常の中にリンチがあるのが日本社会なんだよね。それはネットにおいても同じでどこもやってる。別にはてな特別でもなんでも無いじゃん。なんでその中で「はてなネットリンチしてるから特別に最悪なサイトなんですよ」なんて言われなきゃいけないんだろ?それ単に君がはてなの事しか見てないだけじゃんっていう。

皆が当たり前にやっていることを、たまたまそれを目撃したか批判するのって、物事認識刹那的すぎない?皆ウンチしてるのに何故かウンチしてるのをリアルタイムに見つかった人間けが馬鹿にされる昭和小学校みたいなノリだよね。

はてなの現状についての問題点を語りたいなら、それは「リンチをしている」なんていう人間普遍的な行動についての批判をもって行うべきじゃないと思うんだよな。

もっとはてな特有問題点リンチにしたってその性質が他と比べてどう問題なのかを話題にすべきだと思う。

たとえば俺はなんJが一時期やってたことはネットリンチの中でも飛び抜けていたと思うんだよ。本人を特定してリアル住所に突撃して嫌がらせを繰り返したのは他のサイトではあまり見かけないことだ。相談に行った弁護士も巻き込んで延々とネタにしているのもかなり特異で、少なくともヤフコメとかでそういうことに発展したのはまだ聞いたことがないから、普遍的事象と言うには程度が酷すぎると思うんだよね。

はてなってそういいう「このサイトは他と比べて特別に異常ですよ」って要素あるっけ?殺人事件が起きたってのはかなり特殊な事例だと思うけど、それについてはもう原因になった機能を停止して解決たかいつまでもその話題を引きずるのもどうかなと思う(まあこれは、対策を練ろうとしたはてな運営無力感学習されるとまた今度何か起きたときに動かなくなるのが一番怖いなって気持ちもあるんだけど)。

つうわけで改めて言うと「今のはてなが他と比べてネットリンチにおいて特別ヤバイことになってる部分って何かあるの?」というのが俺の疑問ね。

2023-02-24

人生には論理立てて説明できるような意味がない。これは不安をもたらす。また、人生は有限だ。これは焦りをもたらす。

長らくこの絶望に対して、誰かが保証してくれたり論理的に肯定できるものなどなくても、自分で意義があると強く確信できる行いを続けていれば良い、といった思考停止肯定するスタンスを取る事で正気を保ってきた。

最近になって、ではそもそも意味」とは?「価値」とは?という意識的思考停止していた疑問が頭から離れなくなってきた。

意味のある人生を送りたい、それが価値のある生き方だ」という素朴で疑い得なかった感覚地盤としていたのに、そこまでもがニヒリズムに飲み込まれかけてしまっている。

道具は意味=目的を持って生まれる。その図式を無意識的に人間にも当てはめて考えていたが、では誰が意味を与えるのか。今までは自分意味見出していたが、結局それはあまりにも恣意的で、一度疑問が生まれたら簡単に揺らいでしまう。神様信仰する気持ちがよく分かる。

人はとかく納得を求め、それは不条理ものにも向けられる。だから世の中を単純化した陰謀論なんかが跋扈している。人生意味を求める事自体ナンセンスなのかもしれない。

凡庸ではあるが、神様などいなくとも他人自分意味保証してもらう、あるいは保証する、すなわち愛に囲まれていれば、この不安を覆い隠せるのかもしれない。

刹那的にその場その場の喜びを大切に拾い集め続けるのも悪くはないかもしれない。

そういった生き方をしている人間は、この手の悩みは凡人には手の余る、考えるだけ無駄ものだ。いつまでもナイーブさを引きずらず、あなたも早く折り合いをつけるべきだ、などと言うだろう。それは彼らにとって、また一般的に言っても間違いのない言葉なのだと思う。しかし、この不安もっと真摯に向き合う事が、理屈抜きでなぜだかとても大事な事に思えて仕方がない。

別にこんな事を四六時中考えている訳ではないし、目の前の生活もしなければならない。意識的に、ほどほどのところで抑えるようにしている。

それでも時々爆発しそうになる。なぜかこの答えが芸術自己表現にあるような気がしてならない。

ニーチェも大体こんなような事を考えていたらしいというのを最近知った。古今東西、陰気で自閉っぽい人間が考えることは似るらしい。

彼の考えが様々な思想フィクションに影響を与え、自分もまたその影響部分に強く惹きつけられ内面化した部分も大いにあるのだろうけれど。

ここまで書いて、もう一つ大切な事を思い出した。人間固有性に執着する。自分だけの自分らしさを追求する事は、理屈抜きで価値があると思える。

有り体に言えば特別人間になりたいという、思春期には誰だって思うことだ。大抵の人間はどこかで凡庸さを受け入れ、折り合いをつけて愛にでも生きるのだろう。

10代の頃、それがひどく陳腐生き方に思えた。その思いは今なお残っている。だからこそ、愛ではなく芸術に何かを感じているのだと思う。

自らの固有性を出力する事の意義と、表現活動でチヤホヤされたい、強い愛を得たいという気持ち混同しがちな所ではあるが、しかし前者は間違いなく存在するのではないかと思う。

2023-02-15

anond:20230215202126

自分のため」って言っちゃったよ。

最終的には衰える自分の外見のためにそんなに金使って、自分に何が残るの?

外見の問題なのに、相手のためでもないんでしょ?

刹那的自己肯定感しかないんじゃないの?

先々のこと考えたら、もっと違うところにカネ使った方がいいと思うよ。

余計なお世話だけどね。10年後・20年後自分目線で考えてみ。

2023-02-02

[]摂食障害だった私がデリシャスパーティ♡プリキュアに救われた話

毎週日曜朝8時30分から放送を楽しみにしていたデリシャスパーティプリキュアが終わった。

デリシャスパーティプリキュアごはんテーマにしたプリキュアで、お米がモチーフのキュアプレシャス、パンモチーフのキュアスパイシー、麺がモチーフのキュアヤムヤムに加え、18話からデザートモチーフのキュアフィナーレも参加した4人のプリキュアと、個性豊かなサブキャラクターたちによってストーリーが繰り広げられる。

最終話を見た後、誰の誕生日でもないこの日に合わせて購入したキャラデコパーティケーキを頬張って、アラサー女は声を上げて泣いた。

私にとって大好きな、特別作品だった。

プリキュアシリーズは開始から今なお根強い人気を誇っているため、毎週放送の度Twitterトレンドに関連用語が入る。私がデリシャスパーティプリキュア(以下デパプリ)を知ったのも、次のプリキュアがデパプリになるという発表がトレンドに入っていたからだ。

キャラデザがべらぼうに可愛いと思った。プレシャス一目惚れした。プリキュアは昔少し追っていて、いつの間にかやめてしまったが即再開しようと思った。仕事と家の往復しかない虚しい1週間に楽しみができるのは非常に良いことだ。それに日曜日早起きができるとなかなかQOLが上がる。

その日から放送を楽しみにしていたが懸念点があった。

このプリキュアテーマが食なのだ

摂食障害と言うには私の症状は軽いものだったと思う。そも未診断だし、なりかけと言った方がいいかもしれない。でもそうでない人と比べると自分の異常性は明らかだった。思考も発想も認知も歪んでいた。進んで骨と皮になりたがるのはやはり異常なのだ。それに、今だってそういう考えが完全になくなったわけではない。

きっかけはダイエットではあったが、直接のきっかけになったのは親友存在だった。

親友(以下Sとする)は学生の頃からの付き合いだった。Sは無自覚拒食症みたいな奴で、一日一食カロリーメイトだけ食べて生きてるような奴だった。同い年で身長は平均ほどあったが、体重小学生のそれだったし、生理も止まっていた。太ももかふくらはぎにかけての曲線がない棒のような自らの脚を撫ぜ、もっと細くなりたいと言っていた。吐くとスッキリするからと頻繁に吐いていたら吐きグセがついて、食べたものがすぐ戻ってくるようになったとあっけらかんと語っていたこともあった。しかし遊びに行けば人並みに食事をしていたし、ヘルシーなものよりジャンクものをよく食べていたので、私はSを病気とは思っていなかった(偏食だなあとは思っていた)。

私たち性格も趣向も正反対だったが、一点だけすこぶる気の合う趣味があったのでそれで仲良くなった。

Sはどこか厭世的で、人間という生き物が嫌いな奴だった。"生きる"という行為のものを嫌いっている節すらあった。自分名前を嫌い、本名にかすりもしないあだ名自分を呼ばせた。夜を好み、自由を好み、意思感情存在しない無機物を好んだ。かと言って死にたがっているわけでもなく、自分大好きナルシストで、常に楽で楽しそうな方に漂いながら刹那的に生きている奴だった。早い話が厨二病を拗らせていた奴だったのだが、それがさまになるくらいには顔が良く、雰囲気があった。

対する私はちょっと少女趣味を拗らせているだけの平凡な女だ。どこにでもいるような普通オタクだ。ダイエットをしていたと言っても「痩せたーい」と言いながらお菓子を食べてたまに気が向いた時に運動の真似事をする程度のかわいらしいものだった。私から見ればSは非凡以外の何物でもなかった。私にはSのような後先考えない行動は怖くてできない。Sと会話していると考え方の違いに驚くことがとにかく多かったし、自分にないものをたくさん持っているSに憧れていた。

そしてSが、ふらふらとあちこちコミュニティ転々としているSが、唯一私のことは好ましく思って離れずにいることに、私は浮かれていた。いつの間にか、Sが私の親友であることが私の自信になっていた。

アイドル認知された、みたいな。どこにでもいる普通女の子超絶イケメンに気に入られる系の恋愛漫画ヒロインになった、みたいな。そんな気持ちだった。

平凡で普通の私でもSといればその枠からはみ出せる。Sが私を特別にしてくれる。

私も特別になりたい。非凡異端で唯一の存在になりたい。

この人の隣に並べるような人間になろう。

地獄の始まりだった。

最初のうちは、食事の量を減らせばスルスルと体重が落ちていった。減っていく数字モチベーションになり精神安定剤になった。前よりも自信を持って可愛い服が着られるのが嬉しかった。空腹は水を大量に飲んで誤魔化した。いつも腹が鳴っていた。毎日SNSダイエッターを見て試せるものを片っ端から試した。サプリの類も試したが便通が良くなるだけでほぼ効かなかった。そうこうしているうちに摂食障害界隈にもたどり着いたが、自分はこの人たちとは違ってうまくダイエットができていると思っていた。こうはなるまいとも思っていた。結果なったわけだが。

そのうち体重が減らなくなってきた。焦りと自己嫌悪発狂しそうだったが、どこまでも平凡な人間である私には発狂すらできなかった。家にいるより外にいた方が気は紛れたが、誰かと遊ぶと食事が付き纏ってくるのが憂鬱だった。毎日、道ゆく他人に「私って痩せてますか」と肩を引っ掴んで聞いて回りたい気持ちでいっぱいだった。Sと遊びに行くのは何よりも苦痛だった。Sと並んで歩くと私は世界一デブみたいに思えた。すごく惨めで早く痩せたかったが、体重はずっと停滞していた。SNS摂食界隈を見に行く回数が増えた。自分と同じような人がいて安心するのと同時に、安心する自分嫌悪した。私は病気じゃないのになんで病気の人を見て安心してしまうんだ、Sだって私と遊んでいる時は普通外食しててあんなに痩せてるんだから病気じゃない、食べて吐いたら痩せて当然だ、そうじゃないからSは特別だし私も特別になれるんだ、と自分に言い聞かせた。しかしこのあたりの時期にSに吐き癖があることを本人から聞かされた。この頃には私の頭はだいぶやられていて、Sはあくま特別人間で、Sを摂食と認めてしまうと私も摂食になってしまって私は特別では無くなってしまう、なんて思考回路になっていたので、吐きダコとかもないし逆流性食道炎なのかなあとか呑気に思った。

でもぼんやりと心のどこかで、やっぱり吐かないと痩せられないのかなあとも思った。

私は嘔吐恐怖症だ。

他人でも自分でも身内でも、フィクションでも聞くのも見るのも無理だ。職業字面だけは慣れたが話題に上がることもしんどいノロウイルス流行る時期になると恐怖しかない。

摂食界隈には過食嘔吐の人が圧倒的に多い。菓子パンとか惣菜とかを大量に並べた写真を過食材と言ってアップしている人をよく見た。病気で苦しんでる人になんてこと思うんだとは分かっているが、私はこの人たちが羨ましかった。あんなに好きなだけ食べてるのに吐いてるから太らない。私だって吐ければもっと食べたいものがいっぱいあるのに。吐ければ今よりもっと痩せられるのに。私だって吐きたい。吐けさえすれば。恐れている嘔吐が甘美な響きに聞こえてきた頃が限界だった。

コンビニに行った。スーパーに行った。何軒もハシゴした。今まで我慢してた食べたかったものを全部買って、両手に大きな袋を持って、気になってた食べ物を片っ端から注文した。全部食べた。美味しかった。少なくとも舌は美味しかったと記憶していた。だからこれは病気じゃない。全部美味しかたから私は病気じゃない。病気だったら美味しいなんて思わないから。病気だったらもっと苦しいから。そう思った。

終ぞ一滴も吐くことはできなかった。

Sとは絶縁した。


デパプリの放送が始まったのは限界を迎えていたそんな時だった。やっぱりキャラデザがべらぼうに可愛くて、動いて喋るプレシャスは最高だった。1000キロカロリー程度のパンチじゃ私は倒れないなと自嘲した。

ただ、子供向け作品からなのか、食というテーマと連動しやすダイエットについての話が全くなかったのは非常に有り難かった。

デパプリは、素材の生産者家族食事のあり方まで、食というものをとことん丁寧に描いていた。出てくる料理もどれも美味しそうだった。真剣に食と向き合って作られた作品だと心底感じた。

プレシャスは、ゆいちゃんは、いい子だった。明るくて活発で好きなものに真っ直ぐで、優しくて仲間思いで、いつもみんなの中心にいて、それが当たり前で、この子がいる場所はそこしかないと思わせるような子だったけど嫌味がなくて、見ていて気持ちの良いくらいの主人公だった。誰かが立ち止まった時、どの方向を向いたらいいか考えさせてくれる、いつも導いてくれていたのはゆいちゃんだった。この作品主人公はゆいちゃんしかありえないと思うけど、圧倒的な先導力で引っ張るタイプリーダーというよりは、すぐ隣にいてくれる友達のような子だった。デパプリは遠い世界自分関係ない世界で起こっている話という感じがあまりしなくて、毎週、ゆいちゃんとその友達とで作られていくストーリーの中に、私が居ていい場所が用意されているように感じた。ゆいちゃんもゆいちゃんの周りの人たちもみんな優しくて、あたたかかった。毎週友達の話が聞けるようで楽しみだし楽しかった。

ゆいちゃんが大切にしていることや、みんなが大切に思っていることに特別な事は無かった。小学校幼稚園、あるいは物心つく前から教わっているような、誰でも知っているようなことばかりだ。特別に何かの能力が優れているとか、他とは違う突出した何かがあるとか、多くの人が持っていないものを持っているとか、そういう事を特別扱いしていなかった。


ずっと特別な何かになりたかった。

特別な何かになれるための、何かが欲しかった。

異端を求めた。大多数とは違う存在になろうとした。死に向かっていけば、みんなが見ている方向と違う方を見ていれば、違う存在になれる気がした。私がしていたのは生の放棄だ。

食事を嫌った。食べることを、食べ物を美味しいと思うことを、何かを食べたいと思うことを嫌がった。食べたらまた生きてしまうから。美味しいと思ったら、また食べたくなってしまうから

お腹が空くことは、食べ物を食べることは、満腹になることは、卑しい行為だと思い込んだ。生にしがみつく、浅ましい行動だと嫌悪した。





本当は食べることが好きだった。




炊飯器を開けたときに広がるご飯香りも、

げつく一歩手前までトーストされたパンに歯を立てる瞬間も、

ラーメンスープレンゲに掬って最初に啜る瞬間も、

たっぷり生クリームを頬張るとき感触も、

全部全部大好きだった。

ずっと忘れていた。忘れようとして蓋をしていた。あんなに好きだったことなのに、どうして忘れてしまったんだろう。どうして嫌いになってしまったんだろう。忘れたくなんてなかったのに。嫌いになんてなりたくなかったのに。食べることが好きだった。大好きだった。好きなものを好きな自分のことが、好きだった。嫌いになる必要なんてなかったのに。何よりも自分自分のことを、特別だと思っていたのに。

やっと思い出せた。

忘れちゃいけなかった。

私を救ってくれた「特別」は、プレシャスだった。




誰よりも食べることが好きな彼女から、食べることを大切に思っていた彼女だったから、「ごはん笑顔」という言葉を信じ続けていた彼女だったから、毎週毎週真っ直ぐに、一年間伝えてくれたのが、彼女が、和実ゆいが、キュアプレシャスになってくれたから。私は大切なことを思い出すことができた。この作品出会えて、本当に良かった。

ありがとうデリシャスパーティプリキュア

2023-02-01

摂食障害だった私がデリシャスパーティプリキュアに救われた話

毎週日曜朝8時30分から放送を楽しみにしていたデリシャスパーティプリキュアが終わった。

デリシャスパーティプリキュアごはんテーマにしたプリキュアで、お米がモチーフのキュアプレシャス、パンモチーフのキュアスパイシー、麺がモチーフのキュアヤムヤムに加え、18話からデザートモチーフのキュアフィナーレも参加した4人のプリキュアと、個性豊かなサブキャラクターたちによってストーリーが繰り広げられる。

最終話を見た後、誰の誕生日でもないこの日に合わせて購入したキャラデコパーティケーキを頬張って、アラサー女は声を上げて泣いた。

私にとって大好きな、特別作品だった。

プリキュアシリーズは開始から今なお根強い人気を誇っているため、毎週放送の度Twitterトレンドに関連用語が入る。私がデリシャスパーティプリキュア(以下デパプリ)を知ったのも、次のプリキュアがデパプリになるという発表がトレンドに入っていたからだ。

キャラデザがべらぼうに可愛いと思った。プレシャス一目惚れした。プリキュアは昔少し追っていて、いつの間にかやめてしまったが即再開しようと思った。仕事と家の往復しかない虚しい1週間に楽しみができるのは非常に良いことだ。それに日曜日早起きができるとなかなかQOLが上がる。

その日から放送を楽しみにしていたが懸念点があった。

このプリキュアテーマが食なのだ

摂食障害と言うには私の症状は軽いものだったと思う。そも未診断だし、なりかけと言った方がいいかもしれない。でもそうでない人と比べると自分の異常性は明らかだった。思考も発想も認知も歪んでいた。進んで骨と皮になりたがるのはやはり異常なのだ。それに、今だってそういう考えが完全になくなったわけではない。

きっかけはダイエットではあったが、直接のきっかけになったのは親友存在だった。

親友(以下Sとする)は学生の頃からの付き合いだった。Sは無自覚拒食症みたいな奴で、一日一食カロリーメイトだけ食べて生きてるような奴だった。同い年で身長は平均ほどあったが、体重小学生のそれだったし、生理も止まっていた。太ももかふくらはぎにかけての曲線がない棒のような自らの脚を撫ぜ、もっと細くなりたいと言っていた。吐くとスッキリするからと頻繁に吐いていたら吐きグセがついて、食べたものがすぐ戻ってくるようになったとあっけらかんと語っていたこともあった。しかし遊びに行けば人並みに食事をしていたし、ヘルシーなものよりジャンクものをよく食べていたので、私はSを病気とは思っていなかった(偏食だなあとは思っていた)。

私たち性格も趣向も正反対だったが、一点だけすこぶる気の合う趣味があったのでそれで仲良くなった。

Sはどこか厭世的で、人間という生き物が嫌いな奴だった。"生きる"という行為のものを嫌いっている節すらあった。自分名前を嫌い、本名にかすりもしないあだ名自分を呼ばせた。夜を好み、自由を好み、意思感情存在しない無機物を好んだ。かと言って死にたがっているわけでもなく、自分大好きナルシストで、常に楽で楽しそうな方に漂いながら刹那的に生きている奴だった。早い話が厨二病を拗らせていた奴だったのだが、それがさまになるくらいには顔が良く、雰囲気があった。

対する私はちょっと少女趣味を拗らせているだけの平凡な女だ。どこにでもいるような普通オタクだ。ダイエットをしていたと言っても「痩せたーい」と言いながらお菓子を食べてたまに気が向いた時に運動の真似事をする程度のかわいらしいものだった。私から見ればSは非凡以外の何物でもなかった。私にはSのような後先考えない行動は怖くてできない。Sと会話していると考え方の違いに驚くことがとにかく多かったし、自分にないものをたくさん持っているSに憧れていた。

そしてSが、ふらふらとあちこちコミュニティ転々としているSが、唯一私のことは好ましく思って離れずにいることに、私は浮かれていた。いつの間にか、Sが私の親友であることが私の自信になっていた。

アイドル認知された、みたいな。どこにでもいる普通女の子超絶イケメンに気に入られる系の恋愛漫画ヒロインになった、みたいな。そんな気持ちだった。

平凡で普通の私でもSといればその枠からはみ出せる。Sが私を特別にしてくれる。

私も特別になりたい。非凡異端で唯一の存在になりたい。

この人の隣に並べるような人間になろう。

地獄の始まりだった。

最初のうちは、食事の量を減らせばスルスルと体重が落ちていった。減っていく数字モチベーションになり精神安定剤になった。前よりも自信を持って可愛い服が着られるのが嬉しかった。空腹は水を大量に飲んで誤魔化した。いつも腹が鳴っていた。毎日SNSダイエッターを見て試せるものを片っ端から試した。サプリの類も試したが便通が良くなるだけでほぼ効かなかった。そうこうしているうちに摂食障害界隈にもたどり着いたが、自分はこの人たちとは違ってうまくダイエットができていると思っていた。こうはなるまいとも思っていた。結果なったわけだが。

そのうち体重が減らなくなってきた。焦りと自己嫌悪発狂しそうだったが、どこまでも平凡な人間である私には発狂すらできなかった。家にいるより外にいた方が気は紛れたが、誰かと遊ぶと食事が付き纏ってくるのが憂鬱だった。毎日、道ゆく他人に「私って痩せてますか」と肩を引っ掴んで聞いて回りたい気持ちでいっぱいだった。Sと遊びに行くのは何よりも苦痛だった。Sと並んで歩くと私は世界一デブみたいに思えた。すごく惨めで早く痩せたかったが、体重はずっと停滞していた。SNS摂食界隈を見に行く回数が増えた。自分と同じような人がいて安心するのと同時に、安心する自分嫌悪した。私は病気じゃないのになんで病気の人を見て安心してしまうんだ、Sだって私と遊んでいる時は普通外食しててあんなに痩せてるんだから病気じゃない、食べて吐いたら痩せて当然だ、そうじゃないからSは特別だし私も特別になれるんだ、と自分に言い聞かせた。しかしこのあたりの時期にSに吐き癖があることを本人から聞かされた。この頃には私の頭はだいぶやられていて、Sはあくま特別人間で、Sを摂食と認めてしまうと私も摂食になってしまって私は特別では無くなってしまう、なんて思考回路になっていたので、吐きダコとかもないし逆流性食道炎なのかなあとか呑気に思った。

でもぼんやりと心のどこかで、やっぱり吐かないと痩せられないのかなあとも思った。

私は嘔吐恐怖症だ。

他人でも自分でも身内でも、フィクションでも聞くのも見るのも無理だ。職業字面だけは慣れたが話題に上がることもしんどいノロウイルス流行る時期になると恐怖しかない。

摂食界隈には過食嘔吐の人が圧倒的に多い。菓子パンとか惣菜とかを大量に並べた写真を過食材と言ってアップしている人をよく見た。病気で苦しんでる人になんてこと思うんだとは分かっているが、私はこの人たちが羨ましかった。あんなに好きなだけ食べてるのに吐いてるから太らない。私だって吐ければもっと食べたいものがいっぱいあるのに。吐ければ今よりもっと痩せられるのに。私だって吐きたい。吐けさえすれば。恐れている嘔吐が甘美な響きに聞こえてきた頃が限界だった。

コンビニに行った。スーパーに行った。何軒もハシゴした。今まで我慢してた食べたかったものを全部買って、両手に大きな袋を持って、気になってた食べ物を片っ端から注文した。全部食べた。美味しかった。少なくとも舌は美味しかったと記憶していた。だからこれは病気じゃない。全部美味しかたから私は病気じゃない。病気だったら美味しいなんて思わないから。病気だったらもっと苦しいから。そう思った。

終ぞ一滴も吐くことはできなかった。

Sとは絶縁した。

デパプリの放送が始まったのは限界を迎えていたそんな時だった。やっぱりキャラデザがべらぼうに可愛くて、動いて喋るプレシャスは最高だった。1000キロカロリー程度のパンチじゃ私は倒れないなと自嘲した。

ただ、子供向け作品からなのか、食というテーマと連動しやすダイエットについての話が全くなかったのは非常に有り難かった。

デパプリは、素材の生産者家族食事のあり方まで、食というものをとことん丁寧に描いていた。出てくる料理もどれも美味しそうだった。真剣に食と向き合って作られた作品だと心底感じた。

プレシャスは、ゆいちゃんは、いい子だった。明るくて活発で好きなものに真っ直ぐで、優しくて仲間思いで、いつもみんなの中心にいて、それが当たり前で、この子がいる場所はそこしかないと思わせるような子だったけど嫌味がなくて、見ていて気持ちの良いくらいの主人公だった。誰かが立ち止まった時、どの方向を向いたらいいか考えさせてくれる、いつも導いてくれていたのはゆいちゃんだった。この作品主人公はゆいちゃんしかありえないと思うけど、圧倒的な先導力で引っ張るタイプリーダーというよりは、すぐ隣にいてくれる友達のような子だった。デパプリは遠い世界自分関係ない世界で起こっている話という感じがあまりしなくて、毎週、ゆいちゃんとその友達とで作られていくストーリーの中に、私が居ていい場所が用意されているように感じた。ゆいちゃんもゆいちゃんの周りの人たちもみんな優しくて、あたたかかった。毎週友達の話が聞けるようで楽しみだし楽しかった。

ゆいちゃんが大切にしていることや、みんなが大切に思っていることに特別な事は無かった。小学校幼稚園、あるいは物心つく前から教わっているような、誰でも知っているようなことばかりだ。特別に何かの能力が優れているとか、他とは違う突出した何かがあるとか、多くの人が持っていないものを持っているとか、そういう事を特別扱いしていなかった。

ずっと特別な何かになりたかった。

特別な何かになれるための、何かが欲しかった。

異端を求めた。大多数とは違う存在になろうとした。死に向かっていけば、みんなが見ている方向と違う方を見ていれば、違う存在になれる気がした。私がしていたのは生の放棄だ。

食事を嫌った。食べることを、食べ物を美味しいと思うことを、何かを食べたいと思うことを嫌がった。食べたらまた生きてしまうから。美味しいと思ったら、また食べたくなってしまうから

お腹が空くことは、食べ物を食べることは、満腹になることは、卑しい行為だと思い込んだ。生にしがみつく、浅ましい行動だと嫌悪した。



本当は食べることが好きだった。


炊飯器を開けたときに広がるご飯香りも、

げつく一歩手前までトーストされたパンに歯を立てる瞬間も、

ラーメンスープレンゲに掬って最初に啜る瞬間も、

たっぷり生クリームを頬張るとき感触も、

全部全部大好きだった。

ずっと忘れていた。忘れようとして蓋をしていた。あんなに好きだったことなのに、どうして忘れてしまったんだろう。どうして嫌いになってしまったんだろう。忘れたくなんてなかったのに。嫌いになんてなりたくなかったのに。食べることが好きだった。大好きだった。好きなものを好きな自分のことが、好きだった。嫌いになる必要なんてなかったのに。何よりも自分自分のことを、特別だと思っていたのに。

やっと思い出せた。

忘れちゃいけなかった。

私を救ってくれた「特別」は、プレシャスだった。


誰よりも食べることが好きな彼女から、食べることを大切に思っていた彼女だったから、「ごはん笑顔」という言葉を信じ続けていた彼女だったから、毎週毎週真っ直ぐに、一年間伝えてくれたのが、彼女が、和実ゆいが、キュアプレシャスになってくれたから。私は大切なことを思い出すことができた。この作品出会えて、本当に良かった。

ありがとうデリシャスパーティプリキュア

2023-01-29

anond:20230129160954

お前の発言はその日限りでどうでも良くなるような発言ばかりなのか

刹那的でいいやねぇ

2023-01-01

「良くない成功体験」ってあるよな

過去に強引だったり傍若無人な振る舞いで成功した体験があると、そのやり方がいつでもどこでも通用すると思い込んで結果的大目玉を食らうパターン最近めちゃくちゃ増えてる様に思う

自分過去同じ様に他人気持ちを考えずに行動し続けて失敗した

あいう時って「これぐらいやっても相手世間は許してくれるだろう病」と「絶対にごめんなさいが言えない病」の両方に罹った状態なんだよな

ギャンブルなら常に有り金全部賭けてる様な状態

話し合いで妥協とかして自分保険を一切掛けない、あるいは保険を掛けたと自分では思い込んでるけど実際には全然保険になってない、はっきり言ってアホだよな

勝てば官軍負ければ賊軍とか言うけど、10回勝っても1回負けると今までの勝ちで積み上げた物が一瞬で消し飛ぶぐらいとんでもない不利益を被るのが今の社会から賊軍になった瞬間に全てを失うんだよな

そしてその失う物は調子に乗れば乗る程増えていく

でも成功してる内はそんな事微塵も考えないし、自分が負けるなんて想像もしてないから変な万能感に支配されて自分チキンレースしてる自覚すら無くなっていく

人生勝率100%なんてありえないから、調子に乗った分のツケは負けた時一気に全部払うハメになる

から見たらだいぶ刹那的人間だったんだろうな

これも所謂無敵の人なのかね

2022-12-26

今更だけど終わりなき日常は終わってしまった

東浩紀が指摘しているようサピエンス全史やホモデウスで言われれいる諸々の問題人類解決したと思いこんでた

映画アベンジャーズエンドゲームでは何か問題があってもグローバリズムでなんとかなるみたいな文脈は数年で過ぎ去った

街にはパートナーと楽しく食事をしている光景もよく見かける

でもでも間違いなく彼らの本心はずれていてそれがSNSで分解されてしまっている

それだけでない、親の世代と違って死ぬ可能性、底辺に落ちる可能性が増えた

それが自分コントロール出来ないことでだ

享楽刹那的ものに溺れるのもどうかと思う

だけど今とこれからを大切にして生きていきたい

そんなすぐ終わりなき日常は終わらない

でも少なくとも帰り道を少し変えてみるだけでもちがうんじゃないかなと

自分人身にいい気聞かせている、楽しく生きようって

終わりは思ったタイミングでは多分起きない

2022-12-20

anond:20221219234711

えー。あまーい。そんな見え見えの御為ごかしに糞みたいな奴らが乗ってくるのは表面上だけだよー。刹那的な遣り取りとして使うなら良いだろうけど

結局、糞は糞どうしで塊るからこちらが彼らにずっと合わせられない限り、影で悪口言われたりすんだよ。自己開示なんかしねえしねえ

優しい・純真・良い人相手だったらそれでいけるだろうけど(つーか、そんな相手だったら普通にこちらが興味持って色々話しかけたくなるし、その後の関係スムーズから姑息手段なんか不要)

まり普通相手には通用するけど、適度に媚売っときたい変な輩には結局通用してない」手段

2022-12-05

tripleSというK-POPガールユニットのGenerationという曲に「TikTok Up」という歌詞がちょうどある

ほかの歌詞も「ここで一緒に 無秩序なまま デカダンスに飛び込ませて Generation」という感じで

虚無感を共有する4人の女子グループが「TikTok Up」しているが、それも刹那的な楽しみであり虚無みたいな印象がある

 

Bruno Marsの「PERM」にも

Forget your Instagram and your Twitter

みたいにSNS名がはっきり出てくるな

2022-11-16

仕事ミスをした。

それも非常に初歩的で、あり得ないようなミスを。

当然こっ酷く叱られ、自分でも信じられないようなミスだった。

俺は馘になるかもしれない。

慢心がなかったと言えば嘘になる。

一人暮らしの身で、近くに友人も居なければ恋人も居ない。

から鬱憤を晴らすため享楽に耽り、ゲームアニメ動画にかまけていたことを否定はしない。

けれど本当は分かっていた。

目を逸らしていたことには気付いていた。

俺は時間の隙間に死を考える。

別に今すぐ死にたいってわけじゃない。

でも30も半ばを過ぎれば、死とのご近所づきあいだって考える必要が出てくる。

お世辞にも栄養バランスが良いとはいえない食事

運動だって疎かだ。

人付き合いはもっと疎かで、俺は別に孤独が大好きってわけでもない。

ただ煩わしく感じてきただけだ。

それでも俺は理解していた。

孤独が人を孤立化させ、分断された思考が偏って凝り固まり、それによって人はさら孤立する。

悪循環だ。

から他人の声を聞き入れようとネット世界に浸る。

ネット世界に入り浸り、自分孤独でないと言い聞かせる。

努力を軽視し、人付き合いを忌避し、刹那的生活に身を投じる。

本当は分かっていたはずだ。

人が堕落し、耽溺するのは、死を真剣に考えていないからだということを。

時間と死のみ、万人に平等だ。

逆を言えば、時間と死以外に、平等ものなどは存在しない。

そのことに俺は改めて気付かされた。

俺は今日こっ酷く叱られ、ガツンと頭を殴られた気がした。

だが、それによって目も覚めた気がする。

これは楔だ。

そして俺は死について考える。

俺は今日を持って、今までの俺と決別する。

本当は理解しているからだ。

時間は有限であること、今日ミスは己の慢心と努力の怠りが原因であることを。

どうしようもない孤独のなか、日々カフェインアルコールで頭がいくら酩酊しようとも、それでも俺は理解しているつもりだ。

俺の中の壊れていない部分は、それでもまだ残されているはずなんだ。

2022-11-11

明日のために明日のためにってずっと我慢してカップ麺牛丼のローテで貧相な暮らしで生きるより

美味いもの食って、良いところ住んで刹那的幸福を追い求めた方が

人生トータルでの幸福度は高いんではないだろうか。

老人になって使う予定もない通帳の数字だけあってもしょうがない。

2022-10-28

anond:20221028023903

そんな刹那的で不誠実な快楽よりもKKOからの一途な愛の方が価値がある!!

肩書きなんかより、裏切らない一途な愛の方が自慢できるよ🥰

2022-10-24

anond:20221024223522

そう、そんなことを自分で言ってた

俺も何度も噛んで飲む場面を目にしてて、なんとか止めさせられないかなーって色々言ってみたんだけど、そいつ結構考え方が刹那的っていうか、最初から長生きするつもりはないみたいなこと言ってて、結果良いプロダクトができあがれば何でもいいんだよ、みたいな感じのやつだった

薬飲んでようがなかろうが頭はめっちゃ回る。プロダクトに全力注ぎ込みたいときに薬を飲む。そんな感じ

天才っちゃ天才なんだけど、なんか色々振り切ってたな

最近会ってないけどどうしてんのかな

2022-10-16

例外なく適用される感受性が高いのではなくて、刹那的適用される感傷性が高いだけだから、「好意を持ってくれる人が好き」で時間愛情に変わるタイプのように見えて本性はまだわからないんだ

2022-10-01

anond:20221001094846

ゴキブリを嫌うという習性は、その短い人類歴史の中のさら限定的な期間・地域しか通用しないものだという話もあるな(近代以前の日本では、ゴキブリは家が富裕で食に恵まれていることの証左とされていたらしい)。

刹那的に生きてるサル類がゴキブリさんに配慮しろというのはだいぶ見当違いではある。むしろ自分たちでつくった文明社会対応できず、生活習慣病等に悩まされてるクソザコさをどうにかする方が先では。

2022-09-07

オナニー中毒だけどセックスしたいのか

一人暮らしを始めてから、明らかにオナニーの回数が増えた。十中八九テレワークのおかげだとは言えるけれども、間違いなく増えた。性欲がありあまっているのか。

自分でするのと、人とするのと、どちらが気持ちいかといえば単純な刺激快感レベル後者なんだと思う。経験が少ないからはっきりわからないけど。じゃあ、毎日セックス出来ますってなったら、やるのか? 受け入れてくれる相手がいたとして、やるのだろうか?

多分続かないと思う。飽きるというのもあるが、それよりも先に相手申し訳なくなりそうだから毎日毎日新しい女性が取っ替え引っ替え現れてはセックスして消えて行くのであればわからないけれども、それでもどこかで疲弊し、何か大事ものをすり減らすのではないだろうか。

刹那的には気持ちいいのだと思うけど、それって幸せなのかな。毎日毎日、誰かとセックスできたら幸せなのかな。どうかなあ。

2022-08-27

増田以外のSNSをやってない

Twitterとかやってたけど、なんかヤになっちゃって、リアルタイムの声の検索ツールとしてしか使ってない(あとエッチな絵を見る用!!!)

増田ってカスしかいないから、マウンティングとかを気にしなくていいのが良い

あと、やっぱなんといっても書き捨てなのが良い

論理破綻した暴論とか、暴言とか、恥ずかしいこととか、そういうのを好きなだけかけるのがいい

まあ犯罪にはならないように気をつけないといけないけど、それはどこもそうだしな

もう、なんつうか、人間継続的に関わりたくねンだわ

増田関係刹那的からサイコー

2022-08-15

anond:20220815144718

はっきり言って、恋愛したら変わるよ。

好きな人って、刹那的恋愛じゃないよ。

その人を永劫的に好きなんだ。

24時間365日、その人のことを愛してるんだ。

それが生きる喜びになるし、生きる原動力になる。

たとえ付き合えなくても、一生会えなくても、死に別れても、その人のことを好きなら頑張れるんだよ。

そういうの、映画とかではあるだろ?古い映画だと、マディソン郡の橋とか。タイタニックとか。


ただ、その好きな人を作る方法が分からない。

ここだけは偶然に頼るしかないのかもしれない。

から俺の書いたこ理論は広まらない。

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