はてなキーワード: 人形とは
明るかった娘が変わったのは、SNSで可愛い子のアカウントを探すようになってからだ。
最初は可愛い子のアカウントを見つけては、「芸能人じゃないのにこんな可愛い子がいる!」と興奮気味に話す娘を見て微笑ましく思っていたが、最近は可愛い子と自分を比べて落ち込むようになってきてしまった。
SNSで顔のパーツを定規で測るのが流行っているらしく、娘は自分の顔をメジャーを当てては、中顔面が、人中が、鼻翼が、顔の横幅が、とブツブツ言っている。
私が「顔も鼻も大きくないよ、可愛いよ」と言っても「平均より2cmも大きい!」「◯◯ちゃん(インフルエンサー)は◯◯cmしかないのに」と言われてしまい、実際数字を出されると何も言えなくなってしまう。
娘が憧れているインフルエンサーを教えて貰って見てみると、人形のような大きな目、折れそうなぐらい細くて長い脚、漫画のような大きな胸をしていて、第一印象は「こんな不自然な人間実在するのか?加工してるだけじゃないのか?」だった。否定すると親に何も話してくれなくなりそうで口には出さなかった。
他にも流行りのK-POPアイドルやワンホン(中国美女のことらしい)のこの子が可愛い、この子みたいになりたい、と言うが、正直娘の可愛らしさからはかけ離れていて、なんと返していいのか分からなかった。
プチ整形ぐらいなら、それで娘のコンプレックスが解消されるなら大賛成だ。
ただ娘が憧れているインフルエンサーは、プロフィールに「整形課金◯◯◯万円」と書いていたり、骨を削って輪郭を小さくするような大がかりな手術や、十分に細いのに脂肪吸引を行っていて、とても健全には見えない。
何よりも、若い女性がダウンタイムを繰り返しながらこの大金をどこから捻出しているのかと考えるととても恐ろしくなった。
娘は最近TikTokやInstagramをずっと見ていて、取り憑かれるように可愛い子を探してる。
自分が高校生ぐらいの頃は、可愛い一般人の子なんてせいぜい「他校の誰々が可愛い」と噂になるぐらいだった。
今はSNSを介して日本中、世界中の可愛い一般人の可愛い子に簡単にアクセス出来て、しかも「あの子と私は何cmも違う」と比べられる時代なのだ。
そんな娘に親がいくら「可愛いよ」と伝えてもむしろ逆効果のような気がしてしまう。
娘は高校卒業後は大学進学のために一人暮らしすることになると思う。
目の届かないところで娘がどうなってしまうのか今から不安で堪らない。
親としてどうしたら良いのだろう。
みんながすると甚大な迷惑を被るけど現状、幸いなことに良識ある人が多数で重大すぎる問題にはまだ至っていないってことがあるじゃない。
システムで出来ないようにしろとも言われるがその前段階として「人としてどうかと思う」で非難される行動。
長距離バスや旅館・宴会などの直前キャンセルテクニックがそれ。やると得になるならやる。真面目に確実な予約だけしてこちらの快適さがあがるわけでもなし。やれる範囲で得してなにが悪い精神。
虹裏のスクリプト荒らし?別に機械的にPOSTが通るならいいでしょ。人力で人が考えた文章をタイプしないといけない?規約違反?中傷・侮辱やエロ画像がはびこってる場所ですよ。あんなの本文中に挟まる広告と一緒。レス上限はあるけどスレ立て制限はないから次スレ立てればいいじゃん。ひっぱってくる過去ログだって、人も雑談でたいした創造性発揮してないんだから過去ログからタグ付けられた同系統のログからGPTでもはさんで改変したらOKなんか?スクリプトレスしたヤツが楽しかったらレスして楽しいは通常の楽しみ方の範囲内だろ。
みたいなアクロバットな屁理屈擁護もできそうになっちゃうわけで。delも一人ならまだなんとか隔離できて複数(別回線)から喰らうとさらにヤバいよなって数の問題も多分ある。頻度だって去年からあったが増えてきてヤバいって書いてある。
そんな場所が十何年も続いていたのは当時は管理人のやる気があったかにしろ良識的・常識的振る舞いができる人が多数だったからでしょ。
インプレゾンビだって日本人の迷惑と途上国のそれなりな収入とを比べれば迷惑でもやるって当事者の話じゃん。できるからやる。やるやつが多すぎて迷惑。円安が超進めば日本人も迷惑する側からかける側がもっと増えるでしょうね。
増田に投稿できる人ははてなIDを持ってるから全員がはてブも利用できる。全員が書いた増田をセルクマするとしよう。
https://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp/?sort=eid
1ブクマがついた増田が上がるからこの一覧はイコール増田の記事一覧、トップページから25件25件みたりRSS取得するのと変わらなくなる。
いやまだ差異はある。「すべて」と「新着」の間の2ブクマ目。実質ファーストブクマになった2ブクマ目を確認できる。
でもそれって今できてるファーストブクマによる増田全件からのフィルターからはかなり後退して、自前でフィルターできない人は目視で2ブクマ記事を探すことになる。大変だわな。
ちなみに新着の3ブクマは「特定のサイトに対し、メインアカウントとサブアカウントで複数のブックマークをする行為」がスパム認定だからなんとか守られるはず。
ほかのサイトでも見境無くブクマするやつが実際居る問題だけど、増田は特に書ける=ブクマできるとはてなIDで繋がってるからより顕著という話。
セルクマするのは「すべて」に乗せて目立ちたいし「新着」やホッテントリに近づきたいって理由だろうけどそれはファーストブクマカが少ないし価値を発掘してるから成り立ってるだけだし、公開セルクマも自分のはてなブログでコツコツ知名度高めるより増田の1ブクマのほうが人が集まるのはわかりきってるからだし。
増田全員の見られたい欲が最大化してみんなセルクマしたら(口では見られる必要無いって言うだろうけど、真に1ミリも他人に見られる必要なくweb上で自分だけ振り返りたいなら増田以外に良いのがなんぼでもあるっしょ)自分の行動で埋もれていくわけだ。
現状大きな問題になってない?セルクマは控えよう、あまり気にしないって考えが一定数あるからだし、キャンセル問題も多数の人が良心的に控えているので少数が問題起こしても立ち行かなくなるまで行かない程度ですんでますね。キャンセルも許しましょう。
https://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp/?sort=eid
に守るべき価値が別にない?機能不全の一端を担い(容認し)ながらそれを言うのは…。よそさまのモノを大事にするかしないか一方的に価値を決めつける振る舞いは感心できませんね。
てことで、増田の非公開即セルクマも公開セルクマも等しくキュレーションをハックしてる破壊活動なので、「セルクマはやめときましょう」に乗っかるのをやめときましょう。
そんなキャンセルやシステムの隙を突いた事件と、「セルクマ。ブクマ増えるかtest」とか「自分史上まれにみる頑張りを見せたので宣伝させてください。誰かに届くと嬉しいです。」なんてコメントを見かけたニコニコを見れない休日の日記でした。
私は傷や汚れがつくのを恐れているので、ぬいやアクスタを外に連れ出したことはない。ただ、身の回りの友人(ほぼオタク)は、みーんな毎回のお出かけに何匹も連れてくる。
アレね、最近ふと「これ何歳までいけんのかな」と思うようになった。
現在20代前半。高卒や専門卒で就職した人はもうすでに数年社会人を経験して、結婚してたり、子供もいるかもしれない年齢。
可愛いカフェでぬいやらアクスタやらを並べ、「〇〇、ケーキだよ」とか書いてTwitterに載っける。「おめめキラキラにしてあげようね」とぬいぐるみの眼球部分にキラキラのシール(宝石みたいなアレ)を貼る。
アニメイトでもこもこのぬい服を買う。
やってることは着せ替え人形遊びやおままごとに近い。それも20代のいい大人が。それに対して、最近、アレ?これ何歳まで許されるんだ? と思うのである。
プライベートのお出かけなんだから自由にさせたれよ! というのは分かっている。だから口に出したことは無い。
新しいぬい服買ったの! とエビフライの衣みてぇなもこもこに包まれたぬいを見せてもらったら「〇〇君、ママに新しいお洋服買ってもらって良かったね〜」と親戚のおばさんムーヴを繰り出している。
また彼は人生に対する快楽主義的な姿勢が持つ欺瞞性を理解していた。
先の戦争以降、西洋思想のほとんど全て、特に「進歩的」思想は皆、人類は安楽、身の安全、苦痛の回避以上のことを望んではいないと暗に仮定していた。
こうした人生観においては、例えば愛国心や軍事的な美徳といったものが存在する余地はない。
兵隊の人形で遊ぶ我が子を見た社会主義者は普通、不安に駆られるものだがブリキの兵隊の代わりを思いつくことは決してできない。
どうしたわけかブリキの平和主義者ではその代わりにはならないのだ。
自らの喜びなき精神によって並外れて強くそれを感じ取るヒトラーは、
人類が欲するのは安楽と安全、短い労働、衛生状態、避妊、一般化して言えば常識に適ったもの、
それだけでないことを知っているのだ。
少なくともときおりは闘争と自己犠牲、そして言うまでもなく太鼓と旗、忠誠を誇示するための行進を人類は求める。
経済理論としてはともかく、ファシズムとナチズムはどのような快楽主義的人生観よりも心理学的にずっと堅固なものである。
書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」 ジョージ・オーウェル
https://open-shelf.appspot.com/ReviewOfMeinKampfByAdolfHitler/chapter1.html
石丸伸二という都知事に立候補した政治家がゲンダイに叩かれている記事のブクマで「政策を論じていない記事なので意味がない」というような主張を複数人がしている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.media/articles/-/131178
ところがだ。石丸自身は都政に関して具体的な政策を語ったことあったっけ?無いのだ。「人口過密を何とかしたい」という漠然とした思いくらいだ。
しかも石丸はインタビューでは「その具体策はまだない」と言っているのである。
https://youtu.be/vaTcxZFc0e4?si=WAPX4ZdwpUuUjcdd
おい、これは「この記事は政策を論じてない」と言ってた連中も石丸の「政策」なんて聞いてなかったって事だろ。
「閉じた社会的クラスタの中で符牒化された答えを言えば反論した事になる」そういう事だろ。
そしてゲンダイの元記事はまさにその事を指摘して、その支持のされ方がヤバい、延いては石丸という人物がヤバいと指摘する記事なのだろう?
するとまさにゲンダイが指摘する事をブコメ欄で演じてみせたワケだな。お見事である。
では石丸に政策が無いのがいけないのだろうか?そうではない。政策以外で支持される選挙もある。
例えばオバマは健康保険の導入など具体策もあったが、支持の中心は「ブッシュでない事、保守系シンクタンクのパペット人形ではない事という漠然としたイメージだった。
トランプの場合は国際から国内への回帰とエリートが勝手に国を運転するなという反感であったし、バイデンの場合はもう地獄の盆踊りを終わりにして日常に帰れというものだった。
都政では青島幸男は都市博止めますの一本で、石原慎太郎は財政立て直しの一本だったが、青島が素人視されていた為、政治家経験が長いプロというイメージが強かった。
小池百合子は金の問題でヘマしない、議会を乗っ取る千代田区の自民議員傘下ではないというイメージだ。
小池の方はむしろ提言した政策の方が強烈に酷く、山手線2階建て他、皆が政策を重視していたら落ちるどころか築地の魚市場に捨ててある魚の内臓投げつけられるような代物だった。因みに増田はあの公約群を許してねーぜ。
だから現状で石丸に政策が無いのがそんなに悪いって訳じゃないね。
問題はそんな政策をまだ考えてないし発表もしてない政治家への批判の反論で、己も見ても聞いてもいない「政策」を見たのか!?と難じて、それに同意しまくるというネット共同性のコミュニケーション方なんだよ。
学校では社会に出ていない状態で社会的な事柄を教わる為、それが具体的にどういうものかという感触が無いままに暗記して習得しそれをテストで書く事を求められる。それが出来るのが優等生だ。
その考えのままに具体的に活用すべき事態に至っても同じ行動をしてしまう。これはいわば愚昧な優等生というべき状態だな。
だから己も見てもいない「政策」を見たのか!?とかいうコメントに大勢が賛同してしまうのだ。
で、はてなはこういう傾向がかなり強い。
例えば政治家の舌禍問題で全文が掲載されている記事に「切り取りだ」という糾弾がなされそれが多く賛同される。
例えば表現規制問題で「お気持ち」というジャーゴンが定着すると、警察や裁量権が大きいその他行政の前例に抵触している事でも「お気持ち」と言えば通ると思ってしまう。
「自分はそういうバカどもの和には入ってないぞ」という人もいるだろう。そういう人には申し訳ないが、実際こういうダメなコミュニケーションが多く観察されるのがはてなであって、ここに来れば頭を使わず、経験を問われずに背伸びが出来るって動機がそういう連中を惹きつけているのだ。「まんだらけ中野店の行為はすでに警察所掌の風営法の規制に入っている」と指摘する人も居たのに完全無視されただろう?
そして石丸自身もこういう愚昧優等生が屯するネット言論にウけるような行動をしている。
啖呵が切れるように話を勝手に持って行ったり、「マスコミを論破して出禁にする」場面を作ったりがそうだ。
そして通して見たら聞くに堪えない論破芸の論破だけを切取った動画が喝采を浴びている。それが元記事の内容だ。
これに対しても「キリトリだ」という論難が多く書かれている。
ネットの一部ではマスコミはアプリオリに悪であり、その記事に対して「~は切り取りだ」というのが習わしになっている。
そこで「キリトリ動画の元の録画を通して見たら論破に持って行くのが見え見えで話が通っておらず酷すぎて呆れる」という記事のコメントに「キリトリだ」が現れ喝采を得ているのだ。
経歴は立派でもこんな賛同のされ方している政治家がまともなワケないだろ。
なのでゲンダイの記事はそれに付いたコメントが内容の妥当性を証明するという、未来に向けて書かれた記事となっていたのであった。
それにしてもはてなが電撃無き集虫灯みたいになってるのどうにかなりませんかね?
今の非モテ論争、あれ見てて一番やべえなと思うのが、他人への関心の薄さなんだよなあ
すごい矛盾したこと言ってるように感じると思うんだけど、あの元増田みたいな人って他人に興味がないよね
自分の足りないものを補うために彼女が欲しいだけで、その子を自分が受け入れよう、受け止めようって気持ちはないよね、自分を受け入れてほしい、受け止めてほしいばっかでさ
好きな子ができたって言ってもちょっと理想と外れてたり嫌なとこ見たり冷たくされただけで「やっぱり違った」「傷つけられた」ってすぐ完結するじゃん
「この子こんな一面もあるんだなあ」とか「なんでこんなことするんだろう?」とか「相手と自分のどっちが悪かったんだろう?」とか、自分にも原因があったりしないか本当に相手の性格が悪かったのか単純に状況が悪かったのか、そういうこと考えずにサーッと引いていくじゃん
相手を見極めたいとか、本当はどういう人間なんだろうって深掘りするほどの興味はないんだよね
現実の世界に理想どおりの相手なんているほうが奇跡だし、アニメのキャラクターみたいにたかが13回見たくらいで理解できるような薄っぺらい人間はいないのに、ほんのちょっとのズレで「わかった、さようなら」って尻尾巻いて逃げてくんだよ
なにもわかってねえよ、なんなら十年二十年一緒にいたって「こんな奴だったのか」って思うこともあるのが人間の面白さだろ
それに興味が持てないなら最初から現実の女に行くなよ、だれも強制してねえよ
で、こういうこと言うとだいたい過去のトラウマを持ち出してくるじゃん
「過去に人間関係で辛い経験をした、だから心に傷があって他人と接するのが怖い、でも彼女は欲しい」っつってな
うん可哀想だね、自分を大事にしてね、でもおまえを大事にするのはおまえ自身であって今現在まったく赤の他人の女の子じゃねえんだよ、って話なんだよな
過去におまえを傷つけた誰かの責任を別の誰かに取らせようとするんじゃねえよ
過去の誰かと今の誰かの区別がついてねえんだよ、勝手に自分の中にあるいくつかの人物像当てはめて自分の中でお人形遊びしてるだけだろ、それが「人間扱いしてない」って言われてんだよ
おまえに冷たくしたその子は実は過去にひどいいじめを受けて心は傷だらけでそれをおまえが知らないうちに抉ったのかもしれないじゃん
嫌な態度取ってたその子は今家族の問題を抱えてて心の余裕がなかったのかもしれないじゃん
そういう「相手には相手の事情があるかもしれない」ってことを考えずに「可哀想な自分を受け入れてくれないなんて」って傷つくの、すごいお門違いの我儘だろ
おまえが心の傷を持ち出すなら、相手にだって心の傷を持ち出す権利があるんだよ
自分だけが傷ついてると思うなよ、むしろ心の傷なんてない人間のほうがレアだよ、みんな必死こいて自分で埋めてんだよ
でもこういうこと言うと、でも自分はものすごく傷ついてるからって特別扱い要求するんだよな、おまえの傷の深さなんか知らねえよ、おまえだって他人の傷の深さなんかわかんねえだろ
それでもおまえが傷ついた自分を受け入れてくれって言うなら、おまえは傷ついた相手を受け入れる義務があるんだよ、必死こいて相手の傷を埋めてあげなきゃいけないんだよ
それができないと思うならまだ早いんだよ、行くんじゃねえよ、だれも強制してねえよ
それでも行きたいなら心の傷くらい受け入れる度胸を持てよ、怖いとか言ってる場合じゃねえんだよ
だいたい、なんの過失もない相手を怖がるってものすごい失礼なんだよ、夜道やエレベーターで勝手に痴漢疑惑かけられて怖がられる善良な男のことを考えたらわかるだろ
そんで、男だって女だって失礼な奴は嫌いなんだよ、「なんで勝手に怖がられて怯えられなきゃいけないんだよ、自分が何かした?」って思って当然だろ、わけもわからず自分に怯えてる人間に好意なんて持てないんだよ
だからおまえは煙たがられるんだよってこと
ぬいペニ論争からペニスの出し方の話が出てきてたじゃん、あれ正しいし、頑張れる人はあれで頑張ればいいと思うんだよ
なんだけど、すごい絶望的だなとも思ったんだよな、だって拗らせた奴はあれができないわけじゃん、ていうかあれができる関係性すら築けないわけじゃん
それがなんで築けないのかっていうのはもう彼女云々じゃなくて人間関係構築の問題じゃん、彼女が欲しいとか言ってる場合じゃないんだよ、問題はもっと深刻なんだよ、もっと別のとこで危機感持てよ
その子に興味があって好きになって彼女になってほしいじゃなくて、彼女が欲しくて周囲から見繕ってこの子が好きかもってなるのはもうなにもかも違うんだってことがわかってないわけじゃん
まずはさあ、自分が欲しいのは本当に生きてる人間の彼女かってことを冷静に考えたほうがいいと思うんだ
なに、一松人形って子供の成長を願うとかそんなもんじゃ無かったっけ。
こんな呪いをかけられる様な見た目って聞いてないんですけど…:( ;´꒳`;):
そしてこれを購入した方はなんに使ったんですかね。使用感がいいとか書いてありますが、使用感…?ん?
やっぱり人形って怖い
にがて
ねむれなくなりそう(× × )
先日友人の結婚式に参加した。
移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。
ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕で前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。
旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。
パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。
確かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。
それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたときの気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。
今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。
今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。
そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。
少なからず自分が世界の主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。
その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。
また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける。
しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足の押し付けが過ぎ、幸せ絶頂の花嫁に水を指すのもいかがなものか。
上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的な感情をここに書くに至った。
さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である。
彼女とかかわり合いになったのは、大学のサークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。
私自身高校生活から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。
そこからサークルという否応なしに共通の目的やら問題やらに向かえる集団に所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。
そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。
ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件がきっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。
以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。
何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。
こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日はご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。
思えば色々と感化されやすい性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。
そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。
そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分の発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。
そうして、間違ったことも、壊してしまったことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。
見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である。
私から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。
私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。
私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたここ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。
ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。
自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。
服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。
洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチンの排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。
朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。
人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれてから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、
一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。
それは意識されないまでも、どこか自分の根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。
あなたはどうであるか、そもそも私自身あなたの相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである。
トラブルの発端は「ホームレス助けるのは無駄かどうか」みたいなレスバである。
大学生のアカウント名でぐぐったら裁判の影響か殆ど何も出てこないが、メンタリストダイゴがホームレスがどうたらでイキって炎上したときに賛同コメントを寄せていた。
ホームレス助ける意義なんて別に情緒や倫理に訴えなくても普通の大人はわかってるんだけどな。
セーフティネットあるほうがトータルで合理的っていうだけの話。
要するに大多数の社会人はホームレスになんの興味も同情心もないと同時に、税金の一部がホームレスに注がれるとしても別に文句もないのである。
「自分は優生思想持ちだ」「ガイジ死ね」みたいなことを、そこそこリスク取ってまで強く訴えたい動機ってなんなのかな。
身バレして訴訟起こされてもガイジというのをやめない!っていう情熱の出どころがわかんない
ーーーーーーーー
オッサンはオッサンで特に好感持てるような感じでもないのだが、
審理の場に臨む際に初音ミクの人形?だかを連れて行く描写にはなんかこみあげるものがあった。滑稽さと真剣さの取り合わせは泣ける。