はてなキーワード: 中学生とは
個人的には好きなアーティストがヤバイ言動をするリスクって他人事じゃないんだよな
小山田圭吾の場合は30年ほど前の過去の発言だけど、当時小山田の虐め体験談を載せた雑誌を読んだファンの中には当惑を隠せなかった人も少なくなかったみたいだ
俺の好きなアーティストの一人にエレカシ宮本がいるんだけど、宮本が極右的な発言を残さずにここまで来れたのは奇跡だと思ってる
小山田圭吾の例の記事を1990年代にリアルタイムで読んでた。
渋谷系ってべつに全然メジャーじゃなくて特に自分の住んでた田舎(茨城)では中学とか高校のクラスで聴いてるのはひとりいるかどうか。掲載誌のロッキンオンジャパンなんかも街の一番大きい本屋で2冊とかの扱い。普通の書店にはなかった。クイックジャパンなんて地元で売ってるの見たことなかった。
小山田の記事も自分以外に読んでいる人なんていないと思っていたし、ネットもなかったから誰かと語り合うこともなく「へ~ばかだな」くらいの感じだった。
オリパラがらみでこんなに大きな話題になったことに正直かなり動揺している。
ふと思い浮かんだのがSNSが炎上するバカッター騒ぎのことだ。友人だけが見ると思っていたSNSにちょっとイキって載せた動画が自分に興味がないはずの他人にまで広まって世界中から非難される。全世界に公開されていることは頭でわかっていても有名じゃない自分のSNSなんて誰も見ないと思ってたのに…。
小山田の今回の件も時代を超えたバカッター騒ぎだなと考えて初めてバカッター当事者の気持ちがふんわりわかった気がしてぞっとした。
中村佑介が「中学生の時に漫画村を観ていたことが、就職活動の時に最終面接であばかれるような」って書いていたのがすごくしっくりきた。
本当のことを言えば怒られた発端は俺の炊飯予約がミスってて朝に米が炊けてなかったことなのだが、ここから色んなトコロに連鎖的に怒りが爆発して
「お前みたいな米も炊けない半人前になびく女なんかいない!」
「孫の顔も見せない親不孝者が!」
「お前は『結婚する気が無い』んじゃなくて『結婚できない』んだ!」
こんな感じで最終的にはとにかく女性に縁が無いことと、家庭を作る方向での発展が一切無いことを徹底的になじられた。
ウチの母は『人は年頃になれば自然と異性に興味が出て恋人の一人や二人は作るモノだ』とずーっと昔から思っていて、実際中学生くらいの頃からそう言われていた。
しかし、俺はというと未だかつて恋人どころか女友達すらいたことが無く完全に女性と無縁の存在なので、母から見ると一体何を考えているのか理解できなくて気持ち悪いしイライラするんだろうな。
(もっと言えば、姉が一人いるのだが姉は人様並みに恋人を作っていたし、今は良い旦那を捕まえ二児の母として暮らしているので、猶のことそれ真反対の俺が気持ち悪いのだろう)
だけどねぇ、母には(父にもだけど)悪いけど多分この後もずーっと俺は女性に縁が無いから結婚できないし、結婚しようって気も無いよ。
悪いけど俺については色々と諦めてくれ。
収入がイマイチだし、なのにズルズルと大学院まで行ってたから奨学金返済がすげーあるし、
性格は内向的かつ面倒くさがりだから人間としての引き出しが全然ないし、
完全に縄文人系の顔と体毛で図体がかなりデカいからビッグフットが頑張って人里に降りてきたみたいな見た目だし、
もう34歳のいい歳こいたオッサンなのに子供部屋おじさんだし、
なんというか自己評価でも男性としての魅力がまるで無いのである。
(一応、子供部屋おじさんに戻ったのは3年前のことだし、家族的な事情があってのことなのだが、そんなのは外野からしたら知ったことではない)
世の中は広いから、こんな俺がストライクゾーンに合致する女性も奇跡的に存在するのかもしれんが、
そんな人がいたらハッキリ言ってゲテモノ好きすぎて美的感覚がぶっ壊れているから逆に俺の方が恐怖してしまうと思う。
上に書いた通り、男性としての魅力が完全に死んでいるので負け試合とわかっている恋人探しだの婚活だのをやる気は全然ない。
お金かけて負け試合に突撃してボロクソにされたら心が死んでしまう。
更にもう一つ言うと、大学院生時代に勉強の一環として弁護士の無料離婚相談に同席させてもらった経験から、女性や、伴侶を得ることに恐怖を覚えてしまったのもある。
・基本的に相談に来るのは女性であり、相談に来ると相手(旦那)のことをダニかゴキブリかっていうくらいボロクソに言う
・でもダニかゴキブリかっていうくらいボロクソ言っていることの理由、つまり旦那の落ち度はイマイチ見えてこない
(彼女らの感覚では自分を被害者側だと思っているハズなので、その被害をアピールしてくれればいいのだが、そのアピールが無いか、要領を得ない)
大体こんな感じの傾向であった。
もちろん、全ての案件がこの通りという訳ではないことは念のため言っておく。あくまでも俺が見た限りの傾向の話でしかない。
...
相談者の年齢・婚姻期間は本当に幅広く、殆ど新婚みたいな案件から、子供が完全に成人して独立していったような案件まで様々だった。
ただ、どんなカップルであっても、恋愛結婚は言うに及ばず、仮にお見合い結婚だったとしても、最低限結婚に至るまでの間に
という自分自身の判断がなされていると思うのだが、それでもその相手をダニかゴキブリかっていうくらいボロクソに言うのである。
子供を作って、独立まで送りだして、夫婦としてやってきたのに。
(よっぽど古風かつ厳格な家で結婚することにも相手にも自分の意見が言えなかった女性も世の中にはごく少数いるだろうが)
『奥さんたちにボロクソ言われまくった旦那たちは、結婚して身近な存在にさえならなければ、逆にここまでの敵意を向けられることも無かったんだろうなぁ』
『このご夫婦なんかもう中々のご年齢だけど、多分関係修復は無理だろうし、この後お互い一人になって結局一人で死ぬんだろうなぁ』
なんていう風に思ってしまうと、結婚することによって一体何を得るのか?という疑問がどうしても自分の中から消えず、結婚への動機が湧かないのだ。
多分これを母に言ったら
「つまらん言い訳で主体的に独身を選んだことにして、『結婚できない』ことから目を逸らそうとしている」
とまた怒られると思う。なので言わない。
まぁ、孫の顔については姉夫婦が両親に見せてくれたし、これで満足してもらおう。今どき内孫外孫の違いをどうこう言う時代でもないしな。
すまんね、こんな息子で。
中学生って感じで微笑ましい
好きだと気づいたのはクラス替えの後だった。
小学5年生でクラス替えをした時、アヤトくんとクラスが離れ離れになってひどく落ち込んだ。
特にかかわりのないまま夏を迎え、校外学習に行く準備が始まった。もう10年以上も前のことなので記憶が曖昧だが、なぜかご飯の時間に私の班だけがアヤトくんのクラスと合同でグループを組むことになって、たまたまアヤトくんと同じグループになれた。
一緒にカレーを作ってる写真が卒アルに載っているので卒業後もたまに見返したりしてた。
放課後に通っていた書道教室が一緒だったので、たまに書道教室で会うことが密かな楽しみだった。
5年生の時はそれくらいしか思い出はなく、ひっそりと思いを抱えたまま6年生になった。
6年生になると、またアヤトくんと同じクラスになれた。毎日楽しくて、勉強なんか身に入らずアヤトくんだけをみていたし、2日間会えなくなるから金曜日が大嫌いだった。
そもそも、付き合うことの意味も分かっていなかったわたしは、気持ちをどこに向ければいいのかもよく分かっていなかった。
それでもアヤトくんの優しさに触れる度に好きでどうしようもなくなっていた。
私は漢字ドリルや計算ドリルを進めるのが好きだったのでみんなより早く1周して、勝手に2周目を進めていた。そんな時、アヤトくんも同じく2周目に進んでいることが分かって、なんとなく、どっちが先に2周目終わるか勝負ね!なんて言って幼いながらも接点を増やしていった。
ほとんど同じくらいのペースで2周目がおわって、私たちはドリル3周目を迎えた。もはやドリルへの執着ではなくアヤトくんへの執着だった。
3周目がおわるころに、担任が私とアヤトくんの異常なスピードに気づいて、クラスメイトの前で褒めてくれた。どっちが先に3週目終わるかな?と先生が言ってくれて、先に終わったら金ピカのシールをくれると言った。金ピカのシールなんて別に興味がなかったけど私とアヤトくんだけの特別な勝負が公になって嬉し恥ずかしの気分だった。
もうすぐ3周目がおわるころ、アヤトくんはなぜかスピードを落としてしまった。そして私は先に3周目を終えて金ピカのシールをもらった。
何も言ってなかったけどアヤトくんはわざと負けてくれたんだと思う。その優しさでまた心がぎゅっとなった。
アヤトくんはこんなに優しいから、結構人気な男の子だった。クラスメイトの中には他にもアヤトくんのことを好きな子がいた。
その子は、3年生の時に理科でアヤトくんが作ったモーターカーを間違えて踏んで壊してしまったらしい。小学生にとって、自分の作品を壊されたら阿鼻叫喚してもおかしくないが、彼は笑って許してくれたらしい。それで好きになってしまったと話を聞いた時、私もまた好きが大きくなってしまった。
そうこうして卒業の時期を迎えた。中学も同じなので特別寂しさはなかったが、アヤトくんと1番近くで話せたのはこの時期が最後だった。
帰る準備をしてる頃、視界が揺れた。
花瓶も、窓ガラスもわれ、ガタガタと物音が落ちる音とみんなの叫び声が響いてこわくてこわくて仕方なかった。
揺れが落ち着いてグラウンドに避難する時、怖くて立ち上がれなかった私に、アヤトくんは手を差し伸べてくれて一緒に歩いてくれた。
この日がアヤトくんの一番近くに居れた日だった。
サッカー少年だったアヤトくんはなぜか帰宅部になっていた。帰宅部の怖そうな友達とつるむようになったアヤトくんをみてなぜか寂しくなった。
ほんとはアヤトくんめちゃくちゃサッカー上手いのに、なんでってずっと思ってたけど聞く勇気はなかった。
クラスも遠くて接点もなかった。しばらくして放課後にアヤトくんのクラスに用があって行ったら、アヤトくんは髪を伸ばしてチャラくなっていた。そしてリュックにはピンクのよく分からないキャラクターのキーホルダーを着けていた。その隣に全く同じキーホルダーを着けている女の子がいて心臓がばくばくした。
一瞬で彼女だと悟った。
中学から一緒になった、出会ってそんなに時間もたってない子にいとも簡単に取られてしまうことを初めて学んだ。思いの長さは強さじゃないんだと知ってどん底に落ちた。
この彼女は私とアヤトくんがドリル競争を繰り広げてたことなんてなんも知らないのに、もう彼女になれてるんだ、ってよく分からない嫉妬をした。
結局アヤトくんへの気持ちを諦められないまま中2になった。アヤトくんは彼女と別れたらしい。
ずっと好きだと思いながら何も言えず、冬になった。
バレンタインを渡そうとして渡せなくてゴミ箱に捨てたのも確か中2の冬だった気がする。
同じ頃、修学旅行で隣の部屋で恋バナしてるからおいでと言われてるんるんで向かうと、ギャルの女の子がベッドの上で楽しそうに話をしていた。
「それでー、ちゅープリ撮ったの!」
そう言ってギャルは顔を赤くしていた。
キスなんてしたことない私は、ギャルが大人に見えて仕方なかった。その後まもなくしてちゅープリを見せてもらうとアヤトくんが映っていた。
その後の記憶はほぼない。帰りのバスは心が虚無だった。もうあの頃のアヤトくんはいないんだとわかって、それなのに自分はあの頃で止まっているのが悲しかった。
中3になると塾が忙しくなって、次第にアヤトくんのことを考える時間はほぼ無くなっていった。
アヤトくんの志望校すらも知らなかった。
でも、6年生の時にあれだけドリルを一生懸命やってたんだから、勉強は嫌いじゃないだろうしそれなりの高校に行くんだろうなあと思っていた。
卒業間近に、アヤトくんが市内のバカ高に進むと知って、ああそうか、と思った。
もう何もかも変わってしまったんだと思った。
高校に入って、私は別の人を好きになった。
アヤトくんのことはもう頭の片隅にもなかった。
時は経って、
18歳になるころ、アヤトくんはデキ婚した。
アヤトくんがパパか。そう思ったものの羨ましいの感情も特になかった。
私は都内の大学に通い、それなりに自分の生活を楽しんでいた。成人式でアヤトくんに再会すると「俺の事覚えてないよね〜?」と声をかけられた。いや、覚えてるよ!と話して、今私は大学に行ってるよ、と話したら別の世界にいる人を見るような目で「すげ〜な!しっかりしてるんだな」と言われた。
それからまた時が経った。
アヤトくんは離婚したらしい。
ふーんくらいにしか思っていなかったが、意外なところでまた再開する。
出会いがなくマッチングアプリをインストールして適当にスワイプしていると、アヤトくんがいた。
同い年なはずなのにすっかりおじさんになったアヤトくんの姿があった。
小山田圭吾が五輪開会式の楽曲担当になったが、当時の加害者らはそれを知って何を思ったんだろうな。
参考に1つ例を挙げると、
1986年に起こったクラス全員と教師4名による葬式ごっこで男子中学生を自殺させた事件。
最近NHKで放送されたドキュメンタリー番組で、取材のため当時の同級生や教師に連絡を取り、返ってきた言葉は、
私が中学生の頃、一緒にオタクしてた仲良しの同級生がいた。彼女とは一緒にイベントに行ったし、毎日一緒に帰ったりとにかく仲が良かった。
でも、中3時に私が学校に行くのが辛くなって休みがちになり、進学先も同じ中学の人がいないところに行くことにした。あまりに辛くて中学の最後らへんは記憶も残ってない。
中学を卒業する時ら辺になると、彼女は好きだったアイドルには飽きて新たに読モの界隈に移ったので、卒業の後には完全に疎遠になった。私はその後も緩くであるがオタクを続けた。彼女は結構飽き性だったし、界隈を移動しながらオタクをしていたんだろうなと思っていた。
20歳になった時、私は成人式に出なかった。祖母に振袖姿を見せたかったが、中学時代にいい思い出はなかったから出るのはやめた。インスタで地元の成人式の投稿を見ると、仲良しだった彼女の姿はなかった。私と同じく成人式には出なかったそうだ。
ふと、彼女の現在の生活が気になったので、インスタのアカウントを特定し、鍵がかかっていなかったので覗いてみた。
彼女のインスタには「お客さんがボーナスくれた♡(総額70万くらいの札束写真)」「私の担当は優しい♡(高そうな酒)」「今日のメイク上手くいった♡(明らかに地雷系の目元)」のような内容が投稿されていた。疎遠になった5年間のことは深くは知らないけど、ホストにハマって昼職を辞めて夜職を始めて暮らしていることが容易に想像できた。
彼女は気質がオタクだからオタク自体は辞められないと思っていたけれど、「そっちに行っちゃったか〜」と悲しい気持ちになった。
その後も観察しようと思ったんだけど、捨て垢(私)にインスタを監視されていることに気づいたのかアカウントは消えてしまい、彼女の現在の生活を知る術はない。
もちろんそれを武勇伝みたいに語ってる小山田が一番バカなんだけど、
和光って「共に生きる教育」とかいって障害者を一般クラスに入れてるらしいのね
中学生の悪ノリのなかでは「お笑い芸人のどんくさいやつ」のエクトリームバージョンが
親にしてみれば「ちょっと荒っぽいけどよく遊んでくれた友達」という認識だし
本人にも告発するような知能はない
万引きもここ20、30年でちゃんと犯罪として扱われるようになったよね。昔の日本はスゴイ
『クイック・ジャパン』(1994創刊号)の鶴見済との対談でも語っているように、和光中学生の頃に小沢健二が万引きの常習犯だったことはよく知られている。とはいえ小沢健二でも窃盗が悪いことだとは当然わかっているだろうし、盗むな、とみんなには説いて回っているはずだ。それでいながら小沢健二はなぜ万引きを繰り返していたのだろうか。
自分ひとりが万引きするくらいなら、紀伊国屋書店にとっては微々たることであるし、自分は上級国民だから万引きをやっても許されるとでも思っていたのだろう。
しかしながら、倫理や社会規範というものは、みんながそれをしたらどうなるか、という考えに基づいている。自分だけ何をやっても“オッケーよ”とばかりに、万引きをやり、他人の楽曲をパクリ、反グローバリゼーションを唱えながらtwitterをやる小沢健二には、何かが欠落しているとしか言いようがない。
「性行為に関して、女性の同意がないのに同意があったとみなされる」のは
なんで後者の法改正が進んだ時に前者は放置したままだという前提なのか不思議
あのさ、
老若男女が集まるバシヨドでバシッと買い物をキメたついでに、
冷やした饂飩でもまたあわせてキメてこようと思って、
バシヨドではお使い頼まれたランのハブがバシッと故障したからって新しいの買ってきてってことで、
渡されたメモのままに従って買物に行ったら分かるようになってるからって言うの。
もう張り切ってテレビ番組の初めてのお使い級に
あのテーマ曲のなんて曲名なのかは分からないけどドーレミファーソーラーシードーイェーイイェーイ!ってノリノリのテーマ曲を歌を歌いながらお使いは超卒無く完了よ。
そんでそのついでと言っちゃなんだけどそのついでに、
食べてもうひと頑張りんぐ!って思ってた矢先饂飩をすすってキメた瞬間に
ああもういいや、
へなへなへな~
今日はもう帰ろうかナーって
なんか夜食とは言わないけど、
変に満たされて、
もいっかー!ってなるような気がするから
やっぱり満腹は敵でもあるし味方でもあるし、
いかにして満腹と付き合っていかなくてはならないのねって思ったわ。
その時間の中でしかモノを食べたりしてはいけないってダイエット戦法があるんだけど、
やっぱり夕方となると
スピードワゴン井戸田さんが大声で叫びそうなものを食べたくなるし、
まさに饂飩とかをもキメたいところじゃない。
でもキメたが最後!
もう満足してしてしまくりまくって、
もうさ歯に葱なんか挟まっちゃったりなんかして、
もちろんお店を出る時には葱は始末してしまうわよ。
いくら何でも私でも、
そんなほっぺに葱付けて歩けるわけないじゃない!
それうずまきナルト君!
バシヨドでバシッとキメてきた買い物ついでに食べた饂飩なんだけど、
本当はお蕎麦の方がまたツルっと行けるってもんよね。
なんであんなに白いの?
蕎麦とは違う!
蕎麦とは違う!蕎麦とは違う!って最後の節を2回輪唱の様にいうじゃない、
もっと私たちが知っている茶色いお蕎麦を東京でも食べたいんだけど、
あんまりお蕎麦が白いと何を食べてるか本当に分からなくなってきて、
白い細饂飩?って思ってやまないわ。
どこでも入ったら美味しいお蕎麦に出会い頭にありつけると思ったら最後、
白いお蕎麦が出てくると半信半疑でこれお蕎麦なの?ってやっぱりイナカ者は思ってしまうのよ。
お店に飛び込み前転でイキって入店して張り切って広島焼きをいっちょう!って注文発注したんだけど、
なんかメイン焼きそばみたいなのが出てきて、
焼きそばが入っていても、
お好み焼き要素の方が5割を超す誰が見てもこれってお好み焼きよね!って想像以下のお好み焼き要素がなくて焼きそば要素の方が過半数だったのよ。
店員さんはそんな、
これ本当に広島焼きですか?って私みたいなへんてこりんな広島焼きド素人相手にムッときたかも知れないけど。
まあその時と一緒のように
張り切って東京だからってお蕎麦頼んで白い饂飩みたいな麺が出てきたからっていって
これお蕎麦ッスか?って東京なのに横須賀風にすかして聞くんじゃないわよ、って思うの。
クレーム入れるのが野暮っていうか粋じゃねーってところよ。
だから東京のお蕎麦は白いところを出しているお店に当たると私は冷や麦でピンクや緑の麺をすくって、
やった!当たり引いた!今日は私が1日お姫様!って思うぐらい逆張りに外したなって思うの。
もちろん、
私がちょっと苦手なのは麺が白くて蕎麦蕎麦した雰囲気が出ないって言ってるだけで、
味は美味しいのよ。
ぺきかんのろんのもちで!
ご麺なさい!って
チェーン店お蕎麦屋さんだと過去問を解きまくったからある程度傾向と対策とが分かるけど
その山岡さんがこのお店は家賃の味がしないなーって見破るぐらいコスト度外視した富士山盛りのマウンテンお蕎麦が出てくるところは、
だいたい家族経営の賃貸物件じゃないところの家賃分をまるまる食材にぶちこんで山盛り使えるってらしいのよ、
味というか味は美味しいんだけど、
マウンテン級の量には気を付けたいところね。
こないだ行ったかき氷屋さんなんか凄かったのよ!
もうアラスカかシベリアかグリーンランドにアイスランドを盛ってまるごとやってきたかのように、
いやこれ一人分?食べきれないわ!って
デスプレイの食品サンプル的なサンプルのかき氷はショーケースの一番下に置いていても先が天井に届いてしまう大袈裟にまさにふわふわ氷を盛ったイミテーションだと思ってたけど、
あれがそのまんまの見てくれで来たんだからたまったもんじゃないわよ。
こんなに大きかったら、
宇治金時とハワイアンビッグブルーとでお友だちと2つ頼むんじゃなかったーって
お友だちとシェアして食べて良いか否かを確認しなくちゃいけないわね。
流石に私はそのマウンテン級の富士山盛りのチョモランマお蕎麦には出会ったことないけど、
東京のそう言った量でも味でも、
前からも後からも攻めてくるお蕎麦屋さんには気を付けたいところね。
でも行き当たりばったりに出会うお店でそれに気付くかもまたグルメ鼻の利かせどころよね。
私はそんなに鼻が利かないけどさ。
何の話しかもう忘れちゃったけど、
まあとにかく夕方お腹を満たしたらそれで満足しちゃうマウンテンアンドチョモランマ!
あげぽよ!ってところかしら。
一緒に行ったお友だちに、
あげぽよよね!って言ってもぜんぜんノリ切ってなかったところがまた私が滑ったみたいでまさに滑稽だったけど。
まあバシヨドでバシッと買い物キメて美味しいお饂飩食べれたから、
この朝一番の9時に思っちゃったのよ。
え?なに?
老若男女が集まるバシヨドは朝の9時にはまだ開店していないって?
まったくそうね、
こりゃ一本とられたわ!なんつって、
満腹になってしまったことには充分に値する後悔であることには間違いなかったわ。
腹ごなしに腹ごしらえでもしてくるわ!
うふふ。
鞄に1つおにぎりを忍ばせているわよ。
これがあるのとないとでは
ションテンがぜんぜん違うのよね。
一晩漬けて冷蔵庫に入れて仕込んでおけば、
みんなも試してみてね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
以前は殺してやろうかと思うほど怒りを覚えていたが、どうでもよくなってきた。
ファミレスに車で行く道中で弟と少し小競り合いをしていると、突然ブチ切れて道をUターンして帰って部屋に閉じこもったり、
ハシの持ち方がおかしいと、突然怒鳴りだして、俺の顔を叩いたりしたこともあった。
両親と手をつないだことも抱きしめられたこともない。とにかく静かにしていろとだけ言われていた。
子供自体に身に着けるべきマナーは何一つ教えてもらえなかったから、小学生高学年になって息が臭い、体が臭い事に気づいて、ようやく自分で風呂に入ったり、歯を磨く習慣を身に着けた。
中学生になってからは、服を洗ってもらえなくて、同級生にやっぱり臭いと言われて、母親に洗濯をしてほしいと念を押して頼んだが、洗ってもらえず、自分で洗濯機で洗おうとすると、
母は、だんだん臭いことを理由に学校に行けなくなった自分の首を絞めて、学校に行かないなら殺すと言った。
無理やり学校に連れて行って、結局、登校できずに帰る道すがら、学校に行かないんだったらお前を殺すと言って、急ハンドル急スピード急ブレーキの暴走運転をしたりもした。
高校に行かずにプラプラするようになった自分に対して、バイトしないなら家から追い出すと怒った両親は、以降、自分がどんな努力をしても全力で叩き潰す方針にしたらしく、
ファッションに気を遣えばダサイと言われ、中学校時代の同級生が有名になれば(オリンピック選手になった学生がいた)、あの子はこんなに活躍しているのに、息子はこの程度だと笑い、
大学入学資格検定を勉強し始めたら、「お前は一生底辺だから学歴は必要がない」と怒った。
俺はうつむきがちの自己肯定感の低い人間になったが「暗い人間だな、気持ち悪いな」と父はことあるごとに親族に言っていたらしい
親を殺すか、親に殺されて、自分の人生は終わるんだろうなと、10代から20代のころは漠然と考えていた。
正社員になることができた会社を3年でやめた時も「つらいなら辞めればいいんだよ」とか言って優しさを見せたと思ったら、退職したその日に、「退職したのは自己責任だからな」と言って笑う。
幸い20代中盤で伴侶を見つけ、家を出た。
親と親の顔合わせで、妻の両親と口論になり、結婚式や披露宴はしなかった。
妻と自分の両親の顔合わせをした時には「こいつは精神病だから結婚には向かないと思うよ」と妻に父は諭した。
その時ばかりはいい加減にしてくれ。俺を不幸にするのが趣味なのか?と思ったが、幸い、妻は気にせず結婚してくれた。
結婚後も、俺の名前で勝手に作ったクレジットカードを満額まで使い切り(しかもリボ払い)
請求だけ回ってきた時は心底驚いた。
結局、弁護士をいれて、返済させた時点で、親との縁はほぼ切れた。
絶縁状みたいなものを俺の住所に送ってきたので、こちらも戸籍を外して、閲覧制限をかけた。
弟と連絡は取りあっているが、モラハラ息子とか、帰ってこない親不孝息子などと母は吹いているらしい。
俺みたいな男の子供が幸せになるとは思えないし、子供をまともな人間に育て上げたり、幸せにしてあげられる自信がない。
でも妻は子供を望んでいる。
毒親に育てられた俺は、毒親ではなく、ちゃんとした親になれるのだろうか。
何事に対しても自信がもてない
聞いてたのは当時の中学生くらいやろ
社会人になって数年って、だいぶ遅れてる方じゃね?
オレなんか、その2/3くらいは、中学生時点ですでに「悟って」いたがなーw
シヤワセそうなヤツは憎かったし、オトナとしゃべるのはメンドイことが多いからなるべくしゃべらないで済まそうと思ってたし、無職の人、仕事できない人に対しては普通に見下した態度だった。
(後で、オトナになってから聞いたことだが)いつも下校時に同じ方向に帰る友人に、道すがら見かけたホームレス風の人を指して「勉強しないと、将来あんなのになっちゃうぜ」的なことを何の気なしに言ったんだそうだ。
その一言で、友人はハッと目覚めてw マジメに勉強に取り組むようになって、イイ高校、イイ大学に進むことができたって、感謝されてしまったw