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はてなキーワード: メンタリティとは

2021-06-14

メジャーリーグ審判って判定に不服がある態度をとると報復的な厳しい判定してくるみたいだけど

「流石に間違いやろ」って訴えに

微塵も反省せず、自分正義と言わんばかりの嫌がらせとか

アメ公メンタリティおかしすぎだろ。

2021-06-12

anond:20210612171149

そうだね。虐げられていた時代よりはマシになっている

その反動意識の高いデブブサイクが持ち上げられる時代を経て

容姿の違いは存在しないものとして扱う時代が来ようとしている

でも表向きそのように扱わないだけで、人間メンタリティブサイクを虐げる時代と変わっていない

anond:20210612170510

メンタリティが180度どころか720度ちがう

二週回って同じ方向むいとるやんけ!

コンサルティングは胡散臭くなるからやめとけ

東大京大早慶新卒の人にアドバイスしたいのだが、

コンサルティングで食っていこうとは絶対おすすめしない

何人ものコンサル複数の業種で見てきたが、

それぞれ多かれ少なかれ、胡散臭さがにじみ出ている

「それでべつにいいです」っていうなら止めはしない

しかし、みずから胡散臭い人間になりたいです」って人は少ないだろう

そうなのであれば、実直な製造業などに就職することをおすすめする

コンサル製造業では、メンタリティが180度どころか720度ちがう

とにかく、「無形の商品」を扱い、かつ、

タリフ価格がない」という業界はやめたほうがいい

それに該当するのは受託専門のソフトウェアハウスコンサルだけである

さらコンサルは「交渉次第で高く売ることができる」

という要素を最大化した業界である

この3つの要素が、コンサルという存在を輪をかけて胡散臭くする

結論ひろゆきさんみたいな人間なりたければコンサルに行け

ホリエモンさんみたいな人間なりたければまずは実直な業界就職しろ

日本機械系・製造系で優良企業ゴロゴロしている

若いころはまずその中で苦労したほうがいい

それからコンサル起業しても遅くない

もともとコンサル工場運営相談役から始まったことを忘れてはいけない

起業の先には、おそらく失敗と反省があるが、

ホリエモン場合も大失敗(ライブドアショック収監)があるが、

それを乗り越えた先にエヴァンジェリストとして説得力が増す存在になれたのである

もしホリエモンさんが実業の失敗をしていなかったら、今も胡散臭かったろう

すくなくとも実業で苦労して、それからコンサルなりに転業すれば、

何十年も犯罪者の温床プラットフォーム運営しつづけて、

詐欺を何十年も生業にして訴訟課税から外国に逃げた結果として

ナチュラルににじみでてくる胡散臭さはとは無縁の人間にはなれると思う

早慶東大以上であれば「到達性のない」空疎議論プロレスして

アクセス数で金を稼ぐ、というようなことをしなくても稼げるだろうから

上の意図理解して頂けると思う

けっきょく詐欺だろうがなんだろうが自分が得をしたら勝ち、

というオナニー人間になりたいか、それ以上に大切なものがある、

と気づけるかどうかの違いだと思う

以上である

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210611/k10013078681000.html

高橋さん 衛藤さん

東大文系学生コンサル検討しない人はほとんどいないと思います官僚になるのがかっこいいという価値観は通じなくなって東大生の就職活動では、とりあえずコンサル=『とりコン』という言葉もあります

2021-06-04

anond:20210604170223

お前みたいな「俺の期待する答えを言わないヤツは答えたことにはしない」という議論できないボンクラのことをリテラシーの低い日本人と言うんだよボクちゃん

マスク在庫があるはずなのに「マスクはありません」と書いてあるから店員を詰問しようという老害に通じるメンタリティ

2021-05-25

anond:20210524144335

新しい可能性を楽しめよ。そんなんだから老害になるんだぞ。

しかセカンドウェーブ以前のコーヒーオタクサードウェーブを1ミリも受け入れる気がなく目の敵にしてるよなあ。

めんどくさいキモオタメンタリティなんだよな。

2021-05-18

いじめられる方が悪いとか

痴漢される方が悪いとか

ひったくられる方が悪いとか

っていうメンタリティがよく出てると思うわ

それでこそ日本人だと思うよw

2021-05-17

anond:20210516174729

こういうのって店員タメ口で話したりするメンタリティと地続きなんだろうな

anond:20210517095352

増田に書いたのって、意見違う人間から何言われても良いと思って書いたんじゃ無いの?

ちょっとなんか言われたくらいで、本人?っぽいのが増田でも誹謗中傷されたとか書いちゃうメンタリティ批判するなと言ってる訳じゃん。

もし本当に誹謗中傷されたのだとしたらかわいそうだけど、元増田おかしい。

anond:20210517095352

増田に書いたのって、意見違う人間から何言われても良いと思って書いたんじゃ無いの?

ちょっとなんか言われたくらいで、本人?っぽいのが増田でも誹謗中傷されたとか書いちゃうメンタリティ批判するなと言ってる訳じゃん。

もし本当に誹謗中傷されたのだとしたらかわいそうだけど、元増田おかしい。

anond:20210517095352

増田に書いたのって、意見違う人間から何言われても良いと思って書いたんじゃ無いの?

ちょっとなんか言われたくらいで、本人?っぽいのが増田でも誹謗中傷されたとか書いちゃうメンタリティ批判するなと言ってる訳じゃん。

もし本当に誹謗中傷されたのだとしたらかわいそうだけど、元増田おかしい。

anond:20210516232950

字書きとか言っちゃうメンタリティからしても、お気持ち作文でしかないよなぁ。

同人ごっこしてるだけじゃん。

2021-05-15

メモ選手応援したいがオリンピック続行はヤバいというジレンマ

これはある意味典型的認知的不協和なんだろうな。

あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手応援したい、というジレンマ

全国的感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。

wikipediaによると以下。

認知的不協和とは、人が自身認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語アメリカ心理学者レオンフェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和典型例なんじゃないだろうか。

しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。

例としては、うなぎ大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみ規制すべき等も思いつく。

自分欲求社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分なかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。

うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。

うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共判断は成立しない。

うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法ひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的制度設計だ。

しかし、人間心理矛盾をなんとか解消

公共的な意思決定は、決して個々人の選好の集合や多数決ではない。

そう考えると、現代民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。

個人的には好きではないけど自分社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。

そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。

近代民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカ建国者のひとりジェファーソンは、

公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共課題自分欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政必要市民資質だと考え、他方、代表者議員)に必要資質アリストクラシー自然的貴族)と呼んだ。

しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。

社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき

ふつうの人々は、自分内面を整理するために、どちらかの認知一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知修正してゆくことになる。

今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。

オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。

社会規範に合わせて自分に対して一貫性要求しがちな日本人特に自分欲求我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。

別の例を挙げれば、60年代セクト化が加速したサヨクの動きが典型例。

エスカレートした「総括」要求など。

また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知一貫性他人に求める一例。

サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。

自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。

まさにこれが心理学が扱う認知的不協和テーマなのだろう。

党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、

それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。

ますます両極化が進んでいき、相手方一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやす立場の人とと

そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。

認知的不協和を解消しにくい人々。解消しやすい人々。

コロナ対策では人流の抑制課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。

しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、

次第に言葉の力は失われ、今では行政政治家も口にしなくなってしまった。

もっとも同時に、自粛警察あんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。

ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。

思い出すのはベトナム反戦運動ベトナム反戦真っ盛りの60年代アメリカブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たち

反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。

コロナ禍でのステイホームムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。

自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしま業界

それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。

オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会安全自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。

以上の話は、人々のジレンマ構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、

自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在自分社会立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、

自分自身党派性無自覚であってはいけない、

知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性アピールされているに過ぎない。

しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。

重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、

相手立場を知る、という機会自体重要なんじゃないかな。

オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、

そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。

飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。

タレコミも減ってきたという声もきかれる。

こうした寛容さは、行政飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。

人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。

しかし、人々の寛容が進めば、自粛警察抑止力を期待した政策は効力を失う

こうして考えてみると、自粛要請ベースとした日本流政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。

自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人メンタリティと、同じ社会構成員にも同じ一貫性要求したがる相互監視ムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルール判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。

ましてや大阪市市長さんのように、それを体現たかのように

感染者がいなければオリンピックもやっている。一生の思い出に残る行事実施したい

などと、都合のいい解釈認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、

人々は、ルールへ従うことの意味不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視機能せず、自分生活を変えることなコロナへの懸念自分認知のなかで両立させてゆくだけだ。

しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢限界をとっくに超えているしで、

人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。

自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナ心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。

本来政策というのは、そんな人々の認知世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。

例えば、自分の考えと相反していても、オリンピック応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、

あるいは、オリンピック懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。

「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元政策を決めるべきではない。

しろ個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民判断を見極めたほうがいい。

しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。

いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。

将来シナリオを示さない。予測分析を共有しないから、いつも唐突首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。

ある意味ガバナンスの基本ともいえる、こうした事柄に目を背け、

政策への信頼を、世論(最大多数の認知)で推し量ろうとする、その姿勢こそが日本ガバナンスのガンだと思う。

2021-05-14

昔受けたモラハラについて書いてみる

最近モラハラを扱った記事をよく目にするので、前に受けたモラハラについて取り留めもなく書こうと思った。

私:元喪女。(付き合うまで告白ナンパ一切なし)とにかく自分に自信がなかった。

相手一般的陽キャ。強面。

   (付き合ってから知ったこと→異様に自慢話が多い。口が上手く平気で噓を付ける。器物損壊経験あり。人に言えないバイト経験あり。)

友達の紹介で交際が始まった。最初はうまくいっていた。そりゃそうだ、最初からモラハラする人なんていない。

付き合って半年一年してお互い交際状態に慣れてきてからのこと。

いつものパターン

それまで普通に接していた相手が、急に不機嫌に。

「どうしたの?」と声をかけても無視不安かられる私。

しつこく声をかけてようやく口を開けたかと思えば、「考えればなんで機嫌悪いかわかる。原因はそっち。何が悪かったか自分で気付いて謝るまで話したくない」

私は必死に何が悪かったのか考える。

「あのこと?」「違う」

「このこと?」「違う」

延々と続く。

不毛なやり取りを続けて、最後はいつも相手から怒った理由を明かすが、それは私には到底思いつかなかったことだった。

私がまったく意識せずに行っている普段のふとした言動相手イライラさせていたということにショックを受ける。

そして言われる、「謝れ」

「ごめん」と言うと「気持ちが伝わらない」

「○○して本当にごめん」「謝れば済むと思うな」

「○○で、私は○○なのに、あなたに○○して、本当にごめんなさい」「で?」

「○○で(略)ごめんなさい。許してください」「で?」

以下無限ループ

これが数時間続く。

私は私で「こういう理由があった」「それはひどくないか」などの言い分があって言い返すのだが、相手はとにかく口がうまく、独自論理で言いくるめられていつも私が悪いことになった。

最後はいつも泣きじゃくりながら、相手に”許していただく”ことで断罪モードが終わり、「わかったならいいんだよ、よしよし」と頭を撫でられる。

交際期間のほとんどは定期的にこのやり取りをしていた。

これが一回につき1~2時間交際期間の最後らへんは週に一度はあった。


今思うと私と相手性格的に合わないところが多く、一緒に過ごすストレスから相手に徐々にストレスゲージが溜まり、単に定期的に爆発させていただけだったと思う。

その証拠に、同じことをしてもまったく問題ないときと、烈火のごとく怒りだすときがあった。

ストレスゲージが溜まってくると些細な言動が引き金になるんだろう。


断罪モード最後はいつもこう言われた。

「もうこんなことしないって約束しろ

約束”の内容は、日に日に増えていき、私のメモ帳は「気を遣う」「冗談に怒らない」「普通にしゃべる(言い合いになると私はよく涙声になるので)」「束縛しない」などの、他人が見たら何事かと思うような”約束”だらけになった。

約束して気をつけたからといって怒られなくなることは勿論なく、それどころか増えていくばかり。

こんなにいっぱい約束してそれを守るようにしても過ち(怒られるようなこと)を犯してしまう私はなんて馬鹿存在で、そんな私を怒りながらなんだかんだで付き合ってくれる彼氏はなんて優しい人なんだろうと、当時は本気でそう思っていた。

今思えば、

クッッッッッッッッソ馬鹿馬鹿しい幼稚園児未満のメンタリティだった。

他にもモラハラっぽい言動で言えば、私のバイトシフトが多くて一緒に遊べないだけで「バイトの奴とデキてるのか」と詰められた。

ゲーセンの対戦ゲームで負けて煽られたか何か知らんけど公共の場で「シね!!!!」と捨て台詞言って去ったこともある。

身体的な暴力はほぼなかったが、物に当たって破壊したこともある。

あとは冗談で嫌なことされて「嫌だからやめて」と言うとなぜかキレて「わかった、じゃあもう俺冗談言わんわ」→無言、無視小学生か。


最後らへんは私もさすがにモラハラに気付き、この人もう駄目だ、この人と結婚してしまったら一生この生活だ、という考えには至った。

が、「ここで別れたら喪女の私には後がない…」「私次第で治るのでは…」「なんとか再構築することが可能なのでは…」とも考え、怒られるのも怖いけど別れてしまうと取り返しがつかないからという理由で一緒にいる状態だった。

でもある日、最大級の怒り爆発が起きたとき、散々罵倒され、

「お前が人間としてレベルが低いから俺が合わせて付き合ってやってただけ」とかなんとか色々言われた。

その時にはもう私の気持ちも冷めてきてたので、とうとう別れるしかない、と決意。目の前でプレゼントアクセサリーを捨てた。

もちろん事態さら悪化。首を掴まれたり、警察呼ぶぞと脅されて追い出された。(警察呼ばれるのは首絞めた方だと思うが)

一か月後、電話相手から「別れる」と告げられ交際は終わった。

少しの間悲しみに包まれたが、一息ついたところで私はものすごい解放感に包まれていた。

もう自由だ。どこに行っても何をしても何を食べてもいい。奴の好みとか一切考えなくていい。

その勢いで、私は行きたくても行けなかった一人旅に出て自由満喫した。


落ち着いてからは、自分がこんな目に遭ったのは低すぎる自己評価が原因だと悟り料理運動を頑張ったりして自分自分を認められるようになった。

今でも男性が怒鳴ったり不機嫌になると不安で胸がいっぱいになるけど、モラハラじゃない相手結婚して幸せに過ごしている。

余談だが、別れて1年ぐらいして、相手からLINEが来るようになった。

最初は当たり障りのない適当な返信をしていたが(今思えば優しすぎる)、復縁する気はまったくなかったので、数回で切ったところいわゆる「ロミオメール」に進化

ブロックして事なきを得たつもりが、今度は別の方法メッセージを送ってきた。怖いと思ったがそれきりストーカー等には発展せずに終わった。

どうやら新しい彼女ができたらしい。私以外の被害者が増えていないことを望むばかりだ。

2021-05-12

anond:20210512025613

国民性も違えば治安も違う、その上政治的弾圧がひどいわけでもない

今更そこまでするやつはいない

赤軍とかでも海外の影響を受けてるし、日本人だけでそういうメンタリティを持つのは無理

2021-05-11

いじめ問題になった学校出身です

旭川事件を知って思い出した。

自分、一時期世間を賑わせたいじめ問題になった学校出身のものです。

前提として荒れてる学校だった。

近くに国立の附属中があって、こだわりある子供はまずそっちに行ってた。

私たち学校に来る子は家が近かったり、こだわりがなかったり、附属中なんか悪い意味で眼中に無い子達も多かった。

そんな学校から、成績ももちろん低くて私たち学校価値観で言うと県で50くらいの高校に入る子はそれなりに頭がいい子、偏差値43.4が普通、55-は神様みたいな領域ぐらいには低かった。

クラスメートも1人2人は授業に参加しない子がいたり、30歳と付き合っていることを大っぴらに話す子やタバコ酒自慢も結構あった。

授業もできないか先生たちは口うるさいヤンキーグループを抑えながら授業するしかなくて、刺激しないように接してたらそれを馬鹿中学生の頭では「自分たちは先生に認められた」と勘違いする奴らがあまり喋っていない俗に言う陰キャを構ってあげてる、という名目でのいじめをした。

それがいつの間にかおもちゃになっていじめに発展するのが決まりコース

いじめたヤツらにとって「自分たちは先生に認められた特権階級」って思っているし、先生たちも正直他の生徒が万引き喧嘩やらで外部に迷惑をかけているから内の問題に構う暇なんてなかったと思う。

というか真面目そうに見えて万引きする奴らよりも分かりやす問題を起こして馴れ馴れしく先生に話しかける彼らを先生可愛い生徒と思っていたかもしれない

結果、兄弟の学年で問題になってしまってマスコミに大々的に報じられた。

元々あった先生負担が倍増し何人かの先生が来なくなったし、ストレスや親が通わせたくないという意味での不登校児童も多発した。

マスコミ過熱してて、休日私服の私に「あの中学出身だよね?」と話しかけてきたりしていた。

いじめたヤツらは守られたりもして、さらに結束を強めたように見えたけど、親含む内部で罪の押しつけあいで最終的には分解した。

というか周りの生徒が孤立させてていじめグループ内でいるしかない状態だった。

教師に持ち上げられたか勘違いするいじめなんてするバカだったから、ほとんど高校も低い偏差値しか行ってなかった。

勉強してちゃんとした高校行っても同じ中学の人たちからリークでばれたりするから孤立して退学したりもしたらしい

自分中学を忘れようと高校は私しか進学していない高校に行ったけど、「あの中学出身」と言われていて、友達は出来たけどいじめ事件の事を興味本位で聞かれたりした。

地元には悪い思い出がほとんどで、同級生も帰っていない人達が多い。成人式も半分しか来なかった。

故郷の思い出は息が詰まる思い出と自分いじめターゲットにならないかとビクビクした記憶だったり、高校の時の「あの中学出身」っていうヒソヒソ話と人を死なせる要因をつくったという罪悪感でぐちゃぐちゃになる。

多分旭川の子達も同じようになるんだろうな。

強く生きて欲しい。

旭川ニュース見ないようにしていたけど偶然見ちゃって思い出したので整理つける為に書いておく。

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追記

身バレ防止の為に兄弟いじめ問題になった学年って言ったけど文章的に合わないところ多すぎた。

自分いじめ問題になった学年と同じ学年です。

いじめ問題になったクラスは別クラスだけど、噂には聞いていて正直他のクラスよりまとまっていたクラスだった。

亡くなっていた子がスケープゴートになっていたのは外から見てもわかってたけど、皆自分が助かるためなら仕方ない、って感じだった。

よくいじめがあるクラスはまとまるって言うけどあれは自分がそのターゲットにならないように無理矢理合わせているだけ。見せしめと変わらないよね。

あと強く覚えているのはいじめた子の親がうちの家に電話してきて、うちの親に「マスコミに子を売ったのはお宅か?」と質問してきたりしたことかな。

近くに附属中があったからって書いたけど、うちの学校以外はみんな普通に過ごしていたし、成績も附属中よりも少し下だったけど、普通に過ごしていたから、本当にうちの学校のみの問題だったと思っている

今思えば小学校の時、附属中にいく生徒が皆一斉にやっていた習い事をやめて塾行き始めて、何となく附属中組と公立組に別れ始めた所から公立組は劣等感を感じ始めたし、そこから荒れる生徒もポツポツ出始めたな

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追記2

近くに国立私立があるからみんなそうって訳ではないと思う。

私の書き方が悪いから附属中ある公立校がみんな荒れてるって感じになってしまったけど。

現に1番その附属中に近い公立中学平和で全体の成績も良かった。

私の学校が荒れたのは周りの中学生からみて「荒れている」というイメージ中学で、成績も低くてバカ中って言われていたからそれの劣等感もあった。

先生の質も良くなかった。

荒れている→成績が下がる→質の悪い教師が赴任→さらに荒れる

という流れ

体罰もどうだろう。

そういう先生もいたけど荒れてたままだったから生徒たちの根本劣等感が消えないと意味ないと思う

ーーーー

秋田いじめ事件があったらしいね

久しぶりに思い出したことあったから書いてみる

最近秋田学校いじめを苦に自殺未遂があった学校記事を見て思い出したことあった。

秋田いじめた子達、被害者の子逆ギレしたんだってね。

あれと似たようなことあったよ。

事件があったあと、問題になったクラス人達教室別になっていた時があった。(理由は分からないけど調査とかマスコミ対策のためとかだと思う)

部活動もそのクラス人達は全員不参加で登下校は親が送り迎えしていて、問題クラスでそこそこ話していた子と会った時、「なんで私たちだけ」って切れていたんだよ

彼女は直接いじめには加担していなかったし、マスコミのために外にも満足に出れない日々だったし、親も親で彼女いじめに加担していないかとか聞かれたりしたりしていたから、つい言っちゃったんだと思う。

彼女というか、そのクラスからすればいじめで亡くなった子は必要存在で、求めてやっていたのに亡くなりながってって思ったんだと思うし、いじめ主犯たちは全員学校来ていなかったから「お前らのせいで」っていう悪意を向ける先もなかったと思う

あと学校内でも物凄いスピード事件は広まったか学校全体で問題になったクラス人達には話さない、顔を見ない、隔離されたクラス場所には行かないなどの学校中総シカトみたいな雰囲気があって、学校というか地域全体で無視されるっていう気分で、それを言いたくなちゃったのも正直わかる。

話を戻すと秋田の子達もきっと学校からいじめをした人」っていう針のむしろ状態になっているんじゃないか

それで自分被害者と思ってしまっているんだと思う

自分加害者って思えるのも強さが必要だし、いじめをして結束するメンタリティの子達にそんな強さがないかいじめた子を加害者だと思って攻撃したんだと思う

自分を守るために必要な事だとは思うけど、ただ繰り返すと本人たちにとっても良くないから、親とか周りが彼女たちをケアして早く自分たちが加害者だと思えるようになって欲しい

2021-05-09

anond:20210509164715

はてな民というか、戦後のドサクサ土地占有して居座ってるような感じじゃん。

運営側も、触るとヤバいかいくら誹謗中傷してても放置だし。

ほんと、活動家メンタリティそのまま。

2021-05-01

anond:20210501140354

弱者男性メンタリティだと多分上昇婚できたとしても女性の下にいるという事実が辛くなってきて精神病むと思う

2021-04-24

メンタリティ子供だと言われた

柔軟で発想豊かな精神性を持っているという意味だな。

2021-04-21

anond:20210420213944

すげえな、自分達の間違いを足引っ張られたかだって思えるメンタリティ、一生世の中恨んで暮らしそう。

2021-04-20

息苦しさの要因は

もともと引っ込み思案で、なにかと人の顔色を伺うような人間だった。

 

そして自分場合は、自覚もしているけれど、特定環境下で著しくパフォーマンスが下がる。

自分とは関係のない人のコミュニティに行ったり、大きく環境をかえたりすると、社会不安性のような、しどろもどろな感じになってしまって、今でもだけど、ずっとコンプレックスだった。

 

その結果、狭い世界の中で生きてきて、それまでは自分はそこそこなんじゃないかって思っていたけれど、ほんと全然だった。

 

なんかそれを最近思い知らされることが多くて、悲しくなって、ひととおり落ち込んでた。

 

でも人生否が応でも続いてしまう、なんて体の良いことは言えてしまうくらいのメンタリティはあって、

そういうことも含めてすこしづつ受けいられるようになってきた気がしている。というのが今。

 

これまでの人生を振り返って、特定環境下でパフォーマンスが著しく下がる理由を、自分なりに考えてみたのだけれど、「自分に対してどう思っているか」が、わからない状態コミュニケーションをするのが、とても苦手であることらしい。

 

もっというと、人から悪く思われているんじゃないか、ということを常に考えながら会話している、なのですごく疲れるし、

自分の素がだせないので、相手からも信頼されない。

逆に信頼をしている奥さんとか、親しい友人には、そんなことはまったくないんだけれど。

 

じゃあなんで自分に対してどう思われているのか、が気になって仕方がないのか、といえば、

本当の自分は根っこが醜いやつで、自己中心的という自己認識があって、自分を出してしられたくないから、

そして嫌われることによって、コミュニティにいれなくなるんじゃないかという恐怖心と

かに否定された自分を認めたくないという歪なプライドから、変なコミュニケーションが癖になってしまっている。

 

本当はいろんな人と、繋がりたいけれど、嫌われるのが怖くてどうしようもないのが自分

から変に意識をしてしまって、結果的パフォーマンスが落ちるのではないか、という結果に落ち着いた。

 

なんだかいつの間にか、知らずしらずのうちにとっていた回避行動が、癖になって抜けなくなってしまったような、そんな感じがしています

 

いやでも、違う、自分は本当は引っ込み思案じゃなくて、本当の自分は、もっとおちゃらけていて、おもしろいことを言うのが好きで、

でもだれかに否定されてきたり、ちゃんとできなくて、見放されてきて、その結果、人から悪く思われないことを目的にして生きているような気がしている。

 

なんで自分はこうなんだろうか、これからちゃんと生きていけるのか、心配である

2021-04-11

anond:20210411200523

照明係さんを煽った若い女優さんは、その中身が増田煽りイキり野郎と同じメンタリティだったのに違いない!

2021-04-09

anond:20210409100259

「女がいないなら行かないと言う男」ってのが弱者男性像として一般的じゃないってことだろ

もちろん一定の層として存在はするが、そういうリアルで女に接するのが好きな男はわりと強者に近いメンタリティの持ち主だ

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