はてなキーワード: フライングとは
高校の頃聴いてた、暫定が恒常化した雑多な通学プレイリスト。曲順なんか当然覚えてない。
当時聴きまくってた曲も、今のプレイリストにはほぼスタメン入りしてない。入試を控えた日々の嫌な気分がほんのりと香る曲たち。
糠漬けで毒の弱まったフグの卵巣よろしく、最近はそいつらがまとう当時の気分も少しはマシになってきた気がする。
たまに聴いてみると、今でも聴き終わった瞬間に脳がプレイリストの次の曲に備えて身構えてる。
違う曲へと続くのにたまに違和感すら覚えて、わざわざローカルファイルを漁って当時の「続き」聴きに行ったりもする。音質厨気取ってFLACで取り込んでた当時のままの音源。
そんな事してる内に、当時抱えてた嫌なムードのディティールが立ち上がって来たりもする。記憶の保守作業か。あんまり記憶を脚色するのも当時の自分に誠実じゃないのかもしれない。
だんだんとやっぱり寒くなってきてと言うよりも涼しくなってきたのかしらね。
いざって時にどうにもこうにもならないときがあるので
奥の引き出しから探してこようかなって思うわ。
水もさ、
水道の水もさ冷たくなってきたし
ああ、
今年もベーナーの季節だな!って思っちゃって昨シーズンはあんまりベーナーの鍋の実施した記憶が無くどうしたのかな?って思い出してみて古いアルバムをめくったら涙そうそう。
いや泣いてないけど
その時にハマっていたぶんぶんチョッパーの切れ味を試しまくりまくりすてぃーで
微塵切りタマネギを決めに決めて
タマネギトマトスープストックを作りまくっていたんだわ!って思い出しちゃった。
思い起こせばあれ完成するまでに2週間ぐらいかかるので、
マジかー!って思われるかも知れないけれど
具材を刻んで煮込んでなんか味がまとまるにはそのぐらいかかるような最低でも1週間はかかるわ。
その間ずーっとベーナーしようと思っても鍋それで塞がってしまっているので、
なので今年は白菜チャンスの前にベーナーの鍋を!と決めて決め込んで振り込もうと思うの。
振り込むってのは
ベーナーの具材にするもののことでまあ鍋に具材を入れるってことをカッコよく業界用語的な感じでいうところよ。
今シーズン初のベーナーの具材の鍋はなににしようかな?って白菜はもちろん、
あ!そうそう
つくねってあるでしょ?
あれ面倒くさいからミンチ肉をそのままダイレクトに匙ですくってそのまま鍋に入れるスタイルって
手抜きだ!って思われそうなきっとつくね警察に言われちゃいそうだけど、
あれミンチ肉買ってきてラップ外してそのままのスタイルで匙ですくって鍋のベーナーに入れて火入れしたら
その時がきたとき以外の面倒くさいなぁって思ったら
洗い物も少なくなるし手も洗わなくていいしお手軽よ!
急に沸いてくるふつふつとしたこのなんかベーナーの鍋作りたい欲!
ぶんぶんチョッパーの切れ味も再確認したいタマネギも微塵切りしたいし、
まだ季節的には鍋ってクラウチングスタートなのでフライングしそうよ。
魚をたくさん取り入れる鍋もいいかしら?って思うのよ。
私なんで鍋に魚多用しないかという多様性を認めなかったのかって思ったら
古いアルバムをめくることもなく、
丁寧に塩ふって余分な水分とか臭みとかを取ってやんないと、
なんか魚臭くなっちゃうのはきっと私が横着して魚をそのまま投入する鍋に入れるからなのよって
原因はそれだと思うわ。
あれも塩ふってキッチンペーパーで軽く拭いて
そういうことをしないといけないのよね。
丁寧に。
そう丁寧に。
なんかでもさ、
鮟鱇とか安くて売ってるんだけど
あれって鮟鱇って実はアンコウなほどに人気あるのかしら?
食べたら美味しいけれど
あれした処理とかどうしたらいいのかしら?切り身とはいえ。
まあ調べたらたぶんアンコウのことがたくさん出てくると思うので、
でも一旦調べたら検索エンジンが
ほら!ここにもアンコウがたくさんあるよ!ってどんどん私の追い求めていないアンコウ情報がやってくるの。
それはさすがにもうノーサンキューって言わんばかりだけど、
ふとなにげに検索エンジンがアンコウたくさんあるよ!って教えてくれたものの一つに
思わず検索エンジンのアンコウ好きなんでしょ?作戦に引っかかるところだったわ。
なかなかやるわね!って思った次第よ。
うーん
気になるー!
うふふ。
無性にたまに食べたくなる納豆を手軽に得るために納豆巻きをゲットしてきて食べました。
納豆美味しいわー。
きっと人気があるのねって思いつつ
今日はあったので早速ゲット!
今日の占いのラッキーアイテムが納豆巻きだっただけにラッキーね。
でも本当は大葉を巻いた納豆巻きがラッキーアイテムだったけれど。
まあよしとしましょう。
沸かしておいて冷ましておいている間に飲み頃の温度になるので
起きた身体を目覚めさせてくれるわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
タイトルに簡単に言えば「趣味的な本屋の販売量だけでは、現在のシステムを維持出来ず書籍文化が崩壊するから」という事になる。
これは他の経済活動でも同じで、趣味で採算度外視、あるいは薄給でもやりがいだけでやっています、と言うようなものが蔓延ってしまうと、後は滅ぶしかない。
一度滅んだ後に残存者利益が出てくると、改めて採算が取れるようになるのだが、その時は今の豊富で豊かな出版文化はなくなっているだろう。
と言うわけで、いただいた反応の中からいくつか補足としてワイの考えを述べておく。
上客、太客だから。
書店の顧客は、他の小売店と違い、売上の8割を2割の客が買っている、と言う極端な構造がある。色々な調査でひとりあたりの本の購入量の統計を取ると、左に大きなピーク、右に小さなピークの崩れたM字型になることが知られている。一つ目が年に数冊しか本を買わないライトユーザ。そしてもう一つが欲しい本があれば、後先考えず際限なく本を買ってしまう病人である。つまりワイら。
そして、わざわざリアル書店で客注を出すような顧客というのは、大抵後者なのだ。
「 客注は最速でも2,3日かかるのならば、ネット書店に勝てないのではないか」という話もあったけれども、こう言う後者の顧客は、あえて意識的にリアル書店を使っている。そしてお願いした本を仕入れてくれるという体験を求めている。
確かに単体では儲からないが、その先にある最も儲かる「コンスタントに本を買ってくれる客」を育てる事に繋がるから。
客注というのは今も昔も単体で儲かる仕事ではない。しかし、顧客サービスとしてはコスパが良いのだ。
日本の書店は委託販売という仕組みであり返品が自由、在庫リスクがない一方で、利益率がかなり低くなっている。概ね売価の7割から8割ぐらいが仕入原価で、20%~30% ぐらいが小売店の取り分になる。ここから店の運営経費を賄うことになり、概ね原価率は9割を超える。一般の食品スーパーで利益率目標が2割以上を指向することを考えると、利益率は低い。
そのため、一冊売る程度では全然儲からない。文庫本1冊注文されても仕入原価-売価が100円であり、客注対応の為に店員をひとり増やしたりすると赤字、と言うレベルである。
が、当然ながら、人件費は固定費に近い性質を持つのでこんなにシンプルではない。例えばコンビニで郵便はがきを売る・宅急便のサービスをするのは、それらを利用するお客はついで利用を促すことが主だが、似たような性質と言えばイメージしやすいだろうか。
さて、ネットの方が早いし面倒がない、と考える方の意見が多く見られており、これは事実である。増田をみる様なユーザであれば尚更だろう。しかし、ネットとリアル書店の間の配送期間というハンデがほぼ同じになる瞬間がある。
それが「新刊」である。新刊の発売日は統制が進み、現在ではネット書店ではフライング発売はほとんどない。
習慣的に本屋に行き、あるいは新刊が出ると、とりあえず自店で購入してくれる顧客をどれだけ確保できるかが店の成否に繋がるのである。
そして、たくさんある書店の中から自店を選んでもらうには、価格統制がされている書籍では「体験」を育てるしかなく、客注とはそのための重要な機会なのだ。ネットで買えばすぐに届くし、そうでなくてもコンビニコピー機で注文すれば早い事を知りながら、あえて書店を使う顧客を捕まえるチャンスなのだ。
これはほとんどの場合間違っている。利益はでない。と言うのは、以下の様な性質があるためだ
またイベントを開くと
しかし、これらを承知の上で、上客を得るために実施するのは悪い事ではない。
が、それはいつもちゃんと本が買える、要望に応えてくれるという基礎があってこそであるので、そこを蔑ろにしたままやってもよくない。
さらに言うと、いつもちゃんと本が買える、と言う事に対して、イベントを開催するというと言うことは対立してしまうことがある。
本屋とは、ものすごい指向に幅があることを扱っているのが通常だから。指向に合わないイベントをやっていると邪魔に感じることすらあるので結構気をつけなければならない。イベントで顧客をゲットと繰り返したら、そのイベントの指向が自分にあわないと、居心地が悪く感じて顧客が離れてしまうと言うとは、残念ながらよくある話なのだ。
大手書店が専用のスペースを設けるなどして、かなり気を遣っているのはこのためである。
出版社や書店がフェアやイベントに消極的だ、という事ではない。売れない事が問題なのだ。売れずにやりがいだけを消費してしまって持続性がないことが問題なのだ。
これはそう。
でも、Amazonの一番早い便でも半日後であることに比べると、本屋の店頭で買うのは見てすぐ実物を手に取れるので最速だし、本を読みたい欲を一瞬で満たしてくれるのはメリット。
ん?電子書籍? んん?ヨドの店頭受け取りだと30分でいける? まぁそれはそう。
Amazonやヨドと比べられるとそれはそうなんだが、これでも他の小売業界向けの卸としてはめっちゃ早い。
Amazonやヨド、紀伊國屋などが取次在庫ありの場合、即配サービスより早いのは、彼らは自社で取次の倉庫まで取りにいっているからです。そこまでの出荷は一緒です。
それから、大都市圏だと、午前中に出した客注が当日出荷になって翌日に届くことも仕組み上あります。
新刊の配本のうち8割以上が既にパターン配本でなくなっているので、認識がだいぶ古い。
パターン配本の批判が強まり、出版社が指定した配本が行われるようになった。
が、結果から言うと、返本率が増加し出版社も在庫を抱える事になった。
そこで現在、取次は出版社や書店に積極的にデータを開示し、配本を支援するシステムを用意して提供するようになった。取次のパターン配本だけに頼るのではなく、自分たちでも判断してもらおうと言う事である。
これによって、中小の出版社側もその注文に乗っかって大丈夫かと言うことをシステム的に判断するようになりつつある。
この状況で本が来ないと言うのは、出版社が数を減らしていると言う事だ。
結局は自分の店で売れるものは入荷するが、売りたいだけで売れそうにない本は入荷しないというだけ。出版社はベストセラー倒産などしたくはないのです。
ただ、最近は買い切りの条件で注文数そのまま出荷する取り組みをやっている所も無いわけではないが、広がってはいない模様。
これはもう間違い無い。
一般小売で考えると、趣味でやっていてきちんと経営していない店相手であると、卸売り業者は普通ここまで付き合わないが、取次という業態、あるいはその出自から考えて、半公共団体のようになっている面があるから今まで付き合ってたわけだが、それが限界に達しているのが今だ。
利益率という点では、実は取次の取り分(仕入原価-卸売り価格)は書店よりもさらに低く、5~10%程度だと言われている。ここから経費が引かれて利益率になるとすると、一般卸売業者の利益率の半額程度になってしまうと言う状況だ。
統計に寄れば、書店の販売額は立地と坪数でほぼ決まると言われている。好立地の所では、ひと坪あたりの月商が13万円だという。仮にこれで15坪の小規模書店とすると、約200万円の売上げになる。さて、この書店から取次が得られる粗利(諸経費を一切含まない)は20万円が最大と言う計算になる。アルバイトひとりも雇えない金額だ。ここから、人件費、運送費、配達比、様々なリスク費用、システム費用などを支払って利益になる訳がない。
取次が利益を上げるには、仕組み的に規模の商売を追求する一方で、流通コスト削減(これには返本率を下げる、と言った活動も含む)ぐらいしかやりようがない。小さな書店が商売できる様に支えるのはほとんどボランティアである。
儲かっていたころは良かったが、限界が近付く中、少なくとも黒字になること、自社が用意したサービス(即配や、データドリブン経営を行うシステムの提供など)をきちんと使いこなしてくれる事を条件に、それ以外の自然淘汰を止むなしと考えているのはそうなのだろうと思われる。
この取次の利益率が固定されている中で、一般流通流通のスピードを上げろと言うのは無理だ。物流のコストが上がりすぎているからだ。中小書店への配送を維持しつつコストをどう下げるか、そのためにはサービス水準を下げることもやむを得ないだろう。
そのような状況下で、その代わりに用意した早く配達するサービスも、追加で送料を負担せよと言うことも難しいと言われ、さらに即配サービスについて暴利を貪っているかのように言われるなどの状況で、手の打ちようがないことも理解してほしいところだ。
取次は多くの書店の親会社でもないし、経済的合理性を考えた時には付き合う必要は全く無いのだから。純粋に儲けるだけなら小規模書店を全部捨てた方がよいぐらいの状況だ。
そう考えている人は少数派でかもしれない。市場の動きは違うようだ。
まず、ユーザー数、習慣的に有料の電子書籍を購入するユーザは30%~40%ぐらいが限度で、これ以上は伸びないことが知られている。
日本の統計も、アメリカ・ヨーロッパなど先に普及した統計などを見てもこの傾向で、電子書籍の市場はほぼこれで大きな変動なく推移すると言われる。
また、販売量としても、雑誌を除く印刷書籍の販売量はじわりと減っているが大幅な減少がみられない。特にコミックスを除くと、ここ10年ほどは横這い程度だ。
電子書籍が増えている、好調だ、という事の正体は、雑誌の減少と、それを補う電子コミックの伸びによるもの。電子書籍が印刷書籍を置き換えると言う動きにはなっていないのだ。もちろん数十年単位ではわからないが、ワイは現在の話をしているつもり。
具体的にどこの書店のことを言っているのか分からないのだけれど(少なくともワイの文章は特定の書店を念頭に置いたものではない)
勝手にどこかの書店を想定して、事実の説明に対して、勝手に怒る方がよほど失礼では?
おそらくはちゃんと内容を読んでいないし、構造も理解できてないからこういった結論になるのだろうと思うのであまり説明しても仕方が無いのかなと思いながら、なのだけれど、以下は一応認識しておいていただきたい。
趣味でやっている・やってないにかかわらず、取次が消えたのに、中小書店が残ると言うことはない。
同時に出版社の多くも吹っ飛びます。こちらは中堅どころまで存在できなくなる。
Amazon・ヨドバシ・紀伊國屋も維持できなくなります。特にAmazonは取次を通さないイメージを持っている人も多いようだが、実際には取次在庫への依存度は高いまま。
もちろん数十年単位での緩やかな変化の先にはありうると思うが、この話は現在の話をしているつもり。
出版業界なんて残さなくていい、町の書店なんていらない、滅ぼしてしまえばいいと言うなら、Not for youですね。それこそ客じゃないのでお呼びじゃないです。客目線で話をしているので。自分が客じゃないと言う認識をしてほしい。
それは、そう。
この間牛さんがね、前の牛さんに向かって走ってたの
その牛さんには豊かなお乳があったからメスのはずなのに、気性の荒いのもいるんだわね〜って眺めてたら、別に前の牛さんを追ってたんじゃなくて、ドアの開いた厩舎に飛び込んでいっただけだったわ。その様子がなんだか初めて幼稚園に行った時のうちのコみたいでね…ふふふっ……
ああ、でね、その牛さん、厩舎に入った瞬間からすごい声で鳴き始めたの!もうすごかったわ、カラオケ感覚なのかしらってくらい急によ。でも本当に入った瞬間から鳴き始めたから、人間で言えば曲入れる前からもう歌っちゃってるみたいなもんなのよね。ルール違反ではないけどフライングよ〜。本当に歌が好きか、狂人なのか、両方って感じよね
それでね、そんなフライング中の牛さんの声につられて、さっき追いかけられてたもう一頭の牛さんもノソノソ厩舎に入ってったの。あのうるさいところによく入っていけるわね〜っておばちゃん感心しちゃった。まあそこまでしか見れずに通り過ぎたから、その後のことは分からないんだけど、牛の世界にも社会とか付き合いがあるのねってしみじみしちゃったわ〜
あと、牛さんのヒザ下って意外と細いのね。おばちゃんも脛から下は細いって言われるから親近感湧いちゃったわ。でも膝痛くなったりしないのかしら。おばちゃんは既に爆弾持ちよ〜。軽やかに走るなんてもう考えられないわ
・前に読んだ時は「単なる男女逆転逆ハーレムだろ?」としか思わなくて2巻まで読んで投げた。
・7巻(の35話)から始まる赤面疱瘡vs医学vs異学排除の三つ巴は話の構造が立体的になっていて面白かった。
・ジェンダーSFってそもそもSFって名前がついてるだけでSFじゃなくない?
・イケメンにも歴史にも興味がない俺にこの作品を評価する資格はなかった。
・個人的な好き嫌いで言うと7巻~12巻は好きだけど、それ以外は正直しんどいだけだった。
・作品の根底にある「将軍が女だったらヤバくないっすか?」みたいなのに全然共感できなかった。俺のジェンダー感だと「有能ならどっちもでいいだろ」なので。
いつか「大奥」をちゃんと読もうと思っていたが、中々その機会がなかった。
いろんなランキングとかでの評価の高さに釣られて1・2巻まで読んだ時の感想は「江戸時代の日本で逆ハーレムしつつ、ついでにフェミニズム的なノリで男はクソだといいまくって気持ちよくなりたい連中の下世話な漫画」だった。
だがそれだけの漫画が日本SF大賞を取れるのかという疑問があった。
単に男女の役割を逆転させただけのものをジェンダーSFと言い張る界隈に対して、一言物申すためにも一度こちらが勉強しておきたいという暗い情熱もだ。
とんでも設定をぶちあげてフェチズムを描いた作品として家畜人ヤプーのような物を想像していたのだが、どうも他の人のレビューを見ているとエログロナンセンスのアイディア勝負けで評価はされていないように感じた。
もしかしたらジェンダーなだけでなく本当にSFで、5巻ぐらいから未来人が出てきて、10巻で超能力者、15巻で未来人、そして最終巻で神が登場したりするから日本SF大賞を取ったのでは……そんな突拍子もない空想も膨らんでいった。
いつか読もう。
そんな気持ちを抱えていた俺に機会がやってきた。
ピッコマで1日だけ全巻無料になるらしいと知ったのはGWが始まる少し前だ。
普通に買っても買って満足して読まないだろうことは分かっていたので、こういった期間限定で読める機会はちょうどいい。
今回の24時間無料に焦点を当てなければ下手すればもう二度と読む機会は来ないという感覚がビンビン来る。
とはいえ前に読んだ感じだと1巻につき1時間弱かかるわけで、1日で残りの17巻を読むのは厳しいだろう。
そこで俺はふとマンガParkを立ち上げた。
前に1・2巻を読んだときに使ったのがマンガParkだったからだ。
アプリを立ち上げて検索してみると、まだ「大奥」は引き上げられておらずFREEコインで読めるようだ。
2巻の途中までが完全無料、そして11巻までがFREEコイン。
ここで少しだけフライングしてから24時間無料に挑むと丁度いい塩梅になりそうだ。
そして俺はGWが始まる少し前から毎日30分ほど(約4話分、約2/3巻)大奥を読み進めるという姑息なフライングによって7巻までを事前に読み終えた。
残りは12巻。1時間に1巻読めば12時間で終わる計算だ。希望が見えてきた。
長く苦しい戦いだった。
12時間までいかずとも10時間は大奥をひたすら読んでたと思う。
漫画喫茶でドラゴンボールやうしおととらを一気読みしたことはあったが、その時も流石に10時間はかかってないし、一度読んだことがあるからおおよそ内容は頭に入っている。
しかも特に好きな漫画というわけではなく、前々から興味はあったけど感覚的に合わない漫画を「今ココでトドメを刺さなければもう一生読む機会がないかも知れない」という予感に急かされるままに読む。
キツかった。
まず俺が一番言いたいのは「これはSFじゃなくない?」ってこと。
ジェンダーSFというジャンル自体は聞いたことがあるけど、そもそもそのジャンル名自体がSFという名前を文化盗用してるだけじゃないってこと。
これがSFに含まれるなら光源氏でさえ「もしもこんなヤベーイケメンがいたらという思考実験なんだが」でSFになっちゃわない?
男が死ぬウィルスによって社会構造が何から何までまるっきり変わるならともかく、むしろこの作品が言いたいのは「男女が普通に逆転するだけではないでごわすか?男が特別なわけではないでごわしょ」なんでしょ?
病気部分がSFかといっても、単に男が死ぬ致死率の高い天然痘ってだけで、解決方法も天然痘のものをそのまま持ってきただけだし。
SFかどうかは置いといて作品としての評価をしようとしたんだけど、考えていく内に俺には出来ないってことが分かった。
イケメン坊主を脅して無理やり種馬にしてやるぜぐへへへ・・・とかやられても、「権力者は身勝手だな―」ぐらいにしか思えなくて。
徳川家が途中から女ばかりになっちゃうんですよ!凄いでしょ!とかやられても、「ゆーて直虎も謙信も女だったしなー」ぐらいで終わっちゃうわけで。
日本SF大賞取ってなかったら読んでなかったタイプの客というかね。
辛いもの好きじゃない客が10辛頼んで「舌が痛すぎて味がしなかった。豚の餌未満 ☆1」ってレビューしててもそれは単なる検索汚染じゃん。
公式が「医療編」と書いてる7巻ラスト~12巻は普通に面白かったな。
治療方法自体は天然痘の焼き直しなんだけど、それが蘭学によってもたらされることで政治劇に絡まっていってるから一筋縄ではいかなくなってる所に話しの膨らみを感じた。
トップが変わることで一度全部ひっくり返ったあと状況を逆転していくのとか作劇としてしっかり王道だったなと。
他の将軍様が女としての幸せを軸に物語を展開させがちだった中で、思想を持つものと持たぬもの戦い・当主としての成長っていう熱血軸で展開していく家斉のストーリーもこの作品の中では新鮮味があって面白かったな。
作中最大級のヴィランも出てくるし、いろいろな解決方法に納得感があるし、実際ここが作品のピークだった気がするんだよな俺の個人的な好き嫌いを抜きにしても。
他にも黒木が~青沼が~マジで~カッコよくて~と飲み屋で延々アニメの話してる中年オタクみたいな感じでしばらく語れそうだけど、俺の話聞いてる暇があったら実際に読んでほしいし一度読んだ人ももう一度読んだほうが俺の話聞くよりもタイパがいいだろうからここらで切り上げるか。
「大奥ちょっと読んだけどマジで無理だわつまんなかったわー。優男が尻掘られそうになる話とかどうでもいいわー」と思ってる人でも途中全部飛ばして35話から読むのはアリなんじゃねーかって気はする。
この部分はマンガParkでも読めるしな(7~11巻はフリーコインだけど12巻はボーナスコイン枠なのでコインを買うか動画広告再生して貯めてくれ)。
フライングも合わせて15時間近くかけて全部読んで結局「うーん医療編意外は全然合わなかったな―」となってしまったことについて後悔がないかと言えば、トントンなんだよね正直。
最終巻での感動のラストっぽいのもそこまでに積み上がった「ここまできたなら凄いの見せてくれ―!」ってハードルが上がりすぎてだいぶ肩透かしだったし。
失礼な言い方になるかもだが、「ありのままの姿見せるのよ的な?それって要はアナ雪やろ?こんだけ引っ張って最後にやるのがこの程度なの?」って感じだったのよね俺的には。(この程度の自由さえも奪われてしまうお貴族社会の悲しみこそがこの手の作品におけるトロの部分なんやろなあというのは分からなくはないんだけど、もっとこうなんか19巻読んだかいがあったぜマジスゲーみたいなのを期待しててですよ。)
黒歴史の最後を紐解いていく展開として公武合体にかこつけて凄い所に踏み込んでた感じはするんだけど、最後は大人しい着地になってしまったなと。
そもそも俺の中で「将軍が女とかありえん!帝が女とかありえん!」みたいなのが全然ないんだよね。
だってそういう仕事してる人に求められるのって機能を果たせるかであって、それって個人の資質に依存してるんだから性別なんてどうでもいいじゃん?
男でも無能なら勘弁して欲しいし、女でも有能ならぜひやって欲しいわけで。
別に俺が将軍とエッチしたりオカズにしたりするわけでもないんだから、その人達の性別とか本当にどうでもいいんだよね。
ゆーて大奥の連載が始まった頃既に40を超えてたような人、つまりはバリバリの昭和生まれからしたら「将軍が女とか絶対嘘でしょ」って感じなのかもだけどね。
俺がジェンダーSFをSFだと認識できないのはそういう所も関係してるのかも。
宿題を1つ片付けられた感じはするので。
しばらくはこういう「合わなそうだけど読んでおかないといけない気がする」でコンテンツを接取するのは休もう。
めっちゃ消耗したよー。
時折話題になる、クラシック演奏会における「フライングブラボー」をご存知か。
フライングブラボー、略してフラブラ、とはブラボーをフライングすることである。
クラシック音楽の演奏会では、曲の演奏後に客がブラボー、と叫ぶことがある。それをフライングする、ということである。すなわち、曲が終わるか終わらないかのあたりでブラボーと怒鳴る人がいるのである。まだ曲が続いてるのに間違ってブラボーと怒鳴る人もいる。そしてフライングブラボーするのはほぼ男性なのである。
男性(声の感じからして、大抵は中年から年配男性だと思われる)が曲の余韻をぶち壊してブラボー、と怒鳴る。
昨年はベルリン・フィルの日本公演でフラブラやっちゃいけないタイプの音楽でそれをやり、観客を大いに怒らせたフラブラ男性がいた。その日の演奏会は後日Eテレでの放送が決まっていたためテレビでも流れるのではないかと思われていたが、NHKの最新?技術で曲の音の余韻はそのままにフラブラの声だけが消されていてちょっと笑っちゃった。
ここからは想像なのだが、彼らはなぜフラブラするのか。素晴らしい演奏なら自然と絶賛の声が出るのはわかるが、曲が終わるか終わらないかのタイミングでやるものだろうか?余韻くらい楽しまないか?指揮者と演奏者が手を下ろすのを待てないのか?
彼らは単に「オレはクラシックには詳しいんだ。だからこの曲がどこで終わるか知ってるんだ」「オレが一番最初に絶賛したんだ」とアピールしたいのではないか。
フラブラ野郎、有名なオケの人が集まる演奏会で主にやってるから、自己顕示欲でやってるようにしか見えない。