はてなキーワード: フィルターとは
やりたかったこと
女の子と仲良くしても茶化される心配をしないで済む性別で居たかった
シルバニアファミリーのセットが欲しかった
髪をのばして人に結ってもらいたかった
身長伸びたくなかった
お母さんになりたかった
人を好きになりたかった
男だったらこうするって考えて行動にフィルターを掛けないで普通にしていたかった
こういうこと考えてる自分が気持ち悪いって思わないで済むように居たかった
こういうの全部大人になったら気にならなくなって男として生きるのだと思ってたのに、全然全く収まらないし
明確な好きって感情が無いのに性欲だけ女性の方を向いてて、変態的で異常っぽくて、やれるなら相手は誰でもいいって言ってる気持ち悪い男と同じに見えて自分が気持ち悪いし
ずっとどんなに思っても男として扱われ続けてたのに服装変えて髪型変えただけで扱いが変わるとは思えなくて
髪型変えて脂肪がついて鏡で見て女に見える瞬間が多くなって、それは嬉しいのに自分の顔見て嬉しいって事が普通じゃなくて気持ち悪くて、もし普通の人は鏡を見る度に嬉しいって思ってるとしたらずるくて
今月の誕生日で全部終わりにする
ここぞとばかりに
これだからクソアフィはとか
その気持ちはわかる
ああいう連中のステマやネガキャンがゲーム業界の衰退の一因にもなっているとも思う
だって楽なんだもん
俺みたいなヌルい社会人ゲーマー(オタク)は気になるゲームの公式サイト毎日チェックする気力ないし
いろんな会社のゲームの新しい情報を一括でかる〜く摂取できるサイトが欲しいんだよね
で、そんな俺のニーズにはちま等のまとめサイトって合致しちゃってるんだよね
もちろん
ステマくせえなあとか
ネガキャンうぜーなー
とかはあるよ
でもやっぱそれ以上の需要が俺の中にあるんだよ
そういう情報を公開当日に入手しようとするとまとめブログ見てるのが一番楽なんだよ
同時にFF15が大爆死!みたいな記事もその何倍もあがってくるけど
そういうのは心のフィルターで見えなくしてる
(俺にとって公式サイト張り付いたり他のベビーな情報の海を泳ぐより心のフィルターかけるほうが楽だ)
「FF」とか「ドラクエ」とか(あるいはスクエニとか)に絞れば他にも記事まとめてるとこいくらでもあるんだけど
はちまやJINなんかはいろんなメーカーの情報カバーしてるからなあ
どうしても「楽さ」に飛びついちゃうんだよな
俺みたいな奴がいるから悪徳まとめブログがなくならないんだろうなー
みんなゴメンな
真っ当な運営しててはちまやJINの代替になるところ(はちまから広告とステマとネガキャンを抜いてスマホで無料で見れるものが理想)あれば是非教えて欲しい
あれやこれや考えるけど、言語化することを放棄する理由を探してるだけになってる。言葉にした途端に自分から離れていくし、誰かに解釈されてしまうから、曖昧にしたまま自分の中に留めておきたい、っていう……
テレビの向こう側の人って、私達に確実に分かるのは結局顔くらいなんだよね。その顔すら整形の人っている訳で。声だって、マイクを通して私たちの耳に入ってくる。それがテレビになったり雑誌になったりすると、本人が伝えたいことが"インタビュアーが、読む人に伝えたい、本人に言って欲しいと思っていること"というフィルターを通ってくるわけで。インタビュアー、編集者の解釈で大きく左右されるとこあると思う。
何だって、半分真実、半分嘘くらいで考えとくのがいいんじゃないかな、って思っちゃうんだよなぁ。
その番組の感想の中で、えん罪経験者が相手について聞かれた時に「髪がボサボサで…かわいくない」という表現を用いたことが引っかかってる人を何人か見つけた。
おそらく「この男は『こんなかわいくない奴が痴漢とか自意識過剰』と思っている」と感じての感想だったと思うけど、私はそういう訳ではないんじゃないかと思った。
えん罪経験者にしてみれば自分は被害者で、相手は加害者。自分をどん底まで追い詰めるきっかけになった相手を何のフィルターもなしに見るのは難しいだろう。
私だって、普段は「50歳くらいのちょっと背が低めなぽっちゃりしたおじさん」という表現を用いる相手だろうと痴漢されたら「中年で気持ち悪い感じのチビデブ」という表現を使う。たぶん。
今回はガンガンオンライン
こじ付けギャグが凄まじい本作だが、今回は特に大盛りだったな。
「そんな都合よくいかねえだろ」のオンパレードで、しかもテーマであるはずのボッチ関係ないトラブルばかり。
逆に「こじつけギャグ漫画だからってこれは酷い」のと思ったのは「耳・エンド」かな。
この子も実はモドキという設定でちゃんとテーマに絡めてくるし、前回の「なぜ授業中に」という不自然な状況へのアンサーにもなってるしと抜け目ない。
まあ、それはそれとしてチョロい子だ。
やり取りも、相手がそれぞれ都合よく解釈してくれる勘違いコメディだが、モドキという設定がちゃんと活きてている感じで良いね(まあ、もちろん強引さは多少あるけれども)。
それぞれの人格や立場とかのフィルターを通して語られるので、他人の人物評って大抵の場合どこかしらズレているんだよね。
でも、それが二人の異なる立場の人たちが語ることによって符合するという構図は楽しい。
まあ、それよりも小宮山のはっちゃけが強烈過ぎて、そういう構成の妙なんてどうでもよくなるが。
いや、ほんと弟くんの最終的な結論は正解だと思う。
自分は厳しく育てられた方だと思う。
無駄に疲弊したくないので、公共の場では他人の振る舞いに関心を持たないようにしているが、
知人友人と過ごしているとどうしても気になってしまう。
親しい友人や家族であれば注意して改善を促すが、そうでない場合の方が多いので苦しんでいる。
そもそも、なぜ嫌に思うのだろうか。
うるさい?という程でもないが、やられるとびっくりしてしまう。
外食中だと恥ずかしく思う。
思いがけず大きな音を出してしまったら軽く謝るのが普通だと思ってたが、社会に出てみたら少数派かもしれない。
四六時中静かな場所で食事しているわけでもないし、気にしすぎてる自分が嫌になる。
症状がとても重いのかな、大丈夫かな、感染したら嫌だな、と思う。
もしくは、不機嫌なのかな、注目を集めたいのかなと、そこに意思があるのかと勘ぐってしまう。
不健康をにおわせる表現は人の警戒心を煽る、ということなんだろうか。
程度ってなんだ。その"程度"が自分は厳しすぎるのかもしれない。
図々しい印象を持ってしまう。
会話中の距離が近い人に感じる不快感と似ている気がする。神経質なのかもしれない。
壊れそうにないものでも、軽く扱われると自分自身が大切にされていないように感じる。
いきなり自分の持ち物を触られるのも苦手。
一言あれば触られるのはかまわないので潔癖性とは違うかもしれない。ただのケチ?恐怖症?
単純に汚い。でもきれいな足でやられてもたぶん不快に思う。自分は日頃手で扱っているのに、というひがみだろうか。
特に、自分の所有物や家でやられると自分自身が大切にされていないように感じる。
手で閉めたときでも、音が大きいと怒っているのかなと思う。
乱暴に見えて恐怖感を感じる。音の出る物では特にびっくりする。
(家の外では軽い物でもあまり投げて置くことはしないようクセがついているが、これは少数派だろうか。
特にカトラリー、人から受け取ったものは絶対に投げて置かない。)
指先が目玉に刺さる恐怖感か?ペンやカトラリーでやられても同様に不快。
食事をする場に鞄を置くのはふさわしくないと思う気持ちがある。
汚れる恐怖だろうか?やっぱり潔癖性なのか。
学校や自室の勉強机には置いていたが、ダイニングテーブルや会社のデスクには置かない気がする。なんだこの微妙な矛盾は。
イスがテーブルから引き出されたままだと誰かがつまづいたり、通行の邪魔になる。
重い物でもないし通る人がしまえば良いとも思うが、無駄にイラだってしまう。
本来使用者が戻せばいいものを、私ばっかり戻しているという被害意識だろうか。席順の問題でもある。
暴力性にトラウマがあるとかではないのだが…やはり潔癖性なんだろうか。
正直、"お行儀"を教え込まれた人間の方がストレスが多くて損なんじゃないかと思う。
行儀っていったいなんなんだろう。
「私は貴方に危害を加えたり、汚したりしないし、無理に要求したり奪ったりしませんよ?」と暗に伝えるためのものなんだろうか。
そもそも、毎日顔を合わす同僚や友人を疑ったりしていないから、そんな安全フィルターはいらないような気もする。
知人や友人、人として大好きなのに、たくさんの時間を一緒に過ごしていると、
それがとにかく辛い。治したい。
記事では日陰茶屋事件という100年前の事件が取り上げられており、大逆事件で知られる大杉栄が
何股かけていて約束を破ったら刺された、とかいう話だったが、そんなのはどうでもよろしい。
話題は最近の不倫騒動に移り、昔と比べて女性が経済的な自由を得た現代でも不倫バッシングがあるが、
それは家制度を復活させようとする勢力のせいかもしれないという内容だった。
なるほど、女性史の研究者という立場からすると、あの騒動はそういう風に見えるものらしい。
いや、そんな面倒な話なんだろうか。
不倫バッシングについて私見を述べると、あれは単に結婚という契約を破ったことと、
それが今まで当人が作り上げてきたイメージと矛盾していることが問題とされたのであり、
家制度の維持というとこまで意識していた人は少数派だったとしか思えない。
ただ、一連の騒動では、キャラクター自体を売りにし、スポンサーから金をもらうタレントと、
本人がクズでもその成果物は別個に評価されうる人がいて、両者で受けるダメージに差がついてしまった。
そこはまあ同情の余地がある。
不倫が発覚したことで、結果的に女性の側が大きなダメージを受けたことは間違いない。
だが、そこに家制度というのは大して関係してこない。制度を破ったのは、男も女もお互い様だ。
あの場合、女がああいうキャラで売っていたから、裏切りの対価が高くついたというだけの話だ。
男だけが不当に守られたのではない。彼らは自分を守る術を持っていたのだ。
そもそも、男はキャラクターなんて漠然としたものでは、なかなかやっていけないのである。
そんなものでは評価も承認もされないから、わざわざ別の努力を積み上げなければならない。
己の技能が芸というレベルに達して、ようやく公共の電波に乗ることを認められる。
逆に、女というのは積み上げた技芸よりも、若さやキャラクターで世渡りしている部分がまだまだあって
(男の側も女の努力や才能を評価していないわけで、そこは大いに反省すべき点だ)、
だからこそ、それを失ったらどうしようもないというだけではないのか。
ポリコレという概念は人権保護やら道徳やらとだいたい同じでありまして、本来ポリコレは異性愛者男性キモオタのことも守ってくれるのだ、というのは全く正しい。
オタクだって人間だもの。貧しい人や学のない人も人間だもの。人権やポリコレはあまねく守ってくださる。本当なら。
しかし現状を見ると、ペドフィリアをセクシャルマイノリティに含めてくれという論の旗色の悪さとか、メンズリブやマスキュリズムの低調さが象徴するように、今のところオタクはポリコレを積極的に利用しづらい。
ポリコレはいわばオタクも装備できる武器であり防具なはずなのだが、どこで失敗したのか、オタクの手には馴染まないようにチューニングされてしまっている。
全く使えないとは言わない。ポリコレによる恩恵を一切受けていないとは思わない。たとえば「ポリコレってオタクジャンルに対して妙に厳しすぎるだろ」という反論は、オタク側が「不当な差別はよくない」というポリコレを使っている例だ。
しかしどうも効果はいまひとつで、このポリコレってのを自分たちのために利用しきれてないんだよなという感じが漂う。
理想的解決策としては、オタクもポリコレ肯定を前提とした議論に参加し、ポリコレの用いられ方を自分たちも使いやすいように改善していけばよいのだろう。
だが、建設的議論というのは多くの人にとって負担でとても面倒なものであり、まして既にアウェー状態なリングに上がるほどの意欲を持てというのは困難な話だ。
「話し合いましょう、根気強く丁寧に、色々調べて、難しいことを悩んで、広く長い視野を持って、傷つくこともあるだろうけど我慢して、感情的不快感などは冷静さのフィルターを通して、ひとつずつ物事を善くするため考えていきましょう」
そんな誘い、よっぽど能力や気力や体力や適性や時間や意欲のある人間しか応じない。
そこまでして、ポリコレという手に馴染まない装備を自分も使えるようチューニングしたがるオタクはあんまりいない。
それはまあ、ポリコレを使いこなせるようになればとても便利で強力であろう。
だから長期的な視点で見れば、苦労しつつもポリコレ議論に向き合い、オタクの立場を守るポリコレの運用方法を確立させるのが良手だ。
でもやらねえ! めんどいから! 長期的な視点より今の快楽を貪ることで精いっぱいだよ! おれっちバカだから!
自分は使いこなせないのに他グループが活用する装備なんだったら、ポリコレなんてまるきり否定してやるぜ!
もしも将来ポリコレが本当になくなったらオタクも困るんだろうな。
でも知らねえ! おれっちバカだから! 将来のことを考えるなんてダルいぜ!
生きるってのはだいたいの人間にとってストレスまみれでいっぱいいっぱいだから、その上に正しさを気にしろ、将来にも目を向けろなんてのは要求しすぎだ。それでも正しさに殉じられる人たちがいるのは不思議なことだが、誰もがそれをするのはムリ。
求めているのは正しさなんかじゃない、今の苦痛を一瞬でも誤魔化す気持ちよさ。
なのに正しさで説得しようとされても耳を傾ける気にはならない。気持ちよくしてくれなきゃ。
刹那快楽主義の未来は暗いとは思うけど他に憂き世に効く麻酔がないからしゃーない。
ポリコレは原理的には異性愛者男性オタクも守るものだけど、実際は異性愛者男性オタクが援用しづらい状態になっている。
しかしポリコレ用法を改善していく面倒な議論に参加するモチベーションは抱きづらいので、ポリコレ自体を攻撃する動きが大きくなるのも仕方がない。
ちなみに
異性愛者男性オタク、キモオタ、オタク、などの言葉が混在してるけど、明確な使い分けをしているわけではない。
女オタや同性愛者オタクでもポリコレの加護の薄さに悩んでいる人もいるだろうなと思う反面、「オタク」と呼ぶとポリコレの加護を実感している人も含んでしまいそうだと考えたので、複数の呼び方をしてお茶を濁しただけ。なんならオタクである必要もないので、ポリコレの恩恵が薄いと感じている人は自分を当てはめてください。
今のジャニーズはどんどん高学歴化が進んできていると思う。デビュー組でもジュニアでも、有名な大学を出ていたり、大学院に通っていたりする人もいる。
私の担当だった人も、当時大学に通っていた。私は大学に入学した当初、自分の大学にジャニーズがいるなんて知らなかったし、ましてや彼の存在さえ知らなかった。
しかしひょんなことから、私は彼を知り、彼のファンになった。ステージの上で、キラキラした笑顔で踊る彼をとっても好きになった。
好きになってから彼のことをネットなどで調べているうちに、彼が大学に通っているということを知った。もっと調べていくうちに、彼が私と同じ大学に通っているかもしれないということが分かった。だけど所詮ネットの噂。いくらなんでもそんなことあるわけない、なんて思っていた。大学に通っていることは本人も公言していたからそれは事実として、私はそれ以上のこと、どこの大学で何学部なのかなどは特に詮索しなかった。
それから3か月たったある日のことだった。
今でも覚えている。
金曜日の、3限終わりだったと思う。
3号館だか4号館だかの階段。
4限の教室へ移動するために、友達と話しながら階段を上っていたときだった。
階段を下りてくる人に見覚えがあった。でも別にサークルの人でも同じ学科の人でもない。
その人の顔を見たとき、漫画みたいに、本当に鼓動が大きくドクンと鳴ったような気がした。
自担だ。
階段から下りてきた自担は、当たり前だけどステージ衣装ではなく、普通の大学生の格好をしていた。
普通の大学生の格好をし、普通の大学生の友達と普通に会話をしていた。
3か月前わたしが所詮ネットの噂だと信じなかった情報は真実だったと、私はその時自分の目で確かめて知った。
その衝撃の出会い以降も、何度かキャンパス内で見かけることがあった。学年も違うし学部もどうやら違うらしかったので、授業がかぶることはなかった。
キャンパス内で自担を見かけるときは、本当に奇跡みたいな偶然が多かった。昼休みにご飯を食べるためにたまたま入った空き教室に彼もお昼を食べにやって来たり、試験前日に友達に「試験問題の回答を一緒に作ろう」と呼びだされ食堂に行ったら近くのテーブルで自担も友達と一緒に勉強をしていたりしたこともあった。
でも何度見かけても、私は話しかけることは絶対にしなかった。というかできなかった。
友達に「話しかけなよ!『ファンです!』って言われたら向こうも嬉しいと思うよ!」と何度も言われたが、私はできなかった。
大学内で見かけた自担はどこからどうみても正真正銘「普通の大学生」だった。ある意味「ジャニーズオーラ」というものは全くなかった。
大学に通っている自担は、仕事の一環でも何でもなく、完全に彼のプライベートだ。そこに踏み込んで、「ファンです!」と言うのは違うと思ったし、彼にとっても迷惑だろうと思った。
自担と私が同じ大学に通っていると知ってからも、私は自担を見にコンサートや舞台などに行っていた。
だけどいつからか、ステージに立つ自担を見て違和感をもっている自分に気が付いた。
私はいつからか自分が、ステージに立ってキラキラの笑顔で踊っている自担を「○○大に通っている大学生」というフィルターを通して見ていることに気が付いた。
ステージに立っている自担と、大学に通い真面目に勉学に励んでいる自担のギャップというものをリアルに感じてしまい、感じすぎてしまい、とても戸惑った。
そして私はいつからか、アイドルの自担が好きなのか、大学生の自担が好きなのか、分からなくなってしまっていた。それはとても怖いことだった。
そしてもっと怖かったのは、「私は自担と同じ大学に通っているんだ」という謎の優越感を持っていたこと。彼のプライベートをのぞき見しているような罪悪感や戸惑いを感じているのと同時に、ある種の優越感を感じていた自分は、本当に馬鹿らしくて卑しくて嫌だった。
私はアイドルが好きだ。アイドルのプライベートは、雑誌などで近況を知る程度で良かった。
だから私はいつのまにか、「自担と同じ大学に通っている」ということすら嫌になってきた。そして私は程なくして彼の「担当」を辞めた。
ステージでキラキラしている自担が本当に大好きだったから、大学で見かける彼は別の存在として割り切って応援できれば良かった。でも私はそれができなかった。
彼が「担当」でなくなってからは、もうキャンパスで見かけても何とも思わなくなった。アイドルの彼を見に行くこともなくなったから、キャンパスで彼を見かけてもそのギャップすら感じなくなった。不純な担降り理由だとは思うけど、少なくとも私自身にとってはこれで良かった。
タイトルのとおりだ。専業主婦生活が思いの外楽しい。このままではだめだ、という気持ちがある。
母親は働いたり体を壊して専業主婦をやったりパートタイムで働いたりしていた。夫婦ケンカの際に「俺の金で食ってるくせに」と言われたり、離婚を考えた時に収入がないことがネックになったこともあり、娘の私には「専業主婦はだめだ。自分で稼ぎ自由でいろ」と言っていた。私もその考えを受け継ぎ、専業主婦などやるのはリスクが高くてよろしくない、と考えている。
永久就職とかいうけれども、つぶしのきかない転職が限りなく難しい会社への就職だ。永久といいつつ一方的に解雇(離婚)を言い渡される可能性もあるし、こっちが嫌になるかもしれない。終身雇用と安心するのは甘すぎる。それに年功序列的に給料というか対価があがっていくこともない。あまり就職したくない企業だ。やはり働いておきたい。と思っていた。思っていたのだ。
今年会社を辞めた。再び働くつもりはあったが、しばらく無職をすることにした。 で、家賃やら光熱費やらを夫の3分の1ほどの負担に軽減してもらう代わりに、それまで分担していた家事をほぼ私1人でやるようにした。掃除洗濯料理家計管理。渋々ながら主婦を始めたわけだ。
そしたら楽しかった。家事は、やらないでもわりとなんとかなり、しかしやろうとするとどこまででもでき、そしてそれぞれの効果が見えやすい上に、実際に手を動かすという私の好きなタイプの仕事だった。
そもそも夫婦二人ともだらしなく、しかも元々共働きで家事がおろそかだったので、要求レベルが非常に低い。しかも子供はいないので、やらないといけない家事の量が少ない。会社で働いていたときのようなノルマとかプレッシャーとかないのだ。
しかし、その一方でやりこみ要素はいくらでもある。ベランダの排水口の掃除みたいな余裕がないとやらない部分とか、洗濯機のフィルターを定期的に変えるとか、そういうことが限りなくある。料理なんか沼だ。私はハマっていないが、しかしハマればいくらでも投下できるだけの深みがある。やらなくてもクリアできるけど、やりこみ要素はあり、しかも家事というのは複合タスクなので、好きなルートを選んでやり込むことができる。会社での仕事では、もっとやりたいと思った仕事は上の都合でストップし、苦手なタイプの仕事をひたすらやるみたいなこともあったけど、そういうのがない。
そして、なにか工夫したり通常よりしっかりやった部分は、わかりやすく目に見える結果としてすぐに返ってくる。美味しいご飯が食べれるとか、綺麗で快適な部屋で過ごせるとか。自分も受益者なのでそれだけでもモチベーションをあげられる。しかも自分にとって大切な人間から感謝を表明される。まったく知らない人間に喜ばれるより、私は嬉しい。
あと、「家で一人とか寂しくない?」とか「1日家いたら暇でしょ」とか言われるけどそんなことはない。
もともと一人でいるのも割りと平気、というか人と長時間いると疲れる性質だった上に、うちはけっこう人の出入りが多い。まず、夫がリモート可なので家にいることもぼちぼちある。それに定期的に家でミーティングをしていたり、たこ焼きやるから餃子をやるからと人呼んだりと週に1〜2日は誰かくる。さらにその上、妊娠していたり自宅で仕事をしていたりといった友人達とビデオチャットで平日は家を繋っぱなしにする、という試みもやっている。なので、人との触れ合いの部分は問題ないかんじだ。
ヒマも別にない。まず家事は思ったより時間を使う。それに工作が趣味なのでひたすら作っていられるし、元同僚と勉強会みたいなこともしているのでその準備やらいろいろある。VRゲームももっとやりたいし、なんなら作りたい。そういうやりたいことは山のようにあるし、80歳くらいまではやりたいことがなくなることはないと思う。
というような感じで、主婦業が以外にピッタリきてしまった。これまでの価値観と真逆でショックだ。
でまぁ長々書いたんだけども、会社をやめてはや半年。主婦居心地が良い。けどお金の問題とか自分が働いてないリスクは高いので、働かねばな、しかし抜け出したくない、やばい、という感じでうだうだしてるのだ。主婦というものはお布団力が高い。そういえば夫が、私の尻を叩く会をするか、みたいな話をしたといっていたので、実現すれば叩かれて飛び出るかなぁ。
私は女に大学不要と急に騒いだ親のせいで受かった四年制大学に入れなかったし、親戚でも神童と言われるくらい賢い姉が進学させてもらえずバカな弟は進学してるし、そんな差別は日本にはあり得ないって信じられる環境が羨ましい
という子供の人権問題であって、それがたまたま今回親の男女差別のフィルターを通して現出したにすぎない。
じゃあ「大学なんて行く必要ない」と言って、親の個人的思想にもとづいて男女の子供全員を大学に行かせなかったらそれは正しいのかって話ですよ
あるいは、「家を継ぐ長子だけしっかりしてればいい」という旧態依然としたお家思想にもとづいて第二子以降を大学に行かせないのは?
必要なのは、親が望まなくても子が望めば、そしてその能力があれば大学に行ける環境の整備です。
瞑想なんてするより寝てたほうが時間の得じゃんと思ってたからどうしても寝付けないときだけ暇つぶしに瞑想やるって生活してたんだけど、最近その少しずつやってきた瞑想の結果が出てきた。
何か嫌なことがあっても中々動じなくなってる。
心の中にフィルターみたいのが出来て嫌な感情は気持ちの表層までしか入ってこれずそこをグルグル漂うだけで心の奥の方は乱されない、そういう精神状態を作れるようになってきた。
これが瞑想の効果だといえるのは瞑想やってるときの色んな気持ちが浮かぶけど気にせず浮かんできたままにするって行為とそっくりだから。
パシフィック・リムで「兎(きおく)を追いかけるな」って台詞あったけどあんな感じ。
何か気持ちが浮かんできたり感情が揺さぶられるような事が起きてもそれを深追いせずに浮かんできてるなあ何か起きてるなあで留めておくことが出来るようになった。
はてブの検索ってすごく使いづらくないだろうか?探したいキーワード入れても全然記事が引っ掛からないとかがザラなことが多いように思う
たとえば市場ずしの件(これは手っ取り早い例として挙げているだけであり他意はない)
http://matome.naver.jp/odai/2147530066572919601
http://b.hatena.ne.jp/search/text?safe=off&q=%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%81%9A%E3%81%97&of=0
には登場していない、セーフフィルターはもちろんオフにしている
http://b.hatena.ne.jp/entry/302958496/comment/usomegane
これが騒動の元(のtwitterをまとめた記事)か。「わさび」ではてブを本文検索してもこの記事出なかったんだけどなんでや。
とあるように自分以外でも検索に出てこないという例があるのは間違いないようだ
ほかにもブクマ数のフィルターが3usersからいきなり50usersに飛ぶといった気の利かなさも不満だが、一応は「検索」の名を冠したサービスが出発点の会社がこんな体たらくでいいのだろうか?
早急な改善を求む