はてなキーワード: ナマモノとは
もちろん、ナマモノはダメだと思う。肉とか魚とか野菜は見るからに悪くなるもん。
もちろん永久には食べれるわけないし無理だとわかっているが、それにしても早すぎない?
その中でもみんなは捨てるであろう物でも、食べてみたら全く問題なかったものは、下記の通りである。
【賞味期限切れで食べた中でも印象に残っている物】
・1年前のヨーグルト
⇒水分を捨てたら濃厚だったよ。フルーツ入れてヨーグルトとして食べたり、レンジでチンしてチーズ代わりにもしたよ
・1年前の豆腐
⇒ハンバーグに入れて食べたけど、めちゃくちゃ美味だった
どちらもお腹は壊してないことはもちろん、美味しくいただけた。未開封だったからかもしれないけど。
【賞味期限切れで食べて失敗だった物】
・ピルクル
⇒2週間くらい過ぎたやつを飲んだら、お腹がめっちゃ鳴った!しかし、壊しはしなかったので、悪くなっているというよりも菌が大量発生していたのかなと思う。次回賞味期限が切れた物を飲むときは心して飲むだろう。
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このように、賞味期限をあまり気にしていない人もいるということで・・・
日本では食品廃棄が問題になっているし、賞味期限もっと延ばせないのかなぁと思ったりした。
他の人はどの程度気にしているんだろう?
※これは読んだ後に「へーそうなん」と言ってほしいだけの話です※
簡単に言うと、文豪を元ネタとしたアニメ、漫画、小説、ゲーム、ドラマ、等々の二次創作(イラスト、漫画、小説、動画、等々)はタレント、アイドル、声優、スポーツ選手、等々の二次創作であるナマモノと同じ扱いなのか、という話。
これまで私は少年漫画やアニメオリジナル作品の二次創作の小説を書いてきた。
だからその「文豪を元ネタとした某ジャンル」にハマるのも同じノリだった。
私は元々国語が得意で近代文学もそこそこ読んでて推し作家がいた。
そう、ジャンルに沼落ちする前から推していた推し作家がいた。三次元のほう。御本尊のほう。
で、推しが出ている漫画やゲーム、私が知っているだけで四つあるんだけど、そのうちの一つにハマった。ハマった、というのは、二次創作を書いた、ということ。
推しは教科書に作品が載ってたり載ってなかったりな準メジャーくらいの文豪。一般人でも名前と作品名が出てくるかも、くらいの文豪。
そのジャンルは準メジャーくらいかな?特別有名ではないかも。ファン人口も多いとは言えないと思う。
それでも「二次元キャラ愛」と「三次元御本尊&作品リスペクト」でバランス取ってるジャンルだと思う。ジャンル公式もファンも。少人数で色濃く、といった感じ。
ジャンル公式と三次元御本尊関係施設がコラボすることもある。記念館の来場者数が前年の何倍、と小さく新聞に載る程度の影響力。
あと「ギャー!!!」案件もあったが、割愛。偉人ものとメリット・デメリットは似たようなもの。それでもしもいつかデメリットに振り切れちゃってジャンル公式が終了しても、理由には納得できるし仕方ない、と私は思える。そういう付き合い方。そういう、ジャンルとの距離感。
で、二次創作をしたわけだが。
当然三次元に興味ある一般人の目に触れないように検索避けしようと、他ジャンルと同じレベルの危機感は普通にある。腐った話はぷらいべったーやふせったーを使うとか。鍵かけた裏垢使うとか。まあTwitterやpixivは検索避けガバガバだから完全雲隠れとはいかないけどな!それでも投稿者としてできる努力はしていたつもりだ。
結構Twitterで、公式の話もするし、非公式妄想の話もするし、ジャンルとは関係ない三次元御本尊関連の話をする、って人はいる。
というか、私がそうだ。二次元キャラを愛でる同志に会いたかったし、三次元御本尊のことも布教したかった。勿論検索避けしてな。あだ名使うとか。
それで、たまにRTで回ってくるわけだよ。御本尊の遺族の方がご存命なので腐は隠れてね、って注意ツイート。
その度に横目でスルーしていた。
一つは、そもそも腐は隠れるものっていにしえの教えを疑いなくずっとずっと守っていたから。二次創作をやるものとして、守るべき暗黙のルールは守っているつもりだった。
もう一つは、文豪を元ネタとした一次創作(文壇創作と呼称するらしい)ではなく、あくまで二次元キャラの二次創作であるから。二次元作品のファンとして作品を全力で楽しむ権利は公式・他者に迷惑にならない程度のことは、同じものを好きな人だとしても邪魔されたくなかった。
まあ部外者から見たら一緒だと思われるかもしれないが、それこそぷらいべったーとかふせったーとかpixivとかTwitter鍵垢とか、一般人には見つけにくい方法をとっていたつもりだ。完全とは言えないだろうけど、努力はした。
私は他人はわりにどうでもいいので、大っぴらにTwitterでやばい妄想ツイートしている人に凸るなんて面倒くさいことはしない。ただ自分が守っていれば燃えることはない、と思っていた。
それが、急に弱気になった。
全然関係ない、ナマモノ二次創作暗黙ルールの話がTLに流れてきたときだった。
文豪ものは、二次元化を挟んだとしても、御本尊とかけ離れていようがいまいが、ナマモノ扱いで、ナマモノルールを適用したほうがいいのでは、と急に思った。
私はナマモノを通ったことがない。リアルが地雷なので2.5次元を履修したことがない。舞台もミュージカルも観に行っことがないし、声優は聞き分けができないので興味が持てないし、ドラマも観ないし、流行りの芸能人にも興味がない。
でも、なら何故文豪に興味を持ったのか。
蛇足だけど、明治150周年をしたわけで、戦前の人はもう私にとっては歴史上の人物なのだ。おだのぶながもなつめそうせきも歴史上の人物という広義の中の一人なのだ。
推し(御本尊のこと)が生まれて100年過ぎて、推しが亡くなって50年はとっくに過ぎた。戦前没だし。
遠い、遠い、教科書に載っている人たちなのだ。テレビに出ている人たちと同じとは思えない。かつて存在していたらしい、という伝説上の人物なのだ。
まあ私が生まれる前年まで生きていた文豪も、私が生まれて翌年まで生きていた文豪もいるが。物心ついたときにはもう「文豪」はご存命ではなかったのではないだろうか。
特に私にとっては、推しは没後50年も70年も過ぎていて、著作権は切れていて、死後評価かつご家族は文学に明るくなかったから、遺族が〜と言われても私には他人事に思えるのだ、正直に言うと。推しの権利まわりのことで何か用事があったらどこに話がいくのだろう。私には分からない。きっと日本のどこかにいらっしゃる遺族の方を探すところから始めるのだろうと思う。
話を戻すが、私が急に今ジャンルで二次創作を発表するのがこわくなった理由は、御本尊の関係者に二次創作を読まれてしまうことではない。
文豪ものは隠れなきゃいけないとルールを押し付けてくる某がいるかもしれない、という被害妄想で、こわいと思った。
いや黙って隠れろよ!
そのとおりなのだが。
直接言われたわけでもないし、ただ見かけた対岸の火事を自分のことのように被害妄想しただけで、ジャンルに何か転換期があったわけでも、フォロワー間トラブルがあったわけでもないのだが。
二次創作の中でも更なる特殊なルールがあるらしいナマモノ・半ナマと同じレベルで隠れるべきジャンルなのだろうか。
なのかもしれない。ならば、私は、それなりに、もっと深くまで潜るまで。なのだが、甘かった頃の自分をほじくり返されて、今まではこうだっただろう!と突きつけられたら、私はどうすることもできない。それがただただこわいのだ。
ただ、二次元キャラとなった推しも、三次元御本尊の推しも、自分で愛でて、同じファンと愛でて、たくさんの人に愛されてほしいと願っただけなのに。
追記
干物ジャンル。なるほど。さらっとぐぐった。やはりナマモノからの派生扱いなのか〜と。
VTuber自体はキャラクターだけど、その中には明らかにその向こうにいる中の人の素が出てる物も多いし、
最近流行りのVTuberは大体そこが大きな魅力になっている。
キズナアイやミライアカリあたりは企業が運営しているキャラクターとしての面が強くてエロ絵の抵抗もあまりなかったけど、
にじさんじの委員長や、個人勢のぽんぽこなどに対しては、少なくとも個人的にはなんだか罪悪感が先行する。
そういえば女性声優のエロ同人なんてのも寡聞にして上連雀先生くらいしか聞かない。
アイドル界隈なんかにはもう少しあるかもしれないが、男性向けナマモノジャンルは女性向けよりもタブー視されてる気がする。
朝食を摂りに一階まで降りてみたところ、いつものようにリビングのテレビが意味もなく流れていた。
よく聞いていなかったから誰が死んだのかは知らないし、仮によく聞いていても社会不適合者の私は誰だか分からないだろう。
例えば私は阿藤快が死んだというのは知っているが、それを知ったのは今月のことだ。しかもTumblrで流れてきたからで、その偶然が無ければ私は阿藤快が死んだ事を向こう3年、いや5年知らなかったかもしれない。付け加えれば、阿藤快がいかなる人物であるのかについて私は何も知らない。失礼ながら、名前を少し入れ替えれば加藤愛とかいう人になるという系列のアレでしかお目にかかったことがないし、もっと言うとその加藤愛とかいうのが誰なのかについても勿論分からない。下の名前からして女性だろういう事はいくら私でも分かる。
まあ阿藤快のことはどうでもいいんだけど、さておき、Vtuberは全員合成音声でなければならないと思った。
想像してみて欲しい。何十年か後、我々がすっかりボケ老人と化して全国の介護施設でハルヒやらきすたやけいおんが延々流れている未来。「おじいちゃん、チョココロネの頭がどっちなのかの話はもう見たでしょう」「チョココロネ……横から食うか……下から食うか……」「はいはい」なんて会話がお茶の間で繰り広げられる地獄のいつかにおいて、ある日突然キズナアイの中の人が死ぬ。
アナウンサーが伝える。電脳少女シロの中の人が死にました、電脳少女少女シロの中の人が死にました。死亡者の中に日本人がいました。業界人がコメントする。「月ノ美兎の中の人は当時のVtuber界において非常に貢献をした人物で……」我々老人達はその訃報に、一瞬だけふっと脳内に電流が走り正気を取り戻し、樋口楓、ああ若かりし頃に追っていたアイドルだった、そう思いながら涙を流す。でも頭がボケているから実はそれも30回目の事だったりする。
このまま誰も何もしないのなら、これがVtuberに待っている未来だ。だけど良いのか。お前それでいいのか?私の中のブロントさんがそう告げる。
お前らVtuberは電脳少女だ。死んではいけない。老いてもいけない。老いるのも死ぬのも人間がする事だ。有機生命体であり定命の者である我々がする事だ。こんな哀しい業を背負うのは我々人間だけで良い。代わりにお前らは何十年経とうと何百年経とうと電子の海を漂っていなければならない──インターネットか、あるいは何らかの電磁的記憶媒体がそこに存在する限り。そして保存された動画の中でしか動かない「死んだ」存在ではなく、誰一人見ていなくとも永遠に自律的に動き続ける存在として。そう、私がかつて管理人だったサイトで未だに喋り続けている人工無脳のように。
中の人は死んではいけない。とりあえず中の人は死んではいけない。というか、そもそも中の人なんて存在してはいけない。中の人などいない。
「Vtuberに中の人がいるべきではない」というのは相当数のVtuberファンの楽しみ方を否定するような思想だろうし、実際私も1人のVtuberファンとして中の人はいた方が楽しいと思っている。しかしながら、キズナアイに代表されるように、もしあるVtuberが「私AIですよ」という路線を執ったのなら、彼か彼女かに中の人がいてはならない。中の人はいつか死ぬからだ。中の人初代が存命だろうと死んでいようと秘伝のタレの如く人材を継ぎ足し継ぎ足しして別人に切り替えても誰にも分からないようにしなければならない。永久に回り続けるシステムにしなければならない。Vtuberは全ての属人性を剥奪されその存在を維持するためだけに人間の集団を使役するマザーコンピュータに成り果てる。いつか本物の人工知能が出来るまで。
これを実現するのに何が必要か。
とりあえず肉声があってはいけない。
ナマモノの声はいつか老い、あるいは死に、代替が効かなくなり、それは同時にVirtualにして永劫不滅であるはずのアバターの死をも意味するからだ。
声の死を回避するために声真似を利用するという手は、なくもない。たしかに声真似が得意な人間、というより、出せる声幅の広い人間というのはいるし、特に山寺宏一や水橋かおりみたいな人間に練習されたら概ね常人には区別がつかなくなるだろうし、「水橋かおりが半年かけて練習したキズナアイと本物のキズナアイ、どっちがお高い方でしょう!」なんてクイズを出されたら自信を持って正解出来る人間はほとんど居ないだろう。いやギャラがお高いのは水橋かおりの方なんだが。そして何故水橋かおりの話をしてるかって言えば私は水橋かおりくらいしか声優の名前を知らないからなんだが。ヘィ!ルゥク!リッスン!あと裏名義はやめろ。誰とは言わないけど裏名義はやめろ。裏名義は良くない。裏名義は良くないぞ。話が逸れた。
いずれにしても声真似というのは極めて限られた専門的技術者にだけ為せる事であり、出来る人間の数は限られている。それに、声質が特徴的な一部のVtuberは本人以外誰にも出せない声を発しているという事もあるだろう。話し方やトークの問題だってある。どうモノマネを試みても僅かに違いが出たりして、そして我々人間はその塵のような違いにさえ敏感だから、「キャラクターの声がイメージと違う」と思ってしまった瞬間に「中の人が死んで交代しているのでは?」と疑わざるを得なくなる。先天的に首が締まっていたりするのもVirtualの世界ではにはよくあることだし今年のエイプリルフールにアレはキズナアイではないとすぐに気付いた人間が殆どのはずだ。あとコラボおめでとう。
他にも芸風の問題とか趣味の方向性とか知識量とか課題は山積みだけれども、とりあえず「生声でやっている」という事実ただそれ一つを以てすら、我々は必ず何十年か後に「微糖カイジの中の人が死にました」という話を聞かざるを得なくなる。あるいは数年もしない内に、中の人が誰か交通事故で死ぬかもしれない。いや微糖カイジについては中の人より先に微糖カイジが死んだんだけど。
生声Vtuberは未来永劫にVirtualな電子生命体ではないのだ。それがなんとなく今朝思ったこと。誰も読みやしない、誰かの日記。のらきゃっとやげんげんみたいな存在がVtuberとしては一番正しいのかもしれない。私はちゆ12歳様を応援しています。
してたっていうか現在進行形でまだしてるのかな。
ほんとに好きで理屈じゃなく好きで、無理だと分かってるんだけどすごく好きでお近づきになりたい、付き合いたい。
リアコっていうのかな。ガチ恋がいかに無駄で無益で不毛かは言うまでもないと思うんだけど、だからって諦めきれないよ~こんな気持ちになるんだったら彼の事を知らなければ良かった~という感じでしんどいですよね。ほんと好きなんだよ、だってあんな素敵な人なんかそうそういるもんじゃないし。
でもある日ネタで彼の事をナマモノBLを書いたら、苦しさがすっと消えた。
好きだって気持ちはそのままでガチ恋特有の苦しみだけが消え去った、ファンとリアコのいいとこどりって状態。
主演、または座長と呼ばれる人達は、内外でしっかりしなくてはならないと私は思う。
たとえそれが、演技初めてのド新人であっても、大御所であっても。
「俳優」という職業についているからには少なからず「プロ意識」を持っていてほしい。
半年以上かけて追いかけた長編ドラマの主演の子に対する、溜めに溜め込んだ愚痴。(笑)
最後まで追いかけられたのは、主演ではないほかの役者が好きで追いかけていたからです。
子供に夢を与える通年番組と書けばなんとなく分かっていただけるでしょうか。
私はそこの主演の俳優さんに、もやもやとしたものを溜めつづけてきました。
彼はこの番組が俳優としてのスタートです。そう思って何度も許そうとしてきました。
事の発端は、週刊誌の記者に、同じ現場で仕事をしている女優と泊まりデート?という記事を書かれたことです。
それが放映期間中で、かつ、土曜日と日曜日は彼らみんなで舞台をやっていて、そのあいだに写真を撮られました。
その時は、駆け出しなのに可哀想、という気持ちが先行していましたが今にして思えば「プロ意識が低すぎる」です。
男と女が泊まっただけで騒ぐのか、とも言われました。付き合ってなかったとしても、そういう目で見られるのは確実なのに、放送期間中、舞台の途中にそういうことをするという行為自体が軽率だと思います。
次に、板の上での態度です。
舞台や、ライブ、イベントはナマモノです。その日その回でしか見られないこともあるし、そこしか見られない人もいる。
そういう人達の気持ちを考えていないような発言や行動が見受けられました。
舞台公演中に自分の身体的アクシデント(右目にゴミが入ったこと)を主張して話を止めたり、アドリブで彼本人の趣味であるゲームの台詞を入れたり、
公演後、はけるときに「帰ってモンハンをする」と言ってはけたり、
『ここはあなた本人の自己主張をする場所ではなく、キャラとして立ち居振る舞うことを求められている場所だ』
ということをまるきり分かっていないようでした。
基本的に、子供がいる前ではキャラクターでいなければいけない、という感覚を、彼は持ち合わせているのか疑問に思います。
「今日は初回だったからミスもありましたが、この先もっと良くしていくのでまた来てください」と発言したこともありました。
あなた達のリハーサルに、お金を出して付き合ったんじゃないよ、と思いました。
ミスはあったとしても、向上心を持ってやっていきたいです、って言えばいいんじゃないの?って思います。
ミスがあったことを、堂々と言えばいいってものではないですよ。
それから、周りの俳優さんたちは、主演をとても持ち上げてくれていました。
その俳優さんたちの気持ちはわかります。そうさせる何かがあったのかもしれません。
でも、私には、甘やかされているようにしか見えませんでした。
だってとてもじゃないけど、作品のファンとして、主演の俳優さんのことを、
主演です、って胸を張って紹介できないです。少なくとも私は。
それでも私が好きな作品とあなたのやっているキャラクターには罪はなくて、共演者も甘やかしすぎとはいえなにか罪を犯したわけでもなく、私は最後まで作品を追いかけました。
最後まで、好きになれることはなかったな。
ここまで書いたら大体誰のことを言っているのか特定されてしまうと思うので、もうひとつ。
彼、ずっと、戦隊決まってからも、「仮面ライダーが好き」って言ってたんです。それ自体は責めません。
でもある時、そのあとに、「戦隊も好きですよ、後付けで」って言ったんです。馬鹿にしてるでしょ、って思いました。
後付けで、って言って笑いを取りたいんですか?
最後のイベントの日、彼は「仮面ライダーや戦隊を見て俳優になりたいと思いました」って言ってました。いきなり戦隊も入ってきたなあ、ということが気になって、内容が頭に入ってきませんでした。
そもそもあなたが「この公演しか見ない人もいると思うからお礼を言います(意訳)」だとか、今さら言っても、誰かに怒られたんだろうなあ、本心なのかな、って疑ってしまうんですよ。
なんかよくわかんなくなってきたのでそろそろシメたいです。
最後のイベントの日に「YouTubeで上がってた動画のコメント欄みたんだけど」と言っていました。もしかしたら予告とかの公式のものかもしれないけれど、そういう言い方は違法なものを公認しているように聞こえるので、言わない方が良かったと思うな、と思いました。
これが最後。
作品の名前を残すために売れたい、と言っていたけれど、本当に国民的俳優になるくらい売れたら、その時は認めて許してあげようかなと思います。
今日、とある男性芸能人二人が腐女子について批判した文章を出していた雑誌がツイッター上で話題になっていた。
腐女子が嫌いな一般人の気持ちも、頭ごなしに批判されてムカつく腐女子の気持ちも、まあ両方わかる。
自分がそういう感情抱いていないキャラがBLにされてたら嫌だと思うのもわかるし、オタクや腐女子じゃない側の人から見たら変な趣味と言われても仕方がないかもしれない。
でも所詮はただの一個人の趣味なんだから、そこまで言わなくてもいいじゃんとは思う。個人の勝手な解釈のBL妄想で公式とかに迷惑かける腐女子は、さすがに腐女子の中でも煙たがられる。純粋な気持ちで見てる人からしたら迷惑ってのは重々承知の上での趣味なんだから、検索避けや棲み分けをきちんとして迷惑かけたくないってわたしは思っている。
……このあたり忘れてる人、最近多くない?って思う。
もともとはBLが好きな人同士がひっそり楽しむものであったはずなのに、大っぴらに公開してBLが苦手な人、もしくはナマモノジャンルであればご本人様やその関係者にも知られる/見られるようなことが増えてる…気がする。体感で。
ここについてはその男性芸能人の言っていた「ネーミングをつけてそこに落ち着く」のが影響してるんじゃあないかなあって個人的には思う。わかりやすいジャンルがあって、ある程度自分の嗜好と同じ人がいると「私は正しい」とか思い始める人が多くなったのでは?典型的な「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」心理的な。
けれどやっぱりあの言い方には嫌悪感を覚える。まだ腐女子気持ち悪いからひっそりしてて欲しい、もっと過激に言うならばいなくなってほしい、までぐらいなら、まあ嫌いな人もいるしで理解できる。
けれど何故そこに現実の結婚や恋愛や彼氏の有無が関わってくる?いいじゃんか。別に結婚しようがしまいが、恋愛しようがあなたには関わりのないことだし、それは自分で決めるものでしょう。恋愛して結婚して出産が当たり前、みたいな恋愛に対する「当たり前」があるって風潮、ひと昔前の「お見合い結婚反対!自由恋愛尊重!」とかとさして変わりないぞ?全然議論の内容が進歩していない。
なんで他人の恋愛事情にまで首突っ込まれなきゃいけないんだよ。うるせえわ。
(ここで「女は結婚して子供産むのが役目」とかいう類のコメントするのは何百回と見てきていい加減うんざりなので無視です)
散々言ったけど、わたし自身も最近の腐向けジャンルにおける無法地帯化は良く思ってない。前述の通り棲み分けができなくて公式等に迷惑をかけるのはもちろんのこと、こう、力関係的なものが出来上がってきてしまっているような気がしてる。あまり上手く言語化できないけど、すごくやりづらい。
いわゆる「過激派」な人たちが増えてきている気がする。
嫌いなものがあるのは仕方ないけど、もうちょっと落ち着こう?と思う。あれも嫌い!これも嫌い!とか自分の親しい人が言っていると、「わたしがこれ好きって言ったら過激に反対されるのでは」とか「あの人が嫌いって言ってたから言うの避けないと…」とか思ってしまって、すごくやりづらい。嫌いなものがあるのは仕方ないしけれど、あなたが嫌い嫌いって言っているものにも好きな人がいることを忘れないでほしい。
好きなものの話だけしていたいし、嫌いなものを嫌いって言って悪く言っている時間があるなら好きなものを見ていたいです。
甘いって言われそうだけど、そうした方が気分が楽なので。
だらだら喋っちゃったけど特に「何々はこうあるべき!」とは思ってません。ただ、もう少し自分と違うことを受け入れる人が増えてくれたらなあと思いました。
私の会社には寿司がいる。ネタはマグロで握り型、そう珍しくないタイプだ。シャリは少し温かく、サビ抜き。少々慌て者だが穏やかな人柄で、けして女の子にモテるようなタイプではないけれど、人に信頼されるタイプの人物――いや、寿司だった。
寿司が社会進出しはじめたのは、今から十年ほど前のことだった。当時の私はまだ中学生で、友達とのグループチャットでの対応がこの世でもっとも大きな悩みであるような小娘だったが、この事件についてははっきりと記憶に残っている。
「寿司と仕事をするだって? そんなの腹が減って仕方がないじゃないか」
テレビを見ていた父が忌々しげに叫んだのを今でもよく覚えている。
「いいじゃない、あなた。だってナマモノは苦手でしょう? 寿司がいたってお腹が減ったりしないわ」
「そりゃあそうだが、母さん、あれだぞ。俺はサーモンだけは別だ」
テレビに写っているのは炙りサーモンの女性だった。まだ若いらしく鮮やかなオレンジ色の表面はつやつやと輝き、ところどろころに見事な焦げ目がついているのだった。
ああ、美味しそう。私は思わず舌なめずりをした。父と違って私はナマモノだって食べれるし、寿司をほとんど愛しているといってよかった。
一瞬にして現実に引き戻された私は、はいはい、と生返事をしながら慌てて受話器に手をかけた。内藤さんは本社勤務のカンパチである。早稲田大学卒のエリートでプリプリのカンパチだ。相当モテるらしく高飛車な性格で、いつも隣に鉄火巻だの軍艦巻きだのの女の子をはべらせている。
彼、海苔が好きらしですよ、いやらしい。二つ下のイカ握りの後輩が話していたことを思い出す。海苔が好きである、ということと、男性のいやらしさというのが直結せず、私は曖昧に頷いたものだった。
何処にも書けないのでかかせてくれ
twitterには多分十年くらいいる
だからtwitterにはいろいろな流行り廃りがあることはわかっているつもりだしすべて受け入れられると思ってきた
名称はままあれど、
Twitterユーザー(フォロワー)とtwitterユーザーをカップリングにする、腐女子の遊びだ
ユーザーをキャラクター(概念)のように扱い、カップリングを作る
たとえばフォロワーにイワシとサンマがいたらイワシ×サンマ、イワサン、といった具合だ
この概念CPは腐女子はまりたてのいにしえの時代によく見かけた
たとえばクラスメイトの男子たちをCPにするとかそういうものから始まると思う
解りやすく作品になっているのは、影木栄貴と蔵王大志の、自分たちをモデルにしたBL『color』だ
盛り上がる。内輪では。
最初は仲良しなんだなーと眺めていたが、
それが目に付く回数が増えるにつれなんともいえない拒絶反応が自分の中で出ていることを感じ始めた
見たくないのである
もしかしたらナマモノが好きなら受け入れられるのかもしれないけれど、わたしはナマモノは通ってこなかった
でもワードミュートをしたら、本人の名前そのものをミュートするので他のツイートも見られなくなってしまうし、
共通フォロワーの普通に呼びかけている名前ワードもミュートになってpostが読めなくなる
自衛ができない。
つらい
そのフォロワーカップリングは空リプで投稿されているため、スルーしても問題ない
つらい
多分私ももっと若ければ混ざってたのしくフォロワーカップリングできたんだと思う
だけれどそのノリについていけない
つらい
わたしはどうしたらいいのだろう
作品が好きで繋がったのにブロックミュートしないといけないのだろうか
昔は四六時中張り付いていたのに、である
こう思うのは少数派なのだろうか
だれか対策を教えてくれ
あたし、普段とってもいい人なの。
悪口なんて滅多に言わないわ。
(ここに吐き出すからね)
(ちょっとした誤差の文句はここに書けば、同意してくれる人がいたり、叱られたりするからおもしろい)
(同僚の愚痴は感じたら即投稿!同意が得られたらよりスッキリ!!!!)
実家の家族のドロドロも、ぜんぶここに書くの。お父さんが働かない、遺産独り占めのギャンブル狂で、心の病気っぽいみたいで最近は実家がゴミ屋敷、さらに兄弟みんな非正規雇用者で親がもらえる年金もゼロなんて、周りの幸せそうな家庭で育ったであろう人たちの誰に相談すればいいの?
あはは。
もう何ヶ月か前から、今住んでる家がどうしても片付けられなくて、片付けたいのに片付けられなくて、ナマモノのゴミはなくても、ものがぐちゃぐちゃになってることとか、実家のことでストレスがたまったら、恐ろしいほど甘いものを大量摂取してしまうこととか、ここ以外にどう吐き出せばいいの??
もうわかんない。
いつだって、明るくてステキなA子ちゃんとは私のことよ!憧れだった、愚痴も不満も言わない働く女性に、表面上はなれてるけど、ここがなかったら私はどれだけ汚い女なんだろう。
どっちにしても、本質は汚いんだけど。
あはは。
映画とかドラマの舞台挨拶で終わったら本編を見ないで次の同じ作品の舞台挨拶に行くことが悪いのか全くわからない。
とりあえずお客は金を払ってきて、しかも本編を捨ててまでまた新たに金を払いに行っているのである。
なぜ金を払って他のはしごしない(要は金をその人より払わない)人間に非難されるのか。
①運営が悪い
時々ちゃんとはしごしても問題なく間に合うようにしてくれてるところはもっと賞賛されるべき。
人間だもの同じ回など一つもない。
貴方にはなくても彼らにはかけがえのないコンテンツでかけがえのない日なのかもしれません。
1人一公演とかに制限ついてるわけじゃなく、先着ならとれたもの勝ちである。
それで取れなくて転売に手を出すとかは別な話なので置いておく。
逆にはしごが少ないとうまらないところだってあろう。(もし貴方がコンテンツが人気でそんなことないならそれは幸せなことです、よかったね、今回の話とは別の話だ。)
③メインの映画は正直いつでも見れる
溶けそうなアイスがすぐそこのテーブルにあるのにそれを眺めながら手持ちのようかんを食べるだろうか?
まあ態度でかくはしごするやつらに怒りをおぼえるのはわかるけど、一生懸命腰低くして次の会場に向かう人達はがんばってんなーって見つめててあげようぜ。
そういう人達がお金落としたおかげで続いたりしているコンテンツもあるのだから。
>ビックリマンチョコ買ってシールだけとって中身捨てる奴ってどう思った?
よくあるたとえですよね!
ビックリマンチョコの例えは正直間違っていてどっちもナマモノというところが今回のミソです。
賞味期限が切れそうなパンを複数買って耳だけ残したみたいな例えの方がまだしっくりくるかと思います。
残すのは悪くないけど本編の映画は書いてある通りいつでも見られるしその時だけ用事があるって話では。
必死にならなきゃ座席が埋まらない、必死にならなきゃ続かないコンテンツもあるんです。そういう発想に至らないのはうらやましいです。