はてなキーワード: mさんとは
多分2年くらい前だと思う。
顔はエドはるみに似ている。
そのどれも近所のローソンの前を通るので、
仕事帰りに寄ったりとかしていた。
Mさんは入った直後から仕事が非常にできる人だった。(と思った)
例えば、お弁当でパスタを買った時、普通はみんなフォークだけ入れるだろ、Mさんはスプーンも入れておきますか?と聞いてくれた。
例えば、ポイントカードを持ってないかはいつも聞かれるけど、○ポイント貯まってるから利用しますか?と聞いてくれた。
例えば、何気なくレジに置いたお菓子を見て、同じお菓子がワゴンセールになってることを教えてくれた。(賞味期限が近いとワゴンに入ってる)
別にね、たくさんいるお客さんの一人だと思ってるよ!
仕事がひどい忙しくて疲れていたのかもしれない
でも、毎日やさしく接してもらうたびに泣きそうになってた
一度レジの前で涙でそうになってずっと下向いてた。
すっごい嬉しかったんだ。
なんか商品のジュースとかを購入して差し入れですって渡そうかと思ったことがある。
いつも店内にMさんいないかなーって思ってローソンにいってる。
こういう気持ちってなんなんだろうね。
好きっていうのかな。
そういうのってきちんとした好きっていうのかな。
私はいったいどうしたいのか、どうなりたいのか
わかんなくなって書き込んだ
ちなみに、私は女です。
ところで、http貼り付けスパムが多すぎて本のurlが多いと弾かれるのかよ本末転倒だな
ツリー型ですこしずつ貼っていくしかなさそうなのでそうしてみよう。
まあなんというか、読んだ本と流れの紹介がしたかった。
知り合いのMさんからたずねられたから書き込んでみようとおもった。
https://item.rakuten.co.jp/book/13104609/ 宮おますともさん。友達から本人が進められて読んでうなずけるというので親も読んで治療の取っ掛かりになった本。男性の発達障害は小学生低学年までに診断がつくことが多いが、女性の発達障害は中学高校以降に出るものがあるという知見がひっかかった(他にはわりと気遣いできる子なのであてはまらないのではと思う部分も多かった)。このため、某大学病院の子供の精神外来での子供の頃どうでしたかアンケートした上での「発達障害じゃない診断」「ほぼ門前ばらい」は無意味だったのかもという疑いが生じて継続的な治療につながった。(それまでは高校に不適応を起こしているだけだとおもっていて、底にあるものを調べるつもりがなかった)
・このあとメンタルクリニック3軒まわる。3件目で理解のある先生とあった。診断は軽い発達障害があることを前提としたうつ病。配慮が必要なところまでいっていたので配慮をもらうため診断書を学校に提出する運びに。
https://books.rakuten.co.jp/rb/12602125/ 本屋で中身をみて選んだ絵本。診断書とともに先生とかに症状の出方や接し方を説明するときに使うとその場ですぐ読めて理解度が高い。(全部がうちの子に当てはまるわけではないが、医者からこれだといわれたんですと)
・この本と診断書のあと、保険医と学年主任が理解ある先生のところにこの病気?障害?の知識を得るために面談しにいってくれ、卒業までの無理のないルートをなんとか考えてくれた。面談費用は学校が払った。また、このへんで精神障害者福祉手帳をとったのでメンタルの通院費用と薬代は行政からの援助で無料になった。
絵本作家の寮美千子は、嫌いな男性から食事に誘われたら、その場で「あなたは嫌いです」と答えるのが女性の正しいマナーで、それを日本全国に広めたいそうです。
そんなことを言われたら食事に誘った男性は傷つき、トラウマとなって、自分が傷つくことが怖くて、他の次の女性を食事に誘うことが出来なくなるでしょう。
食事に誘えない→デートできない→恋愛できない→結婚できない→少子化が加速する→税収が減る→年金が払えない→国家存亡の危機です。
寮美千子は「相手を傷つける」「相手への思いやり」そうした概念が全く欠け落ちたサイコパスです。
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寮 美千子
▼セクハラを諭す
「おさわりはしませんでした」とか「触っちゃうぞ」という発言だけでもセクハラですよ、ということをわかってもらうために、たくさんの言葉を費やしたが、なかなかわかってもらえず、「色男の軽いジョーク」という認識しか持ってもらえないので、さらに辛抱強く言葉を費やし時間を費やした末に相手からきた謝罪はこれ。
「 (*- -)(*_ _)ペコリ」
ヘイトもセクハラも、言葉を吐く方は一瞬だが、それは間違っていると語りかける方は、大変な労力を掛けなければならない。
セクハラされた女性も、その人は通常は親切ないい人だから、つい許して「おいたな子ねえ」という扱い。いい人であるということと、セクハラは切り離して考えるべき。いい人だから許す、というのは間違っている。セクハラはセクハラで、迷惑であるときちんと抗議すべき。「女性は忍従すべき」とか「事を荒立てたくない」というのは、日本では女性の美徳とされてきたが、女性はここから脱却すべき。セクハラ親父を助長するも同然の行為だ。
男女が色っぽい会話を楽しむというのは、相当に高度で文化的なこと。「触っちゃうぞ」などという低劣で直接的な嫌がらせと同一視してはいけない。
ともかく「れんぞ」では絶対にそんなセクハラ発言をしてほしくないし、「れんぞ」で知り合った人々にも、そんなセクハラをしてほしくはない。心当りのある方は、心してほしい。
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A ぼ、ぼ、ぼ、僕ではありません。
まだレンゾには顔を出してませんし
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B セクハラや性犯罪にあった女性が勇気を持って告訴した時に、最も辛かったのは同じ女性から女の恥だと罵られてことだと語っていました。これもセクハラに違いはないと思いますが、男の側にはセクハラの意識がまったくないといっていいでしょう。これは差別する側の意識と同じだと思います。男も思いっきりセクハラを受けないと変わるのは難しいですね!😢
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寮 美千子 B さんのおっしゃる通りで、男性側にまったくセクハラの意識がないのです。「ちょっと色っぽい会話を楽しんでいる」さらに「そう言って女性を楽しませている」くらいの感覚です。普段はボランティアにも熱心でやさしい方。だから、女性もついセクハラを大目に見てしまうのだけど、その方のためにも、きっちり抗議をして「迷惑です」と言ってほしいです。
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寮 美千子 「『触っちゃうぞ』と言ってあげるくらいの方が、その女性に魅力を感じていることの表明になり、女性が喜ぶ」
このように大きな誤解をしているのだと思います。かつては、こんな考え方が日本男性の主流でしたが、それは間違い。不快な思いをする女性が多い。でも弱い立場だから、笑ってごまかすしかなかった。それが男性のセクハラ行動を助長させた。「認知の歪み」の呪いを解かなければならないと思います。
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G お互いに下ネタを言い合える仲という共通認識があれば良いのではないでしょうか?
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H それも、一方的に思い込んでいる事例が多いです!
それも、一方的に思い込んでいる事例が多いです!
G様が、その一人であると決して決めつけていません。あくまで、一般論です。
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G ここではっきりしておきたいのは、女性にも性欲はあります。
一例を挙げれば、「AV鑑賞やロマンポルノ鑑賞を趣味としている」ことを公言している女性と、そうしたAVやロマンポルノについて真面目にトークしたことがあります。
これはセクハラでもなんでもありません。
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H>G さん
でも今は、それをセクハラと捉え、怖れ傷付いている女性の話です。
あなたは、決して間違っていませんが、論点が違うのではないでしょうか。
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G>H さん
「 お互いに下ネタを言い合える仲という共通認識があれば良いのではないでしょうか?
この話の要点は「セクハラ問題の根源は相互理解の欠如」であり、「相互理解の欠如した男性がセクハラ発言や行動をとる」という意味です。
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H>G さん
お互いに下ネタを言いあっている女性から、実は、嫌だけど話しを合わしていると聞いて、断り方が、わからないと相談された経験から、コメントしました。
話しが会うと、一方的に思い込んでいる事例があると言っているだけで、
Gさんの言われている事を真っ向から否定している訳ではありません。
とは、大変感情的で話しになりませんね。
会話だけで、相手の心理状態をあなたのように的確に判断できる人ばかりではありませんよ。
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G
文章をよく理解せずに「論点が違うのではないでしょうか」と、頭ごなしに否定するのも如何なものかと思いますが。
私が「下ネタOKと思っている勘違い男」みたいな思わせぶりなことを捨て台詞にしてブロックして逃げる。
面と向かって同じことが出来ますか?
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M 線引きや区切りが難しいという話がありますが、難しくないです。
ハラスメントは「いやがらせ」ですから、することに対して相手が「嫌だと思うかどうか」が線です。
だから「する側」は嫌かどうかを確認することが必要だし、「される側」は嫌かどうかを言うことが必要。...もっと見る
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G 好きな女性を食事に誘う前に、「僕に食事誘われたら、あなたは嫌ですか?」と確認とりますか?
それは現実的ではありません。
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M 「僕に食事誘われたら、あなたは嫌ですか?」という誘い方でも問題ないと思うけど。
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G 逆に、それではっきりと「嫌です」と断れる女性の方が稀で、逆に精神的に追い詰める結果となると思いますが。
それで、同僚の他の男性を通じて「あの娘は他に好きな人がいる」と耳打ちしてもらうとか。(実際に好きな人がいなくても)
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M はっきり言ってもわからないやつがいるんだから、ましていわなければ理解しないし減らないよ、というのが、ここで寮さんもぼくも言っていることなので。
角がたつ場合にどうするかということはまた別の話。
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G 会ったこともないのに、敵愾心を剥き出しにしてくる男の人がいて怖いのでブロックしました。
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寮 美千子 Mさんは理性的・論理的に語っているだけで、敵愾心はなく、パワハラないと思います。議論して論理的な意見を述べているだけです。
・セクハラと相手が感じたら、セクハラなので、その行動をやめるべき
今回はこのケースではなく
ということに当てはまると考えます。日本人は論理的な議論をすぐに喧嘩とか自分への批難と受け取りがちですが、そうではないことは多々あります。これが、日本人を議論ベタにしている一因かもしれません。
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G 本人がその気がなくても、こちらが恐怖を感じたら、それはパワハラです。
寮美千子先生やKさんとは、色々と意見の食い違いを討論することがたまにありますが、Mさんのように「俺様は絶対に正しい。貴様を矯正してやる」という感じではありません。
私はMさんの威圧的な態度に、過去に某会社で受けたパワハラのトラウマを想起させる恐怖を感じました。
パワハラやセクハラは、受けた側がどう感じるかであり、受けた当人ではない寮美千子先生が、パワハラかそうでないかの判断をすることは出来ません。
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Gここで私が我慢して何も言わずに、皆が「そうだ、そうだ、Gさんは間違っている。寮さんとMさんは正しい」と言い出したら、それが会社や学校の一般的なパワハラの構図です。
私はいまパワハラを受けていた時のように自殺したい気持ちがフツフツと沸き上がり、それくらい精神的に追い詰められています。
なぜ、私がこういうことを書いているのかというと、このようにして人は追い詰められるということを知って欲しいからです。
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寮 美千子 自殺したくなるとは、ただごとではありません。Gさんはよほどつらい思いをなさってきたんだな、と感じました。それがトラウマになって、自分の意見を「違う」と断定口調で言われただけで、強いショックを受けてしまうのでしょう。
「論点が違う」と言った方も、Mさんも、Gさんを断罪しようとか侮辱しようという気はまるでないと思います。はっきりと意見表明をしただけです。トラウマのあるGさんには、キツい言い方に感じられたかもしれません。わたしは、論理をはっきりさせるためには、論点を整理をすることも、違うと思うことを婉曲表現せずに「違います」と言うことも、必要だと思っています。
前段に、例えば「食事に誘われて迷惑だ」と思っている人が、場を荒立てないために「あなたとはデートしたくありません」とはっきりいわず、婉曲に「今日は用事が」と断るのは、かえって混乱を招く、という話になりました。それと同じで、相手を傷つけないことに重点を置いて、やんわりと婉曲表現しようとすると、通じにくいことがあります。
わたしは、Mさんは、問題点をすっきり整理してくださって、とてもよかったと思っていました。むしろ、Gさんの方が、最初にわたしが書いた問題(はっきり言っても理解しようとしないセクハラ男性)と論点の違う話を絡ませて、問題を複雑化させているように感じました。
一つの話題から広がるのはいいのですが、それで話がごちゃごちゃうになるのは、困ります。
そして、このようにゴチャゴチャした問題をはっきりさせてくださったMさんに「敵愾心を剥き出し」とか、論点が違うと指摘してくれたMさんに「頭ごなしに否定」「日本語は通じていますか?」とか、失礼なのはGさんの方だと感じずにはいられません。挙げ句に「ぼくは被害者」「自殺したくなった」と言われては、戸惑わずにはいられません。
「本人がその気がなくても、こちらが恐怖を感じたら、それはパワハラです。」というのも、論理破綻しています。「本人がその気がなくても」というのは、実に幅広い。恋人でもない相手に「触っちゃうぞ」とか「おさわりしませんでした」という件の男性も、本人にはセクハラの自覚はありませんがセクハラです。一方、「今日は用事があって」と曖昧に断られた人が「今日こそは」と思って女性を食事に誘うのは、セクハラではありませんが、誘われた側が「セクハラ」「ストーカー」と思うこともあります。後者は明らかに過剰反応です。
今回のGさんの「こちらが恐怖を感じたら、それはパワハラ」はまさに過剰反応だと思います。そして、それは過去のトラウマから来ているのでしょう。
そう思ってGさんの投稿を読めば、わたしの「セクハラを諭す」という投稿により、まるで自分が責められているように感じ、セックスの話はしても自分は無実だと大きな声で言いたがっているように感じられました。しかし、それは完全に「論点が違う」のです。だれもGさんのことを責めていないし、問題は「言ってもわからない、理解しようとしない男性にどう対処すべきか」の話なのです。
そのようにトラウマに振り回されていたら、Gさんはとても生きづらいでしょう。トラウマが、過剰反応を起こし、被害者意識を増長し、みんなに責められていると感じ、自殺まで思い詰めてしまうからです。
Facebookは「友だちの家」のようなところです。いろんな友人が来ます。わたしは、歯に衣着せず、論理的に語る友人たちが好きだし、大切にしたいと思います。婉曲表現ばかりで、肝心なことを言わない日本の風土で、そのような友人がいることが、わたしにとっての救いだからです。「理屈が通じるんだ」と感じることで、ほっとするし、スキッとします。
しかし、Gさんが、そんなはっきりした発言で、そこまで傷ついてしまうのだとしたら、こんな場所には近寄らない方がいいと思います。危険すぎます。もっと、ご自分が楽に会話できる仲間や場所を見つけられた方がいいと思います。Gさんのお心が癒やされ、静まりますように。
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G 全く話が通じておられないのですが。
私がしているのは、セクハラの一般論であり、寮美千子先生がしているのは、特定の個人のセクハラの話です。
「そう思ってGさんの投稿を読めば、わたしの「セクハラを諭す」という投稿により、まるで自分が責められているように感じ、セックスの話はしても自分は無実だと大きな声で言いたがっているように感じられました。」
声を大にして言いたいのですが、「そんなことは微塵も思っていないし、考えていません!」
自分の思い込みで相手の頭の中を推し量ろうとするのは止めて下さい。
「 お互いに下ネタを言い合える仲という共通認識があれば良いのではないでしょうか?
「セクハラを止めない人」は「相互理解が欠如している」、これのどこが論理破綻しているのでしょうか?
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G>M 「僕に食事誘われたら、あなたは嫌ですか?」という誘い方でも問題ないと思うけど。
G 逆に、それではっきりと「嫌です」と断れる女性の方が稀で、逆に精神的に追い詰める結果となると思いますが。
それで、同僚の他の男性を通じて「あの娘は他に好きな人がいる」と耳打ちしてもらうとか。(実際に好きな人がいなくても)
M はっきり言ってもわからないやつがいるんだから、ましていわなければ理解しないし減らないよ、というのが、ここで寮さんもぼくも言っていることなので。
角がたつ場合にどうするかということはまた別の話。
これ、別の話でも何でもないですよね。
現実に「角が立つ行動をとれる女性は現実に存在しない」訳ですから。
論理破綻といえば、現実に不可能なことを強要しているMさんの方ですよ。
「嫌なことを嫌」とはっきり言えないから、セクハラやパワハラの問題が起きる訳で、「嫌だと言えばいい」というのは全く現実的な解決法ではありません。
また逆に、私が「Mさんは「俺様は絶対に正しい。貴様を矯正してやる」と言うのは嫌だ」と、歯に衣着せずはっきり言ったところ、
「歯に衣着せず、論理的に語る友人たちが好きだし、大切にしたいと思います。」と言う。
それは私です。「歯に衣着せず、論理的に語る」それは私です。
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G 私は2011年から「日本人は論理的に議論をするのが下手だ」と言ってきました。
なぜ、その私が「論理的に議論をするのが下手な日本人」扱いされているのか、意味がわかりません。
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これ、別の話でも何でもないですよね。
現実に男性から食事に誘われた時に「あなたのことは嫌いです」とその場ではっきり断るような「角が立つ行動をとれる女性は現実に存在しない」訳ですから。
論理破綻といえば、現実に不可能なことを強要しているMさんの方ですよ。
「嫌なことを嫌」とはっきり言えないから、セクハラやパワハラの問題が起きる訳で、「嫌だと言えばいい」というのは全く現実的な解決法ではありません。
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これ間違っていますか?
間違っているのであれば、どう間違っているのか指摘して下さい。
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寮 美千子 お引き取りくださいと言った後で書かれたので、ブロックします。
でもその前に一つだけ。「角が立つ行動をとれる女性は現実に存在しない」というGさんの認識は完全に間違っています。少数ですが、います。それが少数派でなくなるように、わたしは呼びかけているのです。最初から、以下のように。
「セクハラはセクハラで、迷惑であるときちんと抗議すべき。「女性は忍従すべき」とか「事を荒立てたくない」というのは、日本では女性の美徳とされてきたが、女性はここから脱却すべき。セクハラ親父を助長するも同然の行為だ。」と。
それを「他に好きな人がいる」と友人から耳打ちさせるなどの行為は、卑怯であり、物事をややこしくするだけで、わたしはまったく賛同できません。
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G いくら呼びかけても、少数派でなくなることは未来永劫無理ですよ。
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寮 美千子 奴隷解放も、女性の参政権も、昔は未来永劫無理だと思われていました。地動説もね。さようなら。
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引用おわり
普段はきれいごとを口にしても、一皮むけば平気で他人を罵倒する醜悪な寮美千子の正体。
自分のイエスマンとシンパにだけ囲まれ「先生、先生」とチヤホヤされて、少しでも意見が異なると逆ギレして、自分を中心に世界が回っていると思っている。
あーやっちゃった。
Oさんが何も弁明しなくてもいいお膳立てをしちゃったね。
「本当に付き合うか考えていた」とあなた以外に説明すれば通ってしまうし、
戸惑った様子が、ヤリ捨て目的ではない可能性もでてきてしまった。
こんな後始末までお膳立てしてくれるなんて、あんた本当に便利な女だわー
mememememiti 自分に擁護が付くように書くわけないやん。好きな人やねんからお膳立てして当たり前。ヤリ捨てされたとはブログに書いてない。コメントに書かれてるだけ。ちゃんと読めや。
おや?Mさんの話をしていただけだったんだけど、そっかそっか。ほうほうほう。
「友達の話~」で切り出される話は自分の話みたいなものかにゃ?
とりあえずヤリ捨ては訂正しましょう。ごめんね。
Oさん以外の人が怖くて近寄れなくなっちゃうね。
私とおじさんの下世話なセックスの話、聞いて下さい。
世の中の男女の会話において、大体が心の中でツッコミ入れてると思うので、ツッコミ付きで書きます。
ニャンちゅう似のとっても優しくしてくれるそのおじさんに一目惚れしました。
(以下、私をM、彼をOと書きます)
その後たまにツイッターのDMでやりとりしたり、お気に入りに入れあいっこ(私はほぼ入れてないですが)していました。
9月に関西に来たというDMを頂きました。
後日、
「そういえば11月に関西に行くけど。」
『お会いしたいです!』
「じゃあ飯でもどうよ?」
何かおじさん随分上からやな…まあえっか。会いたいし!わーい!
まあ友達になってくれるって事やろー。わーい!
11月某日、難波。
「おお、気が利くね。ありがとう。」
『これがひっかけ橋です。』
『は?されへんし!』
私の好きなお店で食事。
「いいお店だね。一人だったらこんな場所来れないもんね。ありがとう。」
『こちらこそ会ってくれてありがとうございます(>w<)』
「…かわいいね」
『え?可愛くないです!』
「かわいいよ」
『可愛くないってば!あ、せや、でもこの前のオフ会で、可愛いって言われたらありがとうって言えって叱られたんやった!』
『ありがとう…』
「そうそう、偉い偉い」
頭撫でんなや…。
ぺっちゃぺっちゃ触ってくんなや…。
『変な事したら晒しあげますよ!!!!!てかこれ、この会うてるのん、オフレコですよね?』
「いや、別に…?」
よくよく聞くと、彼女とは8月頃に別れたとの事でした。
「そっか、知らなかったんだ。そっかそうだよね…。彼女居ると思ってたんだ。それは心外だな。俺は浮気とかそういう事はしないよ。いない時は遊ぶけどね。」
この人、だから可愛い連発してんの?しつこいくらい可愛いって言われるねんけど…。まじで可愛いとか言われるのんサブイボ立つから辞めて欲しいねんけど…。
なんかナンパ師みたいで気持ち悪い…。
その後いい気分になってきたのか、私の手をマッサージしてくれたり、ぺっちゃぺっちゃ触ってきて、
『…ありがとうございます。てかさっきから見すぎ。』
『見すぎやから!向こう見て!こっち見すぎ!』
雑談の合間、これが繰り返されるのでした。
「俺の手は神の手って呼ばれてるんだよ。」
『え?はぁ…』
何でキャバクラでのおやじ自慢あるあるみたいな事を言うとるんやこの人は?????
Oさんの事めっちゃ好きやけど、何か地雷の予感がする…。でも好き…。
「奢りね。」
『ありがとうございます!!ごちそうさまです!!』
お店を出て駅まで歩いてると、いきなりクルっと回されて、ハグされました。
めっちゃ見つめてくるOさんにキュンキュンして、私から、ブチューン(>w<)
ブチューンしてしまったので、オチュンチュンがおっきしてしまったようでした…。
そこから手を繋いで駅まで行きました。
『Oさん好き(>w<)』
「俺も好き。」
これって付き合えるって事?????
「もっと一緒に話したいな~」
『ええですけど…』
「俺の泊まってるホテル行こうよ」
『え!?!?…ええですけど、一人で泊まってたら普通入れないでしょ。』
「そうだけど、やってみよう」
見事に入れませんでした。
『どないするんですか?』
「もっと2人で話したいな」
「そういうのじゃなくて、もっと2人で話したいな」
『え?ほなどこ行きたいんよ?はっきり言うて下さい。』
「…いちゃいちゃしたい」
ほらね~☆
『いや、てかうち、え…どないしよう…うち彼女いてはると思てたから、そういう準備とかいっこもしてへんねんけど…』
「あはは~そうだよね~。…いちゃいちゃしたいな。」
『え?まじで?え?まじで?え?え?え?・・・・・・・分かりました。そういうところは、この駅とこの駅とこの駅にあります。どの駅がええですか?』
「じゃあこの駅で。」
『はい』
あーあ。最悪や。
てか好きって言うてくれたから一応付き合ってくれるって事みたいやし?てかすぐヤルとかどうなん?うちのルールに反するんやけど…。
ホテル到着。
なんやねんこの人…これ完全に地雷踏んだんちゃうか…?????
3,4時間の行為やピロートーク、腕枕で就寝等を経て、朝になりました。
『付き合えるの?』
出出出~~~~~~
せやんね~~~~~~
「え!?・・・・・いや、こういう事する気ならホテルの一人部屋はとらないよ。」
間!
間を作るな!
「気持ちよかったでしょ?」
『え!?あ、うん…』
「口説かれちゃったね~」
はあああああああああああああああああああああああああん!?!?!?!?
どつきまわすぞこのおっさん!!!!!!!!!!!!!!!!!
可愛いって連発したから落ちたと思とるんかいや!ちゃうわぼけ!どんだけ頭わいとんねんゴルァ!!!!!!!!!!!!!
会った時から好きなだけやから!!!!!!!!!!!!!!!!!!
『え…うち…ビッチかな…。』
「ビッチじゃないよ!ビッチはもっと何かこう…「Oさぁ~んいちゃいちゃしましょうよぉ~~~~~」ってすりついてくるような女でしょ。」
『何やそれ』
「適当だけど。じゃ。」
あまりの腹立たしさに、このいきさつをかなりオブラートに包んで自分のブログに投稿してしまいました。
それを読んだOさんから、
「本当に付き合うかどうか結構悩んでたのでビックリした。とりあえず妄想ネタでしたと書いて。」
という怒りのメール?が来ました。
「ごめん、冷静になって考えたら、遊ばれて振られたと思っても仕方が無いよね。
あんな、それ先に言うたら付き合われへんって察して帰るの分かってたから、後から言うとんねやろ?あほか。
「(セックスの)相性悪くて付き合ったら悲しいなというのも。もっとご飯食べたり遊んだりしてもっと気が合うのがわかったり~省略~」
そうですか。何回かセックスしてご飯食べたり遊んだりしてから付き合うかどうかを決めるタイプなんですね。
私にとってそれはセフレ→恋人になるって事で、そんな可能性の低い事するタイプやない!!!!!!!
セフレにする気やったんか、もう会う気無いからこれ言うたんかしらんけど、言い訳すんなよおっさん!!!!!!!!!!!!
そもそも、
私が食事に行った事、
そこで「オフレコやなくてもいい」って言うた事を忘れるほどスイッチが入ったっぽい事。
どれを取っても私が悪いです。
本当に申し訳ございませんでした。
長文、ご清聴おちゅーんかれ様でした。
「こういうのも『人権軽視』の一種なのだろうな」(http://anond.hatelabo.jp/20141009224728)を書いた増田だが、参加者が増えたことによってますます流れが分かりにくくなってしまったな。
これは俺がうまく整理できなかったせいでもあるので、申し訳なく思っている。
もちろんギャラリーに対して、な。トラバ削除とトラバツリー汚しを繰り返して自らの醜態を隠蔽することしか頭にない相手方(http://anond.hatelabo.jp/20141010222658)に対しては軽蔑の感情しかない。
ちょっと考えてみたが、俺はこの記事で互いの主張の流れを要約・評価したうえで改めて出典を示し、以後はこの件に関して記事を書かないことにしようかと思う。
ただし、流れの追いやすさを維持したまま相手方の醜態を周知する方法が見つかれば新たに記事を書くかもしれない(良い方法があれば教えてほしい)。
その場合は、この記事に追記をする(つまり○○(新たな記事)を書いたのは俺である、とこの記事に追記する)方法で自分が新たに書いたものであることを示そうと思う。
1
俺が、前段で「表現の自由についてろくに知りもしない癖に偉そうに語っている(ように見える)連中を放置すべきではないのではないか」という趣旨を述べ、後段で「関係ないが」と断ったうえで、「人権も無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制約を受けるということを知らない人も多いのだということをここ数年で気づかされた」という趣旨を述べた。
2
これに対して、相手方から「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」という趣旨のトラバがついた。
3
俺からの反論として、「俺は公共の福祉によれば簡単に人権を制約できるなどと考えているわけではない(実際最初の記事にそのようなことは一言も書いていない)ので、トラバは的外れである」ことを指摘するとともに、「人権を十把一絡げにして各権利の性質を考えることなく『制限は極めて厳格でなければならない』などと述べるのは人権論をまともに理解していないのではないか」という趣旨を述べた。
ここで少し補足しておくと、「表現の自由」は人権の中でも優越的な地位を占めるとされ、これに対する制約の合憲性を判断する際には厳格な基準によらねばならないとされる。このような理解が前提にあるので、人権一般について、「公共の福祉による制限は極めて厳格でなければならない」などと表現することは、法学をやっている者にとって非常に違和感がある。
4
相手方から「人権制約のうち表現の自由に関するものが争点なのにも関わらず人権制約と大きい枠組みに逸らしている」という趣旨のトラバがついた。
この時点で「3」のうち俺の「的外れである」との指摘については無視されているように思われる。
5
俺からの反論として、第一に「人権制約の話をするにあたっては予め『関係ない』と断っている」、第二に「『公共の福祉による制約を受けるということを知らない人も多い』という結論を導き出した根拠として、表現の自由に関連する最初の記事前段の2つのリンク先に限定せず、『それから数年、俺がネット上のいたる所で目撃してきた人権をめぐる議論の醜状』を挙げている」ことから、後段の人権制約に関する話の争点は「表現の自由」ではない(人権一般である)という趣旨を述べた。
6
相手方から、第一に「人権論が学問的営為であることの周知をすべきであることと公共の福祉によって人権が制約されうることの周知がなされていないこととは関係がある」、第二に「表現の自由に対する制約も人権制約であるから関係がある」という趣旨の「反論」がなされた。
このような流れをふまえれば、「6」が反論になっていないことは明らかだろう。
相手方は「4」で、「人権制約のうち表現の自由に関するものが争点」なのに「人権制約と大きい枠組みに逸らしている」と述べている。
これはつまり、一般的な人権制約ではなく、「表現の自由」が争点である旨を述べるものだ。
そして、これに対する反論として、俺は「5」を述べたものである。
http://togetter.com/li/729640
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/729640
どうしようもないな。
いつものことながら、こうも訳知り顔で「表現の自由」について語れる面の皮の厚さにはおそれいる。
おそらく、人権論が体系化された「学問」であるという意識がないんだろうな。
「人権」はさまざまに分類され、それぞれについていかなる範囲で保護されるべきか、ということが慎重に議論されている(大雑把な言い方だが)。
そうした事実を知らず、あるいは軽く考える人々を放置することは、「人権」を薄っぺらい理想論と捉え(議論の厚みを知らないだけなのに!)容易く切り捨てる風潮を蔓延らせることにつながるのではないか。
そうだとすれば、これも一種の「人権軽視」というべきだろう。
人権論の権威を高めるとは言わないまでも、学問的な営為であることを周知するためのなんらかの手当てが必要だと思う。
関係ないが、昔ある人と「公共の福祉」について話したことを思い出した。
そのとき俺は、「人権も無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制約を受けるなどというのは誰でも知っている常識であって、皆それをふまえて議論している」という趣旨のことを述べ、相手は「いや、そのことを分かっていない人も結構多い」と応じたように記憶している。
それから数年、俺がネット上のいたる所で目撃してきた人権をめぐる議論の醜状は、相手が正しかったことを明らかに示していると言わざるを得ない。
Mさん、俺が間違ってました。
後段(「関係ないが」以降)だけを読めば、これはどう読んでも人権一般に対する制約の話であって、「表現の自由」に限定した話とは読めない。
しかし、前段と関連させて読んだ場合、後段についても「表現の自由」に限定した話と読む余地が出てくる(その場合相手方が「2」で「極めて厳格」との表現を用いたことは、不自然とは言えない)。
そこで、「そういう読み方はしないでくださいね。前段と後段はまったく別の話であって後段は人権一般に対する制約について言及したものですよ」と注意喚起するために(も)、俺は「関係ないが」と断っているのである。
したがって、相手方が「表現の自由に対する制約も人権制約の一種である」などと主張することには意味がない。相手方は、人権一般ではなく表現の自由が争点だと述べているのだから。
相手方が主張すべきは、後段のみでも表現の自由に限定した話と読めることなのである。
本件に関して意味ある主張のやりとりはこの程度であって、後は相手方が勝手に、
なお、俺がこの件に関して書いたのは、本記事及び出典中の奇数番号の記事のみである。
今後新たに記事を書くことがあれば、適宜追記していく。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/729640
どうしようもないな。
いつものことながら、こうも訳知り顔で「表現の自由」について語れる面の皮の厚さにはおそれいる。
おそらく、人権論が体系化された「学問」であるという意識がないんだろうな。
「人権」はさまざまに分類され、それぞれについていかなる範囲で保護されるべきか、ということが慎重に議論されている(大雑把な言い方だが)。
そうした事実を知らず、あるいは軽く考える人々を放置することは、「人権」を薄っぺらい理想論と捉え(議論の厚みを知らないだけなのに!)容易く切り捨てる風潮を蔓延らせることにつながるのではないか。
そうだとすれば、これも一種の「人権軽視」というべきだろう。
人権論の権威を高めるとは言わないまでも、学問的な営為であることを周知するためのなんらかの手当てが必要だと思う。
関係ないが、昔ある人と「公共の福祉」について話したことを思い出した。
そのとき俺は、「人権も無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による制約を受けるなどというのは誰でも知っている常識であって、皆それをふまえて議論している」という趣旨のことを述べ、相手は「いや、そのことを分かっていない人も結構多い」と応じたように記憶している。
それから数年、俺がネット上のいたる所で目撃してきた人権をめぐる議論の醜状は、相手が正しかったことを明らかに示していると言わざるを得ない。
Mさん、俺が間違ってました。
両親と夕食を囲んでいて、隣のお宅の話題になった。
そのときの話を書こうと思う。
いつの間にか沖縄の梅雨が明けたというけれど、私の住む西日本の県はこのところめちゃめちゃ渇いている。
梅雨だというのに2週間も降らない。
庭の木を見れば、ただでさえ薄い葉の端々が、潤いが足りないと言わんばかりに茶色くなってしまった。近所の山の松なんかも、もともと生育が良くないのに加えてますます立ち枯れてきた。
やっと降ったと思った翌日にはもう、忘れたかのようにカンカン照りだ。
もー、夏ってことでいいですかね?
西日もあんまり強いしで、父に頼んで、「すだれ」を買ってきてもらった。
窓に吊るして日差しを遮るアレだ。父の部屋も二階でめちゃめちゃ暑いので、自分の所にも付けたという。
それで午前中に作業をしていたら、隣家のMさん(主婦)がその様子を見かけ、父に声を掛けてきたそうだ。
「うちにも付けられたらなぁー」
父は「すだれを付ける作業は難しいことじゃないし、忙しいのかいな」くらいに思って、軽く受け流したそうなのだが、話を聞いた母が、食卓のかつおのたたきをつつきながら言った。
「あの家はどうにもならんじゃろうねー」
そういえば今日、父が私の部屋の窓を開けてホイホイと引っ掛けていたのを思い出す。
うちの家は祖父が建てた日本家屋だが、土木屋をやっていた祖父がかなり手を掛けて基礎から作り、家屋はこだわりの材木・土なんかで出来ている。
床が桜の木で出来ていて、塗りの知識がなかった祖父はリビングをペンキ塗りしてしまい、大失敗したのだけど、キッチンの床は色は塗らずにニスみたいなつや仕上げがうまく出来ていて、素足が気持ち良い。
建って35年経つが、水場の壁に几帳面に埋め込まれた四角いタイルは、一枚もひび割れずに整然と壁を飾っている。
風呂などは当初ソーラーパネルで沸かせるように作ったが、作って10年くらいでパネルが壊れてしまい、今は灯油のタンクを入れて、ボイラーで沸かしている。
屋根瓦はときどき割れるが、日本瓦なので、吹きつけなどのメンテナンスをしなくて良い。割れたら、予備と交換するだけだ。
細かいところをいろいろ言えば不便もあるが、なにせ神経質な祖父がすみずみまで目を光らせて作った家なので、やっぱり良くできている気がする。
祖父が死んでから、わたし達家族は祖母の一人住むこの家に移り住んだ。しばらくして、庭の一部を潰して増築した。
増築した別棟はあまりお金をかけずに作ったので、母屋よりは少しグレードの低い感じに仕上がった。
具体的に何で安かったのかは、当時中学生だったのでよくわからない。
母屋に比べて、というだけで、十分にいい建物だと思っていたし、都内のマンションやアパートを数件移り住んで大人になった今も、ひどく安い建物だとは思わない。
ただし、なぜか床下が白アリに食われてメンテが必要になったこともあるし、
帰省した時にいつの間にか一階の内壁に洒落た木材が貼られていたので、北欧気分で内装を変えただけかと思っていたら、カビが生えたのだということだった。
建って4年目の夏のことだ。
このとき初めて、裸の木材が湿度を調節することを知った。靴箱に活性炭を置くのと同じ要領だ。
別棟をお願いした土建屋さんは祖父の古い知り合いなのだが、仕事は毎度きっちりやっていたと思うし、手を抜いたからトラブルが起きた、というわけでもないと思う。
ただ、白アリ対策を施したはずの木材に運悪く入り込むスキがあったのだろうし、締め切った部屋の角にカビが生えるほど、断熱材やサッシの性能が良すぎたのだろうし、風通しの問題でもある、という風に家族はその件を受け止めている。
そういえば、母屋はめちゃくちゃ窓が多い。ほとんど四方にあるか、ない面は、どことなく気が遣われていて意外と通気が良い。
一軒家は窓が多くて戸締りが大変だ、なんて言うけれど、だからといって窓を少なくしないのは、やはり理由があるということかしら。
わたしの部屋はその増築したほうの二階にある。夏は当然暑いのだが、西日の入る窓に軒(のき)があるので、そこに、どうにかしてうまいこと掛けてもらった。
父は梯子も使わずに窓の外に乗り出して、手を伸ばしてフックを掛けたりしていたので、まだ若いもんだと思った。
さて、Mさんのお宅は某有名ハウスメーカーで作られた注文住宅だ。
数年前に越してくると同時に建てられ、2人の可愛らしいおにゃのこが砂場や自転車でよく遊んでいる。
道路に面した一階に大きなリビングがあり、ときどき食器の音や、子どもの無邪気な声が聞こえてきたりする。
庭というか、地面はコンクリートでまっさらに固められており、道路に向かってゆるやかなカーブを描く駐車場になっている。
パーキングブロックも置くつもりはないようで、あまりにいさぎよい面っぷりに、竹を割ったような感じ?と住人の性格を勝手に想像してしまったりしていた。
夏は照り返しが暑そうだな、と思ったこともある。
そのリビングがとても暑いのだそうで、窓を開け放すとリビングが丸見えになってしまうこともあり、毎年毎年、何とかしたいと思いつつ、実際何もできないのだそうだ。
母が言うにはどうも、リビングの窓にはすだれをかける軒がないので、よしず(縦に立てかけるすだれのようなもの)を考えるだろうけど、よしずを立てかけると風が吹いた時などに地面のカーブで倒れる具合になってしまうし、たぶん無理だと。
グリーンカーテンを作るには、やはり上方にネットを留めるところがない。
サッシに付ける金具とかで何とかなればよし、無理なら家の内側に屏風的なものを立てるか、ブラインドを付けるか…。
物干し台みたいなセットを建てるのも、安くあがるかもしれない。
毎年のことだから、きちんとやるなら外のコンクリートに穴を開けて、柱を刺し、棒を渡すしかないのでは、といった意見に落ち着いた。
家の壁に穴をあけると不都合を招きまくるので、壁改造はやはり話題にも上がらない。
もちろん、これはぜんぶ他人の勝手な意見であって、Mさんを交えた会話ではない。
昔、システム屋に勤めていた時、会社の上司が自宅を新築するということで、確かその某ハウスメーカーに発注していて、既製のユニットを組み合わせて半注文住宅に出来るんだ、それがSIerの提案のやりかたと似ていてとても参考になるんだ、と言っていたのを思い出した。
何か出来るように機能を考慮すると、料金も持ち上がる、積み木のようなシステムだと言っていた。
これはこれでコストダウンとのバランスを取った、とても革新的なビジネスアイデアだと思う。
メタボリズムって考え方は好きだし、建築の側から考えると、とてもワクワクするものを持ってるとも思う。
ただし、閉じやすい、完成された(建築家側にだけ開けた)性格を持っているので、居住者(ふぜい)がどうにかできる隙がまったくないケースもあるということだろう。
注文住宅に比べて日本家屋がとても優れている、なんてつまらないことを言いたいわけではないけれど、ハウスメーカーの提案するユニット式は、気を遣って作らなければいけないんだな、みたいなことを思った。
問題なのは、要件がないことだ。
もう 3 回も来ているうちの 1 回は、友達を 5 人くらい連れてきて、2 時間くらいだべって帰っていった。
ほんとうに相談とか、授業で分からないところがあった、とかなら、喜んでいろいろ話せるのだけど、友達とだべりにきている学生にどう対処していいのかまるでわからない。
メインで慕ってくれている (?) その男子学生はH君というのだが、H君はいろいろ不満があって、それをぶちまけたいような雰囲気を感じる。
要はクラスになじめていない?
(あとアニメの話も俺としたいらしい)
でも内容はしょうもなくて、クラスの女子にもてたいけど、あまり人気を得られていない、というのが彼の不満の原因のようで、「女子ってなんなんですか」みたいなことをひたすら言ってくる。
「クラスの女子全員に LINE でブロックされてるんですよー」
「クラスのMさんが好きなんですけどMさんにもブロックされてるんです」
「でも俺Mさんのこと諦められないんすよ!」
「でも俺Mさんのこと諦められないんすよ!」
うあーまじ支離滅裂だ。
きのうは、1 限にした僕の授業が難しかった (?) らしく、夕方に女子学生が 4 人ほど質問に来ることになっていた。
女子学生たちがくる少し前に、なぜかH君も部屋に来ていた。
女子学生は 4 人きた。
そのなかにMさんもいた。
Mさんは僕の居室まで来て、中にH君がいるのを見るや、部屋に入らず帰っていった。
結局、授業内容について教えたのは、残りの 3 名の女子学生に対してだった。
うあーまじで嫌われているようだ。
これどうなんだろう。
H君はちょっと問題おこしてるの?
いろいろ心配になるが、俺が首をつっこむ問題かどうかもよくわからない。
帰りしなに「俺勉強頑張って女子たちを見返します」のようなことを言ってはいたけど、女子学生に教えている間一切一緒に説明を聞こうとはしていなかったH君…
まあ、がんばってくれ。
日本でも食べるというか、食べた時の記録を残す。
美術系の大学に進んだものの、純粋に物作りに打ち込めなくって、
沖縄県の某離島へいって、民宿バイトしながらのんびりすごしておりました。
小さな部屋をあてがわれ快適な日々でした。
そんなこんなで、夏休みが終わろうかとしていた
多分今ぐらいの時に、観光客を野良犬が襲ったらしいという話が出ました。
どこか他人事のようなそれでいて我が事のような変な気がしたことを覚えています。
お昼を食べ終わった頃、その民宿でお世話になっていたKさん(40代男性)に誘われました。
「おま、犬狩りにいくさヨ。」
ついていくと、村の集会場のようなところに、けっこうな男性があつまって、
手に手に木製の杖(お遍路さんがもっているような奴)を持っていました。
聞くところによると、犬は山の神の使者なので、
これでしとめるということでした。
寄ってくるのを待つだけという沖縄らしい、
のんびりした方法で捕まえようとしていました。
そして、村の中で犬名人と呼ばれるおじいが、
「あおぅうううん、おんんん、おん、おん」と
何故か四つんばいになって鳴き始めると、
へーと思ってみていると、
「おまが捕まえるん、何しとんのさー」
と犬捕まえ係を仰せつかり、例の棒を渡され超びびってました。
うわっうわっと焦りつつ、捕まえるのどうやって?
とか思っていたら、Kさんが少し近づいた犬を棒でどつき気絶させました。
まさに一撃でした。
「おま、くくんの手伝えヨ」とロープとブロックを渡されました。
で、いわれるがままに、犬の四肢をしばりブロックを結びつけると
「ほら、ほうりこむのさー」と
僕は小さい頃は昆虫を殺し方ことはあるけど、
ほ乳類を殺害したことがなかったので、
うわーうわー、まじかよーと思っていたのですが、
犬をしとめなかった気後れもあり、思い切って放り投げました。
その瞬間、犬が息を吹き返し、こちらを見てくぅんんと鳴いたよう気がしたけど、
気のせいと思うことにしていますw
なんで溺死させるのかと聞いたところ、
「山の神の使いなので、川に流すんのさー」
みたいなことを言われました。
で、川にしずんだ犬をどうするのかなーと思っていたら、
そしてすぐに肉になり、集まったみんなで分けました。
まさか食べると思っていなかったので、
驚いたのを覚えています。
その晩が犬汁でした。
犬食べると精がつくといわれたので、
マスをどれだけかけるかと思い3発くらい抜いたような気がします・・・・・・。
そして、翌日。
台所に泥棒猫が現れ魚を盗んでいきました。
猫も食べるのですか?って聞いたら、
とのことでした。