はてなキーワード: 邦画とは
五輪の開会式でゲームのBGMが大々的に使用されていて好評を博していた。
世界中の選手が入場し、天皇陛下や総理なども列席するイベントの音楽にゲームBGMが採用され、アナウンサーは「日本が世界に誇るゲーム音楽」という感じで紹介していたようだ。
これ自体は文句なく素晴らしいことだし、開会式も思っていたより遙かにまともだった(事前のゴタゴタで期待値が低すぎたせいもあるが)。
しかしながら、末席ながらゲーム業界で働いている者の実感としては、なんというか違う世界を見ているような気分になったのも事実だった。
というのも、私の実感ではいつゲームが国家の一大イベントの音楽に採用され、「日本の誇り」と当たり前のように語られるようになったのか解らないからである。
思えばリオ五輪の閉会式でも当時の安倍総理はマリオのコスプレをしていた。これもまた画期的なことで、政府が世界に通用する、知名度の高いコンテンツとして実利的な観点からゲームを選択したと言うことだ。
しかし、日本政府はそこまでゲーム産業の知名度や競争力を理解しておきながら、ほとんど国家としては何の支援もしてこなかった(そして現在も特にしていない)。
クールジャパンという題目が掲げられて20年ほど経つが、その間についぞ政府の支援を受けてゲームが作られたという話を私は知らない(これは本当に無知なだけかも知れないが)。アニメ業界にも共通する、末端のクリエーターの低賃金、長時間労働は一向に解決されていない。
マリオの生みの親、宮本茂は2019年に文化功労者に叙されるまで何の政府からの表彰もなかった。人間国宝でもおかしくないだろうに。
世間の目も一貫して冷たかったはずだ。ゲーム脳等というオカルトが蔓延ったのはさすがに一昔前だが、今でもゲームというのは教育に悪いもので、映画や文学などの「芸術」とは違う、低級なモノという偏見は拭われていない。香川県では県ぐるみでゲームの規制が進行している。
そもそもゲームがお茶の間の話題になるのはせいぜい新型ゲーム機が発表されて電気屋に行列が出来たときか、任天堂からポケモンの新作が出たときくらいである。
例えば日本のゲームがGoTY(その年に発売された全世界のゲームの中で最も優れたゲームに贈られる賞)を受賞しても、それを大きく報じるのはあくまでゲームメディアだけで、一般のメディアには触れられさえしなかった。
国産ゲームがGoTYを受賞するというのは、その競争率や産業の大きさを考えれば「邦画がアカデミー作品賞を受賞する」「日本がワールドカップで優勝する」といったインパクトに匹敵する偉業といっても大げさではないと私は思う。
しかし全くニュースにもならない。ゲームというコンテンツを楽しむ人の数は映画やサッカーに全く負けていないはずなのに。
ちなみに日本は2000年代以降でもGoTYを3度受賞している。
このようにして、日本のゲーム産業というのは国から無視され、社会から蔑視されつつ、勝手に作品を作ってきた。予算の桁が一つ違う海外産のゲームにアイデアと日本独自のテーマなどを駆使してどうにか張り合ってきた。
そうしているうちに海外では評価されるようになり、今や一部の例外的なジャンルを除けば、国産ゲームの売り上げの大半を海外での売り上げが占めるようになった。
自分の認識している日本におけるゲームの立ち位置というのはおおよそ上記のようなものだ。
だから、オリンピックの式典のようなハレの舞台に唐突に日本のゲームが登場し、「日本が世界に誇る~」みたいな紹介をされているのを見るとパラレルワールドに来たような気持ちになった。
「今まで無視してきたのに都合良く利用するな」という憤りより、戸惑いの方が大きい。
エヴァとか10年とかかけて興行収入たった100億。グッズやコラボの収入合わせても10年間の人件費賄えるのかな?監督やその他責任者はある程度貰ってるだろうから、下請けがやばいのかな。
鬼滅の刃は制作期間短そうだし監督その他責任者もそんなに偉くなさそうだからあれだけヒットすれば問題なさそうね。声優も若いから安いだろうし。グッズも死ぬほどあるし、売れるし。
いつからどこでやってるか分からないけど結構有名な俳優が出てる邦画が一番儲からなさそう。
声優と比べると俳優のコストは段違いだろうし、アニメーターよりは少ないとは思うがCGや映像担当もしっかり必要な割に興行収入全然大したことなくてオタがほぼいないからグッズもそんなに売れない。興行収入だけであの女優キャスティングした費用飛んじゃうのでは?と思うくらい流行ってない映画たくさんあるよね。
しかも今は特に撮影がストップしたり公開延期になったり。公開されない限りお金回収できないよね、マジで大変そう。
あんまり流行ってないけどキャストだけ豪華な邦画は前からずっとあるからコロナは関係ないけどな。
俺は映画業界とか普段の仕事でかすっても無いから他にもっと広告費とかいろんなアレがあるのかもしれない。ただ雑魚会社員の俺が普段関わってるプロジェクトですら、さらに雑魚を何人か雇うだけで人件費のみで半年で10億とか普通に飛んでってるから、映画というのは一体どんなプロジェクトなのかと思った。予算管理するPMOみたいな人もいるんだろうか。実に興味深い。
実写邦画って大抵クッソ照明がどんよりしてて絵が貧乏くさいか本気出すのカッコ悪いちょっと外す俺達いいよねみたいな内輪ノリがきついチャラケサブカル風だから何本かみたあともう見なくなったわ。
つーか、とくに主人公の年齢が若い作品に顕著だけど生身のガワの新鮮味を尊重すると演技力育ってない若いの起用するしかなくなる時点で作品としてクオリティ詰むんだよな。そりゃ画も演技力も両方経験積んだ別働隊の力を組み合わせて使えるアニメに奥行きで勝てるわけねーんだわ。別枠ってジブリぐらいだろ。
せめて若い役者も叩き上げを使えばいいんだけど大抵どっかの中年が俺の基準で決めたふわっとした色がついてないキラキラ感みたいなもの重視だし。上層部が自然体という名の棒演技をもてはやしてる時点で無理。
邦画って全然見ないからわからないな。完全に偏見だけど、なんかオーバーリアクションが多いイメージがある。たまに流行ってるやつは原作が漫画だし、一回ぶっ壊れた方がいいのかも。
その芸術性が評価されてないとかいうわけわからん基準で観るのをやめろよ。
権威でいいんなら、大英博物館で漫画展やってる時点で十分だろ。
ポリコレ的に批判されてるとかも人気があるからその類の人に引っかかってるだけだろ。
そんなの人気ありゃなんのジャンルでも言われるわ。考えたほうがいいとか馬鹿にしてるだけだろ。
そんなことは最早考えるまでもない。
それはすべてアニメやゲームやライトノベルを筆頭とするおたくカルチャーに付随して流行したものだ。
40歳以上のおたくカルチャーを毛嫌いしている人が多い世代には理解しがたいかもしれないがそれ以外に原因はない。
Vaporwaveもシティポップも全部海外のオタクカルチャーに興味があったり、オタクの人が広めたものだ。
Plastic Loveをyoutubeで歌ってバズっていたRainych Ranもチャンネルを見ればわかるが、Plastic Love以前からアニメのOP、EDなどのカバー曲だらけだ。
シティポップ関連の記事を見ていると明らかにその点を強調するのを避けている記事が多い(言及しても流行している原因のメインに上げる人はいない)
海外でJ-POPを聞いてる人はほぼいない。アニメ関連の楽曲を除いて。
チャンソーマンのyoutubeコメント欄は外国語だらけだし、邦画でこんなことは起こりえない。
日本の邦画はネットでごみのように罵倒されている、なろう系以下しか見られていない。
J-POPに限らないが、この日本の中年層以上にあるうっすらとしたオタク嫌悪を直さないと創作も批評も的外れなものしか出来上がらない。
不都合な現実を直視できないのであればシティポップがなぜ流行ったのかもまともに分析することはできない。
日本だのなんだの言う前にアニメすげえ、漫画すげぇ、テレビゲームすげえだろうが。
日本スゴイ論を警戒する前に自分の内面にある"日本の曲/音楽文化スゴイ論"を自省しろよ。
恋愛サーキュレーションのcoverが1億再生超えて、ただのMADが2000万再生されてる事実を直視しろよ。
Rainych RanのPlastic Loveはたったの300万再生だぜ(ちなみにRainych Ranの恋愛サーキュレーションのcoverは500万再生な)
※追記
こんだけいってもわかんね~のか。増田のツリーはひどすぎだろ。
おたくカルチャー以外のエンタメのレベルの低さの話をしてるんだ。
話そらしてそうやって慰め合ってりゃいいけどさ、一生海外で人気でねーよ。
んなことやってる限り全部おたくカルチャーにおんぶにだっこのままだぞ。
この少子化の時代、国内でしか人気ないってことがどういうことかわかってんのか。
このままアニメが海外で人気で続けたら実写邦画は出来不出来の前に金の力で全部叩き潰されるぞ。
もう、そうなりつつあるけど。
ちゃんと向き合あわないとやべーぞ。
の話の前に、俺の故郷の増田県の話から始めよう。俺が増田県を出て埼玉に一人暮らしを始めてもう干支が一回りした。今年も甲子園には私立増田清栄高校が出る。7年連続18回目。わかってる、あのクソ高校の野球部ときたら関西下りのガイジン部隊の巣窟で、クズ高校だった清栄の偏差値を上げるためのコマセでしかない(しかもちゃんと偏差値は上がったから見え透いたコマセも効くものである)。スポーツ特待生と一般生徒は校舎すら別、ありゃ、2つの高校に強引に看板を掛けてるだけだ。地の人間なんか3年に1度ぐらいアリバイのように3塁コーチに立つぐらい。それでもまあ、甲子園が始まれば俺も増田県で産湯を遣った人間である、なんだかんだで結果ぐらいは気になる・・・
同じような感覚が、俺の中で「ネット発」というやつにある。いや何、原作は初っ端だけ商業の網に運悪く引っかからなかったけれど、彼は創作エリートで、こんな場末でぶつぶつ言うぐらいしかできない俺とはくらべものにはならない。でも増田清栄の連中に感じる数倍ぐらいは「俺たちの」感がある。ならばその夢の晴れやかだか無惨だか知らない終わりを見に行かなければならない、という訳だ。
しかし、こういう状況だと作る側はしんどい。少なくとも原作からは言った連中からすれば、動画になったとはいえ結局その2時創作にならざるを得ず何をしても「解釈違い」と叩かれる可能性はある。その中であえて新キャラをぶっ混んで1エピソード(と言えばいいんですかね)を敢えて入れてきた勇気はその成否は別として褒めておきたい。入れてきたとしても、全体に通じる「足を引っ張る悪人はいない」という守るべき最低限の線はキチンと踏んでいる。某ネトラボはその点を激しく排撃していたが、もとからそういう「おかゆ」である。その点を看過してわざわざ「おかゆじゃん」というのは明らかにお前は黙ってろ案件ではあるまいか。こういうのでいいんだよこういうので。おまえは試写室で硬くて暗い映画でもメモ取りながら見てろ。
さらにいえば、追加エピソードは極めて現在的で、かつ意表の付き方はなかなかいい。そして作中ジーンの言を借りて”俺がこれが必要だと思ったから足したんだよお前がどう思ったとしても”と開き直る。下手な言い訳より余程好感できるというものだ。この追加によってこの映画はちゃんと、そして最大の眼目でもある「90分にする」という目的も達している。この映画もう一つの興味は、ちゃんと予定の尺を作れるかという点だ。その曲芸を破綻なくこなし通した、というのは十分に称賛に値しよう。
もう一つ、この追加でプラスになったのはミスティア描写だろう。原作(但し1巻のみ)では単なる後背の完璧超人であったが(初見の時いつ裏切るかと思っていた)、削られた部分を考えてもそれを超えてきた。
ただし、原作寄りの見方をすれば時系列の切り替えはあまりに映画的にしたいという欲が見えすぎる。原作的な同時並行でもよかったのではあるまいか。
一番気になったのは、編集シーン。あれ、全盛期にそれをメタに皮肉った「num1000って大体こんな感じ」というフラッシュ動画に見えてしょうがなかった。PC上のる編集シーンなんてどうしたって絵にはならないけどね。これを頂点に、随所に「あと一歩でありがちなダメ邦画」に陥る剣ガ峰に立っている感が目立つ。
もう一つは、アニメ的描写なのか「ココすごいシーン」というのを絵だけで何とかできず、記号的に処理した(のか、記号自体がありうるリアリティラインなのかが微妙ではあるが)のはあまり頂けない。原作はうまく黒澤したけどあれをアニメでやるわけにもいかなかった。
とはいえ、その致命的な一歩を誤って踏み出さなかったバランス感覚があって本当に良かった。綱渡り師はちゃんと彼のロープを渡り切った。ここらじゃしばしば綱渡りは失敗する。中にはハッパ決めすぎてロープからテメェが落ちたことにも気づかない莫迦までいるからな。
気楽に前向きハッピーに、ってのは悪くないし、その目的にほんのちょっと我意を混ぜ込んだにしては手際よく90分にまとまってる。エンドロールも含めて、こまめにくすぐるサービス精神も旺盛。郷土の出世頭を仰ぎ見るこちとらとしては、拍手喝采大団円だ。それでいいじゃないですか。こういうのでいいんだよこういうので。
まあ、佳作と言っていいんじゃないでしょうか。
たくさん知らない映画教えてくれてありがてえ、本当世界にはThank youが溢れてる多謝。
昔作業所のこと増田で書いてバズったけど、増田もはてなも親切な人ばかりで素晴らしいな
追記ここまで
好きな映画監督羅列するからおすすめの監督か作品教えて (みての通りニワカです)
竹中優介
統一感があるかわからないので 一応説明しておくと、好きな作品はゆるいやつが多い。森田芳光、荻上直子、山下敦弘など
特に洋画でゆるいやつとか全く知らないので知りたい「バグダッドカフェ」とか?
アニメも少しだけ観る、、鬱っぽいのも好き。もちろん日常系も好きだった。でも、萌え萌えみたいなのはちょっと苦手になってきた。SF好き。アニメは最近まじでみてない。直近でみて面白かったのはゆるキャン、91days、ジョーカー・ゲーム。
ポンポさんは一昨日観た。めちゃくちゃ面白かった。アニメ映画ならみれるかなって思ってる。
「(ハル)」「間宮兄弟」「僕達急行 A列車で行こう」てか森田芳光監督荻上直子監督は全部
「めがね」「かもめ食堂」「運命じゃない人」「天然コケッコー」「リアリズムの宿」「ラヂオの時間」「マジックアワー」「愛のむきだし」
「サッド・ヴァケイション」「害虫」「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」「ゆれる」「花とアリス」「南極料理人」「キサラギ」「サマータイムマシンブルース」「クヒオ大佐」「パビリオン山椒魚」「博士の愛した数式」「勝手にふるえてろ」「好きだ、」「3年目のデビュー」
ご覧の通り2000年代ばっかです。
https://anond.hatelabo.jp/20210617085455
これは本当にそうで、「Jホラーの傑作」ということになっている『リング』や『仄暗い水の底から』ですら主役の演技が酷い。
公開当時はそれらの大根芝居が散々叩かれたものだが(当時は人気映画でもきちんと悪い部分を批判する文化がまだあった)、時間が経つにつれてそこが忘れられて「これだけ低レベルの演技でもオッケー」な扱いになっていることも要因かも知れない。
松嶋菜々子が誰の目にも大根なのはもちろんのこととして、黒木瞳も宝塚?の大袈裟な演技をやるから、(日本ホラーご自慢の)「些細な怖さ」とやらがぶち壊しである。
狭い団地の一室で、一生懸命に両手を振り回してパニック演技をする彼女はシュールだ。
何より、黒木瞳とあの娘じゃ親子って年齢じゃねえだろなんなら祖母と孫の年齢差だろ、という部分も違和感が拭えず、「邦画って…本当にそっから駄目なんだよな」となるのであった。
香川照之や西島秀俊が好演していた最近の某ホラーサイコパス映画でも、観客側に最も近い立場のはずの女優が形式的な演技しか出来なくて、非常に残念な雰囲気だった。
この女優も黒木瞳式に「肘を立てて両手をパタパタさせて金切声をあげる」感情表現を繰り返すのだ。
それな、アメリカのコメディドラマですらベタなギャグなんだ。笑いになるぐらい大袈裟な芝居なんだ。
サイコパスがテーマの映画で、一般人役の女優がサイコパスよりも不自然な演技をしてたら、それはもう本当に台無しである。
話題になった『来る』も、妻夫木聡の演技がはっきり言ってゴミもいい所であった。
世間では謎に褒める声もあるが、繰り返す。あの演技はゴミである。
とにかくすべての場面で演技のレベルが低い。不自然だ。幼稚だ。表面的だ。過剰だ。明らかに周囲から浮いている。何よりマクドナルドのCMと同じクオリティの演技をホラーでしている。常識的に考えてゴミでしかない。
ネット上では柴田理恵を褒める声が多かったが、それを見る目があるならなぜ妻夫木のゴミ演技を見逃すのか意味が不明である。
『ウォーターボーイズ』ならまだ許されただろうが未だにこれで演技派扱いって、一体どんな特権を持っているのだろうか。後続でもっとイケメンでもっと演技の上手い人間なんて沢山いるのだが。
まあこの映画に関しては、内容を考えれば監督の演出でもあると思う。それにしても酷いが。
そもそもなんでこんなに役者の演技の話をするかというと、それが作品の本質に関わるからである。
Jホラーというものは、実話怪談ブームの流れで生まれたものだ。
(超大雑把な説明だが、一応これで済ませておく)
実話風なので、大袈裟なショックシーンや劇的な恐怖ではなく日常的で地味な怖さを追求することで「日本独特」と言われるホラー表現を作り出した。(できたのは90年代、割と最近)
エピソードも撮影方法も派手にせず、登場人物も何処にでもいそうな個性の薄い人間にする。
少なくとも、Jホラー制作の当事者たちは、そのような意識で作品を作っていた。
当然、演技の方も自然なものが求められるはずだし、制作者たちもそういう話を事あるごとに語っているのだが、実際はJホラーではなぜか大袈裟な大根芝居、形式的な恐怖演技、棒読みのカタイ演技で溢れかえっている。
これが本当に謎なのである。
「人間は本当に怖い時に叫んだりしない、だから登場人物に叫ばせてはいけない」とまで語っているJホラー脚本家が、ヒロインに「キャー」と叫ばせる作品をいくつも残しているのだから、根深い問題である。
しかし、当時はJホラー自体が時代の最先端、画期的過ぎて作品の本数も少ないわけで、質が内容に追いつかないのは仕方なかったのかも知れない。
未だにそれを引きずっているのは困った事なのだが。
バイリンガルの人間からすると、日本の映像作品は英語圏の国に比べてやはり演技が大袈裟、いかにも芝居っぽく感じるらしいという話を聞くので、もはや映像業界というか日本文化そのものの問題なのかも知れない。
露骨に「作り物っぽい」アメリカンエンターテインメンツから見ても作り物っぽい日本人の演技って、実は結構深刻な話ではないかと思ったりもする。
(と言いつつ『ヘレディタリー』の女優などは、内容を加味してもあからさまに演技過剰の域に達して暴走していたので、ホラーに関してはお互い様かも知れないが。
そもそもwikiでアニメ・ゲームが日本で"メインカルチャー"扱いじゃ無いのが既におかしいからな
2 千と千尋の神隠し 316.8億
3 タイタニック 262億
4 アナと雪の女王 255億
6 ハリー・ポッターと賢者の石 203億
8 ハウルの動く城 196億
9 踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ! 173.5億 ←実写邦画これだけ
10 ハリー・ポッターと秘密の部屋 173.0億
13 天気の子 141.9億
14 ラスト・サムライ 137億
15 E.T. 135億
15 ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 135億
18 アナと雪の女王2 133.7億
19 ボヘミアン・ラプソディ 131.1億
20 ジュラシック・パーク 128.5億
どうやらウマ娘の円盤の売り上げが初週のみでも歴代でトップクラス、総合売上だと下手したらエヴァを超えるようである。
なんと愚かであろうか。
もはや作品の面白さではなく話題でのみ売れるようになってしまっている。
このようなレベルの消費者に合わせた商売であるから、日本由来であったアニメでさえ中国に抜かされる未来が見えてきているのである。
こんなことを言うと「売れてるものは面白いから売れてるんだ!」という愚かなオタクが現れるが、
本当に面白いというのであればどうして愚かな君達は最初から目をつけていなかったのか。それは、君達が持ち上げまくっているそれが君達にとって実は大して面白いものではないからだ。
ウマ娘一期からアプリが出るまでのCD売り上げは悲惨なものであるし、鬼滅に関してもアニメが出る前は本誌勢の知る人ぞ知る状態であった。
ウマ娘のアプリもソシャゲとしては物珍しい程度で、ゲームのシステムに目新しいものはないのに、愚かな物知らずたちが画期的なものだと思い、話題にする。話題になったものが面白いと信ずる愚か者たちが持ち上げ、話題故に売上が出る。
もはや面白いものを作ることに意味はなく、話題になればいい時代なのだ。
このようなレベルでは永遠に商業芸術のレベルは落ちていくばかりなのだ。
売上が出ていればそれでいいという愚か者もいるだろうが、話題による売上のみを考え、ジャニーズを採用し、安易な少女漫画原作を繰り返した結果、韓国に先にアカデミー賞を取られ、馬鹿にされている邦画業界があるだろう。邦画業界はオタクも馬鹿にしているではないか。
邦画のような低レベル量産による質の悪化を避けるためにも、今一度、消費する側が自らが面白いと思えるものを掘り下げ、消費していくべきではないのだろうか。
まぁSNSが発展し、他者の感想に揺さぶられやすい現代、難しいことなのかもしれない。
論調のためにウマ娘、鬼滅を否定したが話題になる前から好きだった人間には謝罪する。
やはり話題になったものに乗っかる愚か者どもは盲信的なのでこのような意見に対し老害だなんだと罵る者達ばかりである。
私が主張したいのは売れ方が問題であるということである。話題になったから売れる。ただ話題になるのは本当に作品本来の面白さゆえなのか?アプリが話題になったからじゃないか?連日地上波で特集され持ち上げられていたからじゃないか?君達が面白いと盲信しているものは周りが持ち上げているから面白いと感じているのではないか?そこを考えてみて欲しい。
また、AKBから学べなどといっていたものがいるが、アイドルというかパフォーマーも日本人の消費者が愚かであったために隣国のBTSのような世界的に認められる高いレベルのものは日本国内では生み出されなくなってしまったではないか。同じことをアニメでも繰り返すのか?私はそこを問いたい。