はてなキーワード: 路上とは
日本において、俳優という職業は、「なる方法がない」仕事である。
これは本当にない。
演技を教える大学や専門学校は確かにあるが、そういうところに行っても映画やドラマへの出演には繋がらない。
日本で俳優として仕事をするためには、有力芸能事務所に入る必要があり、そういう事務所は自分から入れてくださいと言っても入れてくれない。
東京外大の演劇サークルに所属していた鈴木は、俳優になるために都内の芸能事務所を原付バイクで回って自分を売り込んだ。
虱潰しに都内の事務所を訪問していたところ、あるモデル事務所が、背が高いからとモデル仕事を斡旋してくれた。
たまたまそのモデル事務所がホリプロとの業務提携をすることになったので、ホリプロとの縁ができ、しかし最初は所属預かりで、出演作がヒットしてようやくホリプロ本所属となった。
一方、アメリカでは芸能事務所に入っていない人が受けられる公開オーデションがあり、そこで勝ち抜けば俳優への道が開ける。
日本のオーディションは芸能事務所に所属している人のみを対象としたものばかりで、一般の人が受けられるものはほとんどない。
ヨーロッパや韓国では、俳優養成の学校や学科があり、そこで才能を見出されれば、俳優への道につながる。
インターネットでは声優養成所を馬鹿にする人が多いが、俳優の世界に比べたら、ずいぶんと良心的だ。
確かに声優養成所を出て実際の声優になれるのはごく一握りだが、誰でも(授業料を払えば)その選抜のスタートラインに立てる。
ビートたけしがタックルで、「女優というのは目指してなるものではなく、気がついたらなっているもの」と言っていたが、それは上記の実態があるから。
ゴミ箱に生まれ変わったきっかけは、実は少々奇妙なものだった。
ある日、俺は街の路上を歩いている最中に、ふと目の前にあるゴミ箱に目が留まった。
その瞬間、何か強烈な力が俺を引っ張っていくような感覚があった。
気が付くと、俺はゴミ箱の中に入り込んでいた。
なんとも不思議な体験だったけれど、それが実際に俺の新たな姿になるきっかけとなった。
最初はゴミ箱に生まれ変わって戸惑っていたけれど、徐々にその環境に慣れていくと、ゴミ箱としてのメリットやデメリットを実感するようになった。
まず、ゴミ箱のメリットとしては、周囲の人々からの注目を浴びることなく、目立たずに存在することができることだった。
人々はゴミ箱にゴミを捨てることが主な目的であり、俺自身は目立たずに身を潜めることができた。
周囲からの臭いや騒音、時には粗暴な扱いを受けることもあった。
特にゴミ収集の日には、大量のゴミが詰まってしまい、圧迫感を感じることもあった。
また、ゴミの中には不快なものや汚れたものが含まれていることもあって、心地よい環境とは言い難かった。
ゴミ箱としての日々は、人々の捨てるものを受け入れることや、他者の存在を受け入れることの大切さを教えてくれた。
また、見えない存在として、人々の行動や価値観を観察する機会も得られた。
ゴミ箱にはさまざまな人が訪れ、ゴミを捨てるために立ち寄っていた。
その中で、ある日、素敵な女性が現れたんだ。彼女はいつも笑顔で、ゴミを丁寧に捨てる姿勢が素晴らしかった。
俺は彼女のことが気になってしまい、彼女が俺に近づくたびに心が高鳴っていた。
そして、ある日、彼女がゴミを捨てに来たとき、勇気を振り絞って声をかけた。
最初は驚いていた彼女だったけれど、俺がゴミ箱に生まれ変わった経緯や、人々の行動を観察していたことを話すと、彼女は興味津々で聞いてくれた。
ゴミ箱という特殊な立場からの視点が彼女に新鮮に映ったのかもしれない。
そこから、俺たちは会話を重ねるうちに意気投合し、次第に親しくなっていった。
彼女は俺がゴミ箱であることを受け入れてくれて、むしろその特異な体験を面白がってくれた。
時間が経つにつれて、彼女との関係は深まっていき、お互いに惹かれあっていくことになった。
そして、ついに結婚を決意した。
結婚式では、ゴミ箱の体験を通じて彼女との絆が生まれたことを誓いの言葉として述べた。
実際怖いなとは思うことはある地元民です。自転車も車も運転します。
あの記事( https://roadbike-navi.xyz/archives/40429/ と https://roadbike-navi.xyz/archives/38623/ )は駐車している車のドア開けと直前横断だけにフォーカスしてたけど、3者の視点それぞれで見て困ることがあるなと思っています。ブクマでもすでに言及されていて重複するけど、改めて書いてみます。
駐車している車に乗っている人からすると、歩道側が危険であるという認識は薄くなります。車道(ドライバー)側の扉を開ける時は注意するけど、歩道側はドアを固定物にぶつけないように注意するくらいで、あまり確認せずに開けるんじゃないでしょうか。さらに、後部座席から歩道側に降りる人は、子供も含めて運転しない方も多いはずで、猶更そちらに意識が向きません。当然、歩道側から車に向かうときも同様で、車道横断ほど注意を払わないはずです。ドアを開け放す以外にも、積み込みのためにレーンに立ったり荷物を置いたり、植栽の切れ目に移動するためにレーン内を後方確認せず歩く人もいます。
走行している車からすると、死角が増えます。駐車している車と歩道の間を、ある程度速度を持ったものが走ってくることを想定しない人も多いはず。大きい交差点なら視界が開けることである程度軽減されるものの、脇道への進入時は、歩道より一歩手前で確認する必要があります(イメージ: https://goo.gl/maps/ECFMNGUb3e31CPfr6 )。 正規の駐車枠はそれを意識してか、交差点より手前の設置にとどめているものの、その先に枠外駐車があると死角が強化されます。私有地への入口だとそこまで猶予が設けられていないケース https://goo.gl/maps/VRcCqmZy5BmZtDcS9 があったり 、安全を意図してか駐車枠が設定されていない地点にて地元町内会がレーン外駐車を呼びかける例 https://goo.gl/maps/rnxYjsQCHM6V4fzYA もあったりします。
自転車側から見ると、走行中に右前後方の視野が制限される、右方向への移動(回避行動)が制限されるということが他とは異なります。低速なら大丈夫という声が散見されますが、電動アシストのママチャリで 15km/h で走行してたら、突然のドア開けや横断への対処には急ブレーキしてもギリギリ。夜や雨だとさらに厳しい。また右後方から接近する車・前方から右折しようとしている車が見えないことがあるのはなかなか怖いです。安全に走るなら、前2項の心理を想定して警戒走行し、レーンをふさぐ駐車がある場合は車線に出るか歩道に上がるか総合的に判断することが求められることになります。
何度か通行し、このあたりの特徴と対策を把握できていると、より安全には走れると思います。逃げられるなら避難先としての歩道も比較的広いですし。通勤に使っている方のインプレがさほど悪くないこともそのあたりが理由ではないでしょうか。ただ、各利用者が傾向を把握できないうちは、ヒヤリハットや事故は起きる気がします。他の設置例と比べて、事例が多いか少ないか、事故が起きた際の深刻度がどうか、などについてはわかりません。
「自転車レーン」というものが場所ごとに異なるので、設置個所ごとに異なる対応を求められるのも悩ましいです。ここ以外のパターンを覚えているものからいくつか例示。
https://goo.gl/maps/cxq1SXkFVieCmpqZ6
https://goo.gl/maps/WZjUtdsbD1wN3smz5
https://goo.gl/maps/SDZu8pxvcXV6RJi48
https://goo.gl/maps/ouMPEo1fpnduVDWX9
自転車での通り方が初見殺しである例は、自転車レーン、または都内に限った話ではなく、数多くあります。
二重左折レーンが設置されている場合の安全な直進方法がわからないことが多いとか。安全に右折するなら下車して歩道橋を渡らないとダメだけど、車道から歩道に上がれない構造になっているとか。
世界一周旅行の途中、バングラデシュでヒッチハイクしてるカップルが危険ではないかと話題なのですが
2005 アフガニスタン 旅行中の広島の中学校教師の男女が射殺され遺体でみつかる
2011 ボリビア 旅行中の世界一周ブロガーのタビロック夫妻がアフリカで感染したマラリアを高山病と勘違いし、病院へ行かずにホテルで妻死亡、夫は病院へ搬送後死亡
2012 ルーマニア アイセックの語学ボランティアとして現地へ向かった女子大生が到着当日に殺人鬼に殺される
2013 エクアドル 新婚旅行中の夫婦がタクシー強盗にあい銃撃され夫死亡、妻負傷
(2004イラク人質事件・2004イラクジャーナリスト人質事件・2004イラク人質殺害事件・2008アフガン人質殺害事件・2015ISIL人質殺害事件・2019中村哲医師銃撃事件など)
(2001コロンビア矢崎総業副社長拉致殺害事件・2013アルジェリア人質事件など)
は旅行者が遭遇する個別の犯罪とはニュアンス違うかなあと思って入れていません。
6月1日午後7時40分ころ、三島郡島本町若山台1丁目5番付近路上において、不審者が「将棋をしにこないか。」等と1人で友達を待っていた男子中学生に声を掛ける事案が発生しました。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-1070125
https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1070/1070125/1070125_avatar_detail_1685619186413.png
単に英語力と思慮、注意力の欠落です。
Introducing ChatGPT
We’ve trained a model called ChatGPT which interacts in a conversational way. The dialogue format makes it possible for ChatGPT to answer followup questions, admit its mistakes, challenge incorrect premises, and reject inappropriate requests.
英語話者であればこれを斜め読みしただけでアトム的な質問回答機としては使わない、
ページ翻訳ではニュアンスが伝わりにくいんだよね、普段から英文で仕事してたり慣れてる人間じゃないとこの説明文で言わんとする所はピンと来ないだろう。
かつ、まともな思慮と注意力がある人間なら、GPTてなんじゃ?ってところは使う前に調べる、
グレート?ジェネレート?プロ?プレ?プロフェッショナル?プロダクト?テキスト?トランザクション?
まぁ頭の中でなんか思い浮かべながら(この段階でもブランディング誘導は始まってる、日本人にはこれが効かない)
で、横線ページをスクロールさせる、SAMPLEだのMethodsだのまぁこれ日本人の大半は読んでないんだろう。
ここまで英語話者が読んだらよもやChatGPTを検索タスクとして使おうとは思わんよ。
で、Generative Pre-trained Transformerを見つける、はいはいと
トランスフォマーだよ、車がロボットに変形したり、電柱の上にぶら下がってるやつ、アメリカだと路上だが
ともかく、変換器ねと理解し解釈して使い出すんだからそりゃ検索タスクには使わん。
で、と、増田はChatGPTを生成AIだと言うてる、世間一般でもそのように呼称されてはいるのだけど
OpenAI社のドキュメント類、ChatGPTの説明文を調べてご覧、このプロダクトを人工知能だとはどこにも書いてない。
ドキュメントコントロールの部署が検閲し注意深く表現に配慮している様子が伺える
これは重要な点で
同社の画像AIのダル(DALL·E 2)は明瞭にAIと標榜しているのと対象的
AIの国際的な規格は無い、どういう基準でAIを名乗れるか、法的なしばりは無い、冷蔵庫だってAI内蔵を名乗りたけりゃ名乗れる、技術要素の裏付けは不要
だがOpenAI社はあえてChatGPTをAIだと呼ばない。
1、AI規制の世論、方向性を見極めてからでも遅くない(ユーザーやメディアは勝手にAIとブランディングしてくれるし)
説明する、
AI法規制議論真っ只中、どっちに転ぶかわからん、最悪ガチガチ規制もありえる、できたばかりの法や規制に対してノーアクションレターは通りにくい
何れにせよ商売はやりにくくなる
関係者は頻繁に公聴会やらに呼ばれている状況、ここら温度感は日本はまたまた周回遅れなんだが
企業戦略としてChatGPTをAIと自らは名乗らないのは正解なの、AIの法的定義すらない段階で、先々AI指定を回避する一つのキーになりかねない
訴訟になったときに「え?ワイらそもそもChatGPTをAIだと言うたことはありませんが?」これが主張できる
自分から「これはグレートなAIでっせ」と標榜していたらもはや逃れられない。
ともかく、笑えるくらい慎重に彼らはChatGPTを人工知能だとは宣伝しない、生成AIではないんです。
そもそも、技術ドキュメントを読んでも古典的なAIの技術は使われてない。
所謂ニューラルネットワーク、パーセプトロン、脳機能の模倣をどのような手法や計算で再現するか
Pre-trainedの部分では使ってるが、応答エンジンの部分では実装されてない、たぶん、しらんけど
で、ChatGPTが嘘デタラメを混ぜるのは故意です、俺は確信してる
いろんなプロンプト、少しずつ字句を変えたり、応答の考察をしたんだけど、わざと信頼精度を下げてるとしか思えない。
これパラメーターの調整でいかようにもできるはずなんだが、かなり意図的に嘘捏造が混ざるようにチューニングされてる。
ようはこれもAI議論の方向性を誘導するための戦略だろう「しょせんこの程度っすよ」と
この前駅前歩いていたら「??くん!キャーー!!!」みたいなこと叫んでる女の子たちがいたのね。
10人いないかな?くらいの人数で一人の男を囲んでたから多分アイドルとか配信者とかそんな感じの男なのかなって思ってる。
女の子たちは黄色い声というかめちゃくちゃ甲高い大声で叫んでたの。何度も何度も意味のない「キャァアアアアア!」って奇声を上げてるの。
弱者男性って、過労自殺の高橋まつりさん(美人)や、仕事斡旋すると騙されて性被害に遭った伊藤詩織さん(美人)と自分を比較して弱者男性の自分は不遇だって言うよね。
せめてイケメンになってから言えよ。弱者男性が性転換してもドブス弱者女性にしかならねえよ。ドブスを守る会みたいな連中にYouTubeで晒されるだけだよ。
ドブスを守る会以降もブスを無断撮影して晒すYouTuberが炎上とか複数回あったし、路上のブス晒しは人気コンテンツなんだよ。
女体化しても不謹慎系YouTuberにドブスとして晒されてそうな悲惨な容姿レベルの弱者男性が女はイージーとかよく言うよ。
お前は女体化しても高橋まつりさんや伊藤詩織さんレベルの足元にも及びません。及ぶ人たちは男でもイケメンとして生きてる人たちです。
俺はホストやってたけど、人間的に騙しまくるのは無理だったので辞めた。
まずホストに来る女は全員病んでる。必ず病んでいる。初回というのがあって金額が安いので「物は試しに」などと言う輩もいるが、基本的に何かしら心に闇を抱えていることが多い。それを「ホストに来さえすれば解決する。こっちは客だぞ」と思っていることが多い。
色んなホストで初回ばかり来るやつは初回荒らしと言われる。こういうやつは基本わかる。まず金を持っていない。金を持っていないのにも関わらず頼み慣れている。観光のような形で来るやつらだ。こういう相手には基本的にホスト側も全力で行かない。ゴミ客のような扱いでとりあえず義務的にやる。
ホストは女の金を見ている。服装から風俗嬢か、一般人かなどを見ている。一般人で1人で来るヤツは比較的狙い目だ。普通は1人でホストになんか来るわけがないからだ。友達がいない・繋がりがないことを証明している。
ホストは、ブサイクな女の方が心置きなく騙せる。なぜかというと「お前みたいな女をまともに相手してやってるだけ感謝しやがれ。鏡見たことあるのか?」という感情が湧くからだ。だから金は等価交換だと認識する。したがって、悪いことをしているという感覚が無くなる。また、相手の性格が悪ければ悪いほどそれを感じやすくなる。良い女(良い女などホストには来ないが)に近いほど、罪悪感が湧く。
基本的にホストも全員病んでいる。まともな男はホストなどしない。ゲラゲラ笑っているように見えていても、1人で家でずーんとなっていることがある。これは結構な人たちがそうなる。平気そうにふるまっていても、自分の感情と真逆のことを言うのはストレスなのである。「好きだ」「愛してるよ」「本気だよ」とずっと言わなければいけない。「お金がたまったら辞めるよ」と、ずっと真逆のことを言わなければならない。ずっと一緒にいれば家庭環境や辛かったことなどもわかって情も湧いてくる。それを覚えてなければ客ではなくなるから正確に覚える。つらい、つらい、こんなにつらい、あなたのためにつらい思いをしてるんだよ、わたしを助けて、というサインを黙殺して、自分が生きるために女の人生を搾取する。
「俺はこんな酷いことをした」「俺なんてこんな酷いことをしたよ」というのが武勇伝のように語られる。武勇伝のようでいて、ストレスを発散している。客がクズだからだ。俺たちがこんな酷いことをするのは客がクズだからである。金はその対価だ。ありがたく思え。どうして俺が悪いと言われなければならないんだ。俺は救ってやってるんだぞ。
どれだけ言葉を取り繕っても現実は変わらない。「本当は好きじゃないんでしょ」と言う言葉に「好きだって言ってんだろ!!!」というキレ気味の言葉で返す。自分でも本当はどうなのかわからない。生活のすべては女のために尽くすためだけに存在することになる。月曜日はこいつ、火曜日はこいつ、水曜の午前はこいつ、水曜の夜はこいつ、木曜はこいつ、金曜はこいつ、土曜はこいつ、日曜はこいつ……
誰がどうなっているか覚えなければならない。間違えることはできない。絶えず監視されている。メモる。しかしメモも見られる。携帯は必ず漁られる。女はずっと自分が本当に愛されているかどうか不安なのである。女は女で「私が一番愛されてる」と言う。私が一番彼のことをわかっていると言う。誰も本当のところはそのホストをわかってはいない。ホストはただの集金マシンで、客は金蔓である。旬も短い。若さを搾取されている。生きるために仕方なくやっている。ホストは、ホスト自身が幸せになるためにやっているのだ。女を幸せにするためではない。女性不信になる。まともな恋愛をしようとしても、ホストのテクニックがちらつく。こうすればなびくというのがわかる。モテようと思えばモテるが、真にモテているわけではなく、ただ言い寄って来られ、無尽蔵の愛を要求されているだけだ。そんなものはない。
胃も壊れる。酒ばかり飲むからだ。酒は、飲まなければいけない。客が高い金を出して買った酒だ。こぼせば最悪になる。
キラキラした世界ではない。順位を上げるために売掛金とかいうのを作る。要はあとで自腹を切るということだ。ナンバーワンなどになると箔がつく。「ナンバーワン出して」という、ナンバーワンばかり狩る女がいるからだ。こういう女は金を持っていることが多い。痛客ほど金を持っている。初回なのに意味不明に酔っ払った状態で来るガキほど、意味不明に風俗で働いて精神状態がマッハになっていることがある。
俺は性病は2回なった。店に来る女だけじゃなく、自分で開拓しなければいけない。死ぬほどヤッた。ナンパしてそのまま路上でヤるとか、ナンパしてネカフェに行ってヤるとか、声掛けしていけそうだと思ったらキスするとか、そういうことを別にやっても問題ないような感覚になってくる。自分でもなぜモテていたかわからないが、とにかく俺はモテるのだという謎の自信があった。一般人になった今は誰にも言っていない。ホストをやっていたことすら伝えない。
金を多く得ている人々は、風俗に行かせることに慣れていた。風俗に行かせるのは「風俗に行ってくれ」と言うわけではない。ホストが困っているのを暗に示す。だんだん気軽に会えなくなってくるのだ。これはわざとやっている。それでもホストは必死に "時間を作って" 会いに来てくれる。ホストは「ほんとごめんね…会いたかった……」と言う。女は寂しくなる。ホストはそうやって頑張って会いに来てくれるのだから、少しならお店に行ってもいいかなと会いに行く。「来ちゃった」と言う言葉に、ホストは「ごめんね。 "ありがとう"。でも無理はしないでね」と言う。これは "無理をしろ" という意味だ。客は、店に行ってもお金を払わなければまともに相手をされない。そして別の女がシャンパンを頼む。「◯◯さんからシャンパンいただきましたー!!!」などと言われコールが始まる。そうすると担当がそちらの客のところに行く。
「あいつか。あいつが苦しめているのか…!!!!!! 私の彼を苦しめているのはあいつか!!!!!!!!!」
そして金を作らなければならないと思い始める。客は最初は風俗に行くことなど考えない。一生懸命働く。足りなくなる。貯金も底をつく。風俗ぐらいしかないと考え始める。冗談めかせてホストに言うのだ。「お店にあんまりいけないし風俗に行こうかなー……なんて」と。ホストは怒り狂う。「お金は確かに助かるけど、風俗になんていかなくていい!!!ごめんね…俺がちゃんと会いにこれれば…」と。これは "風俗に行け" という意味だ。
だんだん本当に会えなくなっていく。私の彼が、苦しめているあの女のものになっていきそうに感じる。風俗に行く。しかしひとたび風俗に行けば、もう取り返しがつかない。
「なんのために私は風俗にまで行ったのか」
あとはひたすらコンコルド効果である。金を貢げば貢ぐほど、あとに引けなくなる。誰に何を言われようが辞めることはできない。もう「辞めなよそんなホストなんて」という友人の言葉は耳に入らない。むしろ友人は敵になる。「この有象無象らは私のことを理解してはくれない。どれだけ私が苦しんでいるのかわかっていない」となる。もはや愛がほしいのではない。意地である。止められない。ホストもホストで、止められない。
ホストは客に別の客の悪口を言う。「愛してる」と言ったその次の日に「まじであのブスのせいで最悪」などと別の女に愚痴り、その女にも「愛してる」と言う。それを全員にやる。「俺は苦しめられているのだ」と思っている。事実苦しんでいる。女は「私と一緒にいるときぐらい休んでなよ」と言う。これは決して「休んでいい」という意味ではない。いい女・優しい女でありたいのだ。ホストは「いや、せっかく会えたんだから一緒にいたいよ」と言う。「休ませろ」という意味だ。こういうやり取りが限界まで続き、「私のためにこんなに無理してくれるなんて、私は本当に "愛されている" んだなあ」ということを実感する。そして携帯を確認するのだ。無尽蔵の愛を要求し、確認する。
タダで女を獲得するのは比較的容易だ。しかしお金が絡むと段違いに難しくなる。実証するには、彼女に「ほしいものがあるから5万円ちょうだい」などと要求してみればよい。相当な抵抗をされる。「なんでそんなことをしなければいけないの」「はあ?結局金目的ってこと?」というようになる。お金で買えるすべてのものがライバルになる。セックスというのは安いものだ。
こんな状態で大量に稼げるホストというのはどこか割り切っている。客の人生を抱える気でもいる。どちらかといえば嫌ってほしいのだ。ホストは辞めておけ。愛がわからなくなる。そして、クズの仕事である。
歩きスマホは事故の元だからやめましょう、とよく言うが、舐めないで欲しい。
まず幼少期に二宮金次郎に感銘を受けた俺は、歩きながら本を読みまくっていた。
さらに、ガラケーができると当然ケータイを弄りながら歩いていた。まだ「歩き携帯辞めろ」なんて誰も言ってなかった時期だ。
俺は雑魚どもとはレベルが違うので、人生において前を向いて歩いていた時よりも、下を向いて歩いていた時間の方が圧倒的に長いのだ。
だから、「歩きスマホをやめましょう」なんていう、スマホができてから、ながら歩きをしている雑魚ども向けの注意を聞く必要はないと思っていた。
事実として、俺はスマホと前方5メートルを同時に見ながら歩けるのだ。ぶつかったことなどないし、率先的に相手を避ける。
なんなら、スマホを見ながら路上に落ちている小銭を見つけることもできる。
そう思っていた。
今日、俺はいつものように歩きスマホをしていたら、電柱に激突し、歯が欠け、眼鏡を粉砕した。ついでに膝も擦りむいた。なんやねん。
本田忠勝の気持ちがわかる。戦場で歩き殺戮をしながら無傷だった彼もまた、刀を手入れしている際に傷を負い、引退を決意したという。
衰えた、ということなのだろう。