はてなキーワード: 親の金とは
貯金は多少ある。病気すれば飛ぶ程度の、心配する親戚からしたら雀の涙ほどの。
実際ニートの定義のとおり、勉強もしてないし働いてもないし訓練もなんもしてない。
親元で暮らしてるが、たぶん頑張れば親の金に手をつけないままで数年はニートできるかもしれない。
だが親が倒れればそんな金は端金だってのもわかる。
ずっとフリーター生活だったが物欲に乏しかったので少しは溜められた。
最初は1ヶ月くらい開放的な気分になったら働く気でいたんだけどね。
やっぱり性根が働くの嫌で、意外と働かなくてもそれなりに生きてられるみたいだったから。
SOHO的なノマド的なチープな生き方も試してみたが、結局やる気がおきない。
覚悟という言葉は実際のとこ相応しくはないが、ここで人生途切れても大して後悔はない。
ただ今死なれても家族親戚が困るだろうなーということだけ思う。
家に誰もいないときはニコ生やってんの。死ねよって思うでしょ。俺も思う。
昔から性根はこんな感じのやる気おきない感じで、リビングデッドって具合。
若いころは社会の歯車であるリーマンなんかになってやるかって思ってたが、
マスオさんやクレしんのひろしが遠い存在であるように俺はリーマンにすらなれなかった。
今はもう小さい歯車であることに忌避感すらなくなったが、なんというかもっと巧く生きたいね。
ここで「生きたかったね」と過去形にしないあたりがぐだぐだ生きてる所以。
錆びた小さいこの歯車の、せめて錆を落としてくれる人はいないもんかなー、ってさ。
なんだかなあ。
どんなに疲れてて身体が眠りを欲していても布団に入って1,2時間寝付けないなんてのはザラで、というかそれ自体は1年以上前からだったので睡眠薬の個人輸入でどうにかしていた。別に毎日薬がないと全く眠れないわけじゃない、せいぜい月の1/4〜1/3だったので不眠症ですらなかっただろう。
ところが昨年の夏くらいから月の半分以上は薬が必要になって、一回一錠の規定量のはずが二錠三錠と飲んでも眠れない。なんとか意識を失えたとしても3時間後くらいには必ず目を覚ました。薬を使わない日は昼寝みたいな量の睡眠を何回か小分けにして取る感じだった。ODなんてしないし、不眠症で苦しんでる人はもっと酷いものなのだろうし、ただ何となく体調が優れない毎日だった。
秋からは食事が摂れなくなった。元から一人前を食べるのがやっとなくらいの少食ではあったが、いつのまにかその半分も一度に食べられなくなっていた。少し食べただけですぐ胃が張るし、食後数時間胃が痛み続けるのだ。最初は胃が荒れていたりなんだり、物理的にどうにかなっているものだと思っていた。
その頃から学業以外に常に3つは並行して抱えていた個人的な締め切りをキャンセルしたり、新規で何も入れなくなった。回らなくなったのだ。手帳を開く回数が激減した。そのうち学業の方の締め切りもいつも直前まで苦しむようになった。アイデア出しの時間が一番苦痛で、手を動かし始めるまでにものすごい気力が必要だった。
1月に入って内視鏡の予約をした。人気の病院だったからか、1月頭に行っても取れたのは1月末の予約だった。医者に症状を伝えても「見てみないとわかりません」としか言われず、胃腸薬も出なかった。
1月中ば、それまで申し訳程度には食べられていた普通の食事がまったく摂れなくなった。ツイッターで流れてくる食べ物の写真も、春先は美味しく食べていた学食のランチセットも、みんなプラスチックの食品サンプルに見える。スーパーの食品売り場に行くと何を買っていいのかわからなくてその場にいられない。冷蔵庫の引き出しを上から下まで開けては何も取り出さずに閉じる。温めるだけのチルド食品を手に取ると、心臓がドキドキして息が苦しくなって立っていられなくなる。そういえばこの少し前から、外出先でパニック発作みたいなのが出るようになっていた。43キロくらいはあった体重が、そろそろ40キロを切りそうになっていた。
1月末から2月半ばにかけて、あちこちの病院にたくさん行った。内視鏡は何も問題なかった。最終的に行った心療内科の先生に、「お母さんがストレスの原因なのかもしれない」と言われた。心療内科に行くのは私の希望で、母には散々反対されて罵倒されて、挙句ついてきて診察室で勝手に喋り倒していた。
ずっと原因がわからないつもりでいたが、ずっと母の声を聞くたびに身が竦んでお腹のあたりに変な力が入って何も言えなくなっていた。何かを言えば「反抗期」「口答えばかり」「誰の金で生活してるんだ」と言われた。事実だったし、22にもなって実家暮らし、親の金で日々の食事をして親の金で学校に行っている人間には何もいう権利が無いものと思っていた。人に愚痴を言ったところで「何を甘えたことを言っているんだ」と返されるのが関の山だと。恥ずかしかったから誰にも言えなかった。
先生からの勧めで、今は祖父母の家に居候という形になっている。2週間くらい母には会っていない。個人輸入ではなく処方箋で貰った睡眠薬を飲み始めたり、最初だからなのかなにも効果が出なさそうな量の抗うつ剤を処方されたり、パニック発作用の抗不安薬が規定量の半分で処方されてたせいで全然効いてくれなかったり色々あった。あまり薬は出したがらない先生らしい。
日中は何もしていない。というか、何もできない。勉強はもちろん、本も読めないしゲームもうまくできない。絵を描こうとペンを握る気にもなれない。ネットサーフィンのやり方も忘れたのでパソコンもずっと開けていない。
何もしない毎日が苦痛過ぎるので来月からバイトをしようと思うと友達に相談したら、普段なんでも応援してくれる子が強い口調で止めてきた。話を聞くのが上手い子で、愚痴を聞いてなんて話始めじゃなくてもいつのまにか自分の話を聞いて貰っていた。母の話をした時は、それは世間ではモラハラと呼ばれるなんて言われた。
療養中なんだから療養しろと言われて、たしかにそうすべきだと思ったし、どうしてそんなに「何もしない」が苦痛なのか改めて考える機会になった。
お金が必要だから?確かに貯金は減る一方だが、新学期からまったく生活できないほどではない。やりたい仕事だった?仕事なんて本当は何もやりたくない。誰かにバイトしろと言われた?誰も何も言っていない。
そうだ、誰も何も言っていないのだ。
「いつまでうちにいるの?」「やることないの?暇なの?」「時間を無駄にしてるね」「家にいるだけで何もしない金食い虫」「お前がいる分光熱費も食費もかさむんだ」「寝てばかりいて治す気がないんだろう」
常に誰かに背を追い立てられている気がしていた。祖母も、祖父も、何も言っていない。私の頭の中の誰かが言っていることだった。
大卒初任給と物価を比べてみればいい(そもそも大卒というだけでエリート扱いな時代だが)
見合いは親が持ってくるものであって、子供が自分で相手を探すものではない。
そもそも女性は4大を出ても就職先が無かったため、4大に行けるのは働かなくても良い(親の金で食えるし学費も出せる・親の力で卒後すぐ良縁が得られる)お嬢様だけだっただけ。
開かれた「婚活市場」などなく、見合いは同階層同士で行うものだから貧しい家の娘は貧しい男としか結婚出来ず
「玉の輿」など滅多にあるものではなかった(まあこれは今もそうだけど)
これもお嬢様だけ。お嬢様は最初から「男性社員の嫁候補」として親のコネで就職し、早いうちに結婚して辞める事を期待されていた。
羨ましくて妬ましくてこいつ今までの人生で挫折とか全然してこなかったんだろうな〜って思う
実際のところはどうか知らないけど。
ブスで頭が悪くて貧乏でつらい。
ガールズバーとラウンジと居酒屋と事務のバイト掛け持ちする生活をやめたい。
人並みに生活したい。
もっと時間が欲しいし勉強したい。休みが欲しい。睡眠時間が欲しい。週7でバイトするために大学入ったわけじゃない。
つらい。
生まれ変わったら顔が整ってて頭が良くて実家が金持ちの女になりたい。
そしたら雰囲気良いカフェとかで週2×4時間くらいで適当にバイトする。給料全額小遣いにする。親の金で生活する。留学する。
本たくさん買う。
何もしたくない。
食って寝るために生きたい。
がんばろうね私
自分の父方親戚のことなんだが、こえーなって思ったから書かせてくれ。
私の親は典型的な昭和の家庭で、父親は社畜母親は専業主婦で子育てを担うという家。
いとこの家も同じような感じだった。
新幹線で往復六時間はかかるようなところに父方の祖父母がいた。
兄(私の父)「お前の家のほうが一時間弱近いだろお前がやれ」
弟「ふざけんな俺は二人の子供を育てて疲れたんだ、お前のところは一人娘でしかももう家を出てるだろ、暇だからお前が行け」
弟嫁「私も嫌よ、長男の嫁が行きなさいよ」
兄嫁(私の母)「なにいってんの?だいたい嫁は義理親の介護義務なんてないのよ」
弟嫁「あ、そうでしたねお姉様!じゃ、私たちは一緒にケーキでも食べましょ!ウフフ」
兄嫁「ウフフ(もともと兄嫁と弟嫁は仲が良い)」
兄嫁「嫌よ!うちのお金を使わないでちょうだい!こっちだってそろそろ老後のお金の時期なんだから!」
弟「俺も新幹線代…」
弟嫁「嫌よ!以下同文」
ということで誰も介護をしてくれなくなって、見かねた孫のうち一人が専門学校出たあと就職せずに(正確にはとあるブラック企業に就職したのだけど心根の優しい子で三ヶ月持たなかった)田舎に帰って祖母の面倒を見てくれた。
祖母もそんなにお金を持っているわけではないので、遺産もそんなにもらえるわけではないのだけど…
しかしこのあと
弟「ふざけんなお前の娘(私)は役立たずだ、役立たずを育てたお前に渡す金はない」
私は金はどうでもいいけど、貴重な若い時代を無駄にして介護が終わったあと何もやることがなくニートと化した弟の娘が心配でしかない。この子、大した学歴もなければ職歴もない。
せめて介護した経験があるうちに介護福祉士とかとれば?とすすめたけど、
誰かを介護した結果こんな争いが起きるなら私はもう二度と介護なんてしたくないと飯の種になりそうな仕事に対してのモチベーションも下がってしまったようだ。
むしろ有能な介護士さんが世の中にたくさんいれば、家族の一人に介護を押し付けることもなくなるんだよ?と諭してみたが、
結局なんの介護もやらなかった私に説得力は当然なく(正直やりたくはなかったし…だからこそ代わりに誰かやってくれる介護サービスって大事だと思ってるんだけどね)、家でぬくぬくとソシャゲをしている。親の金で。
それでもソシャゲやるなら自分のお金でやりなさいよと思うし、いつまでも無職でいるのはもったいないだろうに。
迷推理で嘘松認定して住所と名前まで晒していた連中が「推理しただけで嘘とは言っていない、このツイート自体は嘘かもしれない、道に撒いたのは悪い、親の金で買った物を捨てるのはよくない、店にクレーム入れればいい」と開き直ってる。あるいは鍵垢にしてだんまり。
他人を攻撃したい謝罪させたいけど自分は謝りたくない病って相当やばい。
悪いことをしたらごめんなさいって子供の内に習わなかったのか?
東名追突死亡事故の時に犯人と同姓同名の別人を犯人扱いしてたモノローグとそれに便乗していた人達、ちょっと古いのだとマツダCM炎上で最初に安全性を指摘した投稿者を叩いてたマツダ信者の人達。
インターネット正義マン怖すぎ。顔を隠した自称ヒーロー達が悪(推定)を集団で丸裸にして叩き間違っていたら「悪者っぽいから正義執行したまで。何が悪い!」と開き直る。あるいは攻撃した事を隠して逃げる。
5ちゃんねる場合は「俺達は最初から真実だと知っていた。叩いていたのはツイッターのアニメアイコンor他の板だから俺達は悪くない」で余計に質が悪い。他人を見下したい、でも責任は負いたくないので匿名で叩く、間違っていたら俺は叩いてない。人生の嫌なことを全て他人のせいにしてきた連中らしいと言えばそれまでだが。
世の中が大きく動く時ニートの人たちは自分の現状と比較して死にたいと感じている人もいるのではないでしょうか?
僕はニートです。
なんとなく大学に入り、なんとなく留年して、なんとなく就職し、なんとなく退職して、かれこれ4年ぐらいニートやってます。
世の中にはニート絶対許さないマンがいて、「働かないで食う飯は美味いか?」「早く死ねよ。」とか言っちゃう人もいます。
働いてなくてもご飯は美味しいし、働くのも死ぬのも怖いのでニートのままでいます。
そんな事を言っちゃう人たちも働かなくても十分に暮らしていけるのならば、働かない選択をする方が大半です。
皆、辛いことを我慢して生きているなんて言葉も聞きますけど、辛いこともその耐性も人それぞれです。都合の悪い現実は見ないことにしましょう。
ニートやっていると自己否定を強くしてしまうのですが、これは避けましょう。やめてください死んでしまいます。
今日は早起きが出来た、ご飯を食べた、う○んこがたくさん出た、そういう些細なことでも出来たら自分を褒めちゃいましょう。今日も1日ニートでいてやった俺すごいの精神です。
たくさん外の空気を吸いましょう。玄関先でも部屋の窓からでもいいんです。
秋晴れの空から降り注ぐ日の光が紅葉を迎える木々の揺れる葉の隙間からゆらゆらとこぼれ落ちる様は絶景です。
人の目なんて気にしてはいけません。所詮他人です。その人たちは自分に何もしてこないし、何もしてくれません。だから無視します。やりたい事をやって、やりたくない事はやらなくていいです。
嫌なことは全部無視して生きましょう。生きてるだけで丸儲けです。
世間が、親が、近所の目が許さなくても僕が許します。一緒にニートでいましょう。
そろそろ外に出てやってもいいかなと思えたら外に出ればいいんです。傷ついたらまた部屋に戻ればいいんです。
毎日生きているだけでいいんですよ。自殺は駄目、ニートも駄目とか善人ぶったクソ野郎は無視です。我々は高等遊民なのです。
生きて生きて、生き抜いて、周りの人に迷惑かけまくっちゃいましょう。
人間生きていればなんとかなるもんです。
ニート以外にやりたい事ができたらとりあえずやってみましょう。
そしたら教えてください。
走行シーンだけ見てあとはツイッタ情報なんですが、朋ちゃんあれこんな下手やっけ?メンタルか体かどっちか悪いの?って感じだった、
多分「がんばんなきゃ」って気持ちが強くなりすぎてダメになってる。本番は出来るだけ馬にやってもらって人間は最低限コース間違えないように誘導して飛ぶ時邪魔しないで裏方に徹するのが筋。馬が飛ばなそうな時だけ軽く気合いを入れるけど、全日本クラスの馬はそれはほぼ必要ない。競技だと特にだけど、乗り手は馬にくっついてる部品みたいなものなんですよ、邪魔は絶対しちゃダメ、だけど朋ちゃんはなんでかそれができなかった。
高い馬買って〜発言が叩かれてるけど、高い馬を買え、は恐らくクラブに言われている事で、勝ちたければ良い馬を買えと言うのはどこの乗馬クラブでも推奨している事。馬術は課金ゲーと言う側面は絶対に否定できない。良く調教された良い馬を買えないのであれば、力はあるけどキチガイとかどこか問題がある馬に乗るか、若馬を安く買って来て自分で鍛え上げるしかない。前者は自分の魂と時間を削る事になるし危険度も増す、後者は数年単位で時間がかかるし鍛えてもあるレベルから上に行かない可能性もある。
ツイッターとかでブーブー言ってる馬乗りの皆さん、残念ながら良い馬に乗せてもらえるとか権利云々とかお金をかけられるとかも含めて実力なんですよ。
ちょっと話がそれるけど、日本の馬術会には小さい頃から親に買い与えられた良い馬にばかり乗っていて、下乗りも先生にしてもらってばかりでいざ自分の実力が全面に出る場面になると全然ダメとかちょっと癖がある馬に乗れないって人間が割と居るのかもねとは思っている。
親の金でいい馬乗って競技出るのは悪くないんですよ、むしろ羨ましい。ただ、実力あっても金と時間の関係とか特に競技に興味ないとかで表舞台には出てこない優秀なライダーがゴマンといる事だけは、親の資産ライダーの若者達には頭の隅で意識していてほしい。
どっちにしろ華原朋美が自分の金使って良い馬買って維持して(因みに年間100万では全く足りない)自分の時間使って頑張るんだったら誰にも文句言われる筋合いは無いでしょう。
会社に入ってもすぐ辞めてしまうから、当然ながら年を取る度に就職が難しくなってきている。
追い出す話も出たことがあったが、金がなくなって人様に迷惑を掛けたら困るから簡単には出来ないと親は言っている。
世間的には甘やかしていると取られるだろうし、私もそう思う。
が、今まで金がないと親の金をくすねてきては、怒られてきた兄貴だ。
家から追い出せば、人に迷惑を掛ける可能性もゼロとは言えない。
裕福な家庭なら半ニートでもよかったのだろうが、残念ながらうちは一般家庭だ。
親も定年を過ぎて年金生活だし、まともに働いているのは私しかいない。
もし、このまま月日が経って親がいなくなったら、私が兄貴を養わないといけないのだろうか。自分の生活だけで精一杯なのに。
他人に話したことは無いけれど、いいおっさんの年になったのでふと書いてみようと思った。
これくらいなら親の金じゃなくて努力したって言っていいかな?自分としてはあまり努力したような記憶はなくて勉強がすっげえ楽しかった思い出。
○昼食:なし
○夕食:ご飯、納豆(二つ)
○調子
はややー、むきゅー、ちゃらちゃらんりゅー。
今日も明日もお休みなので、今日こそ掃除した、さらに、散髪にも行ってスッキリ。
いつもいく散髪屋さんは、シャンプーのときにすごく気持ちいいブラシで頭を洗ってくれるんだけど、
「気持ちいいのでもっとしてください」と勇気を出して行ったら、普段の3倍ぐらいしてくれて、気持ちよすぎてアヘ顔になってた。あのブラシ家にも欲しいなあ。
この日記を書き始めてからだと、ディアンシーの頃からだから、ディアンシー、フーパ、ボルケニオン、きみにきめたで4回目ですね。
感想は次の○で。
○ポケモンきみにきめた
今まではテレビシリーズ旅の途中の一コマという作品だったんだけど、今年はテレビシリーズとは世界観を共有しない、オリジナルな世界観。
本題のストーリーは、とにかくよかった。
首藤剛志さんの名前が一部脚本みたいなクレジットで入っていたけど、1話のリメイク部分だけじゃなくて、ネットでよく話題になる最終回のボツプロットとか、幻の映画第三作目のボツプロットを意識したような展開もあったから、その辺を示唆しているのかなあ、とも思った。
とにかく、ポケモンというコンテンツの奥深さを感じさせられる作品でした。
こう、言い方が難しいんだけど、ポケモンってはっきり言ってなんでもできるんですよ。
ポケダンみたいなポケモン同士の大スペクタタルな感動ストーリーもできるし、
コマスターに至ってはポケモン関係なくAIと人の関係性のお話だし、
本編だってサンムーンのリーリエは、ポケモンと旅に出る前の親からの自立できない子供なんてテーマもやってる。
じゃあ、それら全部を包括して
「ポケモンとは?」と聞かれた時に、何が答えになるんだろう。
そんなことをエンディングのスタッフロールを見ながら考えていました。
もちろん、人それぞれ答えはあって、きみにきめたという映画がそれら全てを内包するわけじゃないんだけど、
漠然と思ったのが「終わらない旅」なのかなあ、と。
きみにきめたの作中でも、この「終わらない旅」を示唆する言葉がいくつかあって、
あるキャラがその終わらない旅に対して「同じことの繰り返しなのかも」と、ある種達観、ある種悲観、ある種憧れじみたことを言います。
それにサトシは「でも行ってみなきゃわからないだろ」と返します。
最後のスタッフロールが流れながら、色々と印象的なカットが続くのですが、
これらこそまさに、終わらない同じことの繰り返しの中にある、行ってみなきゃわからないことだったなあ、と一視聴者一プレイヤーとして思うのです。
ただこの「終わらない旅」は
「「シナリオえーだば創作術」 首藤剛志第155回 人間の言うなりにならないポケモン」
http://www.style.fm/as/05_column/shudo155.shtml
の肯定ではない、とも思うんです。
終わらない旅は、決して、心はいつまでも子供でいいじゃない、という肯定のメッセージではない。
十歳の子供が旅に出てその旅が終わらないなら、まさに心はいつまでも子供なんじゃないか?
と思われるのは、そうなんだけど、
ある時二十歳になったときか、就職した時か、結婚した時か、子供が生まれた時か、
とにかくいつかある日何処かのタイミングでスイッチが押されて、明確に子供が大人になる。
なんてことは、決してなくて。
どこか子供っぽいところが誰しもあって、100パーセントの大人なんて人はきっといないんだと思うんですよ。
だから、日中真面目に仕事をして、通勤時間や帰宅してから寝るまでのわずかな時間だけでも、子供に戻る時間があって、
それがポケモンでもいいじゃないと。
「いやでも、昔の大人は大人になったら子供の遊びはしなかった」
結局、ある程度年齢がいって、仕事もできている自分を、大人と規定したいだけで、
明確に大人検定や大人点数を図ることができない以上、こんなのただの言いたいだけなんですよ。
確かに、ある種の夢オチじみた展開をもって、虚構を否定し現実に連れ戻すことも必要かもしれないけど、
実際のところ、そうやって子供時代と大人時代を明確にスイッチできると考える方が、虚構的なんじゃないかなあ、と思ってしまう。
100%大人になって、ポケモンのことをあの楽しかった思い出の中にしまい込んでしまうのは勿体無いと思うんですよ。
確かに、仕事もせず、三十歳近くになって親の金でポケモンをする人生を全肯定することはできないです。
(もちろん、全否定もできないです)
自分の中で、程よいバランスを保って、虚構のポケモンと付き合っていける、
ポケモンという終わらない旅を続けていける、
この「バランス感覚」こそが、ある意味大人なんじゃないかなあ。
そんなことを、つらつらとあてもなく考えてしまうぐらいには、いい作品でした。
ゲーム本編は秋に新作のUSUMが出るし、金銀のVCもありますし、
ポケスペはB2W2がまだ続いてはいるものの、さすがにそろそろ終わりが見えてきたし、
ガオーレは、ダッシュになって、まあ評判は悪いものの続いているようですし、
ポケとるは、映画タイアップのピカチュウ祭りがそろそろさすがに終わって、アローラポケモンの実装が進むでしょうし、
コマスターは、水曜日の大型アップデートで一年越しにストーリーが進むと噂されてるし、
名探偵ピカチュウは、あれから一切音沙汰がないけど本編のスイッチ以降までにはなんとかなるかなあだし、
はねろコイキングは、リーグの先のアップデートがあるらしいですし、
ポケダンはアローラ追加の新作が出るかなあ、スイッチ向けかもなー、とかだし、
ポケランドはオープンベータだかオープンアルファだかでそこそこ好評だったみたいだから、僕も早くプレイしたいし、
とにかく、ポケモンという凄く広い作品群に、また一つ名作が生まれたと思います。
映画館に行こう! 本編のゲームがあればマーシャドーもらえるし、ゲームがなくても、サトシピカチュウのガオーレディスクがもらえるよ! ガオーレはオススメしないけどね!
●3DS
マーシャドー受け取りのために、カートリッジ版のサンとムーンをポケモンセンターまで進めた。
メインはDL版サンもあるので、マーシャドーが三匹ももらえていい感じ。
とはいえ、対戦はご無沙汰。
ポケモン熱は高いので、USUMで復帰しようかな。
いやこれ、ポケとるとコマスターが自分の中でケリがついてのがよくないんだよなあ。
なんかこう、うまいこと自分の中でキリのいい出来事を決めて、ばさっとプレイをやめた方がいい気がしてきた。
○ポケとる
デイリー要素のみ。
ログボのみ。
○FGO
これで残るは礼装とかアイテム系、礼装は同一礼装を重ねた方がいいのかな、この辺の機敏がまだよくわからないや。
スタミナ消費アイテムは、第二部にとっておこうかなあ。