はてなキーワード: 聖人とは
別のはてなブックマークでは
別の問題は別の団体がやればいいってコメントがトップだったよね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sodium/status/1617004550497632258
仁藤さんというひとりの女性の双肩にあらゆる問題を負ってもらうべきではない。
女性に女神のような聖人性を求めたり過剰に責めたりするのも典型的なミソジニーでしょう。
善人のパラドックス。
誰かを助けようとする人。
でもそれは同時に「他の誰かを助けない選択をした」のを意味する。根拠ない人間の選別は一般論では、差別だよね? だったら善人はみんな差別主義者だということになる。——…ゆえに善人など存在しない… のか?
矛盾を解く鍵は、足を引っ張って何もしない外野たちは実は「全員を見捨てる選択をしてる」という事実だ。善を責務にすり替えるな。
昨日クラウドファンディングが(実質)終わった、X68000 Zというレトロパソコンの復刻版がある。
https://www.4gamer.net/games/656/G065657/20230118041/
TwitterでX68000で検索をかけるとすぐにわかるが、ヤバい奴しかいない。
当時使っていた連中の年齢を考えるとまあ仕方ないかとなるが、もっとやばいのは関係者や開発者(エミュレータ含む)まわりまで揃いも揃ってそうだということだ。
関係者や開発者だからといって聖人君子であるわけもないし、同じ年代だし、で当然なのかもしれない。
それは当時の年代のプログラマのTwitterを見れば分かる。
思い出はやはり思い出のままが一番。
ピウーッス
本日は日本においては防災とボランティアの日、おむすびの日、ひょうご安全の日となっております。
阪神大震災由来の日が多いですね。
日本でボランティアという言葉が流行り出したのも阪神大震災の時にボランティアで動いてくださる方々が居たからで、そこから「ボランティア元年」と呼ばれたのだとか。
ボランティアとチャリティーの違いがいまいちわかりませんが、ボランティアにも有償ボランティアと営利ボランティアが存在するとかなんとか、とはいえチャリティー、たすけあいにも限度がありますからね。
住むでもない地域を助けに行って治安が良くなったから帰るなんて聖人じみた行動を当たり前のように考えてるのはちょっと危ないかもしれません。
行動には何か理由があって、その理由を聞くと驚く程くだらなかったりしますからね。
道に石が絡んでるのを見てられなかったとか、高齢者がしんどそうな姿を見てられなかったとか、色々ありますからね。
ということで本日は【防災グッズの確認よいか】でいきたいと思います。
私はたまに、増田に非論理的で心理的に尖った文章を書いたりする(2,3日前に書いたばかり)んだけど、これって、信仰している宗教のせいなんだろうなと思った。
宗教的実利はお布施の額に比して十分なのかはよくわからないけど、その宗教が教える非論理的で超越したロジック、
というか、超越した論法は、私が書きたいと思う文章に大きな影響を与えてくれている。
正直ちゃんと理解できないその論法が、私に(おそらく宗教的正しさとは解離した)私なりの解釈を産ませて、
それが現実の現象と絡み合って、私にそういう文章を書かせるのだと思う。
その、文章への湧き上がるモチベーションを感じられるのは、私のある種の特技とも言ってよく、
私自身も、最後までどう転がるのかわからないまま、そういう勢いで結論も見えず長々と文章を書くのは、本当に楽しい。
仕事で書く報告書とは全く違う。それは長くて、わけのわからないところに届きそうな文章ほど良い。
まあ、そんな文章は、この文章のように、とりとめのない勢いだけの意味不明なものになるのだから、
私の知りうるサービスのうち、匿名性が高いもの、そして、ある程度反応も感じられるものである増田に投げ入れるのは、私にとっては自然。
記名サービスでは、おそらく頭がおかしくなったか、とでも周りに思われてしまうだろう(ましてや、現実に対面して交わす会話では、こんなこと言えない)。
ともかく、私の場合、宗教自体というより、その宗教から誤って感じる副産物の哲学的イメージが、私に文章を書かせる駆動力となっている。
しかし、そんな妄想に囚われた姿は、客観的に見て幸せなことなんだろうか?
多量のお布施を払いながら、宗教的正しさに達していないわけで、それは宗教的には幸せでない状態と言える。
また、お布施を払ってる時点で、私は社会的に見ても、おそらく幸せな状態とは言えない。
それでも、宗教から来た曖昧なイメージが、現実のある側面に絡むと思えたとき、文章が自ら溢れ出てくる!
この感覚は本当に楽しい。自分で一番趣味だと言えるものだと思う。
だから、哲学系の難しい本も、どちらかというと、自らの誤解を育むように読んで、その幻想の資産としようとするわけだが、
そういう観点においては、宗教の伝える超越した、というか、ぶっちゃけ、私にはわけのわからん論法が、私のイメージを一番育ててくれるように感じる。
宗教的正しさを求めるためでなく、自分に産まれる誤解からの豊かなイメージを育むために、引き続きこの宗教を信じていきたいと思う。
(というか、過去の聖人だって、あんなわけのわからん宗教的論法を100%理解できたとは思えない。
そう考えると、その誤解によって何らかの行動が駆動する仕組み自体は、聖人でも同じなんじゃないかと思う。
まあ、それが人の役に立つか立たないかというだけであり。
宗教的聖人を決める際には、わざと対象者の悪口を言って、その議論を深める役となる「悪魔の代弁者」というシステムがある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E4%BB%A3%E5%BC%81%E8%80%85
これに対し、私は「天使の代弁者」となることがよくあるなあ、と最近気づいた。
どういうことかというと、例えば、誰かの悪口で盛り上がっている場で、私は「そんなことないですよ。
○○さんは、こういう良いところもあるんですよ」と、良いことを言いがちな傾向があるのだ。
いや、これは別に、一人だけ良い子ちゃんをやってるというわけではない。
単に、先の「悪魔の代弁者」と同様、話を盛り上げるためにやっている役割に過ぎない。
私自身、その「良いところ」が悪口の反論になるとはあまり思っておらず、どちらかというと、話に混ざりたいから変化球を投げた、というだけなのだ。
そう、「悪魔の代弁者」が最終的には、議論上否定されることが本来の役割であるように、私の「天使の代弁者」もそれくらいの立ち位置。
誰かに「そんなことないやろ」と否定してもらうことで、悪口話はさらに盛り上がり、私もその話の仲間に入れたという満足感がある。
一方で、そうやって否定されたとしても、私自身は悪口話に乗らない。
本当はそれをあまり信じていないとしても、あくまでも、その悪口の対象者の「良いところ」を、適度に否定されうる形で言い続ける。
もちろんこれは、後でバレた際に糾弾されないよう、エクスキューズとしての行動でもあるのだが、
心の底では、本当に「天使の代弁者」になりたいと思っているのだ。
わりと本当にだ。
私が、そのような「良いところ」を連呼することで、場に広がっている悪口がすっかり止み、
悪口を言っていた人々が涙を流して反省し、ともに正しく清い道へ進むことを、心の底では信じているのだ。
私が、本当はあまり信じていない対象者の「良いところ」を、悪口を言い募る者たちに対抗して話すときには必ず、
そういう美しい光景が訪れることを、言葉にはしないけれども、夢想しているのだ。
そう、光景自体は訪れてほしい。それは私の放った言葉によって訪れるものであり、私がそれを信じているかどうかには依存しないはずだ。
つまり、私がそれをあまり信じないまま、悪口を言うものと言われるものの融和が私の言葉に乗って訪れてほしい。
もし本当にそういうことがあったとしたら、私はそういう美しい光景につながる正しい言動を、口だけではなく、心の言葉として話せるようになるだろう。
だって、本当はそう思っていない言動からそういう美しい光景が生まれるのだとしたら、
本当にそう思って話す美しい言動からは、信じられないくらいの融和、平和、正義みたいなものが生まれて来るに違いない。
これはすごいことだと思う。本当に見てみたいと思う。
だから、悪口を言うものと言われるものの融和という、私の意図せざる美しい光景が訪れるのであれば、
いわば、ひょうたんから駒的に、私の「正しい」言動は、本当に正しい言動に変わることだろう。
しかし、それは今日も訪れなかった。今日も、悪口話で盛り上がるのを止めることができなかった。
でも俺に悪いとこあるなってなる。
本当にそこそこ一般的な尺度かつ別の角度からこの状況を見て、俺一切悪くねーよみたいなことあるか?
俺は一度もない。多分俺はクズで他人は聖人なんだろう。実際職場の人すごい優しいと思うしな。
話を戻して俺の悪いところなんだけど、
低能すぎて認められないことがある。
本当に理解に苦しむのだが、なんか本能的に?認めたくない!ってなる。
そいつが診断貰ったとか言う話は聞いてない。でも、あれは明らかにアスペだ。すぐ奇声上げるし、気に入らないと暴れるし、何か話が一方通行で会話にならないし、それでいて注目浴びたくてわざとらしい奇行に走るし、皆に嫌われてた。勿論俺もだが。
俺はそいつのことが大嫌いだった。オドオドうじうじしていてムカつくし、奇行に走る姿が気持ち悪かったし、自己中な行動が苛ついた。だけど、一番の理由はそいつを見る度に自分も同類のクズだと嫌でも自覚させられたからだ。
そいつは俺の特徴を更に強調したような存在だ。俺の方がマシと言うだけでその本質は五十歩百歩だ
俺も自己中で余計な一言が多い人に嫌われる天才、サボり癖があり、要領が悪く、すぐ頭がいっぱいになってパニクる、社交性は壊滅的、それでいて承認欲求は人並みと産まれてこない方が良かったクズだ。
どこに行っても嫌われたり、仲間はずれにされたりした。ただ、運良く所属しているコミュニティーが恐ろしく民度の高い集団ばかりだったので嫌われるだけで済み、具体的な嫌がらせはされなかった。
そのくせに人と仲良くしたい、というより自分を承認してくれる存在が欲しかったので絡みに言って更に嫌われる正にアッパー系コミュ障だ。
人の気持ちに鈍感な俺でも自分が嫌われていることは雰囲気で感じた。でも、なぜ嫌われるのか理解できず、なんとか改善したいと絡みに行くという悪循環を繰り返していた。
小学生の時から俺って劣ってるな、人として大切な物が欠落してるなと思ったが、中学の時に母親に自閉症の傾向在りと診断貰ったことを知らされた。そいういや度々よくわからない検査受けさせられたな。
知らされたとき大してショックは受けなかったな。そんな予感はしてたから。
でも、自分が駄目な奴だと知ったら自殺するしかないので必死に意識しないようにしていた。
ただ、勉強は出来る方だったので田舎で一番とは言え、地元で一番の高校に行った。
クラスのガチアスペも同じだったのだろう。そいつと同じ中学で俺にも普通に接してくれる聖人が2人ほどいた。(といってもたまに会う程度だっただけで、頻繁に会っていたら確実に嫌われていた)2人曰く、そのがちアスペは学年一の嫌われ者で、逆にそいつのおかげで皆の団結力が高まりある意味プラスに働いたそうだ。
話がずれたが、自分が死んだ方がいいクズだという、当たり前だけど必死に目をそらし続けていた事実を嫌でも見せつけてくれるそいつが何より大嫌いだった。
※あくまで個人のお気持ちであり「二次創作とはこうであるべきもの」というものではございません
原作に触れまくるぜ!!公式グッズ買うぜ!!Pixivも漁るぜ!!
まだまだ全然満たされないぜ!!
はじめて二次創作はじめたぜ!!
作品と推しカプが好きすぎて二次創作して発散しないと気が狂いそうだぜ!!
好きすぎて苦しいからはやく成仏できるように一所懸命書いていくぜ!!
界隈のファンの年齢層も良い感じに高くて落ち着いた雰囲気で楽しいぜ!!
…でもちょいちょい変なボヤきが目に入るぜ!!
作品が伸びないのは単純に大昔に流行った二次テンプレそのまま使ってるからだぜ!!
推しカプの性格がテンプレに合わせて改変されてて別キャラになってるんだぜ!!
よくある「冷蔵庫のプリンを相手が勝手に食べた」のテンプレネタも推しカプの数だけ解がありますしおすし
なんでネタのせいにするんだろう。推しカプのネタに罪などあろうはずもないのに……
あとそういうボヤきしてると作品が良くても反応しづらくなるんだぜ!!
これマジで驚きだったんだけどみんな公式作品に触れて発狂して書かずにいられなくて書いてるんじゃないんだ……。
なんで推しカプ書くのに会ったことない人間の褒めが必要なの?? マジで理解できなかった
別に義務じゃないんだからモチベ上がらない時点でやめなよ…こっちもそんな作品見たくないぜ…
個人的には同じように発狂してる人間が書いた作品だったり、ただ好きの気持ちで書かれてたり、「この作品(解釈)で界隈のオタク全員倒す!!」みたいな殺意で書かれたものが読みたいぜ…二次ってなんか…そういうやつじゃん…
お前の数百人のフォロワーは霞かなにかか?
っていうか、勝手に二次創作されて「マイナーネタだから伸びない…」とボヤかれたり自己肯定感上げるツールにされてる公式の気持ち考えたことあるか?
自分が公式の立場だったら「なんだこいつ…」ってなると思ったぜ!! 知らんけど
ブロックされて荒ぶるということは自分のことブロックされるような人間じゃないって思ってるんだろうな~と笑ってしまったぜ!!
聖人のような人でも嫌いな人は嫌いなのにネットというあまたの人間がいるなかで誰からもブロックされないのは難しいんじゃないかい…
あとアカウント変えて突撃しにいくんじゃありません 良い大人が相手の嫌がることするんじゃありません……頼みますから……相手も人間ですよ……
以上!!!!
なんだかんだボヤきながらも書き続けてるからえらいな、と思いましたが自分もモヤモヤリ~ンとしてしまったぜ!!
満たされないのを作品が伸びないせいにしてるけどそれも間違ってて、単純に依存先が二次しかないのが問題なんだと思いました。依存先は多ければ多いほどいいですので…
二次で自己肯定感上がって救われる人もいるでしょうからそれはそれで大変よいと思いますが、満たされなくてヘラるくらいなら別の依存先を複数確保したり、心療内科に相談したほうがよろしいのではないかなと思いました
ーーーマジレスおわりーーー
みんなはこんなクソ匿名記事を書く前にブロック/ミュートを駆使したりメンタルを鍛えたりして楽しくSNSしてくれよな!
ハ~~すっきりした♡ 推しカプ書こ♡
2022年末から世間を賑わせている例の件について思うところを書いておこうと思う。
初めに自分の考えを書き記しておく。私自身は社会的弱者の保護施策は必要、かつ各種施策は税金で支えるべきだというスタンスだ。現在俎上に上がっているのは女性支援施策のあり方についてだが、女性はどうしても様々な面で男性より不利な状態に置かれやすいのは間違いなく、それをケアする仕組みは必要であると思う(ただ、件の組織を肯定している訳では無いことは留意して頂きたい)。括弧書きで記したように私は件の組織を否定的に捉えている。かつ、その組織の裏側にいる人・団体・組織にも否定的な見解を持っている。増田を使って”なぜ彼らを否定したいのか”という気持ちを整理したい。
まず、被保護者となり得る人物について記したい。これは某ブログにも書かれているが、一言でいえば人間として「どうしようも無い人」である。普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手の迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する(下手すると数分後のことすら考えない)等々である。皆様の周りにも居ないだろうか。こういう人を助けようとした経験がある人は分かってくれるとは思うが、経験の無い人にはどれだけ熱心に諭しても伝わらない。経験の有無で事象の解像度が大きく変わる。
普通に生きていて、普通に生活している人であれば困窮しても誰かに助けて貰える(”普通”の定義は細かく定めない。義務教育課程のクラスの中の8割に共通するような属性をイメージしてもらいたい)。この”普通の人”は社会の共助の仕組みで大概救われるのである。仮に助けて貰えなかったとしても個々の尽力で社会福祉にたどり着くことも可能。自助でなんとかなるのである。全員とは言い切れないが、大半は救われる。
共助の枠組みで救えない人。例えば虚言癖を持っていてお金にだらしなく、働く意欲も無い。口を開けば文句ばかり言ってる他責性の強い人を想像して欲しい。彼女(彼)をどうやって救えば良いだろうか?
女性で容姿に恵まれていれば救われる方法はある。風俗店で働いている女性にはこういう人がちらほら見受けられる。容姿が良いのでランキング上位に入ることもあるが、性格が災いして指名が付きにくい(結果として店を頻繁に変える)という印象。ホストにもこういう人がいるが、仕事がハマれば馬鹿みたいに稼ぐこともあるのが世の不思議。粗末に扱われたい女性に寄生して金を吸い上げるのだが、最終的にどこに行きつくのかは知らない。
ホストは兎も角、こういうどうしようもない人を税金で救うのは私は仕方がないと思っている。これらの人を救おうとするならば、聖人並みの精神力を持ち、当人に人生を狂わされる覚悟で取り組まないといけない。正直そこまでやれないし、税金でアウトソースできるのなら是非やっていただきたい。世の中の多くの社会人は同意いただけるのではないだろうか。
今回のいざこざの中で「貧困ビジネス」という単語が飛び交っている。この単語もグラデーションがあり、人によってとらえ方が異なる。酷い事例はふるまいよしこ氏が語っていたようなタコ部屋。上述のどうしようもない人を集めて生活保護を申請させ、そこから利ザヤを得るというものだ。人を人として扱っておらず人権問題である。こういうことは許されるべきでは無い(ただ、ここにも色々な事情はある)。
ここで前段に記した”保護を必要としている人”を振り返りたい。自助・共助で救えない人を救うべきであると書いたが、ここにもグラデーションが存在する。単純化するために「周りが助けてくれる人」、「自分自身で対処できる人」、「どうしようもない人」の3区分に分けて考えたい。
「自分自身で対処できる人」というのは「どうしようもない人」と比較すると話も出来るし周りにも迷惑もかけないが、税金による保護を必要とする対象である。こういう手間のかからない人を集めて保護費を申請し、自身の保有する物件に住まわせることができれば殆どノーリスクで安定的な収益が得られる。原資は税金。限りなく失敗する確率の低い優良ビジネスだ。こういうことをやってる輩に対し、SNSでは「貧困ビジネス」と揶揄しているように思う。
正味な話、日々どうしようもない人を助けていたらSNSでアニメ絵にクレーム付けたり、「表自!表自」とか騒ぐ気力なんて削がれるのではないか。人のモチベーションの源泉なんて様々だし、何言ってるかわからない人と対峙することでエネルギー湧いてくる人もいるかもしれないが…。
前段で書いた「揶揄される貧困ビジネス」を行っている人・団体・組織は安定的な収益源を拡大するためにより多くの予算を求めるだろう。しかし、その活動で本当に救うべき人に手を差し伸べているのだろうか?「貧困ビジネス」で得た収益を弁護士に渡し、上に書いた「自分自身で対処できる人」を救うことで実績を稼いではいないだろうか。それで救われる人もいるのだから全部止めろとは言わない。ただ、どういう風にお金を使っていて、誰を救っているのかは明確にして欲しい。救いやすい人を助け、利益を仲間内で回していないことを証明して欲しいのだ。
大きく2つの理由があるのではないか。一つは当該団体及びそのサポーターに「社会人として必要な実務能力」と「社会人として必要な常識」が欠けていながら、上から目線かつ自身の過ちを認めないような態度をとっていること。「社会人として必要な実務能力」と言っているのは支出をちゃんと品目ごとに整理して帳簿を綺麗にするというようなもの。また、「社会人として必要な常識」は領収書を取っておくとか、プレスリリースを書き換えたらちゃんと公表するとかを指している。
真面目にやってる人から金を集めて、使う側は適当にやってよいは許されない。しかも「社会正義のために使ってるから適当でも良いでしょ」というような態度…。こういう部分も「社会人として必要な常識」が欠けていると言いたくもなる。
二つ目は社会弱者の保護を謳っている団体が本来やるべきことに注力せず、「間接的に影響を及ぼしている」という言い分で様々な分野に喧嘩を売っていることである。アニメ絵を規制したら保護すべき人々が救われるとは思えない。閑話休題で書いたが、本業を真面目にやってたら喧嘩売る気力も残らないくらい疲弊するだろうに、日々喧嘩を売る相手を探しては噛みついてくる。そりゃ喧嘩を売られた側は意味が分からない(本来の活動とどうつながるのか?という疑問が出てくる)し、そもそも本業ちゃんとやってるのか証明しろとも言いたくなる。
ここまで書いて、「どのような人が保護を必要としているか」の段落で書いた「どうしようも無い人」が頭に過った。
『普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手の迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する』
これは今回非難されている側に当てはまる部分が無いだろうか。私はこういう人を公助で救ってほしいと思いながら、一方では存在を強く否定したい気持ちもあるのだ。
この問題がどこにたどり着くか全く分からない。私としては心に矛盾を抱えつつも、「どうしようもない人」も救われる社会を望んでいる。
1年が終わる。1年を振り返る。悲しいことも全部思い出させる。
世の中の空気丸ごと悲しいことまで全部思い出させて、元々自省過剰な私にはつらい。
みんな、年が変わると世界まるごと清らかになるかのようにまっさらな気持ちになってる。信じられない。
誰だって人を傷つけたり、誰かにとっては悪いことをしてるはずなのに、
まるで聖人かのように世を憂いたり平和を願ったりしてて嫌になる。
だから嫌い。
別に私は貧困でもないしことさら不幸でもないけど、なんだか嫌になる。
1年分の嫌な気持ちが上乗せされたクソみたいな1年がまた始まることを認識させられるだけだよ。
今年もまた、多くのVtuberが「里帰り」なんてやってるらしい。
せっかく都会に出てきたのに、なんでまだ田舎と縁を切れないんだろうね。
親とも縁を切れていない、とも言えるかもしれない。
その親は毒親成分が皆無なのかね。そんなに聖人君子の下で育てられたのか。
もし、少しくらいの毒は許しながら親と付き合っている、というのなら
あれ?「里帰り」という行為は、毒親の存在を助長するんじゃね?(暴論)
里帰りをした話とかは本当やめてほしい。
そういう回だけは本当に冷めるから。
スパチャする手が鈍くなるわけよ。
せっかくなので雑な事をもっと書いておこう。
Vtuberみんな、少なくともマイクラはやめろ。Winゲームからも遠ざかった方がいいんじゃない?
配信に使う機器はMacの方が圧倒的に優れているようだ。MacやLinuxで出来るゲームも多い。
ASMRは基本的に「伸びる」コンテンツだが、Winを使った(と思われる)ASMRは全く伸びていない事にも気づくべき。
VRChatに関わるのもやめた方がいいんじゃないかな。Vketも時期尚早だ。なぜAppleGlassが出るまで待てないのか。
私はクトゥルフ神話TRPGをよく遊んでいる。その卓のためにKPやPLに集まってもらう、いわゆる野良卓がほとんどだ。野良だからだよ、タイトルの原因はそれだよと言われたら、固定の身内を集められない己のコミュ障を省みるしかないのだけど。とにかく、そういう趣味がある。
昨今のクトゥルフ神話TRPGは秘匿HOが渡されるタイプのシナリオが多い(と感じる)。だが私が今回舌打ちしたくなったのはそちらではなくて、PLが自分の探索者に積んだセルフ秘匿、いわゆる設定だ。
タイマンシナリオなら、どれだけややこしいPCでも KPはそのキャラシに目を通しているわけだから、ある程度「そういう感じね」と事情を汲んでRPができる。だが2PL以上の複数人シナリオとなれば話が別だ。その設定を積んできたPLとキャラシを確認したKPは呑んで動けるが、そのどちらでもない他PLはめちゃくちゃ困る。どこまでがシナリオに提供された要素なのか、どこまでがシナリオクリアに必要な情報なのか、自分の探索者は相手に近寄っていいのかどうなのかも判断できない。
とか言ってるが、要するに気に食わないのだ。
TRPG、とくにクトゥルフ神話TRPGは協力するゲームだと思う。言い換えれば、どんな結果になったとしても仲良く遊ぶゲームだと私は思っている。
なのに先日、こちらは情報共有しよう、探索者同士が仲良く(少なくともPL同士は朗らかに)なれたらいいなと思って話しかけているのに、「そういう設定積んできている、そういうキャラだから」というだけで冷たくされて、一方的に嫌われたので、クソだった。その設定が開示されたのは卓が終わる間際で、私の探索者には一切の非がなかった(何もしていないのだから当然だ)。要するに、まったく不必要な嫌悪を示されていたのだ。
相手は「そういうキャラだから」の一点張りで、中の人からの「ごめんね私はそんなこと思ってないんだけどコイツも内心はこれこれこうでだからこのように来てくれたら緩和できるはずで」なんてフォローもなかった。「私、こいつ(自探索者)の女だから〜」なんてヘラヘラしてやがった。クソの上塗りである。探索者どうこうではなく、コイツは自分のことしか見てないんだなとまで思った。他人に興味持てないならCoCすんなカス。ひとりでシコシコオナニー型創作でもしてろ。
自分の探索者がお気に入りなのは分かる。誰だってそうだ。自分が作ったキャラなんだから、自分が好きなのは当たり前だ。だからこそ、一緒に遊ぶひとが不快に感じないよう、最低限の作法があるだろう。
それは少なくとも、他の探索者を一方的に嫌う設定を積んでくることじゃないはずだ。もしどうしてもそれがやりたいのなら、事前に他PLに相談するとか、シナリオ的に言えないのならKPにそれとなくフォローを入れてくれるよう頼んだおくとか、探索者からは言えなくてもPLとして共有しておくとか、いろいろやりようはあったはずだ。それをサボった時点で、私は「ああ、コイツ嫌いだな」としか思えないのだ。
オンラインセッションだと実感しづらいが、共に卓を遊んでいるのはNPCではない、生身の人間なのだ。そのPCがどれほど聖人君子だったとしても、中の人は決してそうではないはずである。だとしたら、自分のやりたいことを一方的に好きなだけ押し付けるなんて、よくないことだ。それを受け入れてもらえるようにする努力を欠かしてはいけないはずなのだ。
私はクトゥルフ神話TRPGを仲良く遊ぶゲームだと思っているから、少なくともその卓中では感じた苛立ちを表に出さないようにする。それを感じさせた奴にも話を振るし、積極的に情報共有するし、その探索者が死にかけたら庇いだってする。だけど、それだけだ。そのように振る舞うのが卓の作法だと思っているだけで、中の人を含めてその探索者のことが嫌いになってしまったから、二度目はない。卓終了、即ブロックだ。
そういったことはなるべくしたくないし、されたくもない。そんな自戒の意も込めたタイトルであった。
仲良くなれないセルフ秘匿積むな。
多分因果が逆なんだよな。元々反ジェンダーフリーとか反LGBTのやつが寄り集まっていて、そこに目をつけて滑り込んで懇ろになったのが統一教会であって、
最初から統一教会と懇ろなわけではないと思うし、例えば何やかやあって統一教会が完全に失脚、資産もコネも無くなったとしたら多分自民党は見向きもしないと思うよ。
ぶっちゃけ思想自体は上の奴らも政治家もどうでもよくて、ただ俺が気持ちよくなりたい、気持ちよくなるための根回しは惜しまない、そんだけなんだよ、多分。