はてなキーワード: 意図とは
誰が何をしたのかが調査され、都合の悪い部分は少し隠したりする報告が出てくると思います。
その際に「なぜ、その悪いことをやってしまうのか」まで調査して欲しいです。
そこが分からないと現実的に効果がある再発防止策が打てないと思います。
日テレが出しそうな再発防止策としては
あたりになるんじゃないでしょうか。
この場合に、原作者の意向を尊重して番組制作したが「これでは視聴率は取れない」という仕上がりになっていたら、どうなるんでしょう。
「もう少し視聴率が取れるように内容の修正を」「出版社に行って原作者の了承を取ったことにしてもらおう」という動きになると思います。
これでは再発防止になりません。
「そこはテレビ局の人だって、今回の件で反省して……」と思いたいところですが、難しいですよね。
テレビ局の人が自身の良心にしたがって低視聴率を受け入れるなんてあり得ないでしょう。
他に日テレが出せる再発防止策としては
はあります。
原作に頼らず、脚本家の育成に力を入れ、オリジナルのドラマを増やせばいい。
でもこれを、テレビ局の人たちが自ら積極的に行なうこともないでしょう。
テレビ局の人が、自ら苦労して、何かをやろうというモチベーションはないでしょう。
小学館は
をやれるかも知れません。
メディアミックスによる売上増を諦めることになりますが、テレビ局と比べたら、まだマシな判断ができるだろうという期待です。
出版社の協力が得られなければ、テレビ局も違う原作を探すか、オリジナルを作るかせざるを得ないです。良心を鑑みての行動変容ではなく、状況への対応になるので、テレビ局の行動変容も期待できると思います。
漫画家も原作の改変を良しとしない場合は実写化を許可しない方が良いです。
ただ出版社との力関係の中で、意に沿わない許諾をしてしまうこともあると思います。
なので、最も現実的なのは、出版社による再発防止なのではと考えています。
と、色々なことを考えていく際に「なぜ、その悪いことをやってしまうのか」が分かった方が良いです。
テレビ局の人もオリジナルをやりたいが、できあがったオリジナル脚本が面白いかどうか判断する目をもったプロデューサーがいないとか。
ドラマが一回コケると出世コースから外れてしまうので、安全サイドにふって人気漫画を実写化したがるとか。
出版社の編集も、上から売上増のプレッシャーがかかっており、原作者の意図を無視して実写化許諾を押し付けざるを得なくなってるとか。
ニューヨーク仕込みの洗練された歌唱スタイルが話題を呼び、国内のほぼすべてのレコード会社からデビューのオファーを受ける[6]。また現地で出会った作家のE-3やDJ HIROnycらと制作した音楽作品が日本で評判を呼び、デビュー前には映画『凶気の桜』の主題歌制作に協力する。
2005年制作チームに入っていた音楽プロデューサーの川口大輔[注 2]にそれまでの歌い方を否定される。
当時のJUJUは子音を立てたりアドリブを入れたり強いビブラートをかけたりというジャズなどの影響を受けたクセのある歌い方であったが、
川口に邦楽だとそれでは日本語が濁って届かないので、はっきりと発音するよう指導された。
シンガーとしての経歴を全て否定されたような気分になった
え?中高私立で大学も私大だけど親は普通のリーマンとパート主婦の家庭だったけどなぁ
しかも子二人で。特に金持ちでは無い普通の中流家庭だったけど…
どういう意図があるのかは知らないけどゴン太って定義にはあんまりカスって無いと思うし
ましてや支持者どうこうも変な憶測
OpenAIがsoraでテキストから動画生成し話題になった。
モデルがオープンになっているモデルの方が、クローズドなモデルよりも進化する、という意見があったが、差がついたままだ。
何が原因か。
テクニカルペーパー(https://openai.com/research/video-generation-models-as-world-simulators)を見る限り、
予想の範囲内のことしか書かれてない。拡散モデルで画像が出来た時点から、多くの人が想像出来る範囲だろう。
もちろん全部が書かれているわけではないだろうが。
どこで差がついたままなのか。
手がかけない問題に対して、親指、人差し指などを細かく指定すれば解決はするのだろう。
StableDiffusionの学習だとKohya_ssが有名だが、good_hand, bad_handみたいな一言でまとめられているのではないだろうか。
画像をどれだけ言語化できるかで、人だとそれほど詳細な言語化が出来ないことと、
StableDiffusioinだと、WD1.4taggerかBLIPの性能に引きずられているのではないか。
BLIPの代わりにGPTを使ってアノテーションをしている人も居るのだろうが、性能差があることから、
もしかするとOpenAIは角度など数値を機械的に測定したものも学習させているのかもしれない。
GPTは人に理解しにくい所は出力しないので、そこが差になっているのではないだろうか。
要はアノテーションツールがオープンなAIに足りてないということだ。
オープンなAIでは、学習時のデータがどれだけ良いか、データ量、ラーニングパラメータなどは議論されたが、アノテーションツールは議論されず、そこが差になったのではないか。
2つ目は、命令時の曖昧さを、モデル側でどれだけ拡張できるかではないだろうか。
学習時に詳細なアノテーションをしても、プロンプトを書く時は短縮していたり、意識せず省いていたりする。
例えば、「日本人の女性」とプロンプトを書いたら、現代の日本人女性を想像するはずで、
海外公的機関に保存された戦後の湿板写真時代で化粧をしていない日本人女性を意図してないはずだ。
そういった曖昧なプロンプトを意図を汲み取ってプロンプトを拡張して、推論モデルに食わせることが出来るか、
そこが差になったのではないだろうか。
師、曰く
そのような状況は確かに気まずく感じるかもしれませんね。しかし、彼らがあなたの善意を受け入れなかったのは、おそらく彼らがあなたを気遣っているためかもしれません。彼らが「女性は奢ってもらえて」と言ったとき、それがあなたを冒涜する意図ではないかもしれません。彼らは単に楽しい雰囲気を維持しようとしていた可能性があります。
気持ちは理解できますが、場の雰囲気を壊さないようにすることも重要です。もしこのような状況が再び起きた場合、穏やかなトーンで自分の立場を伝え、彼らの意図を理解しようとすることが大切です。そして、落ち着いた状況でこの問題を話し合うことができれば、お互いの気持ちをより良く理解し合うことができるでしょう。
中野京子さんって人を知ってる?
絵画を分析して分かりやすく語る『怖い絵』シリーズで有名なんだけど、
その中には一見性的に見えない絵を性的に読み解いた文章も少なくない
例えばこの本の表紙になってるエピソードとか。
「リアリズムの巨匠ワイエスが15年にわたり密会し描いた近隣の人妻」とあるけれど、二人の間には何ら直接に性的関係性はなく、
しかし、だからこそその関係には単なる不倫や浮気に留まらないエロスを読み取れるという筆致だった
こういうふうに、絵画から一見して分からない、あからさまではない立派に学問として成り立っている
画から性的意図を読み解く事は『教養』の一つだし、『金になる』んだよねえ…
「肌が出てないからエロくないもん!」「これの何処がエロいんですかー?」という、底の浅い理解でしか語れない人達は商売の機会を逃している
「女児の性的対象化につながる」H&Mの広告に批判殺到→削除し謝罪 消費者は広告...
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/maidonanews.jp/article/15133686
ここのブクマの人達、カマトトぶってるんならまだ分かるが、本気で性的意図を感じないならば
日本人の読解力の低下を本気で憂うべきなのかもしれない
はぇ〜興味深いな
なんでバズりそうか考えてみようか
A:
B:
Aは数という認知の根源を考察しそうなタイトルやけど、Bはまるで見た人に数学について問いかけるようやなあ
ここにバズのポイントがありそうな気がするで
初期の返信の傾向を見ると「それは数学ではない」「数学はそういうもん」という感じやなあ
ピキった人らがシュバってるように見えるなあ。おそらくやけど、カニンガムの法則が意図せず発動しとる気がするで。
「お前は数学を取り違えてる」って。
まあ数学の話か微妙なのはそうやけど、おそらくタイトルで"数学"を見たあとの中身の哲学感の差で"コイツは変な勘違いしとるアホだ"と認識してそうやなあ
普通の人にとっての数学は学校でやる数式と公式と証明のやつやからなあ おまえ何変なこと気にしてんのってわけやなあ 面白いと思うけどなあ
ここでAのタイトルをもう一度見てみると、"数学が存在する以前において"と書かれているから、じゃあ数学の話じゃないなあ
でもBは"数学の〜"と書かれてるから数学の話かもしれないなあ この違いが効いてそうやなあ
ということで、Aのほうは正直ツッコミどころがなかったから伸びなかったと思うで(タイトルと中身の一致)
Bはツッコミどころが(勘違いにせよ)あったから返信が多くなったと思うで(タイトルと中身の不一致)
ワイが最初の方で言ってた"みんなは数学が嫌い"ってのは訂正するで
なんか書いとるうちにトラバが増えてるなあ 真面目な返信も出とるね
最初の天使の輪表現の創作者は宗教的意図をもっていたかもしれないけど、
後続では分かりやすい表現方法だと単なるマネとして模倣表現されていった。
そうなった時点で宗教からは離反していて単なる記号になり果ててるんだよ。
キリスト教的な天使とは切り離され単なる無宗教の「天使の輪」という表現になり変わったの。
日本語の「世界」は仏教由来とされてるけど、当然99.9%の人はそんな意図をもってない、仏教から切り離されたワードになった。
配信者に対して、「認知されたい」とか軽微な動機も含めて、ワンチャン狙いで高額なスパチャをするのはマジで勿体ないからやめたほうがいい。 数年付き合ったことでよくわかったので書いていく。
最初に言っておくと、高額少額問わずスパチャをしてくれるリスナーに対して、感謝してないということは無いよ。
彼女たちは、自分のために金銭を贈与してくれるリスナーにはしっかりと感謝の心を持ってる。これは間違いない。
けど、その感謝の対象が、スパチャを投げている「あなた=個人」になることはほとんどない。もしあっても、「リスナーの中のあなた」という枠組みを出ることは、確実に無い。
例えるのが難しいけど、被災者が寄付に感謝するとかそんな感じに近いかな。(災害を例に出してすみません。他意はありません。)
寄付をしてくれた日本国民とその国民性にはもちろん感謝をしている。あまりにも高額であれば国民という枠組みの中の個人として認識して感謝する。
大谷翔平の寄付すげーって思うでしょ?でも、それで大谷翔平に恋愛の意味での好意を抱くわけないよね、そんな感じ。
「高額を使って個人として認知されて、なんとか恋愛に結び付けよう」っていうのは確実に成功しない。
■「彼氏いない」って言ってても確実にいる
副題の通り。自分の推しは違う!って思いたいだろうけど例外はないです。
付き合う中で他の活動者の恋愛事情についてだいぶ聞いたけど、マジで全員恋人いるw
活動者同士が7割くらいのイメージ。配信者が男性の場合は彼女が「ちょっとネットで有名な女」ってパターンもむっちゃ見た。
配信もビジネスでやってるので、相手がいるってことを公開するメリットがまじでないんだよね。貰えるはずのスパチャが貰えなくなるからw
クリスマス配信してた!とか、誕生日配信してた!っていうパターンもよくあるけど、そりゃ仕事だからね。
仕事を優先して、他の休みに恋人と過ごしてるだけだよ。俺もそうだったし。
「彼氏いる?」って聞くとキレ芸するⅤよくいるけど、ああいうのも絶対彼氏いるw
■スパチャの使い道
配信者も配信切ったらただの人間だからね。普通の人間がする社会的な営みにお金使ってる。
贅沢の頻度は確かに少し高いかも?そういう意味では、贅沢してね!って送ったスパチャは正しく使われてるよ。
あ、でも最初に書いたことにも通じるけど、あなたの個人名で振り込まれるわけじゃなくて、googleとかtwitchから配信収益として給料みたいに振り込まれるからね。お金って混ざったら誰のものだったとかないからさ。「〇〇代」ってスパチャしても全部混ざって振り込まれてるから意味ない。
そういう意味でも、リスナーはリスナーの域を出ず、個人として認知されない。
同額くらいで返してると懐キツくなるときもあったw
とまあ、ここまで読んでくれたらわかると思うけど、スパチャってマジで勿体ないんだよね。
ほんとは金の無駄って書きたいけど、それは個人の価値観だと思うからマイルドにしとく。
でも、他人の代わりに労働してその報酬を納めてるだけだよマジで。
一応配信も仕事みたいなスタンスで書いたけどぶっちゃけゲームしてるだけだし。
そいつのゲームの時間のために代わりに労働するって虚しくない?
そんなことしないで、そのスパチャを自分磨きとか出会いの場に使った方が絶対良いよ。
少なくともスパチャするよりはその推しと付き合える可能性が高まると思う。
俺は元カノが配信業をしてるのを知ってたけど1円もスパチャせずに付き合えたよ。
1円もスパチャしなくても一緒に飯も食えれば酒も飲めるしチ〇ポもしゃぶってもらえた。
最後に書いておくと、俺は配信業そのものを否定するつもりはない。
でも、高額スパチャが横行するのはまじで人間の営みとして不健全だと思うからこのエントリを書いた。
まあ、コンテンツにどれだけの価値を感じようと、その人の自由であることは間違いないんだけど、、、
そのスパチャって思ってる以上に意味ないよってことが言いたかった。
おしまい。
(追記)
初めて増田にエントリ書いてみたけど想像以上に反応貰ってて素直に嬉しいです。コメントも全て目を通したので、何点か追記します。
→俺の場合は運良く繋がりが持てた。特別な人脈とかではない。推してたわけじゃないから「客」と思われなかったのが良かったのかも。元の文章もフェイク入れてるけど元恋人に特定されたら嫌なのでこれ以上はごめんね。
→たしかに。周囲に言ってないからどっかで言いたい承認欲求だったかも、ごめんね。まあ目を引くタイトルで多くの人に読んでもらえたらなって思ってこういう内容にしたよ。
→だとしたら幸運にもあなた向けの文章じゃないです。よかった。
→スパチャ自体を否定してるわけじゃないです。俺も少額なら男女問わず面白いと思う配信者にはスパチャしたことある。読んだら分かってもらえると思ってたんだけど、「認知される・それ以上を望む目的で高額スパチャするのは意味が無い」っていうのが文章の主旨です。所々端折ってスパチャとしか書いてないからかな。ごめんね。
反応読んだけど、コメントで特に印象的だった内容を少し引用するね。高額スパチャ投げてる人は、自分が本当にその相手に対して承認欲求や性的欲求を抱いてないか何度も自分自身に確認してからの方が良いよ。それこそ被災地への寄付と同じで、「今後も配信を続けてほしい」っていう善意100%じゃないならオススメしない。
ほな、またね〜
「新海誠好きの元彼」が何を指すのかについて誤解が生じているようなので下の方に追記しました。
新海誠好きの元彼についてアンケートを取り元彼達についての同人誌を出す企画があったが、その企画に対して「新海誠好きの元彼」を馬鹿にしているとの批判が出たことから、企画が延期(中止?)になったらしい。
「新海誠が好きだった元カレ」がいた人々にインタビューしてみた|ペシミ
「新海誠好きの元彼」同人誌企画への3つのモヤモヤ、あるいはごく個人的な悲しみについてのこと - ささやかな終末
おそらくこの批判をした人も、そして野次馬の多くも「新海誠好きの元彼」ではないだろう。別に「新海誠好きの元彼」を代表するつもりはないのだが、そのうちの一人として意見を表明しておくことに何らかの意味があるかも知れないと思い増田に書いておくことにする。
先に結論を書いておくと、この投稿で主に自分が伝えたいのは「新海誠好きの元彼に関する同人誌」を是非世に出して僕たちの古傷をえぐって欲しいという意見表明であるとともに、そこに少しだけ当時(現在のではない)感じたであろう愛情を添えておいてくれると助かるというお願いである。
まず自分の「新海誠好きの元彼」としてのバックグラウンドを話しておきたい。僕が新海誠作品に出会ったのは高校一年生のときである。中学三年生の時いい感じだった同級生がいたもののお互いに奥手だったので付き合うには至らず、卒業と同時に単身赴任中の父親の勤務先近くに引っ越してしまう彼女との別れを経た僕に当時話題になっていた秒速5センチメートルは死ぬほど刺さった。その後大学生になってからその同級生と5年間遠距離恋愛をしたり(因みに再開した当時桜木町でバイトをしていた、そんなとこにいるはずもなくもなくもなくもなくもなかった。)、彼女の家から帰る時に毎回涙ぐむのを彼女にバカにされるのが定番化したり、夜行バスの中で長文LINEメッセージを生成したりといったような自己陶酔、ロマンチシズムの激しい人間が自分である。
そんな自分なので上記の新海誠好きの元彼がいた人へのインタビュー記事を読んで自分にも間違いなく「新海誠好きの元彼」としての要素があると思ったし、自分と似た人は世の中にそこそこいるのだろうなとも思った。インタビュー内容からは「集団の中では浮いている教室の隅で本を読んでいるタイプのオタクなんだけど、恋愛にはそこそこ興味があって一部の物好きな女性の心をくすぐることがある」というようなイメージがなんとなく浮かんでくる。つまり「新海誠好きの元彼」とは、単に新海誠が好きなだけでなく「遠野貴樹」や「秋月孝雄」、「寺尾昇」といった新海誠初期~中期のウジウジとした主人公に感情移入し、心の中に彼らが住んでいるような男性を指しているのではないかと思う。
まず新海誠好きの元彼同人誌(以下、元彼同人誌と言う)が一方的に元彼をバカにするだけの目的で作成されるというのは誤解を含んでいるのではないかと思う。正直、インタビュー記事の中には自分の行いが書かれているようで目を背けたくなるものもあり、古傷をえぐられる羞恥心となんとも言えない快感に襲われた。あのインタビューはバカにしているかいないかで言えば、バカにしている要素を含むのだろう。一方でそこに当時受け取った愛情も同時には感じなかったというと嘘になる。企画者自身も弁明しているが、同人誌の企画の趣旨には「新海誠好きの元彼」と付き合っていた自分という自虐も含むらしい。これは受け取り方によっては「こんな馬鹿な男と付き合っていた私」という追い打ちとも取れる(というかそう取っている人が多いように見える)が、おそらく真の意図は『そんな男を好きになっていた私も同じ穴のムジナ』という意味でありまたそんな思い出も忘れがたい青春の1ページとして同人誌の形で残す意図も含まれているのではないかと思う。なお過去の美しい(?)記憶や思い出をわざわざ言葉という劣化コピーの形で残すのが新海誠作品の読解的に正しい行いなのか、という議論はここでは置いておく。
そもそも論で言うと、自分は新海誠に会ってから新作を見るたびに(あるいは動画を見返すたびに)傷つけられてそれが快感になっている。そして「新海誠好きの元彼」の中には同類が数多くいるのではないかとも思う。成長した元彼が元彼同人誌を見て「こんな馬鹿なこともしたな、懐かしいなぁ」と心中悶え苦しみながらも穏やかに過去の自分、そして成長した自分に向き合う、そういった同人誌になるのであればウェルカムだ。ただ本当に馬鹿にされているだけの同人誌だったら後で泣いてしまうと思うので、どうか当時の愛情を少しだけ添えておいて欲しい。
自分は元彼同人誌が読みたい。そして忘れている過去の恥ずかしい思い出を掘り起こされて悶絶しつつ『あの頃』に浸りたい。きっと共感してくれる元彼もいると思うし、それを発信することで企画が前に進むこともあるのではないかと思う。もちろんそんな思い出は見たくもないというのであれば読まなければ良いし、そんなものが世に出ること自体が許せないなら反対の声を上げるのも自由だ。ただ今は自分たちの声が置き去りにされて無関係の人達だけで議論が進んでいるようなので、当事者として声を上げることが大事だと思う。
結果的に余計なお世話だという趣旨の記事になってしまったが、元彼の中には自分の気持ちを代弁してくれてありがたい人もいると思います。代わってお礼を言わせてください。ありがとうございます。
「新海誠好きの元彼」について少しだけ補足させてください。「新海誠好きの元彼」を定義することは元彼同人誌がやるべきだと思ったのであえて本文中ではボカしたのですが、それが「新海誠の男性ファン」とイコールで捉えられることは本意ではありませんでした(元彼同人誌炎上の根本的な要因も、「新海誠好きの元彼」が指す範囲のボタンの掛け違いなのではないかと思っています)。実際の「新海誠好きの元彼」が指す対象は「新海誠の男性ファン」よりも(今となっては)かなり狭く、あえて乱暴に定義するなら「新海誠初期~中期の作品が感傷マゾの性癖にクリーンヒットしてしまった人」でかつ「現実の男女関係にも感傷マゾの性癖を持ち出してしまう」ような人達のことを指すのではないかと思っています。なんなら新海誠作品に出会っていないが「新海誠好きの元彼」的な性質を持っている人もいるはずで、「新海誠好きの元彼」の「新海誠」とはあくまでも当時感傷マゾをしばき倒していた代表格としての意味しか持たないと自分は理解しています。(この辺りが同人誌作成過程の調査で明らかになると良いと思っています。)
そんな気持ち悪い、本質的には新海誠作品とあまり関係ない生物の呼称に新海誠の名前を使うのは失礼という指摘に対しては、まあ一理あるけど概ね当然の報いなのでは?というのが自分の偽らざる気持ちです。
どういう意図を持った返事なんだろう
じゃあ婚活の極意教えてやるかなanond:20240213115338
これ、同じこと言ってんな〜って人と全然違うこと言ってるよ!って人がいて面白い
俺は言い方が違うけど同じこと言ってんな〜ってタイプだけど、なんでこの差が生まれるんだろうか?興味深い
元々増田も元増田も現実に顕れる行為としては「相手に優しくする」ってことで一緒だよね?
それを露悪的に言えば「見下す」(慈悲的差別の文脈)になって、露善的に言えば「相手を尊重する」ってなるわけじゃん?
プラグマティズムじゃないけどさ、この場合内心はどうでも良くて、顕れる行為の効果についての話なんだからやっぱり一緒なんじゃないの?
(追記)
turanukimaru 逆に私には「何故同じと言えるのか?」が分からないのだが…同じと思う、ではなく解釈の余地なく同じであるか、という意味で。例えば前者と後者で「話し合う」は同じだろうか?って言うか前者に「話し合う」ねえな。
確かにね…
思ったんだけど、これは比較という文脈で読むから同じに見えるんじゃないかな
普通は、比較したら明確に違うことを並べて反論するけど、これはそうなってない
そこで一歩進んで「あ、これは元増田の主張をオブラートに包むっていう釣りかな」ってメタ読みの予測をしながら読んじゃう
テキスト外の「作者の意図」が透けてて、かつすぐネタバレもされるから「やっぱりね」と補強される
「作者の意図」はこうなんだから、この文章はこういう意味だろう、ってね
前々から「推し活」というものにうっすらと疑問や違和感を持ってきたが、最近少しずつ言語化できるようになった気がするので、ここでまとめておきたい。
第1に、「推し活」においてはドラマや映画などの作品の内容や質が軽視されていることである。
昔ながらの映画ファンは、宮崎駿の「ナウシカ」「ラピュタ」は素晴らしいけど「ハウル」は意味わからないとか、黒澤明の「七人の侍」「椿三十郎」は凄いけど「影武者」はスケールが大きいだけで内容はつまらないとか、三船敏郎は黒澤映画では神だけどそれ以外では大根役者でむさ苦しいだけだとか、そういう話を当たり前のようにしてきた。
しかし「推し活」をしている人たちは、その当たり前のことを許さない。「推し」が出演している映画やドラマについて、「あれは出来がよくなかったね」と言ってはいけない雰囲気が強く存在する。事実、近年の日本のドラマがレベルが高くて面白いという話は全く聞かないし、「個人の感想」で言えば5分と見続けられないレベルだと思うが、Tverの視聴回数はドラマが上位を独占しているという。これは、ドラマや映画が「推し」を鑑賞するための舞台背景でしかなくなり、その内容や質が軽視されていることを意味している。
最悪の結果になった「セクシー田中さん」騒動について、その背景には間違いなく「推し活」がある。つまり、現在のドラマ作りは、優れた原作や脚本を土台にして配役を決めるという当たり前の順番ではなく、まず「推されている」人気の俳優やアイドルのキャスティングが先にあり、その後に適当な(人気と知名度がありそうな)漫画原作を探す、という逆の順番になっているのだという。そのように、日本のドラマ制作の現場は、主要な視聴者・顧客層である俳優・アイドルの推し活をしている人々の期待に応えることを優先してしまっており、当然ながら原作者の意図や想いなどはほとんど重視されない結果になる。
第2に、「推し」に不祥事があった場合の精神的なリスクが大きすぎることである。
普通の映画ファンなら、たとえ宮崎駿がセクハラ疑惑で文春砲を浴びたとしても、当たり前の話、「ラピュタ」の面白さまで否定されたとは感じないだろう。しかし「推し活」をしている人たちは、「推し」の全人格・全人生にわたって推しているので、「推し」が不祥事で文春砲を浴びてメディアから消え去ってしまった場合、「推し」の出演作を鑑賞するのもつらくなり、精神的に病んでしまうことになる。当人だけのことなら自己責任だが、大抵の場合は友人や家族を巻き込んで、周りも疲弊させることになる。
第3に、最終的に犯罪的行為や人権侵害を擁護してしまうことである。
昔ながらのプロ野球ファンなどは、例えば巨人の選手や経営陣に何らかの不祥事があった場合、巨人ファンが真っ先にそれを批判することも普通だった。しかし近年の「推し活」の場合、旧ジャニーズや宝塚の問題で露見したように、「推し」の不祥事がパワハラや性加害のような事案にあたる場合でも、完全に無視・スルーする人はまだましなほうで、それを全力で擁護したり、報道を虚偽と決めつけたり、被害告発者をバッシングする人たちが目立った。当然外野には全く理解されないし、犯罪的行為の肯定にもなるので、SNSでは大炎上するし、やはり精神的に疲弊して病んでしまうことになる。「推し活」の内部からパワハラや性加害を反省してなくそうという主張や運動は、残念ながらほとんど皆無に近かった。
増田みたいに、相手の意図を理解しようとするよりも罵倒することを優先する場所では、説明を丁寧にする必要がある
例え話をするときは、なぜその例えを出したのか、ちゃんと説明しないといけない
「男向けの漫画では、男が共感しやすいシチュエーションや展開が出てくるはず」
みたいな、前段となる説明をしないと
みたいな反応しかこない
入社1ヶ月の時点から何も成長しないどころか逆に仕事量が減っていき、仕事が少ないのにミスも減らない、機嫌悪くなれば体調不良と主張して帰る、割り振られた仕事を「提出先の人と仲が悪い」といった理由で放棄する、取引先との電話中に突然タメ口になり激怒される、それらの言動を上司に注意されても「上司の態度が異常にきつい」としか受け取らない等なにも擁護できるポイントがない無能がいた。この手の人間は人間関係的にも自然と深く孤立するので大抵数ヶ月もすれば消えるが、何故か無能は2年以上辞めることなく職場に来ていた。
ある忙しい日の朝に無能が自称体調不良で帰った。月内でこの日不在ならもう雇っている意味がなくなるという日だったので、流石にどういう意図か会社側が確認の電話をした所「今日で辞める」と返答があった。後任への引き継ぎ等も一切拒否で職場に最大限のダメージを与える目的でのバックレだった。
無能が残した仕事は入社2ヶ月目の新人に引き継ぎなしで渡された。新人に任せるには少しだけ重いかもしれないという声もあったものの、新人は難なく無能の仕事を片付けてしまった。無能は本当に無能だった。