はてなキーワード: 初老とは
https://anond.hatelabo.jp/20200521211842
当初政府はその問題を、不況と同じレベルで考えていたらしい。時代に適応できない事業が淘汰され、自殺者が増えても、全体としてはやがてバランスが取れていくだろうと。
「エコシステムってやつね。何かが壊れたり死んだりしても、時代に沿った形で自然に復元し、バランスが保たれるはず、そう考えたのよ、政府は」
ところがそうはいかなかった。専門家の試算によると、復元が不可能なほど、人も事業も経済的な理由で死ぬことがわかった。あるいは海外に身売りする企業が増えるだろうと。実際、その兆しが見え始め、政府の支持率も落ち始めた。
焦った政府は、そこで本格的に救済措置を検討し始めた。それまでも単発的な給付金や貸付などは行っていたが、それでは間に合わなかった。
「結局いろいろあった後に、有望な事業は国が保護することになったの。うーん、半分国営化みたいな感じ?」
その経緯についてもっと詳しく聞きたかったのだけど、サタさんは「カショウに聞いて」と言って、説明を端折った。
一方、個人に対しては、継続的な給付金、つまりベーシックインカムが検討され始めた。
「その話が出たとき、もうみんな大盛り上がりだったわよ。そんなのできっこないって言いながら、本心ではみんなワクワクしてた。でもやっぱりね」
そうはいかなかった。財源が足りないのは明白だった。
「ベーシックインカムの話が出るずいぶん前に、政府はマスクと一時給付金を配ろうとしたの。でも、IT化の遅れのせいで、あちこちでトラブルが起きたの」
IT化の遅れ。これはカショウも言っていた。簡単にいうと、それまで政府は、既存の産業やエコシステムに気を使いすぎて、新しい技術を取り入れることができなかったらしい。あと、かたちを伴わない情報やデータを軽く見ていたのも、IT化が遅れた理由のひとつだったと。
「そんなときおとなりの国がね、ITの専門家――専門家って言っても学者というよりガチでコード書くプログラマのほうね――を招き入れて、マスクをみんなに、均等に行きわたらせることに成功したの!」
その様子を見た役人か誰かが、本格的なIT化と、配給制を検討することを政府に進言したらしい。そこではじめて、その技術的価値に見合う予算が組まれ、実務的なプランや技術の選定が行われた。どういったリーダーやエンジニアが必要かも、“おとなりの国”を参考にして割り出し、その発案者は政府を説得した。
「そんな案、コロナ以前は絶対通らなかったわ。政府は、それまでの社会の基盤となっている業界を優先せざるを得なかったから。でもそのつながりを断ち切ったのがコロナだったの。コロナが新しい可能性のリミッターを外したの」
古い社会的基盤を維持するために、新しい可能性は活躍の場を奪われていた。そのことをサタさんはリミッターと表現したらしい。サタさんは、配給制のバックグラウンドに、労働力不足があったことにも触れた。
「外出や人との接触も制限されるじゃない?そしたら、必然的に労働力も減るのよ。労働力が減ればつまり……、モノが減るの。外国との行き来もできないから、輸入も難しくなって……」
つまり、資源は限られている。その資源を過不足なく、国民に行きわたらせるには、現金よりも物資のほうが有効との考えで、配給制が有力となった。
「もうみんなガッカリよ。SNSは荒れまくって。配給制って、戦争の貧しいイメージしかないじゃない?あと、社会主義っぽい感じ?完全に私たち、管理されてるような?」
しかし政府へのネガティブなイメージは、数年後にはまったく真逆のものに上書きされることになった。
「着いたわ、ここよ」
サタさんは大きな建物を指さした。その配給所は、この一帯の集積所も兼ねていて、ここからさらに小さな配給所にも送られるらしい。サタさんたちは、たまたまこの大きな配給所の近くに住んでいた。
「よくここで買い物したのよ昔は。いろんな服屋さんとかレストランが入ってて。懐かしいわ」
今は、積み上げられた荷物以外は人も物も少なく、がらんとしている。
サタさんは並んだ端末のひとつに、自分の小型タブレットをかざした。
「指輪型とか時計型とかあるけど、私、指輪も時計も苦手なの。だからずっとスマホ型のを使ってるの」
サタさんのタブレットに、荷物の格納場所が示される。その案内に沿って、僕たちは移動する。
「よう!サタちゃん」
初老の男がこちらに笑顔を見せる。作業着らしい服装に身を包んでいる。サタさんも満面の笑顔とあいさつを返す。
「前言ってたやつ。届いてたよ」
彼はそう言って、僕たちをその場所まで案内した。
配給所では、必ずこういったおじさんを見かける。彼らはたいてい、荷物を下ろすのを手伝ったり整理したりしている。
すでに紹介したとおり、この世界では、生活のための労働というのはほとんどない。たいていはロボットによって自動化されている。
じゃあなぜ、彼らはここにいるのか。
それは、ちょっと説明がむずかしいのだけど、彼らのパッションとしか言いようがない。
つまり彼らは、ここで作業を手伝うことを喜びとしているのだ。誰かと立ち話をすることを楽しむものもいる。黙々と作業するものもいる。
いずれにせよ、誰かからの感謝の言葉や、あるいは作業そのものを、自分の喜びとしている。
カショウと行った盛り場なども同じで、過去にそういった経験のある年配の男女が、食事や飲み物の提供を手伝っている。配給所や盛り場に限らず、こういった自主的な労働は、あらゆる場所で見られる。
「昔はみんな、生活のためとか、それが普通だからって理由でしかたなく働いてる人が多かった。労働は苦痛だと思ってる人がほとんどだった。だけど今は、楽しみや自己表現でさえありえるのよね、働くことが。自由だから」
おじさんが笑顔でそう言った。
おじさんのような有志の労働には、ポイントが付加される仕組みになっている。ポイントは、この世界の通貨のようなもので、モノやサービスなど、何とでも交換できる。僕たちは基本的に政府の配給とサービスだけで生活ができるので、ポイントはまさに、趣味や嗜好品のためのおこづかいと言える。
「昔のポイントカードのなごりね。もうちょっと気の利いた名前なかったのかしら」
ポイントが使われるシーンとしては、誰かのハンドメイド家具やアート作品と交換したり、何か作業を頼んだ時に、その謝礼として送ったり。たいていは個人間取引で利用される。
おじさんは振り返って棚のひとつを指さした。
「これだ。降ろしてやる」
配給物資だけでなく、個人間取引の荷物もここに届く。サタさんはうれしそうに小包を受け取った。
おじさんは自走式のカートにすべての配給物資を積んでくれた。3、4日分の食料や生活雑貨なので、そこそこの量がある。
「前回は雑穀を頼みすぎたから、今回は減らしたのよ。その代り、今回はペーパー類がかさむわね」
「配給制も、最初の頃はめちゃくちゃだったが、こんなに細かく調整が利くようになるとはな。便利なもんだ」
「最初はね、あれが足りないとか、システムのトラブルとか、大混乱だったわよね」
「機械化が追いつくまでは本当にモノがなかったしな。でもあっという間に、人間の労働力の不足を機械が埋めてくれた。それに今は……、ストレスが少ないから、ストレス解消のために無駄に消費することもなくなった。そんな気がするんだよな」
「リミッターもはずれたしね」
「ん?リミッターって?」
サタさんはフフフと笑ってごまかした。
「ほんと!何もかもストレスなくてラクになったわ。昔ほら、オンラインショップのサービスで定期購入ってあったじゃない?あれを政府が一括でやってくれてるような感じね、今の配給制って」
そう。配給制と言っても、一律で配給されるわけではなく、その家庭の消費傾向が反映されているので、不満を感じることはほとんどない。
各家庭ごとに一定の枠があり、その枠の中でならどんな組み合わせで発注してもかまわない。そしてその消費傾向はコンピュータに記憶され、次回からの配給プランに反映されるので、放っておいてもある程度その家庭の生活傾向に合った物資が届く。
「ただ、昔ほどバリエーションがないのは寂しいわね。昔はね、石鹸ひとつとっても、いろんな企業が、いろんな色や香りのものを売ってたのよ」
「今は需要の大きいものしか作らないからな、政府の一元管理だから」
「技術や品質、コスト的に洗練されたものしか作らないとも聞きました」
僕も勇気を出して、会話に参加してみた。
「昔あった企業の、すべてのノウハウや技術を結集させて作ってるからな。どの製品も、最高のところでコストと品質のバランスが取れてる。まあ、どれも無難で個性がないと言えばそうなんだが……」
サタさんはさっきの小包を開けて、中から半透明のなにかを取り出した。鼻元に近づけ、においをかぐ。中に鮮やかな花が埋め込まれているのが見えた。明らかに量産された配給品とは違う、“誰かの作品”だった。
そう言って、それをひとつおじさんに手渡した。かすかに清々しい香りが漂う。
「いやぁオレはこういうのは……」
「じゃあ奥さんに。ふふふ」
おじさんにお礼を言って、僕たちは配給所を後にした。自走式カートの後を、僕たちはゆっくり歩いた。
「ああいいにおい」
サタさんはその間ずっと、“誰かの作品”を鼻に押し当てていた。
自分は豪華なくらしにまるで興味がなく、モノは買わないし、良いところに住みたいという欲求は皆無だし、
食べ物も、人と一緒のときは多少贅沢することもあるけれど、基本的には、極々庶民的なつつましい食事、なんなら安めの食生活を送っている。
足るを知るというか、節制していてよいという見方を若い頃はしていたのだが、初老という年になってこのライフスタイルをしていて気づくのは、
お金は使わない限り、どんなに所得が上がっても、生活が20代のころとまるで変わらんのよな。お金はあるのに生活レベルが変わらない。
このあたりのお金の使い方って、やっぱり育ちも影響するのかね。
幼少〜十代の頃の生活に影響を受けている気がして、自分なんかは決して裕福な家庭ではなかったので、
お金の使い方や、出費に関する感覚が固定されちゃってるのかなって、程々にお金使って楽しそうに生活してる友人なんかを見ると思う。
社会福祉の道を志す者です。※タイトルは吊りです、すいません。
高齢者の一人暮らし世帯の数は、2005年の387万世帯から2030年には717万世帯に倍増すると推計されています。
また、我が国の高齢者は、地域活動への参加が極めて少なく、頼れる近隣の知人もほとんどいない状態(家族しか頼れないが近くに住んでいない)で先進国の中でも圧倒的に社会的に孤立していることが統計でわかっています。この傾向はおそらく改善しないのではないかと考えています。
はてなに集うであろう(少なくない)初老の単身男性(もちろん女性も)のみなさんはこの現実に対しどのように考え、備えているのか興味を持っています。はてブ、他責的な傾向は見られますが、その批判的思考が自分にも向けられていると思いますし、その辺でランダムにアンケート取るよりは有益な情報が得られるかと思いました。
29の初老が何言ってんだ。
でもあの互いが互いを愛し合ってる関係が本当ならすごくうらやましい。
いつもいがみ合ってる自分の親を考えると余計に。
今日は長男(3歳8ヶ月)の眼科に家族4人(夫婦、長男、1歳8ヶ月次男)で行ってきた(4人で行く理由はみんなでいる方が長男が騒がないから)。検査薬の点眼が3回もあり2時間半もかかった。待ってる間、長男は4人で行った甲斐もありおとなしくしていたけど次男は飽きてくると歩き回ったり、少し大きい声で叫んだり。
途中で事務の男性から「体調も悪い方がいらっしゃるので静かにしてもらえると」と言われて分かりましたと回答する。とは言え歩き回らないようにするために抱っこしても押さえつけられると嫌がるし、外に行くと今度は長男が怖がって泣いてしまう。そもそも泣いたり大騒ぎをしているわけでもないのにそれ以上の注意を払う必要があるのか。
どうしたらいいんだろうと考えていると、今度は初老の男性が、「さっき事務の方に注意を促したものです。体調が悪くて困っているのですがなぜ、静かにしてもらえないのですか」と問い詰められる。一応、事情は話したが理解してもらえず「じゃあどうすればいいんですか?」「考えたら分かるだろう!」と言い合いに。最後は「じゃあもうこの病院には子供連れできません。駅前の病院は賑やかで和やかなので」と捨て台詞吐いて立ち去る。結局こう言う場合はどうすればよかったんだろうか?
※ ネタバレはしていないつもりです。
※ BL要素はありません。
知り合いの女性(刀ミュオタク)から、「チケットが余ったのでよければ一度観に来ないか」と誘われた。秋ごろのことだった。
彼女(以下、Aとしよう)はひとつの公演でそりゃもう何会場も回る筋金入りで、推し俳優のリリースイベントやバースデーイベントなどにも足繁く通うほどの生粋のオタクだ(ほめてる)。都市圏ならば全国どこでも行くような人物であるが、もちろんこういうジャンルは得てしてチケットの争奪戦が厳しい。というわけで仲間たちと複数人で申し込んで当たった誰かのチケットに便乗して……というのが通例になっているのだが、なんでも我々の地元・愛知会場も同じように複数人で申し込んでいたところうまいこと全員当たってしまい、誘うアテがなかなか見つからなかったため試しに私に声をかけてくれたのだそうだ。(ちなみにA名義で4席あったため、共通の女友達B、Cにも声をかけていた。)
最初は断ろうと思った。まあほぼ間違いなく浮くだろうし、「本当に観たい人がいるはずなのに自分なんかが行ってもいいのか?マナー的に。あとでツイッターで怖い女性ファンたちに匿名で叩かれ、磔刑にかけられるんじゃなかろうか」などということを思ったからなのだが、実際少なからず興味はあったのと、まあお金は出すんだし着席する権利はあるだろうと自分に言い聞かせ、誘いに乗ることにした。
私はもともと、女性向けコンテンツに興味がないわけではなかった。そもそも男性声優のラジオ(DGSとか)を聴く程度にはオタクであったし、アニメはほとんど見ないものの、ハマってしまったFree!!のブルーレイは2期+劇場版までそろっているし(ちなみに推しは宗介)、最近はヒプノシスマイクの曲を聴いており、キャラごとのドラマパートまで聞くようになってしまったし。それに、件の刀剣乱舞もサービス開始から1年程度はプレイしていたこともある。比較的少年系の刀が好きだったので、蛍丸や獅子王を最後までメインの編成に入れていた。
しかし、2次元キャラでもなければ声優でもない、いわばゲーム原作が立ち上がった段階では関係のなかった、俳優たちによるゲーム原作のミュージカルに、果たして惹きつけられるような魅力はあるのか。一応演技のプロではあるが、歌のプロでもなく、ダンスのプロでもない。原作への愛はあるのかとか、クオリティはどうなのかとか、気になる部分はいくつもあったし、今思えば少し懐疑的に見ていたような気もする。その答え合わせのために行ったような側面もあったと思う。
今回の会場はセントレアすぐ横のスカイエキスポという場所。初めて行く所だったので、少し早めに名古屋駅から中部国際空港駅への電車に乗ったのだが、まずここで驚いた。乗客の9割が女性。「え?これは”やった”(女性専用車両に誤って乗ってしまうの意)か?」と思った。必死で背伸びし、血眼になって男性を探したところ、扉のすぐ前にスーツケースを持った初老の紳士を発見した。心から安堵した。私には彼が救世主(メシア)に見えた。違和感に気づいてから紳士を見つけるまで時間にしてわずか3秒ほどのことであったが、私にとってはひとつなぎの大秘宝をめぐる壮大な冒険の時間であった。ワンピースの正体が初老の紳士だったらウケるだろうな。
多くの女性たちはよく見るとなんかカバンとか髪とかに似たようなヒモみたいなやつをつけており、ああ、彼女たちが今日の公演の来場者か、とそれで察しがついた。
私は音楽が好きでライブやフェスにもよく行くのだが、そういったイベントに向かう来場者が一様に身に纏う”モード”みたいなものが好きだ。同じようなアイテムを身に着けた人々が、同じような期待感をもって同じ会場へ向かう。まったくの他人のはずなのに、全員で遠足に来ているような感覚に陥る。私は所有していた唯一の刀剣乱舞関連グッズ、蛍丸のラバーストラップをカバンにつけながら、そんなことを思った。
到着したのは開演の1時間ほど前だった。先に現地に来ていたAと合流し、遅れてくるB・Cを待ちながら辺りを見渡してみた。女性ばかりだ。チラホラ見かける男性も、その多くは隣で開催されているFGOの展示会に訪れたような風采で、見たことあるキャラの見たことないグッズを手に奥の施設へと歩いて行った。事前には聞いていたが、男子トイレはがらんどうで、広々としたスペースの中に3人いただけであった。普通にめちゃくちゃ刀剣男子の缶バッジつけてる方とかもいて驚いた。
B・Cとも合流し、我々は人波に流されるまま会場内へ吸い込まれた。会場内は予想していたより二回り以上大きくて、コンテンツの覇権っぷりを身に染みて感じた。
席は通路側から4席分だった。私のにわか知識でも通路側は人気だと知っていたため、さすがに通路に接する席はAに座ってもらい、私はその隣に座った。Aはなんとも用意周到で、私の分のペンライトやうちわまで用意してくれていた。刀ミュの専用ペンライトは優れもので、推しの色を先に登録しておけるらしい。私は操作の指南を受けながら、スタンダードな青色を初期配置として記憶させた。
またも話がさかのぼるが、私は以前からAに(オタク気質を見抜かれて)刀ミュ関連の画像や動画の視聴を勧められていた。男性が男性を推すというのは恐らくややイレギュラーなことなのだろうが、その中で私は2人の”推し”を見つけた。
1人は鳥越裕貴氏。役は大和守安定だ。刀剣男子自体の役どころとしては真面目で実直ながら、どことなく女性的で可愛らしいキャラクターだ。しかし、私はむしろ、役に入っていない状態の鳥越氏に非常に魅力を感じた。というのも彼は、ツッコミが上手い。
これは私の持論なのだが、いわゆるコント的な場の空気になったとき、「なんとなくボケる」ことは誰にでもできると思っている。もちろんその巧拙については個人差があるが、ボケは簡単なのだ(だからこそ才能の発揮される部分でもあるのだが……)。対してツッコミは、才能だけでは解決できない。その場の状況を整理し、その場に応じた言葉を、できるだけ早く用意する能力は、長年のトレーニングによってのみ形成される。そうして身につけた能力を、玉石混交のボケに対応して発揮してあげるのだ。その点で、ツッコミはサービスだ。だから、適切な、上手いツッコミができる人というのはボケの人数に対してかなり少ない。そして、鳥越氏のツッコミ能力は(少なくとも私が視聴したいくつかの動画でのトークで判断するならば)刀ミュ俳優の中では群を抜いている。おそらくこれは、彼が多様な人物と積極的にコミュニケーションを取り、相手を尊重しながら話すことを心掛けてきたからなのではないか。そんな背景が透けて見えたりするところに人間味と魅力を感じた。(あと筋トレの動画がシンプルに参考になった。)
もう1人の推しは、大平俊也氏。役は今剣。これは役のイメージと本人のイメージがぴったり合致する。中性的・少年的で、あどけなさが残るところが氏の魅力だと思う。普通に顔が可愛い。初めて写真を見たときは、そういう印象だった。
ただ実は、彼に関しては開演前、これ以上の印象がとくになかった。動画などを見ていても、ただ容姿や仕草が可愛らしい真面目な人という感じで、もう一歩魅力を感じる部分に欠けていた。強いて言うなら彼にはただ天真爛漫なだけではない、いわゆる「闇(この言葉が深い意味で使われることってほとんどないのであまり使いたくはないのだが)」を感じたような気がして、そこを興味深く考えたからなのかもしれない。(あとこれは完っっっ全に言いがかりなのだが、邦楽ロック界隈では見た目が中性的なバンドマンほど性欲が強くてファンと寝まくっているという根も葉もない(たぶん葉くらいはある)噂がまことしやかに囁かれており、同じく大平氏も男性的な部分を見せたりするんだろうかという謎の興味もあったのかもしれない。)
そういうわけで、私はひとまず、2人のうちとくに人間として魅力的だなあと思った鳥越氏(安定)を推しとして設定し、ペンライトの色を決めたというわけだ。
私の席から見渡した辺りはほんとうに女性ばかりで、電車内の女性が9割だったとしたらここはもう99割が女性だった。男性の存在についてAに訊いたところ、「まあほとんどが彼女に連れてこられてるだけの人だね」と言っていた。リア充爆発しろという一言でも言いたいところであったが、ここで爆発されたらイベントに影響あるし片付けとか面倒だろうな、と考えて口をつぐんだ。
照明が落ち、舞台が始まる。観劇自体がずいぶんと久しぶりだったので、なんだかいやに緊張した。隣に座るAは早速双眼鏡を取り出し、推しの額に光る汗を堪能しているようだった。(Aは同公演に何度も通っているため構成や内容を覚えてしまっており、推しが出てくる数秒前から出てくる位置にすでに双眼鏡を向けていたためさすがにすごすぎて笑ってしまった)
ドラマパートでは刀剣男子たちが次々に現れ、おのおののキャラクターらしい台詞で我々を楽しませてくれる。思っていたよりも総じて演技のレベルが高く、ちょくちょく挟まれる小ボケも普通に笑える。
そうこうするうち私が注目する安定が現れ、男子たちの会話の輪の中に飛び込んでいった。しかし、私はここで少し違和感を覚える。筋トレの動画を何度も見ていたせいか、あどけない口調の安定と兄貴肌の鳥越氏のイメージが重ならない。まあまあこれはこれでいいか、役なんだから、と納得させながら私は舞台のほうに居直った。
逆に、今剣は役と人物が寸分違わず重なった。大平氏の声・仕草は、本家のゲームで出てきた今剣のイメージとほとんど同じだった。鳥越氏の力不足とかそういうことでは断じてなく、これは純粋に大平氏の持つ魅力と、またそれを見越してあてがわれたキャスティングの妙だと思う。それほどまでに今剣の立ち回りは見事だった。
しばらくすると、おもむろに周囲の女性たちが起立し始めた。なんだなんだ、校歌でも斉唱するんかと思いながら付和雷同、私もペンライトを持って起立した。どうやらここからしばらくはライブパートらしい。ミュージカルと言いながらけっこう現代的な曲(EDMとかそっち寄り)なんだなあなどと思っていると、演者たちがステージで踊りだし、さらには客席中央のステージでもダンスが始まった。
先に言っておくが、歌もダンスも全員上手い。だがその中でも、大平氏のダンスは別格に感じた。なにって、踊っているのがはっきりと”今剣”なのだ。彼は背も高くない、体つきも華奢で、いわゆるダンサーとしての資質は他の刀剣男子に劣っているといえる。しかし、手足のフリが誰よりも大きい。大きいだけでなく、キレもある。そしてその懸命さが、彼のマイナスの資質をいっきにプラスへと逆転させていた。ステージ上で彼の弱点は、はっきりと長所だった。「おそらく今剣が踊ったらこんな風なんだろうな」という彼なりの答えが、あのダンスには込められていた。
踊る彼を見て、この人は無敵だ、と思った。
ダンスに魅入っているのも束の間、舞台はまたすぐにドラマパートに戻り、ライブパートと交互に展開しながら進んでいく。そしてついに山場、俳優たちが客席まで降りてくるフェーズが訪れた。通る刀剣男子から直接手を振ってもらえたり、ウィンクされたりすることを、ファンサービス(ファンサ)というらしい。私は自分の推しが通ったらなんとなくうれしいな、という程度で呑気に構えていた。(隣のAは推しの様子を見ながら奮起していた)
通りがかる刀剣男子たちをぼーっと見ていたときのこと、後ろ側からやってきた和泉守兼定が、私に向かって指をさし、はっきりと目線をくれた。一瞬、自分に向けられたものかどうかわからなかった。よくわからないが笑顔で応えたことだけは覚えている。こんなことを言うとタイトルの通り誤解されそうではあるのだが、私の知る限りあのときの感情に最も近いものは、恋だ。
理由は説明できない。できないのだが、「イケメンが選んでくれた」という感情は、きっと男であってもうれしいのだと思う。それほどまでに私が受けたファンサは衝撃的だった。そして、推しでもない人でこれなのだから、これを自分の推しから直接もらえるなどということがあれば、それはどれほどのクソデカ感情になるのか。想像すると、むしろ恐ろしくなるほどだった。
終演までのライブパート、私は自然と目で今剣を追っていた。彼の、あの衣装でのダンスをもっと見たい。いつまでも見たい。だんだんとそう思うようになっていた。
終演後、私はAに感想を伝えた。予想していたよりずっと面白かったと述べると、Aはしたり顔であった。彼女は物販に行くと(地元なのでここでお金を落としたいという敬虔なオタク然としたことを言っていた)私に伝え、人波に消えていった。
帰りの電車は行きよりも空いていた。今思えば、夜公演まで見ていく人たちがけっこうな数いるのかもしれない。私は大平俊也氏のツイッターアカウントを捜し、迷わずフォローした。
Fear, and Loathing in Las VegasというバンドのMinamiというメンバーがいる。彼はステージ上で、まさに狂人だ。髪を振り乱しながら叫び、かと思ったらわけわからんパラパラみたいなダンスを踊り、でも楽器はちゃんと弾く。そして、嘘くささが一切ない。
Soil&”PIMP”Sessionsというバンドの社長というメンバーがいる。紅白のとき、椎名林檎の後ろでヒマそうにしていたあの人だ。彼はジャズバンドの中にいながら、楽器を(ほとんど)弾かない。彼の担当は”アジテーター(煽動者)”。悪趣味なマフィアみたいな恰好で、ステージ上をふらつきながら、メンバーの演奏をのぞき込んだり、客席をメガホンで煽ったりする。ほんとうにこの役割を必要だと思っているのか。どこまでが演技で、どこまでが素なのか。まったく読めてこない。
私は彼らを見るたび、自分に成しえないことをしていると尊敬する。
私は、エンターテイナーが好きだ。それは、役を”憑依”できる人のことだ。舞台の上で演じる人たちは、素の自分のままではもちろんいられない。しかし、役を演じすぎると、それはそれで嘘くささが付きまとう。だから、役を演じていながら、まるでそれが役だと感じさせない立ち振る舞い。そういう”憑依”を楽しみに、私はミュージシャンのライブへ足を運んでいる。
大平俊也氏は、まさにこのエンターテイナーだと感じた。彼は舞台の上で、間違いなく今剣だった。仕草や声の可愛らしさと、ダンスの躍動感。(あと顔の良さとかもろもろ。)それらをひっくるめて、私はしてやられた。
鳥越氏はもちろん好きだ。しかし、実際に見た舞台では(少なくとも刀剣乱舞という題材では)、大平氏のエンターテイナー性のが私にとっては魅力的だった。それだけのことだ。間違いなく今後も、鳥越氏の動画は見続けると思う。
私は自宅に帰り、もらったペンライトを取り出した。推しの色をピンクに設定し、棚にしっかりとしまった。次は、ピンク色のヒモみたいなやつも手に入れたいところだ。