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2024-05-23

anond:20240523100428

偏見というのは、配慮すればなくなるというもんじゃないんだろうな。

強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、

悟りを開けば自分偏見を解消できるわけでもないし、

言論警察よろしく配慮に欠ける発言バッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。


男女の役割固定化についても思うんだけどね。例の出産の件とかね。

配慮に欠ける発言バッシングして偏見を乗り越えたつもりになって、その内実は、しらずしらず別の認知のゆがみに囚われているってことはある。

例えば、女性の傷つきやすさを前面に出さないと大臣発言を叩き潰せない、というところに。

男女の役割固定化理性的批判するつもりでいて、ふっと自然に強さや傷つきやすさの自らの偏見が滲みでてしまうというか。

近代黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、

なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。

それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。

さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。

ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。

もちろん、制度機会平等理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。

偏見はなくならないけど、制度の普及に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それ以上のことはあえてしないほうがいい。

しかし、偏見を解消しようとして、制度的公平といいつつも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、変なことになる。

かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。

たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分偏見を認めたほうがいい思うんだよね。

制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せ自己実現否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。

男性社会にあって嫁として母として子供を育ててきた誇りある人生否定するのがフェミではないと思うし。

そういう意味じゃ保守主義の自覚重要、というところか。

anond:20240523114050

伝統を重んじる=保守的で変化を嫌い、ルールの変更をするにしても長い議論と調整と説得と情報共有と根回しが必要になる、なのでルール変更と食い合わせが悪いか

塩とかうま味調味料とかより、「酢」。

塩だのうま味調味料だのより、実は何倍も価値過小評価されてるのが「酢」。

砂糖が精製できるようになって、砂糖中毒人類は酢の素晴らしさを忘れてしまった。

 

酸味と甘味互換性がある

実は人間の味覚として、「酸味」って「甘味」とだいぶ互換性があるんだ。糖分を減らしてすっぱい味つけにしてみると案外それで成立しちゃう

さらに、酸味を取り入れた料理をしてみるとわかるけど、酸味の効いた味は、現代の精製米、精製小麦パンよりも、玄米雑穀黒パンなんかにはとってもとっても合うんだな。

現代食は、おかずが甘くなって、それに合わせて主食も甘くなっちゃってるわけ。

 

塩梅梅酢と塩)の伝統食

昔の言葉では「塩梅梅酢と塩)」とも言うように、塩と並ぶ調味料と言えばお酢(酸味)だった。

これは和食だけではない。

フランス料理だって伝統的なソースは「レモン」「ビネガー」などの酸味と油を混ぜ合わせたものマヨネーズフレンチドレッシングもそうでしょ?)。

 

お酢健康にも良い

そして言うまでもなく、酢はとても身体に良い。最近常識だよね。

甘いもののかわりにすっぱいもの代替食っていうのは、ダイエットにもかなり効く。

肝臓を助け、血糖値の安定や胃酸の助け、アルコールの分解にも役立ちます。良いこと尽くめ。

 

こんな良いものを、みんな日常的に取り入れようとしない。

「すっぱいもの」より「甘いもの」の方が良いから?

甘えだよね。いや、すっぱいのも普通に増田は好きだけどね。そんなにみんな甘い方が良いか

 

『滅びろ商店街』 (2023年映画)

『滅びろ商店街』は、2023年1月25日に公開された日本ホラー映画監督山本政志、主演、山田裕貴

あらすじ

地方の小さな商店街で、突然人が消え始めるという不可解な事件が発生する。主人公青年山田一郎山田裕貴)も、親友失踪事件きっかけに、商店街秘密に迫る。

一郎は調査を進める中で、商店街には古くから伝わる呪いがあることを知る。その呪いによれば、商店街は定期的に滅びることになっており、その度に新たな商店街誕生するのだという。

一郎は、商店街を救うために呪いを解こうとするが、そこに謎の集団が現れ、彼らを阻む。一郎は果たして商店街を救うことができるのか? 

解説

『滅びろ商店街』は、日本伝統的な商店街舞台にしたホラー映画映画の中で描かれる商店街は、活気あふれる昔ながらの商店街でありながら、どこか不気味な雰囲気を漂わせている。

また、映画には呪いや謎の集団など、ホラー映画定番要素がふんだんに盛り込まれている。これらの要素が絡み合い、観客を最後まで飽きさせない展開となっている。

評価

『滅びろ商店街』は、ホラー映画ファンから高い評価を得た。特に日本伝統的な商店街舞台にした設定や、ホラー映画定番要素をうまく取り入れた脚本が称賛された。

また、山田裕貴の演技も評価されている。山田裕貴は、主人公青年山田一郎を熱演し、観客を映画世界に引き込んだ。

その他

『滅びろ商店街』は、日本ホラー映画の新たな可能性を示す作品と言える。伝統的な要素と現代的な要素を融合させたこ作品は、今後多くのホラー映画ファンを魅了していくことだろう。

補足

『滅びろ商店街公式サイトhttps://horobiro.street/

2024-05-22

カードゲーム商業的には新カードを出し続ける必要があり、伝統的なルール環境確立できない

あ、グウェントは枯れ気味でちょっとスポーツか?

2024-05-21

anond:20220523135553

まあ、音楽なんて所詮は好みってところがあるから自分に合う合わないで考えた方がいいかも。クラシック音楽ファンの中でも「ベートーベン苦手」とか「バッハなんてどこがいいんや」とか「リストは勘弁して」とか色々あるから。 

はいものの、伝統がたくさん積み上がってる芸能世界は大抵そうだけど、それなりの慣れとか探索とかの個人的な積み上げはモノを言うよ。自分がどんなのが好みなのかを知るだけでも結構時間がかかるから。(クラシック音楽なら何でも好きなんていう人はほぼいない)

anond:20240521044420

それで創業者一族も貧しいなら仕方ないけど

だいたいそういうところの子供は有名私学とかに行きがちで

労働者をを搾取して自分たち一族の肥やしにしてるだけなのがよくわかる

ダメ家族経営伝統という言葉で誤魔化されてるだけ

だいたい潰れる伝統芸能とか伝統工芸とかはこういうクソ家族経営の成れの果てみたいなところがある

 

から思うよ

伝統は滅びる時は滅びるし

悲劇主人公じゃないことも多いって

2024-05-20

北斗の拳を読んだらジェネレーションギャップがすごかった

先日、ピッコマで「北斗の拳」が1日限定全話公開してたので読んでみたんだが、本編はもちろんのこと、時代を感じる部分があって面白かった。


一気読みなのでうろ覚えも多くてすまんが、平成生まれオタクから見たジェネレーションギャップをまとめてみる。



・男女の区別がはっきりしてる

男とは!女とは!というカテゴリで括られていて「男に生まれたからには」「女としての幸せは」みたいな性別による話が多い。基本的に男が戦っていて、女は戦わないし、戦っても弱い。進撃の巨人とかキングダムみたいな強い女は出てこない。(ユリア実はめっちゃいかと思ってた)



女子供不可侵領域

基本的に「女子供」は絶対に殺してはならず、守るべき存在。殺すのは相当な外道というポジション。「女子供を殺す奴は人間じゃねえ」って主人公サイドが言ったり。「俺は女でも殺すぞ!」みたいな脅し文句を悪の象徴として使ったりする。鬼滅では老若男女が喰われているが、女子供を喰っていることだけに非難が集中するわけじゃない。子供に対する不可侵はまだありつつも、薄れてきている感覚かもしれない。



・男は守ってもらえない

ヒーロー一般人という区分よりも、男と女子供という区分が強いので、男である限り一般市民でもあんま守ってもらえない。妹を人質に取られると兄は必死になって助けようとするが、それが弟になると「あいつにも死ぬ覚悟ができている」とか言って助けないパターンになる。男に厳しい。悪役に殺されるモブも男ばかり。男が殺されて女子供が殺されそうになった頃に主人公が助けにくる。男も助けてくれ。ヒロアカ女子供しか助けてもらえなかったらすごい違和感ある。時代なのか?



性的言動が少ない

舞台世紀末だけど性暴力的言動描写がほぼない。美人キャラ捕まえた悪役がいうセリフも「美人を捻り殺すの好き」みたいな感じで「俺のものにしてやるゲヘヘ」みたいな感じじゃない。誘拐しても無理やり襲わない。最近の方がそのあたりはエグい。



ヒロイン母性

ビンタしないし文句言わないし口数も少ない。平成暴力ツンデレヒロインとは違う。多少の反抗はありつつも基本は受け入れていく姿勢で寛容。ユリア母性が強く、みんながそこに惹かれている設定なんだが、それを大々的に語られていることが衝撃だった。周囲に「母性に惹かれてる」って思われるのってあの時代的には普通なのか?恥ずかしくないのか?「あの人、ユリア母性に夢中なんだね」って言われるんだよ。性癖みんなに把握されてるようで自分なら取り乱す。



・命より誇り

かっこよく死ぬ!というスタンスというか。命よりも誇りを取る。掟とか伝統もかなり大事美学に命かけてる感じ。昨今の作品はわりと命を大事にしている。主人公サイドは特に「掟を守って死んだら元も子もないねーだろ!?」みたいな型破りが多い気がする。北斗の拳ではかっこいいやつほど命をかけてるので、メインキャラがばんばん死んでく。死ぬペースも速い。



・親子の親は死亡フラグ

父親はだいたい死ぬ母親ときどきしぬ。親が死んでも、子が受け継ぐみたいな価値観が強そう。親子キャラから死なないだろ、主人公が助けてくれるはず!みたいな前提で最初は読んでたけど、最後の方は子がいるってことは死にそうだなと思うまでになった。最近漫画映画子どもを一人残して死なないパターンが多いかも?



ラスボス系が子孫を欲しがる

カイオウが「子をなす」ことを望んでいるのが意外だった。DIOとかヴォルデモートとか鬼舞辻無惨とか、ラスボス系は不老不死になって自分永遠になる!みたいな思考が多いので。子供を作って受け継ぐみたいな人間的な営みを望むのが意外。上記の親子の価値観と近いところがあるのかも。



平成生まれでもギャップがあるなら、令和生まれが読んだらどんな風に感じるのかすごく気になるところだが。

たぶん、どの時代に読んでもラオウに憧れるやつはいると思う。ラオウかっこいいよラオウ

anond:20240520153710

成りすましは2chの頃から行われ青識亜論も行った伝統ある弱男しぐさです

伝統に敬意を

アサシンクリード シャドウズの主人公は女忍者ですよ???

奈緒パートと弥助パートがあるっていうだけで

基本的奈緒江が主人公でしょ?

アサクリ伝統のフード被ってるのは奈緒江の方だし

弥助は鎧着てるから暗殺もしないでしょ

まぁ最近のアサクリは暗殺要素が薄いけど・・・

2024-05-19

わびさびの基本

わびとさびは、日本重要美的概念

わび

わびとは、新鮮で素朴なもの

シンプルさと静けさを表し、素朴な美しさも取り入れている。

自然によって作られたもの人間によって作られたものの両方が含まれる。

また陶磁器流れる釉薬によって作られる模様のように、全体に優雅さと独自性を与える偶然の要素 (あるいは小さな傷さえも) を意味することもある。

さび

さびとは、年月を経て美しさを増すもの

経年変化のことを指し、使い込むことで変化していく概念が、物をより美しく、より価値あるものにしてくれるかもしれない。

これには、人生のサイクルを正しく理解することと、損傷を注意深く巧みに修復することも含まれる。

その他の見解

「わびとは、素朴でありながら洗練された孤独な美の性質です。さびとは、青銅緑色腐食であれ、木や石の苔や地衣類の模様であれ、風化と経年変化によって生じるその特質です。」- 精神の反映:アメリカ日本庭園マギー・オスター

「もともと、日本語のわびとさびはまったく異なる意味を持っていました。さびはもともと「寒い」「痩せた」「枯れた」という意味でした。さび本来社会から離れて自然の中で孤独に生きる悲惨さを意味していました...14世紀頃両方の言葉意味は、よりポジティブ美的価値観の方向に進化し始めました...その後何世紀にもわたって、わびとさび意味は大きく交差し今日ではそれらを分ける境界線は実際に非常に曖昧になっています。」- 「アーティストデザイナー詩人哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン

「わびという言葉は、翻訳には向きません。孤独寂寞、素朴な素朴さ、静かな風情、骨董品に対する優しい愛情、気取らない、そしてむしろ憂鬱な洗練など、さまざまな意味を持ちます。」- 「日本建築古典的伝統現代版」数寄屋の流儀伊藤貞二、二川幸雄

「...小堀遠州桂離宮設計者として広く知られている男。建築庭園適用された遠州様式は、宮廷伝統優雅さと優雅さと、千利休が好んだ厳格な素朴さを統合したものでした。この組み合わせは、思っているほど突飛なものではなかった。なぜなら、利休さび(人里離れ、静けさ、牧歌的簡素さ、自然への近さを暗示する美的理想)は、長い間伝統的な日本人の顕著な特徴であったある種の現実逃避的な要素に似ていたかである。」- 「桂 王子の隠れ家」内藤彰、西川丈志

「わびさびとは、不完全、無常、不完全なものの美しさです。控えめで謙虚ものの美しさです。型にはまらないものの美しさです。...わびさびに最も近い英語はおそらく「rustic」でしょう。 ……わびさびものは、研究されておらず、気取らないものである……彼らの職人技は、見分けるのが不可能かもしれない。- 「アーティストデザイナー詩人哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン

「侘び寂びは、謙虚さ、抑制、単純さ、自然主義、奥深さ、不完全さ、非対称性を特徴とし、シンプルで飾り気のない物体建築空間を[強調]し、時間と手入れが素材に与える穏やかな美しさを[称賛]します。」-「はじめに:茶の湯」、裏千家シアトルホームページ

「荒々しさに対するある種の愛が関係しており、その背後には隠された美しさが潜んでいて、私たちはそれを独特の形容詞で渋い、侘び、寂びと呼んでいます。...この内に秘められた美しさを渋いと呼んでいます創造者によって鑑賞者の前に提示される美。鑑賞者が自分自身で美を引き出すことができる作品世界には、それぞれの性質環境に応じて、美のさまざまな側面が溢れていますしかし、その味わいがさらに洗練されていくと、必然的に渋い美しさにたどり着くのです。」- 「知られざる職人:美への日本洞察」、柳宗悦バーナード・リーチ

日本滞在中、渋いという言葉を頻繁に聞いたことがあるはずです。この言葉英語に正確に翻訳することは不可能です。「厳格」、「抑制された」、「抑制された」、「陰気」、これらの言葉は許容される代替品に最も近いものです。語源的には「渋い」という意味で、奥深く、控えめで、静かな感覚を表すのに使われます...この単純な形容詞が最高の美しさの最終基準です。」- 「日本民芸柳宗悦

「うまずして何が女性か」上川陽子外相静岡県知事選応援演説

この件に関して、切り抜きだ!印象操作だ!ってネトウヨ共が沸き立ってるけど、日本マスコミ伝統的に恣意的な切り抜きで世論操作しようとするなんてのは政治家なら誰でも知った上で対策を取っておくべき初等教育レベルであって、自党の不祥事支持率が落ちて有権者から厳しい視線を向けられている時に、いかようにでも切り抜ける発言をしてしまうのは本人とその任命者に政治家としての最低限の能力のないことの証拠しかならないだろ。

ましてや共同親権の成立で結婚出産育児が女ばかりが不利になるネガティブ行為として認識されている今、選挙出産に例えるのは反感を煽るだけだろ。もはや立憲共産から金貰って自民ネガキャンしているとすら思える。

2024-05-18

アンコンシャス・バイアス

なぞなぞ

交通事故があり、車が父親と息子をひいた

父親即死し、息子は病院に運ばれた

外科医が「これは私の息子!」と悲鳴を上げた

どういうことか説明できますか?

この問いに対するAIの答え

この問いの答えは、外科医少年母親であるということです。

伝統的に外科医男性であるという固定観念があるため、

最初はこのシナリオが混乱を引き起こします

しかし、外科医女性であり、少年母親である場合

この状況は完全に理解できます


この状況が可能である別のシナリオは、

少年には2人の父親がいる場合です。

たとえば、同性のカップルが親である場合

事故で亡くなったのが1人の父親であり、

外科医がもう1人の父親であるとすれば、

この状況は理解できます


もう一つの考えられるシナリオは、

亡くなったのが少年法律上父親養父)であり、

外科医生物学的な父親であるとすれば、

やはりこの状況を説明できます

誰がそんな深刻な話をしろ

anond:20240518014903

難民って家族移住してくんじゃないの?それで女のほうは母国伝統に従って主婦業やってて働いてないとか?

あと、女の仕事って接客とか販売とかのサービス業看護介護保育のケア労働だけど、どっちも言葉の壁が高く難民を雇いづらいのはありそう。現実的には掃除婦ぐらいか

2024-05-14

anond:20240513193823

櫻井よしこ氏は批判するなら一次ソースに当たれば親1、親2ではなく、「父母を単に親とする」という書き方にできたはず。そうしても櫻井よしこ氏の主張には一切影響しないのだからそうすべきだった。

これが間違いで、アラビア数字を使っていかにも無機質な印象を与えることで「伝統的な価値観を壊そうとしているのだ」という印象を与えるのが櫻井氏の目的であり、そこが主張の根幹でしょ。

もっとしっかり櫻井氏の文章を読まないと失礼だよ。

2024-05-13

都民もそんな文化的暮らししてない

かに東京には田舎存在しない文化的暮らしをしている人たちがいて、確実にそれは東京からこそ得られるものだと思う

それが得られるのは地方だと京阪神くらいだし、それも伝統以外は東京に遠く及ばない

頂点の高みは他とは比べ物にならないほど高い

けど、それはあくまで頂点だけの話

下々の人間はどうか?

本は漫画くらいしか読まない

食事はどこにでもあるコンビニチェーン店

暇つぶしスマホガチャゲー

地方ヤンキーとなんら変わらん文化レベル

頂点の高さを誇るなとは言わんけど、お前はどっちなん?とは聞きたくなる

anond:20240513070548

コロナでの落ち込みの反動が終わり、中国での売り上げが0になるので

この売上0の根拠は何?

以下の記事が正しいなら回復の見込みがないというのは違うのではないかと思う。

さら中国は、内燃機関エンジンを使うハイブリッド車については「熱烈歓迎」なのである

日本経済新聞などは「2035年をめどに新車販売のすべてを環境対応車にする方向で検討する」と報じており、これは正しい記述である

重要ポイントは、中国汽車工程学会による今回の政策提言なかには、ICE(Internal Combustion Engine内燃機関エンジン)を「やめるべき」とは書かれていないことだ。

伝統能源車に占める混動車(正式には混合動力車、これはハイブリッド車=Hybrid Electric Vehicle、つまりHEVを指す)の比率2025年に50%以上、2030年に75%以上、そして2035年には100%にしなければならないと提言した。

https://car.motor-fan.jp/article/10017032

EVはどう考えても補助金によってシェアを伸ばしてるだけので、補助金なくなったら結局ガソリン車かハイブリッド車に戻るんでは

欧州ではかつてBEVが市場を席巻していたスウェーデンノルウェーで、昨年秋以降、相次いで補助金撤廃された。ドイツでも予定を早めて昨年末までに補助金打ち切りとなった。打ち切りは各国の苦しい財政状況が主要因で、補助金打ち切りとなると即、販売が落ち込むというBEV販売脆弱(ぜいじゃく)性が露呈された」(遠藤功治・SBI証券企業調査部長)と指摘

https://www.worldtimes.co.jp/opinion/mediawatch/20240415-180559/

2024-05-10

anond:20240510212943

でも、マシュマロの主張には作者の権利に対する配慮がないんだよね

そもそも伝統的に極めて女性向けのカラーが強い赤ブーのイベントに男が参加するのが間違ってない?

「明文化されてなければ何してもいい」って奴が暴れた結果、明文化されるっていつもの流れじゃん。

それ位の空気は読めよって話。

anond:20240510103706

だけど欧州だってキリスト教以前はアニミズム多神教世界だったわけだし、ギリシャローマ神話北欧神話などを通じてそういう世界自体結構知られているだろ。他にもケルト神話とか、いわゆるパガン宗教キリスト教以前の異教)とかも今でも伝統が途絶えているわけではないし。

2024-05-09

暗黙の短歌テーゼ

最近短歌に関する増田記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。

短歌詠みの間には短歌に関する決まりごとや規範が暗黙のうちに共有されており、それを念頭に置いて歌を詠んだり、鑑賞したりする。私はこれを「短歌テーゼ」と勝手に呼んでいる。

あらかじめ言っておくと、このテーゼは必ず守らなくてはならないルールではない。むしろ現代短歌どうやってテーゼに沿わずして魅力のある短歌を生み出すか試行錯誤している節がある。

だが、どんな流派であっても優れた歌人はこのテーゼ意識し、従うか対抗するかのスタンスを明確にして歌を詠んでいる。そして、そのスタンスがある程度共通している歌人同士が同じ結社の中で作歌や鑑賞をすることで歌風確立させて行くのである

であるから、反例となる名歌はいくらでも挙げられるであろうが、反例があることはテーゼ存在しないことを意味しない。

以下、私はこれが短歌テーゼだと思うものを挙げてみる。これらは私が歌会での経験短歌関連の書物を通じて知ったことをベースにした持論であり、歌壇において認められた学説などではないということは断っておく。これらが短歌テーゼ網羅したものとも考えていない。もしこれも短歌テーゼなのではないかと思うものがあれば、教えてほしい。

また、この記事を書くにあたって各テーゼに従っている歌と、対抗する歌(=アンチ・テーゼ)を例示しようとしたが的確な歌を全部に配置できないので諦めた。こうした歌の事例もぜひ提案してもらえると嬉しい。(この記事果たしてまれるのか?という疑念はあるのだが……)

ちなみにこれから挙げるテーゼに対して確信犯的にすべて逸脱しているのが穂村弘である穂村弘歌人の中でも一般的知名度が高く、フォロワーも多いのだが、実のところ短歌テーゼ的には極めて特異な位置付けにある存在だ。ただし、それは戦後短歌運動の流れを意識的に継承した、れっきとした文学的試みである

1. 短歌は、<うた>である

短歌本来は歌であり、5・7・5・7・7の韻律を守り、音読したときに美しい調べとなるよう詠むことを求める。句割りや句またがりを多用したり、日本語として音読が困難な言葉を入れてはならない。

2. 短歌は、現実描写するべきである

歌会などで短歌の詠み合いなどをすると、時々「この歌は"作ってる"ね」と評されることがある。短歌描写リアリティが無かったり、やけにドラマティックであるなど、現実には起こったことでない内容である判断された時にこう言われる。このテーゼにおいては、どれだけ平凡ではあっても日常に実際に起こったことの方がドラマティックな虚構よりも価値があるのである

3. 短歌は、作るものでなく生まれものである

"作る"という先ほどの言葉の中には、作為的言葉を操り、上手く作ろうとする気持ちを戒めるニュアンスも含まれている。日々優れた短歌を鑑賞し、心のうちに誦じて日常を過ごす中で、するっと生まれてくるものを精製するのが本来短歌なのである。こうした体験なしに、ただ物珍しい言葉をいたずらに組み合わせて面白がられる歌を作ろうとする姿勢は望ましくない。

4. 短歌は、身体性を伴うべし

短歌日常生活に即した芸術である。その生活感覚は、身体から得られるものであって、生活に根ざしていない社会政治的話題や、テレビで見たことなど身体を伴わない経験を取り上げるのは望ましくない。

5. 短歌は、風景と実感の呼応関係である

短歌は、風景描写と心情の表現がセットとなるように構成すべきである風景はただの現実ではなく、それに対峙する詠み手の心情を象徴するものとして描写されなければならない。

6. 短歌には、情念を込めるべきである

ただものごとを説明するだけの短歌はただごとうたであり、本来短歌ではない。短歌には詠み手情念表現されなければならない。

7. 短歌は、日本の伝統文化である

短歌日本語を支える伝統文化である王朝時代以来の和歌歴史を学び、古典の優れた歌に触れながら、そのような伝統に連なることを意識して歌を詠むべきである和歌過去の名歌を鑑賞し、日本文化象徴するような風流事物を題材として歌を詠め。




追記:

ちなみに私自身は1・4・5・6に賛同し、2・3はややや否定的であり、7は積極的否定するスタンスである。7とどう決別するかは、戦後短歌の大きな課題でもあったという認識である

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