はてなキーワード: メンタリティとは
それぞれ多かれ少なかれ、胡散臭さがにじみ出ている
「それでべつにいいです」っていうなら止めはしない
しかし、みずから「胡散臭い人間になりたいです」って人は少ないだろう
そうなのであれば、実直な製造業などに就職することをおすすめする
コンサルと製造業では、メンタリティが180度どころか720度ちがう
とにかく、「無形の商品」を扱い、かつ、
それに該当するのは受託専門のソフトウェアハウスとコンサルだけである
この3つの要素が、コンサルという存在を輪をかけて胡散臭くする
ホリエモンさんみたいな人間になりたければまずは実直な業界に就職しろ
若いころはまずその中で苦労したほうがいい
もともとコンサルは工場運営の相談役から始まったことを忘れてはいけない
ホリエモンの場合も大失敗(ライブドアショックと収監)があるが、
それを乗り越えた先にエヴァンジェリストとして説得力が増す存在になれたのである
もしホリエモンさんが実業の失敗をしていなかったら、今も胡散臭かったろう
すくなくとも実業で苦労して、それからコンサルなりに転業すれば、
詐欺を何十年も生業にして訴訟と課税から外国に逃げた結果として
ナチュラルににじみでてくる胡散臭さはとは無縁の人間にはなれると思う
早慶・東大以上であれば「到達性のない」空疎な議論でプロレスして
アクセス数で金を稼ぐ、というようなことをしなくても稼げるだろうから、
というオナニー人間になりたいか、それ以上に大切なものがある、
と気づけるかどうかの違いだと思う
以上である
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210611/k10013078681000.html
高橋さん 衛藤さん
「東大の文系の学生でコンサルを検討しない人はほとんどいないと思います。官僚になるのがかっこいいという価値観は通じなくなって東大生の就職活動では、とりあえずコンサル=『とりコン』という言葉もあります」
増田に書いたのって、意見違う人間から何言われても良いと思って書いたんじゃ無いの?
ちょっとなんか言われたくらいで、本人?っぽいのが増田でも誹謗中傷されたとか書いちゃうメンタリティで批判するなと言ってる訳じゃん。
増田に書いたのって、意見違う人間から何言われても良いと思って書いたんじゃ無いの?
ちょっとなんか言われたくらいで、本人?っぽいのが増田でも誹謗中傷されたとか書いちゃうメンタリティで批判するなと言ってる訳じゃん。
あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手は応援したい、というジレンマ。
全国的に感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。
wikipediaによると以下。
認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手を軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和の典型例なんじゃないだろうか。
しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。
例としては、うなぎは大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみは規制すべき等も思いつく。
自分の欲求と社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分のなかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。
うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。
うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共的判断は成立しない。
うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法のひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的な制度設計だ。
そう考えると、現代の民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。
個人的には好きではないけど自分が社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。
そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。
近代の民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカの建国者のひとりジェファーソンは、
公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共的課題を自分の欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政に必要な市民の資質だと考え、他方、代表者(議員)に必要な資質をアリストクラシー(自然的貴族)と呼んだ。
しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。
社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき、
ふつうの人々は、自分の内面を整理するために、どちらかの認知に一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知を修正してゆくことになる。
今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。
オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。
社会の規範に合わせて自分に対して一貫性を要求しがちな日本人は特に、自分の欲求を我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。
別の例を挙げれば、60年代にセクト化が加速したサヨクの動きが典型例。
また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知の一貫性を他人に求める一例。
サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。
自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。
党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、
それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。
ますます両極化が進んでいき、相手方の一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやすい立場の人とと
そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。
コロナ対策では人流の抑制が課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。
しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、
次第に言葉の力は失われ、今では行政も政治家も口にしなくなってしまった。
もっとも同時に、自粛警察もあんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。
ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。
思い出すのはベトナム反戦運動。ベトナム反戦真っ盛りの60年代のアメリカでブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たちに
反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全な場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。
コロナ禍でのステイホームのムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。
自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしまう業界。
それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。
オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会の安全と自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。
以上の話は、人々のジレンマを構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、
自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在の自分の社会的立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、
知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性がアピールされているに過ぎない。
しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。
重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、
オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、
そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。
飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。
タレコミも減ってきたという声もきかれる。
こうした寛容さは、行政の飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。
人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。
こうして考えてみると、自粛要請をベースとした日本流の政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすいタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。
自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人のメンタリティと、同じ社会の構成員にも同じ一貫性を要求したがる相互監視のムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルールや判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。
などと、都合のいい解釈で認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、
人々は、ルールへ従うことの意味が不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視は機能せず、自分の生活を変えることなくコロナへの懸念も自分の認知のなかで両立させてゆくだけだ。
しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢の限界をとっくに超えているしで、
人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当な自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。
自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナは心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。
本来の政策というのは、そんな人々の認知(世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。
例えば、自分の考えと相反していても、オリンピックは応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、
あるいは、オリンピックは懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。
「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元で政策を決めるべきではない。
むしろ「個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民の判断を見極めたほうがいい。
しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。
いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。
将来シナリオを示さない。予測や分析を共有しないから、いつも唐突に首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。
最近モラハラを扱った記事をよく目にするので、前に受けたモラハラについて取り留めもなく書こうと思った。
私:元喪女。(付き合うまで告白ナンパ一切なし)とにかく自分に自信がなかった。
(付き合ってから知ったこと→異様に自慢話が多い。口が上手く平気で噓を付ける。器物損壊経験あり。人に言えないバイト経験あり。)
友達の紹介で交際が始まった。最初はうまくいっていた。そりゃそうだ、最初からモラハラする人なんていない。
付き合って半年~一年してお互い交際状態に慣れてきてからのこと。
しつこく声をかけてようやく口を開けたかと思えば、「考えればなんで機嫌悪いかわかる。原因はそっち。何が悪かったか自分で気付いて謝るまで話したくない」
私は必死に何が悪かったのか考える。
「あのこと?」「違う」
「このこと?」「違う」
延々と続く。
不毛なやり取りを続けて、最後にはいつも相手から怒った理由を明かすが、それは私には到底思いつかなかったことだった。
私がまったく意識せずに行っている普段のふとした言動が相手をイライラさせていたということにショックを受ける。
そして言われる、「謝れ」
「ごめん」と言うと「気持ちが伝わらない」
「○○して本当にごめん」「謝れば済むと思うな」
「○○で、私は○○なのに、あなたに○○して、本当にごめんなさい」「で?」
「○○で(略)ごめんなさい。許してください」「で?」
以下無限ループ。
これが数時間続く。
私は私で「こういう理由があった」「それはひどくないか」などの言い分があって言い返すのだが、相手はとにかく口がうまく、独自の論理で言いくるめられていつも私が悪いことになった。
最後はいつも泣きじゃくりながら、相手に”許していただく”ことで断罪モードが終わり、「わかったならいいんだよ、よしよし」と頭を撫でられる。
これが一回につき1~2時間、交際期間の最後らへんは週に一度はあった。
今思うと私と相手は性格的に合わないところが多く、一緒に過ごすストレスから相手に徐々にストレスゲージが溜まり、単に定期的に爆発させていただけだったと思う。
その証拠に、同じことをしてもまったく問題ないときと、烈火のごとく怒りだすときがあった。
ストレスゲージが溜まってくると些細な言動が引き金になるんだろう。
”約束”の内容は、日に日に増えていき、私のメモ帳は「気を遣う」「冗談に怒らない」「普通にしゃべる(言い合いになると私はよく涙声になるので)」「束縛しない」などの、他人が見たら何事かと思うような”約束”だらけになった。
約束して気をつけたからといって怒られなくなることは勿論なく、それどころか増えていくばかり。
こんなにいっぱい約束してそれを守るようにしても過ち(怒られるようなこと)を犯してしまう私はなんて馬鹿な存在で、そんな私を怒りながらなんだかんだで付き合ってくれる彼氏はなんて優しい人なんだろうと、当時は本気でそう思っていた。
今思えば、
クッッッッッッッッソ馬鹿馬鹿しい幼稚園児未満のメンタリティだった。
他にもモラハラっぽい言動で言えば、私のバイトのシフトが多くて一緒に遊べないだけで「バイトの奴とデキてるのか」と詰められた。
ゲーセンの対戦ゲームで負けて煽られたか何か知らんけど公共の場で「シね!!!!」と捨て台詞言って去ったこともある。
身体的な暴力はほぼなかったが、物に当たって破壊したこともある。
あとは冗談で嫌なことされて「嫌だからやめて」と言うとなぜかキレて「わかった、じゃあもう俺冗談言わんわ」→無言、無視。小学生か。
最後らへんは私もさすがにモラハラに気付き、この人もう駄目だ、この人と結婚してしまったら一生この生活だ、という考えには至った。
が、「ここで別れたら喪女の私には後がない…」「私次第で治るのでは…」「なんとか再構築することが可能なのでは…」とも考え、怒られるのも怖いけど別れてしまうと取り返しがつかないからという理由で一緒にいる状態だった。
「お前が人間としてレベルが低いから俺が合わせて付き合ってやってただけ」とかなんとか色々言われた。
その時にはもう私の気持ちも冷めてきてたので、とうとう別れるしかない、と決意。目の前でプレゼントのアクセサリーを捨てた。
もちろん事態はさらに悪化。首を掴まれたり、警察呼ぶぞと脅されて追い出された。(警察呼ばれるのは首絞めた方だと思うが)
一か月後、電話で相手から「別れる」と告げられ交際は終わった。
少しの間悲しみに包まれたが、一息ついたところで私はものすごい解放感に包まれていた。
もう自由だ。どこに行っても何をしても何を食べてもいい。奴の好みとか一切考えなくていい。
その勢いで、私は行きたくても行けなかった一人旅に出て自由を満喫した。
落ち着いてからは、自分がこんな目に遭ったのは低すぎる自己評価が原因だと悟り、料理や運動を頑張ったりして自分で自分を認められるようになった。
今でも男性が怒鳴ったり不機嫌になると不安で胸がいっぱいになるけど、モラハラじゃない相手と結婚して幸せに過ごしている。
余談だが、別れて1年ぐらいして、相手からLINEが来るようになった。
最初は当たり障りのない適当な返信をしていたが(今思えば優しすぎる)、復縁する気はまったくなかったので、数回で切ったところいわゆる「ロミオメール」に進化。
ブロックして事なきを得たつもりが、今度は別の方法でメッセージを送ってきた。怖いと思ったがそれきりストーカー等には発展せずに終わった。
自分、一時期世間を賑わせたいじめが問題になった学校の出身のものです。
前提として荒れてる学校だった。
近くに国立の附属中があって、こだわりある子供はまずそっちに行ってた。
私たちの学校に来る子は家が近かったり、こだわりがなかったり、附属中なんか悪い意味で眼中に無い子達も多かった。
そんな学校だから、成績ももちろん低くて私たちの学校の価値観で言うと県で50くらいの高校に入る子はそれなりに頭がいい子、偏差値43.4が普通、55-は神様みたいな領域ぐらいには低かった。
クラスメートも1人2人は授業に参加しない子がいたり、30歳と付き合っていることを大っぴらに話す子やタバコ酒自慢も結構あった。
授業もできないから先生たちは口うるさいヤンキーグループを抑えながら授業するしかなくて、刺激しないように接してたらそれを馬鹿な中学生の頭では「自分たちは先生に認められた」と勘違いする奴らがあまり喋っていない俗に言う陰キャを構ってあげてる、という名目でのいじめをした。
それがいつの間にかおもちゃになっていじめに発展するのが決まりのコース。
いじめたヤツらにとって「自分たちは先生に認められた特権階級」って思っているし、先生たちも正直他の生徒が万引きや喧嘩やらで外部に迷惑をかけているから内の問題に構う暇なんてなかったと思う。
というか真面目そうに見えて万引きする奴らよりも分かりやすく問題を起こして馴れ馴れしく先生に話しかける彼らを先生は可愛い生徒と思っていたかもしれない
結果、兄弟の学年で問題になってしまってマスコミに大々的に報じられた。
元々あった先生の負担が倍増し何人かの先生が来なくなったし、ストレスや親が通わせたくないという意味での不登校の児童も多発した。
マスコミも過熱してて、休日の私服の私に「あの中学出身だよね?」と話しかけてきたりしていた。
いじめたヤツらは守られたりもして、さらに結束を強めたように見えたけど、親含む内部で罪の押しつけあいで最終的には分解した。
というか周りの生徒が孤立させてていじめグループ内でいるしかない状態だった。
教師に持ち上げられたから勘違いするいじめなんてするバカだったから、ほとんど高校も低い偏差値しか行ってなかった。
勉強してちゃんとした高校行っても同じ中学の人たちからのリークでばれたりするから孤立して退学したりもしたらしい
自分も中学を忘れようと高校は私しか進学していない高校に行ったけど、「あの中学校出身」と言われていて、友達は出来たけどいじめ事件の事を興味本位で聞かれたりした。
地元には悪い思い出がほとんどで、同級生も帰っていない人達が多い。成人式も半分しか来なかった。
故郷の思い出は息が詰まる思い出と自分がいじめのターゲットにならないかとビクビクした記憶だったり、高校の時の「あの中学出身」っていうヒソヒソ話と人を死なせる要因をつくったという罪悪感でぐちゃぐちゃになる。
強く生きて欲しい。
旭川のニュース見ないようにしていたけど偶然見ちゃって思い出したので整理つける為に書いておく。
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身バレ防止の為に兄弟がいじめが問題になった学年って言ったけど文章的に合わないところ多すぎた。
いじめで問題になったクラスは別クラスだけど、噂には聞いていて正直他のクラスよりまとまっていたクラスだった。
亡くなっていた子がスケープゴートになっていたのは外から見てもわかってたけど、皆自分が助かるためなら仕方ない、って感じだった。
よくいじめがあるクラスはまとまるって言うけどあれは自分がそのターゲットにならないように無理矢理合わせているだけ。見せしめと変わらないよね。
あと強く覚えているのはいじめた子の親がうちの家に電話してきて、うちの親に「マスコミに子を売ったのはお宅か?」と質問してきたりしたことかな。
近くに附属中があったからって書いたけど、うちの学校以外はみんな普通に過ごしていたし、成績も附属中よりも少し下だったけど、普通に過ごしていたから、本当にうちの学校のみの問題だったと思っている
今思えば小学校の時、附属中にいく生徒が皆一斉にやっていた習い事をやめて塾行き始めて、何となく附属中組と公立組に別れ始めた所から公立組は劣等感を感じ始めたし、そこから荒れる生徒もポツポツ出始めたな
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追記2
私の書き方が悪いから附属中ある公立校がみんな荒れてるって感じになってしまったけど。
現に1番その附属中に近い公立中学は平和で全体の成績も良かった。
私の学校が荒れたのは周りの中学生からみて「荒れている」というイメージの中学で、成績も低くてバカ中って言われていたからそれの劣等感もあった。
先生の質も良くなかった。
という流れ
体罰もどうだろう。
そういう先生もいたけど荒れてたままだったから生徒たちの根本の劣等感が消えないと意味ないと思う
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最近、秋田の学校でいじめを苦に自殺未遂があった学校の記事を見て思い出したことあった。
あれと似たようなことあったよ。
事件があったあと、問題になったクラスの人達が教室も別になっていた時があった。(理由は分からないけど調査とかマスコミ対策のためとかだと思う)
部活動もそのクラスの人達は全員不参加で登下校は親が送り迎えしていて、問題のクラスでそこそこ話していた子と会った時、「なんで私たちだけ」って切れていたんだよ
彼女は直接いじめには加担していなかったし、マスコミのために外にも満足に出れない日々だったし、親も親で彼女にいじめに加担していないかとか聞かれたりしたりしていたから、つい言っちゃったんだと思う。
彼女というか、そのクラスからすればいじめで亡くなった子は必要な存在で、求めてやっていたのに亡くなりながってって思ったんだと思うし、いじめの主犯たちは全員学校来ていなかったから「お前らのせいで」っていう悪意を向ける先もなかったと思う
あと学校内でも物凄いスピードで事件は広まったから学校全体で問題になったクラスの人達には話さない、顔を見ない、隔離されたクラスの場所には行かないなどの学校中総シカトみたいな雰囲気があって、学校というか地域全体で無視されるっていう気分で、それを言いたくなちゃったのも正直わかる。
話を戻すと秋田の子達もきっと学校中から「いじめをした人」っていう針のむしろの状態になっているんじゃないかな
自分を加害者って思えるのも強さが必要だし、いじめをして結束するメンタリティの子達にそんな強さがないからいじめた子を加害者だと思って攻撃したんだと思う
自分を守るために必要な事だとは思うけど、ただ繰り返すと本人たちにとっても良くないから、親とか周りが彼女たちをケアして早く自分たちが加害者だと思えるようになって欲しい
もともと引っ込み思案で、なにかと人の顔色を伺うような人間だった。
そして自分の場合は、自覚もしているけれど、特定の環境下で著しくパフォーマンスが下がる。
自分とは関係のない人のコミュニティに行ったり、大きく環境をかえたりすると、社会不安性のような、しどろもどろな感じになってしまって、今でもだけど、ずっとコンプレックスだった。
その結果、狭い世界の中で生きてきて、それまでは自分はそこそこなんじゃないかって思っていたけれど、ほんと全然だった。
なんかそれを最近思い知らされることが多くて、悲しくなって、ひととおり落ち込んでた。
でも人生は否が応でも続いてしまう、なんて体の良いことは言えてしまうくらいのメンタリティはあって、
そういうことも含めてすこしづつ受けいられるようになってきた気がしている。というのが今。
これまでの人生を振り返って、特定の環境下でパフォーマンスが著しく下がる理由を、自分なりに考えてみたのだけれど、「自分に対してどう思っているか」が、わからない状態でコミュニケーションをするのが、とても苦手であることらしい。
もっというと、人から悪く思われているんじゃないか、ということを常に考えながら会話している、なのですごく疲れるし、
逆に信頼をしている奥さんとか、親しい友人には、そんなことはまったくないんだけれど。
じゃあなんで自分に対してどう思われているのか、が気になって仕方がないのか、といえば、
本当の自分は根っこが醜いやつで、自己中心的という自己認識があって、自分を出してしられたくないから、
そして嫌われることによって、コミュニティにいれなくなるんじゃないかという恐怖心と
誰かに否定された自分を認めたくないという歪なプライドから、変なコミュニケーションが癖になってしまっている。
本当はいろんな人と、繋がりたいけれど、嫌われるのが怖くてどうしようもないのが自分。
だから変に意識をしてしまって、結果的にパフォーマンスが落ちるのではないか、という結果に落ち着いた。
なんだかいつの間にか、知らずしらずのうちにとっていた回避行動が、癖になって抜けなくなってしまったような、そんな感じがしています。
いやでも、違う、自分は本当は引っ込み思案じゃなくて、本当の自分は、もっとおちゃらけていて、おもしろいことを言うのが好きで、
でもだれかに否定されてきたり、ちゃんとできなくて、見放されてきて、その結果、人から悪く思われないことを目的にして生きているような気がしている。