はてなキーワード: ファンタジーとは
いやね?言いたい事はわかるよ?
どいつもこいつもご都合主義で上手いこと行って、主人公はスーパーパワーでやりたい放題、惚れる理由も曖昧に記号だけで作られた人格の感じられないヒロイン、適当に形成されるハーレム、いつもどっかで見た筋書きに、歴史を少しでも勉強してたら噴飯物のジャパニーズファンタジー中世。
批判するとしたらだいたいそんな所か?批判したくなる気持ちもわかるけどよ。
偶然ロボットに乗り合わせるとか、異能の力に目覚める少年が何人いたよ。
いつもいつも両親は海外赴任で不在だし。隣の家に幼馴染は住んでるし。生徒会は何かめっちゃ権限あるし。館は必ず燃える。
妹が12人いるとか、姉が7~8人いるとか、女教師達が母親になるとか、双子の姉妹丼とか、女子寮に下宿したら全員惚れてくるとか、無条件で愛してくれる女神とかアンドロイドとか、子供の頃の許嫁が押しかけ妻とか、今思えばとんでもねえヒロイン・ハーレムあっただろ。
これは泣ける!とか言ってシナリオ大絶賛、ヒット連発メーカー大正義!・・・毎回毎回謎の奇病持ちが出てくるし、真面目に台詞聞いてるとこっちの頭がおかしくなりそうな奴はいるし、いつもいつも不思議パワーでふわっと解決しただけだろうが!
交通事故で何年も目覚めなかった元カノと現カノの間で未練タラタラやった挙句に元カノの妹とくっ付きましたみたいなぶっ飛びシナリオとかあったろ!
でもそれが良かったんだろ!みんな手放しで大喜びしてたじゃねえか!俺もだよ!
某ワンルームの放送中止については東日本大震災の直後に『のぼうの城』の放送を中止にしたり、サザンが『TSUNAMI』を自粛したりするようなもんでまあそうなるだろうなという感想だったが、
放送中止に対する意見があまりにも自分と違うものが多かったので個人的な意見。
他の犯罪小説や映画は叩かれないのに、なぜワンルームは叩かれるのか。
放送中止賛成派の主流の意見が「犯罪者の誘拐される側もそれを望んでいたというファンタジーを肯定している」という誘拐犯側の願望が投影されてるからよくない、というものが多かったが
ワンルームのヒロイン幸が「男にとって魅力的な女子中学生か」というと全くもって違うように思う。
自殺をほのめかしたり、中二病ポエムを垂れ流す、誘拐された被害者という立場を利用して強気にでているような描写もしばしばあり。
それに対してすごいのがお兄さんの反応で、
自殺願望やらポエムをきいたお兄さんは「彼女は自分で人生を終わらせる決意のある立派な人間」「14歳とは思えない大人の考え」と称賛。
これってまさに女版俺TUEEEEEEEEEE女子中学生の願望の投影だろ、っていう。
お兄さんは誘拐に対し後ろめたさをもち、幸のために料理を作り、幸の提案に従い新しい名前をつけたり、幸の髪を洗い甲斐甲斐しく尽くす。
そして幸が風呂場で裸になり髪を洗わせようが、手は決してださない。
幸に萌えた!っていう人がいたらどの部分が?と逆に感想を聞きたい。
あのキャラに萌える男って俺TUEEEEEEEEEEEEEEのラノベ主人公に萌える女並みに希少だと思うんだが。
これをみたリアル中二病発病中の中学生女子が「親も学校もみんなクソ!幸色ワンルームのお兄さんのようなイケメンが世の中のどこかにはいるかもしれない。」と夢見てしまう子もいるかもしれない。
ワンルームに対して拒否反応を起こす人(女性が主?)が多いのは、中学生女子の自分の内面を理解し尊敬してくれるイケメンがほしいという願望を理解できて、
そして世の中はこんなに都合はよくないということも知っているから、影響される中学生女子がでることを恐れてるからじゃないかなあと想像してたんだが、
ブコメや他の記事やらみたらまるで違う意見ばかりで驚いたのでかいてみた。
これを「犯罪者の誘拐される側もそれを望んでいたというファンタジーを肯定している」っていうのオタクカルチャーから遠い人の感想?
朝霞の事件とは別に「これに影響される女子中学生がいるかもしれない」とか「これで女子の願望を学んだ犯罪者がお兄さんを演じるかもしれない」っていう意見ならまあわかるよ。
朝霞の事件とは経緯も内容も全く違うが、座間の事件の犯人もツイッターのアイコンをイケメン風のイラスト、首吊り士とかいう中二臭いアカウント名にしたり、若い女性のひきつける中二感を利用してたしなあ。
ツイッターでまたぞろ「新人賞に応募してくる作品は◯◯という書き出しのものばっかで〜」とかいうツイートが回ってきた
もうこういうので盛り上がってる連中は一種の中毒なので言っても理解できないのだが
以前は「ラノベの新人賞は中二なプロローグから始まるのばかりで〜」などとこういう連中が言い出して
みんなそういうのを書かなくなった
結果起きたのは、遠大な冒険を感じさせるプロットの欠けた腑抜けた世界観のファンタジーの氾濫である
ラノベは、ファンタジーは、そういう中二な壮大さを求めて読むものである
今度は「若者は知識がないから身近なところから始まる話しか書けない」などと言い出している
これを真に受けた新人が身近なところから題材を得ることをやめたらどうなるか
単にリアリティのない古典のコピペのようなものを書き出してさらに深みがなくなるだけだ
私に言わせれば、こういう(「壮大な冒険を煽る」「日常からの繋がりを感じさせる」などの)創作物として当然の手順をいちいち抜き出して
まるで配慮が足りない表現かのように煽るオタク評論こそ最も唾棄すべきクリシェである
お約束を排除して物語を読み慣れたオタク読者にだけショートカット的に「読解」できる作品なぞもはや一般に開かれた娯楽ではない
「上級読者」ごっこはひっそりと日陰でやっていてもらいたいと思うのだった
■非オタ一般人の世界観認識:ご近所・ご町内、学校の同窓生、職場の同僚
■オタの世界観認識:宇宙、ファンタジー異世界、超能力バトル、超古代、超未来
……そら過剰な表現にもなるわ
幸色→某事件の時に起きたネットの酷い書き込みを元ネタにしてるぽいのが単純に不快 作者の「事件を元に書いてない」発言で擁護する人無理ある
「現実とフィクションを混同する大人」がクレーム入れてきてめんどくさいし、作者側も突き通すなら突き通すで勝手にどうぞ。
万引き家族→見てないけど元ネタ無さそうだったら比較するのはおかしいよね 原作って映画にかこつけて出された小説の事か?わからない
レオン→「ロリコン賛称映画」であることは認めるが、あれは男が全く相手にしてないから成り立っているし評価されてると思ってるので「ロリコン映画」では無いな
「犯罪がテーマの作品」「実在の事件を元にした作品」であることが問題ではなく、「作者は否定しているけど実在する事件の二次被害を明らかに元にした作品」である事が問題
これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこと記事。
自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。
該当作品はツイッター投稿をリアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。
ここまで前提。
■幸色のワンルームは少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか
■クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い
■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う
の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。
幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、
・理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、
・リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人と子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語。
と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。
(問題は誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから うん…)
「男とか女とか性とか支配被支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間とあなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき、
正直、読み口としては2000年代の商業BLやブロマンスに近いなと私は思った。
実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています。
加害者と被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカと王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である。
だから人気が出た。
恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去の文学や映画や漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。
またこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。
デフォルメされた世界で成人男性の記号をほとんど持たない、いってしまえば無性の存在。メンタル的にもそう。
その上、精神年齢は少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想にうつる。過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。
けど、男。
「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。
ひと山いくらのラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要なもの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものでしかないから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間を提供する為にも。
だから、ストーカー、誘拐犯の男、というショッキングでスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。
(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションにチューニングすると
ついこないだあった事件にそっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…
とはいえフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。
ツイッターへの最初の投稿とか現実の事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。
特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。
「先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい」案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。
後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。
このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要な作品だろうなと思う。
たとえば、この作品がギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的なものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。
性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。
また、この作品は家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲットは現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないか?ティーンの原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか?
だから、メディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。
テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。
実写化したいなら、この退廃的な作品は映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。
広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか。
なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコストの問題だろうか。
いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど
正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代劇である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。
それも、未成年の被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。
「カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタの解像度低いわ。
もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。
そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。
だって、実際の誘拐や幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。
ストーカーや誘拐犯の脳内で、自分は被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから。
その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。
苦言を呈す派に対して作者からのコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこの一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任なものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。
だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ。
ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…
現代のクライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。
作品そのものというよりもその周りの倫理観がガバガバなのだ。現実がガバガバ。
そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優の性的搾取の告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本のテレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子はハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。
お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋なもののように描かれる。
それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息だからだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。
薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。
この作品のメディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。
つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。
でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品がテレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。
大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験と知識が増えたからだ。
「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後から生まれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。
フィクションなのに、現実で被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたときの自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。
子供の時はフィクション作品やメディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、
なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。
でもそうじゃなかった。
倫理観スイッチ切って倫理観ゼロの作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分の家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。
倫理観ゼロの作品は、倫理観ゼロの現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。
作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分は偶像やフィクションに命を救われてなんとか生きてきた。
ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。
だから今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、
これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験のフラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画のカテゴリのなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」
って言ったんだと思う。
そういう側面は大いにあると思ってる。
「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。
そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。
直前に現実の誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)
というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングとフィルタリング推進派なんだけどさ。
そしてゾーニング・フィルタリングはメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビは特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。
だからってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。
ネックは「現実の事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的に表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。
ほんとね現実クソだったよ。現実の誘拐事件おこす犯人もマジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクのリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットのアイドルと二次元オタクカルチャーに10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対。
この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。
誘拐もストーカーも盗撮も被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。
でもファンタジーじゃねえんだよな。
私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。
今の読者は甘やかされたいの。
長いタイトルはタイトル見ただけで中身が想像できるから、読むまでのハードルが下がるの。タイトル見て中身わからんのは、ハードル高いのよ。
最後の1行でタイトルの意味がわかるとかはもう流行らんの。全てがFになる、で鳥肌が立つとかは必要とされてないの。
異世界転生モノが流行るのも、その異世界が判を押したように全部中世ヨーロッパ風なのも、世界観を理解する手間が省けるからなの。
ゼロから作者が構築したファンタジーというのは、おしつけがましいのよ。そんなもんいらんの。設定を理解するのが面倒なの。
ハーレムでキャッキャウフフするのが見たいんだから、そこに余計な設定はいらんのよ。
じゃ、全部同じかって、ヒットしたタイトル長い異世界転生モノって、意外と読ませどころはそれぞれ違うじゃん。
材料は同じだけど、味が違うのよ。逆にさ、長いタイトルや異世界転生モノは秋田って批判こそ、見飽きたわ。他の切り口考えろよ。
わたしかと思った。オナニーは自分だけでやるから良いのであって、相手が必要なセックスとは別物。ファンタジーは言い得て妙。この旦那は自分が理解できないものは受け入れないタイプっぽい。
私は趣味がオナニーであり、ストレス解消のための遊びだったりする。
淫夢みたいにアンアン言うわけでもないのでがっかりするかもしれない。
普通にエロ動画見ながら妄想し、使い捨てオナホを使って快楽に浸る。
たまにネットや増田を見たりすることもあるけど、最後は動画と妄想が多い。
オナホを発明してくれた人のことは本当に尊敬してる。愛しいよ。
女性はガッカリしそうな凡庸なスタイルだけど、死ぬほど楽しい時間だ。
たまに女友達が彼氏のAVについて「私がいながら!!」と怒ることがあるけど、オナニーというのはファンタジーなのだ。自分の世界だけのものなので、セックスと一緒に並べる意味がわからない。
一人遊びは誰にも邪魔されたくないし、邪魔したら最悪振られるよ〜なんて熱弁してきた。
そんな私も結婚をした。
嫁には私はオナニーすると言ったことがあったし、嫁はふーんって感じだった。
ある日オナニー後に寝てしまい、嫁が帰ってきた。私はTENGAEGGがジャージから出たままだった。
嫁は私がいながら何でオナニーするの?と聞いてきた。
ここからが話し合いの内容↓
嫁 性欲を満たすのは一緒
嫁 そんなことはない
嫁 じゃあ付き合うよ
私 そうじゃない
私 お前もするでしょ?
私 私は無心だ(むしろオナニーぐらい私以外でしたらいいのに(NTR))
嫁 満たされてないの?わたしって下手?
私 別に満たされてるし下手でもないけど、オナニーとセックスは別なので。
嫁 もっとすればいい
私 ちがう
嫁 じゃあ一緒にしよう。見せ合おう。
こんなに嫁に理解してもらえないとは思わなかった。
とりあえず長ったらしい名前にして省略した呼び名にしたら記憶に残るだろうっていうスタイルにウンザリ。
まだAVだったりアダルトグッズの方が笑いも取れるしセンスがある。
そのくらいにワンパすぎて、もうタイトルが長いだけで読む気が失せるってのは逆効果だろって証拠じゃないんかな。
異世界ものもワンパになってて、とりあえず転生したら面白いだろって考えばかり。
ファンタジー作るなら、最初からファンタジーの世界から始めろよって話。
いちいち現実絡んで主人公死んじゃいましたので転生させましたーとか、そういうのもう腹いっぱいなので要らない。
異世界転生ものを作るなら、もういい加減ハーレムものも止めたらと。
私は趣味がオナニーであり、ストレス解消のための遊びだったりする。
AVみたいにアンアン言うわけでもないのでがっかりするかもしれない。
普通にネット見ながら(増田もよくみる)ローターあてて逝ったら休憩〜を何セットかこなす。
たまにエロ動画を見たり妄想することもあるけど、最後は普通のネット見てる。
ローターを発明してくれた人のことは本当に尊敬してる。愛しいよ。
男性はガッカリしそうな味気ないスタイルだけど、死ぬほど楽しい時間だ。
たまに女友達が彼氏のAVについて「私がいながら!!」と怒ることがあるけど、オナニーというのはファンタジーなのだ。自分の世界だけのものなので、セックスと一緒に並べる意味がわからない。
一人遊びは誰にも邪魔されたくないし、邪魔したら最悪振られるよ〜なんて熱弁してきた。
そんな私も結婚をした。
旦那には私はオナニーすると言ったことがあったし、旦那はふーんって感じだった。
ある日オナニー後に寝てしまい、旦那が帰ってきた。私はローターがジャージから出たままだった。
旦那は俺がいながら何でオナニーするの?と聞いてきた。まさか男性にその台詞を言われると思わなかった。
ここからが話し合いの内容↓
旦那 性欲を満たすのは一緒
旦那 そんなことはない
私 自分のペースとかいきたい回数とかタイミングとか自由なのがオナニーだ
旦那 じゃあ付き合うよ
私 そうじゃない
私 あなたもするでしょ?
私 私は無心だ(むしろオナニーぐらい私以外でしたらいいのに)
旦那 満たされてないの?俺って下手?
私 別に満たされてるし下手でもないけど、オナニーとセックスは別なので。
私 ちがう
旦那 じゃあ一緒にしよう。見せ合おう。
6/25 追記
書いてスッキリして放置してたら、たくさんコメント付いててビックリ。ブクマもありがとう。
エロ動画よりもオードリーの若林のニヤニヤしたつっこみのほうが興奮する。そんな自分を誇りに思う。
こんな変態に分かる〜と同意してくれた人ありがとう。リアルではきっと出会えないけど、同志がいることが本当に嬉しい。
旦那側の考えもやっぱり多いなぁと思った。私は全く否定しないし、むしろこっちが普通だと思うけど、今までもこれからもこっそり励むので、もし見掛けてもそっとしといて欲しい。
自分の好きにやりたいんだよーーーー