はてなキーワード: タブー視とは
率直に言えば、結構面白かった。ひき込まれて一気に読んでしまった。
私はドイツについてほとんど無知で、現代ドイツでは「ヒトラー」「ナチス」がタブー視されている、くらいしか知らない。なので、本書のユーモアについても半分も解せていないかもしれないが、それでも結構面白かった。
この本(日本語訳版)は、オビやら前書きや後書きで「ヒトラーを称賛するものではない」と強調されている。現代ドイツでは、「過去の悲劇を繰り返さないために」という文脈でしか、ヒトラーを語ることはできないようだ。だが本文では、徹底してヒトラーの一人称視点で物語が展開していくので、そのような言い訳がましい言文が殊更強調されるというものでもなく、エンターテインメントとしてすっきりあっさり読めてしまう。
本書をどのように捉えるかは、ことに日本では様々な意見があると思う。コメディとして読むもよし、教訓を受けるもよし、批判するもよし。
私はとりあえず態度を保留することにした。ただ、現代に現れたヒトラーがドイツ社会に賛否ありながらも受け容れられていく様子と、本書が賛否両論ありつつドイツでベストセラーとなっていく過程がある種の相似形となっているように感じた。これは、敗戦後にタブーとなったヒトラーを、目を背け続けるのではなく、新しく捉えなおすことのできる時代が、ようやく訪れた、いわば戦後ドイツ社会の一つの転機とも呼べるのではないだろうか。
そして翻ってこの日本はどうだろうか、と否応なしに考えさせられたりもする。
ただ、上下巻8時間くらいで読み切ってしまったので、3400円は少々高いよなぁとも思う。ドイツ語版も英語版も1冊なのにさ。
俺の場合「包茎」を知ったのは高校生の時、「オナニー」は知識としては多分中学生の時で初めて実行したのは高校の時
包茎は全く知らんかったがオナニーは中学の時クラスメイトか誰かが「初めてやったのは小学生の時」って言ってたから相当俺は遅い方であることが分かる
何でこんな遅くなったか理由を考えると産みの父親が小学生になるぐらいには別居していたからかもしれない
普通なら父親か友人やその兄弟から知り得るのかもしれないが俺の場合全くなかった
高校の時「間質性膀胱炎」にかかりその時新しい父親から包茎について教えられた
もしもっと早い段階で学んでいたらこの病気にかかっていなかったんじゃないかと10年以上たった今思う
性知識のタブー視は減らした方が良い
NHKで生理の特集組んで大反響って記事見たけどそのような機会を増やして
男女双方の基本的な性知識を学ぶ機会を広めて欲しい
腐女子とは、男性キャラ同士を恋愛、特にセックスさせることで、興奮する女性のことである。
私はオタクだけど腐女子の考えていることが全くわからなかった。正直めちゃくちゃ気持ち悪かった。
最近は、気持ち悪さの原因が、行き着く先がたいていポルノだからということがわかった。
でも、どうして、あえて男性同士なのか?という疑問はずっと残ったままだった。
でもその疑問も解決しつつある。男性同士にこだわるというより、「女性ではダメ」なのである。
腐女子が好きな男性キャラクターの恋愛について妄想する時、相手が女性キャラだったら、男は殴ったり蹴ったりはできない。
そこまで猟奇的でなくても、恋人である女性を放ったらかしにしたり、横柄な態度をとったり、汚い言葉をはいたり……
男性と女性の物語である限り、ロマンチック・ラブのイデオロギーが常についてまわる。
そんなものに縛られないリベラルで強い女性像について、そんなに引き出しがないのである。
ここで、相手役も男性にすることで、恋愛関係に無限の可能性が広がっていく。
そして無意識のうちに囚われていたジェンダー別の役割意識とか、ロマンチックラブのイデオロギーから自由になれる。
男女の関係におけるセフレは痛々しくかわいそうでタブー視していたオタク女子も、男性同士ならもうどこも、心が痛まない。
彼らはまったく対等な関係のセフレとなりうるし、本来的にどちらかが不利とかかわいそうということも発生しない。
BLでは男性向けポルノもびっくりのハードプレイがごく普通に行われているのも、やっぱり何の制約もないからなんだろうなと思う。
格言や流行語といった短い言葉を唱えてなんでも物事を強制的に納得させて完結させるのは思考停止だし、ようは宗教と同じ構図だよね。宗教を否定しているわけではないけど。そういう使い方をするものではないと思う。
みんな何かしら苦労してる部分があるんだろうから、お互い傷つかないような距離を保てばいいんじゃねーの。話が分かる人であれば、やんわりと伝えれば効果あるかもしれないし。まあ一般的には「角が立つ」行為になるんだろうけど。
フェミやら人権屋やらといった一部のものだけの特権を作っても良いことないんだし。みんなが「まあなんか不幸な状況に置かれちゃう人もいるよね。知らんけど。俺は幸せだけど」くらいの認識になればマシになると思うけど。不幸がなんかタブー視されてるような、アンタッチャブルな状況(文化?)が悪いわけで、不幸なんてふつうにカジュアルに存在してるんだから、もっと気楽に不幸を認知すればいいのに。
昨日は終戦記念(?)日だった。第二次世界大戦が終結して68年らしい。
第二次世界大戦と言えば韓国はいまだに日本に対して謝罪や賠償の請求をしているし、
まだ戦争に対して身近な気持ちを持っていると思う。
従軍してきた身内が生きているというのもあると思う。
でも、どこの国でもそうだけど、この傷や痛みはどう中和してくのだろう。
忘れることが最上の手段に思えるけど、どうしてそれに向かっていこうとしないのか分からない。
最近はようやく第二次世界大戦に対するリアリティが薄れてきたのか、
映画でコンテンツとして楽しめるようなものも増えてきたけれど、
多くは悲劇的な側面にフォーカスしていて、例えば「300」を観たら
「ドイツ・日本兵は戦争に負けたけど強いな。」なんていう映画はほぼ無い。
まだみんな受け止めるには時間が経っていないということなんだろう。
でもいつになったらこの傷やこの痛みが消えるのか分からない。
僕らは100年も200年も同じように原爆は是か非かとか、僕らは侵略者だよね、
なんて言い合って、相変わらず韓国は謝罪と賠償を要求してきて、
最近みんな出来事を忘れにくくなっているだけなんじゃないかな。
追記:
戦争に対して冷静な目線を持っている人はまだあまりいないと思います。
政治があーだこーだって感情抜きに議論出来ると思うのだけれど、
第二次世界大戦についてはいつになったらそんな感じに移行するのか気になるだけです。
あと僕らは侵略者として教育されてるはずなので、それの正否についてはここでは述べません。
追記2:
私見を述べると世界的に精神的・物質的豊かさを手に入れないと、
日本は明治以降、鉄道を「国力の象徴」として、初等教育現場で積極プロパガンダした。
戦後、「軍艦や戦車への憧れ」は「タブー」となった(一部のミリタリーオタクを除く)が、
鉄道への憧れはタブー視されることなく継続し、新幹線は戦後の復興の「象徴」になった。
日本人に鉄道ファンが多い源流は、富国強兵への憧れがあったのでは?と思う。
一方、中国や朝鮮やインドの民衆にとっては、鉄道は「列強侵略の象徴」であり、
日本人にとっては「満鉄」は憧れでも、中国国民にとっては「打倒すべき存在」となる。
これらの国に今でも鉄道マニアが少ないのは、
「鉄道に対するイメージが政治的にネガティブ」だった点も影響してるのでは?
萌えとエロの境界線が薄れている気がする(http://tm2501.hatenablog.com/entry/2013/07/05/214058)
空想することなのでフェティッシュを喚起するアイテムとして絵やテキストが用いられる。
もののあはれにフェチを感じる人もいればバタ臭い乳袋を萌えという人もいる。
ただ「萌えとはこれのこと」と大多数が同意する概念はすでにできていて、
ライトノベルは、大多数が受け入れやすい「同じフェチ」を大量生産しました。
その結果のライトノベルブームであり、ラノベアニメ化の波による萌えの均一化です。
製作コストがバカ高いノベルゲームをもっと手軽に商品にしたいという理由でできたのがラノベです。それが全てとはいいませんが。
初期のラノベは作家もイラストレーターもほとんどがエロゲ制作を知っている人です。
一般にも受け入れやすい萌え要素を「唯一の萌え」と規定して萌えアニメ化した。
これが昨今の萌えの正体なので、エロゲをタブーと見る大多数の人か嫌悪しないよう、
境界線があるように振る舞うのが萌えアニメの処世術だったわけです。
エロは日陰者でなければならない。
そうでなければ犯罪の温床だとかなんだとか規制派がぞろ騒ぎ出す。
日本人が特別だからではなく、日本のコンテンツ規制が緩いからです。
ワンピースのサンジが米国のコミックではタバコではなくロリポップを咥えているのは、
米国のコンテンツ規制が緩ければ、少年ジャンプがアメリカで生まれていたっておかしくはないのです。
エロゲのことなんかはやく忘れて、萌えとエロにはばっちり境界線があったことにして、萌えアニメを楽しんでいたほうが世界のためです。
なんかガキ育てるなら早い方が良い云々と今の日本の大学の意義と、「今の現状で大学行ってる時に子供作った人の体験談」をからめてごっちゃに話してる人がいるけどさ
それら全部の相関を一言で解決できるはずないんだからもう少し丁寧に話そうよ
男女の配偶子の劣化を考えるとまず生むのが早い方が良いっつーのは医学的な事実だろ
でもお金に余裕がある、もしくはちょっと年いった夫婦(ふたりとも院卒や6年制大学なら当然出産は最短でも遅くはなるよな)のほうが、当然子供の最終学歴も似たり寄ったりになったり、知識を持って子育てできたり、何かと良いっつーメリットもあるわけだ。
で、早い方が良いよ!って啓蒙するのもいいが遅くに子供をもうける夫婦(もしくはもうけないことを選択した夫婦や個人)が全員「子供は早い方が良いなんて知らなかった」訳ねーだろっつー話じゃん。
で、今の大学に価値があるかどうかっていうのは大学に寄るし日本の現状をピーギャー言ってもいっぺんにどうこうはできないしそもそも全てが就職予備校って訳でもないし色々な要素が関わるからちょっとおいとく。
で、「大学に通いながら子育てできるようにする」っていうのは、「おそらく有効であろう少子化対策」ではありそうだよな。
少なくとも「早く生んだ方が良いんですよ^^」なんて、知識層がすでに知ってる情報を予算かけてまき散らすよりはさ。
だって知識階級はどうしてもより良く、また自分の人生を生きていくために出産が遅れがちだし、非知識層は教えなくてもガキ生むの早いしさ。
あとはそれをタブー視する(年齢問わず)頭の凝り固まった老害の問題があるけどこれは相当デカいよね。
あくまでも一案としてね。
他にいくらでも効果的だけど改革的だから受け入れられづらい方法はいくらでもある。
養子制度の拡大だの同時に同性婚の解禁&養子受け入れの許可とかさ。
私は個人的には少子化勝手にすれば良いと思ってるからどうでもいいけど。
家族制度をもっと柔軟に&子供を産んだ責任を全て両親に帰結させない(=つまり簡単に捨てることもでき、かつ受け入れることもできる)ようにすれば良い訳じゃん。
一番おかしいなってか、バカだなーと思うのは少子化は大問題だと言いながら、新しい方法はしたくない、女が悪い、女は頭も悪い、若者が悪いって言ってる人たち。
怒るだけ怒って八つ当たりして人生を損してるとしか思えん。すでに余生だからいいのか。
で、一例として大学行きながら子供が出来た人の話があったけど、残念ながら勉強できないなら大学はそれこそ「そこを出た」という事実しか得られないけどそれは一例であってさ。
制度上の問題であってさ。制度上問題があるのにそこで「その人が悪かったかどうか?」とか意味わかんない議論してもしゃーないだろ。
勉強しながら子育てできるようにすればいいし、意欲さえあれば飛び級できるようになれば院卒の18歳女子とか全然アリじゃん。それができないのはひとえに新しいことはしたくないってだけであってさ。
かつては差別を助長するなどの考えからタブー視されていたこの考え方も、ヒトゲノムの解読が進んだ今、もはや科学的に否定することは困難になりつつある。
プライバシー保護などの名目でかかっていたブレーキも今やほとんど役に立ってはいない。世界中の研究者により、能力と遺伝情報との統計的紐付けは日々進んでいる。誰でも努力次第でどこまでも伸びるという幻想は、天動説と同じく葬り去られる運命なのだ。
そもそも遺伝による能力差を悟ることは難しいことではない。むしろ誰もがそれに気付いていながら、差はないと教育され、能力差を肯定する考えは否定されることで、思想を修正されてきたものだと言える。
子に親の見た目が遺伝することは誰の目にも明らかだろう。身長や体重、骨格もまた、明らかに遺伝している。そしてこれらは明らかに運動能力に影響を及ぼすものである。
頭の中の能力差は、見た目に明らかな外見や運動能力ほど知覚しやすいものではない。しかし、子を持つ親であれば、いかに子が親と似た性格を持つものか、嫌というほど思い知らされているはずだ。そもそも、これほどまでに見た目が遺伝する中、性格はみな平等に生まれてくると考えるのは無理がある。
産まれながらの知的能力差を示す誰にでも分かりやすい証拠の一つとして、知的障がいを持つ者の存在をあげることができる。これらは一種の病気として区別されてはいるものの、病気と正常との境界はあいまいであり、ある一定以下のものを知的障害としている側面が大きい。遺伝を原因とする知的障害や身体障害の存在は、直接的に産まれながらの能力差を肯定する証拠となる。
もちろんこれは能力に対する環境や努力の影響を否定するものではない。産まれながらの能力は、産まれながらの適性にすぎず、後から環境や努力により修正可能であることに疑いの余地はない。
しかしながら、産まれながらの適性があるものはより少ない環境や努力の助けで成功できる可能性があるのに対し、適性のないものは人一倍の努力を積んだ上でやっと同じ土俵に上がれるといったことが起きてくる。これがある以上、やはり産まれながらの能力差はあると言ってよいのである。
誰でも努力次第で何でも出来る、この考え方は、自分の適性に自覚がないうちから努力に対するモチベーションを上げる効果があるため、特に幼年期についてはプラスに働くケースが多いと言える。
しかし、そんな理想論で騙し続けることができるのも、せいぜい中学生までである。頑張れば出来るはずなのに、勝てない、無理をする、無理を強いる、合わない仕事につく…やがて身を持って自分の適性の無さに気付く頃には、自分がこれまでに無駄にしてきた膨大な時間に絶望するのだ。
恐らく我々の社会は、遺伝による能力差を受け入れた上で次のステージに進む事になるだろう。もはや能力差を差別にしか繋げられないような時代ではない。適性をうまく利用したり、不本意な能力であれば修正することすらどんどん可能になってくる、そういう時代なのだ。
能力差があるのであれば、妊娠前の段階からより能力的に可能性のある個体を選ぶというのは当然の判断である。生まれた段階や就職前には遺伝的な適性検査を行い、その道の能力を集中的に伸ばしてやることで不幸な努力は軽減可能である。産まれながらの能力差を適切に理解しあうことができれば、個性はより尊いものとなり、それぞれ能力を補完しあうお互いへの尊敬の念も育まれよう。能力を持つものは、その能力に対する科学的裏づけをもってより自信を強固なものにするだろう。
どうしても避けられない遺伝的な欠陥が認められ、本人もその修正を望むのであれば、積極的な遺伝子の書き換えという新しい医療の出番である。無能な人間をただ生き長らえさせておくよりは、治療できるものは治療したほうが、本人にとっても、その利益を享受する社会にとってもメリットが大きい。
これらのように、これから先取りうる対策、進むべき方向は多々考えることができるが、まずは社会がこの、産まれながらの能力差という事実を正面から受け入れ、消化し、次のステージに進むことを願ってやまない。
児童ポルノ規制が「架空の表現」にまで及ぶことは明らかに「児童の権利保護」の観点から見て無意味だし
何より表現の自由を守れなくなるので、そこはもう議論の余地がないと思ってる。
でも、じゃあ実際、性被害に遭う児童を現実的にどう守ればいいのか。
児童性愛者について社会は、法は、道徳はどう対峙、対話していけばいいのか。
そんなことを数日考えてる。
「自分はペドフィリアで、いつか現実に子供に害を加えるかもしれない不安を抱えている」
と私に言っていた。
私は「自覚症状があって、自身が悩んでいるなら、カウンセリングなりすれば良いのでは」
と言ったが、実際、現実的にそういったセラピーは無いらしく、相談する相手はおろか
打ち明ける場所や機会がそもそも無いという。
自分も「児童性愛者」に対して道徳的にも社会的にも、どうスタンスを取ればいいのかわからない。
だからアドバイスも、自分の価値基準も持てず、言葉に詰まってしまった。
ちなみに、その集まりはセクシュアルマイノリティと家族が集まれるイベントだったのだが
「ジェンダーやLGBTという枠とは(小児性愛は)違うし、児童福祉の観点から言えば治療の対象だ」と
あまり望ましい対話ができなかったらしい。
話を戻すと、アニメや同人などで現在ふつうに流通している「ロリ・ショタ」的コンテンツを消費している人らと
実在する児童のポルノを消費する(あるいは性嗜好障害としての)ペドフィリアとは、もう根本的に違うということ。
それは概ね同意が得られそうだけど、じゃあペドフィリアの人は、その性嗜好自体が社会的に憎悪されるべきものなのかと言えば
それは思想の自由から権利が守られるべきで、実際に加害者がいなければ現状、法的には問題がない。
だけど、社会規範的、道徳的に「ペドフィリアである事実」の人をどう扱えばいいのかというコンセンサスが日本にはないと思ったのね。
声高に児童ポルノをすべて禁止すべき!と叫ぶ人たちは、そういった実在する「児童の性被害」や虐待に対して、主体的に問題に取り合っているのか。
タブー視や軽視せずに、犯罪の原因や事実、ケーススタディについて議論しようと取り組もうとしてきたのか、と疑問に思うわけ。
実際、上述した彼のように、その性嗜好が社会的に許されないと認知した人は、どこへ行けばいいのか、それを用意しようとした人がいるのか。
ただ、そういう人間や「似たような因子」をタブー視して「すべて禁止!」しようとしているだけじゃないのかって思う。
そういう浅知恵じゃ、「加害者になる可能性」も「被害の予防」もできないと思う。
けれど、「ペドフィリアは危ない因子だから、こちらへどうぞ!」とは簡単にいかないような気がしている。
もちろん性衝動が抑えられない精神医学的な意味での「異常行動」の問題はしかるべき治療をすればいいけど
そうではない様々なケースに、社会はどう捉えればいいのか…とも考えていて…
まずはカウンセリングを自主的にしたい人の為のリソースがあるべきとは思うけど、「社会的な同意」としてのコンセンサスや整備が
つまり被害者がいない場合のペドフィリアを糾弾せず冷静に「異常性」だけを判断し分別できるシステムとか。
http://anond.hatelabo.jp/20130515203647
http://anond.hatelabo.jp/20130515204137
言いたかったのは、例えば。
性奴隷、風俗嬢、キャバ嬢、慰問団のようなもの、とか解釈が分かれる。
そんな定義から会話を始めるのは面倒くさいよなあ、ということや、
情報の整理ーー発言者の前の発言や立場から辿った意図の解釈など。
タブー視というのは、米軍の性欲昇華ははどうやってんの?という質問のこと。
もともと橋下さんが沖縄視察に行ったのが何だったのか、世間で忘れ去られてるような。
http://anond.hatelabo.jp/20130515211921
その対策で、少なくとも全文が伝わらないという事は避けられる。
大阪の橋下さんの話。
今時、慰安婦紛いの存在を認めている軍隊なんて、普通の先進国の軍隊ならありえないのに、一体いつの時代の軍隊の話してたんだか。
ぶっちゃけ、もはや「慰安婦」問題ですら無くなってるんじゃない?
昔の問題なんだから、当時の価値観で考えようなんて意見もあるようですが、それ言い出したら、奴隷制も肯定になるし、どんな虐殺でもOKになりかねないwww
大阪の橋下さんの話。
タブー視されて問題提起すら許されないのをよく言ったと思った。
騒がれるだろうなあと思ったらやっぱり。騒がれたあとの追加説明(朝日によると釈明)もやっぱり(橋下パターン)。
そりゃ、フェミニストやら特定アジアやらは脊髄反射で攻撃姿勢に移るのも無理ないよ。
news.google.comなんかで検索すると、sex slave に変換されてるんだもの。全文を載せている事もないし。
(sex slave = 性奴隷!韓国人性奴隷!!エロゲの話ではなく。彼らお望みの呼び名。)
で思ったのは、日本人間でも誤解され、もちろん日本語を解さない国はさらに無理、という、
「若い(未熟)なうちに子供持ったら、マトモに育てられないわよ」
「きっと幼児虐待するわよ」てな感じ。
「もっと若年女性、それこそ大学生とかが、気軽に出産子育てして、
その後『社会進出復帰』できるよう、社会のパラダイムシフトすべきだ」と持論を展開しているが、
この考えを知人のキャリア官僚(厚生労働省出向中)にぶつけたら、
「そんな若年で出産されると、幼児虐待で苦労する、自分はその担当なので、
そんな暴論に与することできない」と言われてしまった。
確かに20代後半・30代ママよりは発生率高いのかもしれないが、それでもせいぜい数%、
いやせいぜい1%程度だろう。
青空文庫もひどく腐敗しているとは知らなかった
けっきょく何が問題かって、多様性を認められない=曖昧さを許容できないことだろう
狂信的にWikipediaは百科事典です(キリッ)を目指す必要なんてどこにあるのか
船頭多くして船山に登る結果になるのは最初からわかりきっているじゃないか
曖昧さ、多様性を認められないことはいろいろな問題の根源だと思うがそれは割愛
追記
Wikipediaのところ構わず貼られる要出典の嵐や、挙げられていた青空文庫のケとヶのような、烏合の衆が決めたものでしかないのにルールをルールとして信奉することに強い違和感を覚えた。
たとえば犯罪は悪いことだから罪なのではなくて、人間がそう決めたから罪であると、それをタブー視しないで考えるところからしか本当の理解はできないのではないかと思う。
田房永子の女印良品|女性向けアダルトグッズショップ・ラブピースクラブ
少し前、『「まんこの洗い方」問題』というブログ記事が話題になった。簡単に記事を要約すると、ちんこに比べて、まんこに関する話題がタブー視されている、とのこと。
かくいう私も(童貞で…はないが)、確かに母親からまんこの洗い方についてレクチャーを受けたことはなかった。加えて、家庭内では性の話題自体がタブーとなっていた気がする。インターネットの話題ではよくある、洋画の濡れ場で食卓が固まるタイプの家庭だったのだ。
余談が多くなったが、とにかくこの記事は私に衝撃を与えた。私自身、20を越えるまで、まんこの洗い方について意識することはなかったのだ。そして女性誌やインターネット上でもまんこの洗い方について詳しく記述しているものはなく(一応あるにはあるが、膣内は石鹸で洗ってはだめ!というどうでもいい情報だけのものが多数)、自分で試行錯誤していたあの日々を思い出すに至った。女性はもっとまんこの洗い方をはじめ、まんこの管理全般について情報を共有していくべきである。
世間では、
などというどうでもいい話題が「ガールズトーク」として扱われる風潮がある。正直に言って、これらは男性の前でも話せることで(自分の恋人とセックスの話をまったくしない人は少数派だろう)まったくガールズトークでもなんでもない。こんな話をする暇があったら、まんこの洗い方やトイレ時の拭き方、陰毛の処理方法について話し合う方が遥かに建設的である。なぜなら、まんこの管理はエチケットだからである。女性として、人間として、風呂に毎日入るのと同じくまんこを清潔にすることは最低限必要なマナーだからである。
「私Mっぽくて、バックが好きなんです…」などとは恥ずかしげもなく主張できるのに、ケツ毛の処理やグロ肛門について考えもしない・議論をしないのは、異常である。楽しいセックスは、性器の正しい管理があってからではないだろうか。そして、このような本当に男性の前では話せない、しかし深刻でセンシティブな話題を「ガールズトーク」とすべきであろう。
また余談が過ぎてしまった。私がこの文章で示したいこととは、まんこの洗い方についてであったのだ。まんこの洗い方をはじめ、私の知りたい女性だからこその話題がインターネット上で見つけられないことに対する苛立ちが、上記のような駄文を増やすことにつながってしまった。
前述したように、インターネットで検索しても、細かいまんこの洗い方についてはヒットしない。ここで私のまんこの洗い方について共有することによって、私のように試行錯誤する女性の手助けになればと思う。また、私のまんこの洗い方が不十分な際は、ぜひトラックバックにて意見を書いていってほしい。以下、まんこの洗い方について述べる。
基本的に、まんこは手で洗う。まんこは複雑な構造をしているため、タオルなどではうまく洗いきれないというのが私の意見だ。また、明日セックスしそうな予感がある場合は鏡を用いてM字開脚で丁寧に洗うが、日常的には鏡なしで手の感覚で洗う。洗う体制は、立ったままで、少々膝を曲げると多少まんこが広がるので洗いやすい。
まず、石鹸やボディーソープを泡立てる。パイパンではない人は、手で泡立ててからまず陰毛を洗うと、泡立てやすくて便利。ここでできた泡で、まんこ部分を洗う。最初にまんこから肛門まで軽く手のひらで洗って、泡を全体に伸ばす。
泡を伸ばしたら、まずは陰核周辺を洗う。まんこの構造は人によって違うので多少異なるかもしれないが、私の場合は陰核の横から溝が始まって、小陰唇の横の溝につながっている。まんこを適当に洗っていると、知らないうちにここに垢が溜まる。この溝は、丁寧に指で前後に往復して洗う。私はグロマンで、この溝が深いため何回も往復させて丁寧に洗っている。スジマン系の人の場合はあまり溝が深くないかもしれない。
通常は、小陰唇より内側は表面を指で洗うだけにして、膣内は指を入れて洗っていない。膣内には膣を清潔に保つための常在菌がおり、石鹸で洗うことによりその菌の働きが弱まる…という説を目にしたためである。しかし、これが正しいかどうかはわからない。石鹸云々はさておき、膣内も洗ったほうが確実に無臭になるからである。セックスしそうな日の前日は、薬局の使いきりビデで膣内を洗う。膣は自然にしておくのが一番という天然志向派がインターネット上に多数見受けられるが、膣内も洗ったほうが確実に臭いはなくなる。しかし、これは私が単にクサマンだから臭いを気にしているのであって、臭くないマンのみなさんに関しては問題ないのかもしれない。しかし、マン臭が気になる人は、外陰部だけでなく膣内も洗った方が臭いはなくなると思う。ちなみに、この使いきりビデというのは薬局・ドラッグストアの生理用品コーナーに置いてある。インターネット上にはシャワーや風呂の水を膣の筋肉を用いて膣内に取り込み、洗浄するという強者もいた。しかし私にはそのような高度な技術はなかったため、普通にビデを使用している。
小陰唇部分を洗ったら、最後に女性器から肛門の間を通って肛門を指で洗う。この時点でケツ毛が気になった際には、洗うついでに剃ったり抜いたりする。繰り返すがセックスしそうな日の前日は化粧鏡などを風呂場に持ち込んで、丁寧に処理する。それ以外のときには、足を開いて限界まで屈み、見える範囲だけがんばって処理する。
まんこの洗い方からは離れるが、多毛の人は、面倒ではあるが適度に剃毛か脱毛するのがよいと思う。なぜなら、排泄の際に陰毛に排泄物がつき、それが拭ききれないのは不衛生だからだ。毛が少ないほうが、排泄物を拭き取りやすい。また、陰部を洗う際にも洗いやすい。特に鏡を見て洗う際には、陰毛がないほうが洗いやすいし、汚れが残っていないか確認しやすい。パイパンが理想だが、交際相手のタイプや公衆浴場に行く勇気があるかでここは臨機応変にやっていくしかない。小陰唇が大きい人はパイパンにすると小陰唇が目立つため、危険な出で立ちになる。しかし、公衆浴場に行かない・セックスする機会がしばらくない、という場合は快適だろう。
肛門まで洗ったら、あとはシャワーで泡を洗い流す。陰毛にリンスをつけるとサラサラになるという説があるが、私の場合サラサラにならなかった。洗い流したあとは特になにもつけていない。
以上、可能な限り詳細にまんこの洗い方について述べた。この文章がまんこの管理方法について悩める女性の手助けになれば幸いだ。前述したが、洗い方に関してコメントやアドバイスなど、トラックバックで頂ければありがたい。私も未だにまんこの管理方法については研究中なのだ。そして、このような話題はインターネット上では見つけにくいため、情報収集も難しい。繰り返すが、このような真のガールズトークができる社会を望む。