「インターフェイス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: インターフェイスとは

2022-09-09

anond:20220909153249

お客さんが通販サイト入力するのとほぼ同じインターフェイスで、

店員店頭端末から入力すると、一カ所の組み立て工場でがっつり組み立てテストして、

お客さんちに直送するので、

サイトで買っても店頭で買っても、誰が入力して支払い方法をどうするか?だけの違いしか生じないわけさ。

2022-09-08

どうして OS統一されないの

Windows やら macOS やら Linux やら。

インターフェイスひとつOS統一すれば、学習も楽になって

個別最適化のためにコストを使わなくて済む。

二酸化炭素排出量も大きく下がるはずだ!」

・・・知るかよw アンタらが合わせろ

anond:20220908100606

2022-09-05

AIプログラマー仕事を奪うか?

ぶっちゃけどういうインターフェイスになるのか想像つかない。

ちょちょっと文章入れたらアプリが出来上がるイメージなの?

2022-07-26

anond:20220726094821

昔は本当に専用のインターフェイスしか繋げないメディアがあったんだけど、

あんまり売れなくて、汎用型のメディアけが残った。

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-05-27

anond:20220527185823

品不足解消に流通抑制をしないソニーバカだとは思わんが、そのアイデア有用性が高い。

確か、同人誌違法流通を止めたかった作家が、自作外国向け悪口記載して、それが向こう側での内紛を起こしたってことがあった。

ストレート悪口でなくとも、ちょっとインターフェイスを使いにくくするとかは、抑制したい行動への対処として十分あり得る。最近話題の、道具のフールプルーフ論にも応用できるかもしれない。

2022-05-24

anond:20220524181111

どうかなあ。まとめのコメントにも「布団ばさみを使えてしま構造をなんとかしないと」って意見があったけど。

対応しだすとキリがないぜ。使用者からみた道具のインターフェイスの想定、に比べて道具側からみた使用者の想定はあまりに複雑だ。

工夫して行動する多数の人間って、インターフェイスとしてみると極めて厄介すぎる。こっちも人工知能で動的に対応しなくちゃ無理。

anond:20220524181433

ライトが点灯してるときは押し続け、ライトが消えたら離す。

単に連打するのではなく、タイミングに合わせた押し方をしないと、押しっぱなしにならないインターフェイスであれば問題解決ですね。

anond:20220524180526

まり、連打し続けないと、押しっぱなしにならないインターフェイスが良いということですね。

押したまま固定は、離したと同じになればすべて解決と。

2022-04-19

anond:20220419233153

俺も5chに行こうかな、と思ったけど、今更専ブラいれんのも面倒なんだよなぁ。

今どきWebインターフェイス専ブラ程度のことできんのになぁ

2022-03-01

「車の運転ができない!」人のコメントについて

ゲームしか運転しないペーパードライバーが久々に運転したら、(本物なのに)めっちゃリアルドライブゲームに思えてやばかった。ぶつかっても平気そうに見えた」

んな訳ないやろ、加速に伴うGや、実車ハンドル操作ゲームに思えるって空想がひどすぎるで。(ハンコン使っててもゲームと本物の差はあきらか)

自分免許持ってるけどほとんど運転してないもんで、もう怖くて……。今の車ってサイドブレーキがサイドのレバーじゃないらしいじゃん。」

サイドブレーキ運転に影響するのって最初の発車時のみだよね?レバーじゃないから恐怖を感じるのはどの部分?

「この前乗ったレンタカーサイドブレーキ運転席の左前あたりにあるスイッチ型で、全然気付かず聞きに行くハメになった。手で引くのも足で踏むのもあるし、車種ごとにコロコロえんなよとは思う」

何で全車種共通操作方法である必要あるねんな、説明書を読め。ジョイスティック操作の車が欲しい。

恐山ユーロトラックシミュレータープレイ動画は本当に名作なのでぜひYouTube見てくれよな」、「恐山さんのトラック運転ゲームまじで面白いので見てほしい。」

その通り!

「俺は昔、休日ドライブをしていた→座ってばかりで身体に悪そうだから自転車に乗るようになった→青信号を渡っていたら右折車に跳ねられ怪我半年仕事できず無収入自転車は復帰できたが自動車は無理。の流れ」

言ってる意味分からんし、自動車運転冤罪やんけ。運転すると人を跳ねそうで怖いという話やで。

「「政治宗教野球の話はしてはいけない」に自動車も付け加えたほうが良いね

ほんまやで、特にはてな」では。

生活必需品から苦手とか関係無いのに練習するわけでもなく嫌~とか苦手~とか文句ばかりいっちょ前に言ってるのが風当たりの強い理由じゃないでしょうか。」

練習しろっていうと、苦手・怖い・無理の言い訳オンパレード運転上手い人も練習したんやんな。

咄嗟アクセルブレーキ踏み間違えそうなので、万年ペーパードライバー。」

間違えないように感覚着付くまで練習しろ

「車含め機械の操縦は得意なんだけど集中力を維持できなくて事故るの間違いなしなの運転はしないことにしてる」

それは「機械の操縦は得意」とは言わん、自動車運転機械の操縦は天と地ほどの差がある。

記事見てもコメ読んでも、じゃ乗らなきゃいいじゃんとしか思えん。結局慣れ。自動運転完成なんてのも高速ならともかく、情報量の多い下道センサーカメラ半導体で処理して進めるのは死人の山築いて百年先の話だろう」

乗らなきゃいいじゃんについてはその通り、慣れというか習熟するための練習免許取得時に終わってるという認識ダメ

こういう運転怖いとほざく奴らが、自動運転の普及を阻害することに問題があるのですがね。死体の山築いていいならすぐに普及するだろ、事故どころかシステム停止も許さんとなっているから百年先の話になる。

「少なくとも6割以上の男性は難なく、普通レベル運転できているように見えるので、俺にだってできな訳がない!と思って練習した。今では運転を褒められることもあるが、どこかに苦手意識は残ったままである。」

偉い、それでいい。苦手意識残したまま普通レベル運転できていればそりゃ褒められるよ。

何より重要なのは練習練習量です。

「「バック中は左右が逆になる」左右盲だと思って生きてきたけどこれはないな。ハンドルを回すとタイヤが回した方に向いて、それに対して物体は内側にまわるイメージがある...何言ってるかわからんが。」

左右盲は左右不覚ではなく、左右がとっさにどちらか分からないこと。どちらかに曲がるのを理解することと左右は関係ないで。

「バック中は左右が逆になる」は、むしろ日ごろから左右を認識できているから混乱するものだと思うぞ。左右盲自分からみて右だの左だの認識しとらんから混乱しない。

左右盲しょっちゅう右折と左折ミスるため、いつかアクセルブレーキも間違ってしまうのではという恐怖から極力運転したくないけど、地方郊外住まいはないと暮らせない…」

てめぇはアクセルは右、ブレーキは左と頭で考えてから踏んでるのか?右か左か分からなくなることと、方向が分からなくなることは違うぞ。

踏んでるペダル感覚認識していないなら感覚掴むまで練習するか、運転しないで生きよう。

交通秩序は「みんながルール通りにふるまうはず」っていう暗黙の信頼関係で成立してるので、そこに寄りかかれない人は怖くて運転できないと思う。逆に言うとルールさえ守ってればほとんどの事故は起こらない」

練習してそのへんの信頼関係を感じ取るんやけど、練習せん上に「相手ルールを破ったら」という最悪のパターンのみ考えて運転するから、かえって周りに迷惑かけるんよね。

自動運転な上にとってもカワイイスマートモービルこと馬、都市部でも小回りの利く人力車

馬が自動運転なわけないでしょ、目的地設定できて寝ててもたどり着くのか?燃費(餌代、飼育費)もそれほど安くない。

人力車スピードと航続距離問題だな。

仕事徹夜明けに運転して事故るのを二回やって人を殺すの時間問題だなとなったので仕事と一緒に運転も止めた。」

うん、お前みたいなやつは運転しなくともよい。公共交通機関タクシー使え。

「“苦手派としては足での操作常識となってるってのが怖すぎる”実際、手だけで操作できるゴーカートとかは開発されてるのよね。乗ったことあるけど問題なく運転できた。今後は増えるかも」

ワシは手だけで運転したいけど、足の操作が苦手と言ってるやつは手だけで安全運転できるわけないと思っとる、手でやることが今より増えるのに対応できるわけがない。

「はやく自動運転が導入されてほしい」

はてなでは自動運転否定されます

「車幅感覚とバックは激しく同意。車幅は自分の車を保有すればわかってくるらしいが。バックは、まずは微小に動かして自分イメージとのズレを修正してるが、毎回ビビってる。」

それでええで、車幅もバックも感覚をつかむまで練習やで。イメージとのズレを修正できているなら大したもんやで。

「私と同じだな。殺人マシーンになる自覚があったか卒検以来自動車運転してない。(原付は乗ってた) “免許をとって練習をするも50分くらいで運転センスのなさを確信。「俺は車は運転しない!」と心に決めた”」

センスなんかいらんねん、ともかく練習あるのみ。50分なんて練習の内に入らんお遊びやで。

「車の運転に慣れるということは、紅の豚飛行艇乗りみたいに無意識のうちに前後左右に注意を払い続けるようになるということ。」

そう、練習によってリソースの割り振りを制御できるようになるねん。注意してなくても前後左右の事象に反応できるようにな。

「バック逆転のやつ、言わんとしてることはわかる。進行方向でない車輪が曲がるってのに感覚が付いていけないんだろう。Rに入れたらハンドル切った方向に後輪が曲がる仕様だったら言われてる通りになると思う。」

ハンドルタイヤを曲げてるって認識がないからそないなことになるんやで。フォークリフト運転したらええやん(だいたいが後輪で曲がる)。

「車のインターフェイスデファクトスタンダードを求めながら不文律否定するのはずるくない?/なんか「考えすぎて算数を苦手になる子供の話」系に近い印象があった」

単なる練習嫌いの言い訳やで、ダブスタになるのもムベなるかな

「慣れですよ、慣れ。最初は誰でも下手で積極的運転したくないと思うけど、それを越えて運転してると運転が楽しくなる。目的地なんてなくても、純粋に好きな車を運転すること自体楽しい。」

慣れるために練習運転)する必要があるのだが、奴らはとかく運転をしない。

「車の運転って体の色んなセンサー使いまくってやっと出来る事なので、上手いとか下手とか簡単に語れる事では無いよね。自分はめちゃ方向音痴なのでペーパーになったわ。」

そうだね、体中のセンサー何の気なしに使えるようになるよね。(ゲームの時とは違うはず)左右盲ではなく方向音痴記載するところは正しい認識ですね。

原宿さんのコメントが私と同じ過ぎて泣ける。特にこれな。 “前から突っ込んでも、前から出ることができる駐車場の開発が待たれる。”」

そこら辺のタワーパーキングに止めろ。前進入庫、前進出庫や。

「「運転苦手」だから丁寧になると思ってる。「運転好き」が上手いとは限らない。」

そだねー

2022-01-25

anond:20220125231631

例えばこのあいだ、仕事に使うイラストを描いてほしいと頼まれたから「サイズ指定ある?」と聞いたけど「ない」の一点張り困惑しながらもとりあえずラフ描いて見せたら、そこでやっと「背景は透過するから塗らないで。ユーザーによってインターフェイスの色が違う」とのたまった。

サイズ指定ある?」という聞き方だけで要求仕様が全部出てくると思ってるのは流石にやばくない?仕事でもそんなコミュニケーションの取り方してるの?

金の話については彼氏が面倒臭がってるだけだろうなと思うけど。

彼氏が話通じない人だった

 何年も付き合ってるけど最近ようやくヤバいと思い始めた。

 例えばこのあいだ、仕事に使うイラストを描いてほしいと頼まれたから「サイズ指定ある?」と聞いたけど「ない」の一点張り困惑しながらもとりあえずラフ描いて見せたら、そこでやっと「背景は透過するから塗らないで。ユーザーによってインターフェイスの色が違う」とのたまった。

 たぶんサイズのことを聞かれたかサイズのことだけ答えたんだろうな……。

 ある時には彼のご両親と金銭が絡む話をしないといけなくて、「話しづいからこれこれこういう風にそれとなく聞いてくれない?」と頼んだら面倒くさがられて喧嘩になった。

 お互いにイライラが治まらないので改めて話すことにした。私が「お金問題は繊細だからから聞きづらかった。それくらい聞いてくれても良いじゃん」と言ったら、「何でお金問題だと話しづらいのか分からない」「さっきはなぜ話しづらいのか説明がなかったから、今後あらゆる場面で仲介を頼まれるのが嫌で怒った。そっちの説明不足だ」と。私は普段から彼のご両親と直接LINEしていて、それも知っているのに。

 挙句の果てに「お金が絡む問題が繊細だと言うけど、そんなこと言ったら何でもお金が絡むだろう。お土産買う時とか何とかかんとか……」と言い出して、あまりに話が通じないので呆れ果ててしまった。

 日常の全てがこうではなくて、たま〜にヤバいくらい噛み合わないだけなので当初は気がつかなかった。こんなんだけど仕事においては技術面でそこそこ評価されているっぽいのがまたムカつく。一度くらい仕事で痛い目見て反省してくれないかな。

2022-01-18

シャープクラウド管理セキュリティスイッチを発売、ネットワーク侵入したマルウェア攻撃遮断

家電シャープIT業界進出したってのも驚きだが、いまさら境界セキュリティってのも驚いた。

2010年くらいかな?(白目

 シャープ株式会社は、攻撃トラフィックを検知・遮断する機能を備えたセキュリティスイッチBP-X1PL01」を、1月下旬に発売する。価格オープン

 BP-X1PL01は、社内のネットワーク侵入したマルウェアなどによる攻撃遮断し、被害の拡大を抑制するセキュリティスイッチ。社内ネットワーク監視を常時行い、マルウェアなどによるサイバー攻撃を検知すると、発信元の端末をすばやく特定して有害通信のみをネットワークから遮断する仕組みを備えているため、被害の拡大を抑制できるという。

 また、クラウド上の統合管理システムが稼働状況を常時モニタリングしており、異常発生時にはメールによって迅速な通知を行える点も特徴。さらに、複数拠点の状況をクラウドで一元管理できるので、IT管理者の業務効率化できるのみならず、IT管理者の配置が難しい中小企業SOHOなどの小規模オフィスにおいても、容易に導入・運用できるとした。加えて、自動セキュリティレポート作成機能を搭載し、脅威の検出状況を数値やグラフ可視化して提示してくれるとのこと。

 インターフェイスは、1000BASE-T/100BASE-TX/10BASE-T×8ポート、SFP×2スロットを備えた。スイッチベースエンジンには、PIOLINK社製のもの採用している。

 なおシャープでは、内部対策としてBP-X1PL01を用いる一方で、同社のUTMアプライアンスBP-X1CPシリーズ」を導入し、出入口対策をあわせて行うことで、より強固なセキュリティ体制を構築可能になるとアピールしている。

2021-11-18

OOP信仰大分抜けてきた

最近はもうカプセル化とか継承とか面倒くさくて、「処理の使い回しとか、関数使った方が明示的だし、十分じゃない?」とか「インターフェイスさえ定義できれば良くない?」とか考えたりしている。

あらゆる言語イミュータブルな構造体が欲しい。

2021-10-05

anond:20211005191152

何かを撮りに行く時にはいいけど、たまたま撮りたいものに出くわすようなケースではスマホが高性能という点がありがたい。カメラを別個に常に持ち歩くわけではないから。ゲームさらに、スマホゲームゲーム機ではやるタイトル目的も違ってるしな。タップ操作はなかなか独特なインターフェイス

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