はてなキーワード: 研究室とは
はじめに書いておくと、本当のFランクは想定していない。ネットで調べられる偏差値でいうと40~55くらいの私大を想定していて、かつ修士課程に進学を希望しているというていで書きます。
研究が楽しいかどうか・指導教員とうまくやっていけるかなんて、研究室公開の時間では判断できないので、定量的に判断できる要素で研究室は決めるべきだと思います。
有名大の有名な先生の研究室では、学会発表をする際に旅費を出すのが普通かもしれませんが、私たちの大学では全く普通ではありません。
「自分が発表するんだから自分で出すのが普通だよ~!」とか先生や学生が言っていたら、「やっぱそうですよね~」とか言いながら選択肢から消しましょう。
学生の旅費を出してくれることと、面倒見の良さはそれぞれ独立しているように思えまずが、学生の旅費を負担してくれるところの多くは、学生を大切にしてくれます。もちろん、旅費を出さなくても学生を大事にしてくれる研究室はあります。
研究費をたくさん獲得できる有能な先生なので、多忙かもしれませんが、体制がしっかりしていることが多いです。
多くの大学院では、数回の学会発表が一つの修了要件になっていることが多いので、旅費を稼ぐためのアルバイトなどをしなくてもよくなります。
私自身、数十万円、もしかしたら百万円くらいの旅費を負担してもらえました。これを自費で出していたらと思うとぞっとします。(そもそも自費ならそんなに参加してないと思いますが)
院生が国内外(特に海外)で発表している実績がたくさんあると安心です。
優秀な学生が集まっているだけ、ともとれますが、学会発表を修了に必要最低限な数しかこなしていない研究室よりはサポートが手厚いと思います。
最低限の研究室は研究室公開の時に、なんとなくまったりとやっていけそうな、そんな雰囲気を出しながら説明してくれます。
しかしこれは罠で、そういう研究室に入ると、M2になってから困ります。努力の総量は同じでも、就活終わってから修了できるかどうか不安になるのはバカバカしいです。
これは聞きにくいと思いますが、聞けるならぜひ聞くべきです。
どんな研究室でも、何年も運営していたら、ストレートで卒業・修了できない学生が必ずいます。
もちろん理想は0%です。
1割もいたらレッドゾーンだと思ったほうがいいです。自分は成績がいいから大丈夫だと思っていると「こんなはずじゃなかった」となるかもしれません。
勉強と研究はかなり違うものです。勉強が優秀だった学生は研究も優秀であることが多いですが、研究が上手くいかずに心を病む学生も多いです。
私も自然科学で学振とおって博士でた女だけど、正直いってあいつらも何だかんだいって上級国民にしか見えなくてキッツいなあ
あちらさんはすごい優秀なんだなあ、というのが記事を読んでてひしひし伝わってくるけど、学生結婚したりアカハラ受ける程度には周りの人間と接触してたんだよな健常者様はいいよな、と僻みがメラメラでてくるよね
こっちは理系といっても実験ないタイプのやつだったから研究室に行く頻度がえらく少くなっても誰も何も言わなかったし、そもそも大ボスも他の院生も私の研究と分野めっちゃ違うから完全に放置されてたし
大学院の人たちとあまりに接触しなかったせいでアカデミアに性差別があるのかどうかすら実感する機会なかったよ、就職に関してもそもそもアカポスなんて分野的にハナから狙えるような感じでもなかったから知らん
人相と愛想が悪いのとかビッチリ詰まったリストカット跡を隠しもせんかったとか、まあいろいろあかんかったんはあるだろうけど、こっちは一人で死なない程度に生きるのでギリギリだから、所帯ありって時点であいつらは圧倒的勝ち組だよ勝ち組
ブコメも大概で優秀な女性研究者を活用できない日本社会は~っていつもの義憤ポルノでキモいよ、やっぱ健常者さまは同情を買うのがうまいよね。
私みたいなのが30歳を過ぎて日本のすすけた都会の片隅でこうやって社会を呪いつつお薬飲みつつ細々と糊口をしのいでても誰の同情を買うこともできないもん
どうやったらもっと人生うまい具合にいったんだろうか、考えても頭がシビれるだけで何もわからなくなってくる
今生はもう長い長いロスタイムを消化するだけだからあんまり不安とか不満とか抱いても不毛だけどね さあ明日も早いしアメスピ吸って寝るかね
自分はその研究に人生捧げてて、その分野の重鎮ですごい先生なのかもしれないけど、それと同じ情熱を学生にも求めてくるやつ。
うちの大学にもハチャメチャな難度の試験出して大量に不合格にして、講義内容と問題のレベルが理不尽だっていう意見出ると
「大学にはみんな学問を修めに来てるのに、レベルを上げてくれならまだしも下げてくれなどありえない」とか抜かすやついるよ。
多くの学生にとって、その講義だのゼミだの研究室生活だのは、まだ自分が人生をかけると決めたわけではないいくつもある選択肢のひとつに過ぎない、あるいは選択肢にすらないことを理解できないんだろうね。
学問ではなく学歴のために大学に行くんじゃない、研究したいわけじゃないのに大学院に行くんじゃない、学歴ロンダするな(まあこれはそうだと思うが)、
分野の重鎮たる私が指導してやるんだから、ゼミや講義には私生活を犠牲にしてでもありがたがって全力で準備してこい、イヤなら別のところに移ればいい、
全部まあ正論といえば正論だが、実際現実としてそれらに完全に忠実だったら確実にいまの日本社会ではただ不利になるだけだし、多くの学生にとっての「とりあえず目指す場所」への到達を遠のけるだけだよね。
結局誰が悪いのかって考えると、大卒や院卒に謎の価値を見出して、大学や大学院を純粋な学問の場ではなくしている日本の社会な気がするけど。
ただの書き殴りだから主張の結論とか特にないけど、要は教授がひたすら時代錯誤だなって思う。
自分の研究室を理想の学術の場にしておきたいっていうのとか、そこにふさわしい学生しか認めたくないみたいなのはわかるけど、
そうじゃない学生が配属されてきたときに、強い態度でアプローチするべき対象はその学生じゃねえだろっていう。
最近出てた教授擁護ツイでは「そういう学生を強めに指導しないと日本の研究力が」的なこと書いてあったけど、
「あんたらが大学を変質させてるおかげで、純粋な学問研究の場が失われて日本の研究力が落ちる」って。
書いてて思ったけど、いにしえのトラディショナルジャパニーズビッグカンパニー的な「会社のために私生活を犠牲にするのは当然」みあるなっていう。
元: https://twitter.com/fuquiague/status/1143162885100597249 , https://twitter.com/fuquiague/status/1143163134636519424
今更感は否めませんが、九大のアカハラ問題についてもしTwitterで検索している人がいたら読んでもらいたいと思います。僕あのラボの出身なので、あのニュース記事では見えてこない部分で、自分の知る限りを書きます。
たしかにその教授はとても厳しい先生でしたが、サイエンスへの情熱が並大抵ではない方でした。ゼミ(文献紹介)では、確かに皆の前で1時間や2時間説教をされることはザラです。でもそれは、ゼミの準備をしっかりしてこなかったり、考えが浅い学生に対する対応であり、適切な論文を入念な準備をしてゼミに挑めば、議論の白熱した質の高いゼミが執り行われるのです。
「学生の発表中にスマホを見ていた」とありますが、僕の知る限り、この怒られた先輩はタイトルの英文に誤りがあるレベルの酷い論文を提示し、それに対して先生が「こんな論文についての発表を聞くのは無駄だ。俺はサッカーW杯の予選を見る」といってスマホの動画を見ていたそうです。
確かに少しやりすぎなのかもしれませんが、僕は怒って注意するのと行動の本質は同じだと思います。先生には黙って聞いていたり、居眠りしたりする選択肢もあったと思います(現にゼミで不甲斐ない生徒に怒るのはどうなのか迷ってらっしゃる時もありました)。しかし怒り、動画を見るのは研究室、ひいてはサイエンスのための"プロレス"です。
先生は一介の研究者のレベルではなく、その分野では日本を引っ張っている研究者の1人でした。それは、厳しい教授のもとで、生徒達が発破をかけられて懸命に研究に励んでいるからです。日本にあるこう言った風潮は、若者にヌルい社会になる一方で、日本のサイエンスの衰退に繋がりかねません。先生が明日から「反省したよ怒るのはやめるね」となれば、研究室としてのレベルが低下して日本がその分野で世界に遅れを取るんです。そのラボには厳しいながらもその熱血な指導(先生が何日も徹夜で論文の添削したりしてくれます)に魅力を感じて博士課程に進学した先輩が大勢います。僕も熱心に研究に取り組める環境を大変気に入っていました。
当然、こういった環境が合うか否かは人それぞれですが、研究室は選べるし変えられます。僕はこのような問題が生じてラボが画一化し、選択肢が狭まっていくkとに強い危機感を抱きます。僕も含め、やや世間のアウトサイダー感が否めない学生が多く在籍するラボでしたので、尚更です。僕は今回の件は「アカデミックハラスメント」ではなく、単なる「アカデミックアクション」だと思います。日本のサイエンスの為にも、多様性確保の為にも、あのラボが今まで通り運営されていくことを望んでいます。
ちなみに「メールで特定の生徒への叱りつけを他生徒にも見えるように行った」とありますが、この方は学歴ロンダリングについてメールで公開叱責をされたようです。おそらくこの方が学校名につられて修士から院を変えるような旨に対しての叱責だと思います。これも生徒側の非は大きいと思います。
僕はこのラボから修士で東大に行っているんですが、その旨を教授に告げた際、「君は本当にやりたいことがあって東大に行くということは分かった。単なる学歴ロンダリングじゃなくてそういうことなら私は何も言わず送り出す」と返答をもらいました。レベルの低い研究室なら出ていかれても仕方ないですが、先生も含めて全体で誇りを持って研究に取り組んでいるラボだったので、そこを単なる学歴ロンダのために出ていこうとするのは失礼ですし、怒られても仕方ないですし、それであのラボを出ても後で自身が後悔すると思います。そう言い切れる程、良いラボだったと思います。
僕が心から恩を感じているラボとその教授がメディアに悪く書かれ、ネット上でも酷い言われようであることに大変心を痛めています。もちろん被害を訴えられた方にも相応の言い分があることとは思いますが、今回の事件の裏の一面として、このニュースに関心を持った1人でも多くの方に読んでいただけますと幸いです。
小学校以来縁のなかった「軽度肥満」「要経過観察」という単語が重くのしかかる。
大学では研究室に篭りきりでろくに運動しなかったこと、会社に入社してからもデスクワークが主となり身体を動かさなかったこと。
その割に甘味や揚げ物を食べる量は減らなかったのだから無理もない。
帰ってきた診断書には、軽い運動をすると良いでしょうと但書が書かれていた。
それで、とりあえずランニングを始めることにした。
最初は近所を走っていたが、同じところをぐるぐる回るのはどうにも景色が変わらずに飽きてしまう。
そこで、試しに近所のJRを一駅間走ってみることにした。
近い方の駅で、片道3キロ。感覚を掴むために、とりあえず電車で隣駅まで行き、そこから走って帰る算段だ。
最初はルートを確立できず、また距離が予想以上に長かったこともあり、帰ってくる頃には息も絶え絶えであり。
ただ、ある程度走っていれば段々慣れてくるようで。
一ヶ月ほど経てば、問題なく完走できるようになった。
休日の調子の良い時には、途中休憩を挟みつつ往復で走れるようにもなってきた。
またこのコースに物足りなくなった。逆側の駅に照準を定める。片道5キロ。
それも物足りなくなって、二駅分に挑戦してみる。片道7キロ、起伏あり。
新しいランニングシューズを買う。ストレッチをする時間が増えた。
キロ5分で恒常的に走れるようになった。
最近は平日に二駅分往復(15キロ)、休日は25〜30キロくらいランニングしないと気が済まない身体になっている。
なんというか、走らないと気持ち悪い。そんな風に思うようになってしまったのだ。
自分でも気持ち悪いけれど、義務感のような、それでいて心地よい妙な感覚に乗っ取られている感じがする。
一駅ランニングってこんな深い沼だったのか?
優秀な先輩は大企業行くし、優秀でない先輩は零細に行くけど
人事って何見てそれ判断してるの?
学部卒だとGPAとTOEIC・TOEFLぐらいしか思いつかないんだけど、GPAとか見るものなのか?
修士卒の場合、研究成果を見ると聞くが、研究室の教授次第で、研究の質って大分変わらない?
自分がお遊び研究のようなのをしていた頃も、結局実験にゴーサインが出るかは指導教諭次第だったし、半分ぐらい彼のアイディアで研究してるようなものだった。
院生がどれぐらい自由に研究してるかわからないが、研究成果で研究力を評価できるぐらい自立して研究してるものなのか?
兄は学生時代貰ったテーマで言われた通りの実験をしてデータを出しただけと聞いたのだが、兄が特殊なだけだったのか。
急に就職に不安になってきて、調べてるんだが全然わからない。短期留学めんどくなって蹴ったんだが、蹴らない方が良かったのか?
教員は就職強い自慢めちゃくちゃするし、パンフにも大企業省庁ズラリしてるけど、適当にやっててそこに仲間入り出来る気もしないし、そんなの予備校の宣伝みたいなものだよな?信じて怠けてたら失敗するパターンだよな?
いい年して授業に出てるが、眠くて寝てしまう。
研究の方も、論文を200本くらい読んだくらいから、なんか、読む能力というより、やる気みたいな部分が根本的に足りないような気がしてきた。
努力というか、作業のようなものを、ひたすらやっている気分。世界を知るというか、僅かばかり世界を作れるかどうか挑戦しているというか。
世界にはいろんな国があるけど、自分がやっているのは、どこかの自治体のゴミの管理みたいな。そういう感じ。それすら難しいんだけど。
自分はいったい、何をやってるんだろうという気分になってきた。
やらなきゃいけない作業が終わらないが、少しずつ進んでいるような、進んでいないような。失敗を重ねていくことが大事だけど、どうも、前に進んでいないような。なんか、ひたすら家事に追われているような。違うんだ、家事ではなくて、家そのものを組み替えたりそういう努力が必要なはずなのに。
論文を読まなきゃいけないものが見つかった。だが、読んでいない。そもそも、探してすらいない。
明日以降やることが、ぱっと出てこない。
頭が整理されていない。
それすらしなくなったら終わりだから。
やる気がない時こそ、行かなきゃだめだろう。
しかも、研究してて、「もっと別なことがしたかったんじゃないか」とそっちの勉強もわずかに始めたけど、圧倒的に努力が足りない。
とりあえず、自分の持っている知識を、PDFにして、後輩が最短距離で研究を始められるようにして、とりあえず、この研究室に来る後輩たちの能力を上げることで、世界に貢献していると考えることにしようと思う。
研究メンバーへの不満を、テキストファイルに書き出してみたら、めちゃくちゃすっきりした。
読み返してみると、いきなり話が飛躍してたりして非常に読みにくい。
でもきもちいいんだな。
このテキストファイルが普通にノートパソコンのデスクトップに保存されているけれど、このノートパソコンで明日からも研究室に行くぜ。
そもそも人も少ないし、男性社会ゆえにいまいち馴染めないし浮いてると感じている。
なので研究室外に知り合いを作ろうと学内のイベントに顔を出したりするけど、男性ばかりだし、やっぱり仲良くなるのは難しい。
たまに仲良くなれたかな、と思っても恋愛対象として、という感じで友人にはなれない。
数少ない女性に会えてもいまいち気が合わなかったり、そもそも中学生の時に女性コミュニティでちょっとしたいじめにあったので、女性に対する苦手意識が強い。
理系でない女性、特に華やかな女性なんかだと、初対面で嫌われたり散々な目にあったので怖い。
でもやっぱり同性の友達が欲しいので、積極的に学外のイベントに出たりはしたものの、共通項がなさすぎてやっぱり仲良くなれない。
大学といってもどの辺の層を言っているのか前提条件を限定しないと、話が散漫になってしまうゾ。
旧帝大なら、まだ昔と比べて厳しいといっても余裕はあるだろうし、地方国立や有名私大なら研究者としての面目も保てるだろうね。
この話題を下位私大と考えるなら、教育は本当につらい仕事かもね。
ぼくの意見はね、教育なんて適当にやってるふりしとけってことよ。
学部の授業みたいな、自分への見返りがあまりよく見えないつらい仕事なんだよ。
実験担当になると、辛いぞ。酷いやつになると泊りがけで学生引率に行ったり、企業様の下請けみたいなこともさせられるわけよ。
特に、大学院生は自分の研究知識やスキルを吸収して、短い時間だけだけれど研究仲間になるかもしれない訳よ。
教育といっても二つ目の「研究者としての教育」ってほぼ研究にちかい。一般に教育というと一つ目のことを指すんだろうけど、そんなのお偉方や事務に目くじら立てられない程度に適当にやっときゃいいのよ。アクティブラーニングだの、教育改革だのとオカミはガミガミいうけど、馬耳東風しながら風見鶏になって轍ができたころに楽して追従すればいいってことよ。
良い学生がいれば良い研究上の話し相手になってくれるかもしれないし、悪い学生なら自分が手を煩わせる代わりに代わりに実験してくれるわけ。ま自分でやったほうが早いけど。実験で時間と場所を束縛されずに、教員は理論だけ考えればいいからほんと楽しい。
最近は、大学に来ない学生とかモチベーション上がらないとか、そういう相談がおおいよな。これも研究室という研究する場所に関することだから、責任持てるけど高校のクラス担任とかは絶対できないなと思う。
日々貧しくなっていくというのは本当に耐えられない。
これまで手にしていたものを、どんどん手放さなければならなくなる。
金が欲しければ、時間が欲しければもっと働けとオカミから圧力をかけられるわけだから。
政府様、企業様、おまえたちと大学運営はダメだというメッセージを発信し続けてくれて本当にありがとう。
大学は従順な政府の下僕として、ただ生き残るために立ち振る舞うし、ぼくは従順な大学の下僕を演じながら必死に自分の研究を守っていくよ。
僕たちはこんな不毛なバトルロワイアルや蠱毒をするために研究者になったのかな、違うよな。
みんなそれぞれ面白い研究しているよ、役に立たないかもしれないけれどユニークでどんな研究も心を突くような素晴らしい研究だよ
ってみんなが承認しあえるようになればいいのにね。
年々、発達障害への理解を深めようとする発信が増えてきている気がします。
なんかもやもやするのは、私の身近に発達障害を抱えている人がいるからです。
私は大学院生です。M2で、23歳。もうすぐ24歳になります。
本当にしんどいです。他の研究室のメンバーもつらいつらいと言っています。
発達障害を理解するっていうのは、私たちがうんざりするような回りくどい話し方や異常な上から目線、自分の経験則が第一と思っている視野の狭さなどなどを受け入れろってことでしょうか。
ごくまれにこっちの我慢にも限界がきて「おまえそれうざいから」って言いますが、そんなんで治るわけでもなく、言ったこちらも罪悪感が溜まっていきます。指摘の仕方を丁寧にすればいいってもんでもないと思います。
発達障害の人との付き合い方というページを見ても、結局そこで取り上げられている発達障害持ちの人はかなりまともな人が多いですし、自分と向き合ってどうにかしていきたいと思っている人が多い気がします。「発達障害」とか「アスペルガー」とか「ADHD」と一つにくくるのは無理です。
なぜ後輩を発達障害と言えるのかというと、彼は1度私に発達障害を持っているとカミングアウトしてきたからです。ただ、私はこのことを誰にも言っていませんし、他の研究室のメンバーは多分知りません。なのでまだ「まあこいつは発達障害だから仕方ないか」と思える私より、イライラしていると思います。
一般的な発達障害を抱えている人って、生きにくさを感じながら苦しんでいるタイプが取り上げられると思います。で、周りの人はその補佐をしてあげましょう的な。一種の身体障害と同じように、個性の一つですよ~みたいな。
ただ、私の後輩は攻撃性があるのです。(悪意があるかは知りませんが)
大学・大学院というようなアカデミックな環境で、かつ個性というものに寛容な環境でなければ淘汰されている存在だと思います。
なぜ理解しなければならないのだろう、普通に「頭のおかしい奴」として認識して仲間外れにして飲み会とかしちゃいけないんだろうか。
長すぎたので、3行でまとめます
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ITは要件定義とかしてIT技術以外を効率化してるだけの人海戦術型の集約労働だよ
⇒将棋とかポルノ女優とかは人間の限界値まで飽和させて終了させてるじゃん。農業の緑の革命みたいに。なんで次々それができないの?(疑問)
⇒個別の要件をIT技術者が理解するのではなく、個別の組織にIT技術者がIT技術を教えたり、AIが個別の案件を理解したらいいんじゃない?(提案)
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『ITって現代の農業じゃん』(https://anond.hatelabo.jp/20190610220324)
を書いた増田です。
いろんな意見を貰えてありがたい。
(特に、『IT産業は何で人がいっぱいいるのか?(何で労働集約的なのか?)』http://otihateten.hatenablog.com/entry/2019/06/11/120521 は、大変勉強になりました。思わずブログの記事を読み漁っちゃいました)
どうも、農業ではなく、建築業界だ!という意見が多かった。は~なるほどぉ~。ピラミッドをひたすら作ってるわけですね。エンパイアーステートビルとか、ヒカリエとか、そういうわけですか。
でも、なーんか、違うんですよねえ。
門外漢からしてITって、もっとポテンシャルあるように見えます。
昔は酷かったじゃないですか。こんにゃくと、裏ものとか言ってよくわかんないおばさんとか。
それがですね。今じゃ、もう凄いじゃないですか。pornhubがすごいじゃないですか。色々なサイトがすごいわけです。
女優さんも、整形手術(形成外科)のレベルが上がって、もう乃木坂中位レベルじゃないですか。そろそろハシカンも量産か?というような。
で、結局どうなったか。
消費するのは人間ですから、もう飽和しちゃってるじゃないですか。飽和。
そうなんですよ。ITって飽和が可能なわけですよ。
あるいは、将棋ソフトとかも、人類超えちゃったーとか。動物将棋やリバーシは完全解析ですっけ?(こっちはハードの問題だけど)そういうことなんですよ。
「リアルの物質の限界があるから、ITも限界まで行けるっしょ」って思うわけです。
終わったら、終わりじゃないですか。それがゼンゼン来てないのが、不思議だなーと思っております。
農業だって、人類の飯の量が決まってるから、緑の革命で農業人口が一気に減らせたわけじゃないですか。
で、なんか、そういう話での、それができない何らかの限界ってあるのかな。って思ったんですよ。
予想してた限界としては、
・「AWSは原発1個の電力を使ってやってる!世界の電気消費の通信などの電力がうなぎ上りで限界がある!」とか。
・「グーグルとかAWSにビッグデータや情報工学やサーバー管理が移行しまくって、日本の研究室とかじゃ絶対無理だ!研究室の数十倍の研究速度でGAFAが来て無理だ!企業でもサーバー保守は消える!」とか。
・「光を絞れる限界は波長の半分までだから、集積回路のシリコンウェハーの加工自体が300nm程度までしかできないからムーアの法則がきつくなってる!」とか。
でも、そういう話じゃなくて。
マジで個々の案件に対してのIT効率化が大量にあって処理が難しいって話なんですねー。
IT効率化が難しいってのが、どーも、個々の要件に対して、要件定義が難しいとかって話らしい?
でも、それってどうなんでしょうねえ。
やたら工学とかでは、
「背景理解 ⇒ 要件整理 ⇒ 要求仕様 ⇒ 実装提案 ⇒実装手段」
みたいなのを工程把握してやるみたいですが。
この考えというか、フレームがイケてないように感じるんですよねえ。
そもそも、ITの人たちって、背景の理解ってする必要あるんですかね。
いや勿論、あるんですけど。そのあたりって、それを使用する人たちが決めるわけじゃないですか。
だって、自転車とか乗る人が使うためのプログラムをするときに、ITの人たちが自転車のる感覚わからないじゃないですか。
そんで、要求仕様とかって立てますけど、自転車乗ってる人が、要求仕様とか考えて運転してるでしょうか?
もちろん、そうしないと、コンピューターの言葉になおせないってことなんでしょうけど。
それこそ、AIにやってほしいなあって思うわけですよ。
要求仕様どうこうってか、それすら、AIに解析させて欲しいっていう。
むしろ、自転車乗りの人たちに、ソフトの使い方を教育して、自転車乗りの人たちと共同で開発しながら、オブザーブするっていう感じのITの人が出ないものですかね?
そう考えると、ゼンゼン本質的じゃないところで、「ITは限界を迎えていない」という話ばかり。
なんというか。
車の効率化とかで、現在の年間6000人の交通事故死亡者を激減させるとか、絶対できるじゃないですか。
なんで、自動車起動時に、アルコールチェックすらできてないんですか?(やっちゃうと田舎の店がつぶれちゃうから飲食系から批判が出ちゃう?)
どう考えても、IT側の怠慢じゃないですか。
そういう感じで、「え?なんでこんな実装もできてないの?」っていうものが、世の中多すぎて。
どこら辺が問題なのかなーってのがマッタク見えてきませんでした。
残念。
それとも、個人で、キャンプファイアーみたいなので、「廃墟にロボットやドローン設置して探索できるようにします!!」みたいな欲しいと思ったサービスは自分で作る時代なのかな?
「できるIT技術者は、金融とか自動運転とか衛星システムとか行っちゃう。そこでアーリーアダプターになりたいから。昔からの分野にはイケてないIT技術者しか来てくれない。だから発展しない」
とからしいけど。本当なのかなあ?
なんか、AIコンテストとかも、ハーバードとか、グーグルとかがそういう系の問題出してる(TopCoder マラソンマッチとか。)し、噂は本当なのかな。
arxivとかも、企業研究者が出してくる分野はそういうのばっかりだしね、確かに。