はてなキーワード: mixiとは
もちろん墓まで持っていく決意や、ヤダで済ませてもらってもおk
話して楽になるのなら、で。
今ね、『恋愛行為』を維持するための「恋人役」としてではなく、
素直に好きって言えてるのが楽しくて嬉しい。
恋愛できない、
その制約があるから言える、飾ったりタイミング計らなくて良い素直な感想。
小林様を語る熱っぽい声色も愛おしく心に痛い。
狙って引き出したわけじゃない笑顔が素直で可愛くて好き。
いっぱい助けられてるしね、ありがとう。
歌を歌う楽しさを知った事
ハキリアリの可愛らしさを再確認できたのも、
25年前ファンだったユニットのベースさんのLiveに行き当時の感想を伝えられた事(Vo.自死解散)。
コロナ明け昼夜逆転当たり前な現場で、たまたま聞いた名古屋の自称地下アイドルの復活ライブに行けた事
こんな私を「可愛い」って損得ない感情で初めて褒めてくれた事。
可愛いお店覗くたびに真面目に悩んで可愛い笑顔も魅せてくれて、
私の叶いっこないっておもっていた夢を叶えてくれた事も。
欲しかった鞄、見るめも、可愛かった。お揃いっていうワガママも黙認してもらっちゃったし。
あ!ラブライブにハマったのと、BiS熱再発も感謝。すぱすた2期のAmazon特典は逃しました。
では、本題。
私の狂気を書いてみる。あなたの狂気を知りたい。その対価になりえるの?
むしろ不快な文じゃない?まぁでも、こんな事、書くこと最後かもだし、
死にたいけれど死にたくないを紛らわせる為にも、書いてみる。
読む読まない信じる信じないはあなた次第で。時系列は、かなり曖昧。
もちろん脚色するくらいのプライドは多めにみてほしいし、
書けない書きたくない事も、ある。
私もそれなりに生きてきて、恋愛行為は人並み未満だけど経験してきたつもり。
幼馴染が好きすぎて大学進学時に告白、「私軽いよ。それでもいいなら遊びでなら」と交際開始。
「ねぇ重い。そんなに私の事好きなら、私の親友と付き合って幸せにしてあげてよ、大好きな私の命令だよ命令」
幼馴染グループの下っ端パシリのA子と数回会いAの好きそうなシュチュ探って告白。
大型輸送機や爆撃機のエンジン音プロペラ音でかき消されながらの告白、若かったね。
交際開始。
自己肯定感低めに感じたので、私の得意分野のワークショップやボラへ誘ったり、
好きでもない流行りの服きてつまらなそうだったから、好きそうな服装押し付けて自己肯定感上げて、
バイト先にバイトで入ってでサポートしてバイトリーダーに推したり、接客や人を使う素質あったんだろうね。
私達さ氷河期時代だったから、お互い他大だったけど、就活不安なのみてOB懇親会にこっそり連れ出したり、
そこでキーエンス?アズビル?3年目の先輩(堅物、親族コネ入社安泰)BがAに気がある事に気がつく。
AはAで業界雰囲気は私には向かないと愚痴をこぼすように。Bも交えて飯食う中で会社雰囲気聞いたり距離を詰めてみたり。
ゼミとかサークル上手くいってたじゃん、就活指導じゃなくてそっちに相談してみたらと母校の就活指導室まで付き合って、教授教育とお話させて、Aは見事母校でチューターポジ正規職採用
からの「お兄さんにしか見えない、Bに交際申し込まれてる、真面目に付き合いたいごめんなさい」って。
幼馴染には「は?キスしかしてない?1回2年で?就活の手伝いに婚活が忙しかった?馬鹿じゃ無い。私も就活で詰まってるのに」と叱られる。(でも褒められたと勘違い。二股とか好きそうに見える?だってさ、いやいや立派に幸せにしましたよお姫様!)
その後幼馴染は、親の脛齧り潰してでも、学力届かないなら専門でもと、私が背中を蹴った結果再進学 製薬会社MR学生結婚。
Aと幼馴染は10年前までは幸せな家庭を築いてたよ、給湯器の選択とか、犬の飼い方とか、
その後の私?2留してたわたし、学祭の光画部展示日中にOBにそんなの作品じゃないっって破かれたり、
他のサークルの合宿で仲良くしてた先輩に襲われて挙句誘ったのはお前だと村八分。
そのあとは、積極的に他人を好きになる事はなくて、でも恋愛行為は楽しくて。
対象者との恋愛活動が楽しそうであれば、基本告白誘われる形で恋愛はしてきた。
楽しかったよ。梨屋のひねた次男に俺との夢を抱かせて、行くつもりなかった大学行かせて、
大学デビューと共に変な女に引っかかって破局して、幸せになれよって別れたり、
二股三股あたりまえなイケメンに溺れてるボロボロな今でいうサークルの姫の愚痴ぎきして、
最終的にイケメンだか売春先でコンジローマ感染して、捨てられて泣きついてきて。
死ぬだなんだ騒ぐから、逆性石鹸と手持ちの抗生物質のんで風呂場で手を切ってるのを圧迫止血で応急措置してそのままあんな男捨てて俺を選べって抱いて。怖かったねー感染。
治療費もだして適当な理由を相手の親に説明して入院期間誤魔化して。
社会人枠で看護学校ふたりで受けておちたり、私だけ介福落ちたり順風満帆。
その子としてたボランティアサークル音日和のスタッフが、家族亡くなったとかで、
俺の稼業頼ってきて、一家総出で買取片付け。財産分与とかで弁護士まで紹介してやったのに、
サークル内で『安く買い叩かれた」と陰口三昧。親戚のおばちゃんがもっと高く売れたって騒いだんだって。なんか一気にばらばらになって、不妊治療もうまく行かず、彼女の大阪転勤が決まり、
あと其の頃から性感染症の検査は定期的に受けてる。まぁここ5年以上そーいうことしてないし、定期的には無くなりそう。
はま寿司で口走った件は、バイトから正社になった時の先輩に酔った口で、
過去話したら変に同情され流された。相性は悪くて付き合おうの言葉は曖昧に誤魔化してた、
切ったつもりでいた。
そんななか、書類ミス多い俺へ、手直しの穴埋めしろと事務方に呑みに誘われれて、
終電逃して実家だけど呑まないと誘われて、だらだらと何回か実家呑みして、
実家継がなきゃいけないんだけど、うまく行かなくてねーなんて話を否定してたら、
気がついたらデートしてた、楽しかった。である日、長期出張だか休暇取ってた先輩が、
ふたりで居た部屋に来たんだよね。嘘かホントか知らないけど、離婚届は書いたけど、先輩が出してなかったんだってさ。
「なに俺の男に手出してんだ、あてつけか」「おまえの趣味は悪い合わないて散々なじるくせに男の趣味は同じじゃない」
修羅場、楽しかった。でも変な具合に会社に漏れて退社。仕事楽しかったんだけどな。
恋愛をたのしむんじゃなくて、恋愛という行為を楽しむ感じ、無責任よね。
20240729ー20240730
ゆざいちょがmixiに登場した2006年から、1年~2年ほどが過ぎた2007年~2008年頃
ゆざいちょのマイミク数は700人を越えていた。
中には、何度もマイミク申請のメッセージ(合丼来来(あいどんらいき)伝・2参照)を送られて
仕方なくマイミクになった人も居たという。
そんな中、ネットwatch板の「ゆざいちょ」をwatchするスレで、ある提案が為された。
その提案とは、ゆざいちょのマイミクに水面下でメッセージを送り、タイミングを合わせて
同時にゆざいちょとのマイミクを切ってもらうという作戦を行うという提案だった。
ネットwatch板はwatch対象へのお触りは原則禁止となっているので板のルールに反する話では有ったが
「ゆざいちょ」をwatchするスレを見ていた人達の中にもゆざいちょとマイミクになっている人は
存在していたため、メッセージを送られた人の6~7割が賛同の反応を示すという
面白い展開になっていた。
なお、この時賛同の意を示した人の中には、当時ゆざいちょとコミケの時などに一緒に行動する程度に
リアルに付き合いがある人物もいた。
当時ゆざいちょとリアルに付き合った人物がこの提案に乗った際に、
ゆざいちょ君とは、コミケの時などに一緒に行動しているのですが、
彼の「人の話を聞かない性格」「他者に対する見下し癖」には正直困っていました。
彼は他人と意見が衝突すると常に「自分の意見が絶対的に正しい」
「自分の意見に賛同しない者は敵だ」という様な行動を取る傾向が有り、
私達は彼と知り合ってまだ3~4年ほどなのですが、彼との今後の付き合いについて
付き合いを絶つ事も考えています。
彼に痛い目を見せて、少し行動などについて考え直してもらいたいので提案に乗らせて頂きます。
と返信してきていたそうだ。
しかし、3割ほどはそういう流れに反対する人もいた訳で、その3割の中から
「こういうことされてるよ」とゆざいちょに密告する人も居た様で、この提案を決行しようとしていた決行日の数日前に、
ゆざいちょは「ゆざいちょ」をwatchするスレに乗り込んでスレ住民達に文句を言い、スレ住民達から批判を浴び、
「もういい、俺がmixiから消えれば良いんだろ?」
と捨て台詞を残してスレを去り、mixiのアカウントを削除した。
こうしてmixiに一つの平和が訪れた…かに見えた。
しかし、mixiのアカウントを削除したゆざいちょは、その後活動の場をTwitterに移して
Twitterで同様にアフィリエイトブログの宣伝を行い始めた。
私が実際にゆざいちょについて関わったのはここまでで、ここから先は、この後に
ゆざいちょと関わった人から聞いた話を整理した話となる。
【続きは後日】
その人物が初めて世間の一部で有名になったのは、2006年頃の事だった。
2004年にソーシャルネットワークサービス(現在ではSNSと略されている物)の一つとして「mixi」がサービスを開始した。
最初は、mixiは招待制で、既に登録している人からの招待メールを受け取らなければ
アカウントを作成する事ができなかった。
mixiがサービスを開始してから1年半ほどが経った頃だろうか、商業で絵を描いている絵描きやプロの漫画家の一部の間で
mixiで面識が無いのにマイミク申請をして来る人物がいる、しかも相手が絵描きや
漫画家だと見ると無差別にマイミク申請を送って来る上に、一度拒否してもしばらく経つと
またマイミク申請が送られて来る
という噂が流れて来る様になった。
マイミクというのはTwitterで言う所の相互フォロー申請だがmixiの場合は
承認すると強制的に相互フォロー状態になる、という点がTwitterと違っていた。
なので、私などは面識の無い相手からの申請は断っていたが、それでもその人物からの
マイミク申請は、私には3回来た。
マイミク申請の文面は、下記の様な内容だった。
初めまして、「画力向上ガイド」という、画力向上のために役立つ
技術等を紹介するブログを運営しているゆざいちょと言います
マイミクになって頂けませんでしょうか?
「画力向上ガイド」
(URL)
メッセージに添えられているURLを開くと、ペンタブや絵描きのノウハウ本を紹介する記事が1日に何本も書かれているブログが開かれた。
しかも、それらの記事はどれもアフィリエイトリンクが貼られていた。
プロフィールには「画材屋をやっている」みたいな事が書かれていた。
正直、開いて「うわあ」と思った。
当時、匿名掲示板の「2ちゃんねる」(現:5ちゃんねる)が広まりだした頃で、
「2ちゃんねる」にはインターネット上の関わったら危なそうな人物を観察するための板として「ネットwatch板」というカテゴリが存在した。
私がネットwatch板を試しに検索してみた所、「mixiの同人関係の痛い人スレ」みたいなタイトルのスレッドで
ゆざいちょは既にwatch対象になっている事を知った。
これは、「ゆざいちょ」と名乗っていた人物が「合丼来来」となりDLsiteに対して訴訟を起こし敗訴するまでの物語。
ずっとSNSを使い続けてきた。
2010年代、リーマンショックを契機とした社会不安も手伝って、大学生の間では意識高い系の立ち振る舞いや起業がフワフワとした流行りになっていて、
ご多分に洩れず自分もTwitterのプロフィールには "/"を使ってたくさんのカッコいい(と想っていた)属性を並べていた。
なんだかんだ就職はJTCに入ったけど、社会人になってからも気になったニュースを見つけては感想書いてシェアしたり、充実した日々をアピールするような投稿を繰り返していた。
20代後半以降はさすがにそういう投稿も身を潜めたけど、食った飯だったり趣味のことでは投稿を続けていたし、昔の友人たちともゆるく繋がっていた。
日々の暮らしが充実していないわけではない。むしろ毎日楽しい。結婚して、お金もそこそこ貰って、とっても楽しい。
でもその楽しさを誰かとシェアしたり、昔みたく共感してほしいとは思わない。毎朝起きて仕事行って帰って妻と仲良く談笑してご飯食べて寝る。その幸せは、昔必死になってみんなとシェアしたかった幸せとは何かが決定的に違う。
それに最近のSNSはいつも誰かが怒っている。差別について、平等について、男女について、戦争について、平和ボケについて、金持ちについて、貧困について。正反対の事柄について常に怒りを発している人がいる。頼んでもいない何かしらの文句が無限に流れてくる。
そうだな、今の私の幸せにはそういう怒りとか、昔必死にシェアしていたアレコレのような「熱量」がない。
そして、そのことに対してすら正直どういう感情も湧かない。
日本ではカルト的に流行っていた。サービスに例えるならmixiみたいなもの。
https://survey.stackoverflow.co/2023/#most-popular-technologies-language-prof
使い続けたいが47%、新しく使いたいが4.92%
アドテク界隈でブイブイ言わせていたのは過去の話。コミュニティーすら縮小している始末
https://survey.stackoverflow.co/2023/#most-popular-technologies-language-prof
利用者の割合は3.21%で、同じJVM言語のKotlinの9.7%に大きく差がある始末
使い続けたいが52%、新しく使いたいが3.18%
あと一つは?
せっかくはてなブログが一段落して駄サイクルから抜け出したのに、今度は増田で馴れ合いなんて始めようとしてくれちゃって。
個々人が「あら、この仮面はいつものあの人ですわね」と顔見知りになってきたら意味が薄れていくわけだよ。
完全匿名、これこそがアノニマスダイアリーにおける最大の強みだ。
半匿名社会は第二のリアルとなり、どんなに居場所を増やしても次々に第三第四のリアルへと成り代わる。
5chはIPを表示するようになり、ネットの新たな中心であったTwitterは鍵アカウントで溢れエコーチェンバーに染まった。
かつてのインターネットにおいては当然の存在だった完全匿名はもはや貴重な存在なんだよ。
増田に書き込んでおいて、ブクマで「書きました」じゃねえんだよ。
テメーのブログでやれ。
増田に中の人はいるが、それがどこにどう潜んでいるのかを感じさせるのはやめろ。
全てが単なる嘘松かも知れないし、本気で切実だからこそ匿名なのかも知れねえ。
それがインターネットだったじゃねえか!
そうだろ!
エリマキトカゲやウーパールーパーのブームを経験し、小学生でファミリーコンピューター発売
中学ではゲームボーイ、スーパーファミコン、高校卒業するくらいでサターンVSプレステ戦争を目の当たりにする
社会人になるくらいで深夜アニメが流行り始めエヴァ、ハルヒの社会現象を経験し、今の乱立時代を迎える
深夜アニメと同時期に携帯電話が普及し着メロ作ったり折り畳みケータイが流行ったりPHSってのもあったりした
mixiで古い友達と再会したりGreeモバゲで新しい友達との出会いも増え人間関係の変化も体感
激動の平成を全て経験し社会的地位も家族もありながら令和に突入
そろそろTwitterが死んだと言っていいと思うんだけど
どこに移ればいいんだろう
出る前は期待されてたThreadsはいまいちらしく出てすぐ話題から消え去ったし
blueskyはシステム的には悪くなさそうだけどまともな人が少なそう(日本語だとボットとか広告やアダルト系なのが目立つ)
元Twitter始めた人が作ってたから期待されてたらしいけど、その人もやめたってニュースを見たし、今後の継続性に不安がある
そのblueskyやめた人はnostrに移ったらしいけどこっちはかなりマイナーそう
リレーと言う仕組みはTwitterでユーザーをグループ化してグループ単位での相互フォローに近そうだけどサーバーが分かれるので全体検索という使い方ができない
全投稿がGoogleとかにインデックスされてるならそういう場合はググるで良さそうだけど最近のGoogleはインデックス化しないページも多いし短文ページは期待できなそう
他には結構前に話題になったマストドンとミンティアみたいな名前のがあったけどThreads以上に名前聞かないし古参だけで成り立ってるmixi的なイメージで新規に始める先には選びづらい
パパ活という言葉が流行り始めたのは2015年頃かららしい。今回はその前の2013年、地方でパパ活のようなものに出会ったときの話をしたいと思う。
2013年、大学を卒業し、地元で就職した私は友達に飢えていた。小学と中学は不登校だったので、いわゆる「地元の友達」が居なかったのだ。
Twitterを見ていると、東京に住んでいるフォロワーがそのフォロワーとオフ会をしたり、さらにそこから親交を深めて友達になっている様子がたくさん流れてきた。
家と会社の行き来ばかりで親しい関係の人も居なかった私はそれを見てさらに孤独感を深めていった。
そこで、私もインターネットで友達を探すことにした。mixiに登録して、地元のコミュニティを探して「友達を募集している」という旨を書き込んだのだ。
そこで、一人の男性とメッセージのやり取りをした。その男性は42歳だった。友達になりましょうと言ってくれて、まずは会いませんか?と誘われた。
アラサーの終盤を迎え、いろいろと世の中のことが分かってきた今の私では決してその誘いには応じなかっただろうが、その時の私は応じた。
理由としてはあまりにも「友達」という関係性に飢えていたことと、地元のボードゲームをする集会の中で一回りや二回りくらい年上の男性と純粋に楽しくボードゲームできていたから、「この人も純粋に私と友達になりたくてメッセージしてきてくれたんだ!」と思ったからである。ボードゲームの人と友達になればええやん!とツッコミを入れられるかもしれないが、当時の私にはその発想が無かった。
というわけで、地方の中でも一番大きい駅で待ち合わせして会うことにした。電車に揺られる中、「友達になれるかな……?」ととても緊張していたことを覚えている。
実際に会ったその男性の姿は、白髪交じりで小太りだった。そのことは特になんとも思わなかった。容姿なんかより友達になってくれるかが私にとっては重要だったのである。
挨拶を交わしたあとは、そのまま男性と駅ビルにある中華料理店に入った。そこでいろいろと話をした。
男性は既婚者であるらしい。最近出会って数ヶ月で結婚したスピード結婚らしい。「そんなに早く結婚することもあるんですね〜」と私が驚いて言ったら、「大人はそういうこともあるんだよ」と言われたのが印象に残っている。
「俺、月収いくらだと思う?」と聞かれたので、当時の私にとってはとても大金である30万ですか?と答えたところ、「もっと多いよ……」とちょっと不機嫌な顔をされたのを覚えている。女性の「私、いくつに見える?」の男性バージョンは「俺、月収いくらだと思う?」なのだなあと感じたものである。
「そのうちホテルにも行きたいね〜」とも言われた。さすがの私でもホテルに行きたいの意味はその時知っていたので「友達とはちょっと違うな……?」とそこで思った。
料理も食べ終わり、その後、解散する流れとなった。男性は食事を奢ってくれて、私に家族の分も含めたケーキの詰め合わせも買ってくれて、帰りの電車賃も出してくれた。「そこまでしてくれていいんですか?」と聞くと、「出したいから出してるの」と言われた。「そういうものなんだ……」と思った記憶がある。
家に帰ってからその後は、「ホテルに行きたい」という言葉からしてこれって友達じゃないなと思って連絡はしなかった。相手からメッセージは来たが無視をすることにした。
エピソードはここで終わりである。「お金を自ら出したがる人」がいるんだな〜って思ってたけど、これってもしかしたら無自覚にパパ活しかけた話なのではないかといま振り返ると思う。今の人は自覚的にこれをやってるんだな〜と思うとなんだかすごいなあと思うのであった。
ちなみにその後、友達募集掲示板で同世代の友達を募集して300人くらいとLINEのやり取りをしたが、交友関係ができたことは全く無く、しばらくやり取りをするうちに切れてしまった。
Twitterでフォローしてる人たちとはなんとなく関係が長く続いて、会ってくれたり、遊んでくれたり、友達になってくれた人も複数人いる。
そんな話なのであった。