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2024-10-10

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その3

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812から続く

おしんドラマとして優れている点は、登場人物自然体、未来を知らずただひたすら前を向いて行動していることである

現代価値観登場人物投影せず、今の人が言いそうなことはまったく口にしない。

まれ姑になるおしん描写にしても、素で無神経な女性になっているのであり、それを客観的おしんはすっかり変わってしまったなどと、神の目線ナレーションが入ることもない。

さて、最後に初子についてのメモを残しておく。その2で触れたおしんが生きた「植民地支配時代」の考察はひとまず置いて、おしん人間的成長のきっかけとなった初子の存在について触れておきたい。

初子についてのメモ

初子は9歳で山形から奉公に来た後、田倉家で実の娘のように育てられ、戦後おしんを常に支えてきた人物である物語においても、竜三と並んで重要役割果たしている。終戦後、竜三の自決きっかけに、おしん人生に一区切りがついたと多くの視聴者が感じた。しかし、20代の初子役として田中好子が登場したこと物語は新たな展開を迎えることになる。

田中好子は、持ち前の包容力のある演技で、初子の内面を見事に表現した。中年期以降の初子は佐々木愛が演じ、その深みのある演技は、初子の内に秘めた感情を的確に伝えた。特に田倉家での初子の居場所探しの苦悩は、彼女の表情や視線に表れている。おしんにとっては実の娘のように思っていた初子であるが、初子自身戦死した雄への思いを抱えながらも、自分の居場所に悩み続けていたのである

ところで一視聴者として、初子が養女であるかどうかについて疑問があった。公式には養女として扱われているものの、養子縁組が明確に描かれていないため、その法的地位不安定だといつも感じてきた。それはさておいても、初子の存在は田倉家の中でも微妙で、特に仁の妻・道子からは「初子とかいうわけのわからないひと」と陰口をたたかれることもあった。この表現は、初子が抱えていたアイデンティティ危機象徴している。

初子にとっての転機は、八代希望のぞみ)の妻の交通事故死だった。彼女希望の息子、圭の世話をしながら、希望の家で新たな居場所模索していたのであるしかし、おしんが初子と希望結婚仲介しようとしたことで、結果的に両者を傷つけてしまう。この出来事を通じて、おしんの人の気持ち理解する力が衰えていたことが露呈したが、同時に初子の独立真剣に考えられるきっかけとなった。

おしんは年齢を重ねるにつれ、いまでいう老害のような昔の感覚若い世代押し付けるだけの年寄りになっていたのである

それをいつも優しくたしなめてきたのが初子であった。しかし、初子の心情そのものは決して台詞には表されず、表情のみによって表現されてきたのが、今回、視聴しての発見だった。初子には常に表のセリフと裏の表情がセットになっていたのである

戦後の田倉家で、初子の存在は常に微妙ものであり、彼女は嫁としても小姑としても、お手伝いとしても、内心では本当の居場所を見つけることができずにいたのが初子のほんとうの心情であるおしんはしばしば自分の肩をもんでくれる初子の言葉背中越しに聞いていることが多かった。しかおしんには気づけなった。初子の表情はおしんの目に入っていなかったのである

最終的に、田倉家が初子の独立支援するに至ったのは、これまで初子と二人で暮らしてきたおしん次男家族に同居することを決めたことがきっかであるおしん決断で、初子の居場所問題はついに崖っぷちに来てしまった。初子の居場所がないこと、そしてこれまでも初子は悩み続けてきたことににようやく気が付いたおしんは、あたらめて初子の長年の苦悩に思いをいたし、独立に向けて尽力することになる。老害化して久しいおしんがようやく初子の気持ちに気が付いたよと。視聴者は、この初子の救済の瞬間に感涙せざるを得ない。

この一件以降、おしん悟りを開いたかのように、人間の心情をくみ取れるようになってゆく。自分を痛めつけた佐賀の姑の思いも、故郷父親の思いも、そして兄と兄嫁・とらの思いも、そこには自分立場からみえなかった思いがあることに気が付いてゆく。私もこんな年の取り方をしてみたいとおもうけれど、老害のままで終わってしまうんだろうな。

その他の感想(番外編DVD「もうひとりのおしん」の感想

1983年放送放送されたおしんと同時代を生きた女性たちへの当時の貴重なインタビュー

主演の田中裕子撮影中、過労のため失神し、一ヵ月近く撮影が中断したのは有名な話。インタビュー番組はその穴を埋めるために制作された。

https://anond.hatelabo.jp/20240819053114

2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く

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2024-08-19

コロッケの唄

一.

ワイフもらって 嬉しかったが

何時も出てくる 副食物(おかず)はコロッケ

今日コロッケ 明日コロッケ

これじゃ年がら年中コロッケ

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し(おかし

二.

晦日みそか)近くに 財布拾って

開けて見たらば金貨

ザッククザク ザックザク

株を買おうか 地所を買おうか

思案最中に 眼が覚めた

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

三.

芸者が嫌なら 身受けしてやろ

帶も買ってやろ

ダイヤもやろう やろう

今日三越 明日帝劇

いふて呉れるやうな客がない

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

四.

亭主もらって 嬉れしかったが

何時も出て行っちや滅多に

帰らない 帰らない

今日も帰らない 明日も帰らない

これじゃ年がら年中 留守居

ハハハ アハハハ

こりゃ可笑し

NHKドラマおしん」のなかで、大正12年9月1日、田倉商会の新しい工場開業祝いの準備中に子守を任された源じいが歌っていたのが、このコロッケの唄(大正6年版)。wikipediaによるとコロッケの唄は、その後、昭和37年浜口庫之助五月みどり)版、平成版、令和へとなんどかリメイクされて歌い継がれてきたようだ。

大正時代コロッケは、現代と違って、手ごろなお惣菜ではなく、東京などの洋食店しか食べられない高級食品。この夫婦富裕層であることがわかる。二番以降もあわせてみると、大戦後の好景気を反映し、一般投資家が増大した世相を色濃く映した、興味深い唄だ。

先日、以前より気になっていた番組DVDで購入した。

それはおしんの番外編。1983年放送当時の8月おしんを演じていた田中裕子が過労静養のため撮影を中断せざるを得なくなった事態になって、急遽制作され、放送時間帯に15分ずつ6日にわたって放送された番外編「もうひとりのおしん」だ。これは、おしんと同時代を生きた山形東京女性に当時の話を聞くという番組関東大震災前、おしんはラシャ問屋がつぶれたあと、子供服の店を田倉と始める。同番組では当時、日本橋横山町子供服を始めたというおばあちゃん放送当時90歳)の話を聞く場面がある。まさにこういう話を聞きたくて、わざわざDVDまで購入したのだが、見てよかった。

それまで和服日本髪というのが当たり前だった日本人服装が、洋服に変わっていったのは、関東大震災の後だといわれる。

このおばあちゃんインタビューで「大震災があったでしょ、それからみんな裸になっちゃいましたから。それからだいぶん、服が変わっちゃいました」と答えている。この簡潔な一言歴史ダイナミズムが凝縮されている。

おしん物語では、田倉商会が時代を先取りする形で安価既製服商品としての子供服のポテンシャルを見抜き、田倉の再起を賭けた。そのドラマの展開にリアリティを与えるインタビューだった。

もっとも、おしんは当初、夫である田倉竜三の羅紗問屋事業失敗に懲りていて、大して商才もないのに夢ばかり大きい夫の行動が不安で仕方がなく、本当は手堅く地固めをしたい。子供服作業場拡張には反対していた。だがやがて夫を信じようと思いなおし、夫の夢に賭けるようになる。

おしんドラマは、10年に一度くらい再放送で目に留まって数話くらいずつ散発的にみていたのだが、今回、腰を据えて全297話をみていると、ドラマ演出がなかなか面白いことにも気が付いた。例えば、夫に商売の才能がない部分を自分の働きで夫婦の稼ぎをカバーしようと自分なりの仕事を始めて成功してしまう場面。プライドを傷つけられた旦那は「髪結いの亭主さながら飲み歩くだけの怠け者になってしまう。夫を堕落させたのは自分だと気が付いたおしんは、あえて自ら稼ぐことをやめ、夫を立て夫がいつかまじめに稼いでくれるのを信じることにした。その結果、やがて今日明日の米に困るほど夫婦は追い詰められてしまう。田倉はようやく目が覚めて商人の道を諦め、勤め人として働きだすようになった。その様子をみて安心したおしんは、田倉商会の将来的な再興を目指して、子供服商売のための子供服のデザインなどこつこつと準備を始める。おしんデザインをみた田倉はおしんの才能を知り、いったんは勤め人として手堅く暮らそうとしていたのに、勤め人をやめて子供服商売にまた再起を賭けようと夢を語り始めた。おしん相談もせず勝手ミシンを購入したり、ひとを雇ったりとおしんを戸惑わせた。あげくは事業拡大のために借金をして工場建設をすると鼻息荒くしていう。

そんななか、ドラマの背景で、東京の街中で流れてくるのは「船頭小唄」。おしん不安象徴させる、にくい演出だと思った。

そして、大震災当日の朝、順風満帆工場開業の祝賀を催す準備のさなか、田倉竜三の子供のころからのお目付け役である源じいが歌っていたのが冒頭の「コロッケの唄」だ。源じいは昼に発生した地震で亡くなってしまうので、源じいが幸せだった最後の瞬間だったといえる。その浮かれた雰囲気を、その時代の空気とともに、この歌はとてもよく演出している。

その後のドラマの展開は、田倉の本家である佐賀舞台うつし、橋田壽賀子お得意の嫁姑地獄が待っている。

おしんの味方になるはずの夫や舅はことごとくだらしなく、おしんに対する姑のいじめ現代では信じられないほど陰湿だ。

そのうえ男尊女卑がきつく、おしん物語佐賀時代が一番つらい。ここだけみると佐賀が嫌いになる。

2024-06-26

anond:20240622214243

女性の「適齢期」がテーマになった主なドラマ

1981年「想い出づくり。」24歳(森昌子田中裕子古手川祐子)

1984年「25才たち・危うい予感」25歳(桜田淳子宮崎美子萬田久子中井貴惠)

1988年「27才LOVE気分」27歳(岸本加世子斉藤慶子片平なぎさ田中美佐子熊谷真美蜷川有紀)

1991年ヴァンサンカン結婚」25歳(安田成美菊池桃子)

1994年29歳のクリスマス」29歳(山口智子松下由樹)

1999年恋愛結婚法則」32歳(小泉今日子)

1999年彼女たちの時代」26歳(深津絵里水野美紀中山忍)

と年齢は上昇傾向。ちなみに1999年の二作は7月からフジ系水曜21時台、22時台と連続放送。ヒットしたのは「想い出づくり。」をレスペクトした「彼女たちの時代」。

2000年代だか21世紀にはこのテーマ絶滅するのか、と思いきや、2004年に「負け犬の遠吠え」が流行語大賞トップテン入りすると翌2005年4月から

anego」32歳(篠原涼子)

曲がり角の彼女33歳(稲森いずみ)

負け犬ドラマが二作品登場。

その後はアラフォーという言葉一般化した2008年around40 〜注文の多いオンナたち〜」39歳(天海祐希)や、このあいだまで放送していた「9ボーダー」29,39,19歳(川口春奈木南晴夏畑芽育)と扱う年齢拡大傾向にあります

anond:20240622214243

女性の「適齢期」がテーマになった主なドラマ

1981年「想い出づくり。」24歳(森昌子田中裕子古手川祐子)

1984年「25才たち・危うい予感」25歳(桜田淳子宮崎美子萬田久子中井貴惠)

1988年「27才LOVE気分」27歳(岸本加世子斉藤慶子片平なぎさ田中美佐子熊谷真美蜷川有紀)

1991年ヴァンサンカン結婚」25歳(安田成美菊池桃子)

1994年29歳のクリスマス」29歳(山口智子松下由樹)

1999年恋愛結婚法則」32歳(小泉今日子)

1999年彼女たちの時代」26歳(深津絵里水野美紀中山忍)

と年齢は上昇傾向。ちなみに1999年の二作は7月からフジ系水曜21時台、22時台と連続放送。ヒットしたのは「想い出づくり。」をレスペクトした「彼女たちの時代」。

2000年代だか21世紀にはこのテーマ絶滅するのか、と思いきや、2004年に「負け犬の遠吠え」が流行語大賞トップテン入りすると翌2005年4月から

anego」32歳(篠原涼子)

曲がり角の彼女33歳(稲森いずみ)

負け犬ドラマが二作品登場。

その後はアラフォーという言葉一般化した2008年around40 〜注文の多いオンナたち〜」39歳(天海祐希)や、このあいだまで放送していた「9ボーダー」29,39,19歳(川口春奈木南晴夏畑芽育)と扱う年齢拡大傾向にあります

2023-03-12

樹氷に騙された

20代後半くらいだったか蔵王樹氷写真を見て驚いた。

吹雪の中息絶えた人間死体に雪が積もったような、不穏で美しいとは言い難いものだったのだ。

それまで俺の頭の中にあった樹氷イメージは、葉を落とした樹木に吹き付けられた氷がきらめいて細かな枝のように見えている、というものだった。木の枝がそのまま雪の結晶になったような、繊細な美しさを想像していた。

そう、それは霧氷という。俺はその言葉を知らなかった。

寒いところは苦手で、ウインタースポーツもやらないので、実際の霧氷樹氷も見ることなく、この歳まで過ごしてきた。

この間、たまたま年代の友人に樹氷の話をしたら、そいつも同じように勘違いをしていたと言う。

これは何か(世代的な)理由があるに違いない、という話になって、思い至ったのが、「タコなのよ、タコ」だった。

サントリー焼酎名称としてはマイルドウオッカ)「樹氷」だ。

タコなのよ”で田中裕子CMを思い出した人はわかるだろうが、タコハイボール)などで一世を風靡した酒である

俺はこのCMが流れていた頃はまだ子供で、「樹氷」を実際に飲んだ覚えはない。

家にあった気もしないが(父親は安いウイスキーを買ってオールドパーの空瓶に詰め替えて呑んでたなー)、

CMは何度も見たので、今でも瓶のデザインは思い出せる。

透明な瓶に青字で「樹氷」、バックには白樺かなんかの木々が白で描かれていた。

霧氷を描いているとは言えないかもしれないが、少なくとも樹氷を描いてはいない。

あのデザインが頭に刷り込まれて、俺たちは樹氷霧氷を取り違えていたのだ、というのが俺たちの結論だ。

 

ちなみに検索したら今は「大樹氷」っていう商品があるようだ。大五郎っぽいデザインで、昔とはだいぶ違っている。

サントリー不正確な情報を植え付けた責任をとって、エイジドの山崎でも贈ってくれ。(大樹氷はいらない)

2021-10-17

anond:20211015221107

から田中裕子みたいな顔が好きで、

一重には憧れすらあった。

2017-07-24

Hulu で Woman

満島ひかり田中裕子 & 二階堂ふみ の バトル

やはり見返すとすごい、坂元裕二がすごい

2017-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20161119214527

はっきり言って邦画戦争を扱うとすぐ「戦争はよくない」とかい人物が出てくる(女子供に言わせればなお良し)

そういうのがないかダメと言ってキレてた映画界の重鎮がいてワロタ

アニメ君の名は。』の興収が200億円を越えて、AERAが『黄金から低迷へ そして日本映画は再び絶頂期へ』という特集をやっていた。

商売がうまく行ったという特集だ。

国会改憲派が2/3を占め、映画館オタクに乗っ取られてしまった。

君の名は。』を観て泣いている人は、 映画史上の名作を観たことないんだろうなと思った。

それでも、『この世界の片隅で』 が入ってると聞き、真っ当な客もいるのかと思って観に行った。

相も変わらぬ戦争被害映画、これはダメだと思った。

庶民戦争責任は無いのか。

戦争で手を失った田中裕子天皇戦争責任を言う映画はあり、戦時下日常を描いた実写映画があり、加害を描いた映画もあったのに、もう忘れのか。

いま、客が一番悪い。

  

=================================================================================

他の増田も見てたらこっちも同じようなこと書いてるな。はてな民も優秀な映画監督くらいのことは言えるんだ。

日本反戦映画ってなんで被害者面してんの?

http://anond.hatelabo.jp/20161118102742

2014-04-07

笑っててもいいかな?

 フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。

笑っていいとも!最終回スペシャルで、明石家さんまはこう考えていた~エムカクさんによる文字起こし - Togetterまとめ http://togetter.com/li/651874

 文字起こしではなくライブ関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院ラジオを聴きスタッフ馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。

笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともアングラ芸人タモリを始めとする監督芸術家作家アナウンサー文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家ダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。

 鶴瓶ヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野スタッフ死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんま毒舌というより真正から他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族とんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりお石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体お笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。

 長々になってしまったので他の関係は駆け足で。

 太田談志後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリさんま石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人なのだろうが、もしも浜田ツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田東野宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。

 たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月フジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリ集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下赤塚浅井慎平高平哲郎に比べ高田文夫テリー高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆タモリ小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。

 ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人ダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二現在爆笑太田

 鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。

 タイトルにした香取慎吾スピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。

 

駆け足が長くなった。ここでおわり。

2008-01-23

ネットで実名がどうのこうの

ぶっちゃけ田中裕子さんと勅使河原麗子さんでは実名の重みが全然違うと思うんだ。

ネットで実名が、単純に名前を明かすことなのか、個人を特定できるかたちで名前を明かすことなのか知らんのだけど。

 
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