はてなキーワード: 池沼とは
田舎に帰ってきてるんだが、アスペと認知症併発してるようなうちの婆さんからのモラハラがえぐい。
主に結婚の話と仕事の話と価値観の押しつけ。家族で雑談してても割り込んできて自分の話だけしていく。朝寝てても窓ガラス叩いて起こしてくるし、かと思えばいつ東京に帰るんだと日に何回も聞きに来る。
文字に起こすとなんかよくある感じだけど、実際やられると死ぬほど滅入る。上京するまで毎日これだったの思い出すと自分のことながらゾッとする。
うちの場合は東京に戻っちまえば済む話だが、実際ボケてる老人とか池沼野郎からのモラハラってどうなんの?判断能力が無いからチャラとかなの?池沼のガキが小学生の体触ったりする事案もあったらしいんだが。わかる人おしえて
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
投稿のしかたまでは分かるんだけど、どう情報整理したらいいのか良く分からない。RT されたかの確認もちょっと良く分かってない。こんなのが分からないので池沼気味なんだと思う。なんとなく新しい世界が広がってそうな気がしていて、興味は持っている。
書きたいネタはあるんだけど、すぐにネタ切れになりそう。レイアウトとかプロフィールとか考えたり準備するのが面倒で、とにかく色々面倒でやれていない。でもちょっとやってみたい。人の意見を聞きたいのだと思う。
メール返答はすぐに面倒に感じてしまう。メールにはちょっとしたお作法があるのが面倒なのかもしれない。Line なんかはまだマシだが、それでもしばしばコミュ障に陥ってしまう。
基本自宅と職場の往復しかしていないのでボロい服でも何とかなってしまうのが良くない。たまには新調しないとと思うんだけど、ネットではサイズ選びが面倒でなかなか買えない。ガジェット系なら躊躇せず買えるのに。実店舗に行くのはもっと面倒。
ゼアルを少しでも批判されたら死ね殺す病気池沼などの人格攻撃、
気に入らない意見や感想をスクショで晒す、個人ブログへの集団凸、
ARC-Vはクソアニメなので5D’sもクソアニメなど他シリーズを巻き込んでのARC-V叩き、
鉄血とARC-Vを叩くための動画をニコニコ動画に何本も投稿など他作品を巻き込んでのARC-V叩き、
自分たちのマナーの悪さを指摘されたら「信者なんて見たことない」や「それはこのシリーズの評判を下げるためにやってるアンチの工作」で誤魔化す、
自分から他のファンの気持ちを逆なでするようなことを言って批判されたら被害者面、
小野キッズ(小野勝巳監督の信者という意味)という架空の存在を生み出し都合の悪いことを全て小野キッズのせいにする、
自分たちの行いが批判されたら架空の小野キッズのせいにして小野キッズを叩くついでに小野監督作品を叩く、
マナーの悪さを注意されても全くやめない、
とにかくこのくらいはあるが忘れてたりするのもあるので実際はもっとあるだろう。アニメの信者だけなのでOCGのマナーの悪さを入れたらますます出てくると思う。人格攻撃は文章で書くと軽く見えるが、凡人では思いつかないような人格攻撃をするので全然軽くない。
小野キッズという架空の存在と戦う信者は小野キッズの設定を丁寧に解説するし、集団ストーカーや宇宙からの毒電波と戦う人みたいで見てると頭がおかしくなりそうになる。ちょっとでも批判的なことを言うとアンチ認定からの人格攻撃もあるが、この作品をおもしろいと言ってる人で具体的にどこが面白いと言ってる人はいないのでファンは実際いないというアンチ理論もあり頭痛くなってくる。
楽しんでる人が憎くてスクショで晒して叩きたくなるくらい嫌いなアニメはもう視聴切った方がいいんじゃないかと思う。
遊戯王しか取り柄がないから遊戯王やめたら何もなくなるから不安でやめれないんだろうか。
「楽しんでる奴がいるから悪化する!それを食い止めてるんだ!」っていうならそれならそれでいいが、
作品を愛してるからアンチや信者は人格攻撃していいなんてことはない。
たとえ遊戯王しか取り柄がなかったとしてもまた新しい取り柄を見つけるというのもある。
とにかく他のファンに迷惑かけないでほしい。(自分が迷惑行為をしているという自覚のない人もいるだろうからまた厄介だが)
「他のファンに迷惑かけないで」というのを好きな作品が叩かれて悔しい信者の言い訳とか捉えられそうだが、自分がされて嫌なことは他人しないという方向で考えてほしい。
前から氏については目にする事は多かったが、最近離婚したと聞いたので、知らない人向けにすこしだけまとめたい。
しかし、主に活動している本体こと伊藤ナナ氏の経歴については以下で述べられている。内容は私の調べとも一致する。
http://anond.hatelabo.jp/20161119214145
なお記事にある仏壇会社へインターンした時期と年次が合わない事を指摘している。
インターンは就活のために行うという認識が一般的で、3年生が行うものとされる。それが、P&Gに内定した以降の4年次にインターンしているから合わないと思ったのだろう。
しかし、レアケースとはいえできない事ではないし、親が骨壺だがを作っており、葬式関係には縁があったようだしP&G退職後の仏壇会社への転職のつながりはこの機会であったのではないかと思われる。従って、十分あり得たし、実際にインターンしていたというのが私の理解である。
・自己愛性人格障害 の診断を受けている
・SMプレイに傾倒した時期があり、女王様へのインタビューを行った経緯がある
こうした、事実を集めていて思ったことは きっと調べないと気づかないと思うが、姉妹揃って、お嬢様として裕福な暮らしをし、性的にも奔放な暮らしをしているということだ。
彼女は自己愛性人格障害という精神病故に周囲の人間をマウンティングしまくる。ただ、尊敬を集めたいのだ。
尊敬を集めるために仕事での成功や恋愛の成功をこれまで語ってきた。
しかし、結果として彼女の履歴には2年に満たないP&Gでの業務経験と数えてはないが2年程度での離婚という結果だ。
だというのに現在、ライターとして就活生向けの記事や恋愛の記事を書く事を仕事にしている。ぞっとする事だ。
まず、この時点で氏の文章を読む気は失せるのだが、なにぶん無邪気に人を信じるお人好しが多いようで、未だに彼女をどんな人間かを調べもせずありがたがる風潮は違和感を覚える。
事実を知れば騙されたと思うだろう。
で、その騙されたという感情はおそらく正しい。なぜなら、ただ尊敬を集めるために最高の自分を演じているのだから。これはセルフブランディングとも言うようであるが、つまるところ、上手い事騙して、自らの欲求を満たしていただけなのである。
普通であればここまでの事は良心を咎めるからできるはずがない。でも、できちゃうのだ。だって自己愛性人格障害だから。
こういう人が最近でも、はあちゅうというのがいた。トイアンナもはあちゅうも慶応大というのはたまたまであるとおもうが、おそらくふたりとも精神病患者ではないかと思っている。少なくともトイアンナに関してはそうであったことがわかっている。はあちゅうもおそらく精神病か池沼の類いなんだ、そう思っている。
こうした不快感をまき散らす人が今後増えないように願いたい。もはや公害だ。精神病院は患者を安易に社会に戻さないでほしい。この現状は社会にとって大きな損失だ。もう、うんざりである。
エスター という映画がある。あそこまでの狂気とは思いたくないが、彼女たちへの感情はエスターに対する嫌悪感と同じである。
個人的には彼女たちの打ち手はライター業からの転職であり、周囲はその仕事を通してお金を渡さない事なんだと思う。
どうせ会いさえしないだろうが、カウンセラーと会ってライター業をやめるよう助言をもらえば良いと思う。
彼女たちはP&Gや電通で働いた栄光を手にし更にプライベートも充実させようとしたようだが、結果は現状の通り、散々である。
要は不得手な恋愛沙汰での栄光を諦めれば良いのだ。(精神病患者だろうから無理だろうが)
まだ間に合う。会社勤めで世の中の役に立てば良いのだ。
相手の容姿が気持ち悪くて仲を深めたくないという感覚も当然だし責めない。
むしろ
今まで背の低い人や、太った人、顔がごく普通のレベルの方々ともおつきあいしてきたので、見た目で人を選別してる自覚がなかったけれど、友達に「もっと背が高くてイケメンで、その人の性格だったらつきあいたい?」って聞かれて妄想してみたら、付き合いたいと思った自分に愕然でした。
こうやってしらじらしーくカマトトするのが信じられない。いい大人が。
見た目で好きになったり無理だったりするなんて当然のことじゃん。
男なら相当の中二病でもそこを否定していい人ぶるような恥知らずはさすがにいない。
なのに女だと成人してても平然とこういうすっとぼけをする奴がいる。
本当に恥ずかしいのは「生理的に無理」な相手がいることではなく、しらじらしい自己演出の方だろ。
俺だって美人が好きだし普通以下の女は性欲抜きでまじまじと見るとキモいなって思っちゃうことしょっちゅうよ。
そういう誰にでもある動物的感覚をとぼけて「純真な私」を演出しようとする中二病患者って俺の体験では女にしかいない。
あとは反転したタイプでやたら得意げに「生理的に無理!」って連呼するイキり女いるけどあれも超馬鹿だよな。便意をいちいち周囲に報告する池沼レベルの行為をやりながら何か挑戦的なアクトをしてますって顔やイケてる女ですって顔をする。マジで池沼。
そのたび「ウオオオオ!」って叫びたくなるぐらいこっちが恥ずかしくなるんだよ。
女ってなんでこうなの?
癇癪持ちで辛い
定期的に凄い癇癪じみた怒りがやってきて、理性が無くなりかける
人との会話時の何気ない一言や過去の嫌な事がフラッシュバックした時、自分でもわからない激しい感情が湧き上がる
そんな時、脳内では「今ここで駄々っ子みたいに暴れたい」とかそんな事しか思い浮かばなくなる
怒りを忘れたり、聞き流せる人って羨ましい
俺はすぐに発火して飛びかかりそうになるし、その後も心の中で燻り続けていきなり変なタイミングで爆発する
爆発したらもうダメだ、早口でまくし立てて相手が困った顔や怖がった顔、呆れた顔で黙るまで止まらない
場合によっては殴りかかったりすらする
カウンセリングや薬とか色々試したけど駄目だった、未だに人と付き合う時にこれで変な空気にしたり最悪COされたりする
俺は池沼なのかもしれない
どうせ子供なんて出来ないし、そもそも嫁になる女なんていないだろうけど、
天文学的な確率で結婚して子供が出来たら、確実に虐待親になるんじゃないのか
子供の何気ない一言や泣き声ですら、虫の居所が悪いときに聞くと今すぐその子供にマウント取って顔面潰したいとか思う事あるし(でも出来ないチキン)
というか彼女出来ても同じだわ、DVモラハラ野郎になるわ絶対
生きてちゃいけない人間なんだろうな、俺は