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2013-06-06

自分コンプレックスを他者の発言を引き合いに出して正当化

http://anond.hatelabo.jp/20130606063823

村上龍ワタミ社長唐突すぎて何がなんだか…

人間社会の中で生きていくにはある程度「みんながやってるからやった方がいい」

って事柄があるだろう、それに従わなかったら社会不適合者として指さされるのはしょうがないと思うんだが…

化粧がアレルギーとか病気でできないとかはしょうがないと思うけど、

病気持ちのマイノリティだけどそれが自分なんだってもっと胸張ってけばいいじゃん

http://anond.hatelabo.jp/20130606015936

コレねー、きっとこのオタ女(男?)は自分24時間365日働けるし、オシャレが嫌とか断るなんてありえないんだろうね、実際にそうやって生きてきたんだろうね。

要は自分にできることはまわりにもできる、ってやってしまってるんだよね。個人の能力の差や、資質の違いなんて関係ないと思ってる。

それは、村上龍との対話でも現れてるよね。「無理じゃない、できるまでやらせる」「そうしたらもう無理じゃなくなる」っていう対話のやつ。

怖いのは自分が正しいことをしているってとこだよね。正しい意味での確信犯。本当にそれがすばらしいことだと信じてる。

言い換えたら他人の気持ちが理解できないんだろうね。健康人間が病弱な人間が辛いって言っても理解できないのと一緒。

 

「私にできたんだからあなたにもできるでしょ」って言ってるだけの話なんだよね。

全部機械化を目指せばいいと思うわ、ワタミって。

機械なら能力差とか資質なんて考えなくてもいいし、数値上のスペックがあるんだから。この人がオタクに求めてるのはそういうことでしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20130606005613

コレねー、きっとワタミ社長会長?)は自分24時間365日働けるし、仕事が嫌とか断るなんてありえないんだろうね、実際にそうやって生きてきたんだろうね。

要は自分にできることはまわりにもできる、ってやってしまってるんだよね。個人の能力の差や、資質の違いなんて関係ないと思ってる。

それは、村上龍との対話でも現れてるよね。「無理じゃない、できるまでやらせる」「そうしたらもう無理じゃなくなる」っていう対話のやつ。

怖いのは自分が正しいことをしているってとこだよね。正しい意味での確信犯。本当にそれがすばらしいことだと信じてる。

言い換えたら他人の気持ちが理解できないんだろうね。健康人間が病弱な人間が辛いって言っても理解できないのと一緒。

 

「私にできたんだからあなたにもできるでしょ」って言ってるだけの話なんだよね。

全部機械化を目指せばいいと思うわ、ワタミって。

機械なら能力差とか資質なんて考えなくてもいいし、数値上のスペックがあるんだから。この人が従業員に求めてるのはそういうことでしょ。

2013-05-17

痛い読者(初心者)の流れ30

「本読もう!」

1.「村上春樹からっしょ!「ノルウェイの森」!!

2.すげーっ本っておもしれーー

3.「海辺のカフカ」すげーー!こういう考えがあるんだ!!

4.(その後、「IQ84」、「色彩を持たない多崎つくると、 彼の巡礼の年」読み、ハルキストとして思想を享受し、神格化する)

5.「村上龍」も読んどくべきだよな・・・

6.「限りなく透明に近いブルー読了。えぇと、ふーん。

7.「トパーズ」ああ、えぇと、ふーん。

8.「五分後の世界」おぉおおおおお!すげーー!

9.(あ、でも、暴力とか薬とか、ちょっとついていけんわ・・・

10.「伊坂幸太郎」っていいんっしょ?読んでみるわ!

11.「オーデュボンの祈り」読了。なんか春樹っぽいかも!おもしれー!

12.「重力ピエロ映画も観た!おもしろいぞ!

13.(その後、「アヒルと鴨のコインロッカー」、「ゴールデンスランバー」読み、映画もことごとく制覇していく)

14.ふぅ、俺もだんだん読書ネタついていけるようになったわ

15.「辻村深月」って話題だな、読もう! ※平積みされている=話題

16.「冷たい校舎の時は止まる」ふーん

17.「子どもたちは夜と遊ぶ」おもしれー!月子

18.「スロウハイツの神様」へー。

19.「V.T.R.」うわー!あのチヨダコーキだ!!これってぜってー春樹じゃね?!マジ最高!

20.(ん、でも他のは何だかいから読むのやめよ。)

21.「森見登美彦」ってツウが読んでるっぽいぞ、よし!

22.「太陽の塔」やべー・・・俺のこと書かれてるみたいだ・・・

23.「夜は短し歩けよ乙女」ふーん

24.(とりあえず読んだ!)

25.「万城目学」って話題なんだ、これも読もう! ※平積みされている=話題

26.「鴨川ホルモー」おもしれー!映画も!

27.「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」ふふん。こういうのが良いんだよ。分かってないな、みんな。

28.ったく、、、知らなかったぜ、こんなに本が面白いなんて。

29.どんどんブログ書評アップしてやる。

30.よしっ、これから面白い本見つけていくぞ! ※平積みされている本から

2013-05-08

村上春樹の新刊、「田崎つくる」のAmazonレビューをみていて思うこと

amazonレビューで、多崎つくるのレビューを、ほとんど疑いもなく星5つで記載し、圧倒的な「参考にならない」の評価をくらっているしがないレビュアーです。

ちなみに、今日2013/5/8現在、335人中101人が星5つの評価を加え、星4つの高い評価をつけた人を加えると、335人中182人の半数以上の人が星4つ以上をつけているにも関わらず、現在「最も参考になったカスタマレビュー」は、ドリーなる人物の書いた「孤独サラリーマンイカ臭妄想小説」という星1つのレビューで、9825人中、9502人が「参考になった」というボタンを押しています

ちなみに星1つの評価のレビューは、323人中、51人しかないにもかかわらず、この評価は圧倒的です。

感覚的にいえば、全体における星の数の比率に、各評価の中で「最も参考になった」というというレビューが、最終的に漸近していきそうなものですが、このドリーなる人物のレビューは、ある種ゴシップ的な面白さが加わり、NAVERとかはてブあたりから迂回してやってきた方々の支援もあったのだろうと邪推しつつ、圧倒的な支持を得、10000近くの人たちに「参考になった」とフォローされているわけですが、その内容は、読めば読むほど気持ちの悪いレビューで、村上春樹とりまマーケティング悲惨さを痛感するとともに、あらためて日本人文盲具合と、教養のなさと、その教養のなさをひけらかす露悪主義をみせつけられるようでした。

はいえ。

これも、ドリーなる人物の文章が悪いのかというとそういうのではありません。こういう気持ちの悪い文章は、本来放っておかれれば、そのまま情報の闇に葬りさられるだけであり、問題なのは、こういう情報を引っ張ってきて、「うーん、これはすごい」「面白い」と言っている人々の側に、前述した無教養さの礼賛であるとか、露悪主義のようなものがあるように思うのです。

それで、私は、この駄文が、そもそも情報の闇に葬りされること請け合いなのにもかかわらず、下記の数点の視点に絞って、村上評価およびその周辺のマーケティングの問題について論じたいと考えています

1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)

2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実

3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど)

この3点についてです。

■1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)

まず、結論から断じて言いますが「多崎つくる」のamazonレビューを、現在日本文学における主要作品(村上龍山田詠美阿部和重平野啓一郎川上・・・などなど)と比較して星をつけるとするならば、星は5つ以外は考えられません。これらの作家の代表作と比較しても、時代的な価値、作品の主題、文体などにおいて「劣っている」という評価をしようがないからです。

もちろん、小説物語には個人的な共感を読み手の原動力にするという性質上、どうしても「共感できない」という人がいるのは確かなことです。しかしながら、そういう個人的な側面を度外視し、「文学」というジャンルにおいて、日本という国の文化歴史的に補足、説明する資料として、たとえば、文学作品ピックアップするのだとすれば、本作は1Q84までとはいかないにしても、近年日本代表クラスしかいいようがないからです。

2013年日本という国で出版された歴史的に淘汰を免れる文学作品をあげなさいといわれて、今年、これ以上に素晴らしい「文学作品」が登場するかどうか、私は甚だ疑問です。平野啓一郎の新刊がでればその可能性があるでしょうが、少なくとも、それ以外の作家には期待できません。

abさんご?無理です。

田中慎弥もっと無理です。

そういう意味において、本作は星5つ以外の評価はありえないと私は思うのです。

しいて別の視点で評価するならば、村上春樹作品全体を相対的に評価するということもできるかもしれません。これについて言えば、私の評価は、星5つに限りなくちかいものの、もしかしたら星4つをつけるかも、くらいのところです。人によっては3つという人もいるかもしれません。それはあくまでも村上春樹作品における相対評価です。

本作は、次につながる長編小説のための助走のような小説です。伏線の回収(村上春樹本人ならば、伏線の回収ではなく、全体を微細に描き切っていないと言いそうですが)、それが十分でないことがその理由です。

しかしながら、これが作品の評価を不当に低くするかというと別問題です。短編小説というのは、その行間物語前後や背景を滲ませ、読者に共感の余地を残すものです。これは本作が、短編小説的な位置づけにあるということを示唆しているのであって、村上春樹が手を抜いているわけではないのです。星を1つ減らす理由があるとすれば、「もう少しだけ短くてもよかった」という点でしょうか。短編小説というには、少し長すぎました。

本作は、あくまでも「短編」であり(この人の場合は、もはや「短編小説」がこの長さになってしまうだけ)、あえていくつかのプロットを読者に委ねたのです。これは、文学を読む側のリテラシーの問題です。趣味(つまり好み)の問題ではなく、読む側の技術(読解力)の問題です。

というわけで、個人的な村上春樹の読者として星をつけるならば4つもあり得るかもしれませんが、文学に全方位的に公正な評価をつけるのならば、星5つ以外にはないということをご理解いただけるでしょうか。

もし、理解できないのならば、村上春樹を読む前に、夏目漱石森鴎外と谷崎と太宰と三島大江健三郎と諸々読み直すべきでしょう。

それが嫌なら、伊坂幸太郎でも読んでればいいと思います稚拙な、読解力を十分に満足させるだけの文章にはなっています

■2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実

私は、長年村上春樹の作品を読み続けてきて、周囲にもそのことを公言しているわけですが、最近困ったことに「ハルキストの○○さんは、新作もちろん読まれたんですよね?」とか「ハルキストとして今作はどうでしたか?」などと聴かれることが多くなりました。

この「ハルキスト」なる呼称最近よく聴くんですが、これって、わりと最近たぶんノーベル文学賞に毎年エントリーされるくらいになってテレビリポーターとかがテキトーつけたんじゃないかという気がしています。一体いつくらいなんでしょうか?

私思うんですが、村上春樹の読者を「ハルキスト」と呼称してしまう人は、はっきりと断言しますが、村上春樹を読んでいないか、全く読解できていないかのどちらかです。

村上春樹小説はどの作品でも読めばすぐにわかますが、組織共同体所属することにとにかくうんざりしています辟易しているし、場合によっては嫌悪感に近いものを感じていることもある。とにかくそういう人たちとうまくやっていくことができないし、やっていく自信もない。主人公の「僕」やら「ハジメくん」やら、「ワタナベくん」は、もう、所在なし、所属なし。

まりひとくくりに呼称できない存在なのです。

村上春樹の作品が世界的に受け入れられているひとつの理由は、その「孤独」性です。その周囲にうんざりしたり、なじめなかったりするその主人公のおかれた状況に、読者が少なくない共感を感じてしまうことが、世界的に受け入れられたひとつの理由なのです。

まり、「ハルキスト」などという「ひとくくり」の呼称を付与されることに、気持ち悪さしか感じない・・・というような人たちが、どちらかといえば村上春樹本質的な読者なのです。私も同様「ハルキスト」と呼ばれるたびに、冷笑を覚えたりするので、みんなそんなもんだろうなと思っていると、ときどき本当に「ハルキスト」を自称する読者にあったりします。こういう場合は、辟易するというかなんというか、ときどき困惑嫌悪感が入り混じった感情を抱いたりするこもあります

なんなんだこの違和感

と。この感覚は、村上春樹に星1つをつけて、「いやぁ、村上春樹とか読んでるやつ信じられねーな」とかいう人の感覚に案外似たところがあるかもしれません。(まぁ、とはいえどうでもいいことなので、あえてバッシングしたいとも思わないのですが。)この際、そのほんとに読んで言ってんのかよ!という方々を「ハルキスト」と呼称しましょうか、そのハルキストなる方々と、村上春樹の作品とはまた別の問題だと考えるべきです。

こう言うと、村上春樹小説はそういう勘違いした読者、その「ハルキスト」なる存在を生み出しており、村上春樹にはその責任があると捉えることもできます

アンチ村上春樹人間は、この影響力に村上春樹への脆弱性をみつけて、論考をぶつのですが、はてさて、この点はもういちど考え直してみたいところです。読み手の読解力の欠如がもたらした読者の勘違いを、書き手である村上春樹にその責任を求めることができるのか?ということです。

小説作品は、たとえば自動車エアバッグとか、緊急時備え付けの消化器とか、避難用のはしごだとか、なんでもいいけど、使い方を誤まったら命に別状があるというようなものではありません。

芸術作品です。

作り手の意思とは別に受け手勘違いしてしまうことに、作り手はどれだけの責任が持つ必要があるというのでしょうか。

それは、最後に後述するマーケティングの問題もあります

■3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど!)

村上春樹を批判する多くのレビューを読む限りにおいて、圧倒的な支持をえる論調は、

「こんなヤツはいない」

恵比寿でナッツを食べるたべにバーに入ったりしない」

「そんな簡単に女とセックスするヤツはいない」

孤独をそんなに深刻ぶったりしてこいつは、何様なんだ」

かいものです。

確かに、多数派ではないかもしれませんが、いないわけではありません。ホテルのバーでお酒を飲んだりすることは、普通にあることです。言葉でどう表現するかの問題はありますが、物事を深く考えすぎて、些細な問題で心を痛めてしまうということも、現代人ならよくあるはずです。セックスなんて論じる必要もなく、敷居が下がっています

主人公の行動や言動を自分比較して、「こんなヤツいないよ」とかいうのは、主人公を類型化して自分との共通点を見つけ出す作業なのでしょうが、確かに、村上春樹の作品の主人公を無理やり類型化して、多数派か少数派かで割り振ったとしたら、間違いなく少数派でしょう。(安易にこういう構図に分類するのは正しい方法ではないのですが)

本作、主人公多崎つくるのプロフィールをざっくりと書くと。

鉄道会社勤務。年収は、700万程度。都内にマンションを所有し、ローンもない。30代後半で独身女性関係特に困ったことはない。

なんというか、条件面だけ描きだせば、裕福で恵まれていて、どこかしらいけすかないととることもできそうです。そして、実際、この点を、アンチレビュワーの方々は、突いているのですが。

前述したとおり、村上春樹小説世界的に受け入れられたひとつの要素はその「孤独性」だと言いました。

みんなの中でわきあいあいとできない。上司にうまく媚を売ったりはできないし、意味のない日常会話を成立させたりもできない。会社終わりにみんなで飲みにいったりするくらいなら、ひとりで孤独音楽を聴きながら読書をしていたい。

などという人間を描いて、そこに世界中の多くの人間共感しているのです。きわめて個人的に。

そして小説というのは、個人的な共感によってはじめて読み進めることができる形式の芸術です。

たとえば、ソフィア・コッポラ映画は、同じように「孤独」を描いていますマリアントワネットなどはその最たる例で、多崎つくるくんなどとは比較しようもないくらい恵まれている。にも関わらず、彼女は圧倒的な孤独に苛まれている。そして映画を観る者は、そのマリーの孤独共感して、胸を痛める。いや、映画小説と違うのは、マリーの孤独共感しようとしまいと、映画自体は2時間後に終わるということ。

しかしながら、小説というのは「なんだよこいつ、むかつく奴だな」というのがあったら、読み進められない。別の言い方をすれば読み進めなくてもいい。村上春樹は、この社会において孤独を感じながら生きざるを得ない、もしかしたら比率的には少ない側の面々の生き方肯定しながら、その顛末を見守るというようなプロットなのだから、読んで「むかつく」人が多いのが、当たり前といえば当たり前なのです。

もともと多くの多数の人間共感されることを、書いてる本人も視野にいれてはいない。(それを望んでいないわけではないにしても)

にもかかわらず、売る側は必死です。

それはそうです。売る側は、本の内容は関係いからです。出版不況時代です。本が売れません。黙っていても売れる時代なら、売る商品を選ぶこともできます。「こんな根暗作家が書いた本は、ひっそりと奥に並べておこう」とか。でも今は、売れる商品が限られています。小さな本屋から、大きな本屋まで、こんなにまとまって本を売ることができる機会は、年にそう何度もあるわけではないのです。

だもんで、売る側は、まったなし。「村上春樹の新刊!?長編平積みだよ、平積み!」

と、なって当然です。で、買い手は買い手で、村上春樹なんて共感できない人が数多いて、そのことを半ば自覚しているにも関わらず、「またぞろ、村上さん新刊ですか?」などとうがった態度で、1700円も払って買って帰ったりする。

本来、孤独に静かな時間を過ごしたい人(それから社会自分との繋がりを確認したい人)のために書かれた本であるにも関わらず。

帯にこんな風に書いておけばいいかもしれません。

「この作品は、日常違和感を感じることもなく、日々を謳歌している人間には読む必要のない小説です。それと孤独を描いてはいますが、自分自身の孤独が解消されれば、他人のことも社会のことも、どうでもいいという人にも不向きです。自身の孤独社会との関係において改善されることを仄かに信じている人のための作品です」

もちろん、そんなことは絶対書かれることはないのでしょうけれど。

本来静かに出版されて、求める人がそこに救済を得るという仕組みであるべき作家と読者の関係が、資本主義論理によって蹂躙されている。それだけのことにも関わらず、本来、村上春樹に対して苛立つ必要もなかった人たちまでが、駆り出されて、勝手に苛立っているのです。

嫌なら読まないということが可能なのにも関わらず。

この「作り手」と「市場」との悲劇的な関係というのが、アンチ村上春樹を作り出し続ける最大の要因という気がしてなりません。

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随分長くなってしまいましたが、最後に結論というかなんというか。

こういうことも言えるかもしれません。

昔、三島由紀夫は、太宰治が大嫌いで、直接会いにいって「私はあなたの作品が嫌いです」と言ったそうです。

すると太宰治は返す刀でこう答えました。

「でもこうやってわざわざ来たんだから本当は好きなんでしょう?」

三島由紀夫は、なにも言い返せなかったそうです。

まり、みんな本当は、村上春樹が好き(もちろん、断固として認めたくない)なんだけど、作品の主人公同様、素直になれず、好きさゆえに星1つつけちゃって、あんなヤツ嫌だよ、いないよ。むかつくよ。とか言ってるだけっていう可能性もあります

ん?あっ、それって、実は一番村上春樹主人公的?な気がしなくもないですね。

この長文を書いている間に、少なくとも「私は、ハルキストです」とか言ってる人より、星1つつけて、村上春樹なんか嫌いだよとか言いながら、毎回出版されるたびに買っちゃってる人たちの方が、なんだかよっぽど共感できる気がしてきました。

おしまい

2013-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20130420215921

こうやって改変すると、個人的にものすごく共感できる。

それが元増田さんの感じていることと同じかどうかはわからないけど。

恋愛ができないのが悲しい

 ただひたすらに悲しい。 

 でももっと悲しいのは、今だかつて(と言ってもまだたかだか50年に満たない人生だが)そう言った時に同意してくれた人が一人もいない、つまりはこの感情を共有してくれる人に会ったことがないこと。

別にできなくても困らないじゃん」か「今からでも練習して努力を重ねればできるよ」かどちらかの答えしかなかったから。

別に困ってるわけじゃないけど、そういうことじゃないんだよ」「その、「自分努力努力を重ねないと恋愛ができるようにならない」ということが耐え難く悲しいんだよ」

っていうのが、自分が説明が下手くそなせいもあってどうしても人に伝えられない。

昔、村上龍小説女子高生援助交際してまで物が、いやお金が欲しいのか、って事に悩んでみる小説)の中で

「**ができるようになりたい、と思い続けることはとても難しい。それは「**ができない」ということをずっと思い続けるのと同じだから

って語る一節があったけど(うろ覚えなので原文がこの通りだったかは定かではない)、そういう感じ。

2013-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20130421205642

村上龍小説(『ラブアンドポップ』のことだと思う)が引用されてるところからして、

貴方の書いてる例だと後者なんじゃないかな。

自分に才能がないことはわかってるけど、それを努力カバーしよう、っていう気分になれない、

だってそれやってると「自分には才能がない」ということを嫌でも意識させられ続ける。

 それに耐えるだけの根性がないことが悲しい」

ってことなんじゃないかと。

ただ「この悲しさを人に共有して貰えない」っていうのはここに書いたことである程度は

解消されたのではないだろうか、とは思える。

煽りや反発も相当食らってるけど、結構「そう思う」「同意はできないけどわかる」という

レスブックマークがついてるし。

2013-04-20

楽器が弾けないのが悲しい

 ただひたすらに悲しい。

 

 でももっと悲しいのは、今だかつて(と言ってもまだたかだか50年に満たない人生だが)そう言った時に同意してくれた人が一人もいない、つまりはこの感情を共有してくれる人に会ったことがないこと。

別に弾けなくても困らないじゃん」か「今からでも練習して努力を重ねればできるよ」かどちらかの答えしかなかったから。

別に困ってるわけじゃないけど、そういうことじゃないんだよ」「その、「自分努力努力を重ねないと楽器が弾けるようにならない」ということが耐え難く悲しいんだよ」

っていうのが、自分が説明が下手くそなせいもあってどうしても人に伝えられない。

昔、村上龍小説女子高生援助交際してまで物が、いやお金が欲しいのか、って事に悩んでみる小説)の中で

「**ができるようになりたい、と思い続けることはとても難しい。それは「**ができない」ということをずっと思い続けるのと同じだから

って語る一節があったけど(うろ覚えなので原文がこの通りだったかは定かではない)、そういう感じ。

2012-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20120619141125

ワタミ」の社長が同じようなこと言ってた

「できないじゃないんですよ、できないという前にやらせる。できるまでやらせる。そうしたらできるだろう。できないことなんてない」

みたいなこと。

話を聞いていた村上龍が「いや、それは違うでしょう」と戸惑いながら言ってたけど、終始、そんな調子だった。

まぁ、経営者なんてそのぐらいじゃないとダメなんだろうけど。

2012-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20120112230037

上野女史を女代表だと思われてもちょっと・・・

私が読んできた中だと、岡本太郎村上龍セックス結婚をすぐに結び付ける女を軽蔑してたよ。

中学高校の教科書普通に出てくるような男が普通にそういう文章書いてた。

2011-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20110913131236

コピペおつなんだけどさ、

なんていうのかな、ちっとも残念に思えないんだよねこれ。リアリティ(by村上龍)がない。

2011-08-28

わたしたちの心と身体

twitterに26日、飯舘村村民の会見を取材された方。

被曝しているという認識はまったくないまま沢水の簡易上水道を飲み煮炊きしていた。避難してきた人の炊き出しもした。3月20日になって水から300ベクレルが出たと聞いてびっくりした」「私たちはもうたっぷり被曝してしまいました」

なんだかな。

勇気を出して抗議活動を始めた村民の方々の言葉が、ちゃんと人々の耳にとどくだろうか。どうもあんまりメディアにとりあげられている感触がない。

自戒を込めていうなら、わたしたちの身体性はもう多分に問題があるのではないか

鷲田清一先生が『悲鳴をあげる身体』の中で村上龍さんの『ラヴ&ポップ』冒頭、女子高生の語りを引くくだり(p. 152)。

NHKで『アンネの日記』のドキュメンタリーを見て「心がグシャグシャになった」彼女はもう翌日には「完全に平穏になって、シャンプーできれいに洗い流したみたいに、心がツルンとして」しまう。

感情が持続しない、持続しないか刹那的快楽を追い求めていく。

あるいは、その持続不可能性への焦りが、周りの人、同じ社会にいきる人々のことを忘れさせてしまう。

この感じ。

震災のこと、また原発のこと、もうなんかみんな遠い昔のことのように「ツルンとした」心で眺めているようなそんな雰囲気を感じる。

本当に「今」おこっている悲しみを私たちはまっすぐに受け止められているだろうか。

僕は幸い被災を逃れたし、放射能の影響も受けえない場にいる。

でも、でも同じ日本人としてどうにかしたいと思う。そしてこの気持ちをちゃんと持ち続けないと。

2011-07-18

渡邉美樹ブログサイト PART2

さて、今回もブログサイトをご紹介します。

PART1はこちら( http://anond.hatelabo.jp/20110716110643

http://www.maruzen.co.jp/Blog/Blog/maruzen05/P/10946.aspx

丸善様には私の講演会などで著書販売のお手伝いをしていただいています。一緒にいろんなイベント等を盛り上げてくださっていることに感謝していますし、思い出深いです。 -書店にはよく行かれますか。最近はあまり行かなくなりましたが、以前はよく行っていました。書店は大好きです

http://plaza.rakuten.co.jp/nana111/diary/201106210002/

カンブリア宮殿就職ガイド村上龍×73人の経済人」を読んで、私が印象に残ったの方は、ワタミグループ創業者渡邉美樹氏。278ページから、『夢を達成することが人生の目的ではない。目的を追っていくプロセスの中で人間として成長すること、それが我々の生きる目的だ。』

http://bookreview002.seesaa.net/article/170071961.html

「戦う組織」の作り方 / 渡邉美樹会社の成長のスピードに、社員の成長のスピードが追いついていない。次なる展開ができない。非常に頭が痛い内容である社員レベルアップは急務である。そして組織の成長。そのためにはどうすべきか?

http://blogs.yahoo.co.jp/izakaya_lab/

渡邉美樹さんが都知事選出馬するニュースが飛び込んできた。 こういうのって突然やってくるんですね。びっくりしてニュースにかじりついてました。 これを気にかどうかは分かりませんが、ツイッターが復活し、またブログも賑わいを…

http://mainichi.jp/enta/book/interview/archive/news/2009/20090904org00m040006000c2.html

インタビュー渡邉美樹に聞く:民主党政権に望むことは「信」--6月の株主総会社長から会長・CEOに就任されました。新たに見えてきたものはありますか。今までは、私の後についていけばいいんだ、という考えない文化がありました。これではまずいなと思い、自分たちで考える文化をつくるために、「伴走」を始めたわけです。大きな意味ワタミグループが100年企業になっていくための教育期間だと思っています。私がリーダーで走っているかぎりリーダーは育たないということが分かりましたから。--ワタミグループの今後の戦略を教えてください。

http://blogs.yahoo.co.jp/moviefun777

日々精力的に活動されている渡邉さん。その精神力はどこからくるのでしょうか。

気持ちの持ちようとよく言われますが、なかなか実践できないのも人であると思います

しかしたら、そのような心の持ち方が何かを身に付けたりすることよりもはるかに高いハードルなのかもしれません。

考えれば考えるほど、深みにはまっていく。渡邉美樹さんやブログから学び取ろうとするが、当たり前ですが同じようにはできない・・・ん~、深く考えずに行動することが第一歩なのかもしれませんね。

その他、渡邉氏関連サイト

http://booksdiary.seesaa.net/

http://blog.livedoor.jp/five_products/archives/cat_50091124.html

http://blog.livedoor.jp/sandstor/

http://watanabedangi.blog.fc2.com/

2011-03-20

希望の国の震災復興(リバイバル)」は成る

例のニューヨーク・タイムズの寄稿記事の話。

http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html

http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17azuma.html

特に接点のない二人の物書きが、揃って「希望(hope)」という言葉を出したのは、決して偶然ではないと思う。

震災後の長引く混乱の中で忘れられかけているが、

震災前の日本は来るべき衰退に怯える臆病な国だった。

という状況は震災前と何も変わっていないし震災によってさらに窮地に追い込まれたとさえ言える。今の状況を放置すれば、この国を待っているのは凋落だけだ。

例えば、震災の一ヶ月前、村上龍自分メールマガジンでこんなことを書いていた。

 わたしはこれまでのような政府批判はもう止めようかと考えたりしています。具体的に何をやるのかわからない政府に対しては、具体的な批判のしようもありません。もともと、政府に頼るのはリスクがあるという考え方で、たとえば『13歳のハローワーク』のような本を作ってきたわけですが、政治家の考えの甘さや、制度の不備を指摘しても何も変わらないという思いがさらに強まりました。新しいニヒリズムが台頭するような気がします。

http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report24_2303.html

現在日本では、「政府には頼らない」という姿勢重要だと思われます。かなり曖昧な質問になってしまいますが、個人が政府に頼らずに生きるために、もっとも必要とされるものは何なのでしょうか。

http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/question_answer658.html

そして、震災後、上記のニューヨーク・タイムズに寄稿された一文。

私が10年前に書いた小説には、中学生国会スピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがありますだが希望けがない」と。(中略)だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。

東浩紀の寄稿文に対して、「大規模災害の後で人心がまとまるのは当たり前だ」という意見があった。しかし、その「人々が一体感を持って危機に立ち向かう」という流れこそ、この「失われた二十年」でついぞ得られなかったものだ。「衰退」という名の危機は、既に我々を飲み込もうとしているというのに。

現在日本が置かれている状況を正確に理解していた二人の物書きが、震災後に人々が見せた反応に対して、そろって「希望」を見出したのは、だから当然と言える。

それは、「被災地復興土建屋が儲かる」とか、そういう近視眼的な話ではない。『「震災」と「衰退」に立ち向かう』という共通の目標の下に、既存の様々な制度産業構造を再編成し、この国の未来を作る。それを成す機会が、ようやく訪れたのだ。

しかし、この「希望」は、翻せば「最後の機会」でもある。この機会を逃せば、この国には本格的に後が無い。これらの論文が、国内紙ではなくNYTに掲載されたということも、個人的には気がかりなのだが。。

2011-02-16

(◕‿‿◕)ラノべえ「そんなことより僕をテーマにして研究生になってよ!」

つい先日、卒業研究を終えました。この日記は後輩やこれから卒業研究を自由に決められる人のためになればいいな、程度に書きました

私は卒研テーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せしたですので、後輩にもぜひ好きなテーマ卒研をして欲しいと思っていました

私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいましたしかし、後輩に「今の自分研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました

どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした

そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOwikipedia考察いかに素晴らしかたか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO - wikipedia ((http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%A7%E6%81%8B%E3%82%92%E5%94%84%E3%81%86%E5%B0%91%E5%A5%B3YU-NO&oldid=28528480))

また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです

CiNii 論文 -  マルチシナリオゲームにおける並列世界モデル ((http://ci.nii.ac.jp/naid/110002942865))

これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)

他にもネットを探すとユニークテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります

卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです

しかに、「好きだからテーマしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。

学生のあり方について、素晴らしい文章があります

修士論文の代わりに退学願を提出してきた - As a Futurist... ((http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733))

=====以上が、今回の日記意図です

もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。

論文とは「問い」です。一般的に論文テーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。

ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなラノベが好きか」ということになるのでしょうか?

これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。

「「好き」は理性ではなエモーショナル部分依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」

無趣味のすすめ - 情報考学 Passion For The Future ((http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html))

つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです

そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです

さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義ですが、混沌としているようですね。

青少年を対象にした娯楽小説

程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性20~30代)でしょうから。(成人男性青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)

また、文学物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念引用することが結果を導く前から既に必要となります

例えば、物語的に観れば大塚英志提唱した物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。

れとろげーむまにあ: アドベンチャーゲームを振り返って思ったこと((http://nesgbgg.seesaa.net/article/185700949.html))

ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。

また、純文学の外に広がるキャラ萌え世界について詳しい

オタクたちのメンタリティには、教養主義文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。

東浩紀動物化するポストモダン|FRAMES INTERVIEW ((http://moura.jp/frames/interview/070423/03.html))

ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワードカテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。

ところで、先ほどラノベ定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義文学に「SF」がありますね。

サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました

ここで一つのSF批評を紹介します。

小谷真理の『女性無意識』に対する松岡批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。

最初ハーバード大学フェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノイネシスはそれにもとづいて提案した概念で、

父権的な社会蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。

長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動セクハラ問題が噴出してきた。

では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性無意識を象徴するガイネシスになるのではないかと見た。

(中略)著者はこんな出だしで手をゆるめない。次から次へとバウンダリートランスグレッション(境界侵犯)を見せつけた。

また、女性SFに関してこういう考察もなされています。

それにしてもいつのまに、女性こそが文学可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。

まずはエレイン・ショーターが父権文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリーシェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した

(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。

しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。

松岡正剛の千夜千冊『女性無意識小谷真理 (( http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0783.html ))

ということで、ここでは「外部の他者」たる女性文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとはないのではないでしょうか?

では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます

そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は

「【デリダとは】仏哲学者20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」

ツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))

デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要はないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)

ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。

女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである

女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性本質存在せず」、「女性の真理は存在しない」。

女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分存在しないということを知っているということである)。

実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニスト女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)

ニーチェの『善悪彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。

真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。

そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか

デリダ女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした

つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。

(知の教科書 デリダ 著者 林好雄 廣瀬浩司

見事にややこしいこの解釈から女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。

ニーチェ芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。

つまり、オタク男性)にとって、ラノベとは

女性という存在外部性とを遊戯的につなげている文学メディア媒介装置

であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)

十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレート表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる

オタクが豚になった――「萌えるからブヒる」へ - シロクマの屑籠(汎適所属) ((http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110215/p1))

という指摘もあります

例えば、オタクにとっての現実における外部性インターネットがあります

オタク男性であろうツイッターユーザーアイコンが、イラストアニメ美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性無意識に象徴しているのではないでしょうか。

また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユング提唱したアニマ(男性女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。

このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性

先程のツイッターイラストアニメ美少女アイコン無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?

以上より「ラノベ読者はなラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです

ラノベ本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?

私はそのことについて考える限り、とても意義ある研究だと断言できると思っています。

2010-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20101222091408

じゃあ貧乏人は中小の作った安物のくだらないものを買いますか? 買いませんよ。貧乏人をバカにするな。(ここでいう「買わない」を言葉通りに受け取らないでしい。実際は買ったりするわけだけど、その際に「買いたくない方向のベクトルで力が発生する」くらいに解釈して欲しい

↑()内の力の発生さえ存在しないというのかっていう話よ。

存在してる上で、労働者側としてどうするか、ある程度は我慢するのかどうか、ってのならいいんだよ。でもそれは昔は存在しなかった我慢なんだと。

嗜好品だけじゃない。仕事だってそうだよ。何年か前に村上龍が言ってたけど「調べた結果仕事がないわけじゃないらしい。ただ昨日まで大手で本部長やってた人間今日から工場サンドイッチ野菜を挟めますか、という話なんですね」と。

結局つらさというのは絶対値はなく「落差」なんだよ。

それを落差がなかったころを引き合いに出して「昔はあたりまえだったって」そりゃそうだろそのころは落差がなかったんだから、って話だ。(この「なかった」も言葉通りに受け取らないでしい。正確には「今ほどの落差は」になる)

落差の存在さえ絶対にない!と言うわけ?

2010-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20101208203740

こいつにピッタリなのって慎太郎村上龍じゃなくて

猪瀬・村上(隆のほう)・東浩紀でしょ。

あいつらとはスゲーガッチリ噛み合う気がする。お試しあれ。

権威的で横暴で話を聞かなくて若者馬鹿にしてくれるおっさん」が欲しい自立できないボクチャンとあの3人は

ピラミッドの石組みより隙間なくバッチリ噛み合うで。

こう書くとあの三人も今日日希少なオッサン。

http://anond.hatelabo.jp/20101208203740

石原慎太郎って最近小説書いてたっけ?

文壇ドンとかそういうのだっけ?

いま都知事やりながら「ホモキモい」「漫画規制しようや」とか言ってるだけじゃん?

あれを相手に「背中を刺したい」とか言って興奮してる人ってなんなのマジで

村上龍だって別に人気作家っつーだけだし。

なんかほんとにセンス無いって言うか残念な感じの人だな。

そもそも今の時代に反抗させてくれて依存できるようなパパなんかいないよ。

そんなことも気付かず必死にパパ探しながら粋がって。

何歳の人なの?で、ホントにこんな人が一杯いるの?

特定されない範囲でもう少し教えて欲しい

マジでこんなのが一杯いるの?

文芸誌ってホントに終わってるんだね。

頭とセンス悪い人ぐらいしか残らなくなっちゃったんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20101208193711

「あのクソ老害石原さんはいい加減にしろっていうか、小説と名のつくものに関わる奴はアレに対して何らかの態度を表明しろよ」

たい原稿を出したら、編集さんからものすごい怒られた・・・。

面白いと思うんですけどね。

何が面白いの?

こういうのを許さないか文芸誌って衰退するんだろうなぁ。

そんな寒い人間中学生的なイキガリ文芸誌の興亡がどう関係あるの?

やはりこれはネット実名でやるしかないのか。いや、話題になって渦中の人になるのは全然構わないんだけど

「大して話題にもならず仕事だけ失う」っていうのが怖くてみんなやれないんだろうな。

はてな見てるだけでも毎日毎日ウンザリする量産型が湧いてるのに

どうして石原慎太郎叩いたぐらいで話題や渦中の人になれるの?

http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/wadai/news/20101208k0000m040122000c.html

物書きなんて大喧嘩して何ぼ、権威と名のつくものは大嫌い、石原名前聞いた瞬間吐き気がこみあげるね!

たいな奴が多数派だと思うんだけど、というか飲み屋で村上龍の次くらいにベコベコに言われてるのに

なんで業界は水を打ったように静かなんだろうね、いや俺自身も人のことなんて言えないんですけどね。

ほんとにそんなのが多数派なの…?

クラスタなのそれ一体…。

物書きワナビー大学生クラスタとか?それでもかなりの激寒でしょ。


だいたいエライ人に吠える」っていつの時代の名の上げ方なの。

馬鹿でもチョンでもつまんない奴でも出来る。というよりつまんない奴に限ってそういう手段を採用する。

つまんない奴はそんなことしたって依然つまんない。せいぜい同レベルにセンスない奴が見てくれるだけ。

面白い奴はそんなことしなくても断然面白い


それに石原だの村上龍だのもうお爺さんじゃん。石原なんかあと10年生きないぞ。

それに既にこういう寒いキガリ君がこぞって石投げてる対象じゃん。

そんなのに今更石投げて、目立てるとかガッツを示せると思ってるとこがまた寒い

エライ人に吠えて有名になる」ってソリューション自体がクソ寒いけど

それの対象としても石原だの村上だの選ぶのは最強に寒い


ていうかもう全員筆折って死ねって伝えておいてそのクラスタに。

面白くない奴がアウトプットするぐらいの公害はないよ。

原稿却下された・・・。

「あのクソ老害石原さんはいい加減にしろっていうか、小説と名のつくものに関わる奴はアレに対して何らかの態度を表明しろよ」

たい原稿を出したら、編集さんからものすごい怒られた・・・。

面白いと思うんですけどね。こういうのを許さないか文芸誌って衰退するんだろうなぁ。

やはりこれはネット実名でやるしかないのか。いや、話題になって渦中の人になるのは全然構わないんだけど

「大して話題にもならず仕事だけ失う」っていうのが怖くてみんなやれないんだろうな。

っていうか、まず紙媒体だと載せてもらえないんだよな。やはりネット実名でやるしかないんだがミスった場合死ねるからな。

何の話題にもならず、緩慢に干されていく恐怖に勝てない。

ブログつぶやく程度なら許されるんだろうけど、そういうのはやりたくないし

物書きなんて大喧嘩して何ぼ、権威と名のつくものは大嫌い、石原名前聞いた瞬間吐き気がこみあげるね!

たいな奴が多数派だと思うんだけど、というか飲み屋で村上龍の次くらいにベコベコに言われてるのに

なんで業界は水を打ったように静かなんだろうね、いや俺自身も人のことなんて言えないんですけどね。

2010-11-14

希望子供

 ふと思ったけど微生物人間も同じような繁殖過程をたどる。

 微生物は4つのフェーズでその増殖曲線を描く1、誘導期、2、対数期、3静止期、4、死滅期。ようは定着してぷりぷり生みまくって(実際は分裂か)、疲れてだらけるって感じ。細かい話は教科書でも読んでください。

微生物場合この過程をたどる原因は主に栄養だ。つまり食いもんがあるだけ増えて不足しだすと、増えるのが止まって減り始める。

 それで上の過程を人間に当てはめて考えてみた。主に日本で。

 まず誘導期は戦争終わってすぐ(1950年くらい?)、食い物ないし、インフラもないし、ついでに男も少ないけど、日が経つに連れて環境が安定してくる。

 戦争経って10年くらい、ここでやっと飯とかそこそこ出回ってくる。インフラ急ピッチで進む。ここら辺から俗に言う高度経済成長期に入る。微生物で言えば対数期。人口めっちゃ増えだす。これが20年くらいは続くのかな。

 それでだんだん減速してきて1980年代だいたいここらで人口的には落ち着いてくる。たぶん。(なぜ多分かといえば調べるのがめんどくさいので時期的には結構適当物質的にもかなり豊か。俗言う飽食の時代に突入バブルとか。

 1990年。ここらへんから急速に出生率が低下。たぶん。(ryバブルもはじける。人口も頭打ち。微生物で言えば静止期。ここら辺で恋愛ビッドオファーが急速にかみ合わなくなる。(おかげでアッシーとかメッシーとか言ってた腐れマンコがあまりだす、リサイクルは可能ですか?)

 現在死滅突入。もう全然子供生まれてこない。生めないのか生まないのかは若干議論の余地はあるにしてもとにかく人口が減り始める。しかし物質的には未だに豊か。

 んで何が言いたいのかやっと本題に入る。ここで不思議のは(別に不思議じゃないかもしれないけど)まだ日本においては少なくとも物質的にはいくらでも同属を養う余力はあるように思われる。さっきの微生物と似てるとかって言う理屈だとまだまだ増えるよね。でもなぜかみんなまったく生もうとは思えない。(金がないから生めないんだって言う意見却下でお願いします。)

 ではなぜか。なぜ日本と言う共同体内では子孫が増えなくなったのか。原因は希望だと思う。人間希望を食べて増える。ある共同体内に希望が蓄積されているとして、それが多ければ多いほど人口は増える。でも希望無限じゃないので食い尽くされてくるとだんだん増えなくなる。色々理屈をこねてみんな産もうとしなくなる。正直今の日本には希望が足りないんだと思う。

 8割くそ作品の村上龍の数少ない名作に希望の国のエクソダスってのがあるんだけど、その作品でポンちゃんっていう中学生がこんなこと言ってた。(正確ではない点はご容赦を)

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。 だが希望だけがない」

 パンドラの箱でも残ってたものがこの国にはない(まったくの0でないにしたって)!なんてこった!

 さらに希望について2000文字くらい書いたけどもう止めておこう。結局のところ、じゃあ希望を増やすにはどうしたらいいのか?と言う問いに対する答えを僕は見つけることはできていないから。(とか言うけど実は解決策は正直ある。でもこんな感じで終わったほうが色々いい気がした。と言うのも嘘で書くのがめんどくさくなった。)

2010-10-30

電子書籍についてグダグダと書き綴る

テレビ電子書籍について報道していたので、またいろいろグダグダと書いちゃうぞ~。

という軽いノリで。酒飲みながら。

つか本当に『電子』としての『書籍』という意味では、

今まで散々それに該当する商品は世に出ていたと思う。

弟切草』から始まるサウンドノベルだって、

分岐はあるけど文字であり小説でありエレクトロである点を考えると

立派な電子書籍だ。エロゲだって、フリーソフト

アドベンチャーソフトだって、その類だろう。

小説PDFにしてダウンロード販売していたサイトだってある。ボイルドエッグとか。滝本竜彦は元気かな。

でも、そういう一連の流れは無視されて、

キンドルipadと連動する書籍のみが、『電子書籍』として認知され、

黒船』として恐れられている。

その違いは一体何なのか。

いろいろ考えたけど、最終的にはやっぱり『形』かな、と。

考えてみれば、『本』は非常に優れた形状と質量を持っている。

どこへでも持ち運びできるし、いろんな体勢で文字を読むことが出来る。

寝転がりながら。椅子に座りながら。飯を食いながらでも読める。右手に箸。左手に本。

ハードカバーでは多少きついけど。

これまでの『電子』な『書籍』は、その点を考慮していなかった。

ゲーム機パソコンなどといった端末で再生され、可搬性や可読性については議論さえされていなかった。

それがキンドルの登場で変わったのだ。端末自体が変わったのだ。

そしてipad。そして、さまざまなメーカipadを真似し始めている。

これは凄いことになりますよ。出版社さんは覚悟したほうがいいですよ。

ネット上の動画展開はまだまだ先のこと」と思っていたらYouTubeの登場で慌てふためいた

テレビ局さんのようになりますよ。いやマジで

こういうパラダイムシフトは、マジで予期しなかった時期にいっきに来ますよ。

音楽業界は、もはや目も当てられない。もっとも~、これはこれで面白いけ・ど・ね!(ファッキュー!)

まぁでも、パラダイムシフト自体が悪いことではないですからね。

むしろ、新しい文学の可能性も否定できないわけですよ。

文学の可能性というか、文字の可能性ですね。

『文字の可能性』と聞いて思い出すのは、やっぱり2001年に起きたテキストサイトブームですかね。

あれは面白かったわけですよ!あれだって一種の電子書籍なわけですよ!(酔いが回ってきた)

文字ポイントを拡大して、オチが放たれる。文字の色を変える!

いやー、面白かったな。『侍魂』とか、当時は特に面白かった。

空白でページをスクロールさせて中身を稼ぐという手法は、有名人ブログで定着しましたけどね、

ありゃあひどいもんですよ。辻ちゃんテレビ番組で『スペースをあけてページに

内容があるように見せかける』というのをやっていましたけどね、ありゃあひどい。

やっぱりある程度の文章の量は必要なわけですよ!

やっぱり精度の高い文章を読むと興奮するわけですよ!

でもま、電子書籍なら電子書籍ならではの、『演出』というのも欲しいわけですよ!

たとえば、音楽が流れるとか。挿絵が美麗なアニメーションで表示されるとか。

何か、村上龍が作った電子書籍は、著名な方の音楽が流れるらしいですよ?

でも、音楽アニメーションも、出来れば文学的な演出がいいですな。

心に染みるようなやつをね、僕は望んでいるわけなんですよ。

私小説』は、『エンターテインメント小説』とは違って、やっぱり心の中で反響するような文字列であって欲しいわけなんですよ。

だったら、その電子的な演出にも、私小説性、心の中で反響するような演出が宿っていて欲しいわけなんですよ。

エンターテインメント映画と違って。

文学性というのはバズワードだと思うけど、でも、それでも、僕は『文学性』を求む!

エンターテインメント』という言葉自体に『マジョリティを拒絶する』という意味が宿っているような気がしてつらい。

そろそろ終わろうか。グダグダと書き綴っちゃって、ごめんね。ごめんね。

酔っ払っていてごめんね。

2010-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20100816003309

村上龍13歳のハローワークでも同じようなことが書いてあった。

基本、自分の好き勝手にものを書いてるわけだから、ある意味一番楽な仕事だよね

オープンソースプロジェクトでの開発実績・貢献度の高さとかはIT業界では武器になるのかもしれない

2010-02-18

近代宣言

 ヒーターの電源をONにして、ベッドの上で藤子不二雄の「まんが道」を読む。手を伸ばせば届く場所にはパイの実とアイスコーヒーがある。今日中に8巻までは読む。時間はいくらでもある。昼まで漫画を読み続けて、それから好きなだけ寝るつもりだ。

 先月会社を辞めた。上司体育会系パワハラが辛かったとか、細かいことをねちねちと言われたとか、残業代が付かなかったとか、休みが全然なかったとか、理由を問われるといくらでも答えるが、本音を言うと「早起きして会社なんか、行きたくねえ。俺のペースでゆっくりさせろ」というところだ。

 好きな時間に起き、本棚に並べられた、買ったは良いけれどなかなか読む時間がなかった本を読み始めたり、近くに定食を食べに行ったり、テレビを見たりする。晴れていて、かつ気分が良ければ自転車浅草まで行ったりもする。なにはともあれ、時間の何もかもが好きに使えるっていうことは、良いことだ。

 「空白期間が長いと再就職に不利だよ」だとか「何もすることがないのなら、TOEIC勉強でもしたら」だとか、うるさい奴らもいるけれど、俺はいま、この生活が最高で、それをずっと保っていたい。放って置いておくれやす。

 新卒採用で入った会社を5ヶ月で辞めたから、失業保険はもらえない。12月のボーナスも貰えなかったから、貯金は50万しかない。その事を考えると、とたんにさっきの威勢がなくなる。

 俺はこのままの暮らしをずっとやっていきたいのに、世界は俺の頭の中とは全然違う。俺の出したいスピードよりもずっと早い速度で世界は動いていく。俺みたいに速度に乗れなかった奴はどうすりゃいいんだろう。社会的立場、ゼロ。発言権、無し。

 石原慎太郎とか田中康夫とか村上龍みたいな、時代の代弁者、新しい俺たちの代表、早く現れないかなあ。

俺みたいに考えている若者、いっぱいいるはずだ。目が覚めたら起きて、眠くなったら布団に入って、金が欲しい時だけチョッコっと働いて、だらーっと好きなことして。暇だから漫画小説を書き始めたりするけれど、別に賞に応募するわけでもなく。編集者に見せに言って「商品にならない」なんて言われて嫌な思いするよりは、ミクシーでともだちだけに公開して。そんな風にぬるく生きていきたいんだってゆーの。

 ニート支援だとか、フリーター対策だとか、馬鹿か。いちいち気にさわる。年寄り自分の理解出来ない価値観に拒絶しているだけにしか見えない。俺からしてみたら、こんなに快適な生活はないのに。時代劇で一番のんきに見えるのは「ご隠居」だっていうことだ。刀を振り回して世直しなんて、苦労が多すぎてちょっと無理。

 俺の父親は、朝5時に起きて、犬を散歩させ、朝ごはんを食べるとバスに乗って会社に行く生活をもう30年以上続けている。夜は8時くらいに帰宅して、夕飯を食べて、テレビを見てから11時半に就寝。木曜日だけは、会社の帰りにテニススクールに行くから帰りが遅くなる。

 そんな生活のサイクルをずっと続けている父親が金を稼いできて、俺はそのお陰で大学を出た。一年間の留学まで体験させてくれた。俺はそんな父親に感謝しているし、深い愛も感じる。実家に帰り久しぶりに家族に会うと、犬がいて母がいて父がいて弟がいる。俺はごく自然に、この家族が好きだと思う。

 それでも、俺には朝5時に起きて毎日同じ電車に乗って会社に行く生活は出来なかった。なんだってそんなキツイ思いをしなければならないのだ。それをしなくても、生きていけるのに。自分ひとりは。

 今になっていう事で腹を立てたりしないでもらいたいけれど、子供の頃からさんざん言われていた「良い大学を出て良い会社に勤めるのだ」という主張を、俺らは、半ば冗談半分にしか聞いていなかった。俺たちが子供の頃に流れていたニュース。「良い会社」で何人もの人間リストラに合っている光景や、良い会社がぶっ潰れた記者会見を、俺たちがまさか見ていなかったとでも思っているのだろうか。あるいは、見ていても理解出来ていないとでも…。そう簡単に騙されやしないよ。

 「いま、人生いい感じだなあ」と思っている人間が一体どれくらいいるのだろうかと考えたときに、不思議感覚に陥った。俺らの親の世代はわりとそういうことを思っているだろう。子が育ち、自分たちも労働からそろそろ開放されようとしている。これからは好きなことをして生きて行くことが出来る。

けれど、俺たちの世代の人間で「いい感じだ」思っている人間は殆どいない。そして、俺たちには「いい感じ」を待つためにこの先何十年も待とうという得体の知れない忍耐力は、ない。それは俺が俺の世代だからわかることだ。この先の長い年月をじっと待ったところで、俺たちが「いい感じ」になる可能性がひどく少ないと、いくらなんでも、もう誰だって分かっているのだ。会社に守られるなんていう幻想はまず真っ先になくなったし、日本がこの先強い国力を持って福祉が充実するなんてことも、どうしたら信じられるだろう。

 一人ひとりが強く生き抜くことしか残されていないのだと思っていたら、今度は友愛だとかなんとか。振り回されるこっちの身にもなってもらいたい。もしお前が本当に「友愛」だとかなんとかいうのであれば、しっかりやれよ。いいか。しっかり友愛するんだよ。と叱咤激励したところで友愛は絶対に成立しないことが分かっているこの既視感。いい加減、俺たちはそういうやり方にうんざりしている。サバイバルでも友愛でもどっちでも良い。それは、俺たちが決める。というのが俺たちの世代の考えだけれど、そういうとまた「ゆとり」だのなんだのと年寄りに悪口を言われるのが関の山。そうなりゃ自然、家に引篭もりますって。家にひきこもって、時折バイトでもして、気楽に暮らします。

 年寄りの悪口も、政治家の嘘も、もうどうでも良い。おまえらはおまえらでがんばれ、俺たちは、俺たちで各自ひきこもって勝手にやるよ。頭しぼって不老所得で気楽に暮らす。最高じゃないか。何が悪いのか全く分からない。いずれ沈没の船に乗り込んで一生懸命延命考えている奴らの気がしれん。ヒャッハ。

2010-01-06

ふたば二次裏某鯖でまとめられていた書評

ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊」シリーズの外伝的ネタ

『夢渓筆談』 沈活

宋代中国に書かれた古代中国科学史研究する上での必読書だけど

今俺たちが読めば民明書房気分を味わえる名著だし仲間に入れてくれよ

ミーナの行進』 小川洋子

小学校6年生の病弱な子がすごくよかった

『糞尿大全』 柳内伸作

とにかく世界中および歴史上のありとあらゆる糞尿に関する事柄をまとめた本

なるほどそんな事がと頷かせながらも

日常においてまったく役に立たない無駄な知識が!!

『味覚極楽』 子母沢寛

読んでると

腹が

減る

はてしない物語』 ミヒャエル・エンデ

読書を始めた

あの

頃に

新世界より』 貴志祐介

ホモホモしたり百合百合したり、大興奮間違いなし!

つい盛り上がってしまいパンツを脱いでしまったが大後悔!

その後待ってるのはグログロドロドロのトラウマワールド

ダークライン』 ジョー・R・ランズデール

小悪魔っぽいお姉ちゃんが可愛かったり親友が失踪したりする

ゼーガペイン 忘却の女王』 日下部 匡俊

言わずと知れたゼーガシリーズの外伝

記憶喪失カップルが南の島で超すごいガルダを駆って大暴れ!

先輩も出るよ!

玩具修理者』 小林泰三

ようぐそうとほうとふ!

ようぐそうとほうとふ!

ようぐそうとほうとふ!

『ニンギョウがニンギョウ』 西尾維新

たくさんの妹とケモ少女と主人公のキャッキャウフフストーリー

あと拳銃は右手で

黎明に背くもの』 宇月原晴明

美濃のマムシボンバーマンが実はイスラム暗殺教団の兄弟弟子、

果心居士はハシムに通じロリショタ可愛い

ちびっこ吸血鬼ミステリーがお好き』 アンゲラ・ゾンマー・ボーデンブルグ

アントンが一人で留守番をしていると部屋の窓に人影が。その正体は「ちびっこ吸血鬼」のリュディガーだった。

それはおいといて妹のアンナ可愛いんだよ

ものすごくアンナ可愛いんだよ

『不滅刑事アレクサンダー・マッケイ』 ハヤカワミステリ文庫

汚職に直接関与する事件のみならず副次的な殺人すら隠蔽せねばならぬことにうんざりした

アレクサンダー・マッケイはなんとか政治的な判断を相手に促しつつも事件の過熱化を防ぐために奔走するが

関係者よりも力を持つ上院議員とのコネを繋いだところでマッケイは殺害される

少女が戯れに試したインディアンのおまじないにより復活し殺人ではなく刑事としての復讐を開始した

最後は怒りに満ちたマッケイが人間の尊厳を選択したところで絞め

『異常の門』 柴田錬三郎

例によって「夢殿ウタタ」という名前に一癖ある主人公が、エロゲ展開とシリアス路線を並行して、物語の謎を解きあかしていく

主人公を助ける強力な右腕、ルートから外れたヒロインのひどい始末、クライマックスの盛り上がりという、シバレン小説の醍醐味が一冊で味わえるのでおすすめ

『死ぬことと見つけたり』 隆 慶一郎

月姫スタッフオススメの本

厨侍が厨性能で唯我独尊状態

娘の黒髪おっぱいは必読

『牢屋でやせるダイエット』 中島らも

1ページ目からやっぱり常人とは違うと思い知らされる

独特の人生観が貫かれてる傑作

『永遠も半ばを過ぎて』 中島らも

-永遠も半ばを過ぎた。わたしとリーは丘の上にいて、鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた-

「幽霊の書いた小説」を出版社に持ち込んだ詐欺師。それが文壇を揺るがす大騒ぎになってしまい…?

詐欺師写植屋と編集者の女の真善美トリオが繰り広げる痛快娯楽詐欺小説!

四畳半神話大系』 森見登美彦

(書評1)異性との交際、学問への精進、肉体の鍛錬、

そんなものとは無縁な大学三回生の物語

まるで「」の活躍(?)を見るようだった

(書評2)来るべきハッピーエンドを目指したいけどそんなのは軟派だと世を拗ねてみるけどやっぱりなんとかしたい、という

まさに大学生「」というべき男が主人公

一緒に「夜は短し歩けよ乙女」も読むと幸せになる気もする

失われた時を求めて』 マルセルプルースト

いもげの100冊がいもげの1冊になり兼ねない恐怖の書

タイトルの通り読破した「」は失われた時を求めて彷徨う事になる

膨大な時間と引き換えに「プルースト要約選手権」への参加資格が手に入る

『グラマリエの魔法家族』 クリストファー・スタシェフ

急に読みたくなった

冴えないおっさんが若い女性に誑かされたりするよ!

『眠り姫、官能の旅立ち』 アン・ライス

(書評1)エロ面白い

ホント扶桑社海外文庫は地獄だぜ!

(書評2)それ近くの図書館で高校の時に見つけてな…… 何度か借りて一年くらい使えた

二巻、三巻は男の子も多くて実に「」向きだよ

『神秘の島~ミステリアスアイランド~』 J・ヴェルヌ

十五少年漂流記のもっと凄い版

ほぼ何もない状態での無人島サバイバル

海底二万マイルと実は繋がってる

『肖像画、馬車』ゴーゴリ/平井肇訳

神絵師になれるかもしれない才能を持った若き絵師「」が

悪魔のような肖像画に出会ったために破滅の淵へ追いやられる「肖像画」

のどかな農村で繰り広げられるホラ話と、それによって大恥をかく「」ちゃんが出てくる「馬車」の二編を収録

神絵師を志してる「」ちゃんは、「肖像画」の方だけでも読んでおくいいんよ

ショスタコーヴィチの証言』 S・ヴォルコフ

ソ連を代表する作曲家であったショスタコーヴィチの回顧録

長年真贋が論議されてきたが今ではほぼ偽書ということで確定している

ただ全部が嘘じゃなくて半分くらいは真実じゃないかというのが現在の評価

スターリン支配下にあったソ連芸術家がどういう立場にあったかが分かる

あとアネクドートとかそういうので面白い

『私の一世紀』 ギュンター・グラス

20世紀百年、それぞれ一年につき一編の短編が収められた連作短編集と長編の間の何か

WW1を振り返る五年間がレマルクとユンガーの架空対談に費やされているという時点で

ドイツスキッヒにはたまらないだろう

『キッチン』 よしもとばなな

名前は聞いたことあるけど、あまり「」が読まない本だと思う

だけど地味に面白い

今でも通用する小説だと思う

こころ』 夏目漱石

読書感想文課題で読まされた中高生に深い傷を与える一品

さかしま』 JK ユイスマンス

17世紀ヨーロッパ貴族ひきこもりでオタの主人公が

自分の趣味に没頭する話

400ページくらいの本編に脚注が400くらいある

『かえるくん、東京を救う』 村上春樹

村上春樹短編の中では一番好きかも

かえるくんいいなあ

いいなあかえるくん

白痴』 坂口安吾

白痴の人妻と「」がキャッキャウフフするお話

限りなく透明に近いブルー』 村上龍

主人公が仲間と薬やったりセックスしたりぐだぐだぐだぐだしてたら気が付いたらみんな月日と共に去って行った

村上龍が描く太陽の季節的な何か

孔子神話』 浅野裕一

孔子詐欺師ぺてん師パラノイアであることを文献引きまくって描く

呉智英推薦

『りかさん』 梨木香歩

人形好き、骨董好きな人おすすめ

『故郷』 チェーザレパヴェーゼ

WW2後イタリアの田舎で友達の妹とキャッキャウフフする物語

カラフル』 森絵都

自殺した中学生の肉体に、天使が記憶喪失の魂を入れ直して第二の人生を生き直させるお話

キャッキャウフフあり、青臭い中学ドラマあり、少年の心を忘れない「」にお勧め

オチのカタルシスは語りつくせないのでぜひ一読を

『ガルガンチュワ物語』 ラブレー

世界一お下劣な文学と名高い

ケツの拭き方が24通りも載っているのでメルターの「」には必携の書

キララ、探偵す』 竹本健治

もう60近い年齢の方がメイドさんの小説を書いてると思うと時代ってのはすごいなと感じる

途中からエロ小説 とってもライトな読み味でいい

フェルマーの最終定理』 サイモン・シン

暗号解読』 サイモン・シン

前者は20世紀における数学大事件の一つであるフェルマーの最終定理の証明を、数学の歴史に沿って、数学が苦手な人にも分かるように説明された良書

後者は楔形文字からエニグマから量子コンピュータまでの暗号と数学と人の歴史をこれまた専門外の人でも楽しめるように書かれた良書

断章のグリム』 甲田学人

「本当は怖いグリム童話」を怖いところを薄味にしてラノベに仕上げたような作品集

作者は流血とかが苦手らしいのでそういうのはぼやかした表現とかカットとかしてある

『楽園の知恵』 牧野修

気持ち悪い、悪趣味なお話がわんさとつまっている短編

お気に入りは「逃げゆく物語の話」

人型の物語再生機の面々が当局による弾圧から逃れようとするお話でせつない結末が待ってる

『シグナルとシグナレス』 宮澤賢治

鉄道本線の信号機シグナルと、軽便鉄道信号機シグナレスの恋物語

鉄道信号機擬人化恋愛モノというまさに「」風の尖ったセンスに脱帽すること間違いなし

ピタゴラス派の天球運行の楷音です」って台詞が大好き

『バルタザールの遍歴』 佐藤亜紀

多重人格リア充貴族が物凄い勢いで没落していく話

幽体離脱という必殺技を身に付け、財産を奪っていった奴らへの復讐が今始まる

飛ぶ教室』 エーリッヒ・ケストナー

外国作品で一つ選ぶならケストナーから選びたい

それくらいハズレなし

男の子同士の友情を、少年サイドと中年サイドから迫った「飛ぶ教室」は人気が高いね

エーミールも好きだが、続きのないこちらを推そう

『おれの中の殺し屋』 ジム・トンプスン

凶暴な殺人衝動を抱えながらも愚鈍のふりをする保安官助手が、

魔性の女に会ってにんとかかんともならなくなる話

人がいっぱい死ぬ

大川隆法の霊言―神理百問百答』米本 和広、島田 裕巳

カルト専門ジャーナリスト幸福の科学の本を読んでたら突然偉人が乗り移ってきて…

大川隆法の著作をパロって

大川が偉人が乗り移っていったと書いている内容を著者に乗り移った偉人が批判する

タイムリーな本なのに絶版

寄生虫実話』

小説じゃなくてムックだけど寄生虫全般・害虫に関してのデータがどっさり詰まって面白い

アメリカ日本サナダムシは気性が違ったりとか

『メルキオールの惨劇』 平山夢明

自分の息子の首を切ったお母さんにインタビューしに行く話

同じ作者だと『独白するユニバーサル~』もおもろいんだけど、夏だしホラー長編読んで涼もうぜ! 的な

『ワルの恋愛術 ワルな男は3秒で女を虜にする!』 内藤詛人

恋愛指南書という「」からもっとも離れたところにある本だが、

心理学者である著者の語るテクニックは心理学の実験や理論を基にしており

そこいらのホストの書いた本よりも興味深く、真実味にあふれる

また、作者が前もって宣言している通りわかりやすい口調で書かれており

心理学入門書としても楽しめる良著

表紙のメイドさんや挿絵がかわいらしい

博士の愛した数式』 小川洋子

「私の記憶は80分しかもたない」

事故で記憶容量に80分のリミットがついた天才数学者の爺さんと、そのヘルパーの女性、そしてその息子通称ルートが数式によって親密になってゆくお話

数学嫌いの俺でもすらすら読めた

数式が「美しい」ってのを肌で実感できたのは初めてかもしれない

『百頭女』 エルンスト

「あの猿に聞いてごらん――百頭女って誰なの?

教父さまみたいに彼は答えるだろう――百頭女をじっと見つめるだけで、わしにはあれが誰なのか分る。

ところが君が説明を求めるとそれだけで、わしにはその答えが分らなくなってしまうのじゃ。」

『わが友 石頭計算機』 安野光雅

絵本を模して、コンピューターや二進数の原理をわかりやすく説いた本

あちらこちらにジョークをちりばめユーモラスに書かれているが、内容はいたってきっちりとしているので

全く判らない素人にもお勧め

絶版なので図書館を探すこと

銀河旅行』 石原 藤夫

ロケットの基礎原理から化学エンジン原子力エンジン反物質エンジンの各特徴と、なぜ化学エンジンでは銀河旅行が出来ないかなどの、宇宙機に関する基礎的な物理がわかりやすく解説されてる。

ロケットのわかりやすくて基本的な解説書の決定版ともいえるのに絶版だが図書館などで見つかると思う。

涼宮ハルヒの憂鬱』 谷川流

SF要素をふんだんに盛り込んだヒロイン達に振り回される学園もの

一巻は良かったんだ一巻は…

ハーモニー』 伊藤計劃

健康至上主義な近未来の超絶監視社会を舞台に、

倫理とか意識って何なんだって話をつきつめてく話。

シノフサの先輩の人で、こないだ亡くなりました

『ふわふわの泉』 野尻抱介

もしこの世に空気よりも軽い物質があったらどんな風になるかを書いた作品

ぶっちゃけ小説としては2流だけれども科学マインドがあふれてて面白い

インターネットはからっぽの洞窟』 クリフォードストール

ハッカー追跡で突然コンピュータ専門家になってしまった天文学者が

ネットワーク社会の未来について憂う

精霊の守り人』 上橋菜穂子

現代の日本ファンタジー小説では外せないだろう

ゼロからの世界構築でありつつ、どこかで見た(聞いた)ような気がするので決して障害にならない

アニメで見た「」もぜひ読んでほしい

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