2011-03-20

希望の国の震災復興(リバイバル)」は成る

例のニューヨーク・タイムズの寄稿記事の話。

http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html

http://www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17azuma.html

特に接点のない二人の物書きが、揃って「希望(hope)」という言葉を出したのは、決して偶然ではないと思う。

震災後の長引く混乱の中で忘れられかけているが、

震災前の日本は来るべき衰退に怯える臆病な国だった。

という状況は震災前と何も変わっていないし震災によってさらに窮地に追い込まれたとさえ言える。今の状況を放置すれば、この国を待っているのは凋落だけだ。

例えば、震災の一ヶ月前、村上龍自分メールマガジンでこんなことを書いていた。

 わたしはこれまでのような政府批判はもう止めようかと考えたりしています。具体的に何をやるのかわからない政府に対しては、具体的な批判のしようもありません。もともと、政府に頼るのはリスクがあるという考え方で、たとえば『13歳のハローワーク』のような本を作ってきたわけですが、政治家の考えの甘さや、制度の不備を指摘しても何も変わらないという思いがさらに強まりました。新しいニヒリズムが台頭するような気がします。

http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report24_2303.html

現在日本では、「政府には頼らない」という姿勢重要だと思われます。かなり曖昧な質問になってしまいますが、個人が政府に頼らずに生きるために、もっとも必要とされるものは何なのでしょうか。

http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/question_answer658.html

そして、震災後、上記のニューヨーク・タイムズに寄稿された一文。

私が10年前に書いた小説には、中学生国会スピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがありますだが希望けがない」と。(中略)だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。

東浩紀の寄稿文に対して、「大規模災害の後で人心がまとまるのは当たり前だ」という意見があった。しかし、その「人々が一体感を持って危機に立ち向かう」という流れこそ、この「失われた二十年」でついぞ得られなかったものだ。「衰退」という名の危機は、既に我々を飲み込もうとしているというのに。

現在日本が置かれている状況を正確に理解していた二人の物書きが、震災後に人々が見せた反応に対して、そろって「希望」を見出したのは、だから当然と言える。

それは、「被災地復興土建屋が儲かる」とか、そういう近視眼的な話ではない。『「震災」と「衰退」に立ち向かう』という共通の目標の下に、既存の様々な制度産業構造を再編成し、この国の未来を作る。それを成す機会が、ようやく訪れたのだ。

しかし、この「希望」は、翻せば「最後の機会」でもある。この機会を逃せば、この国には本格的に後が無い。これらの論文が、国内紙ではなくNYTに掲載されたということも、個人的には気がかりなのだが。。

  • 一体感を呼びかけようとすると「同調圧力だ、全体主義だ、村社会だ」と言って非難する。 好きにさせると「無責任だ」と非難する。 そういう国です。 この国で人間がまとまるな...

    • よその国見てきたみたいなことをw 外国から見たら日本は気色悪いぐらいにまとまった全体主義国家だよ 日本がまとまり悪いならまとまり良い国ってのはどこだね 北朝鮮か

      • ほらね。 さあどうぞ僕を村八分にしてコミュニティの質を上げてください。 僕は底辺に這い蹲る力もなく淘汰されるでしょう。 しかしそれはコミュニティの質の向上に貢献したとい...

  • 毎日大変だ

  • もちろん今は試される時だと思う。 でも、今を乗り切ったとして、さらに試される時が遠くないうちにやってくる。 その正念場は今から数年後だと思うんだ。 今後の日本経済の行く末...

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