という刷り込みか思い込みかはわからないけれど
とにかくそういうモットーの元、生きてきた。
「にげない自分」が生きる上での灯火になった。
だからできる事、やりたい事を追求するのではなく(それはできて当たり前なので)、
周りと比べてできていない事を少しでもなくしていくことに精力をそそぐ。
そして大学生くらいになると今度はむしろできない事、不得意な事を探し出し
それを努力で克服する事が一番の関心事になっていた。
「あえてにげたくなる状況でにげない自分」が生きる上での灯火になった。
もちろん努力やテクニックによりできない事がすこしでもなくなる事に
満足感を得る事はできた。
なにより大きいのは得意な事をすることに対し軽蔑のまなざしを自然に持つようになってきていた。
「努力至上主義」
今、家族を持って、仕事、つまり食い扶持を稼ぐ事が求められ出した。
こうなった時にこれまでのできない事を克服する路線では
では、できる事を伸ばせる方向の職に就くのか?
今の自分ではなかなか一歩が踏み出せない。
そもそもできる事ってなんだよ?
できない事の反対ができる事だろ?
ふと今考えるとできない事はたくさんあるけど
できる事ってはっきりとわからない。
つまりできる事なんてほんとはほとんどなかったのではないだろうか?
そんな不安で胸が押しつぶされそうになる日々を生きている。
串打ち三年裂き八年火鉢一生
「ワタミ」の社長が同じようなこと言ってた 「できないじゃないんですよ、できないという前にやらせる。できるまでやらせる。そうしたらできるだろう。できないことなんてない」 み...