はてなキーワード: 村上龍とは
「ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊」シリーズの外伝的ネタ
『夢渓筆談』 沈活
宋代中国に書かれた古代中国科学史を研究する上での必読書だけど
今俺たちが読めば民明書房気分を味わえる名著だし仲間に入れてくれよ
小学校6年生の病弱な子がすごくよかった
『糞尿大全』 柳内伸作
とにかく世界中および歴史上のありとあらゆる糞尿に関する事柄をまとめた本
なるほどそんな事がと頷かせながらも
日常においてまったく役に立たない無駄な知識が!!
読んでると
腹が
減る
読書を始めた
あの
頃に
ホモホモしたり百合百合したり、大興奮間違いなし!
つい盛り上がってしまいパンツを脱いでしまったが大後悔!
『ダークライン』 ジョー・R・ランズデール
『ゼーガペイン 忘却の女王』 日下部 匡俊
言わずと知れたゼーガシリーズの外伝
先輩も出るよ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
『ニンギョウがニンギョウ』 西尾維新
あと拳銃は右手で
『ちびっこ吸血鬼はミステリーがお好き』 アンゲラ・ゾンマー・ボーデンブルグ
汚職に直接関与する事件のみならず副次的な殺人すら隠蔽せねばならぬことにうんざりした
アレクサンダー・マッケイはなんとか政治的な判断を相手に促しつつも事件の過熱化を防ぐために奔走するが
関係者よりも力を持つ上院議員とのコネを繋いだところでマッケイは殺害される
『異常の門』 柴田錬三郎
例によって「夢殿ウタタ」という名前に一癖ある主人公が、エロゲ展開とシリアス路線を並行して、物語の謎を解きあかしていく
主人公を助ける強力な右腕、ルートから外れたヒロインのひどい始末、クライマックスの盛り上がりという、シバレン小説の醍醐味が一冊で味わえるのでおすすめだ
『死ぬことと見つけたり』 隆 慶一郎
厨侍が厨性能で唯我独尊状態
娘の黒髪おっぱいは必読
1ページ目からやっぱり常人とは違うと思い知らされる
独特の人生観が貫かれてる傑作
『永遠も半ばを過ぎて』 中島らも
-永遠も半ばを過ぎた。わたしとリーは丘の上にいて、鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた-
(書評1)異性との交際、学問への精進、肉体の鍛錬、
そんなものとは無縁な大学三回生の物語
まるで「」の活躍(?)を見るようだった
(書評2)来るべきハッピーエンドを目指したいけどそんなのは軟派だと世を拗ねてみるけどやっぱりなんとかしたい、という
まさに大学生「」というべき男が主人公
一緒に「夜は短し歩けよ乙女」も読むと幸せになる気もする
いもげの100冊がいもげの1冊になり兼ねない恐怖の書
急に読みたくなった
冴えないおっさんが若い女性に誑かされたりするよ!
(書評1)エロ面白い
(書評2)それ近くの図書館で高校の時に見つけてな…… 何度か借りて一年くらい使えた
二巻、三巻は男の子も多くて実に「」向きだよ
『神秘の島~ミステリアスアイランド~』 J・ヴェルヌ
ほぼ何もない状態での無人島サバイバル
海底二万マイルと実は繋がってる
『肖像画、馬車』ゴーゴリ/平井肇訳
神絵師になれるかもしれない才能を持った若き絵師「」が
悪魔のような肖像画に出会ったために破滅の淵へ追いやられる「肖像画」
のどかな農村で繰り広げられるホラ話と、それによって大恥をかく「」ちゃんが出てくる「馬車」の二編を収録
神絵師を志してる「」ちゃんは、「肖像画」の方だけでも読んでおくいいんよ
『ショスタコーヴィチの証言』 S・ヴォルコフ
長年真贋が論議されてきたが今ではほぼ偽書ということで確定している
ただ全部が嘘じゃなくて半分くらいは真実じゃないかというのが現在の評価
スターリン支配下にあったソ連の芸術家がどういう立場にあったかが分かる
あとアネクドートとかそういうので面白い
『私の一世紀』 ギュンター・グラス
20世紀百年、それぞれ一年につき一編の短編が収められた連作短編集と長編の間の何か
WW1を振り返る五年間がレマルクとユンガーの架空対談に費やされているという時点で
ドイツスキッヒにはたまらないだろう
『キッチン』 よしもとばなな
名前は聞いたことあるけど、あまり「」が読まない本だと思う
だけど地味に面白い
今でも通用する小説だと思う
自分の趣味に没頭する話
400ページくらいの本編に脚注が400くらいある
『かえるくん、東京を救う』 村上春樹
かえるくんいいなあ
いいなあかえるくん
白痴の人妻と「」がキャッキャウフフするお話
孔子は詐欺師ぺてん師パラノイアであることを文献引きまくって描く
呉智英推薦
『りかさん』 梨木香歩
WW2後イタリアの田舎で友達の妹とキャッキャウフフする物語
自殺した中学生の肉体に、天使が記憶喪失の魂を入れ直して第二の人生を生き直させるお話
キャッキャウフフあり、青臭い中学ドラマあり、少年の心を忘れない「」にお勧め
オチのカタルシスは語りつくせないのでぜひ一読を
『ガルガンチュワ物語』 ラブレー
世界一お下劣な文学と名高い
ケツの拭き方が24通りも載っているのでメルターの「」には必携の書
もう60近い年齢の方がメイドさんの小説を書いてると思うと時代ってのはすごいなと感じる
途中からエロ小説 とってもライトな読み味でいい
前者は20世紀における数学大事件の一つであるフェルマーの最終定理の証明を、数学の歴史に沿って、数学が苦手な人にも分かるように説明された良書
後者は楔形文字からエニグマから量子コンピュータまでの暗号と数学と人の歴史をこれまた専門外の人でも楽しめるように書かれた良書
「本当は怖いグリム童話」を怖いところを薄味にしてラノベに仕上げたような作品集
作者は流血とかが苦手らしいのでそういうのはぼやかした表現とかカットとかしてある
『楽園の知恵』 牧野修
お気に入りは「逃げゆく物語の話」
人型の物語再生機の面々が当局による弾圧から逃れようとするお話でせつない結末が待ってる
『シグナルとシグナレス』 宮澤賢治
鉄道本線の信号機シグナルと、軽便鉄道の信号機シグナレスの恋物語
鉄道の信号機の擬人化恋愛モノというまさに「」風の尖ったセンスに脱帽すること間違いなし
「ピタゴラス派の天球運行の楷音です」って台詞が大好き
『バルタザールの遍歴』 佐藤亜紀
それくらいハズレなし
男の子同士の友情を、少年サイドと中年サイドから迫った「飛ぶ教室」は人気が高いね
エーミールも好きだが、続きのないこちらを推そう
魔性の女に会ってにんとかかんともならなくなる話
人がいっぱい死ぬ
カルト専門ジャーナリストが幸福の科学の本を読んでたら突然偉人が乗り移ってきて…
大川隆法の著作をパロって
大川が偉人が乗り移っていったと書いている内容を著者に乗り移った偉人が批判する
タイムリーな本なのに絶版
『寄生虫実話』
自分の息子の首を切ったお母さんにインタビューしに行く話
『ワルの恋愛術 ワルな男は3秒で女を虜にする!』 内藤詛人
恋愛指南書という「」からもっとも離れたところにある本だが、
心理学者である著者の語るテクニックは心理学の実験や理論を基にしており
そこいらのホストの書いた本よりも興味深く、真実味にあふれる
また、作者が前もって宣言している通りわかりやすい口調で書かれており
心理学入門書としても楽しめる良著
表紙のメイドさんや挿絵がかわいらしい
「私の記憶は80分しかもたない」
事故で記憶容量に80分のリミットがついた天才数学者の爺さんと、そのヘルパーの女性、そしてその息子通称ルートが数式によって親密になってゆくお話
数学嫌いの俺でもすらすら読めた
数式が「美しい」ってのを肌で実感できたのは初めてかもしれない
『百頭女』 エルンスト
「あの猿に聞いてごらん――百頭女って誰なの?
教父さまみたいに彼は答えるだろう――百頭女をじっと見つめるだけで、わしにはあれが誰なのか分る。
ところが君が説明を求めるとそれだけで、わしにはその答えが分らなくなってしまうのじゃ。」
絵本を模して、コンピューターや二進数の原理をわかりやすく説いた本
あちらこちらにジョークをちりばめユーモラスに書かれているが、内容はいたってきっちりとしているので
全く判らない素人にもお勧め
絶版なので図書館を探すこと
『銀河旅行』 石原 藤夫
ロケットの基礎原理から化学エンジン、原子力エンジン、反物質エンジンの各特徴と、なぜ化学エンジンでは銀河旅行が出来ないかなどの、宇宙機に関する基礎的な物理がわかりやすく解説されてる。
SF要素をふんだんに盛り込んだヒロイン達に振り回される学園もの
一巻は良かったんだ一巻は…
倫理とか意識って何なんだって話をつきつめてく話。
シノフサの先輩の人で、こないだ亡くなりました
『ふわふわの泉』 野尻抱介
ゼロからの世界構築でありつつ、どこかで見た(聞いた)ような気がするので決して障害にならない
アニメで見た「」もぜひ読んでほしい
1.「限りなく透明に近いブルー」 村上龍
5.「国のない男」 カート・ヴォネガット
7.「夢渓筆談」 沈活
8.「神は妄想である―宗教との決別」 リチャード・ドーキンス
11.「冬の夜ひとりの旅人が」 イタロ・カルヴィーノ
12.「高い城の男」 フィリップ・K・ディック
13.「しあわせの理由」 グレッグ・イーガン
16.「きつねものがたり」 ヨセフ・ラダ
20.「フェルマータ」 ニコルソン・ベイカー
21.「四十七人目の男」 S・ハンター
22.「逆転世界」 クリストファー・プリースト
24.「謎の女」 福田恆存
28.「神秘の島~ミステリアスアイランド~」 J・ヴェルヌ
29.「連射王」 川上稔
34.「ほとんど無害」 ダグラス・アダムス
35.「黄落」 佐江 衆一
38.「リレイヤーⅢ」 鴻上 尚史
39.「糞尿大全」 柳内伸作
40.「十六の話」 司馬遼太郎
45.「穴」 ルイス・サッカー
46.「宇宙の戦士」 ロバート・A・ハインライン
47.「ギャシュリークラムのちびっ子たち」 エドワード・ゴーリー
50.「伊平次とわらわ」 坂田靖子
51.「食肉の帝王―巨富をつかんだ男 浅田満」 溝口敦
52.「だれも知らない小さな国」 佐藤さとる
55.「楽園の知恵」 牧野修
56.「鳩どもの家」 中上健次
57.「古事記」 倉野憲司
60.「魔獣戦士ルナ・ヴァルガー」 秋津透
66.「モルグ街の殺人」 エドガー・アラン・ポー
67.「世界の中心で、愛をさけぶ」 片山恭一
69.「百頭女」 M・エルンスト
74.「不可能性の時代」 大澤真幸
79.「他人をほめる人、けなす人」 フランチェスコ・アルベローニ
80.「星虫」 岩本隆雄
83.「おとなもブルブルようかい話」 木暮正夫
84.「ヨーロッパ文学講義」 ウラジミール・ナボコフ
85.「サマー/タイム/トラベラー」 新城カズマ
87.「死の蔵書」 ジョン・ダニング
88.「死のロングウォーク」 リチャード・バックマン
91.「フロイト先生のウソ」 ロルフ・ゲーデン
92.「ライ麦畑でつかまえて」 J・D・サリンジャー/野崎孝訳
94.「針の上で天使は何人踊れるか」 ダレン・オルドリッジ
95.「歴史」(上・中・下) ヘロドトス
97.「愛はさだめ、さだめは死」 ジェイムズ・ディプトリー・ジュニア
98.「幾千の夜を越えて」 神月摩由璃
100.「アルジャーノンに花束を」 ダニエル・キイス
色々、本を読んだり、試したりしているが、難しい。
今までやってきた方法論と考え方をある程度、整理するために、自分の考えを書きながらまとめていこうと思う。
議論はしたくないが(ハイ、チキンです)、ご意見をいただけると嬉しい。
正直、純文学は俺自身よく分かっていないので、エンタメ小説の話という事を前提に読んでいただければ、と思う。
まず、物語のパターンに対する有名な言説として、『村上龍の「穴に落ちた主人公が、穴から這い上がる」「 穴に落ちた主人公が、穴の中で野たれ死ぬ」の2つしかない』というのがある。おそらく、これはエンタメ小説の基本形だと思う。「そもそも穴はどうしてできたのか?」「主人公は本当に穴の中にいるのか?」「そもそも主人公はなぜ主人公なのか?」のようなことを延々と逡巡するのが純文学かも知れない(純文学は読まないので、間違っていたらごめんなさい)。純文学は、(面白い/鋭い/ビビットな/より本質的な)問題提起自体が重要であって、それを読者に考えさせることが主題である……様な気がする。ただ、純文学の作者にせよ、物語の基本を踏まえたうえで、あえて外すからサマになるのであろう、とは思うが。
話を元に戻すと、エンタメ小説の基本を俺なりにさらに単純化させると、「主人公が問題を解決するか/しないか」であると思う(以前、増田の「5分で物語を作れるにようになるコツ(p://anond.hatelabo.jp/20091002081424)」が話題になっていたが、この増田の考え方はそれほど間違っていないと思う)。ただし、エンタメ小説は、エンターテイメントである以上、読者を楽しませなければいけない。問題が解決するにせよ、しないにせよ、きちんと納得の行くオチにすべきであろう。そうしないと、読者は満足感を得られないだろうし、満足度が低い店に行かなくなるように、ファンもまた離れていくと思う。
もちろん、将来のファン離れを心配する前に、やる事があるのではないのか?というのはごもっともな意見だと思うが、やはり、自分でも読んでいて面白い物語を書きたいし、途中まで書いていて、自分でも面白くないなあ、と思った事がたびたびあるのでその辺を考えていきたい。
では、面白さとは何か、という話になる訳だが、「主人公が問題を解決するか/しないか」に絞って下に挙げてみよう。
(1)基本的に、読者は「主人公が問題を解決するか/しないか」分からないから、ハラハラドキドキする。サスペンス性(→suspense 不安感。特に、映画や小説などで、観客や読者が危機的な場面にはらはらする感情)。あるいは、大抵のエンタメ小説の場合、「主人公が問題を解決してしまう(読者も基本的には楽しむために読むので、ハッピーエンドも望んでいるはず)」ので、どのように解決するのかという点が重要。
(2)問題設定の面白さ(舞台設定/キャラクター設定/問題の大きさと主人公の能力のバランスなど)。”奇(変わっている事)”であり、”妙(巧妙さ。全体のバランスも含めた緻密な設定)”なほど、評価が高いのではないか?ジャンルがSFやミステリの場合、いかに凝った問題設定と解法を用意するかがキモになると思われる。ただし、あまりにもぶっ飛びすぎていると、読者が感情移入できなくなる問題も発生するような。
(3)間口の広い感情移入の仕組み。感情移入できない主人公の小説というのは、エンタメ小説の”てい”をなしていないのではないだろうか。主人公に感情移入出来なければ、他人事と捉えられてしまい、熱中して読んでもらえなくなる。想定している読者になんらかの”共感”を持たせるような主人公を用意すべきではないだろうか?(例えば、何らかのコンプレックスを持たせる)
(4)展開のドラマチック性。(1)の”サスペンス性”にもつながってくる話だが、「読者が想定している期待度を超えるという意味で、予想を裏切る」展開が重要になるのではないか。展開が二転三転して、劇的な勝利(問題解決)をするというのが理想かも知れない。もちろん、より読者にドラマにのめり込んでもらうためには、(3)の”間口の広い感情移入の仕組み”が必要でないかと思われる。
つまり、教養小説(ビルドゥングスロマン)的側面。通過儀礼(イニシエーション)としての小説。これこれこういう理由で、彼は”強く””大人に”なったのさ、というお話としてのエンタメ小説。
また、面白さとは何か、を追求していくと、以下のような視点も考えられはしないだろうか?
(1)読者の想像力を喚起させる事
例えば、文章レベルで言えば、情景が浮かんでくること。読者に、痛み/恥ずかしさ/快感などの感覚を想起させ、リアリティを持って受け止めさせ、疑似体験させる事。”体験的なもの”として、読者に受け取ってもらえるか。文脈レベルで言えば、展開の読めない”不安”感、手に汗を握る”緊張”感、問題解決による”達成”感などを過去の展開の蓄積により実現しているか?
(2)読者の欲望を刺激する事
例えば、女の子の描画。ポルノでも萌えでも女の子のかわいらしさをどういう風に表現し、読者の想像力を喚起させるか。あるいは、食べ物の描画。うまそうな食べ物をうまそうに(文章で)描画できるか。カッコイ戦闘機をどう格好良く(文章で)描画できるか。外には、ファッションなど。粋なファッションを粋に表現できるか。読者が関心がある事柄に対して、いかに”幻想”を抱かせ、”欲望”を感じさせるか、という点。
(3)教養としての側面
さりげなく、”うんちく”を混ぜる。例えば、中世ファンタジー物だったら、朝食は貴族しか取れなかった事を説明しながら、朝食を要求する元貴族の商人の心理を読者に想像させるなど(ライトノベル「狼と香辛料」にそんなネタがあったはず)。個人的には、少々苦手。資料用に読んだ本で気に入った設定はメモっておくなどしているのだろうか?
(4)虚構と現実の境界性
例えば、伝奇ものの面白さ。現実の実在の人物(や場所?)がファンタジーで出てくるというハイブリット感。あるいは、2chのどこまでネタか分からない感というか。
(5)比喩表現の面白さ
暗喩と直喩。村上春樹は独特の比喩表現で有名になった訳だが。(1)の”読者の想像力を喚起させる事”や(2)の”読者の欲望を刺激する事”に密接に関わってくる。例えば、「彼女の組んだ腕の上には双丘が気持ちよさそうに並んでいる」の様な表現などはどうだろうか。
(6)気の利いた会話
最近流行りの会話劇だが、コントや漫才、ネット上のやりとりなど、トレンドの文脈をある程度押さえつつも(気に入ったネタはストックしておくべきか)、表面だけの真似に留まらないために、自分の言葉による体験的要素も問われるのではないか。
(7)説得力のある説教
ガンダムの富野氏の説教くらいに説得力がありつつ、面白い説教するためには、独自の価値観を持っている必要がある。大抵の人は人生経験を積めば、それなりの一言を持っているはず。一人の人間としての成熟性が問われる、のかも知れない。
(8)笑いの要素
ギャグ/ユーモア/パロディ/言葉遊びなど。個人的に苦手な要素である。自分の場合は、どうも野暮ったくなってしまう。センスや基礎教養が問われるからかも知れない。とにかく面白いと思う話を大量に読み、小話を書いたりして、自分にあったやり方を発見するしかないのではないか。自分の場合は、実にどうでも良い事を真剣に議論していく話がウケが良いようだ。
(9)恐怖の要素
笑いと恐怖は近いものがある、と言われている。(8)の”笑いの要素”がうまく書ける人は、恐怖もうまく書けるのではないか。これも個人的には苦手な要素だ。ホラー映画も苦手だし。単に読者のトラウマを刺激しても、嫌われるだけだろうし……。ただ、最近のトレンドにはこの要素が絡んでくる作品も多いのではないか。また、サスペンス性を上げるという面でも重要な要素であろう(ジェットコースターのようなスリルと快感の関係というか)。それから、演出技法としては(1)の”読者の想像力を喚起させる事”と関連性が高いと思う。スティーブン・キングなどを読んで勉強すべきかも。
(10)恋愛的な要素
いわゆる一つの萌え要素、と言う訳でもないが(ほら、スベった)、自分の中にある理想のヒロイン像を具現化して駆け引きを思考実験するという意味では、裸になって踊るようなものだと思う。慣れれば快感になるのかも知れない。ただ、個人的には最近、食傷気味。
(11)バイオレンス
闘争本能を刺激する要素。”読者の想像力を喚起”させ、重みのあるリアリティとして受け取ってもらえないと、単なる茶番になるような気がする。
……ひたすら要素を羅列してきたが、要するに、”読者の感情や価値観を揺さぶる”という点が重要なのかも知れない、と思った。
(文字による心理操作によって衝撃を与える、という意味では、詐欺師に近いものがあるというか。嘘をつくのがうまい人間がお話を作るのが上手、というのも頷ける。本来、エンターテイナーというのはそういうものなのかも知れないが。ヤクザな業界というか。現在最強の任天堂さえ。というか、任天堂こそが勝つべくして勝っている”名博打打ち”なのではないか。そもそも、経営という概念自体が(ry)
あと、話題になっている、うまい=面白いでない、という件について。
テクニックは描いた量に比例する(作品の)魅力は考えた量に比例する
物語の中だるみについて。
途中からなんだか間延びしている、なんだか乗れない、と感じたとき、物語の推進力が低下している。
主人公を追い込んだり、障害を増幅したりして、推進力を高める必要がある。すなわち障害やクリア条件を上げていくのである。
主人公は最後のゴールに簡単に到達してはいけない。ハードルが最初よりも下がってはいけない。敵が最初よりも弱くなってはいけない。
考えてみれば、続刊の出ない、あの小説やあの小説も、すでに、主人公を危機に陥れる「強い敵(難しい問題)」が取り除かれてしまったのではないか。あとは、シミュレーションゲームの終盤局面のように力押しで何とかなる状態というか。主人公がリアルに死ぬ/臨死体験するくらいの危機が常にある状態で、最後の最後で、”おおかた”の問題が片付くのが理想かも知れない。
文章力の磨き方。
基本かも知れないが、自分の好きな作家の文章を写す(タイプする)。良さが理解できない作家の文章を写しても多分、意味は無いと思う。文章を写すだけのヒマがない場合は、ラインを引きながら読むだけでも違うような気がした。逆に思ったのだが、好きな作家の文章をラインを引きながら読んでいると、作者の認識力の限界を見切る事がたまにある(例えば、そもそもの問題設定の矛盾とか、作者のルーツ(根源)はどこにあるとか)。その辺が大切なのではないか。また、好きな作家は最低二回読むべきかも知れない。
(Webより引用)
正しく見るためには二度見よ。
美しく見るためには一度しか見るな。
実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。
例えば医者コントってテーマを決めたら、オーソドックスな医者コントを、だーっと全部考える。
それだけでも充分おもしろいっていうネタにしておきつつ、更に松本がやった作業って言うのは、 部分部分で、どれだけ予想できる笑いを裏切るかって作業。確かにこれでもおもしろいけど、ここはこうやったらもっとおもしろい、こうやったらもっと裏切ってる…そういうのを延々繰り返していって、どれが一番ベストな裏切りかなぁってことを積み上げて、ネタを磨き上げていくんだって。
例えば、小説の創作手法にシミュレーション的手法を取り入れるということなのかも知れない。つまり、何回も思考実験を繰り返して、ドラマチックな展開のものだけを商品化する、という考え方。確かに、小説は元々、思考実験的な物を含んでいると思う。
その他。
「最初からフルスクラッチすると、効率が悪すぎる(1から作るのは大変であり、ベーマガのプログラムを改造しながらプログラミングを覚えていったように、まず改造する)」「問題を小さく切り刻む」「リファクタリング」的な要素を考えると、二次創作のSSをとにかく大量に書き、慣れてきたら、規模を増大させていく、徐々に設定も作り込んでいく、の様な方向になるのではないか。
まだよく分かっていない事。
あかほりさとるの新書に、「見たいシーンを書け」と書いてあったが、全く別のWeb上の指摘で、「最近のドラマは、脚本家が見たいシーンだけ繋げていった感じで、物語的な山場や整合性が軽視されているのではないか?」のようなものがあった。その辺の解決法。
文章の勉強以外であまり再読をした事がないので、よく分からない。
何かを創り出そうというタイプの人間には多かれ少なかれ、精神的な「欠損」があります。
その欠損を埋めようとするところから、何かをクリエイトしたいという欲望や欲求が生まれてくることが多いのです。
もちろんそれだけじゃないけど、そういうケースはしばしば見受けられます。
問題はその欠損をどこまで「普遍的なもの」にまで高めていけるかということだと思うんです。
中にはその欠損の欠損性にいつまでも拘泥しているという人もいます。
それでは本当の芸術にはなりませんよね。そのためには、人はもっと広く世界を見なくてはなりません。
人生は長期戦ですから、ゆっくりとしっかり息をしながら、前に進んでいってください。
まとまらないけど、以上。
補足。
(1)確かに、とりあえず、稚拙でも一作書き上げるという考えもありかも知れない。試してみるか……。
(2)色々本の紹介、ありがとうございます。
(3)Webからの引用元を書かないのに、他意はありません。面白いと思った文章は個人的にスクラップしているのですが(ローカルのメモ帳にコピペするだけ、のようなもの)、URLまでは保存していませんでした。申し訳ないです。
(4)確かに、あるパターンの繰り返しや場面転換の組み合わせというのは、あまり考えた事がなかったですね。なるほど。……少し見通しが立った感じです。ミクロレベルとマクロレベルの視点を重視しすぎて、中規模レベルのパターン認識がうまくいっていなかったようです。皆さん、ご意見ありがとうございました。(さらに追記すると、これは上に書いたあかほりさとるの新書の話にも繋がってきますね。それなりに問題意識を持っていたけれど、もう一押し足りませんでしたね>自分)
普段は日記ぽいのは書かないのですが、事情があって今日は雑感のようなものを。
前のエントリーを書いてから気付いたのですが、ひとつ前のエントリーがブログを書いた日数として記念すべき(?)100日目ののエントリーだったようです。
100日目なのでお祝いのコメントがいただけると思うほどには図々しくないのですが、まさか「閉鎖しろ、さもなくば死ね」というようなコメントを頂戴するとは思っていなかっただけに涙がちょちょぎれそうです。
頂いたコメントは次のようなものでした:
THIS DIARY SUCKS.
EVERY SINGLE ENTRY HAS NO VALUE TO READ.
STOP READING THESE USELESS SCRAPS AND DO WHAT YOU REALLY NEED TO DO.
ここまではまあいいんです。「つまんないから読まない方が良い」と言っているだけなので。そして「読む価値があるか」と問われれば、まあ「価値」なんてないんだろうなとしか言いようがないので、次のようなコメントをお返ししました。
I absolutely agree with you.↑
すると、また次のようなコメントがきました:
THEN STOP UPLOADING SHITS. STOP FEEDING SHITS FOR THOSE BITCHES AROUND YOUR ASSHOLE. STOP POLLUTING THE PUBLIC.
YOU HAVE YOUR FREEDOM TO MAKE YOUR FUCKING KIDS MAD BUT DO NOT SPRINKLE YOUR SHITS AROUND ANY MORE.
I WARN YOU. SHUT DOWN YOUR WEBSITE OR KILL YOURSELF, BUSTARD.
ブログをやってるとこんなの当たり前なのでしょうか。「I warn you.」とか言われると正直怖いです。単なる悪ふざけならいいんですが、それを確認するすべもなく、どう対処すべきか迷っています。取り敢えずコメントは承認制にしました。今後の更新は様子を見ながらということになるのかな。困ったな。
どんよりしたエントリーですんません。
大変残念ですが、このブログを閉鎖することに致しました。ひとつ前のエントリーで書いた件で、私のブログに強い不快感を持っておられるという方とやりとりをしておりました。私としては、なんとか先方も納得いくかたちでブログを継続できないかと模索して参ったわけですが、昨日、先方から再度私のブログにコメントがつき、ご自身ははてなを退会すること、そしてやはり私のブログを閉鎖することを希望する旨が書かれておりました。その文面から私の目からは常軌を逸した怒りが感じられ、このままわたしがブログを継続することで、もし万が一に何かが生じる可能性も否定できないと判断しましたい。脅しに屈するのはなんとも情けないですが、家族や周囲の方々に迷惑をかけるるわけにもいかず、そういう決断に至りました。
私は、特に何かに長けた人間ではありませんが、人を笑わせるのが好きで、実生活での井戸端会議の延長でどうでもいいような下らない話題で、なんとなく緊張から解放され、またそれを読んで下さる方がそういう気持ちになって下さればいいと思ってブログを綴っておりました。ちょっと今出典を調べることができないのですが、私の好きな話で、あるアメリカの著名人(名前を失念しました)が、病に冒され、もう助かる見込みのない状況に至った際に、インタビューを受け、ファンの方へのメッセージを求められ、「もし手編みのセーターをおくってくれるなら、ワンサイズ小さいのを頼む」と言ったという話があります(細かい点は違っているかもしれません)。これは病によってやせ細ってしまった自分をネタにしているわけですが、私はこの話が非常に好きです。苦しい状況においても、笑いに触れることで、暴力の愚かさに気づき、緊張から介抱され、失敗に寛容になり、人々が助け合い、涙を流す人に寄り添い、愛し合い、歌い、踊り、抱きしめ合う。大袈裟ですがそういう理想を描くことがあります。
また、猿の中までも「笑顔」を見せることはあるが、ハチャメチャなことを言ったりやったりして生じる「笑い」というのは人間に固有の活動であるという説を聞いたことがあります。この広い宇宙で笑い声が響くのは、この地球だけなのかもしれない。また宇宙の長い歴史において笑い声kが聞けるようになったのはごく最近のことなのかもしれない。わたしはそういう途方もない想像をし、その奇跡的な状況を慈しみたい思っています。
しかし皮肉なことに、私の活動によって強い怒りが引き起こされ、このような事態に至ったことは本当に情けなく残念な気持ちで一杯です。今回の方以外にもそのような方がいらしたとしたら、それについてはお詫びしたいと思っております。
しかし、一方で、私自身はこのブログを綴った短い期間に、多くの方のユーモア、寛容、誠実、才能に触れることができ、それは一生の宝物になると思っております。個別に御例することができないのは非常に残念ですが、この場をかりて御礼申しあげます。今回の件で励まして下さった方々どうもありがとうございました。皆様から頂いた愛情は、勝手ながら私の実生活の中で周囲の方々に振り分けられたらと思っております。
「笑いに満ちた世界」など夢想に過ぎないのかもしれませんが、比較的最近聞いた言葉で感銘を受けたものを紹介したいと思います。チェ・ゲバラの言葉だそうです(これはJMMというメーリングリストで村上龍さんが紹介されていたと思います)。
もし我々が空想主義だと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。その通りだと
臆病風にふかれて撤退する私にはふさわしくないことは承知しておりますが、私としてはブログ以外の場で「笑いに満ちた世界」の実現に向けて努力していきたいと思っています。今回の件で、私に怒りを向けられた方も、現在苦しい状況に置かれているという印象を受けました。あなたがいち早くその状況から脱し、周囲の人々の信頼を得て人々に笑顔をもたらすような存在になられることを祈っております。またコメントでは伝えられませんでしたが、ご両親が病から回復されることを祈っております。
それでは近日中に、このブログを閉鎖致します(プライベートモードに致します)。皆様本当にありがとうございました。また今回の件でご迷惑をおかけした方々には本当にお詫びの使用もございません。どうか不愉快な事態が生じないことを願っております。
理科離れ、少子化のニュースに触れて、科学の面白さをなんとか伝えれないものか、育児の面白さを何とかお伝えできないかとも思っておりませんでしたが、これについても目標を果たせませんでした。どうぞ同じ気持ちを持つ方々にがんばっていただきたいと思っております。
それでは脈絡のない話になってしまいました。大の大人が情けないですが泣きながら、取り乱した状態でこれを書いておりますのでどうかご容赦下さい。本当に感謝を込めて、愛を込めて最後のエントリーとしたいと思います。さようなら。いつかまた。
日本、大人になる
先週、民主党が、半世紀近くもずっと政権を握っていた自民党を政権から追いやったとき、一部報道機関は革命であると評した。
古い人たちはいなくなり、新鮮な風が吹き込んだ。
でもどうして人々は嬉しそうに見えないのか?
どんな政府あっても彼らの問題を解決してくれないことを、日本人は認識しつつあるからだ。
しかし、これはいいことである。日本はついに成長しているのだ。
メディアは街頭にレポーターを派遣して、新しい政権に何を期待するか聞いている。
人々はマイクに近づき、「景気をよくしてほしい」「社会保障を充実させてほしい」「失業問題を解決して欲しい」などと率直に述べる。
しかし彼らの表情は憂鬱そうで、これらの意見にどこか偽りがあるような感じがする。
昔は、政府が私たちの問題を解決することができた。戦後、日本の成長の大部分は政府主導であった。
国民は、政府が道路や病院を作り、商売を守り雇用を保障することを期待した。
今は、高齢化と年金問題が原因の一端となり、政府には物事を良くするだけの金がない。
自民党内の大勢は、民主党が勝ったわけでないと結論付けた。自民党が負けたのである。
これはレッドソックスがヤンキースに負けたときに、レッドソックスのファンがするひいきと同じである。
自民党が国民に幸福を届けられないことを、未だに理解していない人々がいる。
自民党は、農家、建設会社、中小企業に金をつぎ込むことで、地方有権者の支持を買ってきた。
戦後間もない頃、政治家の主な関心ごとは、コネと水面下の交渉によって企業を自身の選挙区に誘致することのようであった。
彼らは政治家というよりもロビー活動家として機能していたのである。
こんな楽な仕事は他にないだろう。だから彼らは自分の子供に継がせたがるのだ。
豊かなる日々はいつか過去のものとなったが、政府の大盤振る舞いを求める競争は続けられた。
ある選挙区で、政府に高速道路建設の補助金を欲しがる人々がいる一方で、別の人々は病院の建て直しを望む。
悪化する景気動向の中での、ここでの重大な問題は、病院は財政危機にあるということだ。
だが民主党が圧勝したからといって、道路の建設と病院の助成の両方をする金はない。
このような状況で政権が変わって歓喜するほど日本人はうぶではない。
もしくは生活がこれから向上すると信じるほど馬鹿ではない。
日本社会の一つの層が政権交代によって利益を得ると、他の層が損をする。
大企業は減税で救われるかもしれないが、労働者の給料は低迷したままかもしれない。
全てが夢のようにうまくいき、生活水準が上がり続けた時代はもう終わった。もうずっと前に。
今となってはもう金がないのだから、日本国民は厳しい選択をしなければいけない。
心の底では、私たちは皆このことを知っているのである。
だから街頭の人々の憂鬱そうな表情は変わっていないのだ。
しかし、だからといって低迷や衰退の危機にあるわけではない。
私たちはただ、子供が大人になっていくときの憂鬱さを経験しているだけなのだ。
http://www.nytimes.com/2009/09/08/opinion/08murakami.html
はてなブックマーク - 「日本は大人になる憂鬱を味わっているのだ」 村上龍氏が政権交代で米紙に寄稿 - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/election/090909/elc0909090830000-n1.htm
Eric Raymondのオープンソースのソフトウェア開発に関する有名な論文「伽藍とバザール」があるが,ソフトウェアってのは別にコンピュータプログラムに限らないわけで,例えば小説もソフトウェアだ.小説なんかは普通は一人の作家の創造性に大部分依存しているところがある.つまり,上記論文でいうところの「伽藍方式」で制作されている.
一方でLinuxに代表される,大人数で寄ってたかって制作するタイプの「バザール方式」では,意外なほど高品質なソフトウェアができるという経験則がある.これを小説にも応用できないか.
上記論文の解説にもこうある.
伽藍方式は村上龍が自分で村上龍の長編を書く方式、バザール方式は読書参加で村上龍の長編を書く方式。有象無象を集めて村上龍の小説を書かせた方が、村上龍一人が書くよりも優れた小説が書けると村上龍に言うようなものがこの論文。
では実際に優れた小説は書けるのか.バザール方式で書かれた小説はあるか.
もともと,出版の世界では作家の出してきた文章を編集者がチェックするというある種のコラボレーションの結果として成果物の品質が洗練されるところが大きかった.インターネットが出てきた結果,文章を公開するのはとにかく簡単になったが文章を真面目にチェックしてくれる第三者の欠如による品質の劣化は避けられない.
多人数で文章をつくりあげていく例はWikipediaをはじめとして色々あるような気はする(Wikipediaの記事が高品質かどうかは別として・・・).それを小説でやったというサイトやプロジェクトを知っていたら教えていただけないだろうか.
二次創作系の同人作品とかを見ていると,ネタさえあれば人は寄ってきそうではある.こういうのはSSを集積するサイトはあっても設定からして俺設定満載だったりでとにかく統一されていないので一つの作品にはならない.
少なくとも世界観の構築にはバザール方式は向きそうだ.第一に設定は多ければ多いほど良く,皆の思い付きを集積することによって世界観はより深化される.また,大勢が参加することにより設定の矛盾は即座にチェックされ修正される.
最近科学教が怖すぎる。『小学校で誤った進化観が教えられている件について(http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090725/1248484673)』なんてゲームに「進化」ってつけただけで、進化のイメージを間違って伝えるとして叩かれてる。増田でも『どうやら、彼女がいるか居ないかは人間性のリトマス紙らしい(http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090725/1248484673)』という記事がリトマス紙の意味を理解していないとして叩かれている(例 http://anond.hatelabo.jp/20090726071149)。確かにどちらも厳密な科学用語としての意味とは多少違う。しかし比喩なので多少の違いが出るのは当然であり、意味が伝わっている以上許容範囲の差だろう。しかし科学教徒にとっては違うようだ。比喩といえども一ミクロンの違いもゆるs、げふん、げぶん。えーと、あー、うーんと比喩といえどもニュアンスの違いはまったく許されないようである。このように科学用語を比喩表現に使うことは科学教徒にとっては科学用語の「誤用」なのである。この「誤用」により科学教徒を怒らせないために、もう科学用語を日常生活で使うべきではない。わかったか!?
「進化ゲーム」はイメージがぜんぜん伝わらないけど「ちょっと複雑なじゃんけんのゲーム」に改名しなきゃ!村上龍氏も「限りなく透明に近いブルー」は「透明」に改題しないと危ないよ!
無趣味のすすめ
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html
話の本筋じゃないんだけど、
が気になってしまった。
これ本当なの?
村上春樹が世に出た頃、
「いくらペンネームでもそれはちょっとまずいんじゃないの」
とか言われたことがあるっていう話を聞いたことがある。
http://anond.hatelabo.jp/20081106233020
への補稿(趣味編)です。あくまでの私が感じる世間の”空気”であり、私自身の嗜好ではないことに御留意ください。
これまで同様、「世間はそんな空気ではないだろう」というような御指摘があればお願いします。
村上龍の『69』には「女にモテたくて左翼を気取ってた」みたいな事が書かれてますね。
全共闘世代が若かった頃は左翼だとモテた。学生運動が盛り上がったのは「モテたい」と言うエネルギーがあったからだろう。左翼はファッションだった。
昔は男性も「嫁にするなら共産主義者が良い」って人が大勢いたらしい。共産主義者の方がしっかり者だと思われていたのでは?
元々サエない人間が右翼になる。非モテをこじらすと右翼になりやすい。
「スイーツ(笑)」なんて言って喜んでるのは恋人のいるスイーツな日々を送った事のない連中でしょう。俺もだが・・・
実は苛めにもルールがありそう。
基本的(あくまで基本)に「独力で解決しないといけない」てのがある。
以前、度重なる喝あげで、結果的に数千万円毟り取られた学生がいた。
村上龍がこの事件を、当時映画を撮っていた中南米で現地の人に言ったら、信じて貰えなかったそうだ。
「数千万円って、数百万円あったら、この国じゃ傭兵を雇えるぜ」まぁ自己防衛の一手段だ。
それ聞いたとき村上は、
「日本じゃ探偵を雇って証拠を固め、一気に解決に持ち込むことは聞かないな。
ニュースなのだからだろうけど、破滅するまで続いてしまうものばかり聞く。
独力でなんとかしないと、という意識に固まってしまっている人は、外部に協力を求めないな」
と書いていました。
教師が動いてくれるかどうかはともかく(動かない理由の大きな物は、自分・身内の恥は公表できない、で、これもも外部に助力を求めない考え方だ)、
卑怯なものとしているのは、苛めている側にも「反撃するなら自分の力、能力でやれ!」って
前提を持っているんでしょう。
日本人に先天的に備わってる思考法なのかな?後天的じゃぁ、ないよね?
あと自分でも未整理だけど、苛めの方法がテレビ番組から影響されているんじゃね?という意見って、
実は「どんな状況に陥っても、笑いに昇華させろ」というルールがあるような気がする。
つまらない芸人はどんどん酷い状況に落ちていくけど、番組中(収録後も?)マジで拒否する人は、
あんまいない。宅八郎くらいか?
2009年3月27日発行 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ JMM [Japan Mail Media] No.524 Extra-Edition2 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://ryumurakami.jmm.co.jp/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■「無趣味のすすめ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ まわりを見ると、趣味が花盛りだ。手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料 理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向け に、また初心者向けに紹介される。趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味は老 人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然に プロを目指すだろう。 老人はいい意味でも悪い意味でも既得権益を持っている。獲得してきた知識や技 術、それに資産や人的ネットワークなどで、彼らは自然にそれらを守ろうとする。だ から自分の世界を意図的に、また無謀に拡大して不慣れな環境や他者と遭遇すること を避ける傾向がある。 わたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画制作も、キューバ音楽のプロ デュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する 「仕事」だ。息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外のリ ゾートのプールサイドで読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とは言 えない。 現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練 されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変 えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものが ない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエク スパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコス トとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在し ている。 つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。 村上龍
元旦の朝日新聞にそんな言葉があって嬉しかったので勝手にコピペしちゃう。
ひとつはチェゲバラの生涯を綴った映画に寄せた、村上龍の短文。
〇チェ・ゲバラの生涯
08年9月のいわゆるリーマン・ショックで始まった世界的経済危機だが、循環的なものではなく、歴史の転換点だとわたしは考えている。金銭的利益だけを優先する企業戦略が破綻したと見るべきで、求められているのは景気回復などではなく、価値の転換であると思う。チェ・ゲバラが、生涯を賭して求めたのは、まさに金銭的利益以外の価値だった。人間の精神の自由と社会の公正さ。シンプルで、そして間違いなくもっとも重要なものだった。社会主義イデオロギーを世界に広めるために戦ったわけではない。イデオロギーはツールに過ぎない。どのような苦境にあっても向上心を忘れず、読み書きできる素晴らしさを仲間に教え、負傷した同志を決して見放すことなく、病気を患った住民を親身になって治療した。喘息の発作を起こしながらもキューバとボリビアのジャングルを行軍するチェ・ゲバラを、この映画は初めて現実化した。それは人類の希望そのものだ。わたしはその姿を、決して忘れることがないだろう。(出典:[JMM]From 村上龍 〜編集長エッセイ〜/村上龍)
もう一つは「学ぶ楽しさ」という特集紙面の表紙にあった谷川俊太郎の詩。
『かすかな光へ』
あかんぼは歯のない口でなめる
やわらかい小さな手でさわる
なめることさわることのうちに
すでに学びがひそんでいて
あかんぼは嬉しそうに笑っている
言葉より先に 文字よりも前に
波立つ心にささやかな何故?が芽ばえる
何故どうしての木は枝葉を茂らせ
花を咲かせ四方八方根をはって
決して枯れずに実りを待つ
つまずきころび泣きわめく
にじむ血に誰のせいでもできぬ痛みに
すでに学びがかくれていて
子どもはけろりと泣きやんでいる
私たちは知りたがる動物だ
たとえ理由は何ひとつなくても
何の役にも立たなくても知りたがり
どこまでも闇を手探りし問いつづけ
かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える
際限ない言葉の列に学んできた
変幻する万象に学んできた
世界とおのが心の限りない広さ深さを
やっぱ本気で言葉書いてる奴は違うな、と。
いじめられている子が親や先生に訴えづらい、“チクリ、イクナイ”という意識がそれを体現してそう。
自力で解決しなくてはいけない→自力ではどうにもならないから黙って収まるのを待つしかない
自力で解決しなくてはいけない→一部の格闘マンガがもてはやされる
など、話しを広げられそう。
あ、あと探偵を雇って虐められている証拠を掴んで合法的に訴えるって発想が日本じゃ少ない。
以前何千万も恐喝されていた事件があったが、村上龍がラテンアメリカの人にその事件を紹介したら、
「それだけのお金をむしり取られていたのなら、こっちじゃ傭兵を雇えて復習できるぞ!日本は違うのか!」
みたいな感じで驚愕されたとか。
インターネットの各所で話題になっている“わたし彼女”ですが、お前ら、なんであの小説があんな文体で書かれているのかわかっていないで書いているとすれば本当の馬鹿だ。まあ、冒頭の文はみんなもう読んでるとおもうから、省略するとして、以下のあとがきの文章をまず読んでくれ。
ここまで読んでくれた皆様に大変感謝いたします。
お疲れ様でございました。
本当にありがとうございます。
書いていて
違う…こんな事書きたい訳じゃない
やっぱりこんなの面白くないなぁと
途中
でも無事に完結出来て本当に嬉しく思いました。
読んでくれた皆様の
コメントくれた皆様の
お陰だと
あたくし本当に思います。
何度お礼を言っても
足りません(;Д;)
本当にありがとうございます。
読みやすいお話を書きたかった
分かりやすいお話を書きたかった
だけど
書いて気付いた
感情伝わってる?
はてしなく不安がつのりました。
だけど、伝わっていないのは自分の力が無いだけで読んでくれる皆様は何にも悪くない!
そぉ思いとにかく一生懸命書かせてもらいました。
行間をつめたりはしたけれども、あとがきの分をそのまま掲載した。これをみてもらって分かると思うけど、この文章は結構普通の文だ。(太字は筆者註)つまりこのことから、あの小説本文の文章は、“意図的に”書かれたものだということが分かると思う。
じゃあ、何故、本文の文章は、あんな風に、意図的に、一行の、文章が、1??3単語で、副詞がなく、5行に、一回、「みたいな?」が、はいるのか。
一部では“携帯電話で見たとき、スクロールしながら読めるように最適化されてる”って言われてるけど、読みにくいだろ?実際。それ本気でいってるの?自分の感覚でいうと、単語単語で切られてる短い文章をぶつ切りで読まされるよりは長い文章にして改行なしに一気に読んだほうが読みやすいとおもってる。試してみたところ、村上龍の昔の小説、コインロッカーベイビーズの時みたいな改行を一切しないで変質的に一つの分で息もつかさないように、一気に読まされる文章のほうが今の話題の携帯小説の文章よりも格段に読みやすかった。試してみるといい。
理由はひとつ。
それは「携帯で小説を読むメインの層の思考のトレースをしたらそうなった」そしてそれはつまり、その“層の思考が2bit”だってこと。
まあ、これを読んでるひともちょっと考えてもらえると分かるんだけれども、脳内でモノを考える時の文章ってあるじゃん。“あれがこうなってこうなって??”とか“今日は○○を処理してそれをするにはまず××と△△に連絡を??”とか。そういう脳内でものを考える時の思考の文章がそもそも携帯小説を読んでいる層では
家に
帰る間
鳴らない
持って歩いた
トモから
連絡が
来るように
だけど
もぉ
夜中
それでも
来るんじゃないかと
少しでも
信じてた
もちろん
くる
ハズ
ないんだけど
っていう脳内思考の単語と、処理速度になってる。いや、マジに。
自分、仕事で、結構若い連中と仕事をすることが多いんだけど、彼らの思考、というか話しかたがこんな感じ。
こっちから説明しても、一回に話す単語が3つを超えると急に処理速度が落ちる。CPUの小さなパソコンで思いアプリを動かしているような感じ。
多分、これが、一番、ストレスなく処理できる文章なんだと思う。