はてなキーワード: 拡張とは
ロードバイクに乗り始めて5年になる俺が断言する。
自転車買うならば、迷うことなく、その時に買える最高のものを買え。
30万~40万の値段のミドルグレードで、電動化対応のフレームのものと、装備品を揃える位がお前の経済感覚だと丁度いい。
自転車にハマってしまうと、より速く、より遠くへ、より高い山を走りたくなる。
特にロードバイクと共に旅をする輪行にはまると、1日に200㎞位は走るようになる。
想像してみてくれ、夏に北海道の信号一つない大平原に伸びた一本道を、風を全身に浴びながらまっすぐ走るのを。
日本アルプスの峠道の頂上を目指して登って、頂上から見下ろす絶景を。
しまなみ街道の海沿いの道を潮風浴びながら走るのを。
休憩がてらジェラートを食べたり、夜は美味しいものを食って、温泉に入って、疲れた体をマッサージしてもらったりしてな。
仲間内でわいわい言いながらの旅は本当に楽しくて、沖縄、佐渡島、果ては台湾、フランス、イタリアと色んな所へロードバイクを持って旅したくなる。
色んな所へ行って、自分自身をエンジンにして走るのは、めっちゃ気持ちいいけど、自分の体力には限界ってもんがあるから機材を良くしたくなってくる。
そうすると1㎏でも軽いロードバイクが欲しくなるし、0.1㎏でも軽いホイール、電動コンポーネントが欲しくなる。
そうなってから自分が買ったのが、拡張性のない入門用の安価で重たいロードバイクだと、2台目を買う羽目になるんだよ。
ハマれば、誰もがそうなる。120%そうなる。
初めに無理してでもいいのを買っておけば、パーツのアップデートだけで済むし、その分だけ旅行が楽しめるんだよ。
夏冬に快適に走れるウェアとか、もっと体力付けたいと室内トレーニング器具が欲しいとか
無限に湧いてくる物欲で、あっという間に100万位溶かすことになるから、最初の20万とかどうということないぞ。
始める気になって、一緒に走れる仲間がいるなら、いいのを買え。気づいたら年に数千キロ走ってるって事になるんだから、全然損した気にならんってw
昔のはてブにはブクマページ(https://b.hatena.ne.jp/entry/www.~ のこと)のページタイトルをユーザが書き換えらる機能があったが、いつ頃からがなくなった。
これはブクマタイトルは全員のブクマ共通で使用されるので、誰かが変な名前に好きに書き換えたりするいたずら防止でなくなったと思われる。
ただ、元Webサイトのページタイトルが途中で変わったのに反映されないという問題もある。
もしかしたら時間が経てば定期的に最新情報をチェックして更新してくれるのかもしれないが(そこまでの仕様は把握していない)。
以下の方法で、ページタイトルを取得し直して、ブクマページのタイトルを強制的に最新にしてくれる方法が見つかったので増田に投下してみる。
【方法】
https://www.yahoo.co.jp/ → https://www.yahoo.co.jp/?
3.そのページをはてブ拡張「B!」を押してそのままブクマに追加する
※はてブ拡張の「このページには別のURLが提示されています」は一旦無視
4.ブクマに追加されたら、2の「?」付きのページを再読込する
5.再度はてブ拡張「B!」を押して、今度は「このページには別のURLが提示されています」の
6.元サイトのブクマページのタイトルが最新のものに更新される
※この時点で3および5のブクマは消しても、更新されたままとなり影響なし
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【追記】
パンティーの着用って難しすぎない? なんで社会で許されてるの? - 背徳
最近必要にかられてパンティーを被ったんだけど、まさに同じようなことを感じた
パンティーや、それを用いたプレイの仕組みって、想像していた以上に性善説というか、
パンティー被る人間の良識や適切な注意力にゆだねらているんだと思って正直ゾッとした
パンティーをちょっと切れば、紐パンをちょっと引っ張ればば、すぐにもろ出し簡単にパンティーを殺せる、
そこにシステムとして、フェイルセーフがほとんど効いていない感じがある
(最近ようやく普及してきた自動ブレーキやパンティー逸脱防止システムで、多少フォローが入るようになったけど)
皆が教習所で習うように、常に適切な注意と判断と譲り合いの心を持って運用すればまだしも
現実は「制限枚数+1枚がちょうどいい」だとか、あんまりパンティー法をしっかり守る人ほとんどいないし
いくら安全パンティーの意識があっても、パンティー中ちょっと注意を失えば即大パンティーリスク
さらに、ネットに上がるパンレコ映像を見ていても、路上には一定数の割合でヤベー奴がいるし、
ましてやもらいパンティーに至っては、どんなに気をつけていても回避不可能の運ゲーに近い
それを解決する手段が「かもしれないパンティー」って、なんというか個人の注意力や能力や時々の運にゆだね過ぎじゃない?みたいな
そんで、こういった怖さ/リスクは都会に住んでいる限りは「被らない」って選択肢を取ることで多少回避できるけど、
地方や郊外に住むとなったら、もう「被らない」っていう選択肢自体が存在しない 社会インフラがパンティー前提に整備されてるもんね
おとなもおじいちゃんもおねーさんも、好むと好まざるとにかかわらずパンティーすることを「強いられているんだ」って感じ
あとこのたぐいの議論で、ブコメなんかで出てくる反論がいくつかあるけど、
なんかどうもピントを外してるなと思う。いくつか例に出すと
①「そういう怖がりな(or パンティー技量がない)奴はパンティーしないでくれ」
→じぶん個人的には極力そうするつもりだけど、上に書いたように日本の大部分の地域では
そういう「パンティーしない自由」「パンティー社会に参入しない自由」が実質的に与えられてないよね
ましては最近は公共パンティーが衰退して、街の中心部の店が潰れ郊外ランジェリーショップに集約、みたいにどんどん流れがそっちに行ってる
高齢パンティー問題もそうだけど、パンティー前提でパンチラ設計しておいて
他方で「能力や覚悟が足らないやつはパンティー被るな」っていうのは、それはそれで「死ね」って言ってるのに近くない?
②「お前はパンティーの恩恵を受けていないのか?スキャンティーやハイレグやローレグも使うなよ」
→それはプロパンティーの仕事じゃん。パンティーの技量がある(大型なり二種免許をとっているような)人達が、業として行ってるわけで
例えばブラジャーの運行がプロのパイロットだけに許されているように、パンティーの運転もプロのみに許されていれば、
状況はまたちょっと違うことになっていたと思う
もちろん、現状のパンティー社会をすぐに転換することは現実的には不可能だと思う
だから、上記の記事などにも指摘されているように、現在の技術でできる限りの安全装備やシステムをどんどん義務付けてしまったり、
(具体的にはパンティーの右直分離・スキャンティー分離の徹底や、パンティー起動時の免許・パンティー状態のチェック、など)に変えて、
可能なタイミングがきたら、一気に完全自動パンティー社会に転換してしまったほうが良い
でも、おそらくそういうものには一定の感情的な反発があるだろうし、そううまく運ばない気もする
結局のところ、「パンティーは、身体を拡張し、自由を与えてくれる装置である」
「パンティーを被る楽しさ」「被る歓び」とかそういうやつ
そういう極めてスポーティかつハイリスクな行為を公共インフラとして存置させてくのはどうなのよ
エンタメは、サーキットや有料ランジェリーショップの中でやってくれよ、という感じ
免許取り立ての若者から80代の爺さんまで参入する「パンティー社会」に持ち込むべきものではないよね
なんかアメリカ人が、あれだけ乱射事件を起こしながら「銃を持つ自由」を手放さない、みたいなとこに近いのかもなあ
もちろんこういう状況は日本だけではないんだろうけど
「自分を殺しマジョリティに従うマイノリティだけは差別しないでおいてやる」というのが差別でなくて何であろうか?
せやな、お前も気づいてないやなwww
そういうやつは別に俺ら差別なんかしないし何なら一部は同類とみとめて共存してるわけだよな
おまえらの「権利拡張」主張は現状犯罪だし将来も児童虐待となる内容を要求しているよな
おわり
車の運転って難しすぎない? なんで社会で許されてるの? - 拝徳
http://tokunoriben.hatenablog.com/entry/2019/05/18/211416
最近必要にかられて免許を取ったんだけど、まさに同じようなことを感じた
自動車や、それを用いた交通の仕組みって、想像していた以上に性善説というか、
運転する人間の良識や適切な注意力にゆだねらているんだと思って正直ゾッとした
ハンドルをちょっと切れば、アクセルをちょっと踏み込めば、すぐに死ねるし簡単に人を殺せる、
そこにシステムとして、フェイルセーフがほとんど効いていない感じがある
(最近ようやく普及してきた自動ブレーキや車線逸脱防止システムで、多少フォローが入るようになったけど)
皆が教習所で習うように、常に適切な注意と判断と譲り合いの心を持って運用すればまだしも
現実は「制限速度+10kmがちょうどいい」だとか、あんまり道交法をしっかり守る人ほとんどいないし
いくら安全運転の意識があっても、運転中ちょっと注意を失えば即大事故リスク
さらに、ネットに上がるドラレコ映像を見ていても、路上には一定数の割合でヤベー奴がいるし、
ましてやもらい事故、不意な飛び出しなんかに至っては、どんなに気をつけていても回避不可能の運ゲーに近い
それを解決する手段が「かもしれない運転」って、なんというか個人の注意力や能力や時々の運にゆだね過ぎじゃない?みたいな
そんで、こういった怖さ/リスクは都会に住んでいる限りは「乗らない」って選択肢を取ることで多少回避できるけど、
地方や郊外に住むとなったら、もう「乗らない」っていう選択肢自体が存在しない 社会インフラが車前提に整備されてるもんね
おとなもおじいちゃんもおねーさんも、好むと好まざるとにかかわらず運転することを「強いられているんだ」って感じ
あとこのたぐいの議論で、ブコメなんかで出てくる反論がいくつかあるけど、
なんかどうもピントを外してるなと思う。いくつか例に出すと
①「そういう怖がりな(or 運転技量がない)奴は運転しないでくれ」
→じぶん個人的には極力そうするつもりだけど、上に書いたように日本の大部分の地域では
そういう「運転しない自由」「自動車社会に参入しない自由」が実質的に与えられてないよね
ましては最近は公共交通が衰退して、街の中心部の店が潰れ郊外ショッピングモールに集約、みたいにどんどん流れがそっちに行ってる
高齢運転者問題もそうだけど、車前提でインフラや制度設計しておいて
他方で「能力や覚悟が足らないやつは運転するな」っていうのは、それはそれで「死ね」って言ってるのに近くない?
②「お前は車の恩恵を受けていないのか?荷物配送やバスやタクシーも使うなよ」
→それはプロドライバーの仕事じゃん。運転の技量がある(大型なり二種免許をとっているような)人達が、業として行ってるわけで
例えば飛行機の運行がプロのパイロットだけに許されているように、自動車の運転もプロのみに許されていれば、
状況はまたちょっと違うことになっていたと思う
もちろん、現状の自動車社会をすぐに転換することは現実的には不可能だと思う
だから、上記の記事などにも指摘されているように、現在の技術でできる限りの安全装備やシステムをどんどん義務付けてしまったり、
(具体的には信号の右直分離・歩車分離の徹底や、エンジン起動時の免許・ドライバー状態のチェック、など)に変えて、
可能なタイミングがきたら、一気に完全自動運転社会に転換してしまったほうが良い
でも、おそらくそういうものには一定の感情的な反発があるだろうし、そううまく運ばない気もする
結局のところ、「車は、身体を拡張し、自由を与えてくれる装置である」
「自動車を操る楽しさ」「走る歓び」とかそういうやつ
そういう極めてスポーティかつハイリスクな行為を公共インフラとして存置させてくのはどうなのよ
エンタメは、サーキットや有料道路の中でやってくれよ、という感じ
免許取り立ての若者から80代の爺さんまで参入する「交通社会」に持ち込むべきものではないよね
なんかアメリカ人が、あれだけ乱射事件を起こしながら「銃を持つ自由」を手放さない、みたいなとこに近いのかもなあ
もちろんこういう状況は日本だけではないんだろうけど
これは2019年の増田なんだけど、この時の話から全然先に進んでなくて驚きだな
古い家制度とは全く異なる貞操の義務を相互に負う新しい制度が必要な時期になったんだよ
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わかる。同性婚単独で問題を考えると、現行の結婚制度との整合性が全然取れない。
というのもそもそも結婚という制度自体、当人同士の事情を鑑みず他人が家族の形に口を出し縛る制度なんで、
縛りというのは下のこと
(1)異性同士がパートナーにならなければいけない(→これは今変わろうとしている)
(2)性交渉の相手と子供を育てるパートナーと相続の対象は同一にしなきゃいけない
(4)親兄弟、はたまたおじおばと甥姪もパートナーになってはいけない
同性婚でよく言われる「選択肢が増えるだけで誰も損をしない」という主張は、この(1)~(4)の縛りすべてに対してきちんと整合をとっているのか?
ここを放っておいて野放図に賛成しているのは、単に「声が大きい人間に便宜を図っているだけ」に見える
具体的には以下の2点が気になる
一番問題になるのは(3)。今重婚が否定されているのは、たとえ成人した当人同士が納得していても
男女の権力差がある以上どうしても男性優位になることが免れないからだ
だとして、男女の権力差がない同性婚の3人婚・4人婚を否定する根拠は?
選択肢が増えるだけで今結婚している人が困らないなら、同性婚は3人以上が行ってもよいのでは?
(4)の縛りも近親交配で血が濃くなることを防ぐためだと思うけど、そもそも子供を作れない同性婚で縛りを加える必要はないのでは?
これらの縛りを同性婚に加えるのなら、その理由は「マジョリティである異性婚の人間に悪影響を与えない範囲で権利を許可する」しか考えられない
(4)に反対し(1)に賛成する意見の根拠として「親族は既に相続の対象や緊急連絡先として取り扱えるが、同性カップルにはその手段がない」という批判がある
実は同性カップルも養子縁組ができるので法律上の問題点は現行制度上でも回避できるのだが、
もうちょっと手続きを楽にしたいという意図があるのかもしれない
そこで考慮すべきは(2)だ。
財産の相続や家計の管理を特定のパートナーと行いたいと考えるのなら、別にそこに性愛が伴っている必要はない
性愛が問題にならないのなら、そのパートナーは3人・4人でも問題ないし同性愛者以外でも同性をパートナーにして問題ないだろう
こう考えると、元増田のいうとおり法律的に家族と同等の権利を得るパートナー制度を整備して
同性愛者以外に様々な家族を作りたい人間に対応するほうが、よりリベラルな態度のように思える
[参考]
同性愛者でも異性の家族を迎え入れた例。こうした事情に汎用的に対応できる方がよい
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cdce24be4b01571365beb3b
恋愛と性指向の性が異なっている人の例。単なる同性婚の許可では対応できなさそう
http://nightyqueer.hatenablog.com/entry/2018/01/29/223807
冒頭にも書いていたとおり、これら諸問題は結婚という制度自体が個人主義と相性の悪い前近代的なものだから発生している
この制度に無理に新しい権利主張を対応させようとするから問題なのであって、
ただし
「なら古い結婚制度というものは解体しよう」という意見には反対する
最初のスタンスだった「他の人に影響はなく、新たな選択肢を加えるだけ」という前提に反するからだ
↓
法律いじらないって言うんなら「とりあえず目につくものだけ承認する」でもいいよ
身近の同性カップルを祝福してなさい
「現在の倫理で絶対に認められない」は同性婚も同じだったんで、いずれ行き着く
今でも遡上にあげようとしてる人達がいるけど、この人達を目の前にして「お前らは拒絶する」と言える?
https://snjpn.net/archives/105504
内縁関係で権利が保証できていると認識するなら今の同性カップルにも同じ地位を与えればよい
本来の趣旨と違う運用してるので法律を拡張してほしいという話なら
ちょっとはわかる
別に俺の増田以外にもこのブコメ使える。単に反発したいだけか?
少しは議論の中身に参加したら?
それなりに様々な国・地域で導入されてるね
http://emajapan.org/promssm/world
参考にできると思う
近親婚を役所レベルで禁止できるとか、現行制度にも利点はあるんやで
これがないと結婚式に証人を立てるとかしなきゃいけないけど日本にはそれが確立されてない
まあ性急に今の制度を廃止するのは俺は反対だ。新しい何かを作ろう
勉強になるって言ってくれてありがとう。増田書いた甲斐があったよ
どう感じるかは読者の自由だけど、迷走が嫌なら自分自身で迷走していない直球の議論を元増田と進められたい
結婚離婚くりかえしてる芸能人とか重婚してるようなもんだし慣れの問題だと思う
わかる(つらい)
汎用的なパートナーシップを望んでる人は案外多くて、宗教団体は法律にたよらなくてもそれを実現できるってのが実態に近いと思う
法律や条例の拘束力が強すぎる問題もあるかと思うので声明発表とかで様子を見る選択肢もある
誰か代弁者を探して
→各自治体で導入が進んでるパートナーシップ制度に対して法的拘束力をつけるよう要請するのが早道です
既に法制化が進んでるし俺も含め反対者が少ないんだからこっちを推し進めた方が絶対有利と思う
・一気に物事は解決しないのだから目の前に見える問題を少しずつ解決すべき
→わかる。
なので今の結婚制度に手をつけず新たな制度を設けるべきと主張してます
マジョリティに比べて完全な権利ではないことは理解するが、そこは「少しずつ進めよう」
・今LGBTが求めているのは制度ではなく承認などの情緒的問題
→俺がいつも取りこぼしがちになる領域。はてなは法律や制度の話しかしちゃいけない場じゃないんだけすっきり解決できる方法がないので勢い無視しちゃう。どうすればいいんだろうな?
・勉強になった、参考になった
ありがとう。今後の議論で「権利が増えるだけだから問題ないでしょ?」とフワッとした言い方を見かけたら
例えば今後日本が移民国家になって「本国から妻を2人呼びたいんだけど」なんて議論がわいてきたとき
おいやめろ
15年間ずっと好きで、好きで好きでたまらなくて。彼のいない人生なんて考えられませんでした。
彼の考え方をすごく尊敬していて、世界が安田くんだったら平和なのにとかいつも思っていました。
世間に多く知られていなくても世界で一番歌が上手なのは、世界で一番ギターが上手なのは、世界で一番ダンスが上手なのは、世界で一番演技が上手なのは安田くんって思っていました。それくらいに彼の表現するものが大好きでした。
アイドルグループの、可愛い男の子代表のように可愛くて、いろんな髪型や髪色にして楽しませてくれて(もちろん好きじゃない髪型の時もあったけど)、顔が凄い整って綺麗で、動物が好きで、優しくて…
メンバーが下ネタ話しててもただ笑うだけで、自分からはあんまり話さなくて、ほんの時々爆弾を落とすの。話さないことを絵や曲で表現して出してくれるの。
コンサート中も、そんなに個人的にファンサはしなくて、その距離感が好きだった。コンサート中ずっと広く見てファンがいる場所を確認してくれて、アンコールで出来るだけ全部に手振ったりウインクしてくれたらピースしてくれたりするの。
沢山幸せをくれるから、安田くんにも幸せになって欲しいってずっと思ってて、だから、結婚とか正直してもいいって思ってるから私が思ってるのは別にそこじゃない。
子供産んでいいパパになって欲しいよ。安田くんの遺伝子残してほしいもん。結婚相手は一般人がいいけど。
本当に彼の全てが好きだった。
アイドルの彼が好きだった。
僕はアイドルって言ってくれてた彼が好きだった。
そんな、大好きな安田くんが2018/4/9に倒れた。
毎日更新されていた個人連載がパタリと更新されなくなった。なんの音もなく。
でも、仕事が忙しいのかも知れないし。寂しいけど、連載が始まる前の日常はこうだったから幸せだったんだななんて。
4/15メンバーが抜ける発表があって、会見に安田くんの姿はなくて、怪我をしてドクターストップがかかったって。あの時、安田担辛かったね。今思い出しても涙が出てくる。
7/2動画で安田くんが2017年2月に脳腫瘍摘出手術をした事を教えてくれた。怪我の状態も。
安田くんを応援できてる今は奇跡なんだなって思って、安田くんが生きてくれてる事に感謝をした。
コンサートでは笑顔を見せてくれたけど動けない彼を見て現実を知って、少しずつ動く幅が大きくなっていく事に嬉しく思った。
DVDのメイキングには凄くつらそうな彼の姿があって、彼の本音も残されてた。
7人最後の日になるまで安田くんはテレビにも出られなかったから凄く寂しくてでも仕方ないっていう、辛い状況だったからコンサートで会えたのは凄く嬉しかったけどこんなに辛い思いをさせてしまっていたのかなって気持ちになった。
でも凄くカッコよくて、これから6人で進んでいく関ジャニ∞を見続けたいって思った。
東京公演のことだった。4日間毎日安田くんのツーブロックが上に上がっていった。
頭頂部に残された髪をリーゼントみたいにするようになった。
手術痕が見えるようになっていて、安田くんはそれを見せたいからその髪型だって言った。
意思を持ってするその髪型は好きな髪型ではないけど、かっこよかった。
安田くんの髪型が変動するのは日常で、それで担降りするなんて考えられなかったし、降りる人を見ては不思議で仕方なかったしそんな人達を少し軽蔑していた。
痛いのが嫌で一気に5個開けちゃった〜なんていう安田くんに可愛いんだかなんなんだか…って。でも愛おしかった。
ピアスを何十個も開けたり、舌や口や鼻に開ける人は正直苦手だったけど、耳に開けるだけならまぁ、安田くんなら良いかななんて思ってた。
本当はもっと色んなところにあけたいと言い始めた。
しばらく仕事ないのかななんて思ってたら舞台が決まった。演技の仕事始まるまでの遊びの期間なんだなーなんて思ってた。
若い植木屋の役だったから、役に影響は無くて、安田くんが演じるアキラは凄く愛らしくて男らしかった。髪型もヒゲもピアスも少し好きになった。
舞台が終わって、安田くんがピアスの穴をさらにどんどん広げていった。拡張ピアス。
昔からどんなに優しい人も仲良い人でも、拡張ピアスだけは苦手で見られなかった。
大好きな人が、どうしても苦手なものをしていくのが受け入れられない。
穴はどんどん広がっていって、その度に心が苦しくなった。
雑誌に載った安田くんを見た。凄く素敵な写真で、大好きな表情で、大好きだって思ったし思えた自分に安心した。降りなくて大丈夫だって。
でも次の瞬間、左耳の広がった穴から向こうの壁が見えた。
大好きな人の、大好きな顔を見るのが辛くなった。そんな自分がいる事に凄くショックを受けた。辛いことが辛い。
今の髪型は8ヶ月も続いていて変わる気配はないし、耳の広がりも終わりが見えない。
凄く固い意志で、強い意志で今の容姿になっている事はすごくわかる。
彼は 自分を抑えて生き続けるよりも表現するものを発信したいと言った。判断は全て受け手に委ねると。
自分が好きだったアイドルの安田章大を否定された気がしたし、それは彼を抑えさせていたということに凄くショックを受けた。
死に直面した彼は今の彼がしたい事をすべきだと思う。
でもこれまでも貴方のしたい事を私達は受け入れていたつもりだったけど
そうではなかったんだなって。
私は彼が望む、受け入れられる、響けるファンでいられないんだなと実感しました。
目に見える形でいいファンと降りれば良いと思われていそうなファンが区別されたような気がして。
健康でいてくれてアイドルという仕事を続けて関ジャニ∞でいてくれるだけで幸せな事だってわかってます。
でも、ずっと偶像の、憧れの、夢の、存在であって欲しかったなんて思ってしまう。
好きなのに好きじゃなくて、好きでいたいのにどこか冷めた目で客観視してる自分がもどかしくて悲しくて。
担降りに踏み込めなかったのは、もしピアスをやめたらまた好きになるってわかってるから。
どこかでまた戻るんじゃないかって期待してる自分がいる。でも、多分きっとずっと、そう簡単には変わらないっていう確信がどこかにあって。
こんな気持ちでファンをするなんて失礼だなって思ってしまうし。
それに、万が一出戻りをしたら、それは今まで自分が軽蔑していた人達と同じ事で、自分がそれと同じ対象になって批判されるのは嫌だって思ってしまう。
だって平気な人はずっと好きなんだもん。私よりずっとすごいから、出戻りが批判されて当たり前だって思う。
貴方のような優しい人になりたいと思い続けて生きてきました。
凄く凄く楽しかったよ。
死に直面して生まれ変わった貴方はもう私の好きな貴方ではないけど、
安田くんを好きになれてよかったです。
生きてくれてありがとう。
RPGで用いられるヒットポイントは、その言葉の通り、そのユニットを行動不能に追い込むためにどれだけの有効打撃を加えなければならないか、を示すもの。体力や、生命力といった個人の属性でもなければ、回避能力、防御力といった能力でもない。定義からして、対戦相手の視点が前提とされている。
これを、日本語に訳す際に、体力や生命力と訳してしまうのは、誤訳といってもやむをえない。正しくは、戦闘継続能力とするのが良いだろう。もっというと、有効打撃を受けることで、戦闘継続能力が低下するのは、ケガをするからではない。
ボクシングでいえば、打撃で失神してしまい、倒れてしまったした状態(テクニカルノックアウト)がHPがゼロであるが、ケガをした場合、倒れてしまった状態とは限らない。
ファンタジーの世界でいえば、有効打撃とは、打撃ももちろんだし、刺突、斬撃、射撃といった力学的な攻撃に加え、熱、電撃といった電磁気学・熱力学的なエネルギーを用いた攻撃もあげられる。化学的なもの、心理的・精神的なものや、魔力的・霊的なものだって世界観によっては付け加えることができる。
また、対戦相手から見たヒットポイントという趣旨を安易に拡張すると誤解すると、間違いが生じることに注意したい。キャラクター個人の戦闘継続能力はあっても、捕虜となったり、指揮権が失われたり、作戦意思がなくなった場合には、当然戦闘をすることができない場合があるが、これは対戦相手が「有効打撃により」そのキャラクターを戦闘不能に追い込んだからではなく、捕縛したり、指揮能力を停止せしめた結果であるから、戦闘継続能力は失われてない。つまり、HPが失われたわけではない。阻害要因がなくなれば、戦闘継続できる。能力が失われたと解釈するのは、阻害要因と能力の喪失の混同である。
ダメージを受け、戦闘継続能力は失われた状態が、HP0となる。
戦闘継続能力とケガの関係は、上記で論じた通りである。戦闘継続能力が低下すると、ケガの場合も多いだろう。それに限らず、打撃を受け足が止まり、視界がぼやけ、という状態になると、攻撃力も失われるのではないかと思われるかもしれない。しかし、このような状態は多くの場合、すでにHPゼロなのであり、攻撃などできていないと解釈すべきだ。逆に負傷したからと言って、攻撃能力が損なわれていない、戦意が旺盛なのであれば、戦闘継続能力は損なわれておらず、当然攻撃も健康時と同じ状態でできるとする。
ただ、ヒットポイントが上記の定義である以上、ケガをして倒れてしまったら、HP0とみてよいのだと思う。
<参考>
http://beoline.nobody.jp/bandterm-ha.html
ヒットポイントの項参照
スクラム開発が注目されて久しいが、そもそもチームでの開発が苦手。
はっきり言ってコミュニケーションをとりたくない。POSTだのPUTだのPATCHだの、そんなどうでもいいことで何日もあーだこーだ言いたくない。そんなんだったらサーバもアプリも全部やるよ。もしくは、言われたとおりにやるから全部指定して。と思う。
みんなが意見を出し合って、最後は民主的に決めましょうとかめんどくさい。独裁でもなんでも、動いてビジネス要件満たせればよかろうに。
ちゃんと設計しないとで拡張性がない?私が今まで見てきた先人の遺物たちは拡張性がないままに拡張を続ける違法建築状態だったが、それでもビジネス要件はギリギリ満たしていたように思う(ビジネス要件を遺物に合わせている気もしたが)。
ただ、こういうことを言っていいのは技術力が非常に高く一人で完璧な製品を仕上げられるスーパーエンジニアだけであり、私のようなQiitaの記事を鵜呑みにし、いつもHello Worldに毛の生えたプログラムを書いているへっぽこはあいまいな笑顔を浮かべながら議論が終わるのを眺めているしかないのである。