はてなキーワード: 懐石料理とは
図書館で読む。
最新作は1年~1月待ち。
逆を言えば、50冊予約して毎週読んでいけばいいだけ。
予約上限が10冊程度なら長期待ちに8枠、短期で2枠ぐらいに分割すればいい。
そもそも10年も経てば直木賞だろうが星雲賞だろうが予約0ばかり。
読み放題だ。
金をかける必要がない。
コロナをテーマにしてる小説だって、質を問わなきゃとっくに図書館に溢れている。
基本無料が山程。
完全無料も色々。
シリーズモノだったら5年おきぐらいに新作の宣伝用に配られる。
そもそも最新であることを諦めればブックオフで500円ぐらいで売っている。
SNSに書き込むために新作に飛びつかないならいくらでも出費は削れる。
いまや新作を買うのはネタバレの投げ合いのためだ。
月1000円も払うととたんに見きれなくなる。
テレビはもういらない。
売ってしまえ。
決定的瞬間なんてものは素人が自力で見ようとしても上手くいかないものだ。
山に登る太陽の光で顔を焼かれたいなら夏の日に自分のベランダで見ればいい。
身近に幸せはある。
現地に行かなきゃ駄目という思い込みがあるだけ。
いらん。
捨てろ。
毒。
捨てろ。
pornhubで十分。
伊之助を見れば分かるが腹筋ローラーとマットとプロテインだけで凡人の求めるレベルの筋肉は育つ。
200円のラーメンの美味さを100として、1000円だして200を味わえる店はほとんどない。
薄く広く金を使うほうが得な世界だ。
味についての見聞を広めようなんてするな。
自分を着飾ることを諦めろ。
服が1着100円とかだぞ100倍安いぞ。
金をかけないと仲良くなれないような相手と付き合っても辛いだけだぞ?
強迫観念に惑わされているだけだと認めろ。
それだけでもう断捨離は終わる
つい先日。
麺に合ったスープを出すラーメン屋が無いと嘆く増田を読んだばかりなんだけど、
とりあえずお勧めのラーメンを注文して、最初にスープだけをひとくち味わうと、これが美味いのなんの。
魚介系なのに透き通っていて、ホタテの風味もあり、スープだけでも飲み干したくなるような味だったのだ。
店主・・・・
よく勉強しはりましたなぁ。。。
この味が出せるとは、もしや懐石料理の心得がおありですかな( ^ω^)・・・
などと心の中でつぶやきながら、おもむろに麺を口にすると、、、
中細のつるつる麺にまるでスープが馴染まない。
麺自体は良い麺を使っているのは間違いないのだが、
たぶん、この店はつぶれると思う。
この話は来日したばかりのころ、先輩の在日中国人たちによく聞いた。
日本食から離れられなくなるなんて?!と、とても信じられなかった覚えがある。
実家で母が作ってくれた家庭料理を、とんでもない速さで一掃した。
姉はそんな私の様子を心配そうに見て、「とても先進国から帰ってきたと思えない、まるでアフリカかどこかの貧しい国から帰って来たようね」と言った。
そのとき私はとくに反論もしなかったが、心の中で「中華料理に飽きるわけがないだろう!」と考えていた。
出張で中国に戻ると、わずか1週間ほどで中華料理に飽きてしまい、日本での食生活が恋しくなる私がいた。
ここで私が言う日本食とは、懐石料理などの類ではなく、ごく庶民的なものだ。
朝飯は駅近くの松屋でソーセージエッグ定食を頼みたい、ミニ豚皿の小鉢を選んで、半熟の目玉焼きと焼きノリを一緒にごはんにかけて、少しショウガをのせて、混ぜて食べたい。
昼は会社近くの定食屋で、「私の定番」魚塩焼き定食を注文する。
春はサワラ、夏はうなぎ、秋は秋刀魚、冬はサバ…もちろん、大根おろしと味噌汁も欠かせない。
こうしてお昼の定食で、四季の変化を素直に味わうことができる。
夜は同僚たちと仕事の話をしながら「とりあえずビール」、そして焼き鳥。
帰りに小腹がすいたら満員電車から降りて、帰宅途中にある古いラーメン屋さんで、ネギのたっぷり入った豚骨ラーメンを1杯。
これは1日よく頑張った自分への最高のご褒美だ。
そんなことを妄想しているうちに、中国出張に同行している日本人の同僚は、マーボー豆腐をご飯にかけ、おいしそうに食べている。
「本場のマーボー豆腐は日本の味と全然違うね!スパイスが効いていて日本人にはちょっと辛いけど、たまらないな!」と言う。
私は、そこまでハルキストでもなんでもないのだが、ツイッターで「村上春樹が文章下手くそ」っていう意見を見るとちょっと驚く。
私はそこまで文学に詳しいわけでないし、文章を書く人間ではないので、文章を書く技術はよく分からない。
だから、(そもそもあまり村上春樹を読んでないのだから当然だが)村上春樹が本当に文章が上手いとか下手くそだとかどっちなのか私には判断できないし、
たぶん小説をあまり読まない分、たぶん読んでも上手いか下手くそかは、分からない。
判断できるのは、「好み」かどうかか。私が好む好まないかは判断できる(と思う)。
技術は分からない。この辺は料理に例えられるんじゃないかと思う。
例えば、料理とかは私はそこまで上手くないが、自分にとって好みの味に作れる。
だけども、どっかの料亭、懐石料理は私は好きじゃない。あの味付けとか具材やら嫌いなものが多い。
でも、じゃあその懐石料理を作る料理人は料理は下手くそか?と言えばそうは思わない。
まず私には作れない(そもそも作ろうとは思わない)。おそらく、懐石料理の勉強をしてしっかり
技術を学ばれて、それで料亭でプロの料理人としてやっているだけなのだろう。
私が「村上春樹の文章が下手くそ」と聞いた時、私が邪推してしまうのが
「村上春樹の文章が好みでない」というのと混同してるんじゃないだろうか?と思うのである。
村上春樹はおそらくプロの物書きだろう。ある程度何かしら、技法やらを学ばれて、研究されているに違いないと思うのである。
果たして、そんな人が「文章が下手くそ」というのがあり得るんだろうか?私はそうは思いにくいのだ。
そうするとおそらくだが、「村上春樹の文章が下手くそ」だって言う人にとって「村上春樹は好みでない」と思っていて、
それを「文書が下手くそだ」と勘違いしているんだろうと思うのである。
もちろん、同じく物書きの勉強して研究して同じくらいのレベルの人が「文章下手くそ」って言うのはありえるかもしれない。
もしくは、他の物書きの小説を沢山読んでいて、その平均的な技術と比較してプロとしての水準じゃないことを「下手くそ」って言ってるのかもしれない
(もちろん、その場合はおそらく、その人が持つプロの水準がイチローレベルに高いのかもしれない)。
ただ、こういう人は、同じプロの物書きか、その辺のことを普段から研究したりしている詳しい研究者やら評論家だろうと私は思う。
有難いことに親の庇護下にあった時代はお金がなくてご飯が食べられないことはなかったし、奨学金を貰って学校に行くこともなかった。そう、衣食住は満たされていたのだ。家に帰れば専業主婦の母がおり、父が働いたお金だけで家族全員が暮らすことができた(バイトはした)。
もちろん周りの友人達の親の中には共働きの人もいたがその理由については特に考えることもなかった。他人の家の経済状況なんて全く興味がないし、考えもしなかったからだ。寧ろ流行りのゲームも買ってもらえない自分の家よりディズニーランドにいつも行っていて、最新ゲーム持っていて、正月夏休みには親戚から万単位のお小遣いを貰っている友人の方がお金持ちだと思っていたくらいだ。私の親に対して大変失礼な考えだ。
初めに違和感を持ったのは私が大学に上がった時だった。奨学金の説明があるため、該当の人は残ってくれ、とアナウンスがあった時多くの人がその場に残っていた。その時点での私の中の常識は学費というものは親が出してくれて当然だったのだ。今思えば非常に傲慢な考えだ。
また、ニュースなどで貧困問題が取り上げられてる際も自分の身近に該当する人がいなかったし、この飽食の時代に食べるものがなくて苦しんでいる人がいるという事実自体どこか夢物語の様だった。
唯一若い人の収入が少なくて生活が苦しい、ということだけが実際に働いて実感を持つことができた。
SNSを見ていると最後まで文章を読まずに感想を書いたり、文章の正しい解釈が出来ていない人が多い。最近話題の漫画を読んだときに作者が「本編のこのキャラのこの行動の理由はこういう事です。」と注釈をつけていた時は絶句した。人の受け取り方は千差万別あるとはいえ特に漫画は読んだ受け取り手が意味がわかる様に描かれていることが多い。さらに作者だけではなく編集者もチェックして他者に伝わることを確認している筈だ。それなのにコミックスで作者が注釈を入れなければならないくらいにキャラの行動の理由がわからないという手紙が届いたということだ。それはつまり読解力のない人間が増えたと捉えることもできるのではないか。読解力がないという事は正しく相手に伝わらないし、伝えられないことに繋がる。それはコミュニケーションが正しく取れないから満たされないことに繋がるのではないか人は喜怒哀楽の中に細かい感情の機微があるはずで、感情表現や、行間が読み取れない事は学だけでなく人としての感情も乏しい事だと私は思う。
冒頭に書いた様に私はオタクだ。二次創作はよく見る。最近の二次創作で疑問に思うのは大食いキャラが食べ方が汚い様に描写されることが多くなったな、という事だ。私個人としては「大食い」と「食べ方が汚い(行儀が悪い)」は全く違うことだと思っている。しかし何故か大食い=食べ方が汚いのイメージが定着しているのだ。作中でキャラクターの育ちがいい描写をされていても何故か二次創作では飢えた獣の様な食事方法をさせられているのだ。よくオタクは「沢山食べる君が好き」と言っているが、自分の推しが飢えた獣の様にご飯を食べていることには抵抗がないのだろうか?私はものすごく嫌だ。二次創作に限らずテレビを見ていても食べ物を上から食べる、口に物が入ったまま話す、迷い箸などの芸能人はよく見かける。定期的に箸の持ち方が炎上もしている。正しい持ち方はその持ち方である根拠があるのに、自分ができないからそれはおかしい!という人間が増えた気がする。(勿論、懐石料理の様に部屋の開け方から食べる順番まで守れ、とは思わない。私だってそこまで出来ない。一般常識の範囲の事ができていない人がいるのだ)
あくまで私個人の見解だが、人間は自分が体験、経験したことを主軸に物事を考えたり行動する為、それだけちゃんとしたテーブルマナーや躾がなされていない人が増えたのかとすごい貧しさを感じてしまった。
よく本に出てくるフレーズとして「知識は宝だ」の様な文章がある。実際に知識があって頭がいい人ほど腰が低く、心にも余裕がある様に思える(この場合の頭がいいは勉強ができるだけでないということも補足しておく)。心の穏やかさはそのまま豊かさに繋がっていると私は思っている。最近のSNSを見ていると、世界の実情が辛いことも踏まえても、貧富格差広がっている中全体的に貧しくなっていってるのと、絶え間ない情報と自分に都合のいいところしか見ない様な状況になっている気がする。それによって(それだけではないけれど)感情のコントロールが効かなくなってるのを、SNSやら、二次元キャラやらに当てがって発散してる様に見える。昔からいたのかもしれないがガッツリ目に見える形になっていて、経済的にも精神的にも貧しさを感じて私は怖い。
任天堂のゲームは昔から遊んでいてこれからもずっと応援するつもりだった
なのに
そして
まだダイパリメイクは発売してないからもしかしたらグラフィックなんて吹き飛ばすくらい面白い要素があるかもしれないが
正直あのグラ、あつまれどうぶつの森を目指してる気がするんだが(アルセウスのやつも)
まじでやめてくれ
あつまれどうぶつの森はコロナと今までの信用で売れただけにすぎないのに
参考にするなら原神とかにしろや!!!RPGじゃん!!ガチャでそこそこ売上とるんやぞ!!!
もおおおお!!!!
ただただ悲しい…なんでこんなことになったんだもう嫌だ助けてくれ
あつまれどうぶつの森は据え置きゲームの値段払ってるのに無課金ソシャゲやらされている気分になる
ソシャゲは例えればファーストフードみたいなもんで、それがいいとか悪いとかじゃない
こっちは懐石料理を食べたくて買ったのに!!
あつまれどうぶつの森はハンバーガーだしてくるんだよクソ!!!懐石料理分の値段でな!!
アプデで追加しますってあつまれどうぶつの森独自の新規要素もほぼないし
ワープも家具もそもそも島での生活が面白くなきゃ何の意味もないっつーの…
もう悲しい…何もかもが悲しい
と、いきなりクソデカ主語で失礼するが、一次創作でも二次創作でもイラストでも漫画でも小説でも、なんらかの作品を自ら作り出し、ワールドワイドウェブに公開し、あるいは大枚をはたいて本を刷っているひとは、少なからず反応が欲しいものなんじゃないかな、と私は思うわけ。
感想が欲しいから創作してるわけじゃないけど、でも、書き上がったものに対しては「どうだった?」って聞きたくなる。
え、ならない?
身近に感想不要派のひともいるし、全員がその限りではないことはもちろん分かっている。
欲しい反応だって、言葉なのかRTなのかイイネなのか、はたまた本を買ってくれることなのか、人それぞれだということも分かっている。
まあそういうわけで、つまり 私は とにもかくにも感想が欲しい。
この「感想」というのもまた捉え方が人それぞれなので厄介なんだけど、私は『感想とは:作品を読んで思ったこと』と定義しています。
純粋に読んで思ったことなので、それは「つまらん」とか「意味がわからん」とか「冗長」とか「漢字が読めない」とか、そういうあらゆるネガティブなことも、当然「感想」に含まれると思っている。
そういうのもぜーんぶひっくるめて、私は感想が欲しい。
自分の書いたものが、どのように受け止められているのか、それが知りたい。
書いたこと、書きたかったことが読み手に伝わっているのかどうかを、確認したい。
もちろん、褒めてもらえたら嬉しいし、けなされたら凹むんだけど、でもそれを知ることで、得るものがあると思っている。
と、いうわけで、コミッションサイトで感想を買ってみた感想を書きます。
<本題ここから>
今回、こういう依頼をするのは初めてだったので右も左も分からない状態だったんだけど、ともかくとあるコミッションサイトに登録して、そこから
「感想書きます」と募集しているクリエイターさん、かつ自分の作品を読んでくれそうな人(クリエイターさんによって受付条件がいろいろある)を一晩かけて見繕い、複数人に依頼してみた。
ちなみに、私は版権二次の小説同人誌を書いている腐女子なので、そういうのが万事OKなクリエイターさんにお願い。
結果、分かったこと。
①クリエイターさんによって、仕上がりにものすごくバラつきがある
この2点です。
私が登録したコミッションサイトでは、こちらが提出する文章の量に応じて値段設定してる人がほとんど。
依頼するときに、作品の情報と同時に作品自体も提出したので、それを見て、価格や、依頼を受けるかどうかの判断もされていると思われる。
こういうのって、クリエイターさん側も成果物のサンプルを上げていて、それらを見てこちらも誰に依頼しようか判断するものだと思うんだけど、
感想に関しては、成果物の例を上げているひとが誰もいなかったので、この時点では、どんな形式でどれだけの分量の感想が返ってくるのか、見当もつかない状態。
募集要項に書いてあることを熟読しても、仕上がりのイメージはまったく湧かない。
まあこの手の市場はまだ発展途上というか、醸成されてないだろうから、お互いに手探りなのは仕方ない。
よう分からんけどまあええわ!!なんかいい感じによろしくたのむで!!と思いながら依頼ポチー!
そんな感じで、クリエイターさんと何往復かやりとりして、価格や納期を相談し、時がくると、感想文が納品されてくるシステムです。
よう分からんと書いたけど、このやりとりの時点で、クリエイターさんの作風(?)というのがだいたい分かってくるので、この時になんとなく仕上がりが察せられるんだけどね。
あっさりめとか、分量多めとか、なんかそういうのが漠然と予測できる。(そしてその予測は的中した)
同じ小説を提出しても、返ってくる感想は千差万別。分量も、感想のテンションも、形式も、ほんとうに人それぞれ。
けっこうあっさり、さらっと流し読みしたのかな?って感じで、それはつまり「つまらなかった」(と直截には書かれてないけど)という感想かな、と思えるものから、作品を引用して一文ごとに詳細に感想を記してくれるものまで、ほんといろいろ。
まさに、私の小説を読んで各々が「感じたこと」を書いてくださったわけですよね。ありがとうございます。こんなとこで言うなて感じだけど。どれも、全部心からありがたかったです。
ここで、実際に納品された感想がどんなだったかを詳しく紹介したいとこだけど、互いに身バレしてもアレなんで控えます。
実際に頼んでみるといい!!!!
そういうわけで、依頼の時点では何が来るのか分からない、というのは良くも悪くもあるかな、と思いました。
自分の欲しい感想(見てほしい部分)がはっきりしている場合は、それをきちんと要望として出した方がいい。
例えば小説だったら、印象的だった一文を教えてほしい、とか読んでいてひっかかった個所を指摘してほしい、とか。
当たり前のことだけど、読み手としても、どういう視点で読めばいいのか迷うと思うので、漠然としているよりは着目してほしい点をはっきりさせた方が、お互いのためになる。
そのためにはまず依頼する側が、何を望んでいるのか、自分の思う「感想」とは何なのか、きちんと自己分析する必要があるとも思うけど。(自戒を込めて)
欲を言えば、クリエイターさん側から、テンプレートというか…こういう点を見てこういうコメントをしますよ、みたいな作例があると、さらに良いかなーとも思いますけど…。
それこそ、ジャンプのアンケはがきみたいなのでもいいし、よくTwitterとかで見かける、同人誌の感想シートみたいなのでもいいし。
それをクリエイターさん側が作るのか、依頼者側が作るのかって話にもなるけど。
感想書きます!と募集しているからには、クリエイターさんなりの感想論というものがそれぞれあるはずなので、それが分かる何かがあらかじめ提示されていたら、依頼者としても自分の欲しいものにマッチしたクリエイターさんを見つけやすいし、お願いしやすいんじゃないかな?
とはいえ、提出されたものによって、出てくる感想もバラバラにはなるだろうから、一概にテンプレ化もできないのかもしれないけどね。
あと、感想どころかふつ~~~に校正とか校閲的な指摘をしてくれるクリエイターさんもいて、(これは、私が忌憚のない意見を要望したこともあるとは思うけど)、入稿する前に校閲をお願いするのはありありのアリだと思いました。
多分、私は継続的にそういう使い方をすると思う。
そもそも、お金を出して感想を書いてもらうってどうなの???と思われるかもしれない。
私も正直迷いました。
だって、ふつうに同ジャンルにいる人たちとは、互いの作品に萌えたら感想を言い合ったりするわけで??
もしかしたら相手は義理で言ってくれるのかもしれないけど、それでもそれはある種の好意(あるいは厚意)として、もしくはなんか言いたいから(萌えたから)という理由で言ってくれているわけで????
それなのに、お前は感想を「買って」喜んでいるのか!!!!そんなに感想がほしいのかこの恥知らず!!!と思われるかもしれない。
でもね、ジャンル者からの「自発的な感想」と、「対価を払って得た感想」では、なんというか、土俵が違う。全然違う。
うまく言えないけど、「高級懐石料理」と、「風邪ひいたときにお母さんが作ってくれた大好物のプリン」くらい違う。比べることなどできない。
どっちも違ってどっちも良い。どっちも良いんだ!!!
私はどっちも欲しいです。
やっぱそういうことよな
でも俺の考え的には
取引先の偉い人を接待で、相手が好きだという懐石料理でセッティングする
→ わざわざ好かれる行動を取ってる → 1ポイント
好きな料理なので+1
取引先の偉い人を接待で、相手の好みを気にせずお気に入りの焼き肉でセッティングする
→ わざわざ嫌われる行動をとらない → 0ポイント
好きでも嫌いでもない場合 +-0
→ わざわざ嫌われる行動を取ってる → -1ポイント
苦手なので-1
特に頼まれた訳でもないが、報告がてら手土産を持参して取引先の偉い人を訪問する → わざわざ嫌われる行動を取ってる → -0.5ポイント
ってイメージかな
あ、ごめん素で間違えたわ
取引先の偉い人を接待で、相手が好きだという懐石料理でセッティングする → わざわざ嫌われる行動をとらない → 0ポイント
取引先の偉い人を接待で、相手の好みを気にせずお気に入りの焼き肉でセッティングする → わざわざ嫌われる行動を取ってる → -1ポイント
特に頼まれた訳でもないが、報告がてら手土産を持参して取引先の偉い人を訪問する → わざわざ好かれる行動を取ってる → +1ポイント
夕食はカレーかラーメンで迷っていたところ、息子がカレーがいいというのでカレーにした → わざわざ嫌われる行動をとらない → 0ポイント
息子がカレーがいいといったが自分の気分的にラーメンだったのでラーメンにした → わざわざ嫌われる行動を取ってる → -1ポイント
特に頼まれた訳でもないが、買い物のついでにデザートにプリンを買ってきた → わざわざ好かれる行動を取ってる → +1ポイント
1ポイント以上で「媚び」
3月のライオンの最新刊読んでるけど、やっぱり将棋と一緒に内面に深く沈んでいく主人公の姿とそれを支える周りの人たちがこの漫画の醍醐味だ。
それはそうと、Chapter.161あたりの道1~5、雑司ヶ谷(一部、面影橋あったから高田だけど)じゃん!!!!
地元民としては走っている順番が明らかにワープしているところまで手取り足取りはっきりわかった。地元民本領発揮である。
割烹西松のお店にかかっている看板「うなぎ」は実際にはない。うなぎの幟はある。多分、雑司ヶ谷霊園の近くのうなぎ屋さんの立て看板と混ぜたんだろうなまで想像ついて吹いたw
鬼子母神前駅⇒西参道商店街入り口⇒絃巻商店街(アカマルベーカリーのパン屋/肉の大久保さんのコロッケはおすすめ)⇒割烹西松(雑司ヶ谷音楽堂の近く)⇒雑司ヶ谷霊園のお寺横の坂道⇒面影橋、めっちゃ走るなあづま号とか、
(途中で出てきた美容室も記憶にあるんだがあれはどこだったか...)
多分わりと最近の扉絵だから、懐石料理のお店から少し足を延ばして今取り壊し中の高田小のありし姿とか、(もう切られてしまったけど)体育館の裏、角で春に花びらを散らす桜の姿を映してもよかったんだぜ。
https://goo.gl/maps/KE4VeNdWhRrScBpJ9
...そっかGoogleMapはここが春だった姿を知らないのか。残念。
聖地巡礼興味なかったけど嬉しい。すんごく嬉しい。
主が色々と素晴らしいものをMANGAから拾ってるのは分かるが、世の中にはゴミからでも何か良いものを拾い上げるタイプと、高級懐石料理のグラスの外側に付いた汚れ一つでも大騒ぎして台無しにするゴミがいるってのに分かってきて、「もういいや」ってなってる。
別に人がみんなどちらかのタイプなんじゃなくて、偏りだったり拘りだったり良いものを評価する俺かっけーマウントだったりもするんだけど、料理がまるで作れない海原雄山みたいのにムキになって反論しても仕方ねーじゃんって言う。
口だけ雄山の美食批評を有料で売り付けてるマスゴミだとか、それに乗っかって特定国のコンテンツを陥れる劣等感丸出しの差別主義者はその都度叩いていくとして、同じ土俵で組み合う必要ってないような気がしてきてるんだよ。
フェミに関してはそれに加えて食物アレルギーだから、「オマエなんにも作ってないし人の役に立つ事も言えてないじゃん」※ って気付かせるより慰めのが大事で、料理人が泣きながらクレーマーにタカられて鬱になった、みたいな被害者ヅラする方が効果あるんじゃないかと思ってる。それをやるかどうかってのはマスゴミ側の戦略なんで、やってないって事は両方を躍らせてそういう話題で金儲けした方が得って判断なんだろ? ……知らんけど。w
だからこの増田の意見は意見で評価するけど、口だけ雄山と真っ向から闘わなくていいよ、もう。
同じ穴の狢だから、批判的なだけの一部のオタクと潰し合うのは同族嫌悪。
儲かるのは出版側。
分かりやすいっしょ? 労力が勿体ないからそれを前提に立ち回ろうぜ。
ただしこれを言われると、普通の人は、プライドを保って反論する為に更にマウントしなきゃいけなくなる。
規制派は規制をした事が実績になる(それがたとえ国産コンテンツに大きくマイナスだとしても)し、何も作らずにただ批判をして「表現規制をさせた事が世の中の為になってる」と思い込まれると手に負えない。……だから傷つけるような言い方しちゃダメなんです。
情操教育と家族サービスの一環として、家族4人(私・妻・小学生の子供2人)でディナーに行ける
少し高級なレストランを探しています。予算は一人1万円程度。ほんとは合計で3万くらいが嬉しいですが。
ほんとはホテルのレストランが良いのだと思うのですが、都内は高すぎる。
要件は以下の通り。
いろいろ考えた結果、うかい鳥山やうかい竹亭あたりが遠いけど良い感じ。
なんか他に良いところありますか?