2021-03-07

「上手さ」の問題じゃなくて「好み」の問題じゃないの?

最近村上春樹文章下手くそだという人がいるらしい。

私は、そこまでハルキストでもなんでもないのだが、ツイッターで「村上春樹文章下手くそ」っていう意見を見るとちょっと驚く。

私はそこまで文学に詳しいわけでないし、文章を書く人間ではないので、文章を書く技術はよく分からない。

から、(そもそもまり村上春樹を読んでないのだから当然だが)村上春樹が本当に文章が上手いとか下手くそだとかどっちなのか私には判断できないし、

たぶん小説をあまり読まない分、たぶん読んでも上手いか下手くそかは、分からない。

判断できるのは、「好み」かどうかか。私が好む好まないか判断できる(と思う)。

技術は分からない。この辺は料理に例えられるんじゃないかと思う。

例えば、料理とかは私はそこまで上手くないが、自分にとって好みの味に作れる。

だけども、どっかの料亭懐石料理は私は好きじゃない。あの味付けとか具材やら嫌いなものが多い。

でも、じゃあその懐石料理を作る料理人は料理は下手くそか?と言えばそうは思わない。

まず私には作れない(そもそも作ろうとは思わない)。おそらく、懐石料理勉強をしてしっかり

技術を学ばれて、それで料亭プロ料理人としてやっているだけなのだろう。

私が「村上春樹文章が下手くそ」と聞いた時、私が邪推してしまうのが

村上春樹文章が好みでない」というのと混同してるんじゃないだろうか?と思うのである

村上春樹はおそらくプロの物書きだろう。ある程度何かしら、技法やらを学ばれて、研究されているに違いないと思うのである

果たして、そんな人が「文章が下手くそ」というのがあり得るんだろうか?私はそうは思いにくいのだ。

そうするとおそらくだが、「村上春樹文章が下手くそだって言う人にとって「村上春樹は好みでない」と思っていて、

それを「文書が下手くそだ」と勘違いしているんだろうと思うのである

もちろん、同じく物書きの勉強して研究して同じくらいのレベルの人が「文章下手くそ」って言うのはありえるかもしれない。

もしくは、他の物書きの小説を沢山読んでいて、その平均的な技術比較してプロとしての水準じゃないことを「下手くそ」って言ってるのかもしれない

(もちろん、その場合はおそらく、その人が持つプロの水準がイチローレベルに高いのかもしれない)。

ただ、こういう人は、同じプロの物書きか、その辺のことを普段から研究したりしている詳しい研究者やら評論家だろうと私は思う。

でもそうじゃないならば、それは「好み」と「上手さ」勘違いしたり混同したり、してるんじゃないだろうか?と思うのである

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