はてなキーワード: 少年Aとは
当時小学生で、妙な好奇心が強い年頃だったからか異様によく覚えていて、影響もかなり受けている。
何しろ年明け早々には阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン、夏には映画「学校の怪談」、秋には新世紀エヴァンゲリオン放映開始だ。
その中でもやっぱり地下鉄サリン事件・オウム真理教は印象的だ。
今では考えられないけど、朝から晩まで妙な新興宗教の変わった修行(水中で息止めるとか、生き埋めになるとか)やら洗脳ソングやら幹部の高学歴っぷり(上位大学はほぼ揃ってたはず)が報道されてた。
テレビというのは当時メディアの王様で、「テレビで堂々とやってるのなら」って感じで皆普通にオウムの話をしていた。
子供も影響を受けて、音楽の授業を真面目に受けて、放課後に洗脳ソングをリコーダーで練習したりしてた。
しかも学校の怪談ブームの真っ只中で、学校でコックリさんやったりオカルト話したり、テレビでスプーン曲げやってたり。
オカルトマニアにとっては「あれ、俺たちマニアだけどマジョリティじゃない?」って思えるくらいの時代だったと思う。
秋から始まったエヴァにはキリスト教モチーフが沢山出てくるし(子供の頃は難しくて分からなかったけど)。
その後の97年の少年A事件、99年のノストラダムスの大予言など、90年代後半はとにかく世紀末というのがぴったりの世相で、今の若い人が惹かれるのも分かる。
僕もあの時代のことは妙に懐かしく、不謹慎ながら魅力的に思い出してしまう(思い出補正がかかってるだろうけど)。
何というか、アニメの世界観が現出しちゃった感じの世の中だった。
この「あっ二次元の世界観が現実に!」に近い感覚は多分ネットの祭りなんだけど、最近は大規模な祭りもあんまりないしねぇ。さてどうしたものか。
1年ぐらい前に「そういえば日本の歴史は教科書を読めばいいけど、インターネット上の歴史は意外とまとまってないよな」とふと思いつきで書いて、以降何か思い出す度にちまちまと書いてて、最終的に本にするかどっかで公開しようかと思ってた。
が、金取るほどじゃないし、そもそも出典元は自分の記憶とWikipediaとかその他ウェブサイトだし、正確性も担保できないし、どうせなら皆で見て「あーこういうのあったねー」とか「これが無い!」とか言い合うのも楽しいと思ったので書く。
あと、自分だけでなく、一度某所に公開して出てきたやつも一部混ざってます。※2016年まであります。
・アメリカで現代のインターネットの起源となる「ARPANET」が始動する。最初はカリフォルニア大学ロサンゼルス校とスタンフォード研究所、カルフォルニア大学サンタバーバラ校、ユタ大学の4つを結ぶネットワークから始まった。最初に送信されたメッセージは”lo”だった。(login:を入力しようとしてクラッシュした)
・東北大学とARPANETが接続される。日本にARPANETが入った最初の出来事である。
・慶應義塾大学と東京工業大学を接続するJUNETが誕生。日本におけるインターネットの起源。後に東京大学をはじめ、様々な研究機関や大学が接続されるようになる。
〜〜中略〜〜
・Windows95誕生。一般市民にインターネットが急速に広まる。地下鉄サリン事件発生。
・阪神淡路大震災発生
https://www.youtube.com/watch?v=ktPL7X7nFXk
https://www.youtube.com/watch?v=FvfBJapb2pw
・芝雅之により掲示板「あやしいわーるど」が誕生。日本インターネットのアンダーグラウンドの祖先。元は地下鉄サリン事件を題材にした不謹慎ゲームを配布するために立ち上げたウェブサイト。
あやしいわーるどで発生した文化は後のインターネットに大きな影響を与えたものも多い。
・ネット流行語:「マターリ」「ヽ(´ー`)ノ」「『餃』『子』『の』『王』『将』」「萌え」「Warez」「ギコ猫」「ツンデレ」
・あめぞうにより「あめぞうリンク」誕生。酒鬼薔薇事件発生。あやしいわーるどに少年Aの実名が投稿される。
・あやしいわーるど閉鎖。あやしいわーるどから派生した掲示板が大量に発生する。これらは2016年現在も続いているものもある。
・「あめぞうリンク」にスレッドフロート型掲示板(あめぞう掲示板)が設置される。最初にあったのは「掲示板ニュース速報」「株式速報」
読みづらいとされていた大型掲示板サイトの中でこのシステムは当時は画期的で、爆発的な人気を誇るようになる。
・この頃に「ひろゆき」出現。
・この頃はまだコンピュータも高価で、インターネットもまだ滅多に使われず高額だったため、利用者が好事家に限られていた。雑談以外には、株式、経済、社会情勢、コンピュータ等、専門的で高度な話題が多かったとされている。
・テキストサイト全盛期
・あめぞうの利用者が増加し、サーバ確保が困難になったり荒らしが増えるようになり運営に様々な問題を抱えるようになる。
・サイトの引き継ぎ先を求めていたあめぞうの声に応える形で同年、利用者の1人であったひろゆきにより「2ちゃんねる」が誕生。当時は「あめぞうのセカンドチャンネル」という位置づけとされていた。1日あたり1万人程度の来訪者。
https://www.youtube.com/watch?v=h22l8iWAW18
https://www.youtube.com/watch?v=6rNZBF9DXTU
・スクリプト荒らしによりあめぞう掲示板壊滅。同年閉鎖。西鉄バスジャック事件発生。犯人が2chに書き込んでいたことを受けてひろゆきが初めてテレビに出る。
・ネット流行語:「(この掲示板は)匿名というのが前提になりますので、うそもあるし、ひどいことも書かれます。そういうのをうそはうそであるとか、見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しいものがあるでしょう」
・教育改革国民会議(森内閣)「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」
http://www.nicovideo.jp/watch/nm3956863
https://www.youtube.com/watch?v=LWSZMrz0zsk
・2chに対抗した1ch.tv誕生。あめぞうと西和彦が関わる。
・アメリカ同時多発テロ事件発生
・先行者出現
・田代神
・MAD GEAR SOLIDの1作目が公開される。「性欲をもてあます」
・グリッドコンピューティングを用いたUD ガン研究プロジェクトが開始。2007年に終了するまでの間、Team2chが大きく貢献する
・WinMXで逮捕者。「かぎのおとが おやがかぎわたしや もうだめぽ」
・ドラえもんのキャラを使ったFlashが流行(後にオラサイトと呼ばれる)
https://www.youtube.com/watch?v=DaoGHZFKt6s
https://www.youtube.com/watch?v=nQl3NIJYkt0
トーマ「ボクには勝ち負けすらどうでもいいのです。キミの心を救いたいだけなのです」
トーマの動きの質が変わる。
アナウンサー「あーっと?トーマのこの動きは…?まるでダンスをしているかのようだ!信じられない!このリングで何かを表現しているのか?」
トーマがこれまで見てきたナルシマリョウの心の闇を、まるでリョウそのものであるかのように観客に、視聴者に、そして何よりナルシマリョウにダンスで見せつける。
戦いながらダンスを踊るトーマにリョウは一撃も当てることが出来ない。
それを見た全ての者がナルシマリョウの悲しみ、苦しみ、痛みを知り、落涙する。
リョウ自身でさえ言語化することが不可能だった自分の気持ちを見せられたリョウは動揺する。
トーマ「これでやっとキミを理解することが出来ました、次はキミを救う番です」
スパーリングパートナーから会得した柔道・柔術・サンボ・合気を駆使しながらトーマがリョウを攻め立てる。
リョウもこれまで身につけてきた技を十二分に活用しながら対抗する。
ラストラウンド、天才と言われたトーマにどうしても決定打を当てることが出来ず、このままでは判定で負けてしまうと焦り、技が雑になっていくリョウ。
その時、空手の師匠であり、敵のトーマ側についていたハズの黒川がリョウに
黒川「リョウ!何だそのザマは!ワシが教えた空手はそんなモンじゃなかったぞ!」
と檄を飛ばす。
リョウ「やかましい、クソジジイ!今は敵じゃなかったのかよ!」
猛攻を仕掛け、リョウが最後の正拳を見舞おうとした瞬間、笑みを浮かべ、両手を広げるトーマ。
そのままリョウの攻撃をもろに顔面に食らい、まるでキリストのように十字に倒れ、そのまま試合終了。
リョウ「テメェ、ワザと避けなかったな!」
トーマ「言ったでしょう、ボクはキミを救いたいのだと。それにもう避けられないと分かったからね」
と呟く。
リョウの表情はもはや少年Aやナルシマリョウのそれではなく、成嶋亮という一個人に戻っていたのであった。
トーマはこの試合後、ダンスに復帰。神を宿すと言われたそのダンスに、人間の性(サガ)ともいうべき生々しさの要素も加わり、さらに世界的な評価を受ける。
時は流れ、故黒川師匠の空手を継ぎ、道場で弟子に空手を教えていた成嶋涼。
そこに空手着を着た一人の男がやってくる。
彼を見た成嶋涼が「待っていたぞ!」とニヤリと微笑んで、完。
作者もトーマをラスボスにしたかったはずなのに、尺の都合か、編集の意図か、キャラが言う事を聞かなかったからか、中途半端になってしまった感があったんで、これでいいんじゃないかな。
そりゃバズる文章と熱のある文章は必ずしも同じテクニックで書かれるとは限らないから直結してるわけじゃないよ
というか熱のある云々はテクニックじゃないし
書かれてることそのものの内容にある
例えば、「雨が降ったから傘をさした」という文章をテクニックを使えばいくらでも装飾できる過大に見せることができる
時間を付け加えたり、心境を付け加えたり、傘の色とか形とか、雨にちなんだ小ネタを挟むとか、なめくじをジッと見つめる、とか
そういう付属品を付けたり消したりして小説っぽく仕立て上げて楽しく読ませる
それがテクニック
書いてることは同じなのになんか面白い言葉遊びに騙される・騙すテクニック
それに比べて書いてあることが大きいというのはスケールの大きさ
これにいくら装飾したところで小学生を殺した少年という事実は変わらない
包丁で刺したときの感触とかその後の警察対応とか書けばテクニックがなくても興味津々で売れる
別に殺したとか物騒な話でなくてもいい
なんてばからしい内容でもそれだけ熱がそこにある、カロリーがそこにあると感じさせるテーマがあると
羽虫のように引き寄せられるものなんだ
じゃあ嘘かけばいいってもんじゃない
っていって嘘書こうとしたら変なくらい綺麗になってしまうんだな
どんだけ長文で根拠並べてるのかと思いきゃ、ただただ子どもを盾にしてるだけじゃねえか。
「あ―――子どもが見たら傷つくだろうなああああ―――傷ついちゃうだろうなあああ―――(チラッチラッ」
以外の何が書いてあるっていうんだ。腹が立つのはこっちだ。
何?「ネットでは見えないところできちんと愛情を受けているかもしれない」?
はっはっはっはっはっはっはっはっは
絵に描いたような共依存じゃねえか!ぶわあああああああああああああああああか!!
+100000000000000と-100000000000000でバランス取りました!ってか?アホか!!
ち○子(検索避け)が心を病んだらどうするんだ~とか
自殺したらどうするんだ~とか
ずいぶん想像力たくましいっつーかなんつーか、いちいち後ろに(チラッチラッ が付いてるようにしか見えない。
ついでに言うと少年Aに対する反応は全然“「更生した人間にリンチはいけない!」とか言う論調が主流”じゃなかったから。
控えめに言っても半々、さらにその中で細かい意見の相違があったから。俺もホッテントリくらいしか見てないけど、お前は何を見てたの?
見出しはセンセーショナルだったが、元少年A(きちんと目線入り)、少年Aの両親、少年Aを教育しようとした政府機関や第二の母親になろうとしたおばさん、犯罪心理学者、被害者のご両親など多方面に丁寧な取材をしているように見えた。
文春がない状態(一方的に少年Aだけが安全地帯から意見を述べられる状態)にくらべてよっぽど健全な状態に感じる。
なによりも、少年Aの凶刃から生き残った少女からコメントをとったのは衝撃的だった。
その少女は事件の際の看護に感銘を受け、今では看護師をなさっているとのことだ。事件と向きあい、強い女性となっているが、いまでもドラマの殺刃シーンを観られないそうだ。明日にでも再び少年Aがやってくるのではないか、と考えてしまうという。
少年Aは名前を変えて、少年Aそのものはこの世から消えたはずではなかったのか。
少年Aの名前を使って、いまだに被害者の気持ちを蹂躙し続ける男がいる。
少なくとも、文春のような多方面からの取材・報道によって、「謎の狂人」ではなく、「ママチャリに乗ってトイレットペーパーを買いに行く無職のおっさん」レベルまで実像をつかむことが社会のためではなかろうか。
凶行に走った14歳の少年は保護されるべき存在かもしれないけれど、犯罪被害者の気持ちを故意に蹂躙する自己顕示欲の塊(33歳無職)は別の存在だし、そういった悪党を実名報道できないことは問題だよ。
衝撃的な事件だったし、単純に猟奇的事件に興味があったのもあり、
その後インターネットで少年Aの顔写真を見たり、まとめているサイトで事件の詳細を読んだりしていた。
被害者、加害者が出した本は読まなかったが、『絶歌』は発売後すぐに買い、読んだ。
まず、サムの息子法が、とか言っている人もいるが、これに関しては現状の日本の法律で問題ない以上、文句言っても仕方がないことである。
また、世界各国で適応されている法律ならまだしも、一部の国の一部の州でしか実施されていない法律をあげるのは、都合が良すぎる。
文章に関しては、ネットでは批判的な意見が多いが、良く書かれていると思った。少なくとも僕にはこのような文章は書けないなと思ったし、
文章力はどのように身につくのだろうかとも思った。高校、大学と出て学んできた身なので、自分が恥ずかしいとも思った。
そういえば、『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述も読み応えがあったなぁ。。
中身に関してだが、この本は大きく分けて、少年院に入るまで、出た後の二部構成になっている。
少年院でどういった生活を送っていたのかも気になったので、そこが書かれていないのは残念に思った。
一部と二部では文体が異なる。一部では、少し厨二的というか、見えていた世界が人と異なるような表現が多く、少年の異常さが表されている。
二部では、淡々とした文体で書かれていて、更生されているかのような印象を持った。
しかし、これは意図的に文体を変えているものだと感じられた。当時の少年時代の日記がそのまま公開された。とかならこのような違いがあることも分かるが、
書いたのは現在の少年Aのため、このように文体が変わるのには違和感がある。
少年Aは犯罪の原因は、自分の性癖にあると言っている。親しかった祖母の仏壇の前で、マッサージ器を性器に当て、初めての射精した事から
死と性が関連するようになってしまったとのことだ。
猫を殺した時も、射精したし、被害者の首を自慰行為の道具としても利用したとのことであった。
しかし、同級生に対して暴力行為を振るったことは、性衝動とは一切関係ないので、性癖のみが暴力、犯罪の原因とされているわけではなさそうである。
また、被害者の首で自慰行為を行ってから、その後射精をしなくなった (少年院時代のみ?)という記述があったが、今現在はどういったものを対象に性を感じる
ようになっているのかが気になる。今でも死と性が関連していると思うなら、今後も事件が起きる可能性がありそう。
家族は悪くない。と書かれているところが多数あるが、客観的に見て異常。同級生に暴力を振るった時の母の注意の仕方とかは、軽い喧嘩を注意するレベルで、
おかしいだろうと思った。
成人し、出所してから仕事もちゃんとしているし、生きる力が強いと感じた。また、金に対する執着もあるため、『絶歌』の印税は相当本人としては嬉しかったんじゃないかと思う。
金に困って犯罪するタイプではないと思うが、印税を与えることによって少し大人しくなるのではないかと思った。別に『絶歌』を買ったことを正当化している理由ではない。
社会人生活を送っている時、同僚にインスタントカメラで写真を撮られた時、切れてそのインスタントカメラを振り払い、壊したみたいなエピソードがある。
写真に撮られることがナーバスになっているということを表したかったのだろうが、単純にキレやすい人間みたいな印象を受け、恐怖を感じた。
その後、ホームページ公開したりしていて、良い体しているなとか、ナメクジ写真はダミアン・ハースト的でもう少し評価されても良いんじゃないかとも思った。
ネット上では『絶歌』の批判ばかりだが、読み物としてもそれなりに楽しめるし、超有名犯罪者の文章を一度読んでみるのも良いのではないかと思う。
http://www.sankei.com/affairs/news/151013/afr1510130014-n1.html
彼らはある組織によって、特殊能力を植え付けられた少年達で、組織の駒として任務をこなしていた。
その中で、少年Aと少女Zがある事件をきっかけに組織に離反しようとする。
もちろん他の少年少女達が組織の命令でそれを阻もうとするが、その時は逃げ切ることができる。
月日が流れて、元少年Aと元少女Zが組織に見つかったところからメインパートがはじまる。
そんなようなラノベか何かを誰かが書いて、大ヒット。
アニメ化・実写化等のメディアミックスもされて、「少年A」「元少年A」と検索しても出てくるのはその作品の話題ばかり。
こうして、少年Aや元少年Aという単語が彼の元から解き放たれる。
内容は拙いけど、そんな感じの事ができたらいいのにな、という妄想。
「絶歌」のことは知っていたが、興味がなくて読んでない。
今朝スマホ記事で、元少年Aがホームページを立ち上げたというのを読みあぁ、そう…と思いながら一通り目を通してみた。
http://www.sonzainotaerarenaitomeisa.biz/
精神疾患がどうなってるのかは知らないが、なんというか…うん。現代用語辞典の「厨二病」項目には是非このサイトのURLを掲載することを勧めたい。Don't think, feel。
地方の中学生が、ビレバンで触れたサブカルに触発されて勢いで組んだギターロックバンドの公式HP…みたいなビンビンのセンスよ。「実家に帰ったら母親が自分の黒歴史ノートを出してきた」級の恥ずかしさで、読むのも辛い。そうか。30超えてコレか。
もうこの際、社会に大きな影響を及ぼした元・殺人犯が社会復帰後に自身を語ることの是非は横に置く。俺は正直、佐川一政の生き方なら、あれはあれだと思っている。むしろ、語り方、語る内容に一般人のソレとは違うものがあって、なにがしかの感銘や感覚を惹起するならば、汚らわしくとも価値はある。
これを見て思ったのは、酒鬼薔薇というのは徹頭徹尾凡人だということだ。少しばかり発達し過ぎた自己愛と、ユルユルガバガバの社会性と、特殊な性癖に後押しされて、たまたま勢いで若くして殺人者になってしまっただけであって、肥大した自意識の有り様や、ついうっかり「正しくオナニー」なコラージュ「作品」を公開した上でページに「ギャラリー」とか名付けてしまうゲロが出る様な痛々しさまで、この人は少しイタいだけのフツーのセンスの人だ。
ページタイトルが「存在の耐えられない透明さ」だった点、ミラン・クンデラを敬愛する自分は若干イラっときたが、この軽薄さまでもが平凡だと思い始めると、なんとなく可哀想になった。
憐れみは他者への最大の攻撃になり得るが、自分の元・少年Aへの憐憫はそういう当て付けの悪意を表明するためのものではなく、結構本気で言っている。だってこの人は、持て余した自意識と自己愛を解消する為に「元・少年Aである自分」にもうずっと縋り付かざるを得ないのだ。
そして、そうすればするほど社会との折り合いなんて付け様がないのだ。だって、僕らはこんな香ばしい元・犯罪者と関わり合いたくないのだ。
だいたいにおいて少年〜青年期の過剰な自意識は、社会に出た際の軋轢で徐々に削り取られたり、それに対する挑戦を通して昇華されたり、最終的には消化されなくても、その様なプロセスの中で自分とのバランスをとって大人になっていくものだけれど、彼にもうそのチャンスはないんだろうな。
だって、元・少年Aであることにしか、「異常な性癖で人を殺した」ことにしか、彼の社会的な価値はないんだから。もっと言えば、「アタマのおかしい、少し壊れてしまった人」として憐憫と共に、一般とはかけ離れたアウトサイダーアート的な才能への他言できない憧れも集めつつ贖罪に生きる姿が人々の胸を打つ…とか何処のラノベだよ。でも、彼が自意識を支えていくには、そんな世界観で生きていくしかない。
このままこんな生き恥を垂れ流しにしていたら、ほっときゃサイコパスへの憧れを持ってくれたかもしれない多感な10代とかですら「あ、これは結構ッス」てなるよ。。そんで社会から隔絶されて、また謎の敗北感を抱えて再犯に走るとかの悲劇も、ワンチャンある。