はてなキーワード: 実写化とは
漫画世界ではピンク髪は髪色のバリエーションの一つだけど現実世界ではとてもファンキーな人にしか見えない
漫画世界の記号でおっとり=ピンク髪なだけなのにそのまま実写化するとおっとりしてるのに髪色だけやたらファンキーな変な人になってしまう事がままある
ほかの色も同様
まあアニメ実写化についてはその通りかも知れんが、実写化映画を見にいく層は原作やアニメを見てる層とあまり被らないので「見ない運動」をしても痛手は与えられないと思う。
しかも実写化映画を見に行く人たちの方が、原作やアニメファンより何倍も大きくてそういう人をターゲットにしてるわけだし(だから実写化したがる)。
「アニメ実写化」というキーワードがある。実際検索してみると色々とヒットするが、とにかくほとんどの場合このキーワードは誤りである。なぜなら多くの実写化作品が「原作(漫画・小説)実写化」だからである。アニメも同様に「原作(漫画・小説)アニメ化」であり、オリジナルシナリオのアニメの実写化なんてあるのだろうか。
基本的には原作(アニメ)に籠もっているということです。まあ確かに失敗はあるけども、成功しないとも限らないわけで一括りに批判一点とはいかがなものか。中には見てもいないのにレビューサイトで不当に低い点数をつける人もいる。
重要な話。アニメ化に限られるが、反対派のうち何割かは原作を見ずにアニメだけを見て反対していると思われる。だからこそ「アニメ実写化」というデタラメキーワードが生まれるのである。そんなに反対したいなら「見ない運動」しましょうよ。一致団結すれば、そのうち興行的に痛手となって来て方向性を変えるかもしれませんよ?
いつの話なんだよって言われると思うが10巻を読み終えたばかりのこの熱い気持ちを発散したいので書く。
がっこうぐらし!を私が知ったのはアニメ化されてからだった。アニメから入った私は例の第一話で驚愕したのをよく覚えている。忘れもしない、大学4年生の夏。
当時の私は引きこもりで講義の時以外は殆ど部屋から出られなかったし、何なら4年生なのに講義にすら出られない日もあって卒業が最高に危うかった。
そんな時、ツイッターで話題になっていたがっこうぐらし!をたまたま観る機会があった。
最初は単なる興味から始まって、徐々にがっこうぐらし!にハマっていった。ハマった理由は自分でもよく分からないがとにかく好きになったし、ニコ生で視聴していた私は毎週金曜日が楽しみで仕方がなかった。今思えば、金曜日という日は本当に最高だったと思う。がっこうぐらし!を観たあと眠りについて、それから起きてまだ最高な気持ちを持ったまま1日を始められたのだから。
ちなみに登場人物の中で一番好きなのはゆきちゃんだ。あの子が頑張っている姿を見ると、私もやってやる!という気持ちになれた。ゆきちゃんが頑張っているのに私がやらないでどうする!という気持ち。
がっこうぐらし!にハマってからの生活は少しずつ変わっていった。
ゆきちゃん達が美味しそうにご飯を食べる姿を見た私は、まず自炊をするようになった。金曜日の放送の時には深夜だったので流石に控えたが、毎週火曜日を復習会と称して金曜日の放送を見返す機会を作り、ゆきちゃん達と同じメニューを食べなからがっこうぐらし!を楽しんだ。
そして週一回、少し運動するようになった。うまく言えないのだが、ゆきちゃん達のことを考えるとなんだか動かずにはいられなかった。木曜日の夜、10時くらいから2時間ほどウォーキングをして、お風呂に入ってからアニメを観るという習慣が出来上がった。
いつもは起きるのも眠りにつくのも怖かった。1日が始まればまた苦しい時間になるから。けれどがっこうぐらし!にハマってからは起きるのも寝るのも辛くなかった。早く起きて早く眠れば、それだけ金曜日も早く来るから。そうすると毎日の講義も苦にならなくなってきて、ウキウキしながら大学へ行くようになった。
ゆきちゃんが大好きな学校という場所を、私も段々と好きになっていた。
それほどまでに好きだったがっこうぐらし!の最終回を観る前、私はかなり不安だった。
実はアニメを最初から最後までリアルタイムで観るのは生まれて初めてで、もう来週からはゆきちゃん達と会えないという事実をうまく受け止めきれる自信がなかった。
けれどそれは杞憂だった。
ゆきちゃん達は最終話で卒業するが、卒業は悲しいものなどではなく、希望に満ちたものだと教えてくれた。
本当に自分でも気持ち悪いくらい泣きながら最終回を観終えて、そして私は決心した。私も大学を卒業しよう。ゆきちゃん達とは違い私には普通の日常があり、それを享受する幸せがある。ならそれを最後まで全うするべきなのだ。
それからは何とか単位も取り切り、大学も卒業して無事に社会人への1歩を踏み出せた。
社会人になってからは中々時間が取れなくてあまり観れていないけど、今でも時折ブルーレイで見返していたりする。今でも大好きな作品だ。
賛否はあると思うが、アニメも漫画もどちらのがっこうぐらし!も私は大好きだ。実写化も決まっていて、今でも楽しみは尽きない。
女へのエロ目線や人権軽視が世に溢れてるのを見て「これってありなんだ、私もやろーっと」って素直にそれの男版創作する女と、「全部ゾーニング必要に決まってんだろ!」と怒る女と、女向けの創作には男向けの創作の百倍繊細な男がいる。
(男比率が多いだけのアニメをBL扱いしたり、『魔女が育てた子が大きくなったら魔女を守る』というテンプレ創作は『小学生をレイプしてぇ』と同じだと主張したり)
なお件の幸色のワンルームは絵柄や雰囲気からして恐らく女子中学生辺りの受けを狙っていると思われるが、何故か批判に対して「ポリコレ棒」「クソフェミ」と反論するのは大人の男性が多い(肝心の中学生女子は「好きなのに悲しい」ぐらいである)。
それはこの作品が『被害者バッシングが強い事件をモチーフにして被害者バッシングに沿った展開の話』である証左とも言える。
あの作品の雰囲気、ジャンルでいえばカゲプロみたいな中二病御用達だぞ。君ら『誘拐犯正当化物語』じゃなきゃ知りもしなかったか散々馬鹿にしてただろうね。
しかし『誘拐犯に自らついていく美少女』『美少女をストーカーしていたが結果的に彼女を虐待親から救った誘拐犯』っていう、あの時被害者バッシングする奴等が言ってたことを具現化した漫画だからこそ、被害者バッシングしてた奴等にも届いたのだ。
ましてや実写化キャストが「こんなことあるかも」とか言い出したので、こいつぁやべぇと思われるのは当然。
「中学聖日記」については未読なのでなんとも言えない。
実写化?知りませんねって感じだったんだけど、まあ気が向いたのでレンタルしてきた
なんだあれ?
個人的な感想です、ていうかあまりにも混乱してるのでちょっと待ってって感じ、もちろんネタバレする、めっちゃ長い
なるべく好意的に考えたいとは思う
キャストはそこまで悪くない
まあ、みんなあんなにひょろくねえよとは思うけど、頑張ってたと思うし、あんなめちゃくちゃな映画でよくもあそこまで真剣にやったものだ
演技がシリアスであればあるほどにじみ出るお遊戯感は多分キャストのせいだけじゃない
それにしても承太郎は英語がひどかった、あれはさすがにもうちょっと頑張れよ
キャスト発表の時にも思ったことだけど、なんであんなちょいキャラにキャスティングしたんだ?だったら吉良やってほしかったよ、平穏に暮らそうとする手フェチサイコキラーなんて役ができるのあとだれだよ? 藤原竜也?
コスプレ感すごいな!
あれでシリアスな場面がすべて台無しになってると言っても過言ではない、何回か本当に吹き出した
学ランとかはそこそこリアルな方向にアレンジしてたとは思うんだけど、髪型やばい
仗助のハンバーグ頭を変更されるのはなしとしても、もうちょっと服装と同じくらい現実的なアレンジ加えてもよかったんじゃないだろうか
承太郎は後ろ頭の帽子と髪の毛の一体化具合に腹筋やられたし、虹村兄弟も髪の毛が気になって気になってシリアスな場面が全然シリアスでいられない
あれは原作からしてDB意識してただろうとは思うけど、実写であんな表現してくるとは思わなかった、見せ場を作ろうとしたのはわかるんだけど、あれでよかったんだろうか(ごく個人的には「やめろ」って繰り返してたあたりで「友奈ちゃんをいじめるなー!」が連想された、ヒロインかよ)
服装のほうも学ランのペラペラ具合とか気になったので、いろいろ衣装さんの予算の都合があるのかなという気もしないではない
あと、あれスペインロケの意味あんの?いいじゃないですか仙台で
虹村兄弟の家豪華すぎて笑っちゃったよ、原作もなかなかいい屋敷に住んでるけど、立入禁止があまりにもそぐわなすぎ
スタンドバトルはもうちょっとオラオラとかドラララとか見たかったなあ、act1は見れてうれしかったけど
全体として家族愛を軸に仗助がじいちゃんの遺志を継ぐまでをやりたかったのはわかった
アレンジするのはいいよ、原作あのままを二時間の映画でやってもしかたない、そういうのはアニメでやったし
ただ改変がことごとく悪い方向にしか向かってないというか、あまりにも再構成が下手すぎて混乱するだけになってるように思う
まずなんで高二にしたの?映倫の都合?まあそういうことで康一を転校生にする必要があったとして、キャスティングの都合上由花子をある程度の時間出さなきゃいけなかったとして、あそこまで由花子を露出する必要あるか?
由花子はどう考えても第二章以降でのメイン要素なんだから、黙ってれば美人なんだし普通にヒロイン枠で姿をチラ見せさせといて、康一と普通の青春しそうに思わせといて、億泰との交錯で見る側になんとなく疑惑は持たせつつ最後にお弁当でも宿題でも使って「あれこの子おかしいな?」って今後の引きに使ったほうが話がすっきりすると思う
第一章序盤から由花子のアレっぷりをアピールしても話が散漫になるだけだろ、伏線ならきちんと伏せてろ
ていうか億泰だって要は転校生だろうし、康一と同じ転校生として由花子と同じように姿をチラ見せさせつつ後半につなげればよかったと思うんだよ、前半にある程度虹村の兄弟愛を掘り下げておけば最後の兄貴の死にも説得力が増す
アンジェロは逆にあんなに掘り下げる必要はない、東方家と虹村家でそれぞれの家族愛を比較させてるんだからさらにアンジェロの父親の話まで入れる必要ないだろ、入れ方も中途半端だったし
そして余計なエピソード入れたくせに、時間稼ぎにべらべらしゃべって人質取ろうとするエピソード省くもんだから、アンジェロ岩がやりすぎに見えてえぐくなってる、ただでさえ実写でえぐいのに
あれでやさしい能力とか言われても正直いやいやいやと思ってしまうわ
それに東方家も正直描写に尺を取りすぎてる、じいちゃんを多少掘り下げるのはいいとしてもやりすぎ、あれの三分の一でいい
そもそも今後の展開として、ジョースター家とDIOの因縁をどうするつもりだったんだろう
第一章の時点で矢の説明がなんにもされてないし、兄貴やアンジェロがDIOに言及しないし、あくまで杜王町の話として3部以前にまったく触れないつもりだったんだろうか
余計な伏線は細々いらんとこまで張っといて、弓矢の出所についてはきっぱり第二章で!とかないと思うんだよな
そうするとジョースター家がなんでスタンド使えるのかとかがまったく説明できないと思うんだけど、そのまま押し通すつもりだったんだろうか
それにしたって虹村父がああなったのを「バチが当たった」で流しちゃうとかないだろ、強欲と人でなしがすぎてあんなふうになるとか普通に意味わからんわ
矢を奪うのが吉良ってことは、のちに矢でスタンド使い増やすのは吉良父じゃなくて吉良本人ってことにする予定だったのか
すごい好戦的な吉良だな、静かに暮らしたいとか絶対思ってないだろ
だいたいシアーハートアタックでどうやって矢を持ってったんだろうか
アンジェロが聞いてるだろう状況で承太郎が「オレのスタンドは時を止める能力だ」とか言い出してわざわざ自分の能力ネタばらししたりとか
クレDの能力的に康一はそもそも時間稼ぎする意味あったの?とか
シアーハートアタックが口に入った状態で兄貴どうやって喋ってたの?とか(というかもしかしてあれはシアーハートアタックが腹から体内突っ込んで口に到達したということなのか?口からは物理的に入らんだろ、画面から全然読み取れなかったんだけど)
最後の仗助と承太郎の会話がわざわざ海辺でやってるせいで二時間ドラマみたいにだせえとか
台詞の言い回しを細かく変えたりするより前にそういうところをちゃんと考えたほうがよくないだろうか
頭の悪い改変はこの際置いておくとしてもテンポ悪いわ話はだるいわ説明がいろいろ足りてないわでひどいありさまだけどな
要約すると視覚的にはコメディで演出がサスペンスで脚本は杜撰で頭悪いという絶望的な組み合わせだった
もっと要約するとくっそつまんなかった
面白かったけど、ファーストの実写化は無いと思うから、ハリウッド実写化ならこうなるだろうし、これなら日本人のファンも原作○○○と嘆かずに普通に楽しめるんじゃないだろうかという線で、俺の予想を書いてみる。
まず、ミノフスキー粒子のせいでレーダーや誘導兵器が使えないから、宇宙艦隊と艦載機(モビルスーツ)が有視界戦闘をしているという設定は原作のままね。
ここ抜いたら、なんで宇宙で古風な海戦やってるの?ってなるじゃない。でもスターウォーズとか、特にそういう設定なしで宇宙海戦やってるんだっけ?
コロニー市民は重税は課すのに参政権はいつまでも認めない地球連邦に対して独立戦争を始めた。
この実写化プロジェクトが想定している観客は日本人とガンオタの中国人あたりのような気がするけど、アメリカで通りやすい企画を書いたらこうなるんじゃないかな。
主人公(白人男性)の設定年齢は最低でも20代半ば(演じる俳優は30代)のちゃんとした職業軍人。現地徴用の少年兵みたいな人権侵害は許されないから。
親の農場を継いで一生を田舎のコロニーで過ごすのが嫌で憧れの地球に行きたくてハイスクール卒業と同時に連邦軍に入隊。
やがて連邦軍の非人道性に触れ脱走してコロニー独立軍に参加する。
コロニー出身の主人公は連邦軍で差別されるし、仕事はコロニー市民のデモの鎮圧や神経の磨り減るテロ対策みたいなのばかりでうんざりしていたところに、
独立運動の過激派の巣窟とされるコロニーへの毒ガス注入を特務部隊が行おうとしていることを親友(黒人)から知らされ、虐殺の妨害とコロニーへの脱走を決意する。
ここの連邦軍はやり過ぎない程度に現実の米軍を連想させる描写にして、ハリウッドのリベラルの良心を慰めたり、日本人のアメリカ嫌いの心情にアピールしたりするんだと思う。
特務部隊との戦い。毒ガス装置を破壊して黒人は死ぬ(人種的多様性ノルマその1黒人枠達成)。
特務部隊隊長は主人公に顔を傷つけられ、以後、傷を隠し低下した視力を補うためのマスクを被り復讐を誓う。
コロニー独立軍に参加した主人公は、しばらくは脱走した時に乗っていたジム・クゥエルを独立軍カラーの緑に塗って戦うんだけど、
仮面の特務部隊隊長の赤色の新型に破壊されてしまい、最新鋭のガンダムに乗り換える。
ヒロイン(白人女性)はガンダムを作った博士で、主人公がガンダムを荒っぽく操縦することに文句を垂れつつそのうち良い仲になる感じで。
または、地球とコロニーの未来を左右するガジェットを研究している博士とか。
そうそう、独立軍の総司令官(後の大統領ジョージ・ワシントン)を黒人女性にするのも忘れちゃいけない。
雲の上の置物なので、ほとんど出番も物語上の役割を与えずにジェンダーチェックと人種的多様性ノルマをダブル達成できる最適の配置。
ガジェットは、ミノフスキー粒子を無効化して核ミサイルを使えるようにするニュートロンジャマーキャンセラーっぽいのかな。
超能力でテレパシーで会話したり、未来予知したり、他人を心停止させたりできる宇宙に適応したミュータント。
ララァ・スンを連想させるインド人美少女にして、人種的多様性ノルマその2アジア人枠を達成。
ペド描写は絶対NGなので、ララァは主人公に惚れないし、大佐と寝たりしないし、インドの売春窟出身だったりしない。
コロニー側にもこれまで地球の要人暗殺や爆弾テロをやってる過激派がいて、地球へのコロニー落としの企みを主人公が止める展開も欲しいな。
戦争で一方の勢力が絶対正義とかリアルじゃないから、ガンダムはそういうところちゃんと描くからリアルロボットアニメなんだよな、という我々の期待に応えてくれなければ困る。
ともあれテロリストは滅びるべきである。テロとの戦いは正義。そういうアメリカ人の気持ちにも寄り添いたい。
主人公はガジェットを世界征服に使おうとしている特務部隊隊長から守り抜き、ヒロインが平和利用への道を開いて、コロニーと地球の悪人は全て滅び、コロニーは地球と和解して独立してハッピーエンド。
今さら日本のロボットアニメがやりがちなモヤッとした終わり方とか真似しなくていいよね。
でも、ガンダムは最後の戦いでぶっ壊してね。そこ外しちゃダメだから。
以上、我ながら確度の高い予想だと思うんだが、どうかな?
「オタク少年の主人公が素人なのにいきなりガンダムを操縦して敵を倒して地球側の少年兵になり超能力に目覚めて、
コロニー側の赤いロボットに乗った高貴な出自を隠した仮面の男がライバルで、同類の超能力者ヒロイン少女とテレパシーを交わす」
程度でもファーストをなぞっていたら、ツイッターのそれなりに長く使ってそれなりにフォロワーのいるアカウント名を「セイラ・マス掻き太郎」に改名してもいいぐらい自信あるよ!
注)決してファーストガンダムを実写化するとは発表されてないが、ファーストの前提で書いてます。尺は2時間想定。
金髪でひょろっとして眼鏡かけてる感じ。クラスのジャイアンみたいな奴によく絡まれてる。
機械類には詳しい。
ひょんなことからガンダムが保管されている格納庫に迷い込んで乗ってみたら動かせてしまった。
親父は映画キャストの都合で登場しないし決して設計者でもない。ガンダムは軍が作った。
ガンダム乗った勢いでザク2体は倒す。ここは割と原作準拠。でも倒した後から天才扱いされるようになる。
そのまま戦争に巻き込まれ、軍の一員になる。連邦軍?違うよ、アメリカ軍だよ。ノーマルスーツ着たアメリカ軍だよ。
ランバ・ラルは時間の都合でカットされ、黒い三連星との戦闘。なぜかノリが山賊。でも一度踏んでから纏めて倒す。
この辺からメガネがなくなってイケメンヒーロー化する。セイラさんと仲良くなる。フラウ?マチルダさん?居ません。
セイラさんと盛り上がってきたところで寸止めのジオン軍決戦の呼び出し。さあみんなア・バオア・クーへGo。
生きて返ってくるとセイラさんと約束していざ戦場へ。ジオングに乗り込んだシャアと対峙。
いきなりのサイコミュ兵器に苦戦。エルメスは設定だけの存在。実在はしません。
しかしいくら被弾しても左腕以外壊れないガンダム。ラストシューティングやるんだから当たり前。
終盤ガンダムは頭を破損、ジオングは頭のみ。さあ最後のラストシューティング。
原作と違うだって?降りちゃったら盛り下がるだろ?これだから日本人は。
お互い大破した機体から降りて銃撃戦開始。激しい戦闘の末シャアを銃殺。ええ銃殺です。
敵を生かしておいたら気持ち悪いでしょ?続編やる場合?作る時に考える。
生還したアムロはセイラさんと熱い抱擁。実の兄でもなんでもない敵を倒して平和になったからハッピーエンド。
ホワイトベース艦長。艦隊戦で色々指揮してたりする。全体的には影薄め。年季入った渋さがあってもきっと気のせい。
親父にもぶたれたことないのに、なんて言われません。ぶたないから。
主人公差し置いてミライさんと絡むこともないので、単なる脇役。
アムロが軍入りした時すでに軍人やってる何かノリの軽いムードメーカー。軽口叩けど憎めない奴。
なんかエディー・マーフィーっぽい。
アムロが軍入りした時すでに軍人やってる真面目なアジア人。ガンタンク乗り。
搭乗機体には手も足もないのでそれが操縦に生かされることはない。
本作ヒロイン担当。本名セイラ・マス。通信オペレーター担当。金髪白人美人。アムロの恋愛パート担当。
ツンとした女性らしさから、少し男っぽいキャリアウーマン的な性格に変えられる。
だってあんな演技できる女優が居ないから。それにこっちの方がウケるでしょ?
家族構成は明らかではないが、生き別れた兄が居ることはないし、ましてや敵軍に居ることもない。
MSや戦闘機に乗れるかもしれないが作中描写されることはない。
MS隊隊長。ガンタンク乗り。原作と異なり最終戦まで生き残る。死亡描写してる時間ないから。
原作では居ないはずのところで生きているのでブライトに輪をかけて影が薄い。
ちょっと恰幅の良い黒人女性操舵士。操舵経験豊富なベテラン軍人。名家の令嬢なのかは明らかでない。
ホワイトベース隊の中でも割と頼れて安心感ある感じになる。彼女の操舵に不安などない。
丸ごとカット。
ジオン軍軍人。アムロのライバル役。衣装は赤いが乗機は赤くないジオングのみ。
だって1回しか戦闘しないんだもの。出力3倍もわかりづらいから無慈悲にカット。
家族構成は不明だが、ダイクン家出身だったり生き別れた妹が居たりという話は特にない。
アズナブル家の御曹司に成りすましているわけでもない。普通に優秀な軍人。
映画のクライマックスを盛り上げるためにアムロに撃たれて死ぬ。敵役の鑑。
続編のクワトロさんは別人物だったり、逆襲の頃には「実は生きていた」扱いをするかもしれないが
今は特に何も考えない。ウケれば良いのだ。
丸ごとカット。
ジオン軍総帥。見た目以外は割と原作っぽい。崇高な志はあんまりなく世界征服したい悪の帝国の皇帝感がある。
ジオン軍参謀。人相は悪いが裏切りは考えてないし、ましてやギレンを謀殺したりしない。
シャアとは割と絡みがあるが、原作のような策謀は特になく、ストレートに上司と部下の関係。
ただの敵方女性枠。ギレンと一緒に旗艦大破に巻き込まれて死亡。
なにそれおいしいの?
あのとき誘拐犯を擁護して被害者を売女扱いしたアカウントほんとめちゃくちゃあって「でもわかんないじゃーんひょっとしたらさーいやネタだってマジになんなよバーカバーカ顔真っ赤―しかし家帰ったら女の子が待ってるとか犯人勝ち組でしたなーあー俺も女の子”保護”したいなー」みたいなの山のように見たからな。実写化でそんな意見が更に補強されたら、誘拐は面白がってオッケー娯楽にしてオッケーみたいになったらたまったもんじゃねえわと思ったよ。
私は私の生きる現実の為にひとつの作品の首を絞めたがお前らも同罪だからな。逃げんじゃねぇぞ。
そんなことで大人が人の楽しみを、少年少女のためのフィクション作品を奪い取るようなことは、本来あってはいけないんだ。
いかに現実がクソだからってフィクション作品が消される理由は無い。だから漫画連載自体は無くならないでほしいなと思う。
勝手だけど。
【まとめ】
・陰惨な作品も、アンモラルな作品も、たくさんある。消させていいなんて思わないし、生みだすことも魅力に感じることも当然の権利。
・展開するメディアは漫画、小説、テレビドラマ、テレビアニメ、映画などそれぞれ触れ、受け取るハードルの高さが違うのではないか。
・こっちのメディアでOKならこっちのメディアでもOKだよね、とは簡単にはならないと思う。
・歳くって経験値や知識があるぶん嫌なことのフラッシュバックがきっついし、だからといって無視できない影響力があるとわかってるから行動する。楽しみにしてたファンは恨んでくれ。ごめん
というのが今回の騒動の一面ではあるよという話でした。4行になったわすまん。