はてなキーワード: 四書五経とは
包丁やガスコンロの存在を知らない人間が料理テクについて語ってるようなもん。
アホなのかと。死ぬのかと。せめて高校の倫理学くらいは100%理解してから話しろよ。
何が悪くて何が善いのか、お前のミジンコ以下の脳みそだと判断できねえって言ってんの。お前だよお前。この文章読んでるお前。
お前が考えてることはもう1000年前から議論されて答え出てんの。だから考えるな。語るな。お前が意見を出そうとするとそれだけで迷惑なの。
高校の倫理は難しいってんならせめて四書五経くらいは完全に理解しろよ。
それができねえなら、何は批判されるべきとか、そういう議論に口を出すのマジでやめろ。それか今すぐ死ね。清らかな心も持てねえのかよカス。便所にいるゴキブリ以下なんだよお前は。
なんでもいいから早く死んでくれ。
新自由主義を批判していることで知られる、英国の著名な人文地理学者David Harveyは、彼の著書の中で「『個人の自由』を至上の価値に戴く個人や集団は、容易に新自由主義に乗っ取られる」と云う箴言を記しています。
福澤諭吉は、おそらく最も本邦のネットウヨクに人気がある思想家です。福澤諭吉は神仏の類いを一切信じず「人間の在り様は全て『個人の努力』のみによって決定される」と考えるような「近代日本における『自己責任論者』のパイオニア」でした。ですから、巷間よく言われる「ネットウヨクは『保守』ではない」と云う言葉は、正しいと言えると思います。(四書五経や日本の儒学者の著作、仏典、古事記・日本書紀・万葉集・古今和歌集などの国文学等に親しんでいるネットウヨクなどは、ゼロではないでしょうが多数派でもないでしょう。)
その福澤諭吉は、彼の自宅を訪れる人間が貧しかったり地位が低ければ「そいつがそんな状態に在るのは、努力を怠っているそいつ自身の自己責任なのだから、そいつをぞんざいに扱っても構わない」という態度で、わざわざ安物の茶を出すなど対応の仕方を変えていたと伝えられています。
我が国におけるアジア諸国に対する蔑視感情も、福澤諭吉の系譜に連なる「日本は努力して脱亜入欧を果たした。しかし、彼奴等の国は努力をしなかった。だから、オレたちが彼奴等を見下しても彼奴等の自己責任だ」という考えに帰着します。
さて、現在のはてな界隈では「不寛容な(例えば、人権意識が低い)人間に対しては、こちらも不寛容な態度に出ても構わない」とする考え方が主流のようです。
そこで、私個人の考えていることは、
(1) 寛容性は、教育・学習により身につく知的な財産である。
(2)_a 格差社会が深刻化すれば教育・学習格差も拡大して、貧しい教育しか受けられない人間が発生する。
(2)_b 仮に経済的に貧しい家庭ではなくとも、保護者に問題があって、教育ネグレクトや洗脳の状態に置かれれば、学習機会を得られない人間が発生する。
(3) そうして教育・学習の機会が貧しくなり、寛容性を身につけられなかった人間が発生する虞がある。
ということです。なお、(2)_bの教育ネグレクトや洗脳の被害者に対するセーフティネットも、格差社会が深刻化すれば、貧弱なものになると予測されます。
それを踏まえて、ここで私が問いたいのは、我々が不寛容な人間に遭遇した時に「それは、そいつが『不寛容な人間』にならないように努力することを怠った結果なのだから、我々もそいつに不寛容な態度をとっても構わないのだ」とすることが許されるのか?と云う点についてです。
ある人は言うでしょう。「教育・学習の機会が貧しくても、そういう人間の全てが『不寛容』になるわけではない。だから、そいつが不寛容なのは、やはり、そいつ自身の責任なのだ。したがって、こちらも不寛容な態度をとっても構わない」と。
あるいは「こちらが不寛容な態度をとることによって、奴らに目を覚まさせるのだ」と。
かつて生活保護バッシングが起きた時(と言うか今でも現在進行形で起きているのですが)に、決り文句のように言われた/言われるのが「貧しい人間の全てが、生活保護に頼っているわけではない。条件に拘らずに働き口を探せば、生活保護を受けるような貧困状態に陥るはずがない。生活保護を受けるような人間は、そいつが怠惰だからなのだ」とか「生活保護に頼らざるを得ないような、不健康な状態にまで身体を壊したのは、そいつが努力を怠って不節制な生活を送っていたからだ」といった言葉です。
はてな界隈では、リベラルや左派の方が多いので、経済的な貧しさ、疾患・障害などの肉体的な貧しさ等に関しては『自己責任』論者が批判される傾向にある一方で、知的な貧しさに関しては『自己責任』論者となる人が屢々見られるので、私は不思議に感じてます。
以前は「攻撃や争いよりも対話や教育を」という姿勢の方も多数見かけたような気もしますが、最近では「彼奴等は、あんな奴らだから、関わったり対話を試みるのは徒労だ」として、対話の努力を放棄したかのような人も増えたように見えます。
はてな界隈は、個人の自由を重んじる人が多いので、D. Harveyの言うように新自由主義に乗っ取られてしまい、結果として「自己責任論者」が主流となったのでしょうか?
四書五経の角で頭を殴ってやれ
承前 : Part-8 https://anond.hatelabo.jp/20201018143903
次回 : 予定無し
今回は路頭🙏おじさん専用回だ。毎回コメントをしてくれたお礼に救いようのない話をする。
学歴があり頭が良く生産性の高いエリート達が高給を稼いでいるように見えるシリコンバレー。
「シリコンバレーではlayoffは日常茶飯事。皆慣れたものであっけらかんと次の職に移る」
シリコンバレーで職を失うことは母国で職を失うことよりも悲惨な状況になる場合が多々ある。
まず、Unvested RSUはすべて没収される。以前取り扱ったXさんのような場合、3年目以降のvestを目前にして首を切られようものなら号泣では済まない。
場合によってはvested stock optionさえ没収されることもある。Skype買収の際の詐欺紛いの雇用契約書によるSO没収を覚えている人もいるのではないだろうか: https://techcrunch.com/2011/06/26/skypes-worthless-employee-stock-option-plan-heres-why-they-did-it/
さらに、外国人の場合visaが問題となる。H1の場合「すぐさま」(実際に何日かの解釈は未決定)次の職を見つけねば帰国しなければならないし、F1 OPTの場合は数週間だ。
Lの場合は問答無用である。さらに、こうして帰国することになった後、また米国に戻ってくるのはかなりの骨だ。求職の難易度は一段跳ね上がる。H1が取りにくいインド人などは死活問題である。
GCの手続きもやり直しだ。PERMまで終わっていれば大した影響はないが、それ以前ならほぼ一からのやり直しである。
こうした状況で心底あっけらかんとできる人はそういない。表情には出さなくても、心中は絶望と怒りで満杯だ。
社員が職を追われる状況全体を指してFiredと呼ぶ人は多くいる。これは無知かoversimplificationだ。ごく一部のみが本当のFireを経験する。つまりmutual agreementが一切無くinvoluntaryなfire for causeだ。
何故か。カリフォルニアはat-will employmentであるから、社員の首を切るのはいつでも如何なる理由でも自由のはずではないか。
現実は随分と違う。例えば、ある社員のパフォーマンスが悪かったとしよう。単なる中間管理職であるその上司が"You are FIRED!"とBTTFの一場面のようにその社員をfireしたとしよう。
何の事前準備も無く、何の契約書もない状況でそれをした場合、その社員が会社をdiscriminationで提訴する可能性がある。つまり、このfireはパフォーマンスが原因であったというのはbaseless、実際はその社員のrace, religion, genderなど法律で差別が禁止されている要素によってなされたものだ、と。実際に提訴する社員は少ないし、勝訴する可能性もそれほどではない。しかしその可能性があること、その場合の会社への損害が、特にブランドが大事な大企業の場合多大であることから、のっけから示談に持ち込まれる可能性がある。その社員は大枚をせしめることになる。そうでなくても、首を切られた社員はunemploymentを受給できる(社会通念に触るようなcauseの場合を除く)ので翌年からinsuranceに影響する。たかが一社員のために全社に関わるそんな問題を起こした中間管理職の運命は推して知るべしだ。
つまり、だれの目から見てもその社員が社会通念上あるいは雇用契約上の何かに抵触したような場合(GoogleのJames Damoreが記憶に新しい)でない限り、何らかの事前準備、あるいはその社員との間の何らかの承諾書なしに首を切ることは大企業の中間管理職にとって考慮の外なのである。一部下のパフォーマンスどうこうで自分を危険にさらす人間がどれだけいるのか。いるとしたら馬鹿である。
しかし、まだブランドを気にする段階にないstartup、あるいは法律やHRにまだ詳しくないその経営者などによってこのreal fireが行われることもある。訴訟されないのはsheer luck。後でlegalやHRに釘を刺されることだろう。
これはWork Force Reduction (WFR)あるいはReduction In Force (RIF)と呼ばれる、本物のlayoffだ。
ビジネス上の理由があり、きちんと書面で事前準備をして、その部署の全部または一部をlayoffする。
LegalとHRがしっかり事前準備をしている限り、訴訟リスクはほぼ無い。但し、その部署は縮小傾向にあることが前提なので、翌年からのH1/GC手続きに制限がかかる。
個人のパフォーマンスどうこうの事由ではないので、大抵severanceは太っ腹であり、他部署へのtransferもできるだけ支援される。
社員にとっては悲劇ではあるが、全体でみるとまだ地獄の入り口にも達していない場合である。
今回の主眼である。
その社員が本当にlow performerだったとしても、fireはできない。ではどうするか。以下のどちらかが必要となる。
どのようなlayoffだっとしても、まず一つ目の選択肢が与えられる。severanceもきちんと払われる。逆に言えばそれを人質にしてこの選択を迫る。
あくまでもvoluntaryなので離職後にunemploymentは出ない。早急に次の職を探さねばならない。
社員が承諾しない場合のため、二つ目の選択肢の準備が必要だ。これこそが恐怖のPerformance Improvement Plan (PIP)だ。
その社員は即座に辞めることを拒否する代わりにPIPに入ることを選択し、一定期間その上司と何らかの「プロジェクト」に携わる。
名前が示す通り、表向きの目的は社員のパフォーマンスを向上させることだ。実際にそういう場合もあるだろう。しかし、囁かれる事例のほとんどは訴訟リスクを下げる形式付け以外の何物でもない。
上司がせっかく用意したPIPでも向上の兆候が見られなかった。明らかなlow performerでありこれを事由として解雇する、となる。
中には明らかに達成不可能な「プロジェクト」をあたえられる場合もあるし、たとえ達成してPIPを抜けたとしても今後の出世はほぼ無理だ。
PIPをもってdeath sentenceと呼ぶことが多くあるのにはこういう背景がある。ほとんど全員が宣告と同時に職探しを始める。
想像してほしい。訴訟リスク低下のためだけに、達成不可能なように、自分で辞めるように、調整された拷問を受けるのである。
しかもそれを執行するのは自分を無能と判断した上司。実際どちらが根本原因なのか他人は知る由もない。
まさに糞である。
会社としてもこんな制度があるのは好ましくない。しかし現実には存在する。何故か。
残念ながら、この場合も多い。一流大学から来た、LeetCode面接を華麗に突破した新入社員たち。
彼ら全員が実務で使える技術者になれるか? No way!
説明が難しいのだが、実務で使える技術者になれるかどうかはその人の資質による。LeetCodeをたくさん練習してきたかどうかとは殆どかかわりがない。
脳の回線が何か違うのか、実務でとことんダメな子はいくら教育してもダメなままであることがほとんどだ。そのような例を多数目にしてきた。それこそ大事なコードを書かせてはいけない人々だ。
自分は面接でLeetCodeは一切させない。Unit testについての経験、難しかったdebugの経験などについて質問することにしている。
しかし、業界全体ではLeetCodeを多用し(楽なのだ!)、LC面接に向けて特化練習してきたダメな子とそうでないが実務で使える子と、評価が逆転することになる。
ただの暗記・努力コンテストなら四書五経の暗唱と変わりないではないか。
糞すぎる。LeetCode delenda est!
Coasterというのはもともと、ある種の成功者達を指していた。Google/FBなどが買収した企業の社員であったり、長年いて大事なシステムの難しいところをすべて心得ている人だったり、とにかく会社が失うわけにはいかない人々だ。そういった人々の中には、遮二無二働くのをやめ、会社に来るだけでほとんど仕事をしない。しかしRSUはたっぷりと支給されているので辞めるわけにもいかない。Rest and vest. Retired at office. 悠々自適の人生を送る、つまりcoastingしているのだ。そういった人々の中には年間$1Mを得ているひともいる。
ある種の糞コミュニティではこの言葉の意味を広げ、単なるslackerにも適用するようになった。
真のcoasterほど会社に必須の、高ランクの社員ではないが、長期間昇進しなくても首を切られないterminal level (GoogleのL5, AmazonのL6等)に達し、あとは流している人々だ。
会社によっては沢山いる。こういったslackerの方が真のcoasterよりも問題である。
すでに功成り名を遂げた真のcoasterは他人のプロジェクトに口を挟まず、その卓越した経験から時にpinch hitterをすることもある。彼らが高給をせしめようが、会社が傾かない限り自分はどうとも思わない。
逆に、slackerは自分の存在を正当化し、最低限必要な評価(GoogleのCME等)を得るために他人の成果を横取りしたりpoliticsに興じる場合がある。
Passive-aggressive masterも多くて非常に苛立たしい。Nefarious shxtbag. Atrocious slacker. GTFO for god's sake!
まさに癌である。是非ともPIPられて欲しい。
本当に救いようがないのはこの場合だろう。
上記のようなlow performer, slackerという判断は誰がするのか?もちろん上司である。
ではその上司の判断は常に正しいのか? NO FUXKING WAY!
実際はできる社員が糞上司に陥れられてPIPられる話は枚挙に暇がない。
大体、本当にその社員がダメだったとして、そのような状況になった原因のある程度は面接の手法だったりプロジェクトの進め方だったりにもある。
その全責任を部下に押し付けて、自分は被害者かのようにふるまうのだ。
さて、各会社でどの程度PIPが行われているのか?
糞コミュニティ筆頭blindで"PIP"で検索して出た中から、ある程度スクロールダウンした後のキーワード発生回数を見てみよう。
Amazon+AWS | Microsoft+MSFT | GOOG | APPL | Netflix | |
---|---|---|---|---|---|
653+46 | 85 | 59+16 | 55 | 40 | 2 |
単なるブラウザ上のキーワード検索なのでその会社でのPIPなのかどうかとは関係ないかもしれない。しかし、以上のFAANG+Mの中で一つだけダントツにヤバいのがいるのは確かだろう。
AmazonのPIPは際立っている。そもそも、他の企業と違い、unregretted attrition (URA)が「最低で」5-10%になるように管理職にPIP対象者選定を強制する地獄そのものの制度があるのだ。
FBのPIPもよく知られているが、少なくとも建前上は必要な場合のみ行われるもので、最低首切り率などという制度は(自分の知る範囲では)無い。
このような状況で、自分やそのお気に入りがPIPられないように、管理職はbackstab, throw under the bus, hire to fireに長けていくことになる。
まさに地獄である。いや、正直さや善行をappreciateする閻魔様に管理される地獄の方がどれだけ良いか。
ところで、上のランキングの最下位であるNetflix。ではPerformance-based layoffが無い楽園なのかというとまったくの逆である。
どんどん首を切る。制度として確立したPIPすらなく、単に首を切るのだ。もちろんseveranceは選択肢にあるが、多くの社員がそれを選択せず提訴したらどうなるのか、興味がわく。
この辺り、技術者間にランク分けがないのと合わせ、startupの気風を色濃く残すFAANGの変わり種といったところだろう。
PIPという点ではもっとも安全なのはGoogle. PIPがほぼ無く、L5に到達してCME以上なら他のチームに渡り歩くだけで首を切られることは無い。
それはいいことなのかどうか、また色々と風聞のあるGCPではどうなのか、という点まで行くとdepends on whom you ask。興味があれば自分で情報収集してほしい。
今回までで9回、時には30分よりも大幅にかかって書くことになった。
面白がってくれた人、役立つ情報として何かを学べた人、がいれば幸いである。
他に何か、多くの人が興味を持つトピックがあれば次回を書くかもしれない。
但し、「どうしたらシリコンバレーで就職できるか」などの他人任せの質問に答えるつもりはない。自分の人生は自分で切り開いて欲しい。
暇を持て余して漫画やなろう小説しか読んでいない日常を過ごしている。
普通の小説も昔はよく読んだが今ではあんまり込み入った話をよみたくない年頃である。
しかしなろう小説の良さは、二次同人小説と同一線状の楽しみがあることだと思う。
こう言う話を読んだ、面白かった、似たストーリーの話をもっと読みたい、と言うときに
なろうの世界は同一ストーリー、しかも少し味付けを変えたやつ、を読み切れないほど用意してくれている。
キラキラしい主人公たちの名前? わかりやすくていいじゃないか。
馴染みのない普通の横文字名前なんか大量にでてきたら誰が誰だかわからない。
いちいち説明されてたら理解するのがめんどくてそこで読むのやめる。
なろう読者はシチュエーションが見たいのであってオリジナルな世界観など興味ない。
私たちは二次小説を読むとき、技巧なんぞ気にしているだろうか。
そんな物は気にしない。好きなキャラたちをみたいのだ。
程々読みやすく、知った世界観で、このキャラがこう言う風に行動したら良いなーみたいな、そう言う願望を満足させてくれたら十分だ。
なろうも同じだ。
これだけはやっている姿を見ればもうわかるだろう。
なろうに限らず、今時は、小説にこ難しい理論や練られたプロットや優れた心理描写などいらないのである。
「易経」をご存知だろうか。
当たるも八卦当たらぬも八卦でおなじみの易占のテキストであり、儒教の四書五経の一つである。
周の時代に成立した書であるゆえ、これを出典とする言葉や名前も多い。
有名どころでいえば「観光」、「啓蒙」、「維新」、「資生堂」などである。
易経には、「陰」と「陽」の組み合わせで全部で64の「卦」が書かれている。
「卦」はそれぞれ漢字一字または二字の題がついている。
そして、それぞれの「卦」は、六つの「爻」と呼ばれる節から構成されている。
詳しいことは各自ググるなり本を読むなりしていただきたい。
さて、この易経の第三十五卦は、「晋」である。
人名にもよく使われる字である。
そして、皆様ご存知の日本のとある政治家の名前にも使われている文字である。
「晋」の「三爻」には、「衆允。悔亡。」とだけ書かれている。
三浦國雄による読み下しと訳文は以下の通りである。
読み下し:衆允とす。悔亡ぶ。(しゅうまこととす。かいほろぶ。)
日本語訳:みんなから信用され、難儀が消える。
「晋」と「三」から成るあの政治家の名前は、もしかしたら易経に由来しているのかもしれない。
由来は関係ないとしても、占いに頼っていると週刊誌に報じられたこともある彼のことだから、「易経」のこの文言のことは知っている可能性が高い。
そして彼は、自身の名前と関連のある「衆允とす。悔亡ぶ。」を自らのモットーにしているのではないだろうか。
周りの友人たちから信用され、難儀は消さないといけないと考えて、これまでに数々の大混乱を引き起こしているのではないだろうか。
あるいは、居直っていれば、一般大衆からも信用されて、悪い局面は無かったことになるとでも思っているのだろうか。
彼は、「易経」の教えに従っていれば何とかなると思っているのかもしれない。
でも、彼のやっていることは、悔を允にしようとして、衆が亡びる道を作っている。
「古典は本当に必要なのか」と今訊かれたら、どう答えるだろうか。(この問いを「高校で必修科目にするべきか」に矮小化して競うのはズルいなあ)
例えば、今『幸福な監視国家・中国』を読んでいるが、これを読むとどうも中国政府が作ろうとしているのは、ある意味で儒教の理想社会なのではないかと思う(明天子としての国家主席)。
社会信用システム、個人の信用を数値化し、数値が低いと各種サービスが受けられなくなる。法と刑罰で縛るのではなく緩やかな制裁、不便さ生きづらさを与えることで自発的な服従を引き出す(馴致)。「修身斉家治国平天下」をIT技術の力を駆使して実現しようとしている、ように俺には見える。
儒教とは民主主義とは異質な、いわば統治者の統治者による統治者のための政治哲学。人には身分があるという前提の上で、礼儀正しく他人に優しくしましょうねという思想。現在の中国政府が目指す路線もそれで読み解ける部分が大きいのではないか(少なくとも内政に関しては)。
すなわち、支配する中国共産党と支配される中国国民という大前提の上で、高い教養と徳を兼ね備えた選ばれた君子ならぬ党執行部が、民草ならぬ国民を善導し仁政を施す、こういうイメージ。「天網恢恢疎にして漏らさず」というが、その天網を技術の力で人為的に構築しようとしている。その結果生まれた(生まれつつある)「監視国家」では、人々の暮らしは便利になりマナーも向上し犯罪も減ってきた。そもそもの大前提に疑問を感じないのであれば、それなりに暮らしやすい社会なのかもしれない。
「自由で平等な個人からなる市民社会」を唯一絶対の価値とする西洋近代から見れば、今の中国社会はディストピアにしか見えないだろう。だから人権とか環境とか、相手にとって響かない言葉を批判材料に持ち出してしまう。全く噛み合ってないのだ。
しかし、「君子が民草を善導する儒教社会」を念頭に置いて見るなら、(好悪は別として)それなりに理解できる。したがって噛み合った対話が可能となるし、上手な付き合い方も見つけられるのではないか。
以上のような推論が正しいのかは措くとしても、こういう考察ができるのは俺が漢文を読めるからだ。
勿論四書五経を精読した訳ではないが、要点はかいつまんで把握していて、必要があれば誰かに訳してもらわずとも自分で読めるからだ。
もしある人が中国や中国経済に関心を持っていても(あるいはビジネス上持たざるを得なくなっても)、彼が漢文を全く読めなければどうか。影響力のある著名人が「修身斉家治国平天下を連想させる」と指摘するまでそれに気づくことはできないだろう。また、仮にそれを聞いても出典である『大学』を読めなければ指摘の真意を理解できず、したがってその当否も自分では判断できないことになる。
つまり漢文の素養がある人は、ない人に比べてより早く、より多くの可能性を想定することができる。したがって対象への理解の程度もより深くなる可能性が高い。その知見をビジネスに生かすこともできるだろう。
要するに古典というのは、今起きていること、起こりつつあることを理解するうえで役立つ枠組みを我々に提供しているのではないか。
というより話は逆で、理解の枠組みとして多く参照された作品が結果古典として残っているのではないか。たくさん引用された論文がそれだけ権威を持つように。
「高校の授業が古文漢文の真価を学生に伝えられているか」は大いに疑問だし、厳しく問い直されるべきだと思う。が「古典は本当に必要なのか」と問われれば、俺は躊躇なく是と答える。
現在、そしてこの先しばらく国際社会に大きな影響を与える中国という巨大な異文化と対峙した時、日本には他国にない大きなアドバンテージがある。漢字の読み書きができる、そして中国文化を受容し改変してきた伝統がある。このアドバンテージをむざむざ捨ててしまうのは愚かしいと言わざるを得ない。
この主張だと「では日本の古典は勉強しなくていいのか?」という反論が想定されるが、それについてはまた機会を改めて考えよう。
【エピソード1】
中国では『科挙』という役人採用試験が行われ、それで合格するために出題される四書五経を丸暗記する者が多数いた。
丸暗記するのは穴埋め問題が出るからなのだが、穴埋め問題になりやすい場所というのは当然あるのである。
というわけで、明の時代になると『科挙の穴埋め 出る順対策本』的な本も出版されるようになった。
【エピソード2】
藤原道長には異母弟の通綱という人物がいたのだが、この男は『自分の名前以外の漢字は読めないと言われる』『歌が詠めないから将来の結婚を心配した母親が熱心に歌の指導をした』など無能エピソードには事欠かない人物だった。
そんな男も自分が無能であるという自覚はあったが出世欲もあったらしく、異母兄の道長に「1ヶ月で良いから大臣にしてくれ。すぐ辞任するから」などと相談したという。
などなど、過去の人物は科学的知識などの差で我々と違う部分もあったりするのだが、特に人間同士の関係なんかでは『結局人類そのものは数千年間変わってないんだなあ』と思わせるような出来事も多数ある。
様々な歴史の出来事を知り、『文明や科学技術で何が変わって、何が変わらないか』を考えればおのずと『人間とはどのような生き物か』について知ることが出来るぞ。
「聖人南面して天下を聴き、明に嚮ひて治む」というこの言葉は、過去の改元の際に江戸時代だけで8回、計10回候補として勘案されているが、通算11度目にして採用された。岩倉具視が松平慶永に命じ、菅原家から上がった佳なる勘文を籤にして、宮中賢所で天皇が自ら抽選した。聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味である。
「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨りて以て正しきは、天の道なり)から。「大正」は過去に4回候補に上がったが、5回目で採用された。
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓昭明にして、萬邦を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。なお、江戸時代に全く同一の出典で、明和の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。
新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」(明)など、外国の年号や13代成務天皇の諡号には使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。
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安延, 安化, 安寛, 安観, 安慶, 安恒, 安治, 安長, 安徳, 安寧, 允徳, 永安, 永基, 永吉, 永光, 永康, 永錫, 永受, 永昌, 永世, 永清, 永大, 永貞, 永禎, 永同, 永寧, 永平, 永宝, 永命, 永明, 永隆, 延化, 延嘉, 延弘, 延寿, 延祥, 延仁, 延世, 延善, 延禄, 延祚, 応寛, 応観, 応久, 応元, 応平, 応宝, 応暦, 応禄, 応烋, 嘉延, 嘉享, 嘉恵, 嘉康, 嘉高, 嘉彰, 嘉仁, 嘉政, 嘉長, 嘉徳, 嘉福, 嘉文, 嘉猷, 会同, 皆安, 開成, 乾永, 乾亨, 乾綱, 乾天, 乾徳, 寛安, 寛応, 寛化, 寛久, 寛恵, 寛承, 寛寧, 寛裕, 寛禄, 漢徳, 監漢, 監徳, 観国, 観仁, 観徳, 含弘, 喜慶, 喜元, 喜文, 義同, 久応, 久化, 久治, 久承, 久長, 久徳, 久保, 久暦, 久和, 休祐, 休和, 享安, 享延, 享応, 享久, 享寿, 享正, 享長, 享封, 享宝, 享明, 協中, 協和, 恭明, 興化, 興徳, 興文, 欽永, 慶永, 慶延, 慶治, 慶仁, 慶成, 慶徳, 敬徳, 継天, 継明, 堅永, 建安, 建嘉, 建光, 建功, 建寿, 建初, 建承, 建正, 建聖, 建太, 建大, 建中, 建貞, 建定, 建福, 建文, 建平, 建万, 建明, 建禄, 建和, 顕応, 顕嘉, 顕祥, 元安, 元延, 元化, 元嘉, 元観, 元喜, 元吉, 元功, 元康, 元初, 元聖, 元長, 元貞, 元寧, 元宝, 元万, 元竜, 玄通, 光文, 功永, 広運, 康楽, 康承, 康長, 康徳, 康寧, 康文, 康豊, 康万, 弘永, 弘応, 弘建, 弘元, 弘徳, 弘文, 弘保, 弘暦, 恒久, 洪徳, 高克, 祉長, 至安, 至元, 至治, 至正, 至聖, 至平, 治延, 治応, 治建, 治昌, 治政, 治定, 治徳, 治平, 治万, 治和, 寿延, 寿考, 寿長, 寿徳, 修文, 柔嘉, 俊徳, 淳紀, 淳仁, 淳徳, 順安, 順応, 順享, 順治, 順明, 承延, 承寛, 承慶, 承天, 承統, 承寧, 承宝, 承禄, 昭応, 昭化, 昭建, 昭長, 昭徳, 祥応, 祥久, 祥見, 祥和, 章明, 紹明, 慎徳, 神化, 神和, 仁永, 仁応, 仁化, 仁興, 仁厚, 仁昭, 仁成, 仁政, 仁正, 仁長, 仁保, 仁宝, 仁豊, 仁養, 垂拱, 瑞応, 成功, 成治, 成徳, 成和, 政化, 政教, 政至, 政治, 政善, 政徳, 政平, 政和, 正永, 正化, 正観, 正吉, 正建, 正弘, 正仁, 正万, 正禄, 盛徳, 斉治, 斉泰, 斉徳, 斉万, 戴徳, 泰和, 大安, 大応, 大嘉, 大寛, 大観, 大喜, 大亀, 大亨, 大慶, 大元, 大康, 大弘, 大初, 大承, 大仁, 大政, 大中, 大長, 大寧, 大武, 大平, 大万, 大暦, 大禄, 地寧, 中興, 長育, 長永, 長応, 長嘉, 長観, 長喜, 長慶, 長寿, 長祥, 長仁, 長正, 長寧, 長平, 長万, 長養, 貞嘉, 貞吉, 貞久, 貞亨, 貞勝, 貞正, 貞徳, 定業, 定保, 廷正, 禎応, 禎祥, 天嘉, 天寛, 天観, 天亀, 天久, 天求, 天享, 天興, 天業, 天啓, 天恵, 天健, 天建, 天弘, 天受, 天寿, 天順, 天叙, 天澄, 天成, 天政, 天静, 天節, 天聡, 天大, 天秩, 天貞, 天定, 天統, 天同, 天寧, 天佑, 天悠, 天祐, 天隆, 天烋, 天祚, 同徳, 同和, 得寿, 徳安, 徳永, 徳延, 徳化, 徳嘉, 徳久, 徳建, 徳元, 徳寿, 徳仁, 徳政, 徳斉, 徳善, 徳保, 徳暦, 徳禄, 徳和, 徳祚, 寧永, 寧延, 寧治, 寧長, 寧和, 能安, 能成, 武功, 福応, 文嘉, 文寛, 文観, 文享, 文建, 文元, 文功, 文康, 文弘, 文始, 文承, 文昭, 文祥, 文仁, 文長, 文定, 文同, 文平, 文邦, 文万, 文隆, 文熙, 平康, 平章, 平泰, 平和, 保嘉, 保貞, 保徳, 保寧, 保佑, 保禄, 保和, 輔徳, 宝安, 宝観, 宝承, 宝仁, 宝文, 万安, 万永, 万応, 万喜, 万弘, 万祥, 万長, 万貞, 万徳, 万寧, 万福, 万保, 万宝, 万禄, 万和, 明安, 明化, 明享, 明教, 明建, 明順, 明政, 明徴, 明長, 明定, 明保, 明宝, 明万, 靖寛, 有治, 容徳, 用保, 陽安, 養寛, 養元, 養治, 養寿, 養仁, 養万, 立成, 立徳, 隆治, 竜徳, 令徳, 礼道, 暦久, 暦長, 暦万, 暦和, 禄永, 禄長, 和元, 和政, 和同, 和徳, 和寧, 和平, 和保, 和宝, 和万, 和暦, 咸章, 咸定, 咸寧, 咸保, 咸和, 洽和, 祟徳, 秉徳, 綏禄, 遐長, 雍和, 熙康
元号の条件とされているのは以下。
さらに
あたりは追加して良さそう。
そのうえに
といった推測ができる。
過去の落選候補をこうした条件のもとで選り分けていくと、「永」「久」「仁」「文」あたりの漢字が単純で分かりやすい感じがする。
平和志向については、「平」「和」が既に使われており、「安」がNGなので、「康」「寧」あたりを(どちらも画数が多くて「寧」なんかは特に避けられる気も)。
半角スペース区切りで検索すると二つの漢字が近い位置にある文章が出てくる。
候補をいくつか並べていく。
永康兆民
可久則賢人之徳
久しかるべきは、すなわち賢人の徳。
君子体仁足以長人
君子は仁を体すればもって人に長たるに足る
君子の心構え系。
文王康之
いまどき文王って…みたいになりそう(でも五経とかで「文」っていうとだいたい文王なんだよな)。
文王卑服,即康功田功
文王服を卑しくし、康功田功に即けり。
同じく周の文王系。
いやあ、難しくない?
どれも一長一短でピンと来るやつがないわ。
検索したのは「経典文献」カテゴリのみだけど、「史書」のほうまで検索しないと良いのはないかもしれない。
落選候補以外かつ五経以外から個人的に考えるなら、史記の「偃武行文」から「行文(ぎょうぶん)」なんてどうだろうか。
というのも、書経の「偃武修文(武を偃せて文を修む=戦争をやめて学問を修める)」から「修文」というのが「平成」と並んで候補になったんだけど、昭和と同じイニシャルだから落選してしまったという話があり、それなら同じ意味の「偃武行文」から取ればイニシャル問題は解決できるんじゃねーかなって思ったから。
まあそれはあるんだけど読みを変えればセーフということにしたい。
あと前の候補の「修文」もそのまんま「学問を修めること」だから、それが候補になったということはありなのかなって。
ここまで頑張っても「天皇の諡号となるからには『徳』は避けられる」というとこに気付けない増田であった - mahalのコメント / はてなブックマーク
「徳」は祟りそうな天皇に与える慣習があり縁起が悪いから、明治天皇が倒した徳川の「徳」だから、皇太子が「徳」仁親王だから、の三つを考えたけど、どれのことを言っているのか分からなかった。
でもいずれにせよ確かに避けそうだと思ったので「徳」は無いのかなあ。