はてなキーワード: 九州とは
統計を眺めるときに並び方が分かっていた方が便利なので覚えた。他の人の役に立つか分からないが整理を兼ねてメモ。
北海道→東北→関東→中部→近畿→中国→四国→九州・沖縄 という地方の流れと北から南・東から西という原則を抑えつつ各地方を細分化して覚える。
北海道 | 北海道 | 北海道(1) |
東北 | 三陸 | 青森(2) 岩手(3) 宮城(4) |
東北 | 奥羽本線 | 秋田(5) 山形(6) 福島(7) |
関東 | 北関東 | 茨城(8) 栃木(9) 群馬(10) |
関東 | 埼玉 | 埼玉(11) |
関東 | 東京湾 | 千葉(12) 東京(13) 神奈川(14) |
中部 | 新潟+北陸 | 新潟(15) 富山(16) 石川(17) 福井(18) |
中部 | 海なし | 山梨(19) 長野(20) 岐阜(21) |
中部/近畿 | 東海 | 静岡(22) 愛知(23) 三重(24) |
近畿 | 新快速 | 滋賀(25) 京都(26) 大阪(27) 兵庫(28) |
近畿 | 紀伊半島 | 奈良(29) 和歌山(30) |
中国 | 山陰 | 鳥取(31) 島根(32) |
中国 | 山陽 | 岡山(33) 広島(34) 山口(35) |
四国 | 橋 | 徳島(36) 香川(37) 愛媛(38) |
四国 | 高知 | 高知(39) |
九州 | 上の方 | 福岡(40) 佐賀(41) 長崎(42) |
九州 | 熊本 | 熊本(43) |
九州 | 日豊本線 | 大分(44) 宮崎(45) 鹿児島(46) |
沖縄 | 沖縄 | 沖縄(47) |
青森に始まり福島に終わることを抑えた上で間の4県は太平洋岸→日本海岸の順。
埼玉の位置が微妙なので独立グループとし、3+1+3で覚える。
正直うまい覚え方が浮かばなかった。全体としてS字を描くイメージでいいかもしれない。
連番だが地理的に離れている箇所
※ネトウヨ 七生報國二生@sinsyu_samurai2
#拡散
朝倉の大豪雨で、母親が赤ちゃんを庇いながら亡くなった。そのお通夜に、鬼畜朝日新聞が突撃し、受付で遺族を呼べと取材要求。貴様らマスゴミは、被災地と被災者の惨状ばかりセンセーショナルに報道し、新聞を売る為なら遺族の絶望に追い討ちを掛けるのか?それが血の通った人間のやる事か!! pic.twitter.com/kzynK2bH1q— 七生報國二生 (@sinsyu_samurai2) 2017年7月8日
九州豪雨災害で亡くなった母子のお通夜で、朝日新聞の記者が強引な取材をした、という趣旨のツイートが流れていますが、そのような事実はありません。朝日新聞社はお通夜の会場や、その周辺での取材はしていません。今回の豪雨で被害に遭われたすべての方々に、心からお見舞い申し上げます。— 朝日新聞西部報道センター (@asahi_seibu) 2017年7月9日
http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51929600.html
もし仮に加計学園問題が東北だったらもしかしたら誰も文句つけなかったんじゃね?
さすがに震災復興を名目にすれば蓮舫の阿呆も政権批判出来なかったよね。
だって可哀想な東北には復興支援を沢山してあげてお金を恵んであげないと可哀想だもん。
多分これ場所が四国だから獣医師学会も四国なんかに獣医学部いらんだろ的な対応なんじゃね。
マスコミだって、本当に愛媛に獣医学部が必要だったんですかね。それが問題です(キリッ)とか言っちゃう有識者()出したりとか本当に四国ナメすぎ冷遇どころか無視だよ無視存在無視。
あーあとアーティストの全国ツアーとかも大抵、北海道東北東京横浜名古屋大阪福岡沖縄、みたいな。たまに広島公演とかあると歓喜だよね。四国じゃなくて中国だけど。
東北は震災起きて可哀想だからw杯も東京五輪も試合してもらえるんだよ。
高知辺りで津波で一万人くらい流されたら流石に全国の皆さんも日本に四国っていう地域があったことくらい思い出してくれるでしょう?
観光客だって東北より遥かに四国に来る観光客の方が少ないし数字として資料があるのに、地震があって東北の観光が下火になってるからとか言って国は東北東北連呼して支援してあげるんだよね。
本当に地震が東北で良かったよね。九州も大雨で大変な被害があって良かったよね。
天災にすら縋らないと忘れられた地域のまま貧困と超少子高齢化が進んで消えていってしまうんだよ。
学界は奈良説なんだけど、一般では九州説が人気だから仕方ない。
そんで供給があれば九州説ベースの小説おもしろい、と一般の人は思うので、
九州説を支持してまたそういった小説を求める…という循環なのではないか。
高天原と表現されるのが九州で、神武東征で邪馬台国勢力が畿内へ~とか題材にするとおもしろくなりやすいのよね。
魏志倭人伝の人物だけしか出せないのと、記紀の神々も登場させられるのだと、キャラの厚みも違うし。
晴れ
かなり暑い
水位低い
サギなし
カモなし
甲羅干しの亀1
こんなに天気いいのに少ない・・・と思ったけど、たぶん、おとといと昨日十分に甲羅干しした(勝手な予想)から今日はもういいやってなってそう
亀の種類はぐぐって見てみたけど十中八九ミドリガメ(外来種)だと思う
悲しいことに・・
ミドリガメ 川
でぐぐったらトップにでてくる並んで甲羅干ししてるのがまさに自分が見てるのと同じだし・・・
セミもめちゃくちゃ鳴き始めてめっちゃうるさい
当方、生まれも育ちも福岡県で、現在東京住みの20代後半男性です。
最近の調査では「市民のプライドが最も高い都市」堂々の一位だった福岡市。
http://www.murc.jp/publicity/press_release/press_170614.pdf
福岡県出身者の多く、特に福岡市内かそれに近い出身者に限って、「福岡って素晴らしい」的なマンセーをよく耳にします。
福岡移住を促すイベントが盛んに東京で催され、ベンチャー界隈でも「今、盛り上がっている」等ネットでも見かけますが、盲目的に信じて福岡に移住して欲しくないです。そんなに給与高い就職先も多く無いだろ。
北九州や筑豊等、比較的福岡市から距離が有る地域の傾向は少し違うかもしれませんが、上京して数年経った今、私がいざ福岡に帰省した時に感じる、福岡の嫌いな所を挙げます。(ほんの一例)
アンケート結果の裏を返せばこういうことです。実家に住む両親や、九州を出たことが無い、地元の人間によく見られる傾向。私に対しては、「東京とか長く住まんで、はよ帰ってこんね」「仕事とか、こっちで探せば良かろうもん」など、無責任な口でUターンを促してきますが、その背景からは「福岡が住みやすいんだから、帰って来れば良いのに」という無言の同調圧力が有る。こっちとしては東京が楽しくて仕方が無いのに、帰省する度に言われるから嫌気が差す。押し付けがましい。あと、中学や高校の仲間に自分の近況が知られたら、出回るスピードが早い。マイルドヤンキーとは言わないけど、普通に地元で働いてる友人の言動こそ面倒。
似ている傾向として、福岡に転勤して来た人間に「福岡のご飯美味しいやろ?」「福岡ってアクセスも良いし住みやすかろ?」等、これも同調掛けてると思うが、転勤族からしたら、きっとそういう態度取るお前らが一番押し付けがましくてウザいから!変な一体感持っちゃってて、内弁慶だから余計腹が立つ。
住んでいた頃は何とも思って無かったけど、東京に住み始めてから強く思うようになった。例えば、西鉄天神大牟田線で天神から太宰府あたりに行こうとするなら、往復800円近くになる。新宿〜調布間の往復だったら同じくらいの距離で往復500円だわ。絶対値段高いわ。だから福岡で使うのは「天神〜博多」の100円バスくらいで、他はあんまり良い気持ちしていない。あとはバスが多過ぎて市内はよく渋滞になってる。例えば初めて福岡に訪れた方は、どのバスに乗ったら良いか分からないなど、問題多いと思ってる。とりあえず西鉄は不動産でも儲かってるだろうが!鉄道やバスの部門をスリム化して、料金も下げて、物流部門とか、別の部署にお金入れて強化してやれよ。
散々言われてる。まず、歩きタバコ。良くない。あと、タクシー並びに一般人の運転が荒い、特に言いたいのは「ベンチャー支援に力入れるくらいなら、福岡市でさっさとUber導入してください。」っていう話。
http://jp.techcrunch.com/2015/02/05/everyonesuber-fukuoka/
これどうなったんだよ!国交省の反発食らっても、頑張って導入して、マナーが悪くて料金が高いタクシーを一掃してくれよ!
これ、子供と一緒に移住するなら真剣に考えた方が良い話。私は以前から問題だと思っていることで、公立高校が学区制のため、学区の中からしか公立校の受験校を選べない。例えば、筑紫丘高校は「第五学区」の地域に当たるため、中央区や早良区や西区の子は受験すら出来ない。逆に、偏差値が一番高いとされる修猷館高校には「第五学区」の生徒は受験が出来ない。トップ校が存在する学区はまだマシな方で、悲惨なのは子供が優秀でもハイレベルな高校が無いから通わせられないパターン。お金無かったらハイレベルな私立にも通わせられない。
※福岡は私立高校より、公立高校の方が全体的に偏差値が高く、御三家は「修猷館高校」「福岡高校」「筑紫丘高校」とされているらしい。
http://fukuto.jp/info/public/system/gakku.php?
この学区制に対しての、福岡県教育庁 企画調整課からの回答はこちら。
http://kvoice.pref.fukuoka.lg.jp/voices/detail/id:898
って、それは供給者の都合を押し付けてるだけだろ。競争ってのは、消費者側ではなく、供給者同士のことを言うんだよ。特色有る高校作りをせず、学区に甘えてるだけだろ!他の県では学区制廃止している県も増えているのに、怠慢だろマジで!
「制服で高校を選ぶ」とか「いじめっ子の中学の奴らとはもう会いたくない」などの場合、私立高校を選ぶか、必死に勉強してそいつらとは違う偏差値の高校に通うしか無い。でも学区が一緒だから電車が同じだとか、同じ高校に同じ中学出身者が絶対に存在してくる。(同様に近況がすぐに地元の人間に知れ渡る)
一旦はこのくらいにしておこう。
福岡はぬるま湯過ぎる。福岡に住むのは中学か高校までで良い。福岡の学生達は、「親が安心するから」「皆が目指しているから」って理由で九州大学とか目指さず、大学からさっさと九州を脱出して、外の世界を観るべきだと思う。遅くても就職のタイミングで。じゃないと福岡大好きで外の世界知らない同調圧力の強い大人になっちゃう。子供や外に出た人からすると良い迷惑だわ。あと、福岡住みの女性も、ずっと福岡に住んでる男としか恋愛した経験無いのは損してると思う。女余りの都市とは言え、外出て付き合ってみるとか、転勤族と付き合ってみて、福岡以外の男も知っておく方が良いと思う。
http://toyokeizai.net/articles/-/129445
http://girlschannel.net/topics/247675/
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2014/04/04/133016
福岡は確かに良いところも有るけど、変えてもらいたい「マンセー」な部分は沢山有りますから。
https://anond.hatelabo.jp/20170630204058
当方ネット歴は長く、あのブログが一番長続きしているのですが、12年書いてあの記事のPV数がダントツでトップです。記事数が2000ほどもあるのに、それにあの記事は書いてから1年ちょっとしか経っていません。これは一体どういうことなんでしょうね?
ちなみに、本文中に精神保健福祉手帳で受けられるサービスというHPへのリンクがあります。
少し不気味なのは、以前奈良の産婦人科で(この言葉は嫌いですが)救急のいわゆる「たらい回し」(大淀事件、2006年)が起こった結果、妊婦さんが亡くなったことがありました。奈良南部はそのとき「スクープ」と色々暴いた毎日新聞女性記者の迷惑をいまだに被っているようです。何でこんな話になるかというと、その時の記者がわたしの書いたブログの発展型を4ヶ月後くらいに書いているからです。その記者のいる九州まで電話して問い合わせましたが、現在まで数ヶ月コメントはありません。
聞けば聞くほど「そういうものか」と思った。
私は「醤油は素材の味を生かさない」という立場にあるから、調味料の類は塩程度しか使わない質だ。
だがしかし、「醤油」も素材を生かした調味料なのだと力説されれば、それも一理はあろうと考えを改めた。
少し「醤油」に興味を持った。
だからどこかに美味い醤油を出してくれる店があるのかを聞いた。
彼は自慢げに幾種類もの醤油が試せる寿司屋がある、俺はそういう店を知っていると言うじゃないか。
新鮮な魚と出会う芳醇な大豆の香、そこにはシラス台地を彷彿とさせる自然のコクを感じるらしい。
聞けば聞くほど興味をくすぐられる。
カバンから取り出したメモ帳に「はま寿司」と書いて丸で囲った。
詳しい場所を聞けば「どこにでもある」という。
http://anond.hatelabo.jp/20170611183038
これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。
一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド・西域・東南アジアの文化を伝えた。
遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人を日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベルの用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?
ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しかも桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺の大仏開眼供養会はインドやベトナム出身の僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。
「日本がしばしば新羅を従属国として扱おうとしたため、両国の関係はしばしば緊張した。しかし、日本の遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」
これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使が新羅人に助けられたというのは、円仁の著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?
また、上掲の講談社『日本の歴史』シリーズから引用すると、次のような話もあります。
遣唐使の派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅の商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通と新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台・真言の平安仏教の旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。
このころ唐では、みずからを世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷は新羅や、朝廷に服属しない東北や九州南部の人びとを蝦夷や隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。
朝廷が東北地方や九州南部に進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試の問題を解くときのヒントになるでしょう。
もっとも、この点はやはり、山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方の蝦夷、九州南部の隼人を異民族(夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。
それに比べると、三省堂の教科書は、遣唐使と中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。
実教出版にも「奈良時代に遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版は9世紀のことも記述していてグッド。
遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから、9世紀末まで遣唐使を派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。
理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。
これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています。時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本の僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しかし朝廷は遣唐使の派遣に積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。
[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的のなかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。
東京書籍の教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。
これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。
ちなみに、このとき「天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王スメラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本の朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないから日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的な問題は、国史編纂のときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社「日本の歴史」シリーズや青木和夫著の中央公論社『日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)
さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」「倭国」「朝廷」等の表記になっています。
なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号・国号は、ある時期の特定の政治状況のもと、人為的に作られたものだからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号・国号の使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である「日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。
無論、教科書では便宜的に仁徳天皇、推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権的国家体制の形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています。
都会から出たことない人、地方出身でも都会に出られる環境の人にはわからないと思うので解説
となると、地元の国立にたまたま運悪く落ちちゃったような人が行くような私大も地方には存在している
だけど、受験偏差値って、表に書かれている数字は最下位の子の数字だ
この偏差値あれば受かりますって意味なので、平均や上を示すものじゃない
なので、定員100人で、90人国立落ちの偏差値50以上が入ってても、残り10人カスをとって、最下位の偏差値が40ならば、偏差値40の大学って言われることになる
地方で大学経営するなら、裾野を広くして、規模を大きくして、できる限り誰でも受け入れていかないと厳しい面があるので、底もある程度拾わなきゃいけないから、地方私大の偏差値はどうしても低くなる
なので、地方大学の偏差値ってこういう感じで、学生の実情や大学の実力に比べて低めになっている
偏差値表見てみると、中国四国九州で、偏差値50超えている私大なんて5つもない
それに対して、都会は大学を選べるので、都会の偏差値40の大学には、偏差値40のやつしかいない
35も50もいない
地方私大の偏差値40にいい大学はあるけど、都会の偏差値40の大学にはいい大学があるかと言われると、ちょっと悩む
単純に偏差値55の次の大学が40の地域だと、偏差値54の学生は偏差値40の大学に行く
偏差値55,50,45,40と5きざみで同様学部のある大学がある地域なら、偏差値40の大学のトップの学生は44の子だ
単純化した極端な一例だけどな
その辺の事情も知らず、偏差値低い地方大を、都会と同じ感覚で偏差値で評価するのってどうなのかなと思う
大学は中身や入ってからが重要ってみんなわかっているはずなのにね
もちろん、東大に入れるようなやつはその地方の国立に受かっているから、地方私大を過剰に優秀と言うつもりはない
しかし、その地方の国立に入ってても全然おかしくないようなやつらが、上1、2割はいるってことは知っておいて欲しい
同時に、どうしようもない底も、下1,2割いるってことなんだけどね