はてなキーワード: エルサレムとは
元増田は何か上手いこと言ったつもりかもしれないけど、歴史的経緯を無視して「2000年前はともかく、今のエルサレムはアラブ人が住んでいるからアラブ人のもの」って言いだすのはちょっとまずいんだよね。
そういうふうな、過去の歴史より今現在、そこに居住している民族の実効支配を優先させるような論理は、それはそれで問題があるんだよ。
なぜなら、それを認めると、今、エルサレムを支配しているのはユダヤ人だから、エルサレムはユダヤ人のものって言い分に正当性を与えてしまう。
もっと言うなら竹島は韓国が実行支配しているから韓国のものっていう理論も認めないといけなくなる。
それエルサレムの人たちに言えるの?
追記:なぜこのタイミングでイスラエルは戦争状態に陥ったのか、ハマスによる侵攻を受けたのか。
・一言でいって米国の没落である。覇権国であった米国の影響力の低下、その反映である。
・イスラエルの後ろ盾、米国は国内問題で手一杯。不法移民が大量に流入。薬物蔓延。大統領のバイデンは明らかに認知症で、誰もまともに相手をしない。
・米国は空母打撃群を東地中海に派遣し、まもなく到着するとか報じられているが、何をするつもりなのか、ガザを空爆するのか。ただのポーズなのではないか。
・ハマスにウクライナから兵器が横流しされている形跡がある。ウクライナへの軍事支援とやらの副作用。
・エルサレムポスト紙は2022年の世界で最も影響力のあるユダヤ人50人のかなり高い位置にゼレンスキーを選出していた。それが2023年版では圏外(52位)としていた。梯子を外したか。
・アメリカ政界に入り込んだイスラエルロビーが、ウクライナへ軍事支援を行うよう圧力をかけていたのだろうか。その結果が、イスラエルの敵対勢力への武器の流入となり、それで攻撃を受けている皮肉なのか。
・そもそもネタニヤフがわざと攻撃を受けた、事前にハマスによる侵攻の動きは察知していたにもかかわらず、あえて手を打たなかった気配も濃厚である。
米国大使館がテルアビブからエルサレムのノー・マンズ・ランド(中間地帯)に引っ越したのがおよそ五年前。
旧市街と呼ばれる地域には、岩のドームとアルアクサモスク(イスラム教)、嘆きの壁(ユダヤ教)、聖墳墓協会(キリスト教)が有り、
それぞれの宗教における聖地とされている場所、その目と鼻の先に米国大使館が引っ越したのだ。
イスラエルが許可したのか?(ユダヤ人が3000年間、エルサレムと呼ばれる地を首都としてきた、と声高に言っている)
アメリカが勝手に?(アメリカがエルサレムをイスラエルの首都と認定した)
(国連は首都認定を取り下げるよう米国に求める決議案を採択している。)
恐らくは米国議会での採決の結果だが、トランプが引越し命令を出すまでは歴代大統領は目を瞑ってきた。
こんな事柄も、根深いイスラエル・パレスチナ問題を大きくし、今回のパレスチナ(ガザ地区)からのイスラエル砲撃に繋がっているわけだ。
最新のニュースでは、ウクライナ大統領が「世界中の注目がウクライナから逸れるよう、プーチンがハマスを支援している」と訴えている。
ユダヤ教という宗教があってキリスト教とイスラム教はここから派生したものなんですね。ユダヤ教の聖書を旧約聖書と呼びます。キリスト教はユダヤ教への反発から生まれて新約聖書を追加します。その次に預言者ムハンマドがイスラム教を始めてコーランという聖典を追加しました。もともと同じ宗教から派生したものなので神様は同じ、聖地も同じ、それなのに昔から喧嘩ばかりしている野蛮な三大宗教です。
ユダヤ教の信者をユダヤ人と呼びます。エルサレムから勝手にエジプトに引っ越したのにいつまでもネチネチとエルサレムは約束の地だと信じて疑わない人達なんですね。勝手に自分達のものだと思い込んで国まで作ったのがイスラエルです。
ユダヤ人は昔から嫌われていたので金融などの汚いとされる職業に追いやられていました。しかし金融が重要になるにつれユダヤ人の力が大きくなってきたんですね。ユダヤ人ではないヨーロッパ人からしたら面白くないわけです。なんでユダヤの野郎どもが上にいるんだ、俺らの生活は苦しいのに!となったわけです。それがナチス・ドイツのホロコーストにつながったんですね。
そんなこんなで追われていたユダヤ人達を匿ったのがイギリスなんですね。イギリスはパレスチナを占領していたのでここにユダヤ人の国作ればいいじゃんと勝手にどんどんヨーロッパからユダヤ人を呼び寄せたわけですね。そして第二次世界大戦が終わったらイスラエルという独立国家にしちゃったんですね。
イスラエルのユダヤ人達は本当に野蛮なのでアラブ人をどんどん追いやって土地をどんどん奪っていったわけです。色んな合意もしたのにそれも破って人を殺し土地を奪いパレスチナの人々をどんどん追い詰めていたわけです。中国のウイグルなんてものではないほど酷いことをしてるんですが世界の覇権を握っているのはユダヤ人ですから誰も口を出せないわけですね。
パレスチナの人々は苦しい生活を強いられているのでどんどん過激化していくわけです。ユダヤ人許すまじ!とね。アメリカのインディアンを想像してみるとイメージがつきやすいんじゃないですか?白人が勝手にやってきて全部奪っていく。よくある光景です。
それに耐えきれなくなって爆発したのが今の戦争につながっているんですね。アメリカを始めとする西側諸国はユダヤ人に操られた白人国家にすぎないので当然イスラエル側につくわけです。それでハマスのことをテロリストなどと呼んでいるわけですね。パレスチナの人々からしたらどっちがテロリストなのかとか考えもせずにね。当然のごとくアラブ国家はみんなイスラエルに批判的なわけですね。日本も一応は西側諸国の仲間ではあるんですけど白人国家じゃなくてイランなどとも仲が良い珍しい国なのでパレスチナをテロリスト呼ばわりすることは避けて慎重になっているわけです。面白いですねえ
結局さ、「聖地に取り合うだけの価値があること」が問題の本質だろ?
なら答は一つじゃん。
建物だけは丸っとパクって大英博物館所有の適当な空き地にでも移設しよう。
ソイツらが「え?あんな場所に巡礼されたら困るんですけど!」となるような場所に聖地を変えてやれば、奪い合うだけの価値がなくなるんじゃない?
じゃあ何をするかだよ。
核ミサイル打ち込みまくって汚染区域にするとかも考えたんだけどさ、それやっても広島みたいに50年ぐらいで復活しそうじゃん?
となると「もっと強い汚染物質」を「定期的に運び込む」しか手はないかなと。
問題があるとしたら誰が運び込むかだよなあ……
たとえば死刑囚に運び込ませるとかどうかな。
デッカイ穴と滑り台作って自動的に流れ込むようにするとかもありか?
簡単じゃないな―。
聖典を書き換えて「聖地とか言ってたけど、アレ裏切り者の土地だからやっぱ駄目だわ。行くやつは裏切り者のカスだよ」みたいに書いてもらえたら楽なのになー
①翻訳文
初めに彼はさっそく、二つの寺院を破壊させて四町四方の地所を得たが、日本の諸王候と貴人がことごとくこの工事に奉仕するために来たので、通常二万五千名が従事した。
彼らは皆、カルサン(丈の短いズボン)と皮製の短いカバイア(上衣)を身に着け、彼は筆頭の現場監督として鍬を携え、大半の時間は手に竹を持って工事を指図した。
既述の通り、いっさいの工事はかつて日本で見たこともない石造りとしたが、そのための石がなかったので、石の偶像を多数破壊するように命じ、それらの偶像は首に縄をかけられ、引きずって工事現場に運び込まれた。
都の人々は偶像を大いに崇敬していたので、このことは彼らに非常な驚きと恐怖をもたらした。
然して領主の一人と兵とともに毎日、各僧院より或る数量の石を彼のもとに運び、諸人は何事であれ、ひたすら彼を喜ばせ、少しもその意志に反しないようにしたので、石造りの祭壇を引き出し、仏、すなわち偶像を地に倒して破壊し、これを荷車で運んだ。
また、他の者は堀を造り、土を車で運んだり、山中の木を切ったりしたが、これは正しくエルサレムの殿堂の建築か、或いはカルタゴにおけるディドの工事の絵図を見るかのようであった。
(城の)外に水を満たした非常に大きな堀を造り、ここに多数の家鴨や種々の鳥を入れ、幾つかはね橋を架けた。
壁の高さは六、七ブラサあり、幅は場所により建築上の必要に応じて六、七、八ブラサであった。
そこにたいそう大きな門を三つと石造りの防塁を設け、その内側に別の狭い堀と日本で能う限りの趣に富んだ遊歩場を造った。
彼は工事が続く間、市の内外の僧院が鐘を鳴らすことを禁じ、城中の鐘のみは人々を参集し、帰らせるために鳴らすよう命じた。
この鐘が鳴ると貴人や大身は皆一様に、各自の手勢を率い、鍬や(運搬用の)担架を手に工事に入る。
信長は常に座るための虎の皮を腰に吊るし、はなはだ粗末な衣服をまとっており、諸人は彼に倣って同様の皮を携えていたが、何ぴとも宮廷の装束で彼の前に現れる者はいなかった。
作業が続いている間、(工事を)見ようと欲する者は男女とも、尻切(しりきれ)と称する藁の草履を履き、頭に帽子を被って彼の前を通った。
或る時、工事に従事していた一人の兵士が一婦人の顔を見ようとしてその被り物を少し上げるのを、偶然、国主が目撃し、彼は即座に自らの手で彼の首を斬った。
この工事に関してもっとも驚嘆すべきは、彼がこれを信じ難いほどの短期間で行なったことである。
すなわち、少なくとも四、五年を要すると思われるものを七十日間で完了したのである。
以上は石材工事に関することである。https://ameblo.jp/ukitarumi/entry-12046841406.html
外交官は灰色、難読性、さらには偽善的であるという評判があるかもしれないが、人肉をむさぼり食う連続殺人犯はもちろん、自分自身を連続殺人犯と比較した人はほとんどいない。
先週、ユダヤ人入植者らがソーシャルメディアキャンペーンを開始し、同氏を映画『羊たちの沈黙』の恐ろしい人物、ハンニバル・レクター役に起用するキャンペーンを開始したとき、その栄誉はラールス・ファーボルグ=アンデルセン駐イスラエル欧州連合大使に降りかかった。
レクターの刑務所のマスクを着用したデンマーク外交官の画像は、ヨーロッパにも同様の口輪が必要であることを示唆するはずだった。
入植者の不満は、イスラエル軍がエルサレム近郊の占領地でパレスチナ人のベドウィン家族の家を破壊した後、一時的な避難所を提供してきたヨーロッパの援助に関連している。緊急住宅のおかげで、彼らはイスラエルと入植者が切望していた土地に留まることができた。
レクター氏との比較に激怒した欧州当局者らは、国際法を遵守するのであれば、EUではなくイスラエルがこれらの家族の福祉に責任を負うことになるとテルアビブに念を押した。
欧州はパレスチナ人の権利を守るために援助を利用し、自らを啓発された西側諸国の一部だと考えているかもしれないが、現実はそれほど安心できるものではない。援助は実際に事態を著しく悪化させている可能性がある。
占領下の不透明な経済状況を何年もかけて解明してきたイスラエルの経済学者シール・ヒーバー氏は、最近衝撃的な内容の報告書を発表した。
他の人々と同様、同氏は国際援助のおかげでイスラエルは数十年にわたる占領のツケを払わなくて済むと信じている。しかし、彼はさらに先に進みます。
彼の驚くべき結論は、イスラエル入植者も驚くかもしれないが、パレスチナ人向けの人道援助の少なくとも78パーセントはイスラエルの金庫に収まるというものだ。
関係する金額は巨額です。占領下のパレスチナ人は世界で最も援助依存度が高い国の一つで、国際社会から年間20億ドル以上を受け取っている。ヒーバー氏によると、寄付者は占領費用の最大 3 分の 1 を直接補助する可能性があるという。
2013年に世界銀行は、パレスチナ人はイスラエルによって略奪された資源によって年間少なくとも34億ドルを失っていると非常に控えめに見積もった。
さらに、イスラエルがパレスチナ人との和平を拒否し、その結果として地域の他の地域との和平を拒否していることは、米国政府の年間30億ドルの軍事援助を正当化するために利用されている。
イスラエルはまた、占領地をパレスチナ人に対する武器や監視システムの実験のための実験室として利用し、その専門知識を輸出している。イスラエルの軍事産業とサイバー産業は莫大な利益を上げており、毎年数十億ドルの収入を生み出しています。
先週発表された調査では、小国イスラエルが世界で8番目に強い国であることが判明した。
しかし、これらの収入源がイスラエルの占領からの棚ぼた的なものであることは明らかだが、パレスチナ人に対する西側の人道援助は明らかに勝者ではなく被害者を対象としている。
では、イスラエルはどのようにしてこれほどの利益を上げているのでしょうか?
問題はイスラエルが自らに課した仲介者としての役割だ、とヒーバー氏は言う。パレスチナ人に届けるには、ドナーはイスラエルを経由するしかない。これは、彼が言うところの「援助転覆」と「援助転用」のための熟した機会を提供する。
最初の結果は、パレスチナ人が捕虜市場であることによるものです。彼らはイスラエル以外の商品やサービスをほとんど利用できません。
占領下でのイスラエルの経済的利益を監視しているイスラエルの団体「Who Profits?」は、乳業会社トゥヌバがヨルダン川西岸で年間6,000万ドル相当の独占を享受していると評価している。
一方、イスラエルが人や物の移動をすべて管理しているため、援助の転用が発生する。イスラエルの規制により、輸送と保管に料金がかかり、「警備」料金も課されることになる。
他の研究では、「援助破壊」によるさらなる利益が確認されています。イスラエルが外国資金による援助プロジェクトを破壊すると、パレスチナ人は損失を被るが、イスラエルが恩恵を受けることも多い。
例えば、セメントメーカーのネシェルは、イスラエルが度重なる暴動後のガザ地区での再建活動のための物資を含め、イスラエル人とパレスチナ人による全建設の85%を管理していると報告されている。
イスラエル社会の重要な層は、警備業界の人々を除いて、占領から私腹を肥やしている。逆説的だが、通常はパレスチナ人に付けられる「世界で最も援助に依存している人々」というレッテルは、イスラエル人を表すのによく使われるかもしれない。
何ができるでしょうか?国際法の専門家リチャード・フォーク氏は、イスラエルが援助監視の空白を利用していると指摘する。寄付者には、資金が確実に目的の受取人に届くようにする義務はない。
オスロプロセスの過去20年間に国際社会が行ってきたことは、意図的であろうとなかろうと、パレスチナ人に対するイスラエルの支配を安定させ、定着させるための経済的インセンティブをイスラエルに提供することだった。比較的コストをかけずに実現できます。
欧州と米国は占領地への支配を解放するために小さな外交棒でイスラエルを打ち負かそうとしているが、同時にイスラエルに支配力を強化するよう刺激するためにジューシーな経済的ニンジンをぶら下げている。
小さな希望の光が見えてきました。西側の援助政策は自己破壊的である必要はない。ヒーバー氏の研究は、イスラエルがパレスチナ人自身と同じくらいパレスチナ援助に依存してきたことを示している。
EUは先週、ブリュッセルではなくイスラエルがホームレスにしたベドウィンの世話をすべきだと指摘した。欧州は自らの助言を心に留め、占領の真のコストをイスラエルに転嫁し始める可能性がある。
もし、イスラエルですら間もなく起こると予測しているように、マフムード・アッバースのパレスチナ自治政府が崩壊すれば、西側が何を決定しようと、それはすぐに起こるかもしれない。
https://www.counterpunch.org/2016/03/09/how-most-aid-to-the-palestinians-ends-up-in-israels-coffers/
島田は後日この発言に後日「軽率な発言により、大きな誤解を招いたことを反省」「(法政の)学生諸氏、教員、職員の皆さんにご迷惑をお掛けしたことを陳謝」と「謝罪」したが、
こういった「誤解」を与えたことのみに対する謝罪は、権力者の差別発言事件によく見られ「謝らない謝罪」として批判されてきたものであるが、結局リベラル文化人だろうが同じ誤魔化しを行うという現実には失望を抱かされる。
島田は、誤ったことを述べてしまったと発言を撤回するか、あるいはテロを肯定して何が悪いと突っ張るか、どちらかであるべきだった。
一方、有田の場合、発言自体の問題点は島田と違い、それほど大きくはない。しかし言い方の面では、「それで地元民の支持が集まると思っているのか?」と大いに疑問が沸くところである。
下関がカルト教団の聖地という印象操作をした事にムカついてるし、有田芳生氏やその発言を支持した議員を心から軽蔑します。下関はそんな街じゃない。
と猛反発した。
有田はこれに対し、田村への個人攻撃・中傷ツイートを大量にリツイートし、法的措置をほのめかしつつ
と発言している。
確かに田村淳の発言の論理性は高いとは言えないし、それを以って彼を否定することは可能だろうが、しかし有権者平均の知的能力は期待したい水準よりずっと低いという事実に留意すべきではなかろうか。
政治家は、大卒インテリだけ、あるいはツーカーで話せる身内だけ相手にするわけではない。ゆえに、「自分はそんなこと言っていない、コイツはアホかと思った」としても、じゃあどういえば伝わるのか考えるべきだろう。
有田の発言にしたって、生の演説という状況では仕方ないところがあるけれども、かなり説明不足な発言である。「これで分からないなら…」というものでないことは間違いない。
例えば、聖地エルサレムの歴史のように、宗教が弾圧されようが教徒の居住が禁止されようが聖地は聖地だろう。それなのに投票で変えようというのはどういう意味だろうか?
「聖地」に「投票で変えられる」という文脈を足すならば、「教会が認定した」以上のもの、例えば「教会が支配している」などを想定するのも連想としておかしいとは思わない(特にそういう主張をする左派ネット民が珍しくない状況だと)。
ここは、物議を醸した時点で、サクッと「誤解を招いて申し訳ない」と言えばいいじゃないか。島田と違って決定的な言質は取られてないんだから。
「真意は……」と、id:bronson69氏のブコメ
「統一教会はこの下関を『聖地だ』と言っている。自民党が、安倍さんがそう仕向けたからだ。下関は統一教会の聖地なんかじゃない、皆さんがそう思われるなら、投票で示すべきではありませんか」みたいに言えてればな
のような形で補足すれば完璧だ。舌っ足らずな発言で分かってくれる人だけ相手するのは「誰一人取り残さない政治」ではない。
宗教と神とは別のものだ この2つを混同している人は多く、さらにややこしいことには、宗教に無関心な人も混同しているが、信仰のある人も別の意味で混同しているということだ 宗教とは「神についての説明のいろんなバリエーション」程度のもので、本物の神には特定の宗教のカラーはなく、それぞれの宗教や神話などが成り立つよりずっと前から原理的に存在している 神は本来キリストともムハンマドともブッダともぜ~んぜん関係がなく、彼らよりずっと前にいて、彼らが去ったあとも、今も変わらずすぐ近くにいるのだ
だから無宗教や無信仰は簡単に成立するがその一方で神の存在そのものを否定することは難しい 人類は神(っぽいもの)の存在を認識する(したっぽい気になる)機能を持って生まれ、その機能は自分の意思で好きにオンにしたりオフにしたりできないのだ あなたが「神なんていない!」と主張しても、そもそもその主張に至るまでの思考そのものが、神の存在を認識する機能による神の存在への認識が可能にした発想なのだ この機能による神の存在の認識が無ければ、実はあなたは「神はいない」と主張することすらできないのだ 「神はいない」と考え主張するためには神の存在を認識する機能が必要不可欠であり、この時点で神の存在を認めているも同然なのだ いったい何を言っているのかって?
神はKFCのカーネルおじさんのようにどこかに誰かの姿をして突っ立っているわけではない どこにもいないからだ どこにもいないのだったらいないんじゃないかと思うかもしれないが、残念ながら存在してしまうのだ どこにもいないが、いるかいないかでいったらいつでもどこにでもいるのだ 意味がわからないと思うだろうか
誰も世界中隅から隅まで神を探したことはない 神はいるという人も神はいないという人も、誰も神の姿は見たことがないし、そもそも探してすらいないのだ ではなぜ神がいるとかいないとか言うことができるのだろうか?探してもいないのに。 わかりやすく言えば、神に対するすべての人々の主張の論拠というのは、各々の「世界観」に根ざしているのだ この世界には神がいる、この世界は神が作ったと考える「世界観」が彼らに「神はいる」と主張させ、また一方で、この世界に神はいないと考える「世界観」が彼らに「神はいない」と主張させているのだ おわかりだろうか 実はどちらも同じ概念を元に同じことを言っているだけなのだ
我々は世界の隅々を確認する前から世界全体について語ることができるのだ これはよく考えたらとんでもないことなのだ 現実社会ではどうでもいい日常の些細なことでも事実をきちんと確認してから語れみたいなことを言われるのが当たり前になっているのに、世界とか神とかいうもっと遥かに大事な(切実という意味ではない)ことについては、全然何も確認しないで平然と語っているのだ これは我々が持つ「世界観」という概念、感覚から生まれるものなのだ 我々は世界観という、全く何の根拠もなくて全然人それぞれバラバラないい加減極まりないものを持つことができるのだ 世界は一つしかなくてみんな同じところにいるんだから、現実には統一されているべくあっても良さそうなものなのに、みんな好き勝手に都合よく人それぞれ確認もしないで勝手に持てるもの、それが世界観なのだ 人間とはなんとテキトーな生き物だろうか、だがこれほど高度ですばらしい機能もないのだ
世界観を持つこととは神の存在を無意識に認めることが前提になっている どういうことか? 人間の身体は地球全体や宇宙全体、つまり世界と比べて極めて小さいので、本来は物理的には一つの狭い視野、視点しか持つことができないはずなのだ しかし人間は高度な脳の機能により世界観というものを持つことができる あくまで想像とはいえ本来見渡せないはずの世界全体を見渡すような視点を持ち、その景観をイメージとして自分の手の中に持つことができる これはいわゆる「神視点」というやつだ 本来全知全能の神にしかできないはずの芸当なのだ 「世界観を持つ」とはすなわち「神視点を持つ」ということであり、世界観という感覚が自分の中に存在した時点で、「神が行うような行い」の存在を認めていることになる 世界観という感覚そのものが神の存在の感覚そのものなのだ
そろそろ僕が何を言いたいかわかってきてくれただろうか 我々は世界観という感覚を自分たちの中に持つことができ、その感覚こそが神の存在の感覚だと言っているのだ 神の存在の感覚とはすなわち神の存在のことなのだ はて?
神は西郷隆盛像のようにどこかに誰かの姿をして突っ立っているわけではない どこにもいないのだ どこにもいないけど神の存在を認識する機能をオフにできない以上、脳はもうどこかに無理やり神を仮定するしかなくなってしまうのだ 数学で「~をxと置く」みたいな言い回しをしていたのを思い出してほしい 神も「どこかに存在を仮定する」という意味で、「置く」ものなのだ 数学で置くときはなんでも好きに置いてよかったのを思い出してほしい もう神なんてどこに置いてもいいのだ みんな好きに置いているのだ メッカ エルサレム よくわかんない祭壇 さとしの板 サトシの家 空 宇宙 星 山 神社 神棚 大仏 どこでもなんでも大差ない そしてどこでもない場所、「いない」という仮定もこれらと同じ並びに含まれる 仮定する、置くという行為が神を存在させる どこにもいないけどオフにできない神の存在を認識する機能の落とし所として「いない」という仮定が選ばれたところで、神の存在を認識する機能はその機能を完遂したことになり、正しく神の存在を認識するだけなのだ 神はいないという「仮定」こそカミ的な存在の肯定なしにはできないことなのだ わかんないものを仮定すること自体が「神がするようなこと」なのだ 「神がするようなこと」を平然とできるのは神の存在を無意識に認めているからなのだ くどいですか?
人間は神の機能を持っていると言っているのだ 人間が神だとは言っていない
世界観を持つということは世界を持つということであり、神の存在の感覚を持つとは、すなわち神を持つということなのだ
神は世界そのものであり、世界観の中にいるとも言え、それは我々の中にあり、あげくの果てにはどこにもおらず、神のいない世界こそ神が作った世界なのだ
例えばユダヤ人はエルサレムを自分たちが帰るべき、単一民族の王国を夢見て運動している(シオニズム)だし
黒人も「豊かでのんびりとした、自然にあふれたアフリカの土地」みたいな幻想を持ってる(ブラックパンサーとか黒人の夢体現したものよね)
何処の国の人も、自分以外の土地に夢を抱いて、外に○○街をつくったりしてるのよ。でそこそこの経済圏を作ってる。
日本にはそれが無い。ブラジルの移民とかもあるけど、結局日本を超えられてないのよ。それは日本のレベルが高すぎるから。
資源はないけど、それ以外はなんでもある。安全もそれなりに豊かな暮らしもあり、単一民族で1つの文化を共有できる国。
だから日本人がアメリカやヨーロッパに行くときは「日本から離れたいから」行くのであって、「別の場所に日本を作りたくて」行くわけじゃない。
なので、世界3位の経済大国にも関わらず、海外に行っても「日本人街」などは作れない。
「その国を離れたい」と思うのは、残ってる人が何とかしてくれるだろうという信頼とともに