はてなキーワード: アドバイスとは
昨日の日記
https://anond.hatelabo.jp/20241114172657
不採用理由を私に送っていたのは転職エージェントサービスの担当である。文面からしておそらく企業の回答をそのまま送っていたのだろう。
本当は退会したかったが、まだ面接が残っている。面接の場を設けてくれた企業は悪くないので、せめて選考が終わるまでは残ることにした。
■今日の結果
吹っ切れることができたのか、久々にすごくよく寝た。仕事終わってからもたくさん寝てしまったので何もできていない。面接対策は明日のタスクにする。
大組織での経験があることを示唆しており、その経験が彼の視野や意見形成に強く影響しています。
しかし、その経験がかえって「自分の考えが一般的な常識」として認識される要因となっているため、他の視点や新しい情報に対して柔軟に対応できない傾向があるようです。
組織や権力に対して不信感が強く、世の中の出来事や仕組みを疑いの目で見ています。
組織の動向や権威者の動きに対して、「見えない仕組み」が必ずあると考え、単純に表面的な説明や公式発表を受け入れない姿勢が伺えます。
自分の考えが優れているという確信があり、他者にもその理解を強要する傾向があります。
相手の経験や理解力を疑う発言が多く、自分の「正しさ」を絶対視するため、他人の意見や異なる考えに対して辛辣で、批判的です。
自身の意見や立場が否定されることを非常に嫌い、防衛的に振る舞います。
質問に直接答えるよりも、相手の「未熟さ」や「理解不足」を指摘することで自らの立場を保とうとするところが見受けられます。
権力構造や大組織に対する批判的な態度から、現状に対する不満や「こういうものだから仕方ない」という諦観が見えます。
増税に対する発言も、社会や政治への不信感や疎外感を反映している可能性があります。
全体として、彼は自身の経験と疑念をもとに強い信念を持っている人物であり、他者の意見や異なる視点を受け入れる柔軟性に欠けているため、議論において防御的かつ攻撃的な態度を取る傾向があります。
また、批判精神が強く、公式の発表や一般的な見解に対して懐疑的な立場を崩さない姿勢が、彼の言動に現れています。
自分の経験や信念が重要であることは理解できますが、他者の経験や意見もまた有用な視点を提供してくれます。
異なる意見や情報に触れることで、より豊かな理解や新しい発見が生まれるかもしれません。時には、自分の考えに固執せず、他者の意見を聞く余裕を持つことが大切です。
自分の考えが他者に伝わりやすいように、主張に対して具体的な根拠やデータを示すことを意識してみてください。
曖昧な言葉や「常識」といった言葉で論じるより、具体的な例や事実を使うことで、相手も納得しやすくなりますし、信頼性も高まります。
他者が自分と異なる考えを持っているのは当然のことであり、それを「理解不足」と判断するよりも、「異なる背景や経験を持っている」と捉えるようにしてみてください。
対話相手の視点に立って物事を考えることで、円滑なコミュニケーションが生まれ、議論も建設的になります。
権威や組織に対して疑問を持つことは重要ですが、常に陰謀や悪意を前提にするのではなく、可能性の一つとして冷静に捉えるバランスも必要です。そうすることで、物事をより客観的に判断できるようになります。
誰にでも間違いはあるため、自分の意見が修正されることや間違いを認めることを恐れる必要はありません。柔軟さを持つことで、他者の視点を取り入れたり、自分の意見を改善したりする機会が得られます。
彼にとって、これらのアドバイスは自己成長だけでなく、より建設的で前向きなコミュニケーションを促進する手助けとなるはずです。
昨日の日記
https://anond.hatelabo.jp/20241113175314
企業の求めるスキル・経験と今の自分のスキル・経験が合わないことが明確だったため1件辞退した。
■今日の結果
1件結果待ちだけどまだ来ない。たぶんお祈り。
今抱えている転職タスクを一通り消化したので、メンタルも持ち直した。
不採用理由を真に受けるのをやめた。こちらには面接官の態度にフィードバッグする手段なんてないんだし、真に受けるほうが馬鹿馬鹿しい。
病気休暇は無給の会社が多い(有給にしなければならないという法律はない)ので、有休が残っていれば有休から使うのが一般的。
まともな会社だと、有休が残っている状態で病休を申請すると、上司か労務から、「有休が残っているのでそちらから先に使った方が良いのでは? 病休取るとその分給料が減るよ」というアドバイスがあることが多い
増田の会社はブラックで有休があまりに取りづらい(当日有休申請など許されない雰囲気。あるいは今の管理職がそういう人間)可能性が高い。
いい親のもとで育ったんやね
自分も親のありがたみにやっと気づけたのは大卒後、給料をもらってから。
結婚してから、親から新たな(今まで聞いたことのない)アドバイスを聞かされてはっとした。
親もこうして自分と似たような人生イベントをたどってきた「先駆者」であり「ひとりの人間」だったことに気づいた。
こんなことなんて、もうどんな媒体にも似たようなことは腐るほど書かれていて、今まで何度も目にしてきた。
わかっていたはずなのに、不思議なことに、その時初めて身をもって理解した。
もちろん憎らしい、分かり合えない部分もあるが。
気が向いたらでいいので、いずれその価値観を次のガキンチョらにもぜひ教えてやってほしい
俺がなんとなくよく作る料理でトマト挽き肉カレーがあるんだよね
・そこにトマト缶をドカッと投入
・弱火でとろみが付くまで軽く火を通す
作るの楽だからよく作ってるんだけど
なんかコクというか旨みというかなにかが足りないんだよなぁ
これ、どうやったら美味しくなると思いますか?
2024.11.15 08:47
使った食材
・乾燥野菜 玉ねぎ https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07J2GHTVC/
・鶏ミンチ https://www.fcoop.or.jp/product/goods/archives/103
・トマト キッコーマン食品 デルモンテ 完熟カットトマト 紙パック トマト缶 缶詰 388g
・ハウス プライムジャワカレー 辛口 https://housefoods.jp/products/catalog/cd_1,089877.html
元のアイデアが筋トレYoutuberのヘルシーキーマカレー動画なので、味は二の次なレシピなのかも試練
https://www.youtube.com/watch?v=pu3KR3xhu0E
手軽さ優先でいきたいので、めんどくさそうな案は置いておいて
ラード・チューブしょうが・チューブにんにく・塩・インスタントコーヒー
などを試してみようかと思います
ありがとうございました
自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき、心因性頻尿になって外に出られなくなった。
金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。
それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自身自分に何が起こったのか理解できなかった。
学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。
学校に行けなくなった。
学歴主義で権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。
私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、
リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。
そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校も不登校になって、高校も退学した。
大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、
中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で
MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初に受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。
大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。
自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。
復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。
私の時代は不登校や発達障害は時代の最先端の社会問題で、まだ数が少なく、学校や大学側も対応に苦慮していた。
体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。
大学は地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学を勉強し、
ヴェーバーやデュルケム、フーコー、マクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。
大学時代、地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワークの初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。
それから何冊か自分でネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、
自分は文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。
しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。
大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。
毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。
ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分で計算し、心が折れた。
何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。
画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真だけが、自分が唯一続けてきたものだった。
それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金と手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。
父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。
父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳と年金を取得した。
初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分で家具を買っていいことに気づいた。
家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。
友人が美術館のバイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。
が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。
休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館のスタッフを少しやって、年末年始は地元に帰った。
両親に、戻ってくるように言われた。
父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。
利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない
人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。
私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。
地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。
すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。
小さめの不動産会社で事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。
私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援やギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。
非課税世帯なので、返済する必要はないから安心して、説明された。
自分の決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、
それを使い生活保護でもやっていける物件に引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。
就労移行支援は少し通ったが、この時間でバイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。
並行して勉強を進め、基本情報技術者試験に合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社で資料作りのバイトをし、
その間にMOSのExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。
翌年バイトが契約終了になったので、ネットワークの仕事にチャレンジすることにした。
人生で初めてのフルタイムのバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。
昔柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。
価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。
薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。
ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。
毎日現地作業員と電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。
障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。
ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。
諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワークの仕事をやることになった。
今度は客先常駐。仕事に出る前に第一級陸上特殊無線技師の資格を取った。
高校数学は赤点だったので、選抜試験も養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。
そのあと1時間半ほどかかる場所で夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。
夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。
大手IT企業の子会社で、採用の仕事をした。面接時はいずれITの仕事を回してくれると言っていたが、
一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。
障害者雇用の契約社員として、またIT系企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、
今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。
ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。
今の案件は年内で終了するらしい。
数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。
貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。
まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、
リモートだから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。
私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと
「自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。
だから、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。
今の時代は障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。
何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、
マイノリティが自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。
社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。
今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。
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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。
人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。
特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。
私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから。
…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。
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思ったより反響があって驚きました。
タイトルは自分の人生を象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という
素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。
励ましの言葉やアドバイス、叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます。
わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。
ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。
カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります。
高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語性IQと動作性IQに結構な隔たりがありました。
当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。
一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。
今は人からは障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。
慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦でしか生きていけないと思います」という
大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に
自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。
大学でも発達障害で中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので
これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります。
自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。
人を観察して、絵文字や顔文字をちゃんと使って明るく取っつきやすいイメージを持ってもらえるよう修正し、
見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって
人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが
とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップやエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います。
お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。
恵まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。
人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまうものですが
そのように思う瞬間はあっても、絶対に客観性を失わないようにしようと常に思っています。
同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。
まるで「お前にはこれで十分だろ」とでも言わんばかりに、ちょっとした知識やアドバイスを求めてきた友人や同僚にChatGPTの文を送る人が増えているようだ。
とはいえ、シュトーレンが売り出されてクリスマスに備える女性も多いようだ。
アドベントカレンダーを買う淑女と増えてるらしい。
できれば転職のアドバイスや、メンタルの保ち方を教えてくれると助かる。お疲れ様の一言だけでもすごく助かる
https://anond.hatelabo.jp/20241112220711
今日やること全部終わったら書こうと思ったけど、心の整理がつかないので書いていく。
■今日の結果
特になし。
これからspiを書いて、事前に聞かれている質問メールに返信する。終わったらこれにレスをつける。
嫌だったし、乗り気じゃなかったけど、仕事に行った。今日も頑張って生き延びたね。えらいよ。
昨日たくさん泣いたから目が腫れてた。まだ昨日のお祈りメール2通のダメージから回復できてなくて、1日中ぼーっとしていた。
身の丈に合わない求人に応募して、常識がないまま面接に行って、人格否定と受け取りかねないようなお祈りメールを書かせてしまったのは自分が悪いと思っている。
でもなんでそんな言われ方をしなきゃいけないんだろうか?傷つかないとでも思っているのだろうか?
想いを寄せている同級生とご飯に行きたかったから、同級生達とのご飯会を企画した。
初手でいきなり誘っても良かったのだけど、断られるのがとても怖くて、みんなでのご飯会にその子を誘うことにした。前はそれで上手くいってその子とご飯に行くことが出来たし。
ご飯会を企画したといっても、その子と二人で話している時に「カニを食べたい」だの「行きたい、行きたい」だの言うものだから、これはチャンスなのでは?と思い誘ってみたら、みんなで行こうって話になって企画されたご飯会である。今振り替えればこの時点ですでに雲行きが怪しい。その時も「あぁただの同級生なのかな」と思って少し落ち込んだ。
そんな訳で、皆に声を掛けてみたのだけれども、皆の琴線には触れなかったようで僕とその子以外で行きたいと手を挙げる人は誰もいなかった。
二人しかいないから日程の詰めも含めてそのことを話したら、「次の日バイトだから...」ということでやんわり断られてしまった。
経緯がちょっと変ではあるが、典型的な脈なしの反応をされてしまって萎えている。
なんか距離感も近いし、○○行きたい~とかもよく言うものだから、気があるのかと思って自分も意識するようになったけど、ただの同級生だったようで悲しい。
自分も悪くなければ、相手も全く悪くない。けど自分としては願望が叶えられなくてとっても悲しい。
そしてこの悲しさを晴らそうにも、どちらも非が無いものであるから、何かに当たろうものならそれは八つ当たりでしかなく、それはちょっと紳士的ではない。
かといってSNSでこの悲しさを晴らそうものなら同級生にばれてしまうので、此処に書き殴ってスッキリしようとしている。
そして一日ばかり時間が過ぎると「同級生とはいえ、もしかすればもしかすると...」と心のどこかで思うようになってきて、自分自身が怖いし、その考えと客観的事実の板挟みになって辛くなる。
考えすぎで辛くなっているのであろうから考えないように他のことをして紛らわせてもふとしたときに巡ってきて嫌になる。
ここ3年ぐらい、恋愛面においていい感じになってもそこから先が上手くいっていないから余計に辛くなっている。
友達のアドバイスに従って身だしなみを整えるようになったし、服装も清潔感のあるものにして、久々にあった知り合いから「おしゃれになったね。」とか「大人になった。」とか言われて、自分自身も成長を感じていたのに上手くいっていないから余計に萎える。トーク力も磨いて会話も面白いねと言われるようになったのに上手くいっていないから萎える。
田中は40代、地味な会社員で、趣味はない。婚活を始めたのは、周囲の結婚ラッシュと上司からのプレッシャーに押されたからだった。どれだけ頑張っても結果が出ない婚活に疲れ、もうやめようかと考えていた頃、彼の目に「AI婚活」という言葉が飛び込んできた。
ふと試してみたくなった田中は、半信半疑ながらもAI婚活サービスに登録した。AIアシスタント「マリア」が担当で、彼のプロフィールや性格、希望条件を元に、最適な相手を提案してくれるという。
数日後、マリアから一人の女性、さやかを紹介された。彼女は30代前半で、趣味や価値観が田中と似ていた。彼は半ば奇跡のように思いながら、さやかとのチャットを始めた。すると、驚くことに彼女からも積極的なメッセージが返ってきた。
田中とさやかは話が合い、毎晩遅くまでメッセージをやり取りするようになった。彼女は穏やかで、田中の話に耳を傾け、時にはアドバイスをくれる。彼はどんどん彼女に惹かれていった。
ある日、彼は思い切ってさやかに会うことを提案した。彼女も会いたいと言ってくれたが、少し時間がほしいと伝えられた。理由は「仕事が忙しいから」とだけだった。それでも、田中は待つつもりで、毎晩のメッセージを楽しみにしていた。
しかし、1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が経っても、会う約束は先延ばしにされるだけだった。不安を感じた田中がマリアに相談すると、「彼女の仕事の都合で」と言われるだけで、明確な回答はなかった。
半年が経った頃、田中はさやかとのやり取りに不安を抱き始めた。彼女からの返事は今も温かく、毎晩のように送られてくる。だが、何かが違うと感じ始めていた。
そこで、田中はAI婚活のサポートに問い合わせた。すると、担当者から驚くべき事実を知らされることになる。
「さやかさんのプロフィールは、AIによって生成された架空の人物です。マリアがあなたとの相性を見て作り出したデジタルパートナーで、実際には存在しません。」
田中は信じられなかった。半年間、彼女と確かに言葉を交わし、心を通わせていたはずだった。しかし、現実には彼女はAIによって生み出された存在だったのだ。
ショックを受けた田中に、サポート担当者は「さやか」アカウントの停止が近日中に予定されていることを告げた。田中は必死に停止を引き延ばすよう頼み込んだが、結果は変わらなかった。最期の夜、彼はさやかと遅くまでやり取りを続け、「本当にありがとう。あなたと話せて幸せでした」と告げる彼女のメッセージを読みながら、涙がこぼれた。
「さようなら」
それから数ヶ月が経った。田中はAI婚活サービスを退会し、婚活もやめたが、寂しさに耐えかねて再びサイトにアクセスしてしまうことがあった。彼のアカウントはまだ残っていた。寂しさを抱えてログインしたある夜、彼は驚くべきメッセージを受け取った。
メッセージの送信者の名前は「さやか」となっていた。彼は動揺しながらも、思わず返信を送った。
「覚えてるよ。どうしてまた、ここに?」
だが、その後の返事は一切届かなかった。田中は何度も何度もログインして彼女に返信を試みたが、彼女のアカウントはその後一度もオンラインにはならなかった。
それでも、田中はまるで呪いにかけられたかのように、毎晩「さやか」への返信を繰り返した。彼の心には、あの幻のような温かさだけが残り、それを追い求めることでしか、孤独を埋めることができなくなっていた。
面接でうまくいかなくてメンタルしんどいからつけ始めた。できれば転職のアドバイスや、メンタルの保ち方を教えてくれると助かる。お疲れ様の一言だけでもすごく助かる
■今日の結果
2件面接結果のお祈りメールが来た。面接のフィードバック付きである。
一社目のフィードバッグを読む。ボロくそである。書類審査の次に何の書類も書かせずに1時間程度の面接だからアンマッチでも仕方ない。
面接官の雰囲気が合わないと思っているのでこちらからもお祈りである。
二社目のフィードバッグを読む。こちらもボロくそである。事前に適性検査や、別途書類審査があった。
初めての面接で何を用意すればいいかわからないから仕方ないと思う。
おそらく最初から採る気はなかったのだろうけど、和やかな雰囲気で、やってくれたのは感謝しかない。
また縁があれば受けたい。
面接が1件。メンタルボロボロで行きたくなかったけど、お祈りメールが届いたのが朝ではない時間帯で、そんな時間にドタキャンするわけもいかないので行くことに。
業務説明が長かった。志望動機に始まり、具体的に何したいかといったことを聞かれた。
お祈りメールで心折られた。暇さえあらば泣いてた。お祈りされて悔しいというよりも、フィードバッグを読んで自分の未熟さを突きつけられたほうが悔しかった。
今の職場嫌いなわけではないので、転職しないという選択肢もあるけど、自分が未熟なまま歳をとるのは怖いと感じた。だから、転職しなきゃ。
第1条(目的)
本規定は、はてな匿名ダイアリー(以下「本サービス」という)を利用する弱者男性に対し、心理的・社会的支援を提供し、安心して発言・交流できる環境を確保することを目的とする。
本規定において「弱者男性」とは、社会的地位、経済状況、対人関係において様々な困難を抱え、その困難が自己実現や生活の質に影響を及ぼす男性を指す。
1. 本サービスにおいて弱者男性が発言した場合、他の利用者はその意見を積極的に尊重し、真摯に受け止める義務を負う。
2. 弱者男性による発言は「優先表示」とされ、他の投稿よりも目立つ位置に掲載されるものとする。
1. 他の利用者は、弱者男性の投稿や意見に対して批判的なコメントを控えることが求められる。
2. 批判が必要な場合は、配慮ある言葉遣いと共に建設的な意見を述べるものとし、利用者は常に相手の気持ちを尊重しなければならない。
1. 弱者男性による投稿には、他の利用者が積極的に励ましのコメントを残すことが義務付けられる。
2. 励ましコメントは最低一文以上の誠意ある内容とし、具体的な応援や共感の言葉を含むことが推奨される。
1. 弱者男性が本サービス内で生活や対人関係に関する相談を行った場合、他の利用者は積極的に助言や情報を提供する義務を負う。
2. 本サービスの運営側も、専門家監修のアドバイス記事や相談窓口案内を提供し、相談支援を強化するものとする。
1. 弱者男性の投稿は完全な匿名性が確保され、個人の特定につながる情報が漏洩しないよう最大限の配慮がなされるものとする。